たった一人のマスターへ   作:蟹のふんどし

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生きてます(2回目)
私は今後、この報告をいったい何度するのでしょうか。


手遅れ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ………」

 

私の足元の水面が大きな音を立てた。

 

「ああ………ああっ」

 

水面に血が滴って落ちる。

 

「手が………」

 

いつものように動かそうとした右手に反応はなく、先を失った手首から血が流れ落ちるだけだった。

 

「szq!szq!tg@0szq!」

 

「………っ!」

 

迫る敵を見て、体をよじろうとした私の口から血が漏れる。

 

「う………」

 

痛みから視線を下すと脇腹に奴の鉤爪が刺さっていた。

礼装に血が滲みだす。

私の手首を切り落とした紫色の生物は目の前で笑みを浮かべ涎を垂らした。

 

「こいつっ!」

 

切り落とされた右手に目を見開いて固まっていたジャンヌは敵の声に目を吊り上げた。

そして右手に握った旗をふるい、敵に叩きつけようとした。

 

敵は後方に跳び、水中に鉤爪を入れながら何かを叫んだ。

何を言っているかはいまだに理解できなかったが、その姿はまるでおもちゃを手に入れた子供がはしゃいでいる様を彷彿させた。

 

「うぐっ⁉」

 

その反動で私の脇腹に刺さっていた鉤爪が抜ける。

燃えるような痛みに思わず膝をつき、体が泥水につかる。

その瞬間、体全体を倦怠感が支配した。

 

「燃えろ!」

 

彼女の怒声と共に彼女が睨みつけた先に爆炎が舞う。

謎の敵性生物は先ほど同じく炭になるかのように見えた。

 

「gg!」

 

しかし先ほどの敵たちとは違い、その生物には翼が生えていた。

背中から生えたその翼には羽毛のようなものはなく、背中から生えた鉤爪のようなものに膜が張ってある。

蝙蝠の翼のようなそれをわずかに動かした敵は器用に空中で姿勢を変え、彼女の炎を躱した。

そして私たちから離れるように飛んでいく。

 

「このっ!」

 

水面すれすれを滑空していた敵にジャンヌは追撃を仕掛ける。

敵を追うように爆炎が何度も巻き起こるが、奴は翼を動かして炎をよけながら飛ぶ。

 

「3zq!3zq!」

 

彼女の炎を避けながら水面の上を滑空していた敵は何かを叫び、水面に下ろしていた鉤爪を上げた。

その鉤爪の先には切り落とされた私の右手が引っかかっていた。

 

「ッ⁉」

 

ジャンヌはそれを視界にとらえると、右手の旗を後ろに抱えた。

そして全身を使うようにして状態をひねり、救世の旗を敵めがけて投擲した。

 

「返せ!」

 

槍のように猛スピードで迫る旗。

さしもの敵も避けきれなかった。

炎の時と同じように旋回しようとした敵だったが、間に合わず旗の石突が敵の足を貫いた。

 

「gggggg!」

 

水面を滑空していた敵はふらつき叫び声を上げる。

高度を落としていたからそのまま墜落するかと思えたが、そうはならなかった。

奴は口しかない顔を足元に向けた後トカゲの尻尾切りのように旗の突き刺さった足を切り捨てた。

 

「な⁉」

 

予想外の行動にジャンヌは驚愕を声に出す。

敵性生物は大きく広げていた翼を羽ばたかせ、高度を取って私たちから離れていった。

 

「逃がすか!」

 

ジャンヌはなおも追撃を仕掛けようとした。

しかしそれができなかった。

 

それはおそらく私が水面に倒れる音が聞こえたからだろう。

視界がぼやける。

意識があいまいで、物の境界線が歪んでいく。

手に力を入れようとしても全く動かない。

これはさっき彼女が言っていた呪いだろうか?

 

ジャンヌを敵から守ろうとして体を乗り出したのがよくなかった。

せっかく背負っていてくれていたのに、自分からあの泥水に足をつけてしまった。

 

バシャバシャとこちらに水音近づいてくる。

 

「しっかりしなさい!」

 

ジャンヌの声が頭上から聞こえる。

返事をしたいが唇もしびれて動かない。

 

「あんたが私をかばってどうすんのよ!」

 

彼女に抱き起されたのか、視界が少し明るくなった。

頬を叩かれているかのように頭が揺れる感覚がする。

 

「クソッ!呪いの進行が早い、出血も多い………」

 

彼女が私の体を触っている。

 

「どうする。どうすればいい」

 

「………」

 

「迷ってる時間はないわ。私はあいつに頼まれた。死なせるわけがない。死なせるわけがないのよ」

 

「あ………え………」

 

何とか口を動かそうとしたが意味をなさない音を出すことしかできなかった。

しかし彼女が素早く反応するのを感じた。

 

「っ!」

 

彼女の手が私のおでこに触れる。

手甲の留め具がおでこに触れ、金属の冷たさが伝わってくる。

 

「まだ意識はあるのね?分かった。もう喋らなくていいから休んでなさい」

 

彼女がそういった後、頭上でなにやら金属がぶつかるような音がした。

しばらくカチカチと音を立てた後、私の耳元で彼女が言った。

 

「背に腹は代えられない。少し痛いと思うけど我慢してちょうだい」

 

彼女の手元が明るくなった。

そして妙な音と焦げ臭いにおいがしだした。

変な感覚を奇妙に思ったその時、

 

「うぐ⁉」

 

右腕に激痛が走る。

棘が体内を動き回るかのような鋭い痛みと皮膚が焼けるような熱さ、そして骨をハンマーで殴られているような鈍痛が響く。

 

「やめ………てっ…」

 

あまりの痛みに口が動く。

涙と鼻水が漏れ出いているのが分かる。

 

「いたい………いた………い」

 

下腹部のあたりが濡れてきて、焦げた臭さに混じってアンモニアの臭いまでしだした。

 

「耐えなさい!私は治癒も解呪も使えないのよ!」

 

彼女の叱咤が響く。

何をされているのかよく分からない恐怖と痛みから逃れたい思いで頭が埋め尽くされる。

 

痛い痛い痛い痛い。

止めて。お願い。

痛い。

お願い。

痛いよ。

 

「舌を噛むわ。私の服を噛みなさい!」

 

口に何かざらざらしたものが入ってくる。

 

「うううぅぅぅ!」

 

涙と鼻水でまみれた歯で布のようなものを噛みながらうめき声を上げる。

 

「ううう!」

 

「もう少しよ。あと少しだから」

 

慰めるような声が聞こえたが、あまりの痛みに私は意識を保てなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

体が揺れる。

ぬくもりを感じる。

規則的な揺れと温かい毛布のような感覚に包まれて、ぐっすりと眠る。

 

私はふと孤独を覚え、ゆりかごの外に手を伸ばした。

宙をさまよう私の小さな手はすぐに大きく温かい手に握られる。

頼もしくも柔らかい手に私は安堵の息を漏らす。

 

「ゆっくりお眠りなさい。私のかわいいかわいい愛しい子」

 

優しい声が響く。

 

「泣かなくていいのよ」

 

私の母は私の頬に手を添えて、私を慈しむように撫でる。

 

「大丈夫。もうすぐあなたの弟が生まれてくるから」

 

彼女は私に笑いかけた。

 

「あの子なら優しい世界を作ってくれる。貴方が笑っていられるそんな世界を」

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

何かが私の頬をなでた。

痛みはなかったが、くすぐったい感触に私は目を開いた。

 

「う…ん………」

 

暗かった視界を開くと、目の前にはどんよりとした黒い雲が広がっていた。

視界の外から声が聞こえてきた。

 

「………ようやく目が覚めたわね。お寝坊さん」

 

ジャンヌだ。

彼女の声が頭上から聞こえる。

私は頭を起こそうとした。

 

「ん………あ、あれ………」

 

しかし体を起こそうとすると、めまいがした。

そして力が抜けてしまい、また横になった。

 

「無理は、しなくていいわ」

 

黒い空を眺めながら彼女の声を聞く。

 

「あんたの体は呪いにむしばまれてる。今は拮抗してるけど、下手に体を動かさない方が…身のためよ」

 

「呪い………?」

 

彼女の言葉に疑問を覚える。

 

「あんた、意識を失う前のこと、覚えてる?」

 

意識を失う前?

えっと………

確か、バビロニアにレイシフトしてきて空から落ちて、変な生き物に会って………

それで………

 

「っ‼」

 

私は顎を引いて右腕を見た。

手首には黒い布がぐるぐる巻きにしてあったが、手首から先の感覚はなかった。

指を動かそうとするが布はうんともすんとも言わず、それだけであの光景が夢でないことを理解した。

 

「手首は圧迫止血したわ。ただの応急処置だから動かしたらまた血が出るわよ」

 

どうしよう。

私が右手を失って最初に頭に浮かんだのはそれだった。

令呪を、みんなとの繋がりをなくしてしまった。

私の不注意でとんでもないことをしてしまった。

 

「切断面は綺麗だから、取られた右手を取りもどせば繋げられるかもしれないわね。とりあえず礼装の応急処置で、冷却してあるから、魔力は使っちゃだめ」

 

レイシフト先で令呪を失って、私はどう戦えばいい?

みんなとの連絡もつかないのにサーヴァントの協力が得られなかったら私はただの一般人だ。

私は何をしにここに来たのだ。

 

「あと泥水から落ちたときに入った呪いがひどかったから、右腕に私が別の呪いを付与したわ。あんたの体がだるいのは、泥の呪いと私の呪いがせめぎ合ってるせい」

 

ここで私は死ぬのだろうか。

まだここに来て何もなしえていないのに。

 

「呪いを解いたわけじゃないから。帰ったら本格的な治療を受けなさい………って」

 

どうしたら………

 

「人の話を、聞け!」

 

「痛っ」

 

お尻に鋭い痛みが走る。

まるで蹴り上げられたかのように傷んだ。

 

「あんたの状態を説明してあげてるんだから、ちゃんと聞け」

 

「ご、ごめん…」

 

彼女に謝る。

 

「余計な体力を使わせんな」

 

彼女はため息が聞こえる。

 

「焦ってもしょうがないわよ。なるようになるわ」

 

彼女の言い様に幾分か冷静さを取り戻した。

そうだ。

右手は失っても、令呪はまだ取り返せる。

冷静に考えなければ。

 

心を落ち着けると周りを見る余裕ができた。

そこで初めて私は白い布でできたハンモックのようなものに寝かされているのに気付いた。

これは………

 

私が周りの布を触っていることに気付いたのか、彼女は説明してくれた。

 

「ああ。それね。旗を結んであんたを寝かせてるのよ」

 

どうやら彼女が使っている救世の旗を寝床にしているみたいだった。

旗の一方を旗棒に結んで私を寝かせられるようにしたらしい。

随分と罰当たりな行為をしている。

気が引けて下りようとするが、私を包んでいる旗が揺れるだけで体を起こすことはできなかった。

 

だが旗が揺れれば視界は広がる。

ここである疑問の答えが見えた。

 

旗をハンモックにして寝かせるということは、ある程度傾斜をつけて旗棒を固定する必要があるわけだが……

地面に刺しているわけではなかった。

あんな泥水の中に刺してもすぐに倒れてしまうだろう。

ジャンヌが支えてくれているのかと思えばそうでもない。

 

じゃあどうやって固定しているのかと言うと………

 

「これ………なに………?」

 

旗棒は()()()()()()()()()()()()に強引に差し込んであった。

鱗が表面を覆った大木に差し込んであるが、その先をたどっていくと大きな鉤爪があり、これがあまりにも大きな脚だということが理解できた。

私たちはこの大きな脚の上で休んでいた。

 

「さあ………?」

 

「さあって………」

 

私の質問にジャンヌは心底興味がないような声を出した。

これが足だとしたら、いったい全長何メートルの生物になるのだろうか。

明らかにほっといていいものではない。

それとも神代だからか。

この時代はこの大きさがベースなのか。

 

「知らないわよ。こいつが何かなんて」

 

そんなんでいいのだろうか?

 

「重要なのは………」

 

「っ⁉」

 

「こいつが()()()()()()()、ってことぐらいじゃないかしら」

 

そう言って寝ている私のもとに投げられたのは私たちが求めていた聖杯だった。

大量の魔力リソース。

特異点の元凶。

黄金色に光を放つその杯が私のお腹の上でころんと転がる。

 

あまりにもあっけない登場に唖然とする。

 

「な、なんで………」

 

「さあね。あんたをぶった切った羽付きの後を追っていったら、この脚があった」

 

風で私を包んでいる旗が揺れる。

 

「そんでもってこの中に変な魔力がこもってたから、掻っ捌いたらこれがあった。それだけよ」

 

ハンモックとなっていた旗が大きく揺れ、聖杯を投げてきただろうジャンヌの姿が見えた。

 

「え?………ジャンヌ?」

 

その姿はまさに血濡れというにふさわしいような格好だった。

頬に大きな傷が走り、左腕は肩のあたりでちぎれ、右足は大腿骨が露出している。

いくらサーヴァントといえど霊核が無事では済まないような負傷だ。

 

「ハァ、ハァ、ハァ」

 

彼女は肩で息をしながら、座り込んでいた。

右手に持った剣を下に突き立てて、辛うじて上体を起こしている。

 

「どうしたの⁉その傷⁉もしかしてさっきの敵に……あっ」

 

驚いた私は彼女に駆け寄ろうとして無理に体を動かした。

そしたら下に落ちてしまった。

カンッと甲高い音を立てて、聖杯が転がる。

 

「なに、やってんのよ…ドジ…」

 

彼女はそんな私を見て笑った。

私は震える足で立ち上がり、なども転びそうになりながら彼女に近寄った。

 

「とにかく今治癒を…」

 

礼装の応急処置で彼女の傷を少しでも癒そうとすると、彼女が剣を握っていた右手で私の左手を払った。

 

「無駄な、魔力を使うなって言ったでしょ………人の話を聞けって…」

 

「そんなこと言ってる場合じゃ…」

 

私が無理矢理に治癒しようとすると、彼女は私の顔を睨んだ。

血まみれになった顔が彼女の視線を禍々しくしていた。

 

「その通りよ。こんなことしている場合じゃない………」

 

弱々しい力で彼女の右手は自身の懐をまさぐり、何かを取り出した。

それは鈍い光を放つ小さなコンパスだった。

 

「それは…いったい………?」

 

「超小型虚数観測装置……『ムーンコンパス』、だったかしら…」

 

小型、虚数観測装置…?

 

「私のマスターちゃんがカルデアの倉庫を漁ってた時に、見つけたものをパクったって……」

 

彼女は荒い息を続ける。

 

「あの、性格の悪いAIと協力したとか、言ってたわね……まあ、どうでもいいか…」

 

そして彼女はそのコンパスを私の胸に押し付けた。

 

「これを使えば一回きりだけど、カルデアに…戻れるはずよ」

 

「カルデアに…⁉」

 

「ええ。あっちからの転送がなくてもね………その聖杯を使えば、魔力も足りるでしょう…」

 

自発的に転移できる機械ってこと⁉

私は驚愕に目を見開く。

 

「そんなもの、開発してたなんて誰も…」

 

「そりゃあそうよ。言ったら保険にならないでしょ…」

 

私がコンパスを受け取ると彼女は手を離し、また剣を握った。

 

「カルデアが、ヤバい…から早く戻りなさい…」

 

彼女の発言に眉を顰める。

 

「カルデアが、ヤバい?」

 

「ええ…とにかく時間がないのよ…げほっげほ」

 

彼女が吐血する。

 

「ジャンヌ⁉」

 

私は彼女の背中をさする。

 

「これぐらい平気よ。それより早く…」

 

「戻るなら一緒に…それにこの特異点だってどうにかしないと…」

 

辺りを見て、状況を確認しようとする私に彼女は言った。

 

「諦めなさい…ここはもう、手遅れ…」

 

「え………?」

 

手遅れ?

 

「もうここは修正するには何もかもが壊されすぎた…人理そのものが崩壊しないよう、人の歴史だけが、辛うじて繋ぎとめられている」

 

「そんな…」

 

私は彼女の先ほどの発言を思い出し、反論した。

 

「でも!でもこの特異点の聖杯は回収したんでしょ⁉だったら……だったら……」

 

先ほど落とした聖杯はコロコロと転がり座り込んでいるジャンヌの膝に当たった。

彼女は力なく笑う。

 

地面が強く揺れた。

地震のように小刻みに何度も揺れる。

 

脚の下にある泥水が波を打つ。

 

「っ………」

 

ジャンヌはハッとして辺りを見回した後、私の肩をつかんだ。

 

「あんたが、あんたが生きていればどうにかなる」

 

いつになく焦った表情で彼女は言う。

 

「ここは私が何とか維持する。だから早く行きなさい」

 

「ジャンヌを置いていけるわけっ………」

 

「私がいなきゃ、人理の維持ができない。ここの文明をすべて破壊し尽くされたらそれこそ終わり。人の歴史が途絶える」

 

「だったら尚更、わたしが…」

 

「あんたは特異点をばらまいた元凶の方に向かいなさい。親玉を何とかすれば、丸く収まるでしょう。あんた達がその元凶どもを何とかするまでは、私も耐えしのぐから」

 

「そんなこと…」

 

揺れがだんだん大きくなってきた。

 

「人理を絶やすことは必ず防いで見せるわ。だから行きなさい」

 

揺れが強くなっていく。

 

「行け!」

 

彼女が足元にあった聖杯を私に投げた。

そしてその聖杯は私が左手に持っていたコンパスとぶつかった。

その瞬間、コンパスは強い光を発し始める。

 

ギロギロと歯車が回るような機械音が響き、針が回転しだす。

それと同時に私を囲むようにして足元から黒い壁が伸び始めた。

 

「待って!まだ何も!ジャンヌ!」

 

何かに体を引っ張られる感覚がする。

私はその力に対抗しながら彼女に叫ぶ。

 

「っ!必ず!ここに返ってくるから!だからそれまで…」

 

視界が完全にさえぎられる前に彼女の唇が動くのが見えた。

しかし彼女の言葉を聞き終える前に黒い壁は閉じた。

 

もはや暗くて何も見えない。

 

そして急に落ちるような感覚がした。

内臓が浮かび上がる気持ちの悪い感覚。

 

その感覚に身を震わせながら、壁が閉じる前に聞こえた彼女の言葉を呟いた。

 

「答えてあげて、あいつに…」

 

彼女の言った言葉を私は理解できなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

目の前で黒い箱が海に沈むように溶けて消えた。

それを見届けた私は、軽くだが安堵の息を吐いた。

 

「はぁ」

 

どうにか手は打てた。

これでマスターの指示は守れたはずだ。

 

大きな揺れを体で感じながら先ほどの光景を思い出し、笑う。

転移の際に虚数空間とやらを通るとマスターは言っていた。

そして生身では危険だから、身を守るために急場の魔力舟も作るとも。

 

「だからって、棺桶は無いでしょう」

 

いくら急造とはいえ、あのデザインは無い。

大方、あのふざけた後輩AIとやらの仕業だろうが、それにしたってあの概形は良くない。

冗談にしたって質が悪い。

あの形は肝が冷える

 

何が虚数魔術は私の十八番です、だ。

今度会ったら一発ぶん殴っておこう。

 

「まあ、今度なんてものがあったらの話か…」

 

どうやら去り際に叫んでいたあいつのセリフが耳に残ったらしい。

迎えに来るもなにも、すべてが終わったら特異点もきれいさっぱり消えてるっつーの。

意味消失した幻霊をどう迎えるつもりなのか。

 

私は右手で聖剣の柄を握り、歯を食いしばって立ち上がる。

そして聖剣を腰に下げた鞘に納めた。

ゆっくりと歩き、あいつを寝かせていた旗に近づく。

 

結んで寝床にした旗は風を飲み込んで、旗棒をグラグラと揺らしている。

寝床として使われていたことに怒っているように見えなくもない。

 

深くまで刺していた旗を抜き取り、強く振る。

結び目がほどけ、風ではためいた。

風に撃たれ、空を舞う布の音に自然と笑みをこぼす。

 

「悪かったわね。あんたは守るより、壊すことの方が好きなのかしら?」

 

私の問いかけに返事をしたのかのように旗は強くないだ。

 

「奇遇ね。私もよ」

 

やはりこちらの方がしっくりくる。

剣を扱うのはどうにも苦手だ。

 

旗を右手に構えながら、正面を見る。

強い揺れはもはや大地震に匹敵するような大きさとなっていて、踏ん張っていなければ体勢を崩しそうな具合だ。

 

私は足場となっている巨木のような脚を見下ろした。

 

私はあいつに聖杯を渡した。

この大きな脚の主が聖杯を持っているとも言った。

 

だが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

()()()()()()()()()()()()()()()()()一言も言っていない。

 

 

 

そのまま正面を見据えていると泥水の海の中から巨大な竜が現れた。

人面竜。

曲線を描く巨大な二本の角。

背中から生えた赤黒い両翼。

体中を覆う鱗。

うねり水面を叩く長い尾。

胸には人間の女の乳房のようなふくらみが二つ。

竜というには歪な人面竜は自らが持つ3本の足で歩いていた。

右の前脚だけだ付け根辺りでバッサリと切り落とされている。

切り落とされているだけで死んではいない。

 

「抑止の獣、原罪のⅡ、ビーストⅡ………ティアマト」

 

巨大な竜はその大きな口を開け、雄叫びを発した。

 

『オオオオオオオォォォォォ!!!!!』

 

空気が震え、音だけで波が起こる。

 

「………っさいわね」

 

『回帰』の理を持つ獣。人類悪。

死の概念を持たないチート野郎。

 

なによ、死の概念を持たないって。

死って概念というより現象でしょ。

性質を持たないから死にませんって意味わかんないのよ。

 

「まあ、だからって都市を丸ごと仮死状態にする()()()()()()()()も相当イカれてるけどね」

 

私は隣に立っていた()()()()()にそう言った。

 

「ほざくな。田舎娘。貴様のような雑種の尺度で測るでない」

 

腕を組みながら偉そうに実体化したクソ生意気な英雄王は、これまた偉そうにそう言った。

 

「必要だからそうしたまでだ」

 

相変わらずムカつくわ。

 

「“地球上に生きている生命体がいるという事実が逆説的に奴の存在を証明してしまう”というのなら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()というのも道理であろう」

 

こいつの言葉に私は呆れる。

 

「だからって自分の国の人間を全員殺します?普通?」

 

私の発言に英雄王は睨みをくれた。

 

「たわけ。殺してなどおらん。生きていないだけだ」

 

「そういう問題?それともあんたにも、人類を守ろうとか言う意欲があったわけですか?」

 

「人理などどうでもよい。おれ()が考えるべきは我の国であり、おれ()の臣下と民だ」

 

英雄王は目の前の怪物を冷静に見据える。

 

「あれはおれ()の財である。それを我の許しも得ずに滅ぼそうなど不敬にも程がある」

 

「不敬ってあんたね………」

 

「相手が獣であろうが、人類悪であろうが関係ない。我の財を犯すものは誅せねばなるまいよ。それが我の定めた法だ。貴様らが人理を救えるのはその結果にすぎん。自惚れるな」

 

相変わらずね、こいつ。

 

「それにしては随分と他人に託したわね?英雄王?」

 

「………」

 

英雄王はこちらを見る。

 

「星見の旅人に残した石板。マルドゥークの斧で切断された脚、魔力供給のための聖杯、都市を仮死化しての人理の延命、おそらくは神に協力の要請もしたんじゃないかしら」

 

私は笑みを浮かべた。

できるだけこいつが馬鹿にされたと感じるように。

 

「結果論というには大分協力的だけど?」

 

私の問いかけに奴は鼻で笑った。

 

「ふっ。だから貴様はいつまでたっても田舎育ちの癇癪娘なのだ」

 

あからさまな嘲笑を浮かべてやがる。

この野郎………

 

「貴様がウルクで石板を発見し、書き記されたとおりに動いてる時点で我の定めた法の通りに動いているのだ。我が協力してやっているのではない。我が定めた勝ち筋に、貴様らは有難くお力添えをさせて頂いていると知れ」

 

もうだめだ。

こいつに何を言っても意味がない気がしてきた。

 

「立場をわきまえろ」

 

私は頭を抱えてため息を吐いた。

 

「はぁ………もう何でもいいわよ。まあ、なんにせよ、この時代のあんたが立てた計画でしょ、これ。あんたもそれなりに動きなさいよ」

 

藤丸立花の治療後、群がるあの気持ち悪い生命体と戦闘しながら、羽付きを追っていった先にあったのは結界であった。

唯一の足場として切り取られたティアマトの脚の上に張ってあった結界。

そこには石板が置かれていた。

バビロニアがこうなった経緯とこれからどうするかの指示がギルガメッシュの直筆で書かれている石板。

 

『人理が破綻しないよう人間を保持しつつも地球上のすべての生命体が生きていない状態を作り出し、ティアマトを鎮静化。

サーヴァントで奴を足止め、完全にバビロニアを滅ぼす前に離脱したマスターたちがソロモンを打倒する』

 

これが石板の指示の要約である。

魔獣戦線を圧倒したものの、ティアマト神の降臨によって窮地に立たされた賢王ギルガメッシュが選択したのはウルクの延命であった。

先ほど英雄王が言ったように生命体が生きていればティアマト神の存在は証明されてしまう。

したがって現状で倒すことは不可能。

ならば倒さないで済ませてしまえばいいと、あの男は考えたようだ。

 

唯一残った都市ウルクそのものを仮死状態にすることにより、ティアマト神の存在証明に矛盾を突き付け、鎮静化する。

これによって人理の破綻をまず防ぐ。

しかし、この状態ではティアマト神だけではなく人類も静止してしまう。

そこでいずれやってくるであろうカルデアの者たちにメッセージを残し、この特異点を崩壊させる前に元凶そのものを潰すように指示した。

 

カルデアのマスターが来ることによって生きた生命体がこの地に立つこともまた避けられない。

だから再び眠りから起きたティアマト神の足を引っ張り、マスターたちがソロモンを打倒するまでの時間稼ぎをするサーヴァントも残すようにとも。

 

よくもまあ、こんな計画を思いつくものだ。

腐っても最古の王は伊達ではないらしい。

幾らなんでも大局というものを見据えすぎだと思わなくもないが。

もしくは千里眼を持つが故なのかもしれない。

 

「そのざまの貴様に言われたくないわ」

 

満身創痍という言葉が似合いそうな私に対して、英雄王はそう言った。

そう言われて私は自分の体を見下ろした。

 

ちぎれた左腕、骨の見える右足。

攻撃に特化したクラス。

マスターの補助もない。

 

「それもそうね」

 

自分のなりを見ていたら妙に納得してしまった。

ひょっとしたら残るサーヴァントが致命的なレベルで守りに向いていないというのは、賢王の計画の数少ない予想外かもしれない。

 

「さて、じゃあ、不毛なデスマッチを始めると…」

 

「一つ、貴様に聞いておくことがある、雑種。謹んで拝聴せよ」

 

文字通り終わらない戦いを始めようとした私に英雄王は言った。

相変わらず不遜な物言いだったが、こいつから何かを聞いてくるのは稀だったので好奇心の方が勝った。

 

「………なによ?」

 

「いったい()()()()()()?」

 

は?

 

「何言ってんの?あんた?」

 

「ソロモンの拠点に跳ぶ。言うは易いが、それができるなら貴様らも最初からやるはずだ」

 

「………」

 

「それができないからこそ、貴様らは奴に提示された特異点修復を行ってきたのだろう?」

 

「………そうね…」

 

「ならばなぜあのような指示を我はした?拠点の特定どころか、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だろう」

 

「それが分かっているなら、なんで()()()()()()のよ」

 

「あの醜いゴミごときで死ぬなら、星見の者どもであろうと我が手ずから助ける価値などない」

 

こいつ………

私が言うのもアレだがホント狂ってるわ。

 

「まあ、気になるならあんたも使えばいいじゃない。千里眼、だっけ?」

 

「千里眼はそのような都合の良いものではない。貴様に我が聞いている時点でそのくらい理解せよ。癇癪娘」

 

だから一言多いんだっつーの!

 

「大方、貴様の飼い主であろう。貴様が知る全てを開帳することを許す」

 

………。

 

「話すようなことじゃないわ。あんたが知る必要もないでしょう」

 

「我はお前に選択肢を与えていない。話せ、といったのだ」

 

私は金ぴか野郎に中指を立てた。

 

「誰にでも間違いはあるのよ。あんたが唯一の友を失ったように」

 

私の頬すれすれに剣が飛来した。

小さな切り傷を顔に作り、そのまま後方へ飛んで行った。

 

「次は首だ」

 

奴の背中に無数の光が見える。

王の財。

絶大な破壊力を持つ宝具であれど、結局使う奴は人なのだ。

その事実だけで、私には時代を変えてしまうような財宝も、私の握っている旗と大差ないように思えてならない。

 

「図星ね。そういうことよ。人の粗を探して嗤うのは大変結構ですが、自分を顧みることを勧めます」

 

私はそれだけ言って、会話を切る。

そしてこちらを見据える獣に対し旗を構えた。

 

 

 




崩壊直前の特異点。
ジャンヌが残した不穏な言葉。
逃げることしかできなかった彼女がこれから見るものとは…



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