PSYCHO-PASS VS 楪いのり   作:石神三保

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ずいぶんと間が開いてしまい、申し訳ありませんでした。執筆途中でPSYCHO-PASS SSの上映が開始され、その内容を確認してプロットを練り直していたら時間がかかってしまいました……。年代がPSYCHO-PASS SSと全く被ってしまい、少々悩んでしまいましたが、二次創作の気楽さで、その辺はあまり追及しないようにして続きを書こうと思います。


第五話

常守は雑賀を引き連れて無機質で無味乾燥で、それでいて色相を濁らせないためだけに圧迫感だけは排除されている、暖かみがない隔離施設の廊下を進んでいった。

いくつか無人の関門を通り抜け、中央ロビーに向かう最後の廊下を歩いていた時であった。

それは最初、気にもならないノイズであった。完全に無意識の領域で、頭の中から排除してしまう雑多な音の一つであった。

 

コッコッコッコッ

 

一定のリズムで奏でられる、それは固い床を歩く人の足音であった。隔離施設は無人化が進められており、人の出入りは限られている。サイコセラピーの医師と看護師、そして常守のような公安局の人間と、セラピストのような一部の人間しか立ち入る事はできず、また治療のための巡察時間からは外れていたため、廊下を歩いている人間は、常守達以外に存在していないはずだった。それ故に、なにげのないその音が気になったのである

背後から近付くその音に気付いた常守は、反射的にその音がする方を見た。雑賀もそれに気付き、足音の方向を見る。

 

振り返って見たその先にいた人影を見て、常守と雑賀は声を失った。出口に向かうだけのことしか考えていなかった常守の頭中では、何かに殴られたかのような電撃が走り思考が迷走、目は驚きで大きく見開き、さらには瞳孔までもが限界いっぱいまで開き、衝撃の大きさが完全に顔に表れていた。

呆然とする常守の視線の先には、いるはずのない人物が歩いていたのである。常守の傍らにいた雑賀が、ようやく固く結んでいた唇の間から声を絞り出した。

 

「お、おい……あれは……」

 

雑賀は先ほどの常守との面会で、捜査資料の中にあった捜査資料としては、今時珍しいある似顔絵に目を通していた。

その特徴に一致する人物が、目の前にいる。だが言葉にならない。

しかし雑賀の言葉が常守の思考の呼び水となった。雑賀の発した声で我に返った常守は、その名を思わず叫ぶ。

 

「あれは……楪いのり!!」

 

現在引き起こされている連続サイコハザード事件の中心人物、もしかすると容疑者で有る可能性がある少女が歩いていたのだ。

さらに驚くべきは、楪いのりの傍らには一人の十代前半と思われる少女がいたのだ。あれはいったい誰だ。

捜査の容疑者が急に目の前に現れ、少女を連れて歩いている。頭の処理が追いつかない、いったいこの状況は一体何なのだろう、これは現実に起こっていることなのか、それとも悪夢なのか。

双眸から送り込まれた情報の津波に、思考の渦がかき乱される。何をどうすれば良いのかわからない。

それは急に極限状態に置かれた、人間の本能的な行動なのだろう。事件の状況を思考するほんの一瞬の時間を得ようとして、常守と雑賀は向かってくる楪いのりから数歩、後ずさりをしていた。

狼狽する常守と雑賀の存在を意に介する事なく、歩みを続ける楪いのり。こちらのことを全く無視して進む楪いのりに対し、常守は有事における刑事の本能が呼び覚まされ、叫んだ。

 

「止まりなさい!」

 

刑事としての本能、ここで彼女を抑止しなければ取り返しの付かないことになると、刹那の間に感じ取ったのだ。

そして常守は咄嗟に腰に手をやる。力としての抑止を見せなければならないという、訓練で染みついた所作であった。だが、その行動が全くの無駄であった事に次の瞬間に気付く。

 

「丸腰?」

 

いつもであればその位置に法の執行者たる象徴が存在するはずであった。

ドミネーター無しでは、もはや体を持って制するしかない。

なおも歩みを止めない楪いのりの前に、常守は身一つで立ちはだかった。

 

「あなたに聞きたいことがあります!止まって話しを!」

 

そう叫ぶ常守を一瞥しただけで、楪いのりは歩みをやめようとしない。

 

「あなたはいったい誰なの?その連れている子供はなんなの?」

 

なおも常守の問いに答えず、無視して歩み続ける楪いのり。

ついにその距離は手を伸ばせば届くほどに近付いた。そして楪いのりは、常守の横をすり抜けて立ち去ろうとする。

 

「待ちなさい!」

 

とっさに楪いのりの腕を常守は掴んでしまった。通常の職務質問とは違う行動に出てしまった。厳密には違法である。それほどまでに、常守はこの情況に混乱していたのだった。

そして楪いのりの歩みが遂に止まる。その時、常守は自分の間違いに気付き、握った楪いのりの腕を放した。

 

「おねえちゃん?」

 

歩みを止め、声を上げたのは、楪いのりに手を引かれていた少女だった。

 

「大丈夫……私が守ってあげるから…」

 

楪いのりはそう言って優しく少女に微笑みかける。

その時初めて常守は、楪いのりに手を引かれている少女の顔をしっかりと見た。全く普通の少女で、こんな矯正施設にはおおよそ似つかない、大人しそうな風貌をしていた。

そんな子供が何故ここにいるのか。常守は聞く。

 

「その子をどうするつもり!?」

 

常守は眉根に深い谷間を作り、楪いのりを自然と睨みつけていた。

その強い怪訝な表情で怯えたのだろうか、少女は楪いのりの袖をぎゅっと掴んだ。

 

「大丈夫……だから……」

 

そう言って楪いのりは、そっと掴まれた袖とは反対側の手で、不安に震える少女の手を優しく握った。そして再び歩み始める。常守の質問には答えなかった。

 

「待ちなさい!公安局です!あなたには先日のサイコハザード事件に関わった疑いがあります!」

 

ここでようやく、常守は職務質問の正式な手順に戻り、まずは手帳(バッジ)をかざし、職務としてやるべき事をやり直し、実行へと移した。

楪いのりはようやく目線を常守達に向け、かざされた手帳を一瞥した。そして消え入るような声で一言を発した。

 

「そう……」

 

囁きような一言を発しながら、楪いのりは歩みを続け、常守の横を通り過ぎ立ち去ろうとした。

 

「待ちなさい!あなたはそもそも入館許可を得ているの!許可証を提示しなさい!」

 

再び楪いのりが常守を見る。そしてまたしてもか細い声で答えた。

 

「そんな物は……ないわ……」

「ではあなたを住居侵入の現行犯で逮捕します!」

 

この情況をどうしても放置出来なかった。実行に移すしか無い。

常守はいのりの肩を掴み、身体の確保をしようとした。

そして強引にいのりの体を引っ張ったその時、楪いのりに手を引かれた少女がバランスを崩し転倒、「きゃっ」と小さな悲鳴を上げた。

その声で常守は一瞬、楪いのりから視線を離してしまった。

 

視線を離した眼球の周辺視野から、次の瞬間の映像が送り込まれていた。その映像によって、常守の脳内にある警報装置が、頭の中でけたたましく警報を鳴らしたのである。

その視覚からの警告に従い、楪いのりの方へ視線を戻した。が、楪いのりの姿が消えていた。

消えたと言うよりも、その長い髪の先端が僅かに残っていただけだった。

 

今度は、体が状況を判断して勝手に動く。顎を上げ、上体を捻りのけぞらせた。訓練でさんざんやった動作が、常守の意思を介さずに起こったのだ。

次の瞬間常守の目を捕らえたものは、高速で額をかすめる人の前腕だった。危うく常守は楪いのりからアッパーカットを食らう所だったのだ。

ようやく、自分が攻撃を受けていると意識が判断した。そして即座に、格闘訓練のスイッチが入る。

しかしほんの一瞬、相手の動きに意表を突かれた僅かコンマ何秒かの遅れによって、常守の動きは完全に後手に回っていた。

次に常守が感じた感覚は、左脇腹の鈍い痛みだった。

 

「ぐうっ!」

 

衝撃と痛みで勝手に声が出た。のけぞった事によってがら空きになった脇腹に、楪いのりのボディーブローが浴びせられたのだ。

常守はその一撃では倒れなかった。自主的に行っている格闘技の訓練で、何度か同じ場面に遭遇していたからだ。密かに鍛え上げられていた体が、その衝撃に耐えたのだ。

次の攻撃を受けるわけにはいかない。頭が完全に格闘戦のモードになり、常守はステップを踏んで楪いのりとの距離を取った。

その距離を埋めるように楪いのりの回し蹴りが来る。だが、その蹴りは虚空を切り裂いただけで、常守の体にヒットはしなかった。そして大技を繰り出した楪いのりに、常守が遅れを取り戻す事ができる隙ができた。

 

訓練で良く体に染みこませた動作が適切に呼び出され、常守は反撃を試みる。

犯人の鎮圧を目的とした総合格闘技のスタイル、パンチやキックにも対応し、最終的には寝技で組み伏せる、常守が有事の際に使えるようにと訓練を続けてきたスタイルだ。

相手に組み付こうと、楪いのりの襟へ左腕を半ばパンチのスピードで伸ばす。だがその伸ばした腕に合わせて、カウンターで楪いのりのリードブローが放たれ、常守の右頬骨の近辺にヒットする。

 

「ぐっ!」

 

常守が呼吸と苦痛とが入り交じった息を吐き出すと同時に、もう一度右頬骨にリードブローを食らう。ジャブのワンツーが綺麗にヒットしてしまった。

最初のヒットで既に視界の半分が歪んでいたのだが、ジャブの二連撃によって、右目は完全に像のぼけた歪んだ映像しか送り込んでこなくなってしまった。

それだけではない。脳もこの時激しく揺さぶられていて,冷静な思考ができるような状態ではなくなりつつあった。

そして思考とは関係なく、体が覚えている動作で楪いのりに攻撃する。二連撃でのけぞった状態から、最短距離で左のアッパーカットを撃ち込んだ。

今度はそのアッパーにカウンターを入れられ、楪いのりの右ストレートが常守の額に刺さる。常守の拳は楪いのりの右頬へ向かっていたが、数ミリの差で虚空に放たれる事になり、文字通り浮き足だった所へストレートパンチが入ってしまったのである。

全くの観客として見る羽目になってしまった雑賀から見ると、ワン、ツー、スリーと、一瞬の間にお手本のような連続パンチが繰り出され、常守のよく整えられた髪の毛の毛先を、リズムよく揺らしているように見えた。

 

『重い!これが女の子のパンチなの?』

 

頭の中でそう叫んだ。この時点では、幸いにも常守の意識はまだ飛んでいなかった。ただそれ程複雑な事を考えられる状態ではなく、ただ痛みと相手の姿との釣り合いが取れていないことへの混乱が、思考の大部分を占めていたのだった。

常守がそんな状態で下した決断は、相手の足を取り転倒させる事、打撃での勝算が薄いと考えたのだ。

常守は若干腰を下げ、楪いのりの胸に飛び込む。

 

だがその攻撃は功を奏しなかった。

楪いのりは、相手を取り押さえる事で焦った結果なのか、ほんの少し伸びた常守の腕を見逃さなかった。合気道の小手返しのように常守の腕を掴むと、軽々と体を入れ替えた。そして追い打ちとして、常守の臀部に前蹴りを入れて距離を取った。

常守はよろけながらも、転倒だけは避け即座に振り返る。だが、完全に後手に回った。距離が開いた事で楪いのりの大技が襲いかかる。鋭いミドルキックが放たれて、常守の胴を狙う。辛うじて肘でガードしたが、ガードの上からでもダメージが蓄積する重いキックであった。楪いのりはガードの上からでもお構いなく、今度はミドルキックの勢いを残したまま、バックスピンキックを常守に浴びせかけた。

そこからは、楪いのりの一方的な打撃が続く。常守は固くガードを固めるしかなく、その攻撃の圧力でじわりじわりと後退するしかなかった。

 

気が付けば出口前のロビーにまで来てしまっていた。

足をもつれさせながらロビーに転がり込むと、受付から悲鳴が上がった。

 

「きゃあ!!」

「警報を!!警備ドローンを動かして下さい!!」

「あ、あ、はい」

 

常守は狼狽する受付嬢に対して、非常の措置を取るよう簡潔に叫んだ。

ロビーの受付でまさに惰眠をむさぼっていた受付嬢は、即座に机の下に備えてある非常警報装置のスイッチを、訓練どおりに押す。それによって館内にけたたましく警報が鳴り、巡回をしていた警備ドローンが一気にロビーへと殺到する。

その様子を楪いのりは首を一周させて確認した。そして一瞬動きを止めると、先ほどまで手を繋いで歩いていた少女の方を見た。

少女は雑賀の両手で肩を抱えられいて、不安そうな表情で常守と楪いのりのやりとりを見守っていたのであった。

少女を確認すると、楪いのりは常守の相手をやめ、少女の方へと駆け出した。

 

「お、ちょっと、待て!」

 

少女の傍らには雑賀が立っていたが、それには目もくれず、少女を雑賀からひったくるようにして抱え上げ、今度は出口へと向かって走り始めた。

少女を奪われた雑賀は尻餅をついて倒れてしまった。

 

「あいたた……」

 

そう言って雑賀は右手で腰の辺りを押さえた

雑賀は楪いのりから攻撃を受ける恐れを感じて、半ば腰が砕けるように後ろへと倒れてしまったのだ。

そんな雑賀に一瞥もせず、楪いのりは少女を抱き上げたまま走るのをやめなかった。

 

「止まりなさい!!」

 

再び常守が楪いのりを制止する。

その声で楪いのりは一瞬立ち止まった。

 

「出口まで走って……できる……?」

 

そう言って楪いのりは抱いていた少女をそっと降ろす。少女は「うん」と軽く頷くと、出口へ向かって駆け出した。

 

「待ちなさい!!」

 

常守はその少女を制止しようとするが、間に立ったのは楪いのりだった。

 

「そこをどきなさい!あの子を理由もわからず外に出すわけにはいかないわ」

 

常守の言葉に楪いのりは反応しない。

 

「あくまでここを出てくつもりなのね。それなら!」

 

施設内の警報を鳴らした事で楪いのりの動きが止まり、ほんの僅かな時間ではあるがインターバルを取る事ができた。ほどなく警備ドローンが、ロビーを埋め尽くす事になるだろう。

後手後手に回っていた状況から、ようやく対等な条件にまで持ち込む事ができたのだ。次は先手を取る、そのつもりで楪いのりに挑みかかった。

だが常守の攻撃は読まれて当たらない。リードブローすら空を切り、間合いを詰めようとステップを進めても、その分下がられてしまう。このまま出口まで行かれてしまうと、取り返しが付かない事になってしまう。門番にいるドローンなどは軽くいなされ、そのまま突破されてしまいかねない。

先手を取ったつもりであったが、まったく掠りもしない攻撃は徐々に常守から余裕を奪い、気持ちを焦りへと変貌させていった。

 

「この!」

 

焦った常守は、半ば強引に楪いのりの腕を取りに行った。

途端に下がり続けていた楪いのりは前に踏み出し、常守の胴めがけて前蹴りを繰り出す。そして常守は自分の運動エネルギーと前蹴りの運動エネルギーが合わさった力を、隙だらけだったみぞおちにカウンターとしてまともに食らってしまう。

 

「くはぁ!」

 

肺腑から無理矢理呼吸が押し出され、そのまま呼吸が元に戻らなかった。苦しさのあまり意識が遠くなりそうであった。

意識をなんとか保たねばと、それだけに気持ちを集中していると、出口の方から叫び声が聞こえた。

 

「常守さん!そのドローンから離れて!」

 

突然響き渡ったその声に驚き、常守は楪いのりから目線を外してしまった。視線の先にいたのは、車で待機をしていた巌永だった。

その隙を楪いのりは見逃さなかった。

 

しなやかに振り上げられた右足が、重力と自身の体重を利用し、重たい鉄槌となって常守めがけて振り下ろされた。

常守は楪いのりのハイキックを、もろに顎下に食らってしまう。

視界にはチカチカと星のような物がいっぱいに広がり、目の前にある物体が人なのか物なのかすらもわからない。鼻の奥がツンと痛み、唾液と血が混じった臭いがする。耳は『ピー』と耳鳴りが続く。遠くで『常守さん!常守さん!常守!常守!』と複数の自分を呼ぶ声が聞こえる。そうこうするうちに、強い衝撃と共に視界いっぱいの白い世界が広がった。

それはロビーの床であった。常守は天地がわからなくなってしまっていた。なぜ床がこんな場所に、と考えたが結局何も思いつかず、視界に広がった白い世界が頭の中全体に広がり、ついに何も考えられなくなってしまった。

 

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