最強チートのおっさんが女の子を育てるだけのお話   作:てと​​

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004 フィナーレ

 

 ――なぜ、先の侵攻ではやすやす引き下がったのだろうか。

 居室で椅子に腰かけながら、魔族の王たる彼は目を細めて思考を巡らしていた。

 十年前、ついに力を蓄えた魔族の軍勢は、人間の領域に踏み込んだ。はるか昔は強大な魔術師を数多抱えていた人間勢力も、長く平和に浸りすぎたためかろくな戦力を有しておらず、精強なる魔族の前には赤子同然であった。破竹の勢いで中央都市を陥落させ、広大な平野部をその手中に収めることは、さして難しくない行為のはずであった。

 ところが、侵略からそう時が経たないうちに軍議で撤退が決定されてしまった。そのきっかけとなったのは――おそらく強硬派である将校の何名かが謎の死を遂げたことであろう。穏健派はこれ幸いと撤退を主張し、当時の魔王も至極あっさりとそれを認めて、魔族はもとの領土ラインまで簡単に引き上げてしまった。

 

「暗殺――ではない、か」

 

 ぽつりと呟き、すぐに否定する。

 時期が時期だけに、戦争を避けたい穏健派が邪魔者の殺害を企てたようにも思えるが、証拠と言えるものはいっさい見つからなかった。それに、そもそも強硬派の筆頭は、荒っぽい気性の連中を従わせる武力を持った存在であるため、殺すにしても相当な手練れが必要なはずだ。そんな猛者どもをことごとく形跡を残さず葬り去るなど、神でもないかぎり不可能なのではなかろうか。

 

「……やつを殺す前に、聞いておくべきだったな」

 

 彼は、先代の魔王の顔を思い浮かべた。頭がよく治政に優れた切れ者だったが、いかんせん人間相手に弱腰な判断を下したことに対する不満は抑えきれず、けっきょく反乱を引き起こされてしまった悲運の王だった。

 ――まあ、先の戦いの真相がなんであれ。

 好戦派の連中を利用して王座を奪った以上は、人間世界を攻め落とす以外の選択肢はなかった。いまだ穏健派で権力のある輩は残っているものの、声高に異議を唱えれば己の立場が危うくなることを自覚しているだろうから、今度こそは戦争がまともに進むはずだ。

 ――そう、彼は思っていた。

 

「――――」

 

 思考に埋没していたからだろうか。

 初めは、その違和に気づくことができなかった。

 居室の中央に、影があった。暗く、うつろな存在。気配というものは存在せず、思わず目の錯覚を疑いそうになるような光景だった。

 ――人間が、そこに立っている。

 視界の情報を、正しく頭が理解するまでには、ひどく時間がかかった。

 

「――な」

 

 幻術でもかけられたのか――と彼は焦った。最初に“それ”が本物の人間だと思うことはできなかった。魔族の本拠地に、一人の男が音もなく侵入して、王の前に立っているなど――ありえない出来事だ。

 だが自身の精神に異常がなく、目の前のヒトが実体を持っていることを認識せざるをえなくなった彼は、言い知れぬ戦慄を覚えた。あるいは、それは恐怖という感情だったのかもしれない。

 

「……お前が王だな」

 

 声が聞こえた瞬間、急速に眼前の男は存在感を取り戻した。おそらく、先程まで気配遮断の魔術でも使っていたのだろう。だが――男の闖入に気づけなかったということは、もしかして気配遮断と空間転移を“同時”に使っていたとでも言うのだろうか。そんな馬鹿なことが――

 

「……!? どこに――」

 

 突然、目の前の影が消失した。なんの前振りもなく。理に反した、ありえない現象だった。

 だが、その男が条理を超越した存在であることは、背後から聞こえてきた声で否応もなく理解させられてしまった。

 

「動けば、お前を消す」

 

 その脅しに、偽りはなかった。詠唱もなく背後に瞬間移動するという芸当をこなした男には、彼をこの世から消し去ることなど造作もないことなのだろう。

 もはや彼には、驚きを湧きあがらせることすらできなかった。現実感の薄い展開に、感情がついてこなかったのだ。彼は諦めたような声色で、ぼそりと呟いた。

 

「何者だ? 普通の人間ではなかろう」

「…………」

 

 問いには無言。

 その代わりに、男は静かに、低い声で、ささやくように告げた。

 

「――兵を退かせ、魔族が二度と人間の領域に侵入しないよう尽力しろ」

 

 ――なるほど、これがすべての理由か。

 冷静な頭が、かねてより抱いていた疑問を氷解させた。先の戦争を早々に終結させたのは、この男だったのだろう。話の通じない武闘派は暗殺し、操れそうな権力者は脅して撤退に持ち込ませる。強引な手法ではあるが、それはじつに効果的だった。この男に逆らえば死ぬということなど、今の状況から一目瞭然なのだから。

 

「…………」

 

 しばらく音のない時間が流れた。背後では、徐々に圧迫感が増していた。それを表現するなら、殺意と呼べるだろうか。頷かなければ殺す――そう言わんとしているように思えた。

 

「……わかった」

 

 彼は疲れたように了承した。その瞬間、気配が消え失せる。ゆっくりと後ろを振り向くと――そこには、虚空が存在するだけだった。

 まるで夢でも見ていたかのようだ。いや――悪夢だろうか。

 なんにせよ、今や彼には絶望的な選択肢しか残されていなかった。間違いなく多くの魔族から反感を抱かれるような道を辿らなくてはならない。そうしなければ、死神が自分の命を刈り取りにくるのだから。

 ――王位など、簒奪すべきではなかったのだ。

 彼は絶望の溜息をつきながら、そう後悔するのだった。

 

 

 

   ◇

 

 

 

 どこかで小鳥のさえずりが響いた。 

 窓から差し込んだ光が、世界を白く彩っていた。明るく、あたたかい光景。夢見心地でも、なんとなく理解できた。――朝になっているのだ。

 柔らかい背もたれに体を預けた姿勢のまま、セレナは少しずつ思考を巡らしてゆく。どうやら、自分はソファーで寝ていたらしい。そう……昨日、ここで目を閉じて考え込んでいるうちに、意識を落としてしまったのだ。

 疲れていたのかもしれない。心も、体も。

 世界は清々しい朝を迎えているというのに、彼女の気持ちは冴えわたらなかった。いつもなら、こんな快晴の日には掃除や洗濯が捗りそうだと気持ちが躍るはずなのに。絶好の買い物日和だと思うはずなのに。心は重く、なんの意欲も湧いてこなかった。

 

「――ジン」

 

 いなくなってしまった、彼の名前を呼ぶ。

 もう二度と、彼に会えないのだろうか。本に読みふける彼の姿を、見れないのだろうか。なかなか食事の席につかない彼を、怒ったりできないのだろうか。聞いているのかいないのか、よくわからない返事を聞けないのだろうか。面倒くさそうな表情や、無気力そうな顔も、そして本当にたまに見せる、どこか穏やかな表情も――もう見ることが叶わないのだろうか。

 彼女は後悔の溜息をつきながら、おもむろに立ち上がった。

 ネガティブなことばかり考えても、何かが変わるわけではない。自分にできることは、ジンがいつ帰ってきてもいいように、家をいつもどおり保つことだけ――

 

「――――」

 

 きっと、寝ぼけたまま思考に埋没していたせいだろう。

 そこに立っている影に、気づけなかったのは。

 

「あ……」

 

 キッチン側の通路に立っている彼は、ひどく疲れていそうな様子だった。――もっとも、彼から見たらセレナも同じようなものだったかもしれないが。

 いつもの、ぼさぼさの髪。ひげは伸び放題。よれた服の上にまとったコートは、すっかり旅塵にまみれていた。――いま長旅から戻った、と言わんばかりの立ち姿だった。

 何度か目をしばたいて、それが幻影でないことを確かめる。……本当に、ジンがそこにいた。

 

「あー」

 

 何を言えばいいんだっけ。

 唐突な再会に、頭がついていけなかった。考えようとしても、まとまらない。……いや、考える必要なんてないのかもしれない。

 感情のままに、セレナは口を開いた。

 

「……とつぜんいなくなって、心配してたんだから」

「……そうか」

 

 返された言葉はいつもと同じようで、少し違っていた。目つきは真剣さがあり、どことなく悪かったと言うような雰囲気だ。彼なりに負い目というものも感じていたのだろうか。

 

「まあ、その……」

 

 ぶつけるべき言葉は、怒りや不満などではなかった。尋ねたいことは多かったが、先にすべきは質問ではなく――

 セレナはゆっくりと、安堵で口元をゆるませながら、彼に言葉を紡いだ。

 

「……おかえり、ジン」

「……ああ」

 

 ジンの口元がかすかに揺れた。それが意味するものは、十年の歳月をともに生きてきた彼女にとってはすぐに察せられた。

 初めて見る、その感情表現を浮かべたまま、ジンは穏やかな口調で言った。

 

「紅茶が飲みたい。――いつものように」

 

 ――いつもの、変わらない日常。

 そこには、もう平穏な日々が戻っていた。毎日のようにお茶を淹れて、二人で飲むという日常が。

 セレナは笑顔を浮かべた。ジンの、その不器用な感情表現に合わせるかのように、満面の笑みで。

 

「――すぐに淹れるねっ!」

 

 いろいろ話したいことはあるけれども。

 まずはこの平和な時間に浸ろう。あたたかい日常を味わおう。ジンのいる、いつもの一日を。

 彼が守ってくれたこの世界を享受し、そして……。

 ――彼の笑顔を喜ぼう。

 

 

 

   ◇

 

 

 

 空はあの日のように、綺麗でうららかだった。

 居間の窓から外を眺めながら、セレナは笑みを浮かべた。ここは何も変わっていなかった。街から離れた、喧騒のない世界。静かだがそのぶん、買い物がちょっと大変な屋敷。

 この場所は相変わらずの景観を保っていたが――ただ、人間関係には変化があったと言えるかもしれない。ジンとは昔よりも口数が増えたし、ノエルはしょっちゅう家を訪れるようになった。この居間で交わされる会話は増え、かつて空疎なように思えたジンとの生活も、あたたかい人間味が感じられるようになった。

 ――もっとも。

 そんな日常も、今日までだけれども。

 

「さて、と……」

 

 休憩を終えたセレナは、ふたたび動きだした。自室に行き、まだ残っている私物を箱に詰めて、それを玄関まで持っていき――

 

「はい、これお願い――ノエル」

 

 そう言って、荷物を託す。

 ノエルはひょいと箱を受け取ると、それを屋敷前で待機している馬車の荷台に載せる。さすがに十数年も暮らしていたからか、持ち出すモノは少なくなかった。処分できるものは処分したが、それでも衣服などかさばるものは多かった。

 

「――こんなところかしら」

「……けっこう、時間かかったね」

 

 あらかた作業が終わったところで、ノエルと二人して息をつく。前日から準備はしていたが、こまごまとした整理にちょっと手間取ってしまった。まだ“向こう”に着いた時に、荷物を運び入れる作業があるので、あまりのんびりとしている暇はなさそうだ。

 ――何はともあれ。

 これで一つ、区切りがついたと言えるだろう。ここでの、この家での……ジンとの生活に。

 

「セレナ」

 

 ノエルがほほえんで、名前を呼んだ。彼は目配せして、視線を向けるべき場所を指し示した。

 ……玄関の戸口。そこにジンが立っていた。先程まで慣れない掃除をしていたせいか、彼は少し疲れたような顔色だった。

 

「――話してきなよ」

 

 二人で交わすべき言葉がある――そうノエルは思ったのだろう。彼の配慮は正しかった。十数年間、同じ家で暮らしてきた、たった一人の……なのだから。

 セレナはゆっくりと頷くと、ジンのもとへ歩いていった。

 胸には奇妙な気持ちが湧いていた。嬉しいような、寂しいような、なんだか混ざり合った感情だ。ジンは門出を祝ってくれているだろうし、それはセレナにとって喜ばしいことなのだが、同時に、これから顔を見合わせる機会がぐっと減ってしまうことに切なさがあった。

 

「――ジン」

 

 彼の前に立って、セレナは名前を呼んだ。それから、何か言おうと口を開きかけたが、うまく言葉がまとまらず声が出てこなかった。

 感情の波に、思考が追いつかない。この感覚をセレナは知っていた。まるであの時……ジンが帰ってきてくれた時のようで。

 

「……掃除、これからもしっかりやらないと駄目よ? すぐにホコリまみれになっちゃうんだから」

 

 セレナは笑いながら、思ったことを口にした。ジンは、どこかばつが悪そうに頭を掻いた。本ばかり読んで、家事をちゃんとしてくれるか心配だった。

 ……こんなことを言いたかったのだろうか。セレナは自問しながら、また言葉を紡ぐ。

 

「週末はちゃんと遊びにくるからね。ま、その時は料理くらい作ってあげる。……自炊もがんばってよ?」

 

 そう言うと、ジンは曖昧な表情で肩をすくめた。ここ最近は、いちおう料理も彼に教えてあげていたのだが……なかなか成果が出ているとは言いがたいので、不安なところがあった。大丈夫だろうか。

 ……いや、違う。こんな些細なことを話したいんじゃない。セレナは首を振った。

 

「ジン――」

 

 彼に伝えたいことがあるのだ。

 初めて彼に会ってから、十何年も一緒に生きてきて、今までずっと言えていなかったことを。大切な言葉を。それを、いまここで言えなかったら後悔してしまう。

 高鳴る胸を抑えようと、深く呼吸をついてから、セレナは口を開いた。

 

「あの時、あそこで命を助けられて、あなたに付いていって……いま、わたしが生きているのは、ぜんぶジンのおかげ。本当に感謝しているよ」

「……そうか」

「わたしだけじゃない。みんな知らないけど……わたしだけは、知っている。ジンが、みんなを救ってくれたことを。平和を守ってくれたことを」

「……ああ」

 

 ジンが口元を揺らした。どこかすっ呆けるような、照れるような、曖昧な表情。昔なら見せることのなかった、人間らしい感情表現だった。

 いま目の前に立っている男は、もはやかつてのように虚無に支配された存在ではなかった。あたたかい心を持った人間で、世界を救った英雄で、そして……セレナの大切な家族だった。

 だから彼女は、とびっきりの笑顔を浮かべた。大粒の涙を流しながら、それでも嬉しげに明るく。本当に伝えたかったことを、これまで言えていなかったことを。ジンがセレナにとって、どれほど大切でかけがえのない存在であったかを示す言葉を。今まで抱いてきた感謝と、たくさんの感情を込めて。愛する家族に、ただひたすら純粋な気持ちを。

 セレナは泣きながら笑って言った。

 

 

 

「今までありがとう――お義父さん」

 

 そう言われて、ジンは笑った。

 それは不器用な感情表現ではなく。

 ――やさしくて、おだやかな、父親らしいほほえみだった。

 

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