「梁! 早く逃げなさい!」
「っ!?」
唐突、お母さんが僕の部屋を勢いよく開けてそう叫んだ。夜の12時、日が変わる頃に切羽詰まった顔だった。
「な、何?」
「早く逃げて! 窓から!……あっ」
お母さんの指示に従い、僕は窓から逃げる。一体何から逃げているのだろうか。
その疑問は、お母さんの後ろにいる「何か」によって恐怖へと変わる。
カエルのような容姿に人間と同じような歯でニタリと笑う「それ」がいた。
それは紛うことなき妖怪だった。
「……っ!」
僕は引き返して、お母さんを助けようと太い棒を拾う。しかしその時にはもう、妖怪はお母さんの腹を鷲掴みしていた。
そして掴まれている本人のお母さんも左手で僕を制止させる。
「っ!? お母さん!?」
「ここに来てはダメ、梁」
そう言うと、お母さんは優しく笑う。いつもお姉ちゃんとの喧嘩を宥める時と同じような、美しく、鮮やかな笑顔でこう言った。
「……生きて……幸せになるのよ……」
「……おかあ──」
バキッ! グシャリ……バキバキ…………。
生々しい音が鮮血と共に飛び散る。妖怪は淡々とお母さんを食べていく。
頭から、両腕、両足、そして最後に胴体。たったの数秒でお母さんは妖怪の胃へといなくなった。
今は悲しみよりも、恐怖が打ち勝った。僕は、とにかく妖怪から逃げた。なるべく、遠くへ、そして人のいるところへ。
「はぁ……はぁ……」
どれほど走ったか分からないくらい、僕は逃げた。気づけば、人里の中心まで来ていたみたいだ。僕は物陰に隠れ、状況を飲み込む。
お母さんは食べられた。僕の目のまでグシャグシャと食べられて、死んでいった。
涙が止まらなかった。12年間も愛してくれた人が唐突にいなくなった。そう考えると憎しみと悲しみが僕を襲っていた。
「……ぐぅ……くっそぉ……」
あそこで、お母さんが食べられる前に恐怖に打ち勝って、右手に持つこの棒で刺せたら、何か変わっていたんだろう。
「…………梁!」
「っ!」
お母さんと同じくらい、聞きなれた声が聞こえ、僕は思わず顔を上げた。するとそこには、黒髪の長い髪の女性、もとい、僕のお姉ちゃんがいた。
「お姉ちゃん! お母さんが…………」
「分かってるわ。梁、よく聞いて」
お姉ちゃんは僕の両肩を掴んで、悲しそうな顔で見つめてきた。
「お父さんも……食べられたの……」
「っ!」
ギュッと心臓が握られた気がした。終わった。もう僕にはお姉ちゃんしかいなくなってしまった。
「梁、今は悲しんでる暇はないの。どこかに助けを求めに行きましょう」
「……う、うん」
お姉ちゃんの眼は真剣だった。諦めなんて、微塵もなかったと思う。
とにかく僕はお姉ちゃんに手を引かれて、ただひたすらに走った。
「ごめんください!」
ドンドンとお姉ちゃんが戸を叩く。しかし、反応は無い。
「ここもダメね……」
もうこれで何件目かも分からないくらい走り回った。足はむくみ始めている。
「もう妖怪は来ないと思うけど、さすがにまずいわよね……」
「……うん」
「………………元気出しなさいって、まだあなたと私は生きてるの。希望を捨てないで」
僕の頭に手を乗せて、撫で始める。お姉ちゃんの顔は優しく、穏やかだった。お姉ちゃんだって辛いはずなのに、僕のことを優先してくれている。
「……うん、ありがとうお姉ちゃん」
「…………ええ」
ニコリと笑い、お姉ちゃんは少し歩く。スタスタ…………スタスタと…………。
「…………?」
ガサガサ……と隣の草むらから音が聞こえる。夜行性の動物だろうか?
いや、違う。
妖怪だ。
「っ! お姉ちゃん!!」
僕は大きな声で叫ぶ。お姉ちゃんはその声に反応してこちらを向く。
「避けて!」
「え?」
バッ! と先程の妖怪が顔を出した。明らかに僕達よりも足が遅いはずなのに、どうしてもう追いついたのだろう。
しかし、お姉ちゃんの運動神経は折り紙付きだ。くるりと身を翻し、妖怪の口から避ける。
「くっ! 逃げるよ! 梁!」
「う、うん!」
全力でまた走る。走る。走る。もう意識が朦朧とするくらい走った。
もう大丈夫だろうと思うくらいの距離まで開いたのが分かる。なので、僕は足を止め、一休みしようとした。
「はぁ……はぁ……」
「梁! 止まらないで!」
「……え……」
お姉ちゃんの叫び声と共に、背後にはもう目の前で妖怪が口を広げていた。
終わる。僕はもうここで食べられる。カエルの口の中が見える。歯や口の周りは人の鮮血で染まっていた。
この血はお母さんやお父さんのものなのかな。そう思った刹那の出来事だった。
「っ!?」
僕は突然、後ろに引っ張られた。重力に耐えられず、尻もちをつく。どうやら、お姉ちゃんが引っ張ってくれたみたいだった。
しかし、お姉ちゃんは勢い余って、飛び出してしまう。その瞬間、お姉ちゃんの顔が微笑んだ。
「さようなら、梁………………またね……」
「……え…………」
瞬間、妖怪の口が閉じる。それと同時に、お姉ちゃんの上半身が消える。
噴水のように血が吹き出る。それがシャワーとなって妖怪や僕にかかる。何も状況を把握出来ない僕はその場で呆然とする。
「あ…………あぅ…………」
ムシャムシャと食べ、飲み込んだ後、僕に照準を合わせたかのように、黒い目を向けた。そして同じように口を大きく開けた。
「ひっ…………」
ブシュ…………。
妖怪の歯が僕の腹部を抉った。尋常ではない痛みに、僕は叫びさえも出ることは無かった。
しかし、本能は「逃げろ」と警告を続けていた。足を引きずり、距離を取る。
その時に妖怪の右手が僕の顔に近づき、左目を引っ掻いた。もう痛みなんてない、お腹の方が痛いから。
「う、うあぁぁぁ!」
痛みに耐え、立ち上がる。そして、僕は走り出した。ただひたすらに走り、逃げ回った。
そして、もう妖怪は追ってくることは無かった。安心した僕はもう人里からは外れていた。
力が抜け、近くの木にもたれ掛かる。痛覚も麻痺し、もう感覚すらなかった。
「ここが僕の死に場所……?」
何も変哲もない、森の中。しかし、その木と木の間から見える満月は人生の中で1番綺麗だったと思う。
「はぁ……つまんない人生だったなぁ……」
最後にそう呟いて、僕の意識は暗黒へと誘われた。
「…………いくん……れいくん…………」
誰の声だろう。僕はもう死んだはずなのに、どうして声が聞こえるんだろう。
「梁くん!」
「っ!」
大声で呼ばれて、僕は目を覚ます。太陽の光が差し込んで、少し目を細める。
「はぁ……はぁ……」
「大丈夫? だいぶうなされてたけど……」
「だ、大丈夫」
姉さんは心配そうに僕を見つめてきた。どうやら、悪夢にうなされていたみたいだ。
(それにしても……夢というか回想だった…)
もう二度と見たくない。そんな夢だった気がする。
「梁くん、今日はクリスマスだよ!」
姉さんは元気よくそう放った。カレンダーを見ると、今日は十二月二十四日に丸されていた。
「あぁ……そう言えば……」
「んふふー、楽しみだね!」
姉さんの笑顔を見ていると、自然と夢のことを忘れられていた。
それからも、朝ごはんを作り、服を洗濯して、それを干して。寒い中でも、僕はいつも通りの日常を過ごしていた。
不思議なくらい、夢のことを思い出すことは無かった。
夜────。
「では、行ってまいります、諏訪子様、神奈子様」
「おう、楽しんでくるんだよ」
「早苗、梁に手だけは出すなよ」
「わ、分かってますってぇ……」
クリスマスのイベントに行くため、僕と姉さんは防寒対策をしっかりとして、人里に向かうことにした。
「じゃあ、行こうか、梁くん」
「うん」
歩いていても、体が暖まることはなく、ずっと寒いままだった。鼻息も白くなっていて、寒さが身に染みて分かる。
しばらく歩いて人里に到着すると、いつも以上に繁盛していて、人が歩き回っていた。
「お、おお、さすがに盛り上がってるねぇ」
「だね……綺麗……」
毎年そうだ。妖怪の力を借りて、魔力を使って光る光球を設置してくれて、イルミネーションを作り上げてくれる。
「…………何からやろっか、梁くん」
「んー…………あ、お腹すいたな……」
「あー……ご飯食べてないもんね」
クリスマスイベントだからって、夏祭りみたいに射的とか、そういうのは無い。どちらかと言うと大人向けのイベントだと思う。
店に入り、僕達は料理のメニューを見る。
「……超巨大手羽先7本で!」
「僕は2本」
店員さんに注文した後、僕は姉さんを呆れたように見つめる。
「な、何よ……」
「姉さん……ほんっとーに太るよ? 毎回おかわりしてるけど」
「うぐっ……べ、別腹だしっ」
「それデザートの時に言う言葉でしょ……」
これは前から言っていることだが、姉さんは一向に太ることは無い。巫女の仕事はそこまでハードなのかと不安に思うほどである。
でも、姉さんだけ食べる量が多いので、買い物もそれだけ大変だから勘弁して欲しいのだ。
超巨大手羽先が届き、僕達は勢いよく食べ始める。食べるスピードもやはり姉さんは桁違いである。
どうして2本の僕と同じタイミングで食べ終わるのだろうか。
「……あっ、梁くん、ほっぺに衣ついてる」
「へっ?」
姉さんは僕に向けて手を伸ばし、人差し指で口元に着いた衣を取ってくれた。
「あ、ありが…………っ!?」
「ん? どしたの?」
姉さんはその衣を取った後、それを自分の口に運んだ。僕は恥ずかしくて赤面するが、当の姉さんは何食わぬ顔で僕を見ていた。
「い、いや……なんでも……」
「……意識しちゃった?」
「し、してないっ!」
意図を理解した姉さんはニヤリと笑って僕を見ていた。すると姉さんは皿の衣を取り出し、自身のほっぺたに付ける。
「ほらほらー、梁くん取ってぇ?」
「か、からかわないで……」
「んぅー?」
ずいずいと押し付けてくるので、憤りと覚えた僕はギャフンと言わせてやろうと思った。
ガタッと椅子から立ち上がり、姉さんに近づく。
「れ、梁くん怒っちゃった?」
「…………」
「梁くん?」
僕は勢いよく姉さんの顔に自分の顔を近づけ、ほっぺたに唇を当てた。
……チュッ。
「っ!?!?」
姉さんの体がビクッと動く。そして、僕は舌の先端を使って、衣も取った。
「ひゃうぅ!」
と、変な声を出した。恥ずかしくて死にそうになった僕は顔を覆いながら、自分の椅子に戻る。チラリと姉さんの方を見ると、僕よりも顔を真っ赤にしていた。
「…………仕返しだよ……」
「……ま、まいりました……」
姉さんはほっぺたに手を置きながら、ぼーっとしていた。それから数十分後に僕達は店を出た。
「さーって、次はどうする? 梁くん」
「うーん、そーだねぇ…………あっ」
「ん? どうしたの?」
「そういえばさ、ここら辺ってくじ引きがあったんだよね」
去年のイベントでお母さんがそのクジで高級酒を当てていたことを思い出す。お父さんが飛んで喜んでいたっけな。
「いいね、じゃあ、それ行こうか! 梁くんは何が欲しい?」
「うーん、僕は──」
「有原君?」
誰かが、僕の名を呼んだ。苗字で呼ばれることは滅多に無いが、ビクッと体が強ばった。
「あ、有原君……だよね?」
そこに居た赤い髪の少女は涙目で僕を見つめていた。
最終的には?
-
早苗さんと幸せルート
-
梁くん独り立ちルート
-
早苗さんとイチャイチャルート
-
もしかしたら鈴仙と幸せルート
-
諏訪子、もしくは霊夢と幸せルート