サケハシの森の高台には、一つのノウナの影があった。それはソラの側近、チェリだ。彼女は人間界に出征中のマスケたちを待っている所だった。
目の前の空間が歪み、光が漏れ出す。そこから巨大なエイとそれに乗った人影が見えた。
「隊長!」
マスケの姿を確認したチェリが声を上げる。その声に反応したマスケが拝むように手を合わせる。
「すまん、取り逃がした!」
高台に降り立ったマスケは開口一番、謝罪の言葉を放った。
「そうですか‥‥‥」
「捕らえるところまでは言ったんだがな‥‥‥門が開いたところで逃げられてしまった」
マスケが騎乗していた巨大なエイが淡く輝き霧散すると、パチパチと爆ぜる音と共に、中から少女が現れた。
「はぁ、疲れた」
「フタバ、お疲れ様」
座り込むフタバにチェリが来ていた上着を着せ労いの言葉をかける。
「乗せてくれて有難うな」
「ほんとは姫様以外乗せたくないんだからね」
拗ねたような言い草にマスケは苦笑する。
「ああ、すまんな」
「それで、ニンゲンはどんな様子でした?」
アマネの様子についてセイが尋ねた。
「記憶が無理やり抜かれているようだったよ。殺されるかもしれないから来いと言ったんだが‥‥‥」
「隊長」
フタバがマスケに向かい合う。
「あの時、なんで逃したの?」
マスケの眉がピクリと動く。
「隊長なら手、掴めたでしょ?」
「‥‥‥ああ、俺もそう思った。だが‥‥‥」
マスケが自分の右手を信じられないように見る。
「あの時、身体が動かなかったんだ。自分の意思じゃない。強力な糸か何かで自分の身体が縛られたようだった」
「‥‥‥どう言うこと?」
「あの少女に触るなと言われた瞬間、俺の意思にかかわらず、俺の体が従った。‥‥‥すまん、俺にもよくわからないんだ。‥‥‥ちょっと失礼」
マスケは部下からの報告に一言二言交わす。マスケの耳にはピアスのように小さな結晶が付いている。その結晶は、遠隔地との連絡を可能にする。
「やはりばれたか。隠し通せるとも思えなかったが。リリには休むよう言っておいてくれるか‥‥‥ああ、有難う。それでは」
マスケは苦笑する。
「こりゃまた、姫様のご機嫌取りに勤しまなきゃな。‥‥‥俺は戻るが、君らはどうするんだ?」
側近たちの方を見ると、フタバがチェリの膝を枕にして寝転んで居た。
「あ、ごめんなさい。フタバが参っちゃったみたいで‥‥‥あとで戻ります」
「大丈夫なのか?」
「はい、任せてください」
「わかった。姫には俺から言っておこう。また後で」
「はい」
マスケたちは首から下げた笛を吹き、各々のフェドバックに乗って宮殿の方に向かった。
「‥‥‥チェリ」
「起きてたの?」
フタバが目を閉じたまま話しかける。
「アマネちゃん、顔見てきたよ」
「うん」
「可愛かった」
「なに、好みなの?」
「‥‥‥分かんない。親しみやすそうって言うか。でもそれ以上にニンゲンって感じしなかった。不思議な感じ。強いて言えば‥‥‥」
「言えば?」
「姫様に近かった」
チェリが怪訝そうな顔をする。
「どう言うこと?」
「わかんない。でも、たしかにそんな感じだった。顔も背も雰囲気も違うのに、でもどこか似てるんだ」
「どこか‥‥‥それってもしかして、たましいかもね」
「むーん‥‥‥」
フタバはそう言って大きなあくびをする。
「やっぱ疲れた‥‥‥」
「私が連れてくから、寝てていいよ」
「うん、ありがと‥‥‥」
フタバは目をつぶり、瞬く間に眠りに落ちた。
チェリは懐から水晶を取り出した。すると、そこにタマの姿が映る。
「あ、タマ? チェリだよ。今そっちに隊長達が向かったけど‥‥‥」
『大変! 姫さまが!姫さまが!』
水晶の隅に映るソラの姿は、どことなくぐったりしているように見えた。
「ちょっと、どういうつもりですか!」
ソラの自室。未だ気を失っているソラを看病しながら、タマは誰がどう見ても怒っている。怒髪天、あまりの怒りに、イロハにはタマの周囲が歪んで見えた。
「姫さまをこんなにして、何かあったらどうするつもりですか!」
タマの怒った瞳に映るのはリリだ。服の所々煤けた部分が、戦闘の激しさを物語っていた。
「はい」
「はい、じゃない! 貴女の仕事は姫さまを連れ戻すことですけど、こんな風に傷つけて良い訳ないでしょう!?」
「仰る通りです」
「いくら貴女が近衛隊の副長で、それなりの権力を持っていたとしても、私は姫さまの側近として、貴女の行動を認めるわけにはいきません!」
「重々承知しております」
「何ですかその態度は! 自分が何したか分かっているんですか? だいたい結界があったからといって市街地で戦闘することも本当は認められないのに!」
「も、もういいよタマ。落ち着いて、ね?」
勢い余ってリリに掴みかかりそうなタマをイロハが諌める。
「リリちゃん、もう良いよ、下がって。また後で話そう」
「はい。失礼します」
リリはソラの自室から出て行った。
「ほら、お茶淹れたから飲んで?少し落ち着いてよ」
タマはまだ納得しない様子で容器を掴むと、ごくごくと喉を鳴らしながら一気飲みした。
「‥‥‥まっず」
「え?」
「でも落ち着いた。ありがと」
「ま、まずい‥‥‥?まず、そんなはずは」
うろたえるイロハを無視して、タマはソラの額の上のお絞りを取り替える。
「それにしても、傷が残らなくて良かった‥‥‥」
「タマ、あまり怒らないであげて? リリちゃんだって好きでこんなことしたわけじゃないんだよ」
タマはソラのサラサラした髪を優しく撫でる。
「‥‥‥そんなこと分かってる。でもそれ以上に、自分が情けなくて‥‥‥結局他人任せにした私に嫌気がさしちゃったの。‥‥‥リリには、あとで謝らなきゃ」
「うん。そうだね」
その時、部屋の扉が開いた。
「姫さま!」
「姫!」
チェリ、フタバが部屋に雪崩れ込む。
「姫! ど、どうなったの!?」
「姫、死なないでー‥‥‥」
「二人とも、静かに!今寝てるから!」
詰め寄る二人をタマは叱ったが、イロハは、自分だって取り乱してたのに‥‥‥と思わずには居られなかった。
「はぁー‥‥‥」
宮殿内、幹部に許された自室に戻ったリリは、隊服のままベッドに倒れこんだ。
「バカだ、私‥‥‥」
どこか自分でも分からないうちにスイッチが入ってしまった。一國の姫を挑発、挙げ句の果てに気絶させた。
「極刑かな‥‥‥」
自嘲気味に笑う。
「ソラ、か‥‥‥そう呼んだの、本当に何年ぶりだろう‥‥‥」
まだ幼かった頃、リリはソラとその妹とともに宮殿内を駆け回り、よく叱られたものだ。もともと貴族の娘だったリリは幼馴染としてソラ姉妹と仲が非常に良かったのだ。
リリは首に下げているペンダントの石を見つめる。緑色の石は、ソラの妹の瞳の色だ。リリの瞳の色の青い石と二人で交換しあった。
「テン‥‥‥私、もう分かんないよ‥‥‥寂しいよ」
鼻頭が熱くなる。視界がぼやけ、冷たい感覚がこめかみの辺りを通った。
誰にも負けない強さを手に入れ、憎い人間を殺し、それでも想いは届かないままだ。
「私、どうしたら良いの‥‥‥?テン、教えてよ」
輝く月明かりは何も答えず、静かにリリを照らしていた。
「おやぶーん、また人間界に行くの?」
「うん、そうだよ。また動きがあったからね。順調、順調」
「でもさみしーよ。次はいつ帰ってくるの?」
「一ヶ月後くらいかな。ほら、私も人間界じゃ忙しい方なのよ」
「それも知ってるけどー」
「大丈夫、ちゃんと帰ってくるから。良い子で待っててね」
「‥‥‥はーい」
「会えるのが楽しみだな。待っててね‥‥‥‥‥‥アマネちゃん」