最強チートのおっさんが女の子を育てるだけのお話 作:てと
うららかな快晴の野道。いつものように買い物へと出かける途中で、セレナは彼方から近づいてくる影に気づいた。
馬に乗っているその人物は、遠目からでも誰かが判別できた。それは向こうも同じだったのだろう、馬を走らせて駆け寄ってくる。
「――ノエルっ」
手を振り、名前を呼びながら少年を迎える。自分とほぼ変わらない年頃だったが、弓を携え乗馬した姿は、どこか大人らしいたくましさを感じさせた。
ほほえむセレナに対して、彼は少しはにかんだような笑みを浮かべて、
「……おはよう、セレナ。今日もお買い物?」
「うん、ちょっと街のほうまで。……そっちは、今から狩りに?」
「ああ、今日もね」
二人は互いに笑いあった。どちらも毎日、こなす仕事に変わり映えはないのである。変化のない日常であった。
狩人の少年――ノエルとよく顔を見合わせるようになったのは、半年ほど前からだった。森へ行く途中の彼と鉢合わせるたびに、こうして挨拶や軽い世間話を交わしている。あまり同年代の子と話す機会のないセレナにとっては、日常のささやかな楽しみにもなっていた。
「あっ、この前のウサギ、本当にありがとう。シチューにしたら、すっごくおいしかったよ」
「あはは、どういたしまして。また獲物が大猟に獲れたら、分けてあげるね」
なんとなく照れくさそうに、そして嬉しそうに答えるノエルは、感情豊かで人間味にあふれていた。……どっかの誰かとは違って。
内心で失礼な比較をしながら、「そうだ」と、セレナは軽い気持ちで彼に提案した。
「こんど、時間があればウチに寄っていってよ。お茶でもご馳走するから――」
◇
――そのジンの表情は、なんとも奇妙なものだった。
片眉だけ少し上げて、驚くような、訝しむような、困ったような、なんだかよくわからない印象の顔色。それなのに口は真一文字で体も身じろぎ一つしないものだから、どんな感情を抱いているのかサッパリ不明だった。
その彼の黒い瞳の先には――引き攣ったような笑顔を浮かべたノエルがいた。
「あ……こんにちは」
「…………」
挨拶にも無視――
かと思いきや、ジンは首を少し下げつつ目礼のような感じの仕草を見せた。彼にとっては、おそらく最大限の努力の成果なのだと言えよう。
とはいえ、ジンとは初対面だったノエルにとっては、何か難色を示されているのではないかと思ったのだろう。ものすごく焦ったように、そばのセレナに耳打ちをしてきた。
「ちょ……ちょっと、大丈夫なの? ジンさんって、家主なんでしょ? 迷惑がられるなら、すぐにお暇したほうが――」
「あ、へーきへーき。アレでいつもどおりだから」
平常時のジンをよく知っているセレナからすると、彼の機嫌はべつに悪くともなんともなかった。個人的な知人を招き入れたことなど初めてだったが、ジンにとってはとくに気にするようなことでもないのだろう。読書の邪魔でもしなければ、文句は口にしまい。
もっともノエルにとっては、家主の不興を買っているのではないかと不安で仕方ないようだ。セレナが紅茶を淹れている間は、彼には居間で待っていてもらおうと思っていたのだが――ジンと二人っきりなど拷問に近いのではと思いなおして、彼女はノエルの腕をちょっと引きながら言った。
「こっちにキッチンがあるの。来客なのに申し訳ないんだけど……一緒に、火を起こすの手伝ってもらってもいい?」
「ぁ……ぅ、うん。わ、わかった」
少し上擦った声を上げながら頷くノエルとともに、お茶の準備をこなしてゆく。ひとの家の中だからか、やや緊張と困惑が見受けられたノエルも、一緒に紅茶を作っていくうちに打ち解けた様子になっていった。茶葉から抽出する手順を見るのは初めてだったらしく、彼は興味深そうな顔でセレナと言葉を交わしていた。
そうして淹れたばかりの紅茶に、甘味のある果汁を搾って味付けする。お茶の芳香と、柑橘類の香りが混ざり合って、落ち着きのある上品な匂いが鼻の奥を刺激した。上出来の仕上がりである。
二つ分のカップを満足げに見下ろしたところで――はたと思いなおした。せっかくなのだから、ジンの分も用意したほうがいいだろうか。まだ紅茶の残りもあるのだし。
どうせジンが飲まないなら、あとで自分が口にすればいいや。そう考えてセレナはカップを増やし、計三つのお茶をトレーに乗せて、ノエルとともに居間へ向かった。
「ジンー。テーブルにお茶置いておくよ」
どうせソファーに座ったまま無視かな――と思ったのだが、意外や意外。ジンは本を手にしたままのっそりと腰を上げると、カップの置かれた席にゆっくりと座った。相変わらず無言ではあったが、なんだか態度がいつもより素直な気がした。
……さすがに客人がいる前だからだろうか?
内心でちょっと驚きながら、セレナはノエルと隣り合って着席した。ジンは二人の向かい側の椅子で、すでに本に目を落としていた。わかってはいたが、やはり会話に加わる気はさらさらないようだ。
「――のお店で、茶葉が売っているの。いつもそこで――」
初めは紅茶に関する話題。いつもどこで買い物をしているかとか、値段がどうとか。
「この時期だと――。……たいなぁ」
そこから派生して、今の旬の果物がなんだとか、どこの市場で安く売っているとか、何を買いたいとか。
「そうそう――。……狩った獲物は――」
話の主が変わって、ノエルが狩りでどんな獣を獲っているとか、それをどこの肉屋に売り渡しているとか。
「――――」
漫然と続く閑話の合間に、セレナはふとジンに視線を向けた。年頃の男女の他愛ない話し声をそばに、彼は何か思っているのだろうか。それとも、何も感じていないのだろうか。
一言も発することなく本を読み進めてはページを繰っている、ジンの表情は――
「…………?」
いつもと変わらない無愛想な顔に見えて、それでいて微妙に違和があるようにも感じられ、セレナは不思議そうな表情を一瞬浮かべてしまった。
ジンを知らぬ人間からすれば無表情としか思えないのだろうが、長年ともに暮らしている彼女には、その目元と口元がかすかに柔らかい色を帯びているように思えた。今まで見たことないような……穏やかな雰囲気だった。
――笑っている?
そう考えたセレナは、まさかと自分の考えを一笑した。この五年間、セレナの知るかぎり一度も笑ったことがないのがジンなのだ。こんな大したことのない場で、彼が笑顔に類する表情を浮かべるとは到底思えなかった。
ただ、ジンから感じられる違和の正体が明確に掴めないにせよ、それが悪いものではないことは確かなのだろう。だからこそ、セレナは思ったのだ。
「……今日はありがとう。すごく楽しかったよ」
「わたしも、こんなふうにお喋りするのなんて初めてで……本当に楽しかった」
――またノエルを誘って、同じようにお茶を飲もう。
そうすれば、ジンにもよい影響があるかもしれない。明るく快い談笑が、彼の心をあたためてくれるかもしれない。少しでも、人間らしい感情を浮かべてくれるかもしれない。
いつか彼が、自分たちのように笑顔を浮かべられますように。
帰路につくノエルに手を振って見送りながら、セレナはそんなことを祈った。
◇
――魔族がふたたび侵攻の気配を見せている。
そんなうわさが、魔族の支配領域に近い辺境の町から逃げ出してきた人々によってもたらされた。真偽は不明だが、前回――十年前のことを考えれば、いつやつらが攻めてきてもおかしくはない。魔族が優位状況のまま撤退したということは、それだけ戦力が温存されていると考えるのが妥当だからだ。
先の侵攻で家族と故郷を失ったセレナにとっては、また戦争が起こることを思うだけで胸が痛んだ。ここは辺境から距離があるし、何よりもジンがいるので安全は保障されているが、それでも誰かが昔の自分のように、悲惨な戦火に巻き込まれるのではないかと想像すると――
「……ねえ、ジン」
夕食の片付けを終えて、食後のお茶を淹れたセレナは、テーブルの席に腰かけながら彼に話しかけた。
向かいで本に目を落としていたジンは、ゆらりと瞳をこちらへ向ける。眼光には強い力が感じられず、衰えた老人のような印象を抱かざるをえなかった。
老けたな、と思った。十年前――初めてあそこで出会った時と比べて。
もちろん、年齢が年齢なのだから仕方ないとも言える。初老と呼んでも差し支えない歳なのだから。
それでも……こうして屋敷で変化のない、退屈な毎日を送りつづけてきた彼は、弱々しく悲しげな存在に見えてしまった。
「――なんだ」
ぽつりとジンは聞き返してくる。話を聞く気はあるらしい。
お茶で唇を湿らせたセレナは、ゆっくりと口を開いた。魔族の侵攻のうわさ。本当に起こったら、ジンはどうするのか。またあの時のように、人々を救ってくれるのかどうか。
「その――」
尋ねようとして、逡巡が生まれた。
――自分は無責任なことをしようとしている。
この男は何者なのか。どこから来たのか。どんな過去を持っているのか。彼の持つ力の正体はなんなのか。十年前にどうやって魔族を退けたのか。今まで、何を思って生きてきたのか。そしていま、何を思って生きているのか。
……何も知らない。十年間、一緒に暮らしてきて、セレナは彼のことをほとんど理解していなかった。いつまで経っても部屋の掃除ができないとか、紅茶よりコーヒーが好きだとか、些細でどうでもいい情報が転がっているだけだ。
そんなふうにジンをまったく知らない、“他人”に過ぎない自分が、魔族の脅威から人々を助けてくれなどとお願いしようとしている。彼が、本心でどんなことを考えているのかも知らずに。
「あ……」
ふいに涙が漏れてしまい、セレナは情けなくて赤面してしまった。彼について知る機会は、もっといっぱいあったはずなのに。心を近づけるタイミングもたくさんあっただろうに。何もせず、ただ無為な時間をずっと、この家で過ごしてしまっていた。そんな自分が、ひどく苛立たしかった。
「あ、あのね……じつは……お食事に招待されちゃったんだ。ノエルから、一週間後に街のレストランでどうかって誘われて。……すっごく高いお店なんだよ?」
「……そうか」
「それで……お食事の時間が夕方になるから、その日は帰ってこれないと思う。だから、その……晩ごはんは作れないから承知しといてね? まあ、スープくらいは作り置きするから、あっためて食べたりしてくれたらいいかな?」
「……ああ」
「…………」
会話が途切れた。
まるで、ジンとセレナの関係がその程度だと言われているようで、ひどく悲しい沈黙だった。
居た堪れなくなった彼女は、大きく一呼吸して席を立とうとして――
「――楽しんで行ってこい」
その言葉はぶっきらぼうなようで、それでいてどこか穏やかな物言いだった。
なんだ、ちゃんと聞いているんじゃない――そう泣き笑いながら、セレナは大きく嬉しそうに頷いた。
「う、うん……!」
もしかしたら、自分が気づいていないだけで。
ほんの少しずつ、二人の関係は昔より縮まっているのかもしれない。
そう、セレナは思いなおした。
――ジンが姿を消したのは、その翌日のことだった。
◇
緋色の夕陽が、桑楡に消えゆく時刻だった。
ふと窓を見遣ったセレナは、どうしてもあの日に交わした言葉を思い起こしてしまった。自分が口にしたとおり、スープは作り置きして出てきたが――
「……どうしたの?」
少し心配そうな表情のノエルが尋ねてきた。
その服はいつも見るような普段着ではなく、ひと目でそれなりに値が張るであろうものだとわかる。おそらく、この日のために用意した一張羅なのだろう。
普段着ではないのはセレナも同様で、めずらしく淑女らしい服装を選んでいた。さすがにお高いドレスは持っていなかったので、白を基調とした清楚なワンピースを着こんでいるだけだが――レストランで食事をする姿としては、まあ場違いではないだろう。
セレナは苦笑すると、「なんでもない」と言葉を返した。
けれども、その笑いにはやはり無理が見えたのだろうか。彼は不安と怪訝が混ざり合ったような顔つきで、改めて語りかけてくる。
「……ジンさんのこと?」
「――――」
咄嗟に言葉が出なかった。図星だと言わんばかりの反応で、ノエルも間違いなく察したことだろう。
ジンがいなくなった、ということ自体はすでに伝えていた。どこへ行ったのかも、いつ戻ってくるかも不明だと正直に話している。ノエルに嘘はつきたくなかったし、何より……彼にとっても、ジンは無関係な人間ではないだろうから。
「……心配しても、意味ないってわかってるんだけどね」
セレナは自嘲するように、弱々しくほほえんだ。ジンを探す力どころか、彼の向かった先の心当たりすらまったくないのだ。十年間もともに暮らしていたというのに。
もっとジンのことを知ろうとしていれば……と後悔は募り、沈鬱な気分に支配される。その感情がこの場にふさわしくないことを理解しているのに、まともに表情を取り繕えない自分にも嫌気が差した。
「――感情を無理に隠そうとするのは、あんまりよくないよ」
「…………うん」
「家族が突然いなくなったら、不安になるのなんて当たり前だしね」
「――――」
何気なく言い放たれた単語に、セレナは息を詰まらせた。それは自分ではけっして使わずにいた言葉だった。――家族。
はたしてセレナとジンは、どういう関係なのだろうか。歳幼いころから十年間、これまでずっと一緒の家で暮らしてきた。その事実をもってすれば、家族と呼ぶには差し支えないと言えるのだろう。……客観的には。
けれども、実際にはほとんど会話らしい会話がなく、彼については知らないことばかりなのだ。それを考えると、自分でジンを家族と表現するのは、どうしても憚られた。
……けっして、家族であることが嫌なのではなく。
そう……ただ単純に、セレナには自信がないのだろう。
「……ほら」
ふいにノエルが、右手を差し出した。その手にはハンカチが乗せられていた。
その動作でようやく、自分が涙を流しているのだと気づいた。雫が頬を伝ってこぼれそうになり、あわててハンカチを受け取って拭う。
「ちょっと、待ってて」
そう言うとノエルは立ち上がり、近くのウェイターに何か話しかけた。そして、そのまま奥のほうに行ってしまう。
行動の意図がわからず席で困惑していると、しばらくしてノエルが戻ってきた。彼はふっと笑うと、
「じゃあ、店を出ようか」
「…………え?」
いきなりそんなことを言われて、セレナは涙で少し赤らんだ目をぱちくりさせたが、すぐに合点がいった。おそらく、さっきのは食事のキャンセルを伝えていたのだろう。
「え、いや、その……も、もったいないよ!?」
「まあ、半額は返金してもらえることになったから大丈夫。……なんか同情の言葉をかけられたんだけど、たぶん誤解されているんだろうなぁ」
あはは、と苦笑を浮かべるノエル。レストランの席で女性が泣きはじめ、食事を取り消しにする男性――誰が見たって、フラれた瞬間のシーンにしか見えないだろう。……それはともかく。
「でも……どうして?」
「……泣きながら食事をしたって、楽しくないでしょ? セレナには、つまらなかったり悲しい思い出を作ってほしくないから」
肩をすくめたノエルは、店の外へと向けて歩きながら、ふっと首だけこちらに向けて――
「どうする? どこか気分を紛らわすことができそうな場所を街で探すか、それとも……」
不安を和らげてくれるような、やさしくて穏やかな笑みを彼は浮かべた。
「……家でジンさんの帰りを待つか、かな。今の時刻なら門も閉まっていないから、ぎりぎり馬で送り届けることもできるけど」
言外に彼は言っているのだろう。街でデートをするよりも、いなくなった家族を案ずるほうが大切だろう――と。こちらに対して苛立ちも怒りも見せず、気を遣ってくれる彼は途方もなく大人びていた。
それにひきかえ、自分は――と自虐に陥りそうになった気持ちを振り払い、セレナは彼の目を見据えて……はっきりと答えた。
「……ありがとう。送ってもらってもいいかな? ――いつでもジンに、おかえりって言えるようにしたいから」
◇
太陽はすっかり沈んでいたが、明るい月が夜道を照らしていた。屋敷までは平らな野道がまっすぐ続くだけだったので、馬に乗れば簡単で時間のかからない帰路である。ノエルの背に掴まりながら会話をしているうちに、すぐに見慣れたわが家に辿り着くことができた。
夜になってしまったことだし、うちに泊まっていったらどうか――とセレナは提案しようとしたところで、いやそれってどう考えてもアレでアレな展開になるのでは、という邪念が頭によぎってしまった彼女は、「じゃあ」とほほえんで去るノエルを流れのまま見送ってしまった。遠のく彼の姿を眺めながら、遅れてきた羞恥にセレナは赤面しながら頭を抱えた。ああ、やっぱり自分はまだ子供だ……。
「……なんてこと、言ってる場合じゃなくて」
自分へのツッコミを呟きながら、まずセレナは家を部屋をすべて見て回った。が、ジンが帰ってきている形跡は見当たらなかった。もちろん本人の姿もあるはずなく。
「本当に……どこに行っちゃったのかしら」
はぁ、と溜息をつきながら、彼女は居間のソファーに座った。そこは、いつもジンが本を読んでいた場所だった。食事に呼んでも動こうとしない彼から、何度も本を取り上げた記憶が蘇ってくる。毎日のありふれた変化のない日常――それが今は、ひどく過去のように思えてしまった。
――このまま、もう帰ってこないんじゃないか。
心の奥底で、抑え込もうとしていた憂惧が湧きあがってくる。そんなはずはない、と言いきることはできなかった。ジンのことを、セレナは何も知らないのだから。
目を閉じる。
世界を闇が覆った。見通せるものは何もなかった。ジンの行き先と目的も、彼がいまどこにいて、何を考えているかも見ることは叶わない。
ジンはいったい、いま何を見ているのだろうか。
セレナには見当がつかなかったが、それでもただ一つのことを強く願った。
――彼の目に映るものが、空虚な闇ではなく暖かい光でありますように。