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雑賀が唱えた仮説と、一連の事件の証拠をまとめて、常守は禾生壌宗の元へ訪れた。ある決断を迫るために。
局長執務室の扉をくぐり、禾生の事務机に資料のタブレットを提出する。禾生は黙ってそれを受け取り、一通り目を通した。
最初に口火を切ったのは常守だった。
「資料にあるとおり、量子メモリセンターノナリアが稼働した際に犯罪係数を測定すると、楪いのりが現れサイコハザードが起こる。これは間違いない事実です。これ以上事件を拡大させないためにもノナリアの停止を求めます」
「量子メモリセンターノナリアの停止は容認できない。犯罪係数測定によるトリガーが特定できるまでは。そのトリガーとしては、茅間芽衣の関与が強く疑われる。対応するならそちらが優先だ」
常守はここで声色を変える。もはや刑事課の刑事と公安局の局長という茶番を演じるのが馬鹿馬鹿しくなったからだ。
「ノナリアは、シビュラシステムそのものでしょう?」
「ほう、確証でも?」
禾生はやや首を傾げ頬杖をついて、常守の言葉を待った。
「これを見なさい」
それは雛河を中心とする映像分析班が、先ほど解析した映像であった。
「これはノナリアの稼働開始一週間前の、ノナタワー近辺の監視カメラの画像よ。この画像から、ノナタワーからノナリアへ何かが持ち出されている」
「それはノナタワーのデータサーバーの持ち出しだと公表したが」
「表向きはね。でも映像解析の結果このトラックの荷物の中身は大量の液体よ。液体を使ったデータサーバーなんて無い。ここから持ち出される大量の液体と言ったら、一つしかないわ」
禾生は表情一つ変えることなく、しかし常守が掴んだ事実を無視するわけにも行かなかったのか、じっと常守の顔を見つめた。
「そこまで調べ上げているとはな。確かに量子メモリーセンターのノナリアには、君の推理のとおり、免罪体質者の脳がノナタワーから移植された。だが、全てを移植したわけではない。現在ノナタワーにあるシビュラシステムと、ノナリアにある量子メモリーセンターは、免罪体質と同等の能力を持つ量子メモリーとのハイブリッドだ。搬出されたノナタワーで不足した免罪体質者の脳は、量子メモリーが組み込まれ補われている。具体的な比率は教えられないが、ノナタワーの方が、量子メモリーの割合が高いとだけは教えておこう」
観念したのか、禾生は話を続けた。
「茅間芽衣のもたらした知見は、量子メモリーによる補完、言うなれば人工免罪体質脳というものを、我々にもたらしたのだ。潜在犯の核となる部分などは存在せず、脳の多彩な機能がもたらす影にしかすぎないことがわかったのだ」
禾生は極めて淡々と話す。
「彼女のもたらした情報によって、新たな免罪体質者を探し出すことなく、シビュラシステムの拡張が可能となった。そして犯罪係数の計上も、格段に高速化されることになった。したがって我々は新たに量子メモリーセンターという形で、シビュラシステムの分割に踏み切ることができたのだ」
禾生の話は続く。この分割が何を意図していたのかを説明するために。
「シビュラシステムを海外進出させるため、また多彩なニーズにシビュラシステムが答えるため、シビュラシステムの拡張が急務の課題となっていた。我々はその課題を克服したにすぎない」
「そのために、一人の子供の脳を勝手に、あちらこちらに移植したっていうの? 本当にあなた達はおぞましいことを平気でやるのね」
「おぞましいかどうかは、所詮人の同情にすぎない。社会システムたるシビュラシステムにとっては、問題とならない些末なことだ」
常守は内心で激怒していた。シビュラシステムの正体を知ってから、彼らはこういう人として当然持つ感情を、非常に蔑ろにするのはわかっていた。だがそれを平然と言ってのけるのを目の当たりにすると、怒りを抑えられなくなり、殴りかかりたい気持ちになった。だが話を終わらせるわけにはいかない。
「芽衣ちゃんを返しなさい、シビュラシステム。あなた達が考えている、彼女を殺して事態の解決を図るというのは、もう手遅れよ。現段階では一人殺したくらいでは、楪いのりは止められない。市民の間で広がっているEGOISTの歌、そしてアポカリプスウイルスを使ったサイバネティクスに共鳴が起こっている。楪いのりとサイコハザードが無関係だと実証されない限り、このままだと大規模サイコハザードが起こるわ。けど、市民生活を完全にストップさせることは不可能よ」
「わかった、事態を公表し、今後EGOISTに関わる歌を、問題が解決するまで禁止することにしよう」
「今、事態を公表しても、市民に無用の動揺を与えるだけよ、それに」
一息大きく深呼吸をし、常守は強く禾生に迫る。
「あなた達は、今の状況を抑える能力が無いでしょう!」
「そうだな。聡明な君なら解ると思うが、我々には何かと穴が多い。実行力さえ君たち刑事課がいなければ何も出来ない。赤子も同然だ」
「その実行力を自分でも試そうとしたのね。だから彼女を送り込んできた」
「なんの話しかね?」
「そうやってまた何かを隠そうとする。いいわそれを今ここで証明してあげる」
常守は踵を返し、局長執務室の扉を開けた。
「巌永さん、待たせたわね」
「はい、別に問題はありませんが」
そこにいたのは巌永であった。常守はあらかじめ、巌永を呼び出していたのだ。そして常守は巌永を執務室に入れ、再び禾生と対峙した。そして巌永に向かって言った。
「単刀直入に言うわ。巌永さん、あなた、シビュラシステムでしょう?」
「な、何を……」
「最初は私の記憶違いかと思ったわ。あの時は頭を打っていたし」
常守は所沢の矯正施設での事件のことから話した。
「私が楪いのりと戦っていたとき、あなたは言った『ドローンから離れて』と」
これが一つ目の常守の違和感であった。
「それから廃棄区画での出来事。あの男達はドミネーターの通信を感知するシステムを使っていた。あの時ドミネーターを持っていたのは、私と六合塚執行官だけ。あなたは丸腰だった。なのにあの男達は執拗に、あなたの身体検査をしていた」
これが二つ目。そして三つ目を続ける。
「そして血液脳関門研究所で、あなたは私が楪いのりにドミネーターを向ける前に、芽衣ちゃんを庇ったでしょう? そして、あなたは楪いのりの歌が聞こえていなかった。それはドミネーターの指向性音声を通さず、直接ナビゲーションが頭に入ってきたから。違うかしら?」
続けざまに、四つ目の違和感について語る
「最後に、分析室で楪いのりを呼び出していたとき、あなたは『なにをしているの』と言った。あれは諫める言葉ではなく、本当になにをしているのか聞きたかったのでしょう」
巌永は、常守の指摘に対して動揺したそぶりもなく、こう言った。
「しかし、どれも常守さんの考え違いではないですか? 私がシビュラシステムってどういう意味ですか」
「しらばっくれるのね。いいわ」
常守は上着のポケットから、プリントされた写真数枚を机の上にばらまいた。
「この中に楪いのりはいるか答えてみなさい、巌永望月!」
常守は寒川の持っていた楪いのりの写真のコピーと一緒に、数枚の楪いのりのような姿の別の少女の写真を混ぜ、巌永に選ばせようとした。写真には本物を入れてあったので、山勘でそれを当てられたらお終いであったが、これは賭けでもあった。巌永はこの中から選ばないという確信があった。シビュラの性質を考えると、下手な小細工は、ここでやめるはずだと。
「一係が捜査資料として共有していたのは、一枚の似顔絵だけ。楪いのりの写真や映像は、一つも共有していない。共有しているのは目撃した体験だけ。あなたが本当に、生身の人間ならすぐにわかるはずよ」
巌永は反応に困惑するようなそぶりをしていたが、やがて巌永は笑いはじめた。
「ああ、ダメね。なるべく存在感を消して、違和感を持たれないように頑張ったんですけど」
常守が予想したように、写真を選ばなかった。選んで間違える恥よりも、自分の正体を明かしてプライドを保つ方に価値があったのだ。常守はこのシビュラの傲慢さを見抜いていたのだ。
「隠しても隠しきれるものじゃなかったみたい。特にあなたのような、優秀な刑事の前では」
巌永は正体が明かされてもなお、巌永望月を演じるつもりのようだった。
「そうよ、私もまたシビュラシステムの外殻ユニットのひとつ。久しぶりに使ってみたけど、あなた以外にはバレていなかったみたいね。概ね成功していたと思っていたんだけど」
「ふざけないで」
「そうね、おふざけは抜きにしましょう」
そう言って巌永は、常守の目を見つめた。
「あなたに教えてあげます、私達に起こったことを。人工的に免罪体質者の脳を作り出したことによって多大な恩恵を受けましたが、思わぬ副作用も現れました」
巌永はシビュラが隠していた問題について、語りはじめた。
「認めたくはないですが、新型量子メモリーによって犯罪係数の計上が高速化された結果、我々が従来もっていた潜在犯の判定能力は、量子メモリーにあっさりと追い抜かれました。量子メモリーによって得られる恩恵が、我々の潜在犯判定能力と同程度として設計されていたので、量子メモリーから突きつけられた問題に対して、それをチェックする術を持っておらず、結果から判断を下すしかありませんでした」
「だから統計局からの出向という形で現場に出てきたのね。外務省からの出向者を受け入れなど、最近の刑事課の拡張方針を利用して、シビュラ本体を私達の中に滑り込ませた。私達を自分たちの耳目として使うために」
「そういう目論見でしたが、シビュラシステムでは、何を通しても認識できない存在とはわかりませんでした。雑賀譲二、あの人は流石です。シビュラにとっては脅威でしかありませんね」
巌永は素直に本音を言っているように見えた。これがシビュラにとっての悩みだったのだと。
「それから、外殻ユニットとして私と禾生壌宗との違いは、私はノナタワーのシビュラの代理、禾生局長はノナリアのシビュラの代理という違いよ。わかりやすいでしょう?」
常守の中に残っていた一つの違和感がなくなった。確信は持てていなかったが、禾生と巌永では、その背景が異なるのではないかと感じていたからだ。
「ええ、おかげですごくスッキリしたわ」
短い間の付き合いであったが巌永の言動や態度には、シビュラで薄められてしまった人格ではなく、なにかより人に近いような人格を持っているように感じられていた。その要因が二つに分かれたシビュラと言うことであれば、イメージがしやすい。本質がそれぞれ異なるのだ。
常守は巌永の話を聞き終え、そして今回局長室へ直談判に来た話へと戻すため、禾生に語りかけた。
「これでシビュラの問題もはっきりしたでしょう。だから話を戻すわ。シビュラシステムと量子メモリーで作られた人工免罪体質者の脳、それと芽衣ちゃんの脳がネットワークで結びついたとき、楪いのりは現れて、サイコハザードを引き起こす。これは間違いない」
「なるほど、あれは私達が作り出したと言うことか。いや作ったのではないな、呼び込んだと言うべきか」
「芽衣ちゃんを抹殺するのは論外。残された選択肢は、サイコハザードを起こした市民を全員執行するのか、街頭スキャナーを全て潰すのか」
「あるいは、か。そうだ、我々もそれが、問題と感じている。だから常守監視官、君が選びたまえ」
「選ぶですって?」
「そうだ。君の選択肢は、常に我々の進化に寄与している。だから君が選ぶといい」
シビュラ社会の健全性を保つ、それはシビュラシステムにとって最優先事項である。その健全性を保つため、シビュラの一部が消えることになっても厭わないというのが、彼らの本質である。不完全故に完全である、それがシビュラシステムであった。常守はその事をよく知っていた。従って決断は早かった。
「わかったわ。あなた方では問題を解決出来ない。私が取れる唯一の選択肢はノナリアを停止させること。それだけよ」
「常守朱、知っていると思うが我々は生体ユニットだ。稼働を途中で止めることは出来ない。思考の連鎖反応は止める事ができないのだ」
「なら破壊するまでよ」
「面白い。やってみるがいい常守朱。私は積極的に協力しないがね」
「協力はしなくていいわ。その代わり邪魔をしないで」
「わかった能動的な邪魔はやめよう。そのかわり、関与しない一切の障害を乗り越えて到達してみろ。私は先に行って待っている。貴官が本懐を遂げられるかどうか、見届けてやろうじゃないか」
「絶対に辿り着いてみせる。首を洗って待ってなさい、時代遅れのシビュラシステム」
「よく言うようになったな」
やる事は決まった。常守は自分のやるべき事、そして自分がどう言った立場で事を起こすのか、それをはっきりさせるために茶番と思ってやめていた態度に戻る。
「常守朱、これより量子メモリーセンターノナリアの無力化を実行します」
常守はそう言って、禾生に敬礼する。それは、これから常守は一刑事となるための儀式であった。
「それとノナタワーのシビュラシステム、いえ巌永さん、あなたは私達と行動を共にしてください。あなたにはその義務がある」
「いいんですか?」
「大丈夫あなたの存在については、上手く誤魔化してあげる。その代わりに私達が決めたことに対して一切邪魔をしない事を約束して」
「いいでしょう。私もあなたの行動に、非常に興味がありますから」
「それから、茅間芽衣ちゃんを解放して。彼女の力が必要よ」
「わかりました。統計情報部に立ち寄って、彼女の身柄を刑事課に渡します」
シビュラと共にシビュラを倒す。それが常守の決断であった。
巌永との話が終わると、常守は禾生に敬礼して局長執務室を後にした。巌永がそれに続く。そして歩きながら常守は巌永に話しかけた。
「警察組織において、正義を執行することの全てが正しいとは限らないわ。法の執行はできる事と、それを実際に行使した際のギャップが埋められないことが多い。だから私はその穴埋めをすると決めたの。ただの破壊行為ではないことは覚えておいて」
「常守さんらしい考え方ですね。忘れがちですがその選択もまた、人類の可能性の形の一つにすぎないですね。いいでしょう、私はあなたに協力します」
巌永がそう答えると二人の歩みはエレベーターホールまで到着し、そこで常守と巌永は別れた。
「刑事課一係で待ってます」
常守は巌永に敬礼をして、一人下りのエレベーターに乗った。
*
常守は捜査本部で自身の決めた決断について話した。そこに巌永の姿はない。残りの刑事課の間で会議を始めていた。
「つまり持ち出された旧来のシステムが、本来は犯罪計数に計上するべきではない数字を弾き出していると? それが不具合となって偽りのサイコハザードを起こしたと上が認めたのね?」
唐之杜は常守の報告を聞いて要約した。
「原因が判明したと思ったけど、案外馬鹿馬鹿しい問題だったのね」
「ですから選択肢は一つしかありません」
「どういう事ですか」
三係の堂本が常守に尋ねる
「ノナリアをぶっ壊すってことだろう?わかりやすい」
同じく三係の波多野が、ぶっきらぼうに言う。
「それに対しては、局長の黙認を取ってきたわ」
常守はそう報告し、これから行おうとしていることに対して、上が口出ししてこないことを伝えた。
「いくらなんでも無茶すぎるでしょう!」
霜月が立ち上がりながら抗弁する。
「ええ、でもこのままだとノナリアが本格稼働した場合、大規模なサイコハザードが起こることになるわ。それはどこまで範囲が広がるか予想もできない」
「でもどうやってノナリアを止めるの?」
六合塚が根本的な疑問を口にした。それに答えたのは唐之杜であった。
「それなら私にアイデアがあるわ」
唐之杜は会議室のプロジェクターに、ノナリアの図面を映し出した。
「新型の量子メモリーセンターノナリアは、東京湾上に作られたメガフロートの一部となっているわ。非常時に基幹ジョイントを爆破し、キングストン弁を抜いて自沈するように作られている。だから私達はこのジョイントの破壊とキングストン弁を解放して、メガフロートごと沈めてしまう。これが一番シンプルで確実な方法よ」
それを聞いた須郷が質問をする。
「これだけのことをやるとすると、他の省庁との調整が必要では?」
「そうですね。警察庁が管轄する警備保障と話は付いていないです。だからこれらの後始末は、上にやってもらうことにします。使えるのは刑事課の人員と資材のみ。それだけでやらなければなりません」
常守は現在の状況を説明した。続けて話を付け加える。
「元々無人の区域なので人的損害の危険はないです。それでも人が入ってくる恐れがありますから、刑事課の資材を使い道路を封鎖して人が立ち入れないようにします」
常守は、さらに困難な状況であることを説明する。
「それから、今回の件はあくまで黙認であって、厚生省の協力も得られません。ドミネーターはデコンポーザーで固定され、通信ほかデータリンクも自前で行わなければいけません」
六合塚が率直に言う。
「それって孤立無援って事では?」
「そういう事になります」
宜野座はそれを聞いて呆れたように言った。
「局長が黙認したとは言え、判断は現場に任せるか。しかもドミネーターはデコンポーザー固定ときた。おだやかではないな」
「事態の解決には刑事の力は要るが、シビュラは刑事課のやる事を見守るだけ。いったいどうしちまったんだ?」
須郷も事態を受け入れるのに、少し思考の整理をしているようであった。
同じく六合塚も、必要になりそうなことを頭の中でリストアップしていた。
「刑事課で揃えられるありとあらゆる装備、資材を掻き集めなければいけないわね」
「いくらなんでも……武器がスタンバトンとスタングレネードだけでは……ほとんど無力に近い……」
雛河も事態の打開策を考えているようであった。
全員の反応を見ながら、常守は改めて尋ねた。
「何かありませんか?」
「俺の義手なら多少はいじれる。だがそれだけでは十分でないだろう」
「武器になりそうなものが他に……」
一同が会議室で考え込んでいると、会議室をノックする音が聞こえた。それに答えるとドアを開け、厚生省の受付から届け物があるとの報告がなされた。
「あの、一係の常守監視官あてにドローンが来ています、一応爆発物のチェックをして安全だとは思うのですが」
「こんな時になんですか、後にしてください」
「美佳ちゃん、ちょっと待って」
「これなんですけど」
そういって会議室に運び込まれた台車の上には、薄汚れた古いドローンがあった
「ふゅーねる!」
「知っているんですか? 須郷さん?」
「昔からあるドローンの玩具でして、ユニットを組み換えて色々な形態で遊ぶことができる物です」
六合塚はそれに見覚えがあった。
「これは確か寒川尋乃の所にあったものですね」
改めて確かめてみたが、特徴的な傷から、同一の物であると結論づけられた。
「このタイミングで送ってきたということは、何かあるのでは? かなり大事にしていたもののようですし」
宜野座はふゅーねるに近付き、よく観察してみた。
「危険なものではないと言うことか?」
「調べてみましょう」
常守はふゅーねるの頭の部分が、小物入れになっていることを知っていた。そしてそこを開けてみる。
「手紙が入っているわ」
常守はその手紙を開いた。
「ここにある物を使って、助けてあげて。楪いのり」
「「「楪いのり?」」」
全員の声がハーモニーを奏でる。
「寒川尋乃のイタズラでは?」
六合塚はそう訝しがった。愉快犯のような真似をするような男には見えなかったが、シビュラの管理を外れた人間である。何を考えているのか、本当のところはわからなかった。六合塚は常守に尋ねる。
「手紙には他に何が」
「数字が書いてある。これは座標? 緯度と経度みたい」
「貸してみて」
それを聞いた唐之杜は、その手紙を常守から受け取った。そして書かれている数字を端末に打ち込んでみた。
「この数値に当てはまるのは、湾岸の廃棄区画。しかも地下は汚染水の浸水で、何十年も放置されている場所よ。
六合塚はこの奇妙なサインに、興味を持ったようだった。
「調べてみる必要がありそうね」
「わかりました。私と須郷さん、それから弥生さんと調べてきます。その間、皆さんは、武器の調達方法について考えていてください」
*
常守達は、刑事課が所有しているゾディアックボートに乗って、汚染水に満ちた地下水路を調査していた。
「指定された座標はここね」
「何か空洞がある? 調べてみましょう」
壁を叩いていく。
「ここだけ音が違う。」
須郷は試しに、ゾディアックボートで使っていたオールを叩きつけてみた
すると簡単に壁が崩れる。そして崩れた壁の向こうには広大な空間が広がっていた。六合塚は驚きの声を上げる。
「こ、こんな物が東京の地下に残されたっていうの?」
「
常守はマグライトを片手に内部を探索した。しかしマグライトだけでは光量は十分ではなく全部を把握することは難しかった。三人が手分けをして周囲を探っていると、常守が何かを見つけた。それは大型のドローンのように見えた
「須郷さん、このドローン使えるか見て貰えます?」
常守に呼ばれた須郷は、常守が指し示す方向にライトを当てた。
「これは……エンドレイブ!」
「須郷さん、これ知っているんですか?」
「ええ、旧時代の軍用ドローンの一つです。神経接続によってリモートでコントロールするタイプで、今の物よりも人の操縦能力に左右され易い機体です。神経接続そのものが危険なうえ、コンバットAIが急速に発達したため廃れましたが、まさかこんな物が誰にも知られずに残っているとは……」
「それで、これは使えそうですか?」
「旧時代とは言え、軍用に作られた物です。今の民生用警備ドローンよりも遙かに破壊力があることは間違いないです。使えれば大きな戦力になり得ます」
「それではこれ、エンドレイブでしたっけ、動くかどうか確認してもらえますか?」
「わかりました。調べてみます」
須郷は照らし出されたエンドレイブの足下に、操縦用の外部ユニットを発見した。スイッチを押すと電源が入った。非常用のバッテリーがまだ生きていたのだ。だが流石に、コックピット内のモニターまでは点灯しなかった。中を照らしてみると、一枚の張り紙があるのに気付いた。書かれている文字を読む
「『全ての痛みをその身に受けてくれた楪いのりに、深い感謝と哀悼を。桜満集』テロリストが書いたポエムですかね?」
「やっぱり楪いのりと関わり合いがある場所だったのね……」
全てが楪いのりに繋がる。この社会で忘れ去られていた存在。それが今ここに復活しようとしているのだ。
「非常に古い型ですがシステムは生きています。使えますね」
須郷は消費電力の低いパネルを操作し、システムが動くことを確認した。
「須郷、ちょっと来て。これは使えるかしら?」
六合塚が何かを発見して、須郷を呼んだ。須郷は六合塚が見つけたもをの調べてみる。
「物は古いが、信管も爆薬も問題ない。保存状態がよかったのだろう。使えるな」
常守がその様子を後ろから見守っていたが。そこにはとうの昔に刈り尽くされた、正真正銘の武器がある。ここがどんな場所かおおよその見当を付けた。
「それじゃここは……」
「大昔のテロリストの武器庫って感じですかね。これだけあれば、計画は実行可能になると思いますよ」
「この量を三人で運ぶのは無理ね。大型のドローンもあるし。これは応援を呼んで運び出さないと」
「自分は賛成です。地上への出口があればいいのですが」
そう言って須郷が天井を照らすと階段が見つかった。
「あれは出口かもしれない」
「行きましょう」
「いえ、危ないので自分一人で確かめてきます」
そう言って須郷は発見した階段に近付き、錆ついた手すりを頼りに、一歩一歩慎重に足場を確認しながら、階段を上って行った。そしてその階段の突き当たりには、内側からしか開けないような取手のついたハッチ状の丸い扉があった。須郷はそれを試しに回してみると、多少力が必要であったが、取手を回してロックを外すことに成功した。さらに扉を押してみると、地上の光が見えた。
「ここは……」
それは湾岸区域にある、廃棄区画との緩衝地帯となっている私有地の広場であった。須郷は歩いてきた方向と距離を考え、この広場の地下が例の空間になっていると考えた。地下空間の天井と地上までは、ほんの数メートルしかないようである。重機で掘り返せばすぐに穴を開けられそうであった。
須郷はそれを無線で常守に伝えた。
「常守監視官、ここはどうやらその空間は、緩衝地帯の地下のようです。すぐに重機ドローンを手配してください」
『了解です。一度刑事課に戻りましょう』
「了解。ボートで落ち合いましょう」
須郷は、地上では存在が忘れ去られていた鉄のハッチを元どおりに閉め、常守たちのもとへと向かっていった。
*
楪いのりが指定した座標からは、大量の兵器が発掘された。どれも八十年近く前の物であったが、一部はそのまま使用が可能だった。物が物だけに刑事課の管理するスペースには置ききれず、それらは厚生省の管理する湾岸地区にあるドローン基地へと運び込まれた。
発掘された武器類を見て、唐之杜がため息交じりに言う。
「戦争でもするつもりなのかしら?」
「さあな。だがこれでノナリアを潰すことができる」
「宜野座くんも、物騒なことを言うようになったわね」
常守は発掘された武器から使えそうな物を選び出していた。銃弾類は暴発の可能性があるので、ドローン用の物以外は使用しない事にした。その代わり一部の爆薬とプライマーを建物の破壊用に持っていく事にした。
そして一番今回役に立ちそうな物を整備し、使える状態にした。
「それじゃあ須郷さんはこのエンドレイブの操縦をお願いします」
コントロール系統は現在のデバイスに置き換えられた。元々あった神経接続デバイスは、専用のコンバットAIがエミュレートする。固定のモニターを使わず、VRでカメラの映像を見るようにし、現在のシステムで動かすことが可能となっていた。
「わかりました、ですが」
須郷は苦い思い出を思い出していた。
「じ、自分はリモートでの火器取り扱いはちょっと……」
須郷は過去、二度にわたってリモート操作で上官を殺している。それが須郷の色相が悪化した原因であり、執行官になった理由でもあった。
「大丈夫、火器の使用は目視の場合にのみ、お願いします。無理をしなくていいですよ。そういった事は私達がやりますから。須郷さんはこれで力仕事をしてください」
「了解です」
一方、宜野座は左腕の義手に、工事用のアタッチメントを付けていた。それを見ていた唐之杜が尋ねる。
「なあに、そのいかつい義手は」
「これは溶断破砕マニュピュレーターだ」
宜野座の左腕に取り付けられたのは、建物を解体するときに鉄骨などを切断するマニュピュレーターであった。意気揚々とした表情の宜野座に対して、唐之杜はからかい半分で声をかけた。
「宜野座くんはさあ」
「なんだ?」
「やっぱり男の子なんだなって」
「なんだいそりゃ?」
「オモチャに夢中になってるってことよ」
「そ、そんな事はないぞ! 唐之杜!」
「そんな恥ずかしがらなくていいわよ。こんなお祭り騒ぎにわくわくしないなんて、潜在犯じゃないわよ?」
「お前な……」
唐之杜が言った言葉は完全にからかうものであったが、潜在犯になったことによって解放された思考もある。それを素直に言葉にしていたのだ。
そんな作戦の準備をする一係を見て、雑賀が一人ぼやいた。
「やれやれ、とても刑事には見えないな彼らは。とても市民には見せられん」
一方で三係のメンバーらは、外部サーバーの設定をしていた。
「いいのかよ波多野」
「いいんだよ、一係の頭のおかしい監視官に理由もわからず命令されたことをやっただけだ」
自分たちがやっていることは、シビュラの黙認の元で行う破壊行為の幇助であることはよくわかっていた。堂本が笑いながら言う。
「頭のおかしい? 違いない」
「だが刑事になって碌な事が無かったが、今は一番楽しいと思ってるぜ」
「嬉しそうだなお前」
「そんなんだから潜在犯になるんだよ」
「ちげぇねぇ」
冗談を言いつつも、唐之杜が準備した外部サーバーの接続作業を続けていた。
「先生ぇー、シビュラを通さないネットワークの形成は完了しましたよ」
芳賀が、唐之杜にサーバーの設定が終わったことを伝える。
「持ち出したサーバーぶっ壊さないでくださいよ」
「はいはい、それじゃ私は外で一服してくるから」
唐之杜はそう言って、ドローン基地の格納庫から外へ出た。外へ出るとポケットに忍ばせていたメンソール系の煙草とライターを取りだした。そして煙草に火を付ける。すうっと一息吸った後、ライターをポケットに戻して携帯灰皿を取りだした。
そこへ常守と霜月が来た。二人は黙って夜空を見上げた。これから始まる試練について考えていたのだ。ドローン基地とノナリアは目と鼻の先である。首都高を走ればものの数分で到着できる。目標は目の前に見えていた。それを今から破壊するのである。
「先輩、これは正義なんですか?」
「正義かどうかはわからないわ」
霜月が常守に質問する、最も単純な問い、正義とは何か。人類が文明を持つようになって、常にその時代時代の哲学者が考えていたことである。常守個人の考えでは言い表せなかった。
「ただ、人を救う、子供を救う、その一点においては正義の味方……と言えるかもしれないわね」
それを見ていた唐之杜が、黙って吸っていた煙草を常守に差し出した。
常守はそれを受け取ると、一息煙草を呑んだ。紫煙がゆっくりと空に上がり、あたりには沈黙が漂った。
「あー!! もう!! わかりましたよ!! やります!!」
その沈黙した空気に耐えられなくなったのか、霜月が叫んだ。
唐之杜は新しい煙草に火を付けようとしていたが、それを霜月に差し出した。
「美佳ちゃんも吸う?」
「吸います!!」
霜月は差し出された煙草を口に咥え、唐之杜が付けたライターの火に煙草の先を近づける。息を吸い込み、ジリジリと煙草に火を付けた。
そして、一息煙を吐く。
「やるじゃない」
唐之杜は首を傾げながら笑顔を向けた。普段の霜月なら色相が濁ると言って、絶対に煙草など嗜まなかっただろう。唐之杜の提案を受け入れたのは、霜月なりの決心がついたことを示していたのだ。
そして三人は黙って煙草を呑む。空は吸い込まれそうに澄み渡っていた。そこへ三人の紫煙が混じり合い、絡み合いながら次第に溶けていった。
そこへ一台の車が到着した。運転席にいたのは巌永だった。そして、助手席に乗っていたのは茅間芽衣だった。
芽衣は車から降りると霜月の方へ駆け寄った。
「みかんおねぇちゃん!」
そう言って霜月の足に抱きつく。その姿を見て唐之杜がからかうように言う。
「あらあら、子供には懐かれるのね、みかんお姉ちゃん」
「みかんって言わないでくださいよ。でも、本当にやるんですか? 先輩?」
「ええ、彼女を本当に救うために」
霜月はしゃがみ、芽衣の顔の高さで話をする。
「ごめんね芽衣ちゃん、私のお仕事のためにちょっとだけ協力して」
そして霜月の後ろで扉の開く音がした。全員、出発の準備ができたことを示す。
雛河は女性型の格闘用ドローンを台車に乗せ、芽衣の前まで運んできた。
条件は茅間芽衣の脳と、犯罪係数の測定用のシビュラネットワークヘの接続、そしてEGOISTの歌だった。常守は端末に録音してあったEGOISTの曲をかけ、ドミネーターを芽衣へ向け、犯罪係数を測定した。
その瞬間、格闘訓練用ドローンに楪いのりが投影された。もう驚く人間はいない。これは現実なのだとわかったからだ。唯一見えてなかった人物に常守は話しかける。
「巌永さんにあれが見えます?」
「カラクリがわかってしまえば、対応出来ますよ。あまり馬鹿にしないでください」
巌永は小声で常守に返答した。常守はそれを聞いて、改めて楪いのりと対峙する。
「楪いのり、この子を助ける。手伝って」
楪いのりは黙って頷く。そして一係のメンバーの方を向いた。ドローンの格納庫には、常守の元へ送られてきた古いドローンもあった。
「おいでふゅーねる……」
そう楪いのりが言うと、ふゅーねるが起動し、楪いのりの足下へ走って行った。
「あれ動くんだ……」
雛河が驚きの表情を見せる。
そしてふゅーねるを抱えると、楪いのりはノナリアの方向へと走り出した。そして、パルクールの要領で首都高の陸橋をあっという間に登り、そして消えていった。
「我々もいくぞ!」
そう気勢を上げたのは宜野座だった。そして全員が車両に乗り込む。楪いのりの後を追うように首都高へ走り出した。そしてその車両を追うようにエンドレイブが走り出す。
一係もまた、あっという間に格納庫から消えていった。唐之杜はそれを見送ると、臨時に設置した指揮所に向かっていった。
*
首都高を走って数分後、メガフロートの一端にあるインターチェンジを降りると、そこにはホログラムで明るく照らし出されている最新の量子メモリーの集約施設ノナリアがあった。その実態がシビュラであることは、常守しか知らない。
ノナリアの門の前で、全員が車から降りる。それぞれが装備の確認をして、改めてノナリアの見上げた。
『準備はいい? 自前のネットワークを使っての通信サポートだから、あまり細かいことは指示できないわよ。みんな目標は確認した?』
唐之杜から通信が入る。
「みなさん、装備の確認は終わりましたか?」
全員が、常守にアイコンタクトで返答した。
「各自目標の再チェックをしてください」
常守はそれぞれが担当するチェックポイントについて、改めて確認するように言う。
「ここからは、各自の武器で対応してください。宜野座さんと須郷さん、頼りにしてます」
「わかった。俺が先頭に立とう。エンドレイブは援護を頼む」
「了解」
『みんな気をつけてね』
唐之杜が全員の安全を祈る。
「では、行きます。突入!」
常守のかけ声で、一斉に一係がノナリアの敷地に侵入した。
第一関門は、警備ドローンの大群であった。
すぐに一係の侵入に気付き、警備ドローンが襲いかかる。
宜野座は義手に装備された溶断破砕マニュピュレーターを起動させる。暫く時間が経過した後、マニュピュレーターの手の部分が赤く発熱した。そして向かってきた警備ドローンの頭を掴むと出力を最大にし、ドローンの外殻をはぎ取りながら握りつぶす。
一体倒すと、もう一体が即座に襲いかかるが、それも同じ要領で叩きつぶす。何体か潰すと、急にマニュピュレーターのパワーが落ちた。
「もうエネルギー切れか? クソッ!」
宜野座は義手に接続してエネルギーパックを捨て、新たなエネルギーパックを装着する。
溶断破砕マニュピュレーターが加熱するまでの間、内蔵されたハンドブレイカーで、一体一体潰していく。
「宜野座さん! あまりエネルギーを消費しないで下さい! この先でノナリアのドアをこじ開けなくてはいけませんから!」
「了解した。だがコイツは!」
宜野座の前に現れたのは警備ドローンを繰り出す大型のドローン母機だった。ハンドブレイカーを試して見るも、あまりダメージは与えられなかった。即座に溶断破砕マニュピュレーターにモードをチェンジして、ドローンの関節を狙う。ドローンの電磁警棒が、宜野座の頭めがけて水平に打ち込まれる。宜野座はそれをダッキングでかわし、そのまま前進してドローン母機の懐に入り込む。
そして十分に加熱された溶断破砕マニュピュレーターの手刀を、ドローン母機の中枢に打ち込む。
溶断破砕マニュピュレーターは母機の外殻を易々と貫通し、内部の精密部品ごと溶鉱炉で溶かされたように、金属が混ざり合い灼熱の塊となった。十分に内部を破壊すると、宜野座はドローン母機から足早に遠ざかった。
ドローン母機の中で熱せられた灼熱の金属の塊は、内部の様々な部品を燃やし、そして破裂性の部品にその熱が到達した時、遂に機体は爆発炎上した。
地上で宜野座が格闘している上空では、クアッドコプターの警備ドローンが飛び回っていた。威力は低い物のティーザーガンを内蔵しているため、厄介な相手であった。
その飛行ドローンは、エンドレイブの高さと機動性を利用して、なぎ払っていく。クアッドコプターはその性質上、ローターを一つ破損すればたちまちコントロール不能になり、墜落する。須郷はエンドレイブでハエ叩きをするように操縦し、次々と飛行警備ドローンを落としていった。
しかし全てを落とせたわけではなかった。隙を突いて常守達に飛行ドローンが襲いかかる。常守はデコンポーザーを構えた。
その瞬間、目の前を横切る影を見た。
「楪いのり!」
楪いのりは飛行ドローンを空中で蹴り上げ、たたき落とす。すると次から次へと警備ドローンを倒していった。
「先輩、彼女に何をさせるつもりです?」
「本体の場所を教えてもらうのよ。確実に破壊できるように、工作しないといけないはずだから」
「信頼していいんですよね」
「彼女だけが確実に、本体の場所を特定することができる」
ノナリアに向けて走りながら、常守と霜月は話し合っていた。
その会話に巌永が割って入る。
「彼女の歌によってサイコハザードを起こさないと、本当の場所がわからないですからね」
「そうね」
常守は巌永と目を合わさずに、そう短く答えた。
宜野座と須郷のエンドレイブ、そして楪いのりが次々と警備ドローンを破壊していったため、他のメンバーは比較的安全に前進することができた。
そして遂に第二の関門に到達する。
「宜野座さん、須郷さんお願いします!」
「よし!」
宜野座はノナリアの入り口にある、頑丈な扉のロックを溶断破砕マニュピュレーターで溶かしはじめた。須郷のエンドレイブは扉の隙間にマニュピュレーターを引っかけて、強引にこじ開けようとした。
扉はその力に負け、きしむような音を出し始めた。
「離れろ! 扉が倒れる!」
宜野座がそういて扉から離れると、埃を舞い散らしながら正面入り口の鉄門扉が倒れてきた。
あたりに土埃が舞う。その土埃の中、真っ先に突入したのが、楪いのりだった。
そして内部を警備していたドローンを瞬く間に倒していく。
「出遅れたか!」
そう言って次に突入したのが、須郷のエンドレイブだった。
「続け!」
宜野座が手をあげて合図を送る。
そして全員がノナリアの内部へと侵入した。楪いのりはドローンを倒しながら、地下へと向かっていった。
「全員目標に向かってください! 破壊に成功したら通信を!」
全員が「了解」と返答し、各々が担当するターゲットへ向かう。その直前に霜月が常守に声をかける。
「先行しすぎて死なないで下さいよ、先輩」
「ありがとう。私にはまだまだやるべき事があるから、死ねないわ」
「言いますね先輩」
「それじゃ、また後で会いましょう」
常守はそう言って霜月と別れた。そして巌永と共に、楪いのりを追う。地下へ向かったのはちょうど良かった。最重要目標のキングストン弁は、メガフロートの最深部にあったからだ。
地下への階段を駆け下りていくと、楪いのりが破壊した警備ドローンが無数に転がっていた。常守達は、攻撃を受けることなくメガフロートの最深部付近まで到達した。
そしてあるフロアで楪いのりは立ち止まっていた。
「ここなのね、楪いのり」
楪いのりは、答えの代わりに、歌を奏で始めた。
「出てきなさい! シビュラシステム!!」
常守はそう叫ぶ。するとフロアの奥から足音がし、禾生壌宗が現れた。
「来たか常守朱! さあ人類の変革を刻むがいい!」
「人類なんて大した物じゃないわ。私、単なる『常守朱』個人の決断よ」
そのやりとりを見ていた楪いのりが、常守にささやきかける。
「気持ちを返して上げて……あの子はもう一人の私だから」
常守はゆっくりと禾生壌宗に狙いを定め、ドミネーターの引き金を引く。デコンポーザーはたちまち禾生の義体を分子レベルで破壊、貫通して禾生の後ろにあったシビュラシステムの通路に穴を開けた。
そのデコンポーザーの光の中で、常守は幻を見た。幻の中で聞いたのは楪いのりの声だった。
――あの子の居場所を返してあげる……私にはまだ行く場所があるから……あの子に伝えて……しあわせになってねって……――
光の奔流が収まると、そこには何も無かった。壁には大穴があき、その奥にあるシビュラシステムの本体が露わになっていた。
「高いんですよ。あの
後ろから声をかけたのは巌永であった。
「どうせ代わりはあるんでしょう?」
「スペアは必要ですからね。私もこの義体から、そのスペアへ移るでしょう。対外的には何も変わらない」
「あなた達は、こんな事をいつも繰り返していたのね」
「そうですよ。そして『そんな事』に付き合っているのは、常守朱さん、あなたです」
辺りを見回すと、一体の格闘ドローンが停止して立っていた。
「いのりも旅立ったのね……」
ただの格闘ドローンに対し、常守は言いようのない郷愁を覚えていた。
「まだ終わってない」
「私とはここでお別れですね。先に集合場所まで戻っています。また会いましょう常守朱」
「嫌でも顔をつきあわせることになるでしょうから、あなたに対してはあまり寂しさを感じませんね」
それは常守の、精一杯の嫌味であった。
そして常守は一人、最終目標であるメガフロートのキングストン弁ヘと向かった。
ノナリアの本体よりも、さらに下った場所にそれはあった。常守は端末を取りだし状況を確認する。ここに来るまで、何回か轟音が響き割っていた。それは他のメンバーによってメガフロートの主幹ジョイントが破壊された音だった。各員が破壊に成功した場合、その信号を送ることになっていた。それを改めて端末で確認する。
全てのジョイントが破壊されたことを確認し、常守はキングストン弁にドミネーターを向けて、デコンポーザーを照射した。キングストン弁は分子状態まで破壊され、そして海水があふれ出してきた。この海水は高濃度の汚染水である。この水がノナリアの本体に流れ込めば、確実に機能を停止するだろう。
常守は流れ込んだ海水を確認した後、非常階段で地上へ向かった。
*
常守達は集合ポイントでそれを眺めていた。沈みゆくノナリア。明るく照らし出されていたホログラムは消え去り、今はただ黒い塊となって海中に没しようとしていた。事件の全てが沈んでいく。それをただ静かに見守っているだけであった。
*
――後日
常守は、厚生省の広いテラスで空を見上げていた。
あの日以来、サイコハザードは起こっていない。EGOISTの曲も、普通に歌われるようになった。何もかも変わったはずなのに、世界は何も変わっていないように見えた。
そこへ、雑賀が訪れる。雑賀は二人分のカップコーヒーを持って常守の所まで来た。そして片方のコーヒーを常守に渡す。
「砂糖ミルク入りでいいかな?」
「ええ、大丈夫です」
コーヒーを受け取った常守は、テラスにあるベンチに腰をかける。そして雑賀に問いかけた。
「この社会は変わってしまうんでしょうか」
「それなら大丈夫だろう」
雑賀は即答した。
「権威を強烈に信奉している人間にとって、以前の権威が失脚しようと知ったことではない。一時的に失望はするだろうが、それも一瞬にすぎず、すぐに自分の気分を良くしてくれる新た権威を見つけて、それを信奉する。そして、それまでの矛盾を簡単に無視して、都合のいい部分だけを利用するようになる。社会はそうそう変わらんさ」
「そんなものなのでしょうか?」
「そんなもんさ。そして、矛盾を感じ疑問を持つ人間を再び排除していくだけだ」
雑賀は逆に常守に質問をした。
「君は、彼女のことをどう思ったんだ」
「彼女は最後「しあわせになってね」と伝えて欲しい、と言いました。きっとどこか違う世界から私達を観察して、困っている人をただ助けたいと思って現れたんじゃないでしょうか」
「意外と君も、乙女チックなんだな」
「バカにしないでくださいよ。雑賀先生は、どう思っているんです?」
「さあね。結局どういった数学的理論を使っていたのかは、私にもわからんよ。人間の数学では理解、解釈、認識、再現のいずれも不可能な数学記号を利用できる「神の計算機」が存在して、楪いのりを産み出したのかもしれない。つまりシビュラシステムのアップデートが、偶然にも「神の計算機」に近い物を生み出し、あの名前のない怪物が現れたのだろう。と私は解釈するがね」
「それが、一番合理的な考え方なんでしょうか?」
「そうだな、何せ人類の作った計算機では認識できない論理で起こった現象だとしたら、何をやってもわからないから、永遠に真相は判明しないさ。神の計算機のきまぐれが起こしたとしか表現出来ないな」
「神、ですか」
「紛いものの神託を巫女に与える神ではなく、本物の神とでも言おうかな。そう表現するのが一番わかりやすい。もっとも神なんか信じちゃいないがね」
そう言うと雑賀は天を仰いだ。
「ありがとう常守監視官。私を頼ってくれて。だが、これでシャバともお別れ。元の隠遁生活に逆戻りだ」
「またお話をしてくれますか」
「いいだろう。だが私に会った後は、きちんとメンタルケアをするんだぞ」
「今さら何をおっしゃるんです」
そう言って常守は笑った。そう言えば久しぶりに笑った気がする。事件の後はいつも陰惨な気分になったが、今回は一人の死者も出さずに事件が終わった。茅間芽衣も、ネットワークから切り離されても人格が維持できるよう元に戻り、現在は新しい親権者の元にいる。彼女にとってそれが幸せなのかは、これからの社会が決めていくのだろう。遠い未来を考えながら、常守は晴れ渡った空を見上げていた。
最後までおつきあいくださり、誠にありがとうございます。
おかげで完結することが出来ました。
終盤はコミケC97に出すため若干駆け足気味になっておりますが、ひとまずきちんと着地が出来て良かったと思っております。
推敲を重ねないうちに本にしてしまったため、色々と手を加えたいところもありますので、そのあたりはコツコツと改稿していこうと考えております。
着想としては2015年くらいからありましたが、具体的にプロット書いてみたのが2017年で、同年の冬に一部をコミケC93で頒布しました。その翌年のC95で完結させようと考えていたのですが落選、それがきっかけで続きを書こうとハーメルンに投稿して今に至ります。
思い返せばC95で落選したのは運がよかったです。
その間にPSYCHO-PASSが再起動しSSシリーズが劇場版で公開され、本作と全く同じ年の出来事が映像化されました。設定や人物関係やキャラクターの性格が微妙に変化したため、一度プロットを練り直し、長い中断期間に入ってしまいました。
その後さらにPSYCHO-PASSの3期放送が発表され、矛盾無く繋げられるだろうかと心配になった時期がありました。
3期が始まりSSシリーズと3期の間に、お話をねじ込める僅かなスペースがあるのを見つけ、なんとかつじつまを合わせながら続けました。
都合がよかったことに、曖昧にされていた設定が3期ではっきりしたこともあって、毎週放送を見ながら、その要素を足していったりしました。これはなかなかエキサイティングな体験でした。
もう一方の楪いのりの方ですが、これも書いているうちにハーメルンがJASRACと包括契約をして、歌詞を引用できるようになるという、かなり大きな出来事がありました。
なので歌詞を引用しながら、彼女の気持ちを伝えようとも考えましたが、読者がイメージする曲と違ってしまうのもどうかなと考えて、あえてご想像にお任せするスタイルにしました。あの場面なら「いのり」はこの曲を選ぶのではないかと、想像しながら楽しんでいただければと思います。
本家にかなり翻弄されながら書くことになってしまいましたが、それも二次創作の楽しみでもあります。
特に霜月美佳がかなり立場が変わり、当初はもっと酷い目にあってもらう予定でしたが、SS以降の彼女の成長ぶりに敬意を表して、常守とは反目するけれど、事件に対しては頼れる相棒みたいなキャラに変更しました。
後書きが長くなりましたが、ひとまず完結ということで、また何かアイデアがあったら新作を投稿したいと思います。
重ね重ね、最後までおつきあいくださり感謝申し上げます。