続いてのニュースです。
今冬木市では、桜の木の下で行われるお花見がブームに————
「……オハナミ?」
いつもの日課である家事を終え、休憩がてらテレビをつけて観ていると、そんな音声が耳に入ってきた。
ニホン語はまだ完全ではないため、聞き逃しや聞き間違いがあったかもしれないが、確かに今オハナミという単語が聞こえてきた。
「オハナミ……確か何処かで」
うーん、と頭の記憶の引き出しを開けては閉めてを繰り返して、該当するものを探していく。
確かニホンに来る前、ニホンの事を知ろうと読み耽った雑誌の中でそんな単語を見かけた気がするが……
「えっと、確かまだ部屋に……」
記憶が正しければ、その雑誌はまだある筈だ。
自分と夫の部屋の扉を静かに開け、本棚としばらくにらめっこをする。
そして目的のものが一番上の棚にある事に気が付いた。
「…………届かない」
全く自慢にならないが、私の背はお世辞にも高いとは言えない。
なけなしの筋肉を使って、踵を上げ腕を伸ばすが、それでも届かない。
仕方なしに椅子を引っ張ってきて、踏み台にする。
そして目的のものを確かに掴み取り、椅子から降りた時には既に私の身体は悲鳴をあげ始めていた。
たった一冊の本を取るだけでこんなにも体力を消耗してしまう。
よく今まで生きられていたなと不思議なくらいだ。
まぁ、実際疲労で倒れた事なんて数えられないほどあるのだが。
しかしこの感覚にはもう慣れている。
なに、少し座って休めば問題はないだろう。
踏み台に使った椅子に腰を掛け、ペラペラと本をめくり出す。
「確かこの辺……あった」
目的のページにはしっかりと付箋があった。
流石過去の私、こういう興味がありそうなものにはマーキングをする癖があって良かった。
オハナミ……いわゆる花を眺める事を楽しむ、ニホン古来の風習らしい。
それにどんな意味が込められているのか、何の目的があるのかは残念ながら私には理解できない。
しかし、この本の文章や挿絵にあるように、『楽しい行事』という事だけは何となくわかる。
「…………」
ふと、本の挿絵……おそらく家族を模して描かれているのだろう絵が不思議と目に焼き付いていく。
これはあくまで絵だ、だというのに私はその絵がひどく羨ましく感じた。
「…………うん、最近調子が良いし、今がチャンスよね」
そうして私はある事を決意した。
さらに偶然か奇跡か、このタイミングで玄関の扉が開く音と、夫の声が耳に入ってきた。
「————綺礼さん、綺礼さん!」
そして言うなら今このタイミングしかない。
「どうした、夫の帰宅に対する返事のひとつもせずに、犬のように興奮して」
さりげなく犬扱いをされるが、今はあえて無視する。
でなければ、タイミングを逃してしまうだろう。
「お花見! しましょう!」
「…………花見?」
「……それで、何故私まで巻き込まれなくてはならないのですか?」
「別に良いじゃない、家族みんなで楽しむのがお花見なのよ」
「なら母よ、貴女とゴミ神父二人で楽しめば良いじゃないですか。もしくは私と二人で」
「なんでカレンは頑なに三人で過ごすのを拒むの……?」
何故か最近のカレンは夫を理由もなく敵視する。
もしやこれが反抗期という奴だろうか?
昔は夫の肩車にキャッキャと喜び、もう一度やれと自分からせがむ程だったというのに。
ある日の日曜日。
今カレンと二人である公園に来ている。
そう、他でもないお花見をするために。
「……流石に休日ということもあって人が多いですね。地を這い回る蟻みたいです」
「もっと他に良い表現があると思うんだけど……それより他に見るべきものがあるわよ。ほら、綺麗な桜が満開よ」
きっとここにいる人達も私達のようにお花見を楽しみに来ているのだろう。
「どうせあと一ヶ月もしないうちに全て舞い散る運命です。花は散り際が美しいと言いますが、散った後は全く誰も関心を抱かないのは何故でしょうね。人間の愚かさがそれとなく分かる言葉です」
「カレン、お母さんはそんな哲学のような感想は求めてないわ。もっと普通に、綺麗だとか可愛いだとかそういうのを聞きたかったんだけど……」
流石というべきか。
カレンは容姿こそ私に似ているが、その中身はどちらかというと夫似だ。
……もしやカレンが夫に対して反抗期なのって、同族嫌悪的なものなのだろうか。
「それよりあの泥神父はどうしたのです? 今朝はあの男だけ先に出て行ったようですが、まさかバックれましたか?」
「あぁ、綺礼さんなら先に場所取りをしてくるって」
なんでも花見をするには、予め場所を確保しておかなければならないらしい。
確かにこれだけの人がいるのだから、早めに確保しておかなければ座る場所すら得られないだろう。
そんなわけで、夫は朝早くにレジャーシートを抱えて家を出たというわけだ。
「成る程、ではあの男は私達が到着した瞬間、用済みになるということですね」
「ならないわよ……」
せっかく朝から頑張ってお弁当も三人分作ってきたのだ。
無駄にはできないし、私とカレンだけでは間違いなく食べ切れない。
「さぁ、早く綺礼さんを見つけましょう。あの人は目立つから、きっとすぐに見つかるわ」