最強チートのおっさんが女の子を育てるだけのお話   作:てと​​

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002 アニュス・デイ

 

「あーもうっ! 暇なら手伝ってよ!」

 

 調理器具や薪燃料を取り出しながら、十代前半の少女――セレナは苛立ちを含んだ声で叫んだ。

 それは居間へ向けて放った言葉だったのだが、反応は何ひとつなかった。聞こえなかったわけでも、ちょうど席を外していたわけでもない。たんに面倒だから無視しているだけなのだ――“彼”と長く過ごしている彼女は、それをよく理解していた。

 眉根を寄せてぷんぷんと怒りを浮かべながら、セレナは居間に赴いた。そこではくたびれた服を着た男が、ソファーに寝転がりながら読書をしていた。

 闇で染めたかのような髪はぼさぼさで、ひげはだらしなく伸び放題。その瞳には生気がなく、表情には感情というものが見当たらない。人生のすべてがつまらなそうな様子だった。まだ四十後半の年齢だというのに、男にはひどく老いぼれた雰囲気が漂っていた。

 

「火くらい、ぱぱーっと点けられるでしょ! ――ジン!」

「…………」

 

 無気力に支配された男――ジンは、ちらりと彼女に目を向けた。が、すぐに視線を本に戻した。力を貸す気など、さらさらない様子である。

 無視されたセレナは、思わず手にしていたフライパンを彼に投げつけそうになったが――無駄なのでやめた。そんなことをしても彼が協力する気になるわけがないし、そもそも飛んできたフライパンを打ち落としてオシャカにしかねない。そうなったら新しい調理器具を買いに行くのは自分である。

 盛大な溜息をつきながら、セレナはキッチンに戻った。そして備え付けの焜炉に薪を入れ、マッチで火口の乾燥樹皮に着火し、それを火種に薪を点火させてゆく。由緒正しい火起こしの手順――なのだが、魔術を使えるジンがやれば一瞬で薪に火を点けられるはずなのだ。それを思うと、馬鹿真面目に火を起こしている自分に遣る瀬無さが積もった。

 

「まったく……昔はもうちょっと、まともだった気がするのに……」

 

 徐々に大きくなる火を眺めながら、セレナはぼんやりと過去を思い返した。

 故郷が魔族に襲われた五年前。勝手にジンに付いていくことを選択したセレナだったが、なんだかんだで彼も人間の心を持ち合わせていたのか、置き去りにされたりすることもなく面倒を見てくれた。まあ面倒を見たといっても、身の安全と最低限の生活を確保してくれただけだが。それでも、多くの人々が魔族に命を脅かされていたことを考えれば、セレナが与えられた恩情は破格と言っても良いのかもしれない。

 魔族の侵攻開始から一か月後。とある都市の宿屋で、ジンは「しばらく出かける」とだけ言い残して姿を消した。……齢二桁にも達していない幼女を置いて。宿屋の主人とその家族が世話をしてくれたから良かったものの、人攫いにでも遭ったらどうなっていたことやら。

 とにもかくにも、それから一週間してジンは帰ってきた。魔族が侵攻地域から撤退を開始したのも、ちょうどその後すぐであった。

 人間たちは安堵したが、同時に怪訝を抱かざるをえなかった。強大な兵力を有さない小国家の連合たる人間勢力に対して、魔族は力ある王に支配された統一国家で、その武力の差は明白だったからだ。まったくの無条件でもとの支配領域まで撤退した魔族の行動は、誰が見ても理解不能だった。

 それでも――セレナだけは、すぐに見抜くことができた。かの敵国を撤退に追い込んだのは、ほかならぬジンの仕業であると。

 宿屋に帰ってきた彼に対して、セレナはそれを問いただした。だが、彼は答えることなく、億劫そうな顔をするだけだった。誰よりも強い力を持っていて、どんなことよりも素晴らしい偉業を成しても、彼はそれを誇ろうとはしなかった。ただジンという男が欲していたのは――静寂だったのかもしれない。

 

「っと……。薪がそろそろ、なくなりそうね……」

 

 棚を覗きながら、セレナは悩ましい表情で呟いた。近くに木こりの家があるので、そこへ薪を買いにいかなければならない。あとは卵も少なくなってきているので、養鶏をしている家に貰いにいこう。ついでにパン釜のある農家のところへ、パンも調達しに……。

 やるべきことの多さに、セレナは頭を抱えたくなった。そもそも何が大変なのかというと、いちいち長い距離を歩いて必需品を買い出ししなければならないことである。都市の中であれば目的の店にすぐ通えるだろうが――残念ながら、ここは都市城壁の外側、つまり郊外なのである。だだっ広い農地、あるいは放牧地を渡り歩いて物資を買い集める作業は、苦行以外の何物でもなかった。

 こんな辺鄙な場所に屋敷を建てたジンは、そんなに人の気配がいやだったのだろうか。第一、自分がいなかったらどうやって生活していたのだろうか。こんな不便な場所で……いや、そもそも彼は転移魔術が使えるから、距離は関係ないのか。じゃあなんで自分は、わざわざ必死で歩いて買い物に行かなきゃならんのだ!

 

「あーっ! もーっ! キレそう……!」

 

 実際にキレながら、それでも流れるように調理をこなしていくセレナ。文句はいろいろあるのだが、それでもジンは命の恩人であるし、おまけに生活のための金銭を負担しているのは彼なのだ。具体的に約束しているわけではないが、実質的にセレナはジンの家政婦として働いているようなものであった。

 本気で相手を非難できる立場ではないことに、ぐぬぬと怒りを抑えこみながら仕事を押し進める。熱したフライパンに油を引き、卵を割り入れて目玉焼きを作る。それから昨日の残りであるスープを温めなおし、硬くなったパンを手頃な大きさに切って鍋に放り込んでいく。……スープに浸さなくても食べられる、焼きたてのパンが恋しい気分である。

 料理人でもないうえに、ろくな食材もないので、セレナが作れるのはこういう初歩的な料理ばかりであった。もっともジンは味に無頓着で、腹が満たせればそれでいいというスタンスなので、彼から不満が上がったことは一度たりともない。むしろ不満だらけなのはセレナ自身である。

 

「はぁ~……。一度でいいから、素敵な男性と高級レストランで美味しいお食事をしたいわ……」

 

 世迷い言を漏らしながらも、手をとめないのは流石であった。スープを作ったあとは新しい鍋で湯を沸かし、その熱湯を使って紅茶を淹れる。最近、この辺りでも茶葉が流通しはじめたため、こうしてお茶が飲めるようになったのだ。金(もちろんジンの)に物を言わせて値の張る茶葉を買っては、毎日お茶を淹れるのがセレナのささやかな楽しみであった。

 ちなみにお茶を飲んだジンは、「……俺はコーヒーのほうが好きだ」などとぼやいていた。コーヒーというのが何なのか知らないが、彼が好むくらいだから、きっとろくでもない飲み物なのだろう――失礼極まりないセレナの想像であった。

 

「よーし! 完成!」

 

 朝食作りという苦役が一つ終わったことに喜びの声を上げながら、セレナは皿やカップをテーブルに運んでゆく。ティーポットから紅茶をカップに注ぐと、かぐわしい香りが広がった。食欲が刺激される。

 万端、準備よし。完璧にセットされたテーブルに座っているのは――セレナひとり。ジンは相変わらず、ソファーで本を読みふけっていた。

 

「……あの、ねぇ!」

 

 呆れや苛立ちをまぜこぜにしたような表情を浮かべなら、セレナは立ち上がると彼のもとにつかつか歩み寄った。そして本を取り上げると、腰に手を当てながら聞き分けのない子供を叱るような声色で、

 

「朝食よ、ちょうしょく! 早く席につきなさい!」

「…………」

 

 悩ましげに目を細めるジン。何か言おうと口を開きかけるが、面倒くさくなったのか諦めたように閉口する。のそりと体を起こすさまは、ものぐさな態度としか言い表しようがなかった。

 ――十代前半の少女に怒られる四十後半のおっさん。様にならない光景であったが、この家ではだいたいいつもの日常であった。

 ひと悶着のすえに二人とも着席し、ようやく朝餉が始まる。食器が音を立て、飲み物や食べ物を咀嚼し嚥下する音が鳴り響く。……それ以外は無音の、気まずすぎる朝食風景である。

 話題が、ない。

 そもそもジンは雑談という人間的な行為をいっさいしないのである。彼から話しかけるのは、必要最小限の事務的なことばかりだ。おまけにこちらから話を振っても、だいたい「……そうか」とか「……ああ」としか言わないので、まったく会話が続かないのだ。最近セレナは、動物に話しかけたほうがまだマシなのではと訝しむようになった。

 

「そういえば、イノシシがこの辺の畑を荒らしていた件だけど――」

「…………」

「狩人が射止めてくれたの。外を歩いている時に遭遇したらどうしようかと思ったけど、これでひと安心ね」

「……そうか」

「その狩人さん、わたしと同じくらいの年頃の男の子だったみたい。若いのにすごいねー」

「……ああ」

 

 ほら、会話にならない。

 話を出したことを猛烈に後悔しながら、セレナは温かい紅茶を口にした。寒々しい人間関係に冷えきった心を、じんわりと暖めてくれるようだった。美味しい。

 いっぽうでジンはというと、感慨など忘れたかのような表情で淡々と飲食物を口に運ぶばかりである。動物だってもっと感情豊かではなかろうか。

 怪訝な表情。不快な表情。倦惰な表情。そういったものはたまに見かけるのだが、ジンが泣いたり笑ったりする姿は、セレナは一度たりとも見たことがなかった。微笑すら目にしたことがない。彼が笑うことなど、ありうるのだろうか。

 

「はあ……うちのジンも、家事くらい少しはしてくれたらなぁ……」

「……そうか」

「そうそう……今日のお買い物、代わりにジンが行ってきてくれない?」

「……ああ」

「…………」

 

 胡散くさいものを見るかのような視線をジンに向けるが、彼はこちらのことなど気にも留めず食事をしていた。とても今の発言を理解していたとは思えぬ様子だ。

 

「……そうか」

「まだ何も言ってないでしょ!」

「……ああ」

 

 セレナはすべてを諦めた。

 ――現実は厳しく無情であった。

 

 

 

   ◇

 

 

 それは部屋というより、倉庫と表現したほうが適切だった。

 ジンの寝室。窓際にはベッドがあり、その隣には簡素な机と椅子があり――それ以外の場所には、本が山のようにうずたかく積まれていた。

 

「うっわー……きったな……」

 

 セレナは呆れながら、片隅にある本の表紙に指をすべらした。それだけでホコリが指の腹に付着してしまう。まったく掃除がされていない証であった。

 そもそも、窓はあっても開放したことがないのだろう。カーテンも前回見た位置から変わっておらず、半分閉まった状態のままだ。ホコリにまみれていないのは、ふだん利用しているであろうベッドとテーブルセットだけだった。

 

「はぁ~、面倒くさい……」

 

 とりあえず箒とちりとりを使って、足場のホコリと髪の毛を掃除してゆく。

 自分の部屋くらいは自分で綺麗にしろ、と何度も言っているのだが、ジンが聞く耳を持つはずもなく。こうして数か月に一回、まとまった時間がある時に、しぶしぶ彼の部屋を大掃除するのがセレナの仕事と化していた。

 なんとか床を簡単に掃除したあとは、布を使って本にかぶったホコリを拭き取ってゆく。いい加減に書架でも買って、きちんと整理してほしかった。こんな乱雑な場所を掃除する身にもなってほしい。

 苦痛な作業に耐えきれなくなったセレナは、疲労の溜息をついて手を休めることにした。

 椅子に腰かけて、ふと目に付いた本を手に取る。適当なページを開いてみたが、どうやら小説のような気軽いものではなく、魔術に関わる小難しい内容の書物のようだ。

 

「ま、まったくわからない……」

 

 少し読んでみようと思ったが、セレナはすぐに挫折した。二つ以上の魔術の同時行使、すなわち二重魔術の可能性について云々……。魔術に縁がないということもあり、興味すら持ちがたい本だった。

 こんなものを好きこのんでジンが読むのは、やはり彼が相当なレベルの魔術師だからだろうか。

 あまり魔術事情に詳しくないが、それでもセレナは彼が異端的な力を持つ存在であることを理解していた。彼はよく転移魔術を使って、いずこかの本屋から書物を買ってきているようだが、そもそも本来そんな気軽に使えるような魔術ではないはずなのだ。魔術適性のある人のうち、そこから長く修練と経験を積んでようやく体得できるのが転移魔術であり、発動にも膨大な労力がかかる……のが普通らしい。だというのに、ジンはさして疲れる様子もなくそれを行使していた。

 ――それも詠唱することなく。

 昔はその重大性がわからなかったが、滅んだ故郷を出てから初めて、魔術は詠唱しないとろくに効果を発揮しないものだと知った。ちょっと火を起こすくらいなら無言でも可能だが、それ以上の大きな力を起こすとなると、大層な言葉を並べ立てないと魔術の発動ができないらしい。

 しかしジンについては、今まで魔術のために詠唱したところを見たことがない。

 彼が普通の人間ではない、ということは明らかだった。そもそも、髪の色からして一般的な色素と異なっていた。以前に「出身はどこなの?」と聞いたことがあるが、返ってきたのは「ここよりずっと、遠いところだ」という言葉だけだった。その地に戻らないのかと尋ねたこともあるが、彼は無感情な顔色を浮かべるだけで答えようとしなかった。

 天涯孤独――その言葉が、彼にはふさわしいのかもしれない。

 

「……似た者同士、なのかな」

 

 性格はともかく、境遇は。

 ジンが自分の意志で故郷を捨てたのかは定かではないが、少なくなくとも帰るべき場所を失くしているというのは、セレナと同様なのだろう。自分のふるさと……そう、慣れ親しんだ日常の世界が――

 そこまで考えて、セレナは物憂い気持ちで目を細めた。

 五年の月日は、彼女にとってけっして短くないものだった。もう人生の三分の一ほどを、ここで――ジンと一緒に暮らしているのだ。家事をこなす毎日は、体と心に沁みついていた。彼に怒ったり呆れたりするのも、日課になっていた。何かを意識することもなく、自然に生活を繰り返していた。ここでの暮らしは――すでに親しみのある日常になっていたのだ。

 ――ジンにとっては、どうなのだろうか。

 自分よりもずっと歳の離れた、感情を表に出すことを厭う、一度たりとも笑顔を見せたことのない彼にとっては。

 ここでの暮らし、セレナと一緒に過ごしている日々、それは彼にとって……空虚で、退屈で、無味な日常なのだろうか。

 

「…………」

 

 ほんの少しでもいい。

 彼の日常に、幸せというものが存在してくれることを――セレナはせつに願った。

 

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