まさか自分が結婚をするなんて、正直予想していなかった。
結婚というのは要するに、愛というものを分かりやすく表現する儀式のようなものだと解釈している。
そんな儀式を、自分が行う事は難しいと思っていたのだが……
「どうした、私の顔に何か付いているか?」
現にこうして、自分の夫は存在している。
そして自分はその妻だ。
生まれ持った
下手をしたら、いつ死ぬかも分からないような女だ。
加えて、調子が最高に悪い日だと他者の介護が必要になるくらいだ。
共にいるメリットは少なく、デメリットしかないような女と結婚する男がこの世に多い筈がない。
居たとしても、そう都合よく事が進むわけがない。
「ふむ、どうやら調子が良いというのは嘘のようだな。その証拠に口が動かせんようだ。どれ、動かすのを手伝ってやろう」
「ふぎゅ……ひはうふぁ、みひょれへはひゃけよ」
考え事をして呆けていた自分の頬を、夫は強すぎず弱すぎずの力加減で引っ張った。
地味に痛い、と表情で訴えている自分を夫は何処か楽しそうにしながら、暫く自分の頬を玩具にしていた。
「……満足した?」
「あぁ、お前は実に弄り甲斐がある」
ヒリヒリする頬をさすりながら夫にそう訊ねると、実に良い笑顔で夫はそう答えた。
ちなみにうちの夫は少し……いや、かなりの変わり者だ。
まぁこんな私を妻にするくらいなのだから、変わっていて当然なのだが……
何が変わっているのか一言で言うのならば、『他者の不幸』が大好物という歪んだ性格をしているのだ。
しかし自分はそれを否定しない。
世の中様々な人間がいるのだから、夫のような人間が一人くらい居ても良いのではないだろうか。
それに夫は悪人というわけではない。
例えば自分から何か事件を起こして、被害者の不幸を喜んだりするといった事は絶対にしない。
可愛く言ってしまえば、『気になる子にちょっかいを出して、嫌がるその子の反応を楽しむ男子小学生』のようなものだ。
夫も何が善で悪なのかは心得ている。
その上で夫は、周りに迷惑をかけない範囲で己の欲求を満たしている。
最近だと、休日に公園のベンチに座り、公園で遊んでいた子どもが転んで大泣きしているのを遠くから眺めて楽しんでいたらしい。
そして夫はよく、病状が悪化して自分が苦しんでいると、必ずその日はずっとそばにいてくれて、お世話をしてくれる。
多分というか、間違いなく苦しんでいる自分を見て楽しんでいるのだろう。
まぁそれ以上苦しめようとしたりはしないし、普通にお世話してくれるので全く文句はないどころか、自分からしたら嬉しいことだ。
言うなれば、需要と供給だ。
「ねぇ綺礼さん、折角はやく帰ってきたのだからお散歩でもしない?」
「別に構わないが……ふっ、そんな身体で自分から散歩に行こうなどと言い出すお前は本当におかしな人間だな」
「お互い様じゃない?」
確かにな、と夫は呟く。
そう、お互いどこかおかしいから、こうして夫婦で居られるのだろう。
「
「ううん、大丈夫よ」
「そうか」
たまには自分の脚で歩くのも良い。
それにこんな調子の良い日だけでも使っておかねば、いずれ脚が腐ってしまいそうだ。
「〜〜〜♪」
今日はどうした事だろうか。
数年に一度あるかないかの、本当に調子が良い日だ。
思わず鼻唄をしながら、日傘をクルクルと回してスキップしてしまう。
「あまり子どものようにはしゃぎ過ぎるな、転んでしまうぞ」
「そうしたら、綺礼さんがおぶってくれるのでしょう? なら転んでも問題はないわ」
とはいえ少しの怪我が、自分の場合は洒落にならない事に繋がる可能性があるので、充分に気を付けているつもりだが。
「……本当に風が気持ち良い。イタリアも良い所だけど、ニホンも充分に素敵な所ね」
「さて、それはどうかな」
「……綺礼さんはイタリアの方が良かった?」
「いや、クラウディア……お前と供にいるのなら何処でも私は構わん」
「あら、それは物凄く嬉しいわ」
気分が高まると、不思議と身体も調子を上げていく。
今なら五秒だけ全力疾走できそうだ。
「日本には慣れたか?」
「うーん……ニホンゴはまだ難しいけど、大体は慣れたわ」
数年前までは、イタリアにいた。
色々と訳があり、ニホンに住むことになったのだが、思っていたよりも住み心地が良い土地だった。
「ニホンは料理が美味しくて本当に良いわね、特にこの前食べた……お、オコノミヤキ? あれ気に入っちゃったわ」
調味料を好みで好きな量かけられる上に、自分で焼くことができるオコノミヤキ。
楽しいし美味しいというまさに……イッセキニチョウ? な食べ物だ。
「そうか、ではまた『三人』で食べに行くとしよう」
「えぇ、それが良いわ」
他にもオスシ、ウドン、ソバなどニホン特有の料理が沢山あって飽きない。
こんな小さな島国だというのに、母国よりも素敵に感じてしまうのは仕方ないことだ。
「あら、いつのまにか公園まで歩いてきたのね」
「そのようだな。喜べクラウディア、お前は自らの脚でここまで来れたのだ」
隣を並行する夫が祝福の言葉を投げかける。
確かに自分で歩いてここまで来れたのは今日が初めてだった。
「やったわ、今日はオセキハンね」
「あぁ、好きにするといい」
何故そこで苦笑するのだろうか。
何か祝い事があるときは、オセキハンというのを聞いたのだが……
「……ねぇ綺礼さん綺礼さん、あそこにあるのは何かしら?」
公園の景色を楽しみながら歩いていると、不思議なものを見つけた。
大きな車の横に、喫茶店などでよく見かけるカウンターが付いていて、そこに人が並んでいるのだ。
「……あぁ、あれはクレープ屋というものだ。甘い菓子のようなものだ…………食べたいのか?」
甘い菓子と聞いた瞬間の自分の顔から読み取ったのか、夫はそう聞いてきた。
「……食べたいわ」
欲望には逆らえない。
ましてや食べた事のないものなら、尚更だ。
気が付けば夫の手を引いて、自分は駆け出していた。