どの方向から見ても同じ人間はいない。
視点を変えれば憎々しい悪は、輝かしい正義かもしれない。
物心ついたときから、なんてありきたりな入りで話を始めるのは何とも心苦しいものだけれど。
事実、ボクの話は壮大なようでいて本質的にはとてもありきたりな、どこにでも転がっているような経験だからしょうがない。
こんなことに気付いたのも随分後になってからだったけど。
ん?
何の話か?だって?
ああ、ごめん。それを言い忘れてた。
これからある子の半生を語ろうと思うんだ。
つまりは生まれてから今に至るまでのこの子のことを知って欲しい。
そんなこともう知ってるって顔だね。
まあ、君ならある程度知っているとは思う。
それでも君には知って欲しい。
誤解なく。
じゃないとこの子があまりにも報われないんだ。
ごめんごめん。
ちゃんとわかるように話すよ。
だからそんな顔をしないで欲しい。
そんなに焦らなくてもいいじゃないか。
ボクらは
走馬灯ぐらい付き合ってくれてもいいだろう?
さて、この子の半生を語る前に一つだけ心に留めてもらいたいものがある。
いわゆる教訓ってやつ。
そ、教訓。
そんな身構えなくていい。
教訓って言うと痛みを持って知った心得みたいな意味合いが最近では強く引き出されるけど、それだけが教訓ってわけじゃない。
教訓の意味は“教え諭すこと”だからね。
上から目線で悪いけどどうか聞いてほしい。
この教訓はボクにとっては痛みを持って知った心得だから。
まあ聞きたくなかったらボクの話は聞き流して、この子の半生だけでも聞いておくれよ。
君に時間がないのはわきまえている。
具体的に言うとこの節の最後まで跳ばしてくれたまえ。
次の節ではないよ。この節の最後までだ。
さて。
人間だれしもさ、自分が特別だと思いたい。
これに異論はないと思う。
あったとしてももう少しボクの言葉に耳を傾けてくれ。
自分の置かれている境遇がとてもひどいものだと、嘆きたくなる。
自分の能力は優れていて自分だけにしかできない何かがあるって思いたい。
自分の得た経験は他人とは違った特殊なものだと信じたい。
人って言うのはそんなものだと思う。
別に恥ずかしいことでもない。
だって世の中こんなに厳しいんだから、そういう思い込みとか依存とかないと心の平穏を保つことすら難しい。
あ。
他人事だって思ってない?
自分はそんなことないって思ってない?
もし思っていたら、まさしく今君は自分が特別であると考えている証拠だと思う。
人はだれしも、自分は平均を少し上回ると考えている。
容姿、成績、才能、能力。
どんなことであれ、“自分はトップの人間たちと肩を並べるほどじゃないがそこらにいる人たちよりかは優れている”ってね。
具体的に考えてみて。
鏡の前で自分の顔を見て、「まあ、俳優みたいに綺麗な顔立ちをしているわけではないけれど、俺ってそれなりのイケメンだよなor私ってそれなりの美女よね」と心のどこかで思ってはいないだろうか?
まあ、中の上ぐらいかなって思ってるでしょ。
いや、だからいいんだって。
そんなこと誰だって思ってるから。
恥ずかしいことじゃないよ。
それが事実かどうかなんてどうでもいい。
その考えが君の心の平穏を保っているならそれはそれで有用な証だよ。
ただね。
自分が特殊だと強く思い込みすぎると悲劇のヒロインを気取ったり、自分だけの何かなんてものを探したりしちゃうんだな。
そう言うのは良くない。
被害者根性って言うのもある種の依存でね。
自分の特殊性を信じすぎると色々な失敗を段々と周りのせいにしだして、自分はなんて可哀想なのだろうって思い始めるんだ。
自虐って言うのもある種の快楽を得るからね。
自分が不幸だから嘆くのに快楽なんてあるのか?って顔だね。
あるのさ。
自分で自分を慰めることは心に余裕を作り出すことだ。
本当は出来たのに、周りのせいで失敗してしまった。
でも本気でやったらできる。
典型的な言い訳だけど、こう思い込むと自分を否定しなくていい。
むしろ自分はできるって肯定してる。
そうすると何かを変える必要はない。自分はこのままでいいと思う。
そして何も変える必要はないと結論づける。
変化しなくていいってのは人間の恒常性を満たすからね。
だから快楽だ。
小難しく脳科学がーとか、遺伝子がーとかいうつもりは無いさ。
分かりやすく言葉で伝えるとさ、自分を慰める行為って書いて自慰行為だろ?
つまり自分を慰めるってのは手淫と同じくらいの快楽があるってことだよ。
暴論じゃないさ。
関連がなければ、枝のようにつながっていなければ、言の葉は育たないし紡がれない。
話がそれたね。
つまり何が言いたいかって言うとさ、自分で自分を憐れむなって言いたいんだ。
ん?
現実から逃げるなとか、そういうあれでしょ?だって?
違う違う。
嫌なことがあったら逃げていい。
むしろ逃げるべき。
ガンガン逃げなさい。
脱兎のごとく逃げなさい。背中を丸めて尻尾を丸め、現実から逃げなさい。
ただね、それは目をそらして縮こまることとは別だよ。
自分はなんて可哀想なんだと自分の世界に浸ることは目をそらしてるだけで、逃げていない。
現実から逃げられていない。
そうやって自分を憐れむほどに沼にはまっていく。
周りに何があるかなんて見えなくなっていく。
それで抜けられなくなってから気づくんだ。
自分の周りにはこんなにも希望が溢れていたのにってね。
手が届かなくなるほど、目の前にあった世界が綺麗に輝くんだ。
取り返しがつかなくなってから世界は残酷なくらい美しく映るんだ。
その先に待つのは正しく後悔だ。
抽象的すぎたかな。
分からなくてもいい。
これから話すことを聞けば自ずと分かる。
じゃあ、聞いてくれ。
そうだな、ここはあえて言おうかな。
これは
§
さて。
ボクがこの物語に関わり始めたのあの塔を出て、いくらかの時間が経ってからだった。
マーリンはボクに言った。
「おまえは自由に、本当に美しいものに触れてきなさい」
馬鹿ナイトメアの言われたことを粛々と行うのはとても腹立たしいものがあった。
だがそうも言っていられない。
あの孤島にいることができない以上、美しいものを探せねばならない。
人の欲に触れ続ければ、ボクは手の付けられない獣へと変貌してしまう。
『比較』の理をもつ第四の獣・ビーストⅣ。
人間の欲望を食べる霊獣。
人間の成長と競争、妬みや嫉みを糧として相手よりも強くなる災厄の獣。
七つの人類悪の一つ。
それがボクだ。
それに関しては何ら思うところはないが、醜悪な姿で人々に害をなすことはボクの欲するところではない。
だから手を打たねばならないが………
そも、欲は人そのものだ。
人が欲であるわけではない。
しかし欲は人だ。
それは人の一部だ。
あってしかるべき人の要素だ。
それがない人間などいるのだろうか。
妬みや嫉みは人間の生においてしかるべき原動力を与える力ではないのだろうか?
それは憧憬や尊敬と本質は変わらないはずだ。
どちらも自分の理想により近い存在へ向ける感情。
違いはただ一つだけ。
加わる力の方向が自己への否定か、他者への否定か、その一点に尽きる。
憧憬や尊敬は理想に近い他者のありようを受け入れ、自らを否定する動作だ。
他人が過去に培ってきた経験や現在の他人の姿を受け入れ、自分がその者よりも自らの理想に遠いことを理解する。
その動作は憧れを原動力として、否定した自己を改善するための鍛錬へとつながるだろう。
他人に対して尊敬を抱ける人間は、その他人が今に至るまで必要とした努力を認め、自らの怠惰を認めることができる。
そして反省し、自分を改善するために現在の自分を否定する。
たいして嫉妬は理想に近い他者のありようを否定し、自らを肯定する動作。
他人の過去や現在までも自分では影響を与えられない要素に依ると断定し、現在の自己を肯定する材料にする。
その動作は自己肯定に不都合な他者を排除するための敵意へとつながる。
他人に対して嫉妬を抱く人間は、自分を否定することが怖いのだ。
だから他人を否定する。
他人が今に至るまでに必要とした努力を否定し、その全てを自分では変えることのできない何かで置き換える。
例えば、才能や周りの環境。
そうして自分が何をしてもどうしようもなかったと自分を肯定し、自分の理想に近い他人を正義に悖ると否定する。
要は否定と肯定の塩梅にすぎない。
二つの割合が違うだけで方向性は同じだ。
それを理解したうえでもう一度考える。
妬みや嫉みを一切持たない人間は果たして存在するか?
いや、いるはずがない。
それは自己否定を一切行わない人間ということだ。
自らの理想を掲げながら、自らが、反論の余地なく、否定する隙もなく、ぐうの音も、手も足も出ないほど完全にその理想に合致しているという自負をもった存在となる。
そんな人間がいて堪るか。
否定なくして思考はない。
反論なくして改善はない。
当たり前だ。
………………だが仮にだ。
仮にそんな存在がいたとして………
それは果たして“人”と呼べるのであろうか?
そんなことを考えていたからだろう。
ボクは忘れていた。
完全に失念していた、忘却の彼方だ。
人の強みはその多様性にあることを。
いるかどうかではない。
いる可能性がある、そう考えるべきだったのだ。
だからだろう。
ロンドンをプラプラしていたボクはある夫婦に捕まった。
§
「やはりだ………これは『比較』の獣だ………やった…やったぞ!奈津!」
「ええ!狭間!これで…私たちの悲願が………」
ボクの前で二人の男女が涙を流して喜び合っている。
二人が歓喜で抱き合っている様をボクは仏頂面で見ていた。
檻の中でも容易に見えるその二人のさまは、苦労の末の成功を喜ぶ美しい様相にとれなくもない。
がこの二人は至っておかしい方々だ。
もちろん可笑しいではない。オカシイほうだ。
ぼさぼさの髪とよれよれ白衣を着た男の名前は藤丸
同じようにぼさぼさの髪とよれよれの白衣を着た女の名前は藤丸
この二人は魔術使いだった。
二人とも魔術の学識を備えた知識人。
その道の専門家らしく、自らの研究に没頭するのも好きだった。
がしかし、彼らが研究をするのは根源へと至るためではないらしい。
研究者ではなく、手段として魔術を修めたもの。
それを世間では“魔術使い”と呼ぶ。
神秘の秘匿を重んじる魔術協会の意向に真っ向から対立しかねないそのありようは、侮蔑の代名詞となっていた。
自然の産物足る人でありながら、根源へと至るなどと面白おかしい戯言を並べる人間には抱腹絶倒を禁じえず、まさしく笑止千万である。
そんな者どもが人の領分をわきまえた行動をとる“魔術使い”をあざ笑うさまは端から見ているだけで一日は笑っていられるのだが、この二人の目指すところを知ったボクは図らずもその評価に納得してしまった。
呵々大笑。
曰く、愛で世界を満たす。
これが笑わずにいられるだろうか?
無理だろう。
要は世界平和らしいのだが、そう方法が愛って………
子供の方がもう少し道理をわきまえている。
愛とは何だろうか?
人の定義によると、『そのものの価値を認め、強く引き付けられる気持。』らしい。
なんだそりゃ。
合いではなく、会いでもなく、相でもなく、藍でもない。
世界中で人間たちは合いしあっているし、会いしあっている。
世界は向かい合う相に満ちているし、世界は海と空で藍に満ちている。
だというのにどの“あい”でもなく、よりにもよって“愛”だぜ?
狂おしいほどに狂ってるよ。
と思うのは致し方なしとして、本当に狂っている理由はこの状況にある。
ボクは二つの眼で二人の男女を見据える。
ビーストⅣであるこのボクに対して欲望むき出しの捕獲が通用しており、否応なくボクは檻に閉じ込められている。
人類悪であるこのボクがだ。
ボクの特性上、人の欲望はボクを相手より強くするためのエネルギーでしかないわけだが、現状ボクは強くなれていない。
この二人の魔術でもないし、もちろんボクがこの力を意図的に操作しているわけでもない(そんなことができたらもうやっている)。
なぜこんなことができるか?
その原因は偏にこの二人の善性にある。
よりにもよってこの二人は、ボクをとらえることが全てのためになると思っている。
文字通り全てだ。
ボクが彼らによってとらえられ、魔封じの檻に入れられることが自分たちのためだけでなく、他者のため、世界中の人間ため、そしてあろうことかボク自身のためであると思っている。
どうなっとんねん。
こいつらの頭。
もしかしなくてもサイコパスである。
自分たちの行動が世界を愛で満たし、平和へと導くと信じて疑わない。
いや、もはや信じる信じないのレベルではない。
リンゴが地面に落ちるように、地球が太陽の周りをまわるように、自分たちの行動が平和を確立すると自然の摂理のように受け止めている。
サイコパスはpsychopathと表記されるが精神の意であるpsycheと悲哀の意であるpathosの複合語であるらしい。
Psycheは古代ギリシアで息を意味していて、転じて生きることや精神を意味するようになったという。
同様にpathosは古代ギリシアの哲学者曰く、快楽や苦痛を伴う一時的な感情状態を意味し、元来は理知的な精神に対する意であったらしい。
だとすればサイコパス(psychopath)は語源から訳すると、感情的・熱情的精神が生きることとも取れる。
確かに常に感情的な人間が平和を祈れば、こうなるのかもしれないと納得できなくはない。
この二人は果たして人なのだろうか。
自然のバグが間違って人の形をとってしまったかのような存在である。
もはや美しいかどうかで議論する枠内にない。
これは何かと問うべき存在だ。
少なくとも僕はこの二人をヒトと推し量りたくはない。
ボクの中で人の定義が揺らぐ。
人とは、生物学的にはホモ・サピエンス・サピエンスに分類される生物のことであり、法律学的には生物学的な意味でのヒトに加え、そのヒトの集合体や財産の集合体に対して人という。
しかし問題はこの生物学的ヒトにある。
現生のヒトと類人猿はDNAの塩基配列が極めて似ていて、線引きをするための点は明らかになっていない。
そのため文化的な見地など他の視点を織り交ぜつつ区別が行われている。
何が言いたいかというと、生物学的手法ではヒトを明確に定義することが不可能なのだ。
だから人の根本的定義である”生物学的ヒト”とは曖昧だ。
曖昧な定義でその存在をヒトから外すことはできない。
ゆえにこの二人は人なのだろう。
………ボクは一体何を言っているのだろうか?
自分で言っていてよく分からなくなってきた。
もしかしてあまりに埒外な存在に動揺しているのだろうか。
何にせよ盲点だった。
善性を持ったまま、ボクに対して行動すればボクを成長させずにボクに対してアクションが取れるとは。
世紀の大発見である。
やったね!
自分の行動が世界平和と同一なんて思いこめる善良な市民たちが世界中にひしめけば、僕は無害な存在でいられるよ!
ふざけろ。
そんな狂信的善性がひしめき合う世界はもはや醜いというものだ。
「おとーさん!おかーさん!」
思考の無駄遣いを行っていると工房の扉が開き、一人の女の子が走り寄ってきた。
その子は勢いよく男の背中にしがみついた。
「おぉ⁉」
男が声を出しつつ衝撃でボクの檻が置いてある机に手をつく。
ガシャリ。
反動で檻が揺れ、ボクの鼻と鉄の柵がこんにちは。
痛い。
涙目になるボクをよそに男が振り返り、苦笑いを作った。
「立花、危ないから降りなさい」
ヒョロヒョロの体に見合わぬ体幹で女の子の体を背負い、男は下りることを促す。
女の子は満面の笑みを浮かべながら素直にその指示を聞いた。
「はーい!」
女の子は元気よく背中から飛び降りて夫婦の間に立った。
「立花、達海の面倒を見ておいてと頼んだだろう」
「みてたよ!」
「じゃあ、なんでここにいるんだ?」
「………だってたつみったらおねんねだけでつまんないんだもん!」
「立花………」
「うんちもかえたし、おねんねさせたよ!いいでしょ!」
この二人びっくりなことに子供が二人いる。
まだ生まれたばかり息子ともう二歳になる娘の二人兄弟。
驚天動地だ。
青天の霹靂である。
こんなクレイジーサイエンティストたちに子供を作るなどという発想が存在するとは。
「お父さんたちは大事なお仕事をしてるんだ。いい子にして待っていなさい」
「えー!やだー!」
「立花。あなたはもうお姉さんなんでしょ?」
「!」
「こんなとき、しっかり者のお姉さんが弟を見てくれてたらお母さんすごい嬉しいんだけどなー」
「……わたし、おねえさんだよ!しっかりものだよ!」
「しっかり者のお姉さんは達海のそばにいてくれるかしら?」
「いてあげる!だっておねえさんだもん!」
このチョロい娘の名前は藤丸立花。
母親と同じ綺麗な赤毛をもったわんぱく女の子である。
何かと動き回る野生児で、親がいないときに工房に忍び込んではボクの体をモフモフする問題児だ。
いつか利子付きでボクの体を触ったお代を請求しようと思っている。
「フォウ」
目をキラキラ輝かせて二人を見上げる娘に激励の言葉を贈る。
子供は嫌いじゃない。
無垢ゆえの純粋な行動原理は、僕を育てる悪性とは縁遠いものだ。
彼らの前ではそれほど気を立たせずに過ごすことができる。
それを引いても、この子はとても無邪気で明るい子だ。
彼女の前途を祝して。
「!」
彼女はこちらに気付いてにっこりとした笑みを僕に向けた。
ふ、そんな無邪気な笑みを浮かべたってボクの毛は触らしてあげないんだからね!
………しかしまあ、狂信的善性の持ち主でもそれを子供に押し付けるかどうかまた別の問題らしい。
彼らが自らの信念を自己完結させてくれる人間でよかったよ。
社会性をもったサイコパスだな。
§
とそんなことをすこしでも考えてしまった自分が恥ずかしい。
社会性をもったサイコパスって、凡人に成り済ますことができる異常者ってことじゃないか。
ただのサイコパスより質が悪い。
ボクは拘束具に動きを封じられた状態で隣の赤子を見つめる。
「あーうー」
その幼い男の子は今から何が起こるのかも分からず、隣に寝そべるボクに手を伸ばしている。
また髪の毛も生えきっていない小さな人間の子。
この子の名前は藤丸達海。
あのワンパクっこの弟で、あの夫婦の息子だ。
赤子とは思えぬ優しい手つきでボクの体をなでる幼子。
その手つきを裏切らないためにボクは拘束から逃れようと体を動かす。
びくともしない。
何かの術式がかかっているのか、ため込んだ魔力で転移しようにも魔力が収束しない。
「フォウ………」
………これは駄目だな。
やはりというかなんというかあの夫婦、ボクをこうやって拘束するのもボクのためと思い込んでいるらしい。
ボクの身動きを封じるのがボクのためとか、何考えとんねん。
どついたろか。
そんな思いで脱力していると工房の扉が開いた。
そこには仰々しい器具を抱えて入ってきた夫婦がいた。
「すまない。待たせてしまったね」
まるで旧知の間柄の友人に対する挨拶のようだ。
少なくとも体をいじくりまわそうとする相手に対してするそれではない。
女の方は機材を横に置き、ボクに青い布のようなものを被せた。
「ごめんなさいね。もう少しで達海と一緒にしてあげるから」
優しげな手つきだ。
実験体に向けるそれではない。
この夫婦は果たして正気なのだろうか?
平常の判断力を有しているのか?
これが彼らにとっての平常なのか?
「あー」
あー、ではないぞ、そこの君。
君は今から人でも獣でもない何かにされそうなのだ。
もう少しこう………泣いたり、騒いだり、抵抗したらどうなんだね。
君の両親が行う施術は、明らかに君の人生をヒト成らざる生へと引き込もうとしているのだ。
ボクの顔に何を思ったか、隣の赤子は僕の足を握った。
か弱く小さな赤子の手で。
………………馬鹿みたいだ。
まるでボクが慰められているようじゃないか。
もういいさ。
どうせボクじゃどうすることもできないんだから。
なんだ君の両親は。ビースト特攻でも持っているのかい。
もう知らん。
今思えば、今にして思えば、この時僕も期待していたのかもしれない。
今まで人の悪性におびえてきたボクが、文字通りヒトと共生することで何かが変わるかもしれないと。
そう楽観視していたのかもしれない。
彼らのような存在に出会ったことがなかったから。
浅はかだよね。
彼の過去に何があったのか。
見たのは一匹の獣だった。
この作品を投稿し始めてからもう一年たってた。
びっくり。
しばらく投稿していくつもりです。
感想や評価をくださると私は嬉しい。