――遠くに響くサイレン、空を切り裂くローター音、何事か大勢が話している声、ゴロゴロと地鳴りの様に響くタイヤの音。それらが選り分けられず、ぐちゃぐちゃに混ざり合って頭の中にこだまする。それらの区別がようやくできる様になった時、頬に暖かみを感じた。そして双眸が明るさを捕らえ、それをたぐり寄せようと思った刹那、光に様々な色がある事に気付いた――
「気が付いた?」
そこには金髪に染め上げたウェービーなロングヘアー、よく整えられた眉と深紅のリップ、そして火の付いていない煙草を口に咥えている、見覚えのある顔があった。
「ここは……私は……」
「朱ちゃん?自分の名前は言える?」
横たわる常守に寄り添っていたのは、唐之杜であった。深紅のツーピースの上に白衣をラフに羽織り、装いは真面目さからはほど遠かったが、この時の唐之杜の目は非常に真剣で鋭かった。
「あ……唐之杜さん……どうして……」
「それはいいから。自分の名前は言える?」
「常守朱……です」
「生年月日は?」
「二○九二年……四月一日……」
常守は唐之杜に言われるがままに質問に答える。その質問が何を意味しているのか、よく理解はできていなかった。半ば反射的に答えていた。
口頭での質問に答えた常守を見て、唐之杜は次の動作に移った。
「いいわ。じゃあ私は何本指を立てている?」
「三本……です……」
「じゃあこれは?何本?」
「一本……」
「これは?」
「四本……」
唐之杜はランダムに右手の指を立て、常守にそれが何本に見えるのか矢継ぎ早に聞く。常守が正確に指の本数を答えたのを確認し、唐之杜はまた動作を変えた。
「それじゃあ、私が人差し指を立てるから、それを目で追ってくれるかしら?」
唐之杜は常守の眼前で、人差し指を立てた手をゆっくりと左右ランダムに動かした。
「どうやら意識に問題はなさそうね。でも、脳振盪で完全に気を失っていたから、救急病院へ行ってちょうだい」
唐之杜は一連の質問で、常守の意識レベルをチェックしていたのだ。もし脳にダメージがあった場合、常守は唐之杜の質問に答える事はできなかっただろう。
ここでようやく、常守も事態を把握出来た。どうやら自分は意識を失っていたらしいと気付く。
少しずつ思い出してきた、雑賀譲二を迎えに行った帰りの廊下で、楪いのりと格闘になった事を。そして無様にも格闘で負け、地面にたたき伏せられてしまった事を。そして意識を失っている間に、唐之杜が駆け付け自分を介抱していたのだと気付いた。
「でも……」
意識を取り戻し、唐之杜の言葉を理解できる様になって初めて出た言葉は、抗弁の言葉だった。
それに対して唐之杜は下がり気味の眉をさらに下げて、やさしく子供に諭す様に語りかける。
「後始末は私達がやっておくから、ね」
そしてさらに常守へ話かける声が聞こえた。
「そうですよ先輩。私だっているんですから」
そう声をかけたのは、霜月であった。考えてみれば当たり前の事であった。監視官の存在無くして、潜在犯である唐之杜が、外で自由に出歩ける訳はない。監視官の管理の下、己が持つ有益な能力を発揮しているにすぎない。
ここではっきりと、自分の巻き込まれた事件で刑事課が出動し、自分はそのまっただ中にいたのだと、頭できちんと理解することができた。
「美佳ちゃん……痛ッ……」
常守は霜月に何事かを告げようと体を起こしたが、強打した顔が痛み、その苦痛で口元が歪む。
「ほら、大人しく寝てなさい。ドクターストップよ」
あらためて唐之杜が、常守を諭す。
「突っ走りすぎなんですよ、先輩。ここは私に任せてさっさと病院へ行ってください。早いところ現場検証を済ませたいんですよ、こっちは」
霜月も常守を諭す。一言二言が余計ではあったが、常守の身を案じているのは、唐之杜と変わりがないようであった。
「ごめんなさい……私……頭に血が昇ってたみたいで……」
常守はそう言うと半身を起こし、痛む方の顔を手でさすった。唇を切ったのだろうか、さすった手に乾いた血が付着する。
「そうだ……私が見た事を話さないと」
「それはいいですから。あとでじっくりと聞かせて貰います。だから、とりあえずは私達が乗ってきたティルトローターで病院に向かってください」
霜月は親指を立てて、公安局が保有しているティルトローター機を指さした。その機のペイロードは、車を丸ごと運ぶ事ができるほど広く、刑事課よりも先に到着した消防の救急車をそのまま運ぶ事ができる。つまりは、常守を収容した救急車ごと格納し、そして適当な病院の近辺で降下して車を降ろし、極めて速やかに怪我人を病院へ運ぶ手立てはできていたのだった。
現場に捜査車両と鑑識ドローン一式をここまで運んできたティロトローターは、現場検証をしているしばしの間、機体を持て余し待機していた。余らしている時間に怪我人を運べば、その暇も埋める事ができて、一石二鳥でもあったのだ。
「美佳ちゃんの言う通りよ。監視官として来てもらっているし、それに臨時監視官で来た巌永さんも丁度いるし」
思い出した。臨時監視官として巌永を帯同していたのだった。一係の誰にも言わずに。
「そうだ彼女……まだ一係のみんなに言ってなかったですね……」
「それも大丈夫よ。朱ちゃんが気を失っている内に、話は聞いたから。朱ちゃんから詳しく話を聞くのはあとで、ね」
確かに目撃証言は巌永に任せれば良いのだろうし、直接現場に居合わせた雑賀もいる。常守は観念と安堵の念が入り交じり、ここは一端自分が引き下がる事を決断した。
「わかりました唐之杜さん……それと美佳ちゃん、あとはお願いね……」
霜月が、やっと観念してくれたのか、という表情で常守に答えた。
「了解しましたー。少しは休んで頭を冷やしてください」
「そうさせてもらうわ」
常守自身も、流石に今は冷静な思考能力が取り戻せているとは、考えられなかった。ここは人に頼ろう、仲間なのだから事件の捜査を分かちあえるではないか、彼らの能力の高さはよく知っているではないかと、常守は自分自身にそう言い聞かせていた。
ようやく落ち着きを取り戻した常守に、唐之杜が餞別代わりの言葉をかける。
「殴られ損じゃないわよ。いままで事件化できなかった異変が、今回の件ではっきり暴行傷害、もしかすると誘拐事件として扱えるようになったんだから。気休めかもしれないけど、事件化する事で前に進めそうになっているのよ」
「そうですね……私も病院で休んで今回の件をゆっくりと考えたいと思います」
「ここのところオーバーワーク気味だったから、この際たっぷり休暇を取るといいわ」
「わかりました」
そう常守は言い残し、ストレッチャーに乗せられ救急車に収容される。救急車は近くの病院へ行くのではなく、より精密な検査が行える東京都内の病院を目指す事になった。公安局のティルトローター機の貨物室に救急車が搭載されると、そのまま静かに離陸し、空路で都内の病院へと向かっていった。
「さてと」
唐之杜は周りを見渡しながら、咥えていたメンソールの煙草にライターで火を付け、一服を始めた。そして常守が収容されたティルトローター機を見送る。
「君が現場に出てくるなんて珍しい」
手隙になった唐之杜に雑賀が後ろから声をかける。唐之杜はスーッと一息分の煙草の煙をくゆらせながら、雑賀の方を見た。
「お久しぶり」
唐之杜は煙草のフィルターにルージュを染みこませながら、咥え煙草でフランクに話かける。以前にも分析官としてコンビを組んだ事があるが、その時も師弟と言うよりは親子のような話し方で雑賀に接していた。
「人手不足が深刻で現場検証にあたる人員が足りてないんですよねー。私まで駆り出されて。それに今回の事件、現場に出ていないと、わからないことがあるみたいなんで」
「例の映像に映らない、前時代の亡霊のことかね?」
雑賀は娘をからかう様な口調で、事件の核心部分に触れた。
「亡霊なら、それでもいいのだけど。それなら特別な能力がなければ見られない、凡人にとっては欠陥のある存在だし。でもこんな事件が現実に起こった。だから、霊媒師の出番ではなくて刑事課の出番ってわけ」
唐之杜は風に揺れる、金色に染め上げたウェービーな髪を一回かき上げ、髪をすいた後の手を、そのままの流れで白衣のポケットに突っ込み、携帯灰皿を取り出した。
「あの新人も使えるようになってきたじゃないか。前に見た時よりもずいぶんたくましくなっている」
現場検証はドローンによる微物の収集が行われていて、あまり人が動いていない小康状態にあった。時間を持て余し気味だった雑賀は、唐之杜に雑談を話かけて、その時間を潰そうと考えていた。
「一時期は凄く落ち込んでいたみたいだけどねぇ。色々あったけど、自分なりに悩んで考えて解決したみたい。今じゃすっかり一係に溶け込んじゃって。子供っぽい所も多いけど、それも経験を重ねるうちに落ち着いてきた感じになってきたたし」
「ずいぶんと信頼してるようじゃないか?」
「そりゃぁシヴュラシステムが刑事に選んだ、模範的市民ですもの。私たち潜在犯がその有用性を発揮するには、そういったシステム側の人間に従うほかないから。もっとも私の場合は、間に弥生が入ってくれてワンクッション距離を置けて気楽って言うのもあるかしら」
「なるほど。適当な距離感で俯瞰している、唐之杜志恩様の掌で踊らされてるという訳だな」
「そんなぁ、人聞きが悪い。ちゃんと捜査が進展するよう、的確にアドバイスをしているだけよ」
唐之杜の言葉は、それ自体はいたって真面目であったが、戯ける様な口調で話していたため、言葉どおりの意味以外もありますよ、と暗に雑賀へ示していた。
そして雑賀もその意味を読み取っていた。
「ま、我々にとっては事件を解決させる事が、一番の目的だからな」
雑賀は唐之杜との会話で、現在の一係の関係がどんな様子なのかを感じ取った。自分がその中に加わっても、その関係性は崩れそうにないという印象を得た。ならば、自分の能力を彼らのサポートのために、存分に発揮しようではないかと。今までどこか少し他人事として考えていた部分があった事は否めなかったのだ。
「そう言う事でよろしく頼むよ」
「こちらこそ」
雑賀と唐之杜は軽く握手を交わす。
「志恩さーん、鑑識のチェックお願いしまーす」
一服入れていた唐之杜に、現場となった隔離施設のホール辺りから霜月の呼び声が聞こえた。
「それじゃあ行きましょうか」
「そうだな」
唐之杜は吸っていたメンソールの煙草を携帯灰皿に押し込み、口を閉じて白衣のポケットに突っ込む。そして白衣のポケットに手を入れたまま呼ばれた方向へ歩き始めた。雑賀がそれに続き、現場検証が終わりを迎えようとしていた。
*
常守は都内の病院に運び込まれると、即座に検査着に着替えさせられ、CT及びMRIによる頭部の検査が行われた。
検査結果が出る間に他の外傷の手当を受ける。顔は内出血で歪んでいて、唇は少し切れていた。口の中も頬の辺りに出血があり、血の味をずっと感じていた。打撲の何カ所かをテーピングして、腫れと痛みを和らげる処置が施される。
一連の傷の処置が終わったあと、担当医に呼び出され説明を受ける事になった。
検査の結果、脳に損傷はなく、問診による意識チェックもクリア、脳震盪よる後遺症は今のところ現れていなかった。
「今夜一晩は、入院していってください」
「わかりました。そうします」
常守は捜査が気懸かりだったが、タイミングよく巌永が派遣された事もあって、少し重圧から解放された気持ちになっていた。ここは医師の指示に従おう、何かあれば霜月から連絡が来るだろうから、と考えた。オーバーワーク気味だったのは自覚していたし、何よりも考える時間が欲しかったのだ。
常守には個室のベッドがあてがわれていた。監視官という身柄の保護と言う事情もある。
「何かあったらナースコールでいつでも呼んで下さい」
病室まで付き添っていた看護師がナースコールのボタンの位置を教える。
「ありがとうございます」
「一時間後に点滴を外しに来ます。それまでゆっくり休んでいて下さい」
「そうします」
常守はそう言って自らの力でベッドに入った。ほどなくして点滴に含まれているアセトアミノフェンが効いてきたのだろう。痛みが退いていき、眠気が襲ってきた。清潔なリネンの香が心地よく感じられ、かけられたブランケットの臭いが鼻腔の奥を満たした時、常守は電池が切れたオモチャの様に静かな眠りに落ちた。
*
――あなたには聞こえる?あのこの声が――
「誰?」
――あなたには感じられる?あの子の気持ち――
「何?何を?」
――助けてという声を聞いてあげて。あの子の望みをかなえてあげて――
「さっきから何を言っているの!?」
――あなたにはその力があるのだから――
「待って!待ちなさい!!」
常守はベッドから半身飛び起きた。
「あれは……」
あれは楪いのりだったと思う。白い光につつまれて、二つに結われた淡い色の髪をなびかせていた。
「ここは……病院?私は……」
常守の目に映るのは病院の無機質な白い壁で、つい今し方眠りに落ちた場所そのままだった。
あれは夢?それにしてはずいぶんと会話の内容がはっきりとした夢だった。しこたま頭を床に叩きつけた影響が残っているのだろうか。
ナースコールをしようと一瞬考えたが、いつの間にか点滴は外されていた事に気付く。寝ている間に処置をされたのであろう。その記憶は無かったが、針の刺さっていた肘の内側には、止血用のテープが貼られていた。
常守のベッドがある個室には、処置を施す看護師以外が侵入した気配は無かった。個室に行くためにはナースステーションの前を通過しなくてはならず、人目に付かず医療関係者以外が部屋に立ち入ったとは考えにくかった。
「やっぱりあれは夢……」
今はそう思うしかない。ベッド脇に据え付けられた時計は深夜三時を指していた。まさか丑三つ時の幽霊では、などと冗談めいた事を一瞬考えたが、それよりも再び眠気が襲ってきたため、夢の様な些事なんかどうでも良いという気分になった。
「声が聞こえるか、気持ちを感じられるか、望みをかなえられるか、確かそう言っていた気がする」
そう口に出して夢の内容を確かめる。一応、何かのヒントなのかもしれない、そう思いベッド脇に据えられた床頭台にあるライトのスイッチに手を伸ばす。照明をつけると床頭台の上にメモ用紙があり、それに先ほどの言葉を書き付けて、常守は再び眠りに落ちた。
*
翌朝の六時頃に常守は目が覚めた。時間を確認しようとベッド脇を見ると、床頭台の上に入院の手引きがある事に気付いた。とりあえず眠気覚ましになるかと、その手引きを手に取りパラパラとめくる。
手引きによると朝食は七時半なので、まだ暫く時間があった。食事が不要かどうかは六時半までにナースセンターに知らせなければいけない事が書かれている。幸い食欲はあるようで、朝食は食べることが出来そうなので連絡はしなかった。再び時計を見て時間を確認した常守は、まだ横になっていればいいと思い、ベッドに倒れ込んだ後ぼんやりと事件の整理を頭の中でしていた。
堂々と所沢の矯正施設に現れた楪いのり、そして彼女が連れていた少女。なぜ楪いのりはあの場所にいたのか、なぜ彼女に誰も気付かなかったのか。それに先だって決めていた、七人のサイマティックスキャン消耗症候群患者への事情聴取。関係性の洗い出し、そしてあの夢。
七時すぎに顔を洗おうと鏡に向かう。腫れはだいぶ引いていていたが、眦が青黒く変色している。
「酷い顔だなぁ……」
普段でも鏡を見ると気になってしまう部分が多々あるのだが、鏡に映し出された今の顔はそんな些細な事が気にならなくなるほど酷い状態だった。
「これじゃタヌキね、唐之杜さんに笑われちゃう。ファンデーションで隠せるかしら」
普段はナチュラルメイクで、それほど化粧にこだわりは持っていなかったが、流石に今は念入りに化粧で誤魔化さないとみっともないなと思った。
顔に貼られたテープの類が邪魔だったので、洗面台で顔を水で洗うのは難しそうだった。何か代わりになりそうな物はないかと床頭台の引き出しを開けると、真新しいタオルが出てきたので、これをお湯に浸し濡れタオルにして顔を拭く事にした。
濡れタオルで顔を拭うった時、正直生き返った気がした。そう言えば入浴はずっとシャワーで済ませていたし、食事も仕事をしながら食べられるものばかり食べていた。
食べ物の事を考えたら、ぐぅっと腹の虫が鳴いた。丁度その時、ドアをノックする音が聞こえた。
「はーい、どうぞ」
「常守さん、朝食を持ってきました」
看護師が朝食を盛り付けられたプレートを、常守のベッドサイドまで持ってくる。
「ご気分はいかがですか?」
「ええ、おかげさまで。食欲もありますし、打撲の痛み以外では問題がなさそうです」
その時の常守は体の心配よりも、また腹の虫が鳴いてしまうのではないかという心配をしていた。さっきは人が誰もいなかったからよかったものの、今は看護師が目の前にいるのでバツが悪い。
「あとで検温に来ますから、それまでゆっくりしていてください」
「ありがとうございます」
そう言って、看護師が常守の個室を退出したあと、常守は再び腹から音を出さない様にするため、急いで朝食を食べ始めた。
「これを食べ終わったら、オフィスに電話をかけよう。現状確認をしないと」
常守が入院している間にも、刑事課一係では不眠不休で事件の処理に当たっているのだろう。切りの良い所で、彼らにも休息を取ってもらわなければ、刑事課自体が機能不全を起こしてしまう。
朝食をとりながら、今後の捜査のあり方について考えているその時、常守の携帯にコールが入る。コール元は唐之杜だった。それを確認すると、常守は即座にその携帯に出た。
「常守です。おはようございます」
『おはよう、朱ちゃん。調子はどう?』
いつもどおりの唐之杜の声に、ほっとする自分がいた。
「今のところは大したことはないみたいです。担当医と話さないとわかりませんが、自分の感じからすると今日の午後にも退院できると思います」
『それはよかったわ。ゆっくりしてなさい。せっかくだから迎えを出したいところだけど、美佳ちゃんが徹夜でダメね。巌永代理監視官に行ってもらおうと思うけど良いかしら?』
確かに、誰かに迎えに来てもらいたいところだった。だが、臨時に派遣され、手続き上は正式に刑事課一係に配属されているとは言え、昨日の今日で来たばかりの新人に雑用を頼むのも気が引けた。そういった事を気兼ねなく頼める人物に心あたりがあったので、常守はその申し出を断る事にした。
「ああそれなら、友達に頼みます。皆さんお疲れでしょうし」
『そうねぇ、一段落したら全員が順番に休むよう進言するわ。私も徹夜で、お肌に悪いったらありゃしない』
唐之杜が愚痴っぽく答えた。
「唐之杜さんも休んでください。鑑識に任せられる部分は全部任せてしまって良いと思います。って釈迦に説法ですね」
『そうさせてもらうわ。でも徹夜のおかげで、報告することがいっぱい。でも今話せる事は限られているから、ひとつだけ聞いてちょうだい』
「何か進展でも?」
『とりあえず、隔離施設から拉致された子供の身元が判明したわ』
「それは本当ですか?」
『まぁ、元々隔離施設に収容されていた子だし、それはすぐ判ったのだけど』
確かに考えてみれば、造作もない事であった。所沢の隔離施設にいたと言う事は、子供であっても収容者である可能性が高かった。調べればその場でもわかった事だろう。常守は唐之杜の話を続けて聞く。
『名前は『茅間芽衣』、年齢は十歳、性別は女性』
「十歳?確かにそれくらいの背格好に見えましたね。でもそんな子がなぜ」
常守の脳裏には縢秀星の事が思い浮かんでいた。縢はわずか五歳で潜在犯と認定され、子供の時からずっと収容所で暮らしていたのだ。
『そうね、問題はこの子は収容理由がかなり特殊なケースで、おそらくこの事件の鍵になると見て間違いないわ』
「その理由ってなんですか?」
やはり、縢と同じ運命の子供なのだろうか。シビュラシステムは万人に平等なシステムである。いかに子供であろうとも、その法的能力は容赦なく発揮されるのである。
『ちょっと電話口じゃ長くなるわね。詳しくは朱ちゃんが戻ってからにしましょう。取りあえず重要事項だけ』
「お願いします」
『茅間芽衣、この子の親権者って言うのが『帝都製薬・血液脳関門研究所』の所長の細谷
常守は「親権者」と言う言葉に引っかかりを覚えた。
『で、この血液脳関門研究所って言うのが帝都ネットワークグループと東金財団の共同出資で作られた研究所で、もうその出資者の名前を聞いただけで臭いったらありゃしない』
唐之杜からその名を聞いて、常守は総毛立つ。両方とも常守がかつて捜査した事件に関わっていた団体だ。因縁浅からぬ相手である。
『私達から見たら真っ黒な面子が作った研究所と、謎の人物によって起こされた謎の誘拐事件。捜査に先入観は禁物だけど、この辺を突っついたら何か出てきそうな感じではあるわね』
唐之杜は自身の言葉に釘を刺しつつも、事件の糸口を常守に示していた
「わかりました。その近辺を、休み明けに洗ってみましょう。続きは休み明けと言う事で」
『まあ、どっちにしろ一係は順番に休みを取るでしょうから、今日一日は全員が揃ってのブリーフィングは無理ね。事件が起これば別だけれど。私もそろそろ休みたいし、もう少しまとまってから話すわね』
唐之杜の声からは疲労の色は見えなかったが、おそらく彼女も限界まで捜査をしてくれたのだと、会話を通じて感じる事ができた。
「朝早くから連絡をしていただいて、ありがとうございます。唐之杜さんも無理をしないでください」
『そうさせてもらうわ。それじゃあね』
そう言って唐之杜の方から電話が切られた。自分も退院の支度をしようと思い、常守は唐之杜の電話が終了するとすぐに、親友である水無瀬佳織にメールをした。着替えとメイク道具一式を持ってきてもらおうと考えたのだ。運び込まれた時の服はそのままあったが、血と汗で汚れていて流石に二度着るのは気持ちが悪い。それにあちこち傷とアザのある顔でそのまま外を歩いてしまっては周囲の色相を悪化させかねないと思ったため、少し化粧品で隠さないといけないと考えたのだ。
「休み明けからが本番ね。唐之杜さんも何か掴んでいる様だし」
自分自身を奮い立たせようとしたのか、常守は一人病室で言葉を口に出していた。