たった一人のマスターへ   作:蟹のふんどし

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君の知らない物語(3)

 

 

 

 

 

あのつぶやき以来、この子、達海は変わった。

見ていて興味深くなった。

主に観察のし甲斐がある変化は二つだった。

 

この子の視線を通して、隣の彼女を見る。

 

「おねえちゃん」

 

これがまず一つ。

達海は立花のことをこう呼ぶようになった。

あの絵本に何を思ったのか、彼女との会話に何を考えたのかは分からない。

が、あれから達海は彼女のことを姉として呼称する。

 

呼ばれると立花はいつも通り工房の席を真っ赤な顔で引きずって(全力で引っ張らないと動かせないさまはやはり可愛い)、この子の隣に座り目を輝かせるのだ。

おねえちゃんと呼ばれるのが嬉しくてたまらないらしい。

良さみ。

 

「よんで」

 

あれから何回目になるだろうか、達海はまた同じ言葉を口にした。

 

「またぁ?おねえちゃん、えほんいっぱいもってきたよ?」

 

「あれがいい」

 

彼女が持ってきた数冊の絵本からあの絵本を指さす達海。

あの作品はこの子の琴線にふれたようだ。

 

「しょうがないですねぇ」

 

毎回思うのだが彼女はいったい誰からこの口調を学んでいるのだろうか。

親?先生?

気を抜くと笑ってしまいそうなリズムがある。

 

彼女はあの絵本を取り出し、二人の間に置いた。

そして音読を始めた。

 

「まほうつかいとあくま」

 

うむ。

こうやって見ている分にはただの幼い兄弟だな。

まあ、実際境遇が特殊なだけでそれには違いないが…

 

と読み始めてすぐ工房の向こうから足音が聞こえてきた。

二人分だ。

両親が来たのだろう。

 

「っ!」

 

達海はすぐに顔を上げた。

その顔にあまり表情は浮かばないが、積まれていた数冊の絵本を両手に抱えると近くの机の下に押し込む。

そして椅子の入るスペース立花を押し込んだ。

 

「な、なに⁉」

 

達海は口に人差し指を当てた。

 

「しーっだよ」

 

立花の真似だろうか。

本当に面白いことをするようになった。

 

しばらくするとで立花にも足音が聞こえてきたのか、両手を口に当てて大きく頷いた。

達海も頷き返すといつもの椅子に戻って座った。

そしてぼうっと前を見る。

 

すぐに工房の扉が開く。

 

両親が顔を出した。

 

「さ、行くわよ。達海」

 

一瞬だけこの子の顔が歪んだ。

これも最近になって起きた変化だ。

激痛を伴う実験な中で、痛みよる反射的行動だけでなく恐怖や嫌悪を覚え始めたのだと思う。

だがすぐにその変化を消して頷く。

 

「うん」

 

そして両親についていく。

これはなぜなんだろうか?

この子は顔をゆがませはするが嫌とは言わない。

親が怖い?主張するようになって日が浅いからか?

 

2つ目の変化は実験に対する姿勢だった。

この子は実験に対して、否定的な感情を浮かべるようになった。

しかしその一方で、実験に対する行動は積極的なのだ。

 

痛いのは嫌だが、それ以上に何かを求めているといったような…

明確な目的意識を持った人間によく見られる行動をとる。

果たしてこの子はなんのために実験に向かうのだろうか。

 

達海は工房を出る前に振り返る。

そこには心配そうな顔をして達海を見る立花の顔があった。

達海は数秒彼女の顔を見た後、部屋を出ていった。

 

 

 

 

 

 

§

 

 

「っ!ぅぅぅぅぅ………」

 

苦痛の表情を浮かべ、胸元を抑える達海。

人の悪性がこの子の体を荒らしまわりながら、回路を痛めつけているのだろう。

大の大人でも床を転げまわるような激痛のはずだ。

この歳でよく耐えている。

 

 

「どうだ?」

 

「やっぱり反応範囲が広がらないわね」

 

「アプローチが間違っているのか………?」

 

「でも、できる限りの方法はすべて試したわよ」

 

激痛に耐える息子をよそに、両親はモニターの前で議論を交わしている。

実験の結果は芳しくないらしい。

二人そろってしかめっ面のままモニターを見ている。

 

どうやらこの二人の目的はボクの権能を利用して、人間の悪性を集めることのようだった。

いや、集めるなんて生ぬるい表現は使うまい。

正しい言い方は多分、“強奪”だろう。

彼らは世界中の人間の悪性を奪い去ろうとしている。

 

なるほど感性が決断を決めるなら、当然人から悪性を取り除けば悪意ある決断は消えるだろう。

流石は時計塔の魔術師。

頭いいね。

もちろん皮肉だ。

 

冷静に考えてくれ。

大西洋の海水を全部抜けばロンドンからニューヨークまで歩いて行けるね!

って言っているのと同レベルだぞ、これ。

発想があまりにも現実離れしている。

 

加えて、仮にだ。仮にそのようなことができるとして、悪性を除いて空いた器には何が注がれるのだろうか。

善性だけが残れば、愛で満たされると二人は信じ切っているようだが悪性と善性はそう区切れるものか。

いいや違う。

その後に待つのは虚ろだ。

 

要は塩梅だと前にも思ったが、それと一緒だ。

境界線があるわけではない。

明確な区切りがあるわけではない。

あるのは割合であり、指標だ。

 

二つあるからこそ、美しいのだ。

共にあるからこそ、正しいのだ。

 

二つは分かてないし、出し抜けない。

ふたりはプリキュアということだ。

ブラックとホワイト、どっちも可愛いでしょ?

 

この子の前にいる両親を見ればわかるだろう。

悪性をなくしてしまったヒト。

人は悪を思う感性があるからこそブレーキを踏める。

だが善性しか持たない彼らは、自らの決断に迷いなく進み続ける。

 

素晴らしいことのように聞こえるかい?

これはぶれない人間という意味合いではないよ。

止まれない人間ということだ。

 

割合を失い、指標を失った彼らに目的地はない。

善性に押されるまま、感性のなすまま、破滅するまで走り続ける。

 

彼らは大人なんだから勝手だろ、と?

まあ、ボクも要らぬお節介をしたいわけじゃあないけどさ。

一人で暴走して勝手に壊れるなら、それはそれで人の多様性の範囲内なのかもしれないけどさ。

 

支えなしでは立てない子供まで走らせるのは悲しいじゃないか。

だから嘆いているのさ。

人類悪のボクが人の在り方を説くのはお笑い草だけどね。

 

ん?そこまで言うのなら助けてやれって?

それはそれ、これはこれ。

この子を助ける動機がボクにはない。

好意も、利益も、義理もない。

そもそも人を助けるなんて無理な話さ。

人は納得して、勝手に助かるだけだからね。

 

「………もしかしたらこの実験そのものが」

 

「………」

 

「いや、とりあえずまだ様子を見よう」

 

「………ええ」

 

二人はそう結論づけ、この子につけた機材を外した。

手早く、そして無機質にこの子を解放する。

そのとき、この子が初めて両親に対して自発的に口を開いた。

 

「………ぼくは、まほうつかいになれないの?」

 

二人は目を見開いて動きを止めた。

 

「魔法使い?」

 

「みんなのためになれないの………?」

 

そう問う表情には恐怖が宿っているように見えた。

実験の痛みに対するそれより余程強い。

二人は目を白黒させていたが、言わんとする意味を理解したのか笑顔で頷いた。

 

「達海はみんなを助けることができる。お父さんとお母さんの言うことをちゃんと聞けばできる」

 

そう言って父親はこの子の頭を撫でた。

その言葉にこの子の恐怖は薄れていた。

 

「わかった。がんばる」

 

母親は笑顔で答えた。

 

「いい子ね。私たちも頑張るわ」

 

そしてこの子の手を取った。

連れられて実験室を出ていく。

 

………なるほど。そういうことか。

この子はあの絵本に出てくるまほうつかいになりたいのか。

みんなのために魔法を使いたくて、この実験に積極的になっているわけだ。

この子はなぜそんなことが思えるのだろう。

みんなを知らないのに。

なぜ?

 

「………だってみんなのためになれば、おねえちゃんのためになる」

 

小声で達海が呟いた。

前にいる両親は何も言っていない。

もしかしてボクの声が聞こえている?

 

「おねえちゃんはみんななかよく、っていってた。だからみんなのためにまほうをつかいたい」

 

あの絵本のおしまいか。

この子は立花の言った絵本のハッピーエンドが見たいのか。

それともそれを見て喜ぶ姉の姿が見たいのか。

 

「でも、これじゃあ、ぼくはまほうつかいになれない」

 

なぜ?

 

「おとうさんとおかあさんはぼくをみてよろこんでないんだ。ぼくはふたりのためにまほうをつかってない」

 

思った以上に聡い子だ。

両親が実験結果に頭を抱えているのが理解できているらしい。

そうか、それで「まほうつかいになれない」か………

 

「おねえちゃんがかなしむ。ぼくはうれしくしてもらったのに」

 

そうか。

君は人の感情がわかるのか。

正しいかどうかではなく、人の心で行動できるのか。

ボクの権能を使わされて、あれだけ人の悪性に触れながらそれでもそう思うことができるのか。

 

君は………あれだな。

美しいな。

こんな理不尽な境遇に置かれて、人類悪の魂を混ぜられて、悪性に触れて、それでもそう思うことができるのか。

 

 

この子の今のありように、ボクは自分の中で何かが動くのを感じた。

 

 

ねえ。

 

「?」

 

きみは魔法を使えるようになりたいか?

 

「うん」

 

そうか。

じゃあ、ボクが君に協力してあげるよ。

 

「きょうりょく?」

 

ああ、難しかったね。

つまりね、君が魔法を使えるようにボクが手伝ってあげる。

 

「っ!ほんとう?」

 

ああ。本当だとも。

 

「ぼくはまほうつかいになれるの?」

 

さてね。それは君次第さ。

でも魔法は教えてあげる。

特別だよ。

 

「うん!」

 

頑張ってね。

 

「………ねえ。きみはだれなの?なんでこえがきこえるの?どうしてまほうをおしえてくれるの?」

 

矢継ぎ早だな。

ボクの口は一つしかないんだぜ。

そうだな。

その質問にはまとめて答えられるかな。

 

君風に言うとだね。

ボクは“あくま”なんだよ。

 

「あくま」

 

そう。“あくま”。

黒い猫は魔法使いに魔法を教えてくれただろ?

そういうことさ。

 

「達海?何か言った?」

 

この子つぶやきが聞こえたのか手を引いていた母親が振り返った。

達海は首を横に振った。

 

「ううん。なんでもない」

 

いやあ。参った。

あれだけ偉そうに講釈を垂れておきながら、今更気づくなんて。

ボクは自分の中で、“人はこうあるべき”………いや、“こうあって欲しい”なんてことを考えていたらしい。

人類悪なのに。

 

この子が気に入った。

ボクはこの子の成長が見たくなってしまった。

だからこの子に手を貸すことにした。

力を貸すことにした。

 

人類悪がそんなことしていいのかって?いいんだよ。

人類悪は人がよりよい道を歩むための必要悪なんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

§

 

 

それからのこの子の成長は目覚ましかった。

ボクの言うことを素直に聞いて、実践する。

ただそれだけでどんどん見違えていくから、ボクも指導していて気持ちがよかった。

 

肩を張るんじゃない。

力を抜いて、周りを読むんだ。

 

「こう?」

 

そうそう。

イメージはポンプじゃない。

川の流れだ。

絵本で見たことあるだろう?上から下に水が流れてるあれだよ。

力で押しちゃだめだ。

回路は無理なく淀みなく流すんだよ。

 

「こうだ」

 

よくできてるじゃないか。

 

この子に混ぜられたボクの魂から発露した力はどういうわけか、ボクのとは勝手が違った。

いや、勝手は同じなのだが経路が違った。

この子は人の悪性を吸収し、それを魔力へと変換できるようだった。

実験のあれは、無理な吸収が祟ったのでなくボクの権能をチューンナップした末の結果らしい。

成長の糧ではなく、魔力として変換する。

ボクの権能を、悪性を何ら色のついていないエネルギーにして、その後に指向性をもった成長の糧とすると仮定すればどうだろう。

ボクの権能を中途半端に使っていると考えれば理解できなくもない。

何分、人に混ぜられた経験がないので断言できないが使い勝手はいいと思う。

 

「できた」

 

そういうこの子の回路には大の大人ですら比べ物にあらないレベルの魔力が流れていた。

普通なら有り得ないレベル。

外付けの魔力炉を3個ぐらい持って、初めてこのレベルに到達するのではないか。

いやぁ、自分で教えといてなんだけどすごいな君は。

 

「………」

 

これなら魔術なんて無尽蔵に使えるよ。

………どうしたんだい?浮かない顔をして?

 

「まほうは………?」

 

まほう?

 

「まほうはまだつかえてない」

 

おいおい。

なんてことを言うんだ君は。

人の悪性を魔力に変換するなんて第3魔法の派生形みたいなものだよ?

嫉妬はびこるこの世界だよ?ジェラシックワールドだよ?

この力を持っていたら、実質無尽蔵に魔力を生成できるじゃないか。

これを魔法と呼ばずに何と呼ぶんだい?

 

「だって、だれもうれしくなってない」

 

………………なるほど。そうか。

君の中で魔法とは、誰かを喜ばせるためのものなのか。

 

「おとうさんとおかあさんがうれしくなってない。ならみんなのためにならない」

 

お父さんとお母さんが喜ばないと魔法にならないのかい?

 

「おとうさんとおかあさんがうれしくなれば、ぼくはまほうつかいになれるっていってたよ」

 

なるほど。

父親と母親の悪性強奪計画が上手くいけば人は幸せになる。

みんなのためになる。

つまり、両親の計画が上手くいく、すると二人が喜ぶ。二人が喜べば、人のためになる。するとこの子はこの子が言うところの魔法使いになれるって理解でいいだろうか。

 

うーむ。

動機はとても好ましいのに、最も大事なところが欠けているなぁ。

君はお姉さんに喜んで欲しいのだろう?

 

「うん」

 

だったら君がその魔力を使ってお姉さんを嬉しくさせてあげればいい。

それは人のために、みんなのためになっている。

それは魔法じゃないのかい?

 

「………」

 

何が魔法で、何が魔法じゃないかは君が決めるべきだろう。

 

「………おとうさんとおかあさんはみんなのためになることをしてる。それはまほう」

 

……刷り込みが強いなぁ。

本人がどう考えようとまだ子供。

親の思考を自分の意見としてすり替えてしまうのは、子供としては当たり前だし。

 

だがこの子の場合、親が親だ。

そのまま受け入れるのは非常に危うい。

しかしこの子にそれを言ったところで理解できないだろう。

………仕方ないな。

 

じゃあ、君が学んだ技術をお父さんとお母さんに見せてくればいい。

それをお父さんとお母さんがみんなのために使えば、それは魔法になるだろう?

 

「!」

 

この子は目を見開いた。

そして大きく頷いた。

 

「うん!」

 

ちょうどその時、工房の扉が開いた。

母親がこの子を実験に迎えに来たのだ。

 

「達海、来なさい」

 

心なしかその声は前よりも低く、無機質に聞こえた。

ボクはその声を聞きながら、先ほどこの子に言った言葉はただの気休めだと改めて思った。

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

「っ⁉ぅぅぅぅぅ!」

 

いつものようにこの子が胸元を抑える。

だが耐え切れなかったのか、そのまま床に倒れ込んでしまった。

 

「ハァ、ハァ、ハァ」

 

荒い息を何度も繰り返す。

 

床に倒れ込み、何度もかすれた呼吸音を響かせる息子をよそに二人はモニターを見ていた。

 

「どうだ?」

 

「………駄目ね、やっぱり」

 

モニターの前に立つ両親は無表情のままそう言った。

今更この状況がどうのというつもりは無い。

それにこうなることは分かっていた。

 

この両親がこの子に求めることは、悪性の吸収にある。

二人は世界中の人間の悪性を根こそぎ吸い上げたいのだ。

だから二人はこの子の悪性を吸う能力を、より広範囲に、そしてより強くしたかった。

 

しかしこの子に発現した権能の力は変換だ。

ボクの獣としての力“吸収”と“成長”ではなく、この子の力の本質は“変換”だろう。

純粋な人類悪でなく、それを混ぜ込まされた創作品。

人と獣の融合させたもの。

 

その力が“変換”なのは道理だと、ボクは思う。

 

「これは………()()だな」

 

だがこの二人が求めているのは道理ではなく、奇跡だ。

だからこの子に失敗の烙印を押すのは目に見えていた。

 

達海は子供ながらに落胆されたと感じたのか、いつもより少し早口で話した。

 

「お、おとうさん。みて。ぼく、まりょく?がつかえるようになったんだよ。ほら」

 

先ほどの実験で吸収した悪性をボクが教えた通りに魔力して見せる。

すさまじい変換効率だ。

 

両親も驚いたのか目を見開いて動きを止めた。

 

「達海…それは………」

 

この子は少しだが自慢げに答えた。

 

「これ、できるようになったんだ。だからおとうさん、おかあさん。これをつかってみんなのために………」

 

だけど………

 

「魔力になってしまうのか………これではビーストを使った意味がないな」

 

父親はほとんどこの子には無関心にそう言った。

 

「あなたの刻印に用いれば有用に使えないかしら?」

 

母親が言った。

 

「いや、僕らの研究した遡行魔術は結局のところ、虚数魔術の下位互換だ。人の手で運用できる分、虚数魔術よりは意義があるが僕らの目指す平和には使えない。そう結論を出しただろ?」

 

「………そうね」

 

この両親はこの子に落胆したのではない。

無関心になったのだ。

この二人は善性だ。

平和と愛を求めてやまないヒトだ。

だからこそそれに関連しなければ、注意を向けることができない。

 

この二人の態度は、費やした時間と労力が徒労に終わったことへの悲しみでもない。

期待が裏切られたことへの義憤でもない。

ただ彼らの世界から、この子が外れた。

それだけだった。

 

悪はない。あるのは善だけだった。

 

「有用な情報は得た。ビーストの力をそのまま使うことはできない。変質してしまう」

 

「そうすると次に考えるべきは抑止力かしら?」

 

「いや、今回はリスクが大きかった。続けざまに大きな行動に出ればそれこそ危険だ」

 

「………世界平和は私たちがなしえるしかない、か」

 

 

「おとうさん?」

 

 

「ああ。僕たちはこんなところで倒れるわけにはいかない」

 

 

「おかあさん?」

 

 

「しばらくは次のプランの練り直しね。急ぎましょう」

 

 

この子の問いかけにこたえることもなく、二人は工房から出ていった。

取り残されたのは不安げに立ちすくむ達海だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

落ち込む必要はないさ。

ただあの二人の考えと君の成長が違う方向だっただけだよ。

 

「………」

 

別にお父さんとお母さんの期待に応えなかったからといって、魔法使いになれなくなるわけじゃない。

 

「………」

 

むしろよかったじゃないか。

これで君は自分自身の考えでみんなのために魔法を使えるんだぞ。

 

「………」

 

だんまりだった。

あの後達海はずっと工房で座り込んだまま、顔を俯かせたままだ。

 

今言った言葉は全部、割と本気なのだが。

しょうがない。

この年ごろの子供の世界とは、自分と親がすべてなのだから。

親に無関心になられたらどんな子供だって傷つく。

 

人は誰かに認めてもらわなければ生きていけない。

生きていいと言ってもらわなければ生きられない。

弱いわけではない。

人は繊細なのだ。

 

大人だってそうなのだから子供だってそうだ。

 

だけど………

 

カチャリ

 

工房の扉が開く音がした。

 

「たつみ!おねえちゃんがきたわよ!」

 

この子には姉がいる。

とても人らしいお姉さんが。

だから僕はあまり心配していなかった。

 

立花は工房に忍び込んでくると、いつも通りそう宣言した。

珍しく手には絵本が一冊握られているだけだった。

彼女は意気揚々とこちらを向いた。

そして達海の表情をみて、瞠目した。

 

「たつみ?どうしたの?」

 

彼女は俯いている弟にかけよった。

そして小さな背中をまたまた小さな手でさすった。

 

「ころんじゃった?いたいいたいなの?」

 

その優しげな声に、達海はとうとう泣き出した。

 

「っ………」

 

立花は急に泣き出した達海をみて慌てた。

 

「いたいいたいなの?」

 

それから泣きじゃくる弟を前に、わたわたしていたがしばらくすると彼女は達海の頭に手を添えた。

 

「いたいのいたいのとんでけ!」

 

そして古くから伝わる呪文を唱えた。

彼女はこれをどこで学んだのだろうか?

あの両親がこんなことをするとは思えないが………本か?

それとも姉には親らしく接しているのだろうか?

 

「いたいのいたいのとんでけ~」

 

彼女はもう一度、泣く子に対する伝家の宝刀を繰り出した。

二度やられた達海はその行為に疑問を持ったらしい。

 

「………おねえちゃん。それ、なに?」

 

泣き腫らした顔で彼女の行為の詳細を聞いた。

 

「これはね、まほうよ!」

 

「まほう………?」

 

彼女の一言に達海は動きを止めた。

 

「そう!いたいをなくして、かなしいをとんでいかせるまほうよ!」

 

「おねえちゃん、まほうがつかえるの?」

 

「ええ!」

 

彼女は達海の顔を指さした。

 

「ほら!わたしのまほうでかなしくなくなったでしょ!」

 

呆然としている達海の顔には乾いた涙が張り付いているだけで、そこに流れるものはなかった。

そして悲しい表情も。

 

たしかに。

これもある種の魔法か。

いたいのいたいのとんでゆけ。

案外馬鹿にできないなぁ。

 

「ほんとだ………すごい…」

 

この子、いつもは割と聡い子なのにたまに抜けている。

彼女の言う通りになったことに心底驚いていた。

そしてすこしワクワクした表情になった。

 

「すごい…すごいよ!おねえちゃん!まほうつかいだ!」

 

おー。

元気出た。

ボクの慰めには一切耳を傾けなかったのに。

やはり子供には子供か。

 

「えへん!おねえちゃんはすごいのです!」

 

そうして腰に手を当てて胸を張った。

すげぇな、おねえちゃん。

人類悪ができないことをやりおった。

ドヤ顔だけど。

まほうつかいになりおったわ。

ドヤ顔だけど。

 

「あ………」

 

達海は彼女の手に一冊の本が握られていることに気付いた。

それはあの『まほうつかいとあくま』だった。

 

達海は両親のことを思い出したのか、また暗い表情に戻ってしまった。

 

おい。

すごいおねえちゃん、墓穴掘っとるぞ。

どうした。

 

弟の落ち込みに立花も困惑した。

 

「まだいたいいたいなの?」

 

達海は首を横に振った。

 

「どうしたの?」

 

達海は話しづらそうに俯く。

その表情を見て立花は自分の胸を拳でたたいた。

 

「はなしてみなさい。おねえちゃんはまほうつかいよ!なんでもかいけつしてあげるわ!」

 

なんでも、か。

大きく出たな、おねえちゃん。

じゃあ、ついでにボクの悩みも聞いてもらおうかな。

実は最近、夢に変な夢魔が出てくるんだよ。

マーリンって言う名前でね、とても胡散臭い奴なんだ。

もう張り倒したくなるようなやつなんだけど、どうすればくたばる………

 

達海はそれでも少し躊躇したが、さっき泣き止ませた立花の力を信じたのか、少しずつ口を開いた。

 

「お、おとうさんとおかあさんがね………」

 

「うん」

 

「しっぱいだっていったんだ………」

 

「しっぱい?」

 

「おとうさんとおかあさんはみんなのためにがんばってるのに………」

 

「………うん」

 

「がんばってるのに………ぼくはみんなのためになれないんだ」

 

「そうなの」

 

「ぼくは、もうまほうつかいになれないんだ…」

 

「うん」

 

「なんでだろう…ぼくもみんなのためにがんばったのに…いたいのがまんしたのに…」

 

そういうとまた泣き出してしまった。

でも今度は、立花は慌てずに弟の背中を優しげにさすっていた。

 

「たつみはがんばったのね」

 

「うん」

 

「みんなのためにがんばったのね」

 

「うん」

 

「じゃあ、たつみもまほうつかいよ」

 

「………え…?」

 

え?

なんでですか?

 

「だってたつみががんばったってきいて、おねえちゃん、うれしくなったもん」

 

「おねえちゃん、うれしいの…?」

 

「そうよ。おとうさんとおかあさん、すごいむずかしいおしごとしてるのに、たつみはおてつだいしてたんでしょ?」

 

「う、うん」

 

「それってすごいことよ。わたしはできないもん。だからおねえちゃんはおとうとがとてもがんばっていてうれしいのだ」

 

にひっと口角を上げ、達海はの頭を両手でかき回した。

されるがままの達海は次第に下がっていた口角を上に向けて笑った。

 

「いっひっひっひっひ!」

 

「あはははは!」

 

無邪気に笑い合っている。

良い。

初めてこの子の笑い声を聞いた気がする。

ボクもうれしいです。

 

しばらく笑い合った後、立花はあの絵本を取った。

そして最後にページを広げた。

ん?

 

「ほらみて!たつみ!」

 

最後のページにはもう一枚画用紙がテープで張り付けられていた。

新しいページが作られている。

 

「さいごはみんななかよくてをとりあうの!」

 

そこにはクレヨンで笑う人たちが描かれていた。

ローブを着た少年と三角帽の少女、そして笑い合う大人たち。

拙い絵ではあるがよく描けている。

 

「これって、ほんとうのおしまいの?」

 

「ええ!」

 

あのとき彼女が語ったハッピーエンドを描いたようだ。

彼女のなかでラストのイメージはこれなのだろう。

 

「よくきいて。たつみ。」

 

彼女はその見開きのまま弟に絵本を渡した。

 

「まちがえたらあやまるの。まえもいったでしょ」

 

「え………」

 

「たつみはがんばった。でもおとーさんとおかーさんはがんばったっていってくれなかった」

 

「………うん」

 

「それはね、なにかまちがえてたのよ」

 

「なにかってなに………?」

 

「それはわからないわ!」

 

えぇ。

わからんのかい。

達海も顔を困惑させた。

 

「それはじぶんでかんがえるの!」

 

「じぶんで?」

 

「ええ!なにがまちがってたかちゃんとかんがえて、うーんってなやんで、わかったらごめんなさいするの!そうすればおとーさんとおかーさんもゆるしてくれるわ!」

 

「………ほんとに?」

 

「ええ!」

 

「ゆるしてくれる?」

 

「おねえちゃんはまほうつかいよ!しんじなさい!」

 

彼女に断言されて、達海は少しずつ顔色をよくした。

 

「うん。わかった。かんがえる」

 

「いいこよ!」

 

たどたどしくもしっかり答えた達海に、立花にっこりと笑った。

なんて美しい姉弟愛なんだ。

尊みファンタズム。

 

とても美しかった。

それゆえにこの言葉はこの子を壊す決定的な一打になったのは間違いなかった。

 

 

 





誰もが悪くない。
悪いのは結果だけ。




次回から本編に食い込んでいくと思うな。
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