謎解きはディナーのあとでを性別逆転で 作:さくらい
最近はNシステムとかいう、車のナンバーを自動で読み取る装置が至る所に設置されているらしい。
だから私は、自家用車に乗るのは避けて自転車を使う事にした。
自分の車で目的地に向かえば、事件発覚後、もしも私の車の動向を捜査された時、私が犯人だということは簡単にバレてしまう。それは避けなければならない。
途中、信号待ちしながら、前カゴに入れたバッグの中身を確かめた。
手袋をしたままの手をバッグの中に突っ込むと、ハンマーの硬い感触があった。
私は今日、このハンマーで彼を殺す。
彼の恋人は私だった筈なのに、ずっと二人でいられると思っていたのに、彼はあいつと婚約してしまった。
何ヶ月も前から、あいつが彼に色目を使っていることはわかっていた。でも、彼があいつに靡く事はないと、私はそう思って安心していた。
なのに、それなのに、彼は私を捨ててあいつを選んだんだ。
婚約したのは二週間前らしい。そして、そのずっと前から、私に黙ってあいつと付き合っていたんだ。
確かに最近、彼の態度には違和感があった。
逢いたいと言っても断られることが増えたし、私を見つめる瞳には申し訳なさそうな、隠し事でもありそうな怯えの感情があった。
付き合い始めた頃から、彼はいつも堂々としていて、私は自信に溢れた精悍な彼の姿しか見た事がない。
けれど最近の彼は、行き場をなくした迷子のように力の無い表情をしている事が多かったのだ。
先週、安っぽいホテルの一室で私は彼に、何か心配事があるなら言ってほしい、と伝えた。
しかし、恋人の力になりたいという純粋な想いは、彼の、「婚約者ができた」という言葉に撃ち砕かれた。
彼は伏し目がちに、叱られた子供みたいな態度で萎縮していた。
「違うんだ、婚約といっても、殆ど愛の無い婚約なんだ」
彼の言葉はその場凌ぎの言い訳としか思えなかったし、『殆ど』という部分が気になった。
殆ど無い、という事は、逆に言えば少しはあるということだ。あいつを、少しは愛しているということだ。
それに、愛があるかどうかなんて重要な問題じゃない。婚約したということが、あいつと結婚するということが問題なんだ。
私は、彼との結婚を望んだことはない。彼にも、結婚願望なんかないと思っていたのに、よりにもよってあんな女に彼を取られるなんて、我慢がならなかった。
先週の彼の告白を思い返しているうちに、目的のホテルに着いた。
私は自転車を路上駐車して、ホテルの側面にある小径に回り込んだ。馬鹿正直にエントランスから入るような真似はしない。
ホテルの側面には、外から歩いて地下駐車場に入れる階段があった。
階段を降りた先には扉が二つある。一方は、地下駐車場へ行く扉。もう一方は、ホテル内部の非常階段へ続く扉だ。
チェックインは彼が既に済ませているので、私がフロントに行く必要はない。非常階段を使えば、防犯カメラに映らないルートで部屋まで行けることは把握していた。
階段にもいくつか防犯カメラらしきものは設置されているが、これは全てダミーカメラだ。
このホテルは、宿泊料が安い事だけがウリの貧相なホテルだった。恋人との逢瀬に使うようなホテルではないが、私と彼が逢う時はいつもここを利用していた。
もっと高級なホテルに泊まりたいと思ったことがないわけではないが、今はこのセキュリティ意識の低い安ホテルに感謝している。
彼の待つ部屋に着いた私は、コンコン、と扉をノックした。
「やあ、待ってたよ」
扉を開けて迎え入れる彼の表情は、最近には珍しいとびきりの笑顔だった。
先週、婚約という隠し事を告白した彼は、「これからも君との関係は続けていきたい」とムシのいいことを言った。
私は、冗談じゃない、馬鹿にしているにも程がある、と反感を覚えた。
しかし、その内心を態度や言葉には出さず、「じゃあこれからは、私は貴方の愛人だね」と言って微笑んであげた。
彼は心の底から安堵したように嘆息し、私をそっと抱きしめたが、そのとき既に私は、彼を殺す決意を固めていた。
今日も、安ホテルの貧相な調度品達が私を迎えてくれた。いつもは気にならないその安っぽさが、彼が私に向ける愛情の浅さを表している気がして不愉快になる。
バッグを小さな冷蔵庫の上に置いて、冷蔵庫から缶ビールをひとつ取り出した。
この冷蔵庫の中身は、味の薄いビールだけだ。
部屋に備え付けられた四つ脚テーブルの、ドアに近い側の席に缶ビールを置く。そして私はその対面の椅子に腰掛けた。
彼も椅子に座り、私が置いてあげたビールを手に取った。プルタブを引いた時のカシュッという音が、酷く耳障りだった。
「君は、飲まないのかい?」彼が訊く。
私は無言で、首肯だけで応えた。
最後の、審判の時だった。
私は彼に、どうしてあの女と婚約したのかを訊ねた。
彼は苦虫を噛み潰したような顔になる。その話は納得したんじゃなかったのか、とでも言いたそうだ。
「それは当然、病院長の椅子に座る為さ。わかるだろう? 慈愛九条グループは親族経営だ。九条院長の娘である彼女と結婚すれば、僕は次期院長の有力候補になる」
病院長の椅子、とやらは私よりも魅力的なのか。彼は国分寺市で一番腕が良いと評判の外科医だ。それでいいじゃないかと思う。
出世なんかしなくても、現場でバリバリ働いている彼が好きだった。
「婚約を解消する気は無い?」
「……無いよ。今さら婚約解消なんかしたら、次期院長候補どころの話じゃない。今の職場にすら居られなくなる」
最後のチャンスを、彼は不意にした。
私は椅子から立ち上がる。私がこの椅子に座ることはもう二度と無いし、彼が病院長の椅子とやらに座ることも無い。
彼は、今ここで死ぬ。私が、殺す。
「今日は、もう帰るのかい?」
「ビールを取りに行くだけ。やっぱり、私も飲もうかなって」
彼は、「そう」と呟いてビールを一口飲んだ。
私は、彼の背後にある小さな冷蔵庫に向かって歩く。そして、冷蔵庫の上に置いたバッグから、ハンマーを取り出した。
ハンマーを後ろ手に隠して、彼の背後から足音を消して近づいていく。
彼は、私が凶器を持っているなどとは微塵も思っていないのか、全く振り向く気配がない。
あと一歩踏み出せば、ハンマーが届く間合いというところで、私は足を止めた。
心の中で、さようなら、貴也さん、と呟く。
私は、ダンッと勢いよく踏み出して、ハンマーを水平に振り抜く。
彼の無防備な後頭部に硬いハンマーが当たり、骨が砕けるような鈍い音が響いた。
振り抜いたハンマーは手からすっぽ抜けて、部屋の隅に飛んでいった。指紋が残らないように手袋をしていた所為だ。この手袋は防寒用で、滑り止めなどは付いていない。
椅子からどさりと崩れ落ちた彼は、くぐもった声で呻いた。
彼は激痛と困惑で意識が朦朧としているのか、意味の掴めない言葉を零しながら、うつ伏せの状態で、死にかけのナメクジのようにズルズルとドアの方へ這いずっていく。
どうやら、一撃では殺しきれなかったようだ。
私はあまり体格が良くないし、子供の頃からスポーツなども殆どしてこなかったので、とても非力だ。
流石にハンマーを使えば一撃で殺せると思っていたのだが、うまくいかないものだ。
床を這いずる無様な彼の姿をこれ以上見ていたくない。すぐに楽にしてあげよう。
一瞬、部屋の隅に転がっているハンマーを取りに行こうかと思った。しかし、足元の彼は既に虫の息だ。これなら、ハンマーはもう必要ない。
私は彼の傍に膝をつき、首からネクタイを外した。
ネクタイを彼の首に巻き付けて、全力で絞めつける。
彼は首に巻き付くネクタイをなんとか解こうと必死に抵抗して、自身の首を爪で引っ掻く。
非力な私とはいえ、瀕死である彼の腕力には優っている。
数十秒程で彼の腕は床に、力無くだらりと落ちたが、息の根を完全に止める為に、その後も数分間、私はネクタイを持つ手に力を込めた。
最後にもう一度、今度は言葉に出して、「さようなら、貴也さん」と呟いた。
ボクの一日は、爽やかな目覚めと共に始まる。
中世の王侯貴族が使用していた物よりも、さらに豪華絢爛なベッドで目を覚ましたボクは、上半身を起こし、両腕を広げて深呼吸した。
ベッドの天蓋から垂れ下がるカーテンを引き、ダイヤが散りばめられた壁掛け時計を見れば、時刻は午前六時半。
さあ、さっさと起きて準備をしないと、仕事に遅刻してしまう。ボクはベッドから立ち上がり、ふかふかのペルシャ絨毯の上を滑るように歩いてウォークインクローゼットに向かう。
クローゼットには、アルマーニやバーバリーやグッチなんかのスーツが何十着と並んでいる。
ど〜れ〜に〜し〜よ〜か〜なぁと歌いながら、その中の一着を適当に選んだ。まあ、別にどれでもいいのだ。
しがない地方公務員たるボクが着ているスーツが、たとえアルマーニだろうがなんだろうが、職場の同僚たちは気にしない。
というか、アイツらにはアルマーニと、量販店で売っているセール品の区別がつかない。
だからどうせ、どのスーツを着たって同じなのだ。
ボクはバーバリーロンドンのシックなスーツに身を包み、ジョルジオアルマーニの伊達眼鏡を掛けて部屋を出た。
ドアの向こうには、クラシカルなメイド服を着た、細身で長身の女性が佇んでいた。
「おはようございます、れーさま」
「ああ、おはよう」
ボク、宝生麗を『れーさま』などという気が抜けた発音で呼ぶこの女は、ウチで雇っているメイドの影山だ。
しがない地方公務員の家に、何故メイドがいるのかというと、別に大した理由はない。ボク自身は地方公務員だけど、ウチ、宝生家は、超絶お金持ちの家ってだけの話だ。
ボクの父は、我が国が世界に誇る超巨大複合企業組織『宝生グループ』の総帥である、宝生清太郎だ。
正直に言えばボクは、宝生グループの傘下企業にでも入社して、日々適当に働いていれば、その内どんどん出世していくという楽チン人生を歩むこともできるのだ。
しかし、ボクにはとある夢があったので、その夢を叶える為に、楽な道を放棄して地方公務員という道を選んだのだ。
全く、損な生き方をしていると、自分でも思う。
洗面を済ませたあと、朝食を摂る。
だだっ広いダイニングに置かれた、全長二十メートルはあろうかという長テーブルの端っこ、俗に言うお誕生日席に腰掛けたボクは、影山が運んできたサンドイッチに舌鼓を打つ。
このサンドイッチは影山が作ったものだ。お金持ちだったらもっと良い物食べろよ、なんて言われるかもしれないが、サンドイッチに挟まれている具は、A5ランクの神戸牛を贅沢にもカツにした牛カツだ。多分これと同じ物をお店で食べれば、福沢諭吉が財布から飛んでいくんじゃないかな。
しかし、まあ、なんというか、美味しいことは美味しいのだが、一言だけ言いたいことがあった。
影山が丹精込めてせっかく作ってくれたものに文句を言うのは悪いのだが、ボクは傍に控えて立つ彼女を振り返って、「影山、朝から牛カツサンドはキツい」と零した。
「まあ、れーさま。刑事は身体が資本ですわ。牛カツサンドのひとつやふたつ、ペロリと平らげないでどういたします」
刑事だって、朝から牛カツは食べないと思うよ。それに、ボクは脂身の味が強いA5ランクよりも、A4ランクくらいの程よく赤身の割合が多い肉の方が好きだし。
「れーさま、ファイトですわ。刑事としての激務に耐えるため、牛カツを食べて事件にも勝つのです」
センター試験の朝にトンカツを食べる受験生じゃないんだから、妙な験担ぎをさせるのはよしてほしい。
ところで、さっきから影山が言っている通り、ボクの職業は刑事だ。
日夜凶悪な犯罪者どもと戦い続けるボクにとって、栄養摂取も仕事のうちと言って良い。
仕方なく、凶悪な牛カツサンドと戦い、辛くも勝利した。
朝食を終え、しっかり歯も磨いたあと、リビングのソファで寛ぐ。
新聞の社会面に目を通していると、スーツのポケットにしまっていたスマホが鳴った。
取り出して着信先を確認してみる。画面には『風祭警部』と表示されていた。
やっかいな女の名前を見て深い溜め息が出るが、上司の電話をシカトするわけにもいかないので、嫌々ながら通話キーをタップした。
「おっはよーっ、宝生君。元気〜?」
「うっ……おはようございます」
朝っぱらからテンションの高い風祭警部の声が、ボクの左耳の鼓膜を揺らす。
思わず、うっせぇバーカ、と言いそうになった。
しかし、彼女の階級は警部で、ボクの階級は巡査部長なので、迂闊に罵るわけにもいかない。
警察の階級制度を全く知らない人なんかは、警部と巡査部長ってどっちが偉いの、と疑問に思うかもしれない。
残念ながら警部という階級は、巡査部長よりも二階級も上なのである。
ボクが彼女と同階級に上がるには、地道に勉強して昇進試験に二回合格するか、殉職して二階級特進するしかない。
殉職は御免なので、彼女に、うっせぇバーカと言える日は遠そうだ。
「あのねぇ宝生君、国立リッキティホテルの客室で遺体が発見されたんだって」
「遺体発見ですか」
「うん、明らかに他殺とみられる痕跡があるらしいよ。あたしたちの出番だよ、スピード解決しちゃおうね」
スピード解決、などと嘯く風祭警部だったが、彼女が活躍しているところなど見たことがない。
「今日は署には来ずに現場直行でいいよ。リッキティホテルの場所わかる?」
「はい、大丈夫です」
正直に言えば国立リッキティホテルの場所なんて知らないが、どうせ影山に車で送ってもらうので、ボクは知らなくてもいいのだ。
「じゃ、そういうことで頼むね」
「了解しました」ボクは、電話越しだというのに、ついつい条件反射で敬礼のポーズを取ってしまった。
通話が切れたので早速影山に、「国立リッキティホテルに向かう。車を出してくれ」と指示した。
影山は、「了解しました」と言ってビシッと敬礼した。おい、なんだお前、普段は敬礼なんかしないくせに、からかってんのか。
電話越しにお辞儀しちゃうサラリーマンとかよく居るだろ。電話越しに敬礼しちゃう刑事が居たっていいじゃないか。
影山の運転するリムジンに乗って、ボクは現場に向かう。
何故メイドが運転しているのかといえば、それは彼女がメイド兼運転手だからに他ならない。
丁度ボクが大学を卒業する頃に、メイドとして雇ってほしい、と何処からかふらっと宝生家に現れた彼女は、炊事洗濯掃除はもちろん、車の運転に護身術に野球に、さらには推理まで得意だというスーパーユーティリティメイドだった。
ただ、護身術と野球と推理に関しては、彼女の実力を未だ確かめた事はないので、ちょっと眉唾物だと思っている。
本人の談では、「女子プロ野球選手になるか名探偵になるか散々迷った挙句、名プロメイドになったのです」との事なのだが、名プロメイドってなんだ。
よくわからないので詳しくは聞いてない。
大体、名探偵なんてものはミステリの中にしか存在しないのだ。ボクはまだ刑事課に配属されて日が浅いが、今まで名探偵のような推理力が必要な、ミステリ的難事件に遭遇した事はない。
事件はいつだって、刑事が地道に頑張って、足で稼いだ情報によって解決される。
「影山、いつも通り目的地の少し手前で降ろしてくれ。そこからは歩く」
ボクが宝生家の人間である事は、風祭警部も含めて、同僚たちには明かしていない。
現場にリムジンで現れるわけにはいかないのだ。
「かしこまりました、れーさま」
ところで、その『れーさま』っていう気の抜けたアクセント、なんとかなんない?