――私を呼ぶのは誰……?あなたなの……?それともあなたなの……?辛くて苦しくて悲しいの……?それなら私が歌ってあげる……。魂を送る葬送の歌を……――
「それで事情聴取の方は、どうだったの?」
いささか疲労が顔に出ている常守に対して、唐之杜は何時もの調子で話しかけた。背もたれに体重をかけ、足を組み直す。まるで子供の言い訳を待つ大人のようであった。腰をかけていた椅子の背もたれが、ギィと音を立てる。
「それが、自分は言われた通りの行動をしていただけだと言っています。事件ことも、まるで他人事のように、人がいつの間にか集まってきて騒ぎ始めたと」
「そりゃあ、あれだけの騒ぎの渦中にいて公安にしょっ引かれたら、知らぬ存ぜぬを通そうとするでしょうね。それにしても誰の言う通りにしたのかしら?」
実に奇妙な事件であった。サイコハザードが起ころうとしていたのに、その原因が特定できなかったのだ。そして霜月と六合塚が、騒動の中心人物に対して行ったフェイスレコニグションの結果と、公安一係が見ていた人物がまるで別人だったのが問題だった。表示されれたIDは、犯罪係数18.5のサイコパスが全く平常値の人物だったのだ。
事件を不可解にしているのは、このIDを持った人物が本当にその現場の中心にいたことであった。まるで人に人の皮を一枚被せて別人に見せかけていたのではないか、と言う表現が一番しっくりくる奇妙な現象が起こっていたのだった。果たして、人の目で見ている物と機械が見ている物が全く別の物である、などと言うことがあり得るのだろうか。
事件の概要だけ見れば、今回の騒動は原因不明のエリアストレスの上昇であり、現場に集まっていた人達にサイコセラピーの呼びかけをして終わりになる程度のもので、その原因まで追及するほどのものでもない事件であった。しかし今回は違った。サイコハザードの連続性を疑ってから、初めて公安の目の前で事件が進行し、機械的な処理では解決出来ない問題の存在が明らかになったのだ。
この事件が単独の事件ではなく、昨今多発しているサイコハザードと関係していると強く疑わざるを得ないと確信する根拠が存在した。フェイスレコニグションで表示されたIDの人物、その人物のサイコパス測定の履歴から、彼が「サイマティックスキャン消耗症候群」であることが判明したのだった。
事件の前のブリーフィングで、サイマティックスキャン消耗症候群に目星を付けた矢先に、その該当者が事件の中心にいたのである。しかも「サイマティックスキャン消耗症候群」の人物に事情聴取を行う方針が決まった直後であったから、殊更これを無視するわけには行かなかったのだ。
さらに消えた「楪いのり」の存在である。事件性が無いわけがないと、刑事課一係の人間全てが感じていた。
もはや、単なる偶然連続したサイコハザード事件として放置するわけには行かなくなり、常守は「楪いのり」に
事情聴取は監視官二人によって行われ、その報告が分析官のラボで行われていた。そこには刑事課一係の全員が集まっていた。そして常守は徒労感を露わにしながら、簡潔に結果を報告した。
「それが、シビュラによる行動指針を守っただけみたいなんですよ」
それに対し唐之杜が、なかば茶化すような口調で答えた。
「それなのに、あんな事件が起こったと言い張る訳ね」
常守はあくまでサイコセラピーの紹介をする、ということで任意同行を求めたので、突っ込んだ聴取ができずにいた。同じく、その聴取にあたっていた霜月が続けて報告する。
「供述はよどみもなく、色相はクリア。見事なサイコパス美人ってなものですよ、整形ですが。無駄にストレスかけただけですね」
霜月は半ばこの事情聴取に意味は無かったと考えていたが、さりとて無視もできないという事に苛立ちを覚えていたので、余計な一言が口を突いて出てしまっていた。
「サイマティックスキャン消耗症候群の患者であることを考慮に入れて供述を取らないと行けないわね。なにせ誰かに言うがまま行動することが最もサイコパスを濁らせないと固く信じているわけだから、彼らはこちらが望むがままの供述をするわよ。そうなったら拷問による自白と同じで信憑性が全く失われるわ」
唐之杜は、有力な情報を得られなかった二人をフォローするように、この参考人の特殊性について説明を加えた。
「彼らにとってのセラピーは拷問に等しいはずだから」
だから、有力な情報を得られなくても、気にするなと言うことであった。
唐之杜はしばらく考え込み、現状自分たちに何が足りないのかを考えていた。ふー、とため息を一つはいてから言葉を出した。
「犯罪心理の専門家が必要ね」
足りないのは事件を分析する分析官であった。事件が唐之杜一人の手には負えなくなりつつあったのだ。考えなければならないことが多い。しかもある程度、状況を俯瞰できる人物が必要であった。
「とにかく事件の特殊性から、あの人に復帰してもらおうと思っているの」
そう言って唐之杜は常守の目を見た。
「雑賀教授ですか?」
「朱ちゃん頼むわよ」
「わかりました。上に掛け合ってみます。許可が出たらすぐにでもこちらに配属できるように手配します」
上層部に意見が出来るのは監視官だけである。常守はそれを、現状を打破する最優先事項であると認識した。
「そっちの件は上の指示を仰ぐとして、問題は『楪いのり』ね」
一連のサイコハザードに事件性があると強く示唆する存在、楪いのり。この件は絶対に事件解決の手掛かりになる、そうれは刑事課一係全員が認識していることであった。
「こっちのモニターでは確認できなかったけれども、一度にこれだけの人数が同じものを見たって言うんだから、何かが存在したのは間違いないでしょう」
唐之杜は楪いのりを見ていない。正直そんな人物がそこに存在したとは思えなかった。実感が無い。映像にも音声にも記録がされず、現場にいた人間だけがそれを見ていた。そんな事が本当にあるのだろうか。
唐之杜の疑いを退けるように強い調子で六合塚が答える。
「あれは楪いのりだと思うわ」
「そうは言っても記録に残っていないんじゃ、証言だけでは証拠にならないわ」
この時代において公共の空間で何かの存在を見たのが目撃者だけのはずはなかった。必ず何処かに何かが記録されるはずなので、目撃証言だけが残るなどということ自体が異例である。
「じゃあどうするんだ分析官?メモリースクープでも使うのか?」
宜野座がこの事態に対応出来る手段の一つを口にした。
「こんな事件でメモリースクープ使って脳のスキャンなんて、馬鹿馬鹿しくてとてもとても。そんな脳に負担をかけて危ない目にあうこともないわ」
半ば宜野座をあざけるように手のひらを、ひらりひらりと振りながら、唐之杜はその提案を即座に却下した。唐之杜は宜野座よりも学年が一つ下であったが、ほぼ同世代であり、話し方に気兼ねが一切無い。以前に常守に対してメモリースクープを行ったが、あの強靱なサイコパスを持つ常守ですら後遺症が出たのである。使うとしても最後の手であると、唐之杜は考えていた。
「それよりも」
唐之杜が悪戯っぽく話題を変える。
「皆さんにお絵かきをしてもらいまーす」
「はぁ?」
一係全員の声がハーモニーを奏でた。深刻な話をしていたはずなのに、急に予想だにしないことを提案され、戸惑いの声を上げたのだった。
「似顔絵よ似顔絵。そのほうがよっぽど捜査に使えるわよ」
「私似顔絵なんて小学生以来書いたことないんだけどなぁ……」
常守が縮こまって独り言を吐く。
「デ、デザイン画ならいいけど……人物画はちょっと……」
雛河はデザイン関係の仕事をしていたが、人物画となれば別である。
「自分もこういうのは苦手で……」
須郷はもっと絵に無縁であった。
「目撃証言は証拠にならないって言ったじゃないですか」
霜月も異を唱える。
そんな一斉に抗議を上げる姿を見た唐之杜が声を張る。
「ぶつくさ言わないでやる!!」
そう言うと唐之杜は、備品としてストックしてあったタブレット端末とタッチペンを全員に押しつけた。監視官と執行官が分け隔てなく、絵を描かされる事態になった。戸惑いながらも、刑事課一係のメンバーはタッチペンを手に取り、タブレット端末に絵を描き始めた。
「みんながお絵かきに勤しんでいる間に、楪いのりについて調べてみるわね。私の権限でどこまで調べられるのか、わからないけど」
唐之杜は絵を描き始めた一係全員の姿を満足そうに見たあと、椅子のリクライニングを元に戻し向きをモニターの方に回転させた。そしてラボに備え付けの情報端末のキーボードを叩き、楪いのりの情報の収集を始めた。唐之杜の得意分野である。三十分ほどの時間を作り出し、その間に得られるだけの情報を引き出す作業に入った。