最強チートのおっさんが女の子を育てるだけのお話 作:てと
森の麓、樹木の陰で身を縮みこませながら、幼い少女は嗚咽を漏らしていた。
生まれ育った村の方角では、戦火による黒煙が上がっている。だが、先程まで聞こえていた雄叫びや悲鳴は、今や耳に入らなくなっていた。それは争いが終決したことを示していた。
魔族と呼ばれる勢力の侵攻。
唐突な襲撃に小さな村はろくな防戦ができなかった。武器とも呼べないような農具を手にした両親は、少女にとにかく逃げ隠れるよう言い残して、すぐそこまで迫った魔物に立ち向かっていった。少女は裏手からなんとか村を脱したが――幼い体躯では大した距離を歩くこともできず、こうして木陰で身震いをするしかなかった。
「――っちニ……き残りガ……」
「……っ!?」
おどろおどろしい声色が聞こえてきて、少女はびくりと体を強張らせた。地の底から響くような低い声は、けっして人間のものではなかった。すぐそこに迫るもの――その正体は明白であった。
「お……イやがっタ……」
「……ぁ…………」
禍々しい瞳が、少女を見つめていた。
紫がかった体色に、蝙蝠のような羽を持った人外の存在。手には鋭利な爪が伸び、血のようなもので塗れていた。そんな悪魔と呼ぶにふさわしい魔物が、頭上から彼女を見下ろしていた。
「じゃア、死ネ……」
手が振り上げられる。爪の切っ先は、少女の喉に向けられていた。
それに貫かれて命を落とすのだ――そう理解した時だった。振り下ろさんと勢いづけられた魔物の手が、ピタリと硬直したのは。
まるで何か、ありえないものを目撃してしまったかのような所作だった。
魔物は戦慄を含んだ震え声で、呟くように口を開いた。
「なンだァ、てメぇ……ドコから……」
その視線の先を、少女もおそるおそる追うと――人間の男が立っていた。
……音もなく、気配もなく、いつの間にかそこに、すぐそばに。
ある意味で魔物以上に不気味な存在に、少女は息を呑んでしまった。
「……クそッ!」
焦燥を滲ませた様子で、魔物は標的を少女から男に切り替えた。
鋭い爪先が襲いかかる。その脅威に対して、男はつまらなそうに、虫を払うような動作をして――
不可視の何かが、魔物の胸にめり込んだ。強大な力をぶつけられた魔物は、重力など忘れたかのような勢いで宙を飛ぶ。猛烈な速度で吹き飛ばされた魔物は、そのまま大木の幹に体を打ち付けられた。
樹が大きく揺れ、舞い散る木の葉とともに魔物の体が地に堕ちる。その肢体は微動だにしていなかった。――即死だった。
「…………」
呆然としていた少女だったが、とにかく一つのことはすぐにわかった。助かったのだ。……いや、助けられたのだ。この人に。
彼女はそこでようやく、男性の顔をしっかりと見上げた。フードを被っていたが、顔立ちは判別することができた。
年頃は四十路くらいだろうか。伸び放題の無精ひげに、疲れたような目元が印象的だった。そして何よりも――髪色と瞳が特徴的だった。
黒髪と黒目。ブルネット、というレベルではなく完全に漆黒の髪。そして、底のない深淵のような暗い瞳。金髪碧眼の少女とはまったく異質な、初めて見る髪と目だった。
「…………」
「あ……あの……」
一言も語らない男に怯えながらも、少女は意を決して声を出した。だが、その呼びかけに対しても彼は無反応だった。拒絶している――というよりかは、完全に興味がない様子だった。
男が歩きだした。村の方向へ。
そこへ行って何をするのかはわからない。だが、一つだけ確信はあった。この男が立ち去ったら、二度と少女のもとに戻ることはないだろう。
「……ま……待ってっ!」
叫び声は必死だった。生死を分かつ瞬間であると、直観的に悟っていた。幼い彼女には、自力で生き延びるすべなどない。また別の魔物に襲われでもしたら、今度は助からないだろう。ここで彼から庇護を得なければ、死が避けられない状況だった。
「おいて、かないでっ!」
涙混じりに助けを求める声に、男は足をとめた。ちらりと後ろを振り向いた彼は、虚無を感じさせる冷たい瞳を少女に向けながら、ぼそりと言い放った。
「――自分の道は、自力で進め」
「…………っ」
憐憫の情、などというものが男にはなかった。彼にとっては、少女などどうでもよい存在だったのだ。
突き放すような言葉を受けながら、けれども少女は涙を流さなかった。あるいは、もう枯れきっていたのかもしれない。
悲しみと怒りが混ざり合ったような、よくわからない気持ちに突き動かされて、少女は立ち上がった。尽きていたはずの体力が、感情を糧に湧きあがる。力強く駆けだすと、すぐに男との距離は縮まった。
「――わたしも、ついていく」
息を切らしながら、少女は男の横に追いついた。彼はわずかに視線を向けたが、小さく鼻を鳴らしただけだった。足手纏いだから失せろ、という態度ではなさそうだ。
この男についていく。
それが幼い少女の選んだ、生きる道だった。