謎解きはディナーのあとでを性別逆転で 作:さくらい
国立署を出たボクは、署から少し離れた場所まで歩いた。
いつも通り其処には、リムジンの傍ら、後部座席のドア前に立つ影山がいた。
彼女は洗練された美しい動作でドアを開ける。相変わらず、見惚れるくらい見事だ。ドアの開閉だけで人を感動させるなんて、名プロメイドを自称するだけのことはある。名プロメイドの意味はわからないけれど。
広々としたリムジンの後部座席に乗り込んだボクは、ごろんと横になる。それなりに長身のボクが寝転んでも、シートにはまだまだ余裕があった。
「れーさま、お行儀が悪いですわ。椅子は座るものにございます。おやめくださいませ」リムジンを発進させながら、影山は言った。
「うるさいなぁ、君はボクの母親か」
「母親などと、そんな恐れ多い。親しみを込めて、お姉様♩と呼んで頂く分には構いませんが」
「誰が呼ぶか」
そういえば、影山って何歳なんだろう。お姉様とか言ってるからには、ボクよりは歳上なんだろうが。
ボクは身体を起こして影山に視線を向けた。彼女は背筋を伸ばして、姿勢良くハンドルを握っている。
「影山って歳いくつだっけ?」
「れーさま、女性に年齢など訊ねるものではありませんよ」
「いーじゃん、減るもんじゃなし」
「減る事は無くとも、増える事はあるのが年齢というものでございます」
「へいへい、左様でごさいますか」
やっぱり女性心理ってのは難しいね。このボクにすら、完璧には理解しきれないよ。
こんなんじゃ、今回の事件の犯人捜しは難しいな。
なんせ今回は犯人捜しというより……
「……恋人捜し、か」
「恋人探しでございますか? れーさま、そんな、色気づいたマセガキのような事をおっしゃって、どうなさったのです?」
「はあっ!? マセガキがなんだってっ?」
突然失礼な事を抜かした影山に、ボクは食ってかかる。誰がマセガキだっ、とっくに成人してるよっ。
「いえ、対向車線を珍しいマセラティが走っていましたので、ついつい驚いてしまいました」
どういう言い訳だよ。マセガキとマセラティを言い間違えるわけないだろ。当然、ボクの聞き間違いでもない。
「言っとくけど、恋人っつってもボクの恋人じゃないからな。事件の犯人が被害者の、恋人というか愛人というか、そういう男女の仲にあった相手らしいから、被害者の恋人を捜さないといけないんだよ」
「それはそれは、大変意義のある、難しいお仕事にございます」
赤信号で停止しながら、影山は深く頷いた。
そうなんだよね、難しい仕事なんだ。どうやら三上貴也は、職場では恋人の存在を完璧に隠していたらしい。
「なあ、影山、被害者がその存在を隠していた恋人を見つける方法って何かあるかな?」
「隠していた恋人を、でございますか? れーさま、わたくし事件について何も把握しておりませんので、その質問にはお答え致しかねます」
「いや、別にそんな、しゃちほこばらなくていいんだ。適当に訊いてみただけだし」
探偵になるかメイドになるか迷ってたって話だから、なにか参考になるかもと思って訊いただけだ。
「事件について詳しくお話しくだされば、この影山、なにかお答えできるかもしれません。どうでしょう、れーさま、事件の詳細をお教え頂けますか?」
本来、捜査中の事件については身内にも情報を洩らすわけにはいかないのだが、影山は風祭警部と違って、口の固いメイドだ。
それに、他人に話すことで、ボクも捜査状況を整理できていいかもしれない。
ボクは運転席の影山に向かって、今朝のホテルでの遺体発見から始まる事件捜査を、詳しく話した。
微に入り細に入り説明したせいで、証拠物件管理室にて、風祭警部が被害者の遺留品から、ホテルのポイントカードを発見して大笑いした事を話す頃には、既にボクらは宝生邸に帰り着いていた。
かたっ苦しいスーツからラフでカジュアルな部屋着に着替えたボクは、窓から国立の夜景が一望できる広間のソファに座り、影山が淹れてくれた紅茶を飲んだ。
ティーカップを干してソーサーに置き、姿勢良く立っている彼女を見遣る。
「んで、事件について、何か意見はある? 影山」
「そうですね、一応申し上げたいことはございますが、その前に、れーさまの推理もお聞かせください」
ボクの推理だって? 正直言って、推理しようにも未だ手掛かりが足りない。
病院内の人間をしらみつぶしに訊き込んだものの、これという決定的な情報は出てこなかった。
情報が出てこなかったという結果を素直に受け入れるならば、つまり、病院内の人間には知り得ないものが恋人、今回の犯人ということになる。
ミステリ小説ならば、犯人はこれまでに登場した誰か、もしくは、少なくともその存在を示唆されている人の中から現れないと、読者から顰蹙を買うかもしれない。
しかし、これは現実の事件なのだから、犯人はまだ見ぬ誰か、影も形もない人物という事も充分にあり得る。
「三上貴也の恋人は、病院内にはいない。捜査範囲を、病院関係者の外に広げる必要がある。これがボクの推理だ」
自信を持ってそう言い切ると、影山は口許を掌で隠し、瞠目した。
もともと大きな目を見開いた事で、さらにぱっちりした猫目になる。
「成る程、れーさまの迷推理には、この影山、頭を抱える思いでございます」
ふふ、そうだろう。ぼくの名推理には影山も頭を……あれ? なんか可笑しいな。
感服した時の表現は、『頭を抱える』ではなく、『頭が下がる』じゃないのか。
「影山、もしかして国語の成績あまり良くなかった?」
「いえ、誇るほどではありませんが、然程悪くなかったと記憶しております」
「そうか、でも、『頭を抱える』の意味は間違って覚えているようだな」
「いいえ、間違っていません。『頭を抱える』という成句の意味は、途方に暮れて考え込む、困り果てる、ということでございます。わたくしの今の状態をよく表しているかと」
へえ、なんだ、ちゃんとわかってるのか。わかってて、ボクの推理に対して、頭を抱えるなんて言ってるわけだ。
ふふっ、おっかしい。いや、ホントおかしい。
「影山っ! ボクの推理が間違ってるって言うのかっ!」
「はい、間違いも間違い、大間違いでございます。いいですか、れーさま、九条家は宝生家ほどでは無いとはいえ、それなりの名家です。入り婿をとる際には探偵、興信所の類いを雇うに決まってます」
探偵を雇う、か。確かにそうかもしれない。現実の探偵の仕事は、犯罪事件の解決ではなく、素行調査なんかが主だ。
慈愛九条グループの中枢である九条家に名を連ねようというなら、探偵によって調査くらいはされるだろう。
「……そうか、九条陸三郎が、三上貴也が浮気しているなど信じられないと言ったということは……」
「はい、病院に関係ない人間と接触していれば、まず間違いなく素性を洗われています。九条陸三郎が三上貴也の相手の存在を把握していないならば、恋人との忍び逢いは極力、病院内で仕事を装って行われたのでしょう」
「でも、ホテルでの密会は? 国立リッキティホテルなんかに入るところを見られれば、一発で浮気がバレると思うんだけど」
「探偵の影を感じているうちは、ホテルを利用するのは控えたのでしょう。まあ、わたくしの予想だと、他の場所でデートくらいはしていたと思いますが」
デートはしていたのに、浮気はバレなかった?
どうしたらそんな事になるんだ、よっぽど無能な探偵を雇ったんだろうか。
「……それにしても、れーさまの洞察力、観察力の無さと来たら、風祭警部以下でございます」
「なんだってっ! 言うに事欠いて、風祭警部以下だとーっ!」
風祭警部以下って、それ、その辺の小学生より間抜けってことじゃないか!
推理が間違いというのは、百歩譲って認めよう。でも警部以下というのは認められないっ!
「なんでボクが風祭警部以下なんだよ。理由を言え」
「事件を解くヒントは、全て風祭警部が見つけてくれました。風祭警部が居なければ、この影山にも、事件の真相は解明できなかったでしょう」
風祭警部がヒントを見つけた? どういうことだろう、あの人は今日も余計なことしかしていなかったと思うが。
いや、というか、影山は今なんて言った?
『風祭警部が居なければ事件の真相は解明できなかった』ということは、逆に言えば──
「影山、お前、犯人がわかったのか?」
「無論でございます。むしろ、何故れーさまにはわからないのか、理解に苦しみます」
理解に苦しむときたか。こいつ、意外と毒舌だな……しかし、そこまで言うなら、その推理を聞かせて貰おうじゃないか。
「影山、一体犯人は、三上貴也の恋人は誰なんだ?」
ボクがそう訊ねると、影山はふわりと柔らかく微笑む。
そして、スカートを軽くつまみ、片足を後ろに引いて、もう片方の脚の膝を軽く折り曲げた。
綺麗な、教科書通りのカーテシーだった。現代では、バレエダンサーやフィギュアスケーターくらいしか、こんな見事なカーテシーは出来ないだろう。実際、ボクには出来ない。
「れーさま、そろそろお腹が空きましたでしょう? わたくしの推理を語るにも、少々準備したいことがございます」
推理を語るのに、なんの準備が必要なんだろうか。
「謎解きは、ディナーのあとにいたしましょう」
よくわからないが、空腹なのは図星だったので、ボクは大人しく頷いた。
準備が必要、などと言った割には、影山はいつも通り給仕をして、食事中もボクの傍に控えて立っていた。
「影山、準備とやらはしなくていいのか?」
「それについては、黒服たちに頼んで参りました。わたくしが自分で動く必要はございません」
黒服たちに、なにを頼んだんだろう。まあ、それを聞くのはディナーのあとでいいとして、ボクはとりあえず、お腹を満たす作業に取り掛かった。
パンプキンキッシュ、ジビエのコンソメ、ゲランド塩のバゲット、サワラと腰折り海老のポワレ、鴨肉のローストなどのささやかなコースメニューを食した後、ボクは影山の方に椅子ごと向き直して、その相貌を正面から見つめた。
「さあ、ディナーは終わったし、推理を語って貰おうか」
「ええ、では僭越ながら、わたくしの思惟の結果をお聞きください」
彼女は少しだけ口角を上げると、指を一本立ててから言った。
「今回、大事な情報は全て風祭警部が見つけてくれました。御自分のことをそこそこ優秀だと勘違いしているれーさまと違って、中々に優秀な方でございます」
はあっ!? なに言ってんだこのアホメイドっ! ボクは自分の事をそこそこ優秀なんて思ってないぞ! 超優秀な敏腕刑事だっつーのっ!
「まず、一つ目の重要な点は風祭警部が発見したホテルのポイントカード。そのポイントは、優に数年分も溜め込まれて居たとか。何故そんなにポイントが貯まっているのでしょう?」
「はあ? そんなもん何年も通ったからに決まってるだろ」
ボクが、当たり前だろ、というニュアンスを滲ませて言うと、影山は一つ溜息。
「何故、国立リッキティホテルのような貧相なホテルに何年も通ったのか、というところが疑問なのでございます。三上貴也は大病院の勤務医、高給取りなのですよ」
「そりゃ、高給取りでも、ケチな人はいるんじゃないの」
「ケチな守銭奴というならば、リッキティホテルを使うのはおかしいのです。あのホテルはリーズナブルといえど、一応は普通の宿泊施設。恋人との秘め事を果たすだけならば、もっと安い場所がございます。日本語でいうところの、愛の宿泊所、連れ込み宿」
「ああ、ラブホテ──」
「まあ! れーさま、ラブホテルなどと言葉に出してはいけません! はしたないですわ!」
自分は言葉に出してるじゃないか。そもそも、こいつボクの歳を幾つだと思ってるんだ。幼い少女じゃあるまいに。
「それに、お金を使いたくないなら、デートには自宅を使えばいいではありませんか。三上貴也の自宅は高級マンションです。リッキティホテルの内装よりは、リッチでセレブリティでしょう」
「えっと、マンション・クジョーには九条二葉も住んでるから、鉢合わせて浮気がバレないように、とか」
「れーさま、時系列がおかしくなっていますよ。九条二葉が三上貴也に想いを寄せたのは数ヶ月前、貯まったポイントは数年分ですわ」
ああ、そうか、三上貴也は九条二葉と付き合い始める前から、リッキティホテルに通っていたんだ。
「九条二葉が関係なく、三上貴也がケチでもなかったというなら、何故彼はリッキティホテルなんか利用していたんだ?」
「それは、彼の恋人が、その存在を誰にも知られてはならない相手だったからです」
誰にも知られてはならない相手、というと、どういう人だ?
「高級ホテルやラブホは、病院関係者が利用するかもしれませんし、自宅は同僚たちの目があるマンションですから、いつ鉢合わせて恋人の存在を怪しまれるかわからない。その点、近場で貧相な安ホテルならば、露見の可能性を極力抑えられます」
「それはわかるけど、そこまで隠さなきゃならない相手って誰だよ。そもそも、いくら三上貴也が隠そうとしても、相手の人が納得しないんじゃないか? 『私と付き合ってることを隠すなんて、浮気でもするつもりか』って、怒ると思うよ、普通は」
「そう、普通ならそういう風に怒るのかもしれません。しかし、この相手は普通ではないので、二人の関係を隠すことに納得していたのです」
日本は諸外国に比べて、まだまだ遅れているということかもしれません、と影山は悲しそうな表情で呟いた。言葉の意味も、表情の意味も、ボクには理解できなかった。
「さて、それを踏まえた上で、二つ目の重要な点について推理してみましょう」
彼女は一転、気を取り直して説明を再開する。
「犯人は、被害者のネクタイを持ち去りました。ここに違和感がございます」
「いや、凶器を持ち去るのなんて、犯人としては普通の行動だろう」特に違和感はない。
「しかし、犯人は自分で用意したであろうハンマーは置き去りにしています。この事件で使用されたハンマーは販売元から足がつく可能性は低いようですが、自分で用意した凶器は持ち去りたいと思うのが犯罪者の人情というもの。だというのにこの犯人は、自前のハンマーはほっぽって、被害者のネクタイは持ち去った。これはどういうことでしょう?」
それは、確かに違和感があるかもしれない。
「ネクタイはポケットに入るけど、ハンマーは持ってると目立つから置いていった、とか」
「れーさま、ハンマーを用意したのは犯人自身ですよ。カバンか何かに入れてきたに決まっています」
「えっと、じゃあアレだ。ネクタイに何かしらの物的証拠を残してしまったから、仕方なくネクタイは持ち去ったんだ」
ボクがそう言うと、影山は目をぎゅ〜っと瞑り、両手の人差し指と親指で三角形を作った。
「なにそれ、三角? 惜しいってこと?」
「そうです、惜しいです。正解まであともう少しですよ、れーさま」
物的証拠を残したという答えが惜しいってことは、つまりネクタイは、犯人に繋がる手掛かりだということか。
そうだ、そういえば、あのネクタイは……
「わかった! あのネクタイは、島尾美和子が三上貴也にプレゼントしたもの。彼女は、ネクタイから自分に捜査の手が伸びるのを恐れたんだ。そうだろ影山!」
自信を持って断言するボクだったが、影山はゆっくりと首を左右に振り、外国人のように肩を竦めた。
「残念、不正解です。れーさまの頭脳は、どうやら御飾りのご様子。やはり、風祭警部以下でございます」
「むう、さっきから警部以下警部以下って、なんでそうなるのさ」
「それは勿論、ネクタイが持ち去られた謎についても、風祭警部が大事な情報を発見してくれたからですわ。ヒントは第一ボタンです」
第一ボタンだって? 風祭警部が発見した第一ボタンに関する情報というと、三上貴也のシャツの第一ボタンが締まっていたことか。
それがなんで大事な情報になるんだ。
「まさか君も、三上貴也は神経質だ、とかいうつもりか?」
「第一ボタンを締めているから神経質だ、というのは、血液型占いと信憑性は変わりません。A型は神経質、と決めつけるのと同様ですわ」
「じゃあ、三上貴也の第一ボタンからなにが読み取れるっていうのさ」
「では、少々御想像下さい、れーさま。リラックス出来る場所に帰り着いたれーさまが、首からネクタイを外すとします」
影山の言う通りに、ボクは想像の中で、自分の首からネクタイをぐいっと引っ張り、そのままスルリと外した。
「外したネクタイを、ベッドにポ〜イするのか、椅子にファサ〜するのか、床にビタ〜ンするのかは存じませんが、とりあえずネクタイを手放します」
想像の中のボクは、ネクタイを天井に向かって、トリャ〜と投げつける。
「次にれーさまは、どういう行動を取られますか?」
「影山にお茶を頼む」
「ああ……れーさまならば、そうされるかもしれませんが、今は三上貴也の、延いては一般的な男性の行動をお訊ねしています。ネクタイなどなさらないれーさまには、想像が付きにくいかもしれませんが」
わからないな、普通はどうするんだ?
「ネクタイを外すのは、首を締め付ける息苦しさから開放される為ですわ。つまり、ネクタイを外した男性は、大抵、第一ボタンも外すのでございます」
「第一ボタンを外す? でも三上貴也は……」
「ええ、三上貴也は第一ボタンを外していなかった。つまり、彼はホテルの部屋に入っても、ネクタイを付けたままだった、ということです」
ネクタイを付けたままだった? それがどうしたというのだろう。
ネクタイを外していようがいまいが、特に事件にはなんの関係もないんじゃないかな。
「ここまで聞けばおわかりですね? まあ、ネクタイを外しても第一ボタンは外さない主義とか、外し忘れたとか、そういう可能性もあるにはありますが、三上貴也はネクタイを付けたまま犯人に殺されたと考えれば、全てに説明がつくのです。つまり犯人は──」
「ちょ、ちょっと待ってくれ影山! ボクには、まださっぱりわからない。ネクタイを付けていたからどうだって言うんだ?」
ボクが問い掛けると、影山は無言で顔を歪ませた。表情から、『え〜、マジでわかんないの〜』という心の声が読み取れる。
彼女は、「仕方ないですね」と呟いて、ぱんぱん、と両掌を合わせた。
広間のドアが開いて、パイプ椅子を抱えた黒服のグラサン男が入室してくる。
影山よりも歳下っぽい黒服の男は、ボクらの傍にパイプ椅子を置き、そこに腰掛けた。
「ハンマーで殴るのは可哀想なので、平手にしましょう」
影山は黒服の背後からそっと近づいて、後頭部を平手でペシッとはたいた。
彼は椅子から大げさに崩れ落ちて、床に倒れ込む。そして、ずるずるとうつ伏せに這いずった。
要するに、この没個性なグラサン黒スーツ君は、被害者である三上貴也を演じているらしい。
「トドメの凶器にネクタイを選択したことから考えて、持っていたハンマーは三上貴也の後頭部を殴った際、すっぽ抜けて部屋の隅に飛んでいったのでしょう」
ゆっくりとしたスピードで這う黒服は、まさに虫の息という様子だ。もちろん演技だけど。
そして、その黒服の傍らに、影山は膝をついた。
「さあ、れーさま、これでわかりましたね?」
「なにが?」
「まだわからないのですかっ?」
「だから、なにが?」
「犯人がネクタイを持ち去った理由でございますよ。実演まで交えて、ここまで説明すれば、察しの悪いれーさまでも流石に理解できると思ったのですが」
彼女は、これ見よがしに頭を抱えた。困り果てたって言いたいのか? 察しが悪くてすみませんね。ええ、どうせボクは察しが悪いですよ。
「犯人がネクタイを持ち去ったのは、そこに物的証拠が残されていたからではありません。逆です。物的証拠が何も残されていなかったからこそ、持ち去ったのですよ」
何を言ってるんだ影山、意味がわからないぞ。ボク、本当に理解力がないのかも。
影山はひとつ頷いてから言った。
「見てください、れーさま」彼女は黒服を指差す。「被害者はこのように、うつ伏せで這いずっていました。ハンマーで殴られて半ば昏倒しているとはいえ、意識を保ったままうつ伏せている相手の首から、ネクタイを奪い取るのは至難のワザです」
「至難のワザっていっても、実際に遺体はネクタイで絞殺されていたんだ。奪い取って首を絞めたんだろ?」
「いいえ、事件当時、現場にはもうひとつネクタイがあったのです。犯人の、ここに」
影山は、自身の首に手を当てた。
「犯人は、わざわざ奪い取りにくい被害者のネクタイではなく、簡単に外せる自分のネクタイを絞殺の凶器として使用したのです」
犯人の首に、ネクタイがあった? 女性でもネクタイをする職種もあるし、趣味で着けている人なんかもたまにいるけど、犯人はそういう女性ってことか。
「患者、並びに元患者から、日常的にネクタイを着けている女性を洗い出す必要があるな」
「そんな必要はございません。もっと素直に考えましょう、れーさま」
もっと素直にって……素直に考えて出た結論なんだけど……
「犯人は、長迫政美でございます。長迫こそが、三上貴也の恋人だったのですわ」
「なっ、長迫政美が三上貴也の恋人だって!? そんなわけないだろっ!」
「何故でしょうか? 長年その存在を隠して交際していたこと、探偵にすら調査されなかったこと、事件当時ネクタイを着用していたこと、どれをとっても、犯人は長迫政美であると示唆しています」
長迫政美が三上貴也の恋人で、犯人だなんて、そんな筈はない。
だって、長迫政美は、
念の為ここに書いておきますが、私は、LGBTの方々に対して、なんら隔意や蔑視の感情を持ち合わせていません。
偶々、こういった話になっただけです。
次回が最終話です。