キレイなアサガオ   作:よっしゅん

8 / 12


 

 

 

 

 

 母が好きだ。

 母がどうしようもなく、好きだ。

 真っ白な肌も、髪も、片方しかない瞳も、骨と皮しかない身体も、その在り方も生き様も、全て好きだ。

 いつ散ってもおかしくないその命で、健気に生きて、懸命に愛を与える母が好きで好きで仕方ない。

 

『カレン』

 

 母に名前を呼ばれるのが好きだ。

 触れれば簡単に壊れそうなか弱い声で、精一杯張り上げるその声が好きだ。

 

『重くなったわね……もうお母さんは持てないかも』

 

 母に抱っこされるのが好きだ。

 残念ながらそれはもう叶わぬ願いだが、好きだった。

 

『怖い夢でも見たの? ならお母さんが一緒に寝てあげる」

 

 母と寝るのが好きだ。

 その頼りない腕で抱き締めてくれる感覚が、好きだった。

 

 

 

 

 母は弱くて、強い人間だった。

 どんなに苦しい目にあっても、どんなに痛い思いをしても、母は母であり続けた。

 ベッドで何日も寝たきりかと思えば、子どものように外ではしゃぐ時もある。

 いつだって笑顔を忘れず、それでいて悲しい時は涙を流す。

 そんな母が誰よりも人間らしいと私は思った。

 

 ある日、ふと思った事を母に聞いてみた。

 

『どうして私を産んだのか』と。

 

 お世辞にも母の身体が出産に耐えきれられるものだとは思えない。

 実際、私を無事に産めたのも奇跡に近かったらしい。

 しかし、奇跡とはいえ母はその時命を落としかけたとも聞いた。

 何故、そこまでして産もうと考えたのか。

 気付いていなかったわけではない筈だ。

 仮に望まない妊娠だったのなら、その時点で諦めれば済む話だ。

 では何故なのか、当然の疑問だった。

 

 そして母は、少し照れくさそうに答えた。

 

『愛したかったから』

 

 ただそれだけの、一言だった。

 それなのに私はそれ以上、何かを言う事はできなかった。

 それが嬉しさからくるものだったのか、理解できない故の諦めだったのかは未だにわからない。

 

 

 

 

 母は不幸な人間だ。

 その生まれも、人生も決して楽なものではなかった。

 しかし母はそんな不運を怨みはせず、それを誤魔化すようにいつも笑っていた。

 何故だ。

 何故母はあんなにも健気に、精一杯生きているのに、こんなにも不幸なのだろうか。

 どうして母が苦しまなくてはいけないのか。

 わからない、それだけがどうしてもわからない。

 どうして、どうして———

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どうして、母が『死ななくてはならない』?

 

 その疑問が、ずっと頭に残る。

 冷たい雨の感触を全身に味わいながら、目の前にある母の名が刻まれた墓石を見ていると、その疑問がぐるぐると回る。

 

 これはわかっていたことだ。

 覚悟ができていたはずだ。

 極端に言うと、母はいつ死んでもおかしくない人間だった。

 だから別れは突然来るだろうと、わかっていた。

 だというのに、何故今更こんな疑問が私を苦しめるのだろう。

 

 何故、何故と。

 あれだけ頑張った母が、苦労に見合うだけのモノを得たとは思えない。

 母はもっと幸せになるべきだった。

 今からでも遅くなかった。

 母のこれまでの人生が不幸だったなら、これから幸せにしていけば良いと。

 そう思っていた、そう願っていた。

 もしこの世に本物の『聖杯(願望器)』があったとしたなら、それが自らの手にあったのなら。

 それに縋りたいと思うほど、私は母を幸せにしてあげたかった。

 

『風邪をひくぞ』

 

 耳障りな声が背後からした。

 この男は変わらない。

 母が死んでも変わる事はない。

 母があれだけ尽くしたというのに、この男は最後まで変わる事はないのかもしれない。

 そう思うと、無性に腹が立つ。

 

『そこに突っ立っていても、何も変わらないぞ』

 

 五月蝿い。

 

『いくら待っても、生き返りはしない』

 

 五月蝿い、五月蝿い。

 煩わしい。

 その鬱陶しい声を止めろ。

 

『お前の母親はもういない』

 

 止めろ、止めろ、止めろ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ———目覚ましの音が響いた。

 それをいつものように、手慣れた手つきで止めた。

 まだ呆けている頭で、何故こんなにも寝汗がひどいのか、この何とも言えない不快感は何なのかを考えた。

 そしてすぐにわかった。

 私は悪夢を見ていたのだと。

 

 そう理解するや否や、ベッドから飛び起き、部屋の扉を乱暴に開け部屋を出た。

 二階から一階へと降りる階段を一気に駆け下り、私は居間へと飛び込んだ。

 

「———おはようカレン。今日は朝から元気みたいね」

 

 母がそこにいた。

 いつものように、笑顔の母が。

 

「あら、どうしたの? 怖い夢でも見た?」

 

 そして母の細い身体に抱きついた。

 抱き心地としては正直微妙だが、私はこの感触が好きだ。

 いつまでも、いつまでもこの感触を味わっていたい。

 そしていつまでも、私にとってのこの『幸せ』が続きますように。

 母の幸せがおとずれますように———

 

 

 

 

 




とりあえず次回で最終話とさせていただきます。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。