「こんにちわー」
書類の入ったファイル片手に管制室の扉をくぐる。
迷ったが取り敢えず見積書は所長に渡すことにした。
決まってること無視してレフ教授に渡すというのは、やはり筋が通っていない。
それに所長が教授に回すなら、まず所長に渡したって問題ないよね。
……まあ、教授と面と向かって話すのが苦手ってのもあるけど。
「ああ。リツカ君か」
私のあいさつに管制室のおくにいた人が顔をこちらに向けた。
げ。
レフ教授じゃん。
なんでいるんじゃ。
周りを見渡す。
コフィンや礼装の整備でオペレーター組も忙しいのか周りには誰もいない。
いるのは管制室の指令席に座っているレフ教授と……
「あれ?達海?」
指令席の前で机に手を付け、前のめりになっている我が弟だった。
はて?
さっき技巧部はコフィンの整理があるってエルロンさんが言っていたような……?
達海が振り返る。
「……姉さん」
その顔はとてもこわばっていていた。
般若のような表情、なんて比喩表現が頭をよぎる。
「達海……?」
手の中でクシャッと音がする。
「あ」
しまった。
びっくりして書類を潰しかけている。
いかん、いかん。
これを潰してしまったら部長にまたどんなお小言を言われるかわかったもんじゃない。
少し折れた見積書を何度かなぞって伸ばす。
よかった。
ギリギリセーフ。
折れきっていないのが幸いした。
「それは見積書かい?」
慌てて直しているとレフ教授が私の持っている書類に気付いた。
彼の声に顔を上げる。
「姉さん、重要な書類は大事に扱ってと言ってるじゃないか」
隣の達海は呆れ顔でだった。
「え、ええ。そうね。気を付けるわ……」
その表情はいつもよく私が見る顔だった。
さきほどのこわばりは影も形もない。
見間違い……だろうか?
「戦闘部は書類の提出がいつも早くて助かってるよ」
教授はこちらを見てにこりと笑う。
「ははは…私が用意してるわけじゃないですけどね…」
分家とはいえさすがは名家出身。
部門長の仕事の速さには毎度のことだが頭が下がる。
「できていても提出してくれない部もあるからね。持ってきてくれるだけでもありがたいよ」
教授は笑いながら達海を見る。
「というわけで技巧部門長。戦闘部を見習ってもう少し早めの提出をお願いするよ」
そうやって冗談を言う教授。
怖いわ。
上司に遠回しに嫌味を言われるときのストレスは、回避状態の相手に宝具を使ってしまった時のイライラを優に超える。
辛み。
でもちょっと意外。
達海ってこういう面倒な仕事はさっさと終わらせるタイプだと思ってたんだけど。
「
笑顔の裏の圧。
恐ろしす。
その圧に達海も臆したのか少し焦り気味に返事をした。
「……わ、わかっています。引き延ばすつもりはありません」
そういうと達海は踵を返し、私の方へと歩いてきた。
「ごめん、姉さん。僕も今日中にまとめなきゃいけない書類があるから工房に戻るね」
「ええ。頑張ってね。だけどあんまり無理しちゃだめよ」
上司の圧に屈してはいけないぞ、達海。
あくまで自分を優先しなさいな。
私のエールに達海はほんのり笑う。
「うん。ありがとう」
そして後ろの扉を出ていった。
あいつも大変だな……
今度、あいつの大好きなプリンでも持って行ってあげよう。
差し入れの糖分は頭にしみいる。
ドクターのおやつだけど。
「リツカ君。座ったらどうだい?」
「あ、すいません」
わたしは手近なオペレーターの席に座る。
結局、所長はどこにいるんだろう?
私はこれを所長に私に来たのであって……
いや、聞けばいいのか。
「教授、所長はどこにいらっしゃるんですか?」
「オルガかい?彼女ならコフィン整備の様子を見に行ったが……」
「あ、そうなんですね」
ああ、入れ違いになっちゃったかー。
下に下りるの面倒だなー。
所長の不在に頭を悩ませる。
私が顔をしかめていると教授は何を考えているのか気づいたようだ。
「ああ。そういうことか」
彼はにこりと笑い、こちらに手を伸ばした。
「良かったら私からオルガに渡しておこうか?」
有難い申し出ではある。
うーん。
けどまあ、顔見せに言っただけならすぐ戻るだろうし。
それまで待っててもいいか。
「いえ、大丈夫……」
「教授ー持ってきましたよー」
「こっちもです」
教授の申し出を断ろうとしたら、後ろで扉が開いた。
そしてぞろぞろ人が入ってくる。
入ってきたのは男女合わせて4人。
「ああ、すまないね」
入ってきた人たちに教授は声をかけた。
えーっと、あれは航路部と総務部の人たちか。
「お、なんだ、フジマルも見積書を提出しに来たのか」
「あ、うん。航路部と総務部も?」
「ああ。部門長がさっさと行ってこいってうるさくてな」
「右に同じく」
入ってきた彼らはみな一様にだるそうな表情であった。
まあ、お使いは大抵面倒くさいよね。
ただでさえレイシフトの準備で忙しいだろうし。
「あ、みんな。今さ、所長が下に下りたらしいから帰ってくるまで少し待つかも」
時間ないだろうにタイミングが悪い。
なんかこっちまで申し訳なくなってきた。
所長がいないことを今来た彼らに告げた。
それを聞くと彼らは不思議そうにこちらを見た。
「?」
「おお、そうか」
そう言いながら彼らは指令席の前まで歩く。
ん?
なんか話が噛み合ってない?
「いや、だから所長今いないんだって」
「ああ。それはわかったが……?」
彼らは眉をひそめて私を見る。
「見積書を提出に来たんでしょ?」
「ああ……?ああっ!そういうこと!」
彼らの一人が手をポンと打った。
3人はその一人に顔を向ける。
「なに?どういうこと?」
「ほら、一応決まりだと決算に関わる書類は責任者が受け持つことになってるだろ?」
「ああー。そう言うこと」
「なるほどね。フジマルは真面目ねー」
彼らは謎の盛り上がりを見せた後、レフ教授に見積書を渡した。
「よろしくお願いします」
「ああ。ありがとう。こちらで預かっておく」
え。
ちょっと。
「それは所長に……」
彼らは教授に書類を渡した後、振り返って私に言った。
呆れ顔で。
「いや、所長に渡してどうすんだよ?」
「いつも精査してくれてるのは教授でしょ?」
当たり前のようにそう言われる。
「でも決まりだし……」
「決まりってなあ。細かいとこまで毎回確認してくれてるんだから、教授に直接渡すのが筋ってもんだろ。所長からまわしてもらうなんて失礼だ」
彼らの一人が口をへの字にしてそう言った。
失礼……
いやいや。
「それって所長には失礼じゃないの?」
面子丸潰しってことでしょ?
所長を無視して話進めるって。
「いや、それは違うだろ」
彼は私が言ったことにムッとした。
「だいたい所長が言い出したことじゃないか、実力主義って」
それを聞いて、ある言葉が頭をよぎる。
カルデアに来て、初めてのブリーフィングで所長に言われたことだ。
『それはあくまでも特別な才能であって、あなたたち自身が特別な人間ということではありません。あなた達は人類史を守るためだけの道具にすぎないことを自覚するように!』
道具だと言われた。
それはつまり人類史を守るために有用な役割を果たせなければ無価値ということ。
結果がすべてと言っているのだ。
「フジマルたちも言われただろ?あれ」
総務部の職員は顔をしかめながら言う。
他の職員3人も眉を八の字にしている。
「俺たちも入所するときに全員言われたんだぜ」
マスターだけじゃなかったのか。
「それなのに自分の立場が危うくなった時は忖度してくれって、そりゃあ都合がよすぎるってもんだろ」
「それは……そうだけど……」
「だいたい所長だっていうならもう少し考えて動くべきじゃないか?」
彼はしゃべり始めたら止まらなくなってきたのか、段々と饒舌になってきた。
「敵を作るような発言ばかりして、レイシフトもできないくせにフジマルには偉そうに命令するし」
饒舌な彼の隣でこちらを見ていた女性職員が目を見開く。
ん?
「それでいて肝心な時は教授だよりだろ?」
「ちょっと」
隣の女性が彼を肘でつつく。
「部下だって上司のことちゃんと見てるんだぜ?あんな態度で責任者って……」
「ちょっと!」
「もう、なんだよ。さっきから」
「言いすぎよ!馬鹿!」
「ああ?いいんだよ。フジマルは優しいからこれぐらい言っておかなきゃ。お前だってさっき、言って、た……」
其処まで言いかけた男性職員はこちらを見て目を見開き、口を魚のようにパクパクさせた。
陰口。
他人の悪口を当人が見ていない場所で口にする行為。
この言葉は得てしてよくできていると思う。
陰で口にする。
陰で行うことは目先の期間では見つからないこともあるが、大抵の場合白日の下にさらされる。
壁に耳あり障子に目あり。
つまり何が言いたいかと言うと。
大体の場合、本人の耳に届くということだ。
人づてか、はたまた本人が背後で聞いているかは分からないが。
「おかえり。オルガ」
扉が開く音がした後、教授は笑顔のまま言った。
「ええ」
かつかつとヒールの音がする。
横を向くと、件の所長がいた。
「コフィンの方は何か問題があったかい?」
教授は表情を変えず、所長に聞いた。
全くのポーカーフェイス。
さっきまで所長のことを話していたとは感じられない顔である。
あの人どんな心臓してるんだ。
「順調とは言えないわね」
「手厳しい」
所長は冷静に口を開く。
「紀元前に跳ぶのだから今まで以上に良好なコンディションにしておく必要があるわ」
「確かにそうだが、霊子化の数値は今までで最高値なんだろう?ベストを求めて終わらなければベターよりも悪い」
「分かっています。ある程度の調整で妥協するつもりです」
所長は一呼吸置いた後、キツイ目線を教授の手元へ注いだ。
彼の手元に束になった書類が置かれているのを見ると、彼女の表情が一瞬だけ崩れた。
しかしすぐに先ほどの冷静な表情に戻り、また淡々と話し始めた。
「……見積りは期日通り提出されているみたいですね」
「ああ。あとでまとめて君のところに持っていくよ」
「お願いします」
レフ教授はそんな彼女を見て苦笑いしている。
「それで、あと出ていないのはどこですか?」
「あとは……医療部門と技巧部門だ」
「そう」
彼女はそう言うと踵を返し、先ほど通った管制室の扉へと歩き出した。
「どこへ行くんだ?オルガ」
「まだ出してない部に書類を取りに行きます」
「態々直接?」
「……今回はある程度余裕を持って事に当たりたいので早めに回収しておきます」
「そうか」
そして私の横を通り過ぎ、扉から出ようとした。
あ。
ちょっと。
「所長!」
私の呼び声に彼女は足を止める。
そして顔だけを振り向かせこちらを見る。
「なんですか?」
声が低い。
「これなんですけど……」
私は手に持った戦闘部の見積書を彼女に差し出す。
彼女は冷たい目でそれを見下ろした。
そして視線を上げ、こちらを見た。
「さっきの話を聞いてなかったの?レフに渡しておいて」
「いや、所長に渡す決まりですし……」
「臨機応変に対応しなさい」
「でも……」
一応所長に渡すために待ってたわけだし……
そう食い下がったが間が悪かった。
彼女に渡す意思を見せ続ける私を見て、所長はきつい目線を繰り出す目をさらに吊り上げた。
彼女は左手で私が持っていた書類を勢いよく払った。
花吹雪のように紙が舞い、バサバサと音を立てて落ちる。
「同情なんていらないのよ!そんなくだらないことを考えている暇があるのなら、あなたはあなたがやるべきことをやりなさい!」
ひらひらと舞う紙と対照的に、管制室の空気は凍りついた。
「っ!」
彼女はキッと私を睨みつけた後、速足で管制室を後にした。
今、目に……
「おい、フジマル?」
そうか。
今の所長には私の態度は同情に映るのか。
「おーい、大丈夫か?」
私の視界にドアップの顔が映る。
「うおお。びっくりした……」
総務部の男性職員が私の目をのぞき込んでいた。
「返事しろよ」
「すいません」
彼は床下に散らばっていた書類をまとめるとこちらに渡してくれた。
「ほい」
「ありがとう」
あーやばし。
バラバラになっちゃった。
直さないと。
「ひどいわよね」
「え?」
バラバラになった書類の順番を直していると航路部の女性がこちらに近づいてきた。
酷い?
「ああいうこと言った私たちも悪いけど、だからってあなたに当たらなくても」
「……」
ああ、そうなるのか。
眉を寄せて不快感をあらわにする彼女。
たぶん彼女は私を気遣ってくれているんだろう。
その気づかいは嬉しい。
けど、その気づかいをほんの少しでも所長に向けてくれていたら、彼女の目に涙が浮かぶこともなかったかも……
いやいや、こういう考えは不毛だ。
私は私にできることを、彼女に言われたとおりにやろう。
バラバラの書類を強引にファイルに差し込む。
「リツカ君?とりあえずそれはこちらで預かって……」
「いえ!」
泣いてる人を放っておくのは嫌だから。
多分今の私がやるべきことはこれだ。
「私も所長の仕事を手伝ってきます!」
私の発言に、眉をしかめるレフ教授。
「……今は一人にしておいた方が…」
彼女はいつも一人だ。
たまには愚痴を吐ける部下がいてもいいじゃないか。
「空気を読めないのは私の特技なので!私のも後でまとめて渡しますね!」
それだけ言って管制室を出る。
扉をくぐり、廊下に出る。
技巧部と医療部、所長はどっちに行った?
距離は同じくらいだし……
医療部はドクターがいるから後に回すはず!
よし、こっちだ!
私は走って所長の後を追った。
「チッ」
§
「どこにいるんだろう?」
技巧部までの廊下を進むが全く所長の背中が見えてこない。
所長、歩くの速いって。
もしかして医療部の方に行っちゃったのかな……?
階段を上り、右に曲がる。
ここを直進して突き当りを右に曲がったら技巧部の工房に着いちゃうんだけど。
速足で廊下を進む。
カルデアの建物内部では地上部分は円形の構造だからか、廊下がわずかに曲がっていて曲線を描いている。
先が見えないので誰と出会うか分からなくて面白かったりする。
しかし地下部分は日本にあったような直線配置の構造なので歩いていてもたいして面白くない。
災害用についている壁面の足元ランプを見ながら、歩く。
そして突き当りを右に曲がる。
見えた。
大きく物々しい扉。
魔術や戦術道具の研究のために分厚くしたらしいけど、
景観から明らかに浮いている。
その扉がわずかに開いていて、ドアノブに手をかけたまま止まっている人物がいた。
「よかった。やっぱりこっちに来てた」
腰まで伸ばした綺麗な銀髪が廊下の照明を反射して光っている。
強烈なクセッ毛で先端がくるんと丸まっているのはご愛敬である。
立ち姿も背筋を這っていて凛としている。
所長ってやっぱり美人だよなあ。
ゆっくりと彼女に近づいていく。
彼女は引き戸のドアノブを握ったまま動かない。
何をしているのだろうか?
歩いて進んで行き、彼女の背中に声をかけようと思ったとき声が聞こえてきた。
『聞いたか?また部長が吊し上げ喰らったらしいぞ』
所長が開きかけている扉の隙間からだ。
技巧部の職員だろう。
『吊し上げ?』
『ほら、会議のあれだよ』
『あー、あれか』
声だけ聴くにエルロンさんと同じような反応である。
『相変わらずあのクソどもも飽きないよな』
『ホントだぜ』
憎たらしいってよりは笑い話みたいな声音だ。
彼が言っていたように、技巧部の職員たちは達海自身のことに対して心配のような心遣いはあまりないらしい。
『まあ、あいつらが変わるなんてこれっぽっちも思ってないからいいんだけどな』
『陰湿さは身を持って体験してるからな』
割とぶっちゃけてるなあ。
これも工房の分厚い扉と壁があってこそか。
まあ、今はその扉が開いちゃているわけだが。
『そういや副長が言ってたけどよ。次のレイシフト、部長行かないってよ』
『は?行かない?達海さんが?マジで?』
『マジで』
『え、馬鹿なのか?あいつら?』
『だよなあ』
『いや、達海さんが行かないでって無理だろ?あいつらローマでフジマルが死にかけたの忘れたのか?』
ぐっ…
我が事ながら、そこを言われるのは少し痛い。
『あのときは経験も少なかったし、キリエライトが上手く霊基に順応してなかったってのもあるが、それにしたってなあ』
『厳しすぎるだろ。次のレイシフト、紀元前なんだろ?大丈夫か?』
『幸い、フジマルの成長度合いはちょっと目を見張るものがあるからな。上手くできん事もないかもしれん』
『あれはちょっとどころじゃねえ』
な、なんか照れるな。
自分がいないところで自分の話されるのはちょっと怖いけど、意外と私って評価高い?
『というかなんでそうなったんだ?やっぱり魔力不足か?プロメテウスの火にも限界があるし……』
『いや、あいつらの横槍だってよ』
『……おいおい、今回は幾らなんでもやりすぎじゃないか?』
彼らの声に軽さがなくなる。
『やっぱりお前もそう思うか?』
『ああ。あいつらいくら意地悪くても、レイシフトの安全性を下げるようなことは今までやらなかったよな?』
『そうなんだよな。まあ、教授が容認したってことは最低限、何かしらの担保があるんだろうが……』
『教授が?』
『副長はそう言ってたぞ』
それからしばらく無言が続いた。
会議ではだいぶ魔力がカツカツって言ってたからなあ。
なんだかんだでそこが一番大きいんじゃないかな。
『もしかして、だけどよ……』
しばらく間があく。
『もしかして、なんだ?』
『…会議で抑えきれなかった、とかないよな?』
『あいつらが調子付きすぎてるってことか?』
『ああ』
『いや、あれって一応、全部門強制参加の戦略会議だぞ。カルデアで最も大きい意思決定機関がそんないい加減な理由で議決をとるなんてことは…………ない、とも言えないな』
『だろ?いつもみたいに議事進行役は所長だったんだろ?』
ドアノブに手をかけていた所長がびくりと震える。
『ああ。そう聞いてる』
『所長じゃ抑えるのは無理だろ。時計塔の先達だろうし』
『……そうだな。舐められてるしな、完全に』
『教授もなあ、もっと積極的に指揮してくれりゃあ上手くまとまるんだが……』
所長の背中がまたピクリと震える
『一応気を使ってるんだろう。教授が指揮を取り出したら、所長の立つ瀬がないだろうしな』
『そこだよ!そこ!』
『そこ?』
『根本的なずれはそこだろ!』
『ずれって……ああ、そういうことか』
『あんだけ俺たちに結果だ、実力だって言ってたんだからよ。実力のある人間に地位を譲るべきじゃないか?』
『一理あるが……この施設はほとんどアニムスフィア家の私費で作られたようなものだろう?それは流石に厳しいんじゃないか?』
『それってつまりスポンサーだろ?いくら株主が金持ってるからって代表取締役社長をそいつにするか?普通』
『……それもそうだな』
『実力のない金持ちに舵取りやらせるからこんなことになるんだよ。人類全体の命運がかかっているんだぜ?私財がどうのなんて言ってる場合じゃねえだろ』
ちょっと、言いすぎじゃない?
確かに言ってることに正しいとこもあるけど、会議に参加もしてないのここまで言う?
『レフ教授が所長になってくんねえかなあ』
おい。
流石に言っていいことと悪いことってもんがあるでしょ。
注意しようと顔を上げたとき気づいた。
ドアノブを握っている所長の手が、震えていた。
ただ顔を下に向け、体を震わせていた。
「っ…………」
彼女のその姿に反射的に手を伸ばす。
だが上げた右手が彼女の肩に触れることはなかった。
ゆっくりと私は右手を下した。
冬木で彼女は言っていた。
必要な才能だけがなかった、と。
質のいい魔術回路も、豊かな家も、明晰な頭脳も、健康な肉体も持って生まれた彼女は最も必要な才だけがなかったと。
悲しげに、言っていたことを思い出す。
レイシフトとマスターの適性。
たまたま持っていただけの私が、たまたま活躍しているこの状況で私は彼女に何と声をかければいいのだろう。
“同情なんていらないのよ!”
そう言われたのに、これじゃあそれよりひどい。
憐憫だ。
『おい』
聞こえてきた声にピクリと耳を動かす。
この声は……
『あ、部長!お疲れ様です!』
『お疲れ様です!』
達海だ。
『君たち何やってるの?』
声が堅い。
『い、いえ。副長から会議の様子を聞いたので次のレイシフトはどうなのかと……』
『そうですか……詳細が決まったら全端末に同期するって連絡しましたよね?』
『は、はい』
『じゃあ、それ今する話じゃないですよね?』
『……はい』
『僕はあなた達にあの礼装の調整をお願いしてたんですけど、そっちは終わったんですか?』
『……い、いえ』
『口を動かすのも結構ですが並行して手も動かしてください』
『すみません』
ものすごい低い声だ。
あいつのこんな声なんて滅多に聞かない。
『で?なんでしたっけ?所長が変わった方がいいとか……僕にも聞かせて欲しいんですけど』
所長がピクリと手を動かす。
『いえ……それは、その……』
『その?』
『その……あの、ちょっとした冗談みたいなもので……』
『……』
『……』
『言えよ』
底冷えするような声だった。
『会議で、ぶ、部長が、理不尽な意見を押し付けられたと聞いて……』
『聞いて?』
『その……まとめ役がもっとしっかりしていれば部長も動きやすいのではないかな……と』
『……』
しばらく無言が続いた。
『……僕は、あなた達に素晴らしいポテンシャルがあると思って、技巧部に来てもらいました』
『……』
『そして見込み通り、いや見込み以上のものを技巧部全員が発揮してくれている』
『は、はい』
『おかげでレイシフトのサポートは想像以上の質で行えています』
『あ、ありがとうございます』
『でも、ですよ?思い出して頂きたい。ここに来る前のあなた達を』
『『……』』
『自分の技術も、経験も、才能も、何一つ有効に活用されずにいたとき、あなた達はどうでしたか?』
『そ、それは……』
『腐ってましたよね?自分には才能がないと自虐的になったり、周りの奴らは自分を全然理解できてないと殻にこもったり』
『……』
『それ自体が悪いとは言いません。人間ですし誰だってそう言うこともあるでしょう』
『ですが、そんな経験した貴方たちが所長を否定するんですか?』
『っ……』
『周りから攻撃されるだけの立場を経験した貴方たちが?』
『……』
ハァとため息を吐く音が聞こえる。
『僕たちに今最も必要とされる力ってなんだと思います?』
『……分かりません』
『そうですか。……これは持論なんですけどね』
『僕は”現実を見つめる能力”だと思ってます』
『現実を?』
見つめる?
『ええ。これまで私たち全員が経験してきましたが、正直言って敵の規模は我々が思っている何百倍も大きくて、私たちを阻んでくる障害はいつも我々の想定を優に超えてきます』
『それらを前にしては、個人の才能なんてちっぽけなものです』
『我々の誰が、周りと比べてどのくらい優秀か、なんてほとんど意味がありません』
『それでも私たちがここまで進んでこれたのは私たちが目を塞いでうずくまることをせず、常に敵や障害を見つめてきたからでは?』
『……』
『これは理想論や根性論で言ってるわけではありません。アメリカで魔神柱に囲まれたとき、キャメロットで円卓の騎士に嬲り殺されそうになった時、我々を救ってくれたのは常に現実から逃げず直面してきたがゆえの力だったはずです』
『……そしてその力を所長は持っています』
所長が顔を上げた。
『あなた達が自らの境遇に腐っていた時、彼女は何をしていたか分かりますか?』
『……』
『彼女は寝ることもせず、自分にない知識を必死に勉強していましたよ』
『どこぞの老人に皮肉を言われようと、部下に馬鹿にされようと、レイシフトに必要なことやカルデアをまとめるために必要なことを死に物狂いで学んでいました』
『所長が……?』
私たちが見ていないところでそんなこと……
『彼女は泣きもしますし、怒りもします。理不尽な命令や間違った指示を下したこともありました』
『ですが彼女が現実から目を背けたことは一度だってなかった』
『彼女はどんな苦境に立たされても、指揮を放棄したことは一度もなかったでしょう』
『分からないことがあれば周りに聞くこともありましたが、自分の頭で考えることは絶対にやめなかったはずだ』
『そんな彼女が所長に相応しくないって?』
『少しは考えてから発言しろよ』
『僕は感情で喋る馬鹿を部下にした覚えはない』
その口調はとても断定的で重かった。
彼女の信を見ていた言葉にもまた確固たる信念があった。
「っ……」
嗚咽が聞こえた。
私が視線を上げると、扉の前には雨が降っていた。
とても局地的で、水源は二つの瞳からだけだったけど。
オルガマリー・アニムスフィアは口を手で覆い、声を漏らすまいとしていたが背中を一目見ればわかるくらいにむせび泣いていた。
「っ……っ……」
でもたぶん、悔し泣きでは、ないだろう。
『す、すいません、部長……』
『軽率な発言でした……』
扉の中から謝罪する声が聞こえる。
『僕に謝ってどうするんですか』
達海の声にはさっきのような険はなかった。
ただ呆れは含まれていたかもしれない。
『所長に謝る気があるのなら、今整備してる礼装をちゃんと仕上げてください。それが彼女のためにもなります』
『は、はい!』
『やります!』
『奥の工房で大体の調整はしておいたので、データのチェックとテストをお願いします。保険ですからね。割と慎重にお願いしますよ』
『『承知しました!』』
二人分の声が聞こえたあと、駆け足が遠ざかっていった。
あいつ、言うときは言うのね。
しかもちゃんと人を見てる。
正直、自分の技術以外あんまり興味のない奴だと思ってたけど。
私も認識を改めなければ。
『っ……』
視線を上げると所長はまだ動けなさそうだった。
今の彼女に声をかける必要はないだろう。
どうやら私が来たのはただのお節介だったみたいだ。
まあ、でもせっかくここまで来たし、所長のお使いってことで医療部の見積書を回収しようか。
目を真っ赤にしてドクターにあったら、いくら誤魔化したって所長が可哀想だからね。
私は音を立てずに彼女から離れ、廊下の分かれ道を左に曲がった。
夏イベは水着オルガマリー所長だと思います。