ドスッ!ドスッ!ドスッ!
今にも床を踏み抜きそうな足音を廊下に響かせる。
胸のうちで暴れ回る感情をどうにか発散させようとするが上手くいかない。
歩くというよりかは蹴るという表現がふさわしいほどに足に力を入れる。
歩くたびに足裏に衝撃が走る。
だが、それでもこの遣る瀬無さは消えてくれないようだ。
私の顔がしかめっ面なのか、向かい側から歩いてくる職員たちはみな一様に苦笑いして通り過ぎていく。
しかしそんなことは気にせず、大股で歩を進める。
まったく!
なんなのよ!あれは!
あれのどこが会議なのよ!
先の会議室でのやり取りを思い出したら、またイラついてきた。
会議って言うのは議題に対してお互いの主張をぶつけながら意見を昇華させてくものでしょ!
間違ってもあんな足の引っ張り合いをする場じゃない!
やる気あんのか!あいつらは!
ったく!
鼻息が自然と荒くなる。
なんで彼らは素直に物を言えないのか。
反対意見があるなら、回りくどくリソースが~、サーヴァントが~なんて蛇足をつけずに言えばいいのだ。
主張があるなら、こうしたい!とはっきり言え。
そう言ってくれれば私だって喜んで引き受ける。
もちろん人を害するような頼みは聞けないけれど。
本音で話し合って、ぶつかり合って練られた案ならとても素晴らしいものが出来上がるはずだ。
なぜならここカルデアにいるみんなの実力は折り紙付きであるから。
選抜されて組織されたチームなのだから、協力し合えば今よりずっとタフでシャープなチームワークを生み出せるはずなのに。
ホントも~
もーっもーっもーっ!
「もーーーーうッ!!!」
ぐしゃぐしゃぐしゃぐしゃと頭を掻きむしる。
向かい側から来ていた男女の2人の職員がびっくりしたように立ち止まる。
「だ、大丈夫?リツカ?」
「あ、シルヴィアさん」
立ち止まった職員の女性が心配そうにこちらに声をかけてきた。
「何かあった?」
彼女すっと綺麗な眉をハの字にして私の奇行の理由を聞いてくれた。
そんな彼女の表情を見て少し冷静になる。
いかん。
いくら上があれで、あれな会議だったからと言って周りの人にまで余計な心配をかけるのは良くないな。
うん。
「はっはっはっ。大方、また会議でうちのボスがいじめられてたんじゃないのか」
シルヴィアさんの隣の男性は屈んで何かをとり、こちらに渡してきた。
「不満の発散は結構だが、精密機械を乱暴に扱うのはやめてくれたまえよ。修理するのは我々なんだからな」
「あ、私の端末」
彼の手の上にあったのは私の端末機器だった。
ありゃ、さっき頭かいたときに落としたか。
「ありがとう、エルロンさん」
私は礼を言いながら彼から端末を受け取る。
画面割れてないかな?
あ、端が欠けてる。
まあいいや。
「いじめって...まだやってるの?あのお偉いさんたちは」
エルロンさんの言葉にシルヴィアさんは眉をしかめる。
私はため息交じりにこたえる。
「まだもなにも、ローマから帰って以来ずっとだよ」
まったく!
何のためにやってんだか。
あれが人理修復の何に役立つというのか。
頬を膨らます私にエルロンさんは苦笑いした。
「あの爺さんたちも懲りないよな」
彼の言葉にシルヴィアさんは呆れ顔をする。
「懲りないよな、じゃないわよ。言われてるのはあなたのとこの上司でしょ」
そうだ。そうだ。
エルロンさんだって技巧部に所属しているんだからもうちょっとは怒るべきだ。
しかし言われた当人は苦笑い。
「だってなあ。実際あの爺さんたちの気持ちも分からなくはないからな」
なんでやねん。
あんたどっちの味方さ。
「あんたねえ、あの子に引き上げてもらったんでしょ?その恩も忘れちゃったの?」
「まさか!ボスには感謝してる。あのまま総務部にいたら雑用処理の窓際族扱いだったからな。感謝してもしきれないくらいだ」
彼の言葉に内心すごく驚く。
そうだったんだ。
てっきり技術交換みたいな目的で移動したとばかり思ってた。
「だったら……」
「でもそれとこれとは別問題だろ?」
彼の言葉にシルヴィアさんはうっと顔をしかめる。
「もともと技巧部はダ・ヴィンチ氏がカルデアに所属するために作られた形だけの部門だ。本来なら資材管理は機材管理課の管轄だったし、戦術道具の開発は戦術課の管轄だった」
「それは……まあね」
「だけどボスがあっちこっちから捨て猫助けしてきてはマジなもんばっかり作り出すもんだからいつの間にか本格的な部門になっちまった」
「捨て猫助けって……」
「間違っちゃいないだろ?技巧部はみんな似たような奴ばっかりだ」
シルヴィアさんがため息を吐く。
あいつ、そんなことしてたのか……
全然知らなかった。
「まあそんなでどんどんと発言力をつけてきた後に、あの幻霊召喚だろ?」
「あれね、未だにあれで召喚できる理屈が分からないわ」
「安心しろ、俺もわからん」
彼はキメ顔でそう言った。
いや自信満々で言うことじゃない気がする。
ほら、シルヴィアさんもジト目だよ。
て、あれ?達海の召喚って魔術をちゃんと学んでいる人でもわからないものなの?
「若手が訳の分からない高等儀式を開発、レイシフトにも参加してお飾りの部門が頭角を現し始めたかと思えば、その部門は自分の庭で邪魔者扱いしてきた落ちこぼればかりときた」
やれやれ、とでもいうようにエルロンさんは肩をすくめる。
「そりゃ、そんな面倒臭い奴らがいたらその頭を叩き潰したくなるのも当然だろ?」
彼は当たり前のように言った。
シルヴィアさんはポカンとする。
鳩が豆鉄砲を食ったような顔だ。
そしてもちろん私もだ。
「当然だろって、エルロン。あなたが所属してる部なのよ?そんな暢気に言っててどうするのよ?」
「暢気?」
「部下なんでしょ?あなた。それも自分の窮地を救ってくれた上司の」
呆れ顔のシルヴィアさんの質問に彼は頷く。
「ああ。そうだな」
「だったら助けて上げなさいよ。針の筵に立たされているあの子を助けてこそ、恩返しってものでしょ」
「恩返しだって?」
彼はその言葉に目を丸くした。
そしてその数秒後笑い始めた。
?
エルロンさんの言葉に笑うような面白い要素あった?
「うちのボスに恩返しなんてしたらそれこそ怒られるよ」
彼はひとしきり笑い終えた後、そう言った。
怒られる?
達海が?怒るの?
一回りも年が上の職員さんに?
しかも助けてもらって。
「どういうこと?」
「ボスはさ、自分はいじめられっ子を助ける癖に自分が応援されたり期待されたりすると滅茶苦茶怒るんだよ」
「ホントに?」
「ああ。えっと、なんだっけな……」
エルロンさんは少しだけ目をつむり何かを考えていた。
「あっ、あれだ。“他人に責任を負わす行為は等しく悪だ”だ」
「何それ?」
「ボスが怒る理由をチンが直接聞いたときに言われたらしい」
「どういう意味よ?」
「俺もよくわからん。ただボスなりの信念ってものがあるんだろう」
達海ってそんなひねくれてたっけ?
そんなこと言ってるとこ見たこともないけど。
「だからまあ、俺たち技巧部は自分の仕事をきっちりやって、それをボスに還元するのが恩返しだって思ってるよ」
「……なるほどね」
そうかぁ。
それでいつも技巧部門の人たちから反発があまりなかったのか。
「実際のところ、会議でボス側についてるのは言うことを聞かないチンと、ボスの進言で予算が増えた総務部門の機材管理課、医療部門の回路外科辺りだな」
会議室でいつも戦闘部門とか航路部門と言い争ってる人たちだ。
「つっても機材管理課はトップがあの爺さんだから強く言えんだろうし、うちの副長はあれだからな……」
“あれ”ですまされるチン、哀れ。
「矢面に立てるとしたら医療部門の回路外科長のシャルロット・ミハエルぐらいじゃないか?部門長のドクターは中立だしな」
「あの女かー……」
シルヴィアさんの表情が曇る。
シャルロットさんって治療室でいつも治療してくれる人だよね?
「シャルロットも悪い奴じゃないんだが、なんせ気が強いからな」
「あー……」
「無駄に衝突して問題を増やされるのも困りものだ」
「確かに……」
「あいつにはあいつよりもお堅い上司でもいたらもう少し丸くなるかもしれんが……」
三人で頭を悩ます。
「うーん、難しいなあ……」
適任者が意外といない。
エルロンさんも頷いて同意する。
「まあ、それもこれも所長がしっかりしてくれればいいだけの話なんだがな……」
彼はため息を吐く。
「所長が……?」
所長?なんでそこで所長?
「トップの人間が恐れるような実力者ならこんな目立った派閥争いなんて起きないだろ?」
私がポカンとしているとエルロンさんは不思議そうな顔でそう言った。
「まあねえ。彼女もあの若さでよくやってるとは思うけど」
シルヴィアさんもため息を吐きながら同意する。
「彼女には少し荷が重いわよ、あの立場は」
「でもなあ。ダ・ヴィンチ氏が技巧部を抜けてからボスへのあたりも強くなったし、せめてあの教授任せな態度は何とかしてほしいところだ」
「ああ、あれはね…」
「あれじゃ実質的な所長はレフ教授じゃないか。そんなんだから爺さんたちが偉そうにのさばるんだよ」
わりと辛辣……
所長は性格は面倒だけど、結構頑張ってると思う。
ん?
と言うか今なんかすごいこと言ってなかった?
ダ・ヴィンチちゃんが技巧部を抜けた?
「ちょっと待って、それって……」
あらぬ情報に私が再度聞こうとしたとき、廊下の向こう側から声が聞こえた。
「おーい!エルロン!コフィンの整備始めるって言っただろー!遅れるとまたちびっこ副長がキレるぞー!」
その叫び声にエルロンさんは目線を下し、腕時計を見た。
「おっと。もうそんな時間か」
シルヴィアさんが呆れ顔でエルロンさんを見る。
「時間にルーズなの直しなさいよね」
「大丈夫だ。ディナーには必ず間に合わせるさ」
え、マジでこんな発言する人おるん?
すごくね?
そう思いながら隣を見るとシルヴィアさんが顔を赤くしていた。
えー……
「そう言う気障なセリフは似合わないって……」
は?(威圧)
なんか目の前で惚気られた。
というかそんな赤面でいっても説得力無くね?
彼女の発言に苦笑するとエルロンさんは振り返って叫び返した。
「悪い!ムニエル!今行く!」
そしてこちらに向き直ると私を見た。
「と言うわけで失礼するよ。フジマル君」
「あっ、はい。整備頑張ってください」
「ああ」
彼は小走りで去っていった。
「じゃ、じゃあ、私も管制室のモニターテストがあるから先行くわね!」
「あ、ちょ……」
少し恥ずかしそうに頬を赤らめながらそう言った彼女は小走りで私を置いていくと、少し先の十字路を左に曲がって姿を消した。
あー。
「ダ・ヴィンチちゃんの話、聞き損ねたな……」
まあ、いいや。
取り敢えず訓練行こ。
§
「遅い!」
キャロルさんは叫びと共に私の顎めがけて掌打を放ってきた。
速い。
避けきれない。
「くっ……」
私は左足に少しだけ魔力を流し込み、腿の筋肉を無理矢理縮める。
ミシミシと足の筋肉が軋み、重心がわずかにずれる。
重心のずれに逆らわず上体をそらし、紙一重で掌打を躱した。
彼女の小指が左の頬をかすり皮膚を削る。
「しっ!」
腹から浅い呼吸を吐く。
私はそらした上体のひねりを利用し、彼女の右手に巻き付くようにクロスカウンターを放った。
魔力を乗せた拳は遠心力が加わり、猛スピードでキャロルさんの顔に迫る。
「甘い!」
マジか。
彼女は右足を軸に空度を半回転させ、左ひざを上げて私の拳を受け止めた。
ちょ、反応速すぎ。
「動きが止まってますわよ!」
キャロルさんは左手を私の喉元に、左足を私の膝裏に差し込む。
やばっ。
慌てて下がろうとするが、遅かった。
彼女の右手で首裏の襟をつかまれた後、左足をかけられ梃子の力で投げ倒される。
「うお……」
視界が回転する。
天井が見えたと思った直後に背中に衝撃が走り、肺の空気が無理矢理押し出される。
「かはっ⁉」
痛みにひるんだのもつかの間。
目の前に鋭い手刀が迫ってくる。
「おっあっ」
間抜けな声で無理矢理呼吸を整え、首をひねって躱す。
ズドンッ!
耳元で床が破壊される音が響く。
威力がおかしいっての!
私は倒れた状態から足で彼女の足をからめとり、寝技を試みる。
が、彼女は私の足を払うことはせず、前傾に倒れ左腕を私の首に押し付けてきた。
「うぐっ⁉」
気管が塞がれる。
腕で払おうとするが、密着していて届かない。
足は逆にからめとられて、身動きができなくなっていた。
「ぐ……」
暴れるが全く動かない。
完全にきめられた。
く、クソっ。
視界が狭まってきた。
残った力でキャロルさんを振りほどこうとするが全く動かない。
まるで自分の体の上に大きな岩が乗ったみたいだ。
徐々に抵抗できる力が弱くなり、意識が途切れそうになる。
「う……」
その寸前、彼女が腕をどかせた。
「チェック」
肺が空気を求めて、息をただ吸わせようとしてくる。
「げほっ、げほっ、げほっ、はあ、はあ、はあ」
私は四つん這いになって咳をした。
止まっていた血流が急に脳に流れ出したせいか頭痛がする。
涎がたれ、何度も咳をしながらなんとか呼吸を整える。
「迷っている時間が長すぎですわ」
上からキャロルさんの声が聞こえる。
「迷いは隙を産み、隙は先手を許します」
汗が頬垂れて、口にはいる。
塩の味がした。
「動きは体に覚え込ませなさい。徹底的に叩き込んで反射で動けるように」
「は…はい……」
「考えなしに戦うのは馬鹿ですが、考えながら戦うのは愚鈍です」
息が……
「戦術は反射で済ませなさい。戦いながら考えるのは戦略と大局ですわ」
「はあ、はあ、はあ」
「ミクロには末端神経で、マクロには中枢神経を使って戦いなさい」
「はあ、はあ」
呼吸がなかなか整わない。
クソ。
さっき無理をした足の痛みが今になって効いてきた。
「返事!」
聞いてるんだか聞いてないんだかよく分からない私の態度をみて、キャロルさんが怒声を発した。
怒鳴り声に私は反射的に立ち上がり、気をつけの体勢になった。
「はい!」
癖が……
「よろしい。それでは今日はここまでにしましょう。体を洗ってから戻ってらっしゃい。そのあと立花にも見積書に目を通してもらいますわ」
「了解、です」
彼女はそう言うとしっかりとした足取りで訓練室から去っていった。
息も全く上がっていなかった。
瞬発的な身体強化をあれだけ繰り返しておいてまったく疲れてる様子がないなんて、彼女は化け物か。
「……はあ」
緊張が抜け、私はその場で座り込む。
いつものことだけど戦闘部門長だけあって、訓練もスパルタだ。
怠慢で格闘戦をさせられるのは割ときつい。
「……疲れた……」
私がマスターになってからずっと彼女の手ほどきを受けてるけど、全くかなわない。
いや、敵うと思うほど自惚れてはいないけど、手ごたえがない。
やればやるほどに自分の未熟さを見せつけられる。
それは戦闘訓練だけじゃない。
ここにいると学べば学ぶほど、技術を身に着けるほどに周りとの差を痛感する。
多分あまりにも距離が開きすぎてるんだ。
思えば当たり前である。
このカルデアにいる人員は誰であれ、どこかしらの団体から選抜されたメンバーであるわけで。
自分のような素人と比べること自体が間違っているような精鋭たちなのだ。
だから彼我の距離を考えてはいけない。
でも……
それを理解してもなお、思わずにはいられない。
私は成長しているんだろうか……
千里の道も一歩から。
そんなことはわかっている。
でも一歩進んだ後に見据える景色は、千里から一歩分の距離を差し引いた道だけだ。
一歩前とほとんど変わらない。
そんな当たり前の事実が私を苛める。
私はみんなの願いを守れるような人間に、なれているのだろうか。
分からない。
「あー!やめ!やめ!」
思考の迷宮に迷い込みそうになった自分の頭を振る。
そうだ。
どうせ考えたところで答えなどでない。
進んだ先の景色が変わらなくても、今は進む以外の選択肢はない。
進まなければならない。
私はそういう物を背負っているのだ。
今はその事実を理解していればいい。
「取り敢えず、シャワーを浴びてこよう」
§
カルデアの制服に着替えた私は部の部屋の前のパネルに手のひらを押し付ける。
数秒でパネルから軽快な電子音が流れ、パネルの上部から黒い円筒が付き出てくる。
そして底面部が開く。
その中にはきらりと光るカメラのレンズがあった。
私は左目を円筒に近づけた。
2秒ほどで左目の視界にアンロックの文字が映った。
パネル左側にある扉が自動で開く。
毎回思うけど、どの部もこんなに警備を厳重にする必要があるのだろうか。
入るのが手間だ。
「ふぅ………あれ?」
戦闘部の事務室に入ると誰もいなかった。
いつもは25名ほど詰めている部屋には、乱雑に積まれた書類、電源が切られたモニター、スケジュールの書かれたボードが取り残されていた。
「みんなどこに行ったんだろう……?」
「総出で礼装と機材の調整に行きましたわよ」
「うわっ⁉」
後ろからの声に驚いて振り返る。
そこには先ほど戻ったはずキャロルさんが呆れ顔で立っていた。
「お、脅かさないでくださいよ、部長……というか先に戻ったんじゃなかったんですか?」
「先の訓練で分析した貴方の動きのデータを届けに行ったんですのよ」
「さっきの?」
「ええ。貴方の動きもだいぶ良くなりましたし、データは誤差がより小さい方がよいでしょう。身体強化の補正は数値の誤差が大きいほど肉体への負荷が大きいですからね」
仕事はやっ⁉
さっきって私がシャワー浴びて、着替えたの合わせても15分くらいだったんだけど⁉
「何を呆けているのですか……」
私が驚きを隠せないでいると彼女はため息を吐いた。
「神代へのレイシフトを行うのですわよ。できる限りのアップデートはしておくべきですわ。部も総出で機材調整していることですし」
「ああ、それでみんないないんですね」
「それは1週間ほど前に部内で通達しましたわ」
「え」
マジか。
聞いた覚えないなー。
「まあ、いいですわ」
彼女は呆れ顔でそうつぶやいた後、抱えていたファイルから一つの書類を出した。
10枚ほどの用紙だ。
「これは……?」
「それは先ほど言った見積書です」
ああ。
さっき言ってたやつ。
「貴方に注意してもらいたいことはこれです」
彼女は私に渡した見積書を何枚かめくるとある一点を指さした。
えーっと……
「“魔術回路の摩擦係数減少に伴う、宝具魔力の調整について”……なんですか、これ?」
ちょっと何言ってるかわからない。
「貴方の魔術回路の性質を考慮して、炉から供給される魔力量を少し変更しようと考えています」
「私の回路の性質……?」
私の魔力回路に特筆するべきことなんてあっただろうか?
ただでさえ貧弱魔力なのに。
「貴方は気づいていないと思いますが、ここ何回かのレイシフトを経て貴方の回路は伝達率が非常に向上しています」
「でんたつりつ」
私のオウム返しにキャロルさんはまたため息をついた。
だめだ、こいつと言わんばかりである。
ごめんなさい。
「……魔術回路が魔術師の生命力を魔力に変換する“炉”であり、術式へと魔力を注ぐ“路”であることは知ってますわよね?」
「も、もちろん知ってます」
もちろん知らない。
えーっと、ちょっと待って。
回路は発電機でもあり、電球に電力を送る電線でもある、って感じか。
多分。
よし。
「魔術回路を用いて作り出した魔力を、回路を通して術式へと送るとき基本的に作り出した魔力を100%注ぎ込むことはできません」
え、なんで?
「回路内で魔力が相反し、抵抗が発生するからですわ。我々は便宜上これを“摩擦”と呼んでいます」
うーんと?
ああ、高校でやった電気抵抗みたいなことかな。
魔力がぶつかり合って、その分のエネルギーが減っちゃう、みたいなことだね。うん。
「ですがここ最近のあなたは、回路と魔力間で発生する摩擦が類を見ないほどに少なくなっています。変換した魔力をほぼ100%術式に用いることができるほどに」
え、すご。
なにそれ、どうやってんの?
「ですから一般の魔術師ベースでカルデアの炉からあなたへ魔力を供給すると、必要量以上の魔力を術式に注ぎ込むことになってしまいますのよ」
「術式がパンクしちゃう感じですか」
「そうですね…あながち間違ってませんわ。貴方の場合、魔力の受け手は術式ではなくサーヴァントになりますけど」
そうだった。
「それを防ぐために今までまとめて使っていた宝具の魔力を調整し直してくださいませ、という申請ですわ」
ほー。
じゃあ、私にぶん投げてた宝具1回分の魔力量が減るのか。
ふむふむ。
えーっとつまり?
「結局どうなるんでしょう?」
「…………要するにサーヴァントの宝具を打てる回数が増えるから注意しなさいってことですわ」
「……ああ、なるほど」
最初からそう言ってほしかった。
そうか。
とりあえず有効打を打てる回数が増えたのは喜んでいい気がする。
うん。
私の表情を見て、キャロルさんは今日何度目かの溜息をついた。
そんなにため息ついてばっかりだと幸せが逃げますよ。
「それは立花、あなたが提出しておいてください」
「え、私がですか?」
「ええ。私はこれから強化された礼装に貴方の身体データを打ち込む仕事がありますので」
「打ち込み?部長がやるんですか?」
データの打ち込みなら数値だけ整備に送った方が早いのでは?
「さっき貴方と打ち合ったのは私しかいないでしょう」
私の質問に当たり前のような顔をして答えた。
一方的に殴り倒しただけで人の能力を数値化できるんですか……
えげつな。
しゃあない。
行くか―。
「所長って今、管制室にいましたっけ?」
「ああ。それはレフ教授に提出しておいてくれればいいです」
え?
「見積書は所長に提出するんじゃないんですか?」
基本的に部門の決算書とかは責任者がやってたんじゃなかったっけ?
「あの娘に提出しても結局レフ教授が確認するんですから、初めからレフ教授に出した方が早いでしょう」
「いや、そう言う問題じゃ……」
「よろしく頼みますわ」
それだけ言って部門長はすぐに廊下へ出ていった。
う~ん、いいのかな?これ。
職員成分高め。