テンノオト   作:オオミヤ

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第1話

目を覚ますと、鬱蒼とした森の中にいた。

 

「‥‥‥なに、ここ」

 

呆然と呟く。見上げれば暗い夜空に満月が淡く輝いている。耳を澄ませば、虫とフクロウのような鳴き声がかすかに聞こえてくる。

 

「ええっと、ほんとなに?」

 

ここに至るまでの経緯を思い出す。

夜の街を歩いてて、ふと路地裏にでも行ってみようかと思って、というか引き寄せられて、瞬きしたら森の中。

 

「‥‥‥イミワカンナイ。ウケもしないんだけど」

 

朝必死にセットした、ウェーブがかった黒い髪の毛をかき上げる。冷や汗でじんわりブレザーの中が気持ち悪い。

 

「ちょっとやめてよ。ほんと、なんなわけ?やだなぁ。なによぉ‥‥‥」

 

独り言を言ってなんとか勇気を絞り出す。一歩踏み出そうとすると、近くの木々から鳥が飛び立った。バサバサッと大きな音が聞こえてくる。

 

「キャアっ!?」

 

甲高い声を上げてしまう。

 

「そ、そうだ。スマホは‥‥‥」

 

学校の指定鞄の中からスマホを取り出す。鞄の中には教科書類と参考書がぎっしり入っている。スマホを起動させると、画面の左上のアンテナは『圏外』の文字を映していた。

 

「嘘でしょ‥‥‥」

 

試しに父親に電話してみても、繋がらない。どうやら圏外は本当のようだ。

 

「慣れないことはするもんじゃないなぁ‥‥‥おうち帰りたい‥‥‥」

 

心細い思いが溢れ出し、涙が出てくる。まだ一歩しか歩いていない。

 

「これからどうしよ‥‥‥サバイバルなんてゲームでしかやったことないよ。体力ゲージがあるわけでもないし‥‥‥」

 

もう一度、今度は遠くから鳥が飛び立った音が聞こえる。さらに、不気味なグワァー、グワァー、という鳴き声まで聞こえてきた。森の雰囲気と合わせて、なんとも言えない不気味な予感がする。

 

「ちょっとやめてよ‥‥‥私ホラーだけはダメなんよ‥‥‥!」

 

このままここに留まるか、それとも真っ直ぐ進み続け、森を抜けるのに賭けるか。彼女は、進むのを選んだ。

 

「大丈夫!コンビニのご飯だって、お菓子だってあるし、なんだったらめぐリズムだってあるんだから!都会の女子高生舐めんなよ!」

 

なんだか妙なスイッチが入ったらしく、勇ましく進んでいく。幸いにも、大きな音や不安を煽るようなBGMも聞こえない。サク、サク、と地面をローファーが踏みしめる音が心地よく感じられるようになるまで、精神状態が回復してきた。ところどころ聞こえてくる鳴き声も、耳を澄ませば、自分がいつも聞いているヒーリング効果があるCDに似ている。

木々の間の一本道をずんずん進んでいく。空に薄ぼんやりと淡く光る満月が、なんとも綺麗に感じられた。しばらく上を見ながら、口を開けて「あー……」と女子高生にあるまじき顔で歩く。周りの目を気にしなくてもいいというのは、なんとも甘美な時間だ。しばらくすると、彼女はふと疑問を持った。

 

「‥‥‥2つ?なにあれ」

 

満月の向こう側に、もう一つ光っているものがある。それはだんだん横にずれていって、彼女から見ると、月が2つ重なって雪だるまのようになった。

目を離せない。吸い込まれそうな感覚に陥る。手足がふわふわとした浮遊感に包まれた。今なら何処へでも行けそうな気がする。彼女はとろんとした目で、いつしかの母親を思い出した。月がさらに光輝く。その光に全身が包まれる、文字通り、天に昇っていきそうな気持ちだ。

 

「ママ‥‥‥」

 

その時、森に甲高い悲鳴が残響する。

 

「っなに!?」

 

意識が鮮明さを取り戻した。いつしか月は一つに戻っている。あれだけ光り輝いていたものは、まるで夢か幻の如く、消え去ってしまった。

 

「声‥‥‥!?」

 

 

 

 

「‥‥‥いた!」

 

やっと見つけた視線の先。少し切り立った浅い崖、というか窪みの中、生い茂った草の上に長い銀髪の女の子が一人倒れていた。左腕のローブの袖が破れ、血が滲んでいる。苦しそうに目をキツく閉じている。

 

「大丈夫!?」

 

声をかけながら、窪みを駆け降りる。スカートがめくれるが気にしない。今日は新品のお気にのパンツだ。問題ない。

 

「ねぇ、ちょっと!大丈夫!?」

 

女の子に駆け寄り、顔を覗き込む。反応はないが、耳を近づけると息はあった。どうやら気を失っているらしい。血が滲んでいる手を調べる。

 

「ごめんね」

 

謝りながら、緩い、ローブの袖を捲る。酷い擦り傷が見えた。おそらく壁で擦ったのだろう。

 

「ちょっとまってね‥‥‥」

 

彼女は鞄を漁り出す。ポーチから包帯と消毒液、それに絆創膏とティッシュを取り出す。

 

「染みるよ……」

 

消毒液を垂らす。相変わらず反応は無かった。傷に満遍なくかけ、清潔なティッシュでぽんぽんと優しく拭き取る。そして、傷に優しく、しかしある程度強く、しっかりと包帯を巻きつける。

 

「よし、固定完了。あとは‥‥‥」

 

大して大きくない傷にも消毒液を垂らし、絆創膏を貼る。可愛いくまさんの絆創膏だ。多目に持っておいて正解だった。

 

「‥‥‥ふう」

 

あらかた治療を終え、息をつく。月を見上げるが、先ほどのような異変はなく、相変わらずの朧月夜は美しい。

 

「あ、そうだ」

 

彼女は、寝ている女の子の頭まで近寄り、正座をする。そして頭を上げさせると、太ももに女の子の頭を置いた。

 

「彼氏にもしたことないんだからなー。ま、いたことナイケド」

 

悲しく独り言ちる。女の子の顔をじっと見つめた。体格や雰囲気的に彼女と同年代のようだが、大人っぽい顔をしている。さぞモテるだろう。苦しそうな表情も、いつしか安らかなものに変わっている。

 

「それにしても、美人さんだなぁ‥‥‥」

 

彼女は思わずため息をついた。月の暖かな光に照らされた女の子の顔は、綺麗、可愛いというような言葉では言い表せられないほど、神秘的かつ侵し難い聖なる美しさを感じさせた。その顔を見ていると、なんだかとても安心してしまう。その安心から、瞼が完全に閉じられるまで、時間はそうかからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「‥‥‥なに?」

 

目を覚ますと、目の前には女の子の顔が至近距離だ。

 

「どうなってるの‥‥‥?」

 

頭がぼんやりする。頭の裏の暖かい、柔らかな感触が心地良い。どうやら膝枕されているようだ。顔を少しずらして、周りを見渡す。

 

「‥‥‥落ちたのか」

 

左腕が痛む。怪我をしたらしい。見ると、白い布のようなものが巻かれている。詳細はわからないが、治療を受けたのか。

 

「うう、ん‥‥‥わ、ガチ恋距離だ」

 

目の前の女の子が目を覚ました。目が若干青がかっている。黒色の波打った長い髪が少し顔にかかる。

 

「あ、ごめんね。すぐ下ろすから」

 

「いい」

 

「‥‥‥へ?」

 

思わず口走った。女の子が不思議そうな顔をする。

 

「あ、いや。だから、このままで、いい」

 

自分でも何を言っているのか分からない。ただ、ひどく安心する気持ちがあったのは確かだ。それに、彼女の目を見ていると吸い込まれそうになり、心なしか緊張してしまう。

 

「うん。じゃあ、このままね」

 

女の子は嬉しそうに笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2人の間に暫くの静寂があった。その沈黙に耐えきれなくなったのか、

 

「私、アマネ。今年の8月で18歳になったんだ。あなたは?」

 

と、自己紹介を始めた。

 

「私はソラ。助けてくれてありがとう」

 

「うん、どういたしまして。たまたまポーチ持ってきておいて良かったよ」

 

「ちゃんとお礼するから」

 

「ぜぇんぜん!そんなのいいのに」

 

アマネが笑いながら断ると、ソラは

 

「でも、こういう時はきっちりしないとって言われてるから。恩はちゃんと返しなさいって」

 

と譲らない。そのソラの表情に、アマネは諦めたようで、

 

「うん。じゃあ、ありがたくお礼されようかな」

 

「そうしてくれると嬉しい」

 

ソラは嬉しそうに微笑む。

 

「でも、不思議だ。アマネとは、初めて会った気がしない」

 

「そう?でも、私もなんだか懐かしいような感じがする」

 

「アマネはどこの地区の子?良かったら送らせるよ」

 

「地区っていうか、国立市?そろそろパ、お父さんが心配するだろうから、電波繋がるところ知らない?ていうか、ここってどこ?東京?」

 

「‥‥‥どこ?それ。ここはクオン國の『サケハシの森』だよ」

 

「‥‥‥どこ?それ」

 

アマネは鸚鵡返しをする。全く自分が知らない単語が聞こえた気がしたからだ。

 

「えっと、もう一回いい?ここ、どこだっけ」

 

「クオン國の『サケハシの森』」

 

「クオン國って?」

 

「この國」

 

「そんな国聞いたことない」

 

「私も、とうきょうって聞いたことないけど……」

 

アマネはしばらく考え込むようにして、話題を逸らしてみることにした。

 

「ソラちゃんって不思議な服着てるよね。それ、なに?」

 

ソラは白く薄いローブの下に、着物に似ている装束を纏っている。一枚の大きな服を袖を通して羽織、前を重ねて帯で締めるタイプだ。しかし日本の着物より幾分か記事が薄く、足の脛の方でが少し広がっている。

 

「これ?寝巻きなんだけど、着替えるのが面倒で。逃げ出してきちゃったから、時間なかったし」

 

「すっごく高級そうだね」

 

「まあ、そうかな。私一応この國の王女だし」

 

「‥‥‥」

 

アマネ諦めたように黙った。どこか浮世離れした美貌。つけている指輪は、おそらくこの國の文字だろう。仰々しくなにかが刻まれている。それに、先ほど“送らせる”と言ったのは、おそらく、普段から人を使っていることから出る言葉だろう。

 

「ねえ。ここって、いわゆるだけど、人間界じゃないの?」

 

ありえないと思いつつ何気なく言った言葉。誇大妄想が過ぎるその言葉に、ソラの顔色がさっと青くなった。

 

「‥‥‥いま、なんて言ったの?」

 

「ここって、人間界じゃないの?」

 

「アマネって‥‥‥ニンゲン?」

 

「そうだよ?当たり前じゃん。人間じゃなかったらなんなのさーー」

 

最初は冗談だと思った。

 

「‥‥‥え?」

 

ソラの顔の向こうに、淡く輝く満月が見える。星が空いっぱいに輝く。その下の、アマネを見つめるソラは、憎悪に歪んでいた。左手にはナイフのような刃物を持ち、アマネの細く白い首にその刃を突きつけている。押し倒されたようだ。

 

「ニンゲンが‥‥‥私たちの世界に何の用!?」

 

ソラは歯を食い縛り、アマネの首を右手で絞める。

 

「‥‥‥っぁ、かっ‥‥‥」

 

「また、私たちを苦しめようとしたの!?」

 

力がさらに強くなる。

 

「や、やめ‥‥‥」

 

「今度はテンのように、私を狙ってきたわけ!?あの子はどうなったの?生きているの!?」

 

「やめて‥‥‥ソラ‥‥‥!」

 

「私の名前を呼ぶな、ニンゲン!私は‥‥‥!」

 

すると突然びくりと身体を震わせ、なにかを恐れるように、ソラは馬乗りになっていたアマネの体から退いた。そして、正気に戻ったかのように頭を抱える。

 

「ご、ごめん‥‥‥!ごめんなさい‥‥‥ごめんなさい‥‥‥!」

 

アマネはひどく咳き込む。こんなに首を絞められたのは初めてだ。ひどいことをされたことは分かっていた。

 

「ソラ‥‥‥?」

 

それでも、なぜかソラを悪く思う気持ちは無かった。

アマネはソラに近づく。ソラは怯えたように叫んだ。

 

「来ないでっ!」

 

「なんで?」

 

「来ないで‥‥‥じゃないと、またあなたを傷つけてしまう!」

 

「私、どこも痛くないよ?」

 

そう言うアマネの首には、生々しい赤い指の跡が残っている。

 

「ごめん‥‥‥ごめん‥‥‥テン‥‥‥許して、私、私‥‥‥!」

 

アマネは泣きじゃくるソラの元へ無理やり近づき、抱きしめた。心の底からそうしたかった。ずっと前からそうしたかった気がする。

 

「大丈夫。大丈夫だよ、ソラ‥‥‥」

 

ソラはしばらく泣き喚いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから、詳しい話を聞いた。

この世界は、人間界とは別物で、ソラたちも人間ではないらしい。ソラたちが自分たちのことを『ノウナ』と呼んでいた。おそらく、それが人間を『人間』と呼んでいるようなものだろう。

ここはいわゆる異世界で、人間界とは似て非なる世界だ。生態系も気候も似ているが、どれも微妙に違う。ソラはそれを『鏡合わせが少しずれているもの』と言った。ソラたちノウナは、そもそもこの世界以外の世界が存在するとは全く知らなかったという。

人間が襲来したのは、今から約5年前。何を言っているのかも分からない、なにが目的なのかも分からない。様々なものを略奪され、民を攫われ、襲われたクオン國は混乱状態に陥った。そこから度々ニンゲンと呼ばれる邪悪な存在が襲ってくるようになったという。 さらに、ニンゲンはクオン國だけではなく、この世界のあらゆる國家も攻撃し始めてしまった。

そして、遂に最悪の事件が起こってしまった。ソラの妹、テンが連れ去られたのだ。その事件を受けて、クオン國の王が中心となった人間の被害に遭っていた國々が団結し、人間との完全敵対体制が始まった。

 

「ちょっと待って」

 

ソラと向かい合っているアマネが疑問を呈した。

 

「その話だと、人間の言葉は分かんないんだよね?じゃあなんで私と話せるの?」

 

ソラは首を横に振った。

 

「‥‥‥分からない。初めてアマネに会ったとき、あなたからは人間の香りがしなかった」

 

「人間の香り?」

 

「うん。なんだか嫌な匂いがするんだ。言葉では説明できないけど、身体中が総毛立つような、そんな匂い」

 

「そうなんだ‥‥‥香水してるからかな」

 

アマネは鞄からピンク色の小さな香水スプレーを取り出した。

 

「この匂い?」

 

そう言ってノズルを押す。

 

「ううっ、ダメ、それ‥‥‥」

 

ソラは顔をしかめた。

 

「そっか」

 

「ごめんなさい‥‥‥」

 

ソラは急に謝った。

 

「ん?いいよ、別に。香水は人によって好き嫌いがあるから‥‥‥」

 

「いや、そうじゃなくて‥‥‥その、さっき、首を‥‥‥」

 

アマネは自分の首を触った。

 

「ああ、全然。気にしないで」

 

「でも、私、恩人にとんでもないことを‥‥‥」

 

「いいから」

 

アマネはソラの右手を取って、自分の首に当てた。

 

「ほら、大丈夫だよ」

 

ソラは慌てたように手を放そうとする。

 

「やめて!また、アマネを‥‥‥!」

 

「大丈夫だって。あの時、ちょっとはびっくりしたけど。でも、嫌な感じはなかったから」

 

「アマネ‥‥‥?」

 

「それに、どんな理由があっても、何かを傷つけちゃいけないのは当たり前のことだよ。だから、このことは全部私たち人間が悪いと思うから。本当に、ごめん」

 

そう言ってアマネは頭を下げた。

 

「‥‥‥アマネは悪くないのに」

 

ソラはアマネの頭を優しく撫でた。

 

「ごめんなさい。アマネに頭を下げさせてしまった」

 

「ううん、気にしないで」

 

ソラは意を決したように言った。

 

「アマネは、ニンゲンたちの元に帰りたい?」

 

「んー、どうだろ。帰りたくなくなくもない……かな。でもとりあえず、お父さんに連絡したい」

 

ソラはアマネの手を握った。

 

「前に、ニンゲンが通ってきたところがあるんだ。そこなら、もしかしたらアマネをニンゲン界に返せる、かも」

 

「本当に!?」

 

アマネが嬉しそうにしたのを見て、ソラは、

 

「……うん」

 

と寂しそうに笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここ?」

 

「うん」

 

ソラに連れられてやってきた場所は、サケハシの森の南西にある、木も草もない、荒涼とした大地を見通すことが出来る崖の上だ。

 

「『サケハシの森』は古来からあの世とこの世、二つの世界を結ぶものと言われてきたの。それがまさか本当に別の世界と繋がってるなんて、思いもよらなかったけど」

 

ソラは目の前に広がる殺風景な光景を見つめる。

 

「ここから先は、聖なる空間と言われてきたの。亡くなった人たちの魂は皆この大地の向こうの『ウノ・コンドラン』っていう世界に行く。そこはあらゆる苦から解放された世界で、肉体という枷を外すことが出来た者だけが辿り着ける」

 

「ウノ・コンドラン……」

 

アマネは眩しそうに目を細めた。視界の先、どこまでも続く夜空が地平線の向こうまで渡っている光景に、目眩がしそうだった。

 

「あの大地の向こうから、ニンゲンたちはやってきたんだ。ここはもしかして本当に、ニンゲンの世界と私たちの世界、2つの世界を結ぶ境界なのかもしれない。こういうのはラフムが詳しいんだけど、私はまだ教わってないんだ」

 

「そうなの?」

 

「うん。お父様が、お前にはこの重荷を背負わせないって言ってくれるから」

 

「……そっか」

 

重荷。アマネにはこの言葉がひどく重く感じられた。こんなのはただの侵略戦争じゃないか。人間がいくらでも残虐になれるのは歴史の授業で散々習ったが、アマネは初めて心の底から人間が許せなくなった。

ソラは王女。つまり、時代の国王にもなり得る存在だ。クオン國のことを憂いている気持ちは痛いほど伝わってしまう。もちろん、国王もそれは分かっているだろう。だから、自分の代で戦争を終わらせようとしているのだ。

 

「アマネ?あなたのお父様と連絡は取れる?」

 

ソラの心配そうな声でハッと我に帰る。

 

「あ、そうだ。でもここじゃあ……」

 

試しにスマホを起動する。アンテナはふつうに立っていた。

 

「嘘……」

 

「大丈夫だった?」

 

「うん。全然大丈夫だった。ちょっと電話かけてみるね」

 

電話帳を開き、『パパ』をクリックする。

しばらくして、電話が繋がる。プルルルル…という無機質な音が聞こえる、やがて、焦ったような男性の声が聞こえた。

 

『もしもし?アマネか?』

 

「うん、パパ。私」

 

電話の向こうから安堵の深い溜息が聞こえる。

 

『まったく……心配したんだからな?今どこだ?迎えに行く』

 

「あー、その、どう言ったもんか……多分無理だと思う」

 

『どういう事だ』

 

「えっと、ここ、異世界っていうか……?」

 

軽い調子で言う。どうせ信じてもらえないのは明白だからだ。

 

『なんだって……それは本当なのか?』

 

しかし予想を反して聞こえてきたのは、深刻そうな父親の声だった。

 

「う、うん。そうだけど……え?信じてるの?」

 

『冗談なのか』

 

「いや、冗談にしたってアホらしすぎると言うか……今実際にいるし」

 

『なんで電波が繋がるんだ?』

 

「それは……わかんない。なんか繋がった」

 

なんとなく、ニンゲンとの戦争の話は言わない方がいい気がした。ただでさえ、異世界なんていうかバカみたいな話をしているのに、ニンゲンが異世界を侵略しようとしているなんて、普通なら病院に連れていかれてもしょうがないと思われる。

 

『……なんて事だ』

 

そうつぶやいた言葉は、アマネには聞き取れなかった。

 

「ん、なに?なんか言った?」

 

『いや、そうか異世界か……帰れそうなのか?』

 

「んーどうなんだろう。どうなの?」

 

隣のソラに聞く。ソラは口パクで『わからない』と言った。

 

「わかんない」

 

『そうか……隣に誰かいるのか?』

 

「うん。友達」

 

『現地の、か?』

 

「う、うん。そうだけど」

 

『いますーーーーーーーーー』

 

何かを言おうとした瞬間、電話がノイズがかって切れた。

 

「なんなんだ……?」

 

「どう、だった?」

 

ソラが聞いてくる。

 

「んー、わかんない。なんか切れちゃった。なんかあったのかな」

 

「そっか。とりあえず、帰れる方法が分かるまでうちにおいでよ。おもてなしするから」

 

「おもてなしって……お城ってこと?」

 

思わず竜宮城のような風景を想像する。

 

「うん、そうだね。でも多分勝手に出てったって知られたら怒られちゃうから、こっそり私の部屋に来てもらっても、いい?」

 

「全部良いよ、行く行く!行きたい!」

 

「じゃあ、行こっか」

 

ソラは首に服の内側から首に下げているホイッスルのような笛を出した。

 

「それは?」

 

「いいから見てて」

 

笛を吹く。音は鳴らない。辺りは静寂に満ちている。すると遠くから鳥が羽ばたく音が聞こえる。

 

「この音……」

 

「あ、来た」

 

ソラが見る方向をアマネも見る。夜空には、黄色の鳥の影が浮かんでいる。その影はやがて近づき、近くに舞い降りた。

 

「おっきい……」

 

「この子はアスマ。ほら、ご挨拶して?」

 

アスマと呼ばれた怪鳥は、ひよこを幾分かスマートにして人を2人ほど載せられる大きさまで巨大化させたような姿をしていた。その鉤爪や嘴は鋭く、長い尾羽は孔雀のような美しい模様をしていた。

アスマはキュエエエエ、と可愛らしく鳴くと、お辞儀をするように頭を下げた。

 

「わ、こんばんわ。アマネって言います」

 

そう言って、アスマの頭を撫でる。アスマは気持ち良さそうにクルル、クルルルと鳴き声をあげる。

 

「珍しいな。アスマが初対面の子にここまで心を開くなんて」

 

「そうなの?」

 

「うん。アスマのようなフェドバックは他種への警戒心の強さと、自分の家族への忠誠心が特徴なんだ。だから、王族はみんなフェドバックを飼ってるんだけど……」

 

ソラはひらりと軽やかにアスマに乗る。手を差し伸べた。

 

「さ、乗って。このまま飛ぶから」

 

「お邪魔します!」

 

ソラに引き上げてもらう。アスマは羽毛がとても気持ちがいい。

 

「行くよ!」

 

アスマは高らかに鳴くと、翼を羽ばたかせる。2、3度の羽ばたきで、宙に浮かびあがると、そのまま高度をあげる。

 

「うわぁ……」

 

空から見た森と大地は、よくテレビのドキュメンタリーで見るような雄大さに溢れていた。こんな広い空に、ただ2人と1匹だけ。自由を肌で感じることが出来るような感覚さえ感じた。

体いっぱいに風を感じる。

 

「しっかり掴まってて!」

 

「う、うん」

 

ソラに促され、アマネはソラの腰に手を回す。髪の毛が風に靡く。自然に笑いが溢れた。天にはどこまでも続く深い黒。星々の瞬きに、朧月。地にはこれまたどこまでも続く大地。鬱蒼とした森。遠くにはぼんやりと明かりが見える。これが世界だ!そう叫んだ。

 

「どうしたの?」

 

「ソラ!気持ちいい!こんなの初めて!」

 

「私も、後ろに人を乗せたのは初めて」

 

「そうなの!?なんか不思議!ウケる!」

 

大声で笑う。とにかく愉快だった。遊園地のジェットコースターでも味わえない開放感。天と地が自分の手のひらの中にある。

 

「ちょっと、下品よ」

 

そう言うソラも笑っている。

 

「だって、こんな経験したことない!」

 

「私も笑ったのなんて久しぶり!」

 

「あははは!」

 

「ふふ、あはははは!」

 

2人が笑う間に、アスマはどんどん先に進む。先ほどはぼんやりとしか見えていなかった明かりが、随分近くになった。

 

「見て、あそこ。あそこがクオン國の王都」

 

「わぁ‥‥‥」

 

眼下の光景に目を奪われる。煌びやかな歓楽街には、沢山の人がうごめいているのが見える。人々は屋台や建物に次々と入って行き、出て行き、巨大な人の波と言う表現が正に合う気がした。

 

「ここは歓楽街なの?」

 

「うん。酒場とか、料理屋とかがいっぱいあるとこ。毎晩賑わうんだ」

歓楽街を通過する。すると、下の方から「姫様のフェドバックだ!」という声が聞こえてくる。やがてざわめきは大きくなった。

 

「バレたんじゃない?」

 

「しょうがないしょうがない」

 

ソラは笑いながら通り過ぎる。しかし一度だけ、下に顔を向けて手を振った。地を揺らすような歓声が聞こえてくる。

 

「うわ、すご」

 

「みんないい人たちだから、今度アマネにも紹介出来たらいいな」

 

「え、いいのかな……」

 

やがて大きな建物に着く。イメージ的には、中国風の宮殿だ。宮殿は煌々と輝き、いかにも中心地といった風態だった。

 

「すごいね……」

 

心の呟きが漏れる。

 

「ちょっと派手すぎるよね」

 

ソラは苦笑した。

 

「ううん、素敵だよ。物語の中みたい」

 

「そうかな。ありがとう」

 

ソラは照れくさそうだ。

 

「家に知り合い呼んだことないからわかんないけど、一応色々私の部屋にあるから寛げる……と思う」

 

大きな門の上を通り、本殿を通過する。すると、赤く小さめな、それでも一般家庭の家くらいはありそうな建物が見えてきた。

 

「もう着くよ」

 

「へえ、あれのどこの部屋?」

 

きっと広いんだろうな、と軽く聞いた。

 

「ううん、あそこの建物が、私の部屋」

 

もはや家じゃん、とはつっこめなかった。建物の2階の窓がひとつだけ全開になっている。アスマはその窓のそばで停止する。

 

「はい、じゃあここから入って」

 

「え?靴履いてるけど」

 

「気にしないで」

 

そう言うので、土足のまま部屋に入る、部屋は天蓋付きのキングサイズベッド、高級そうなカーペット、優しい光を放つ提灯のような照明器具、大小様々なぬいぐるみがあり、部屋の壁の一面がまるまる本棚になっている。

 

「す、すごい」

 

「そうかな。少し照れる」

 

窓から部屋に入ったソラは照れ臭そうに顔をかく。

 

「下から飲み物と少し食べ物を持ってくるから少し待ってて」

 

「うん」

 

1階に降りて行く。とりあえずアマネは靴を脱ぎ、ベッドにもたれた。

 

「……はぁ。これからどうなるんだろ。なんか変な感じ」

 

無意識に言葉が出てくる。アマネは正直に言って、ニンゲン界に帰りたいともさして思えなかった。父親は自分のことを愛してくれてるし、友達も大勢いる、受験勉強はそれなりに大変だが、高望みをしなければ苦しくはない。

要は、少し退屈していたのだ。

思春期にはありがちの、受験した先の未来が見えなくなっている現象に陥っている。特に夢があるわけじゃない。大学に行ったら今の友達とも離れ離れになるかもしれない。そんなことまでして、未来に生きる意味はあるのか。少し拗らせていると自分でも思ってしまう。

だから今日は塾が終わってちょっと街を散歩しようかと思った。軽薄そうな見た目に反して、アマネは真面目ちゃんで夜遊びなんてしたことなかった。ちょっとくらい門限は破ってもいいよね、と軽い気持ちだった。それが、こんな大冒険。アマネは楽しんでいた。多少のトラブルも、旅のいいスパイスになる。ソラもなんだか放って置けない。

 

「それに、もし人間が襲ってきても、私がいれば話を聞いてくれるかも」

 

真実を確かめたい気持ちもあった。本当に人間がひどいことをしているなら、同じ人間として、話し合うよう説得できるのではないか。そう考えもした。

 

ふと月を見ようとした。窓から見える月も乙なものだからだ。今晩はそれを見ながらソラと語り明かそうと思っていた。

 

窓には、ひとりの何かの制服を着た男が居た。

 

「‥‥‥へ」

 

男は耳の通信機に向かって話しかける。

 

「こちら花袋。目標を発見した。これより目標を捕縛し帰投する」

 

男は無遠慮に部屋に入ってくる。制服には『花袋』と刻印されているのが見える。彼はアマネを見て笑いかけた。

 

「君が連れ去られたという、立松さんだね?もう大丈夫だ。すぐ家へ帰れる」

 

そう言ってアマネに手を差し出した。

 

「い、いや」

 

「‥‥‥」

 

アマネの拒絶を、男は不思議そうな顔で返す。

 

「あ、あんたたちが、ソラたち、この世界の人を困らせてるんでしょ。そんな人たち、信用できない」

 

「‥‥‥何を吹き込まれたかは知らないけど、そんな事実はないよ。いいから早く来るんだ。君のお父さんも心配してる」

 

困ったように言う男。アマネの手をつかもうとするが、その手をアマネは叩く。

 

「やめて、触らないでよ! 帰る方法なら自分で探すから! あんたたちの手なんか借りたくない!」

 

「‥‥‥困ったな。そういう態度をされると、こちらとしても態度を改める必要があるんだ」

 

男は耳の通信機に向かって話しかける。

 

「洗脳を受けている可能性がある」

 

「やめて! 洗脳なんかされてない! 私の意思だよ!」

 

アマネの言葉を聞いた男は、アマネを無理やり担ぐ。

 

「ぎゃーっ!ちょっと、なにすんのよ!」

 

「大人しくしてくれ。早く行かないと君が危険なんだ」

 

男はアマネの顔に向かって、スプレーから何かの液体をかける。すると、全身から力が抜けて行った。男はアマネを軽々と持ち直すと、窓から外に出ようとする。

 

「アマネ‥‥‥!?」

 

ソラの焦った声が聞こえる。

 

「ソラ‥‥‥にげ‥‥‥」

 

「皆の者、出会え!」

 

ソラは叫んだ。すると、下の階から次々と槍を持った兵士がやって来る。

 

「人間よ!容赦するな!私の友人を助けなさい!」

 

兵士たちは揃った呼吸で雄叫びをあげると、男に向かって行った。

 

「チッ‥‥‥数が多いな」

 

男は舌打ちをすると、窓から飛び降りる。窓の外には二人乗りの自動車がさらに小さくなったような乗り物が置いてある。

着地しそのまま乗り物に向かうが、不意に風を切る音が聞こえた。

 

「うぐっ」

 

男の腕には矢が深々と刺さり、鮮血が滴り落ちる。

 

「まじかっ‥‥‥!」

 

男のは苦悶に顔を歪める。後ろを振り向くと、窓からは次々と兵士たちが飛び降り、ソラが次の矢を弓に番えている。

 

「冗談じゃない‥‥‥!」

 

男は乗り物に乗り込もうとする。

 

「やめて‥‥‥!はなぶくろ、離して‥‥‥」

 

足や手を使い、自由の効かない身体でなんとか抵抗を試みる。

 

「おいお前、ふざけんな!死にたいのか!」

 

「待って、お願い‥‥‥話し合ってよ‥‥‥」

 

「くそっ!」

 

男はアマネを無理矢理押し込み、自分も乗り込んだ。間一髪、乗り物の窓に矢が刺さる。矢は窓を貫通した。

 

「移動開始!カウントダウン!」

 

『カウントダウンを開始します。5、4……』

 

機械音声が聞こえる。兵士たちが必死の形相で乗り物に向かって来る。ソラが泣きながら何か言っているが、聞こえない。

 

「ソラ‥‥‥!ソラ‥‥‥!」

 

アマネもいつしか涙を出しながら微かに叫んでいた。しかし、声は届かず、視界は真っ白になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「‥‥‥あれ?」

 

目を開けると自分の部屋の天井が見える。頭がズキズキと痛い。寝不足だろうか。

 

「なに‥‥‥」

 

カーテンから朝日が薄く差し込み、アマネの顔を照らす。

怠い気持ちをなんとか抑え、布団から這い出てリビングに向かう。

 

「おはよー‥‥‥」

 

相変わらず父親は仕事で忙しいようで、もう二週間も帰っていない。

冷蔵庫からトーストを取り出し、トースターに入れる。卵を割り、フライパンに入れ胡椒をかける。半熟が好みだ。卵焼きをフライパンから出して皿に移す。トーストが焼ける間に洗顔を済ませ、髪を軽く整える。ちょうどトースターの小気味いい音が聞こえた。

 

「はいはい、今行きますよ‥‥‥」

 

トーストに半熟卵を乗せ、半分に折る。黄身が滴り落ちるのに注意しながら、かぶりついた。

 

「んー、うまい」

 

空いた手でインスタントコーヒーを淹れ、一口飲む。スマホのバイブが鳴る。

 

「あ、りん先輩だ‥‥‥」

 

今家を出たらしい。通学路がアマネの家の前を通るのでいつも迎えに来てくれるのだ。

朝食を食べ終わり、歯磨きを終え、一番重要な髪のセットに入る。

 

「今日はどうしよっかな‥‥‥うん、一つ結びにしよっと」

 

アイロンで髪を軽く巻き、髪の内側からスプレーを当てる。この時に根元に吹かして分け目を曖昧にするのがポイントだ。そして髪を後ろにまとめ、ピンで止めてゴムを隠す。これで完成だ。

 

「我ながらかわいい」

 

鏡の中の自分に満足して、部屋に戻り制服に袖を通す。ローファーを履き、家を出る。

 

「行ってきまーす」

 

帰ってくる声はない。アマネは寂しげに笑い、扉の鍵を閉める。

朝日を身体全身に浴び、大きく伸びをした。

 

「‥‥‥」

 

なにか。なにか無い。しかし、鞄を確認してもいつも通り、忘れ物はない。財布も、ケータイも、教科書もある。化粧ポーチも手鏡もある。でも、なにか。

 

「なにか、ない‥‥‥」

 

呟く。

 

「アマネさーん。どうしたんですか?」

 

自分を呼ぶ声が聞こえる。

 

「りん先輩」

 

「ほら、行きましょう?」

 

「‥‥‥うん」

 

そう言って、アマネは歩き出した。

いつも通りの日常へと。

心に空白を抱えながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「‥‥‥アマネ」

 

少女は月に手をかざす。忘れられない暖かさが、熱が、まだ身体に残っている。通じ合えたあの日を、忘れられない。

 

「会いたいよ‥‥‥」

 

空に向かって、拳を固く握りしめる。二度と、手を離さないように。

 

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