たった一人のマスターへ   作:蟹のふんどし

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空けない夜はないとか、止まない雨はないとか、いろいろ言われているので、終わらないシリアスもないのではないかという素朴な疑問。
ギャグ回です。


食堂前線(1)

空調が息は吐き出す音が聞こえる。

その音を聞きながら、自室のベッドでうつ伏せのままただじっとする。

 

ゴウン…ゴウン…

部屋の外から低い音が響く。

発電室のモーターか。いや、この音はウォーターハンマーか。

ウォーターハンマーとは、勢いよく水を出している際などに急に水を締め切ると水の圧力に逃げ場がなくなり、水道管内に高水圧と衝撃を発生させてしまう現象のことである。

水撃作用などともいわれる。

これを何度も繰り返すと水道管が破損し、漏水などの原因となる。

大きな施設の地下室などでは天井裏に水道管が通っているケースなどがあり、よく聞こえたりする。

防止対策としては急激な締め切り動作を行わないようにするほか、水栓に節水コマという水流を抑える部品をつけることが有効である。

ってダ・ヴィンチさんが言ってた。

 

ベッドの上で頭を抱え、毛布の下に頭を突っ込む。

…現実逃避してもしょうがないんだけど。

 

昨日、ある女の子の前でぼろ泣きしてしまった。

 

――――だれがこんな役に立たないお荷物になりたいと思うんだよ!

 

「なぜ俺はあんな恥ずかしいことを…」

 

同僚である女の子の前で愚痴、言い訳、泣き言を叫んだ挙句、ぼろ泣きして彼女に慰められる。

建前で相談に乗ってもらったはずが、まさか取り乱してあんなことをしてしまうなんて。

 

あああああ!恥ずかしい!

なんであんなことやっちゃうわけ!馬鹿なんじゃないの!マジでお馬鹿か!

大丈夫か頭!

 

 

「…穴があったら入りたい…」

 

ぐぅ。

ベッドの上で暴れていたら、お腹が鳴った。

昨日、夕飯食べなかったからかな。

ついでに尿意も催してきた。

こんなに感情を取り乱していても、腹は減るし、出すもんは出すらしい。

人間の体ってたくましい。

 

ため息を一つついて毛布から頭を出す。

 

しょうがない。やってしまったものはしょうがない。

とりあえず顔を洗おう。いや、シャワーあびよう。

 

僕は寝間着を脱ぎ、骨折した右腕をかけていた三角巾を外すと自室のユニットバスで体を洗う。

塗り薬の上のガーゼや右腕の包帯に水が被らないように気を付けながら洗う。

あ、無理だわ。普通に濡れる。

出たら包帯を巻きなおしておこう。

水滴が跳ね、湯気で曇る鏡を見る。

…なんか最近すこしだけどひげが伸びてくなあ。

ジェルを顎に塗り、かみそりでひげをそるとシャワーで顔を洗い流す。

慣れない左手でやったので少し切ってしまった。

左手だけでやるのって難しい。

ユニットバスの手すりにかけてあったバスタオルで体を拭き、ユニットバスも濡れた個所を軽くふいておく。

そのあと用を足して、置いておいた下着を着た。

 

いつも怪我ばかりするので自室の棚に置いてある包帯とはさみとテープを取り出す。

濡れた包帯をとり、ギプス代わりに腕にかけてある固定化の術式を見ながら腕に包帯を巻く。

固定化してあるんだから包帯なんていらないと思うんだが、ドクターによるとこの魔術は骨の整復と固定の兼用なので念を入れて包帯と三角巾をするのだそうだ。

三角巾はずれてない骨の固定とか、この包帯にも固定化がどうのといろいろ言ってたけどなんだったかな。

結局左手だけでやったらものすごい汚くなってしまった。

まあ、いいや。

 

道具を棚にしまうと制服を着る。

この服のつくりって面倒だよなあ。

この胸にあるベルト?みたいのにはどんな役割があるのだろうか。

魔術的意味合いがあるのだろうか。

というか右の三角巾が邪魔で着れなくないか、これ。

羽織るだけでいいか。

雑に制服を羽織ってから、鏡を見て身だしなみを整える。

鼻よし、眉毛よし、制汗剤は塗った。肌が荒れたところには保湿クリームも塗った。

髪を軽く整えて、完了。

よしっ!

 

「行きたくない…」

 

考えたくないことがあると身だしなみとか服とか、別のことが妙に気になり始めるんだよね。

ちなみにこういうのは獲得的セルフハンドキャッピングと言って、目的のための作業に邪魔となることをあえて行うことによって…

やめよう。

この思考こそ目的の邪魔になることだ。

頭の中のダ・ヴィンチさんは休んでてください。

 

よし状況を整理しよう。

 

僕は昨日、同僚の女の子の前でとても恥ずかしいこと(控えめな表現)をしてしまった。

それによって僕は今日、彼女と顔を合わせたくない。

しかし今日はモニターテストと戦闘訓練があり、彼女とは少なくとも一度、顔を合わせなくてはいけない。

ゆえに部屋から出ることがためらわれる。

 

うん。なるほど。

よくわかった。

じゃあ、この状況の打開策はなんだろうか。

こういうのはどうだろう。

僕を部屋に閉じ込めている心理的圧力は、彼女と顔を合わせたときの気まずさと恥ずかしさと恥ずかしさ(意味重複)による羞恥心(意味重複)が原因だ。

だが部屋を出れば彼女と確実に顔を合わすことになるので、心のダメージは避けられない。

ならば彼女と顔を合わせる回数を戦闘訓練の一回のみに限定することにより、まず羞恥心によるダメージを減らす。

さらに戦闘訓練は仕事と割り切ることによって心のダメージを減らす。

プライベートと仕事は分けるタイプなんでってやつ。

これにより僕の心が守られる。

 

よし。なんて完璧な作戦なんだ。

穴が全くない。

なんか論理が斜め上に跳んでいる気がするが多分気のせいだ。

 

左手で頬をたたき、自分に活を入れるとドアを開き、僕は冒険へと躍り出た。

 

廊下を出て左右を確認する。いたのは離れたところで背を向けて歩いている男女職員二人組だけだった。

 

僕は彼らに気付かれないように右に曲がると、早歩きで食堂に向かった。

今の時間帯なら食堂の人たちは食事が食べ終わる寸前のところだろう。

そこで僕が食事をとりに行き、彼らが席を立ち始めてから座り、食べ始める。

早めに食事を済ませ、モニターテストへ向かう。

こうすればほぼすべての人間とすれ違いになり、キリエライトさんと顔を合わせることもない。

いけるぞ。

 

食堂の前にたどり着く。

中からはいつもよりも少し大きめの喧騒が聞こえる。

若干人が多いようだがこの程度は想定内。

よし。ミッションスタートだ。

 

僕は食堂に足を一歩踏み入れた。

まず視界に入ったのがいまだに大半の席が埋まっている食堂。

やはりいつもより人が多く席に座っているみたいだった。

がしかし、誤算だったのが、食事が半分くらい残っている人が多いということだった。

 

馬鹿な。僕の計画が。

少し遅めに来たのに、なぜみんなこんなにゆっくり食べているんだ。

 

鼻白んでいたら、僕が入ってきたことに気付いた人たちがみんな一瞬だけ僕のことを見た。

なんだ?いつもの冷え冷えとした視線となにか違う気がする。

からかい、というか好奇心というか、そんな感情が目に写っているような…

 

そこで我に返る。

いかん。足を止めるな。

上手くすれ違いになるように、食事をとりに行かなくては。

あまり周りに目線を合わせないようにして…

 

ああ、人間というのはどうもやらないよう意識するとかえってダメみたいだ。

僕は眼鏡をかけて灰色のパーカーを着た例の彼女を見つけてしまった。

まずい、目を合わせたら、僕が死ぬ…ん?

なんだ、あれ?

 

何故かキリエライトさんの周りに職員がすごい集まっている、というか囲んでいる。

まるで質問攻めにでもあっているかのような。

 

呆然としたらこちらに気付いた彼女と目が合ってしまった。

目が合った瞬間、彼女は顔を少し赤くした。

それに気付いた周りの職員が一斉にこちらを見た。

あまりの強烈な目線たちに僕はすぐに視線を逸らした。

 

え?なにあれ?怖い。

何があったの、キリエライトさん。

 

って、しまった!これでは気づきませんでしたアピールができないじゃないか!

もし僕が席に着いたときに彼女がいても、近くに座らなかった言い訳として用意していたプランBが!

あ、そういえばプランBのBってBack Upの頭文字で、ABCの順番って意味じゃないらしいですよ。

プランAがなくてもプランBは存在するとか。

って、だから余計なことは考えるな。

 

まずい事態だ。

食堂の人は多く、キリエライトさんはまだ食事中、さらにはプランBの頓挫。

どう打開すべきだ?

 

…そうだ!

食事に難癖をつけて、なんとか食事を運ぶまでの時間を稼ごう。

それで彼女が食事を終えるまで席につかないようにしよう。

 

僕はトレーをとり、厨房が見えるカウンターにトレーをおくとスライドさせながら料理をとっていく。

今日は和食のA定食一択だ。

僕は日本人だからそれを理由にいちゃもんが付けられるかもしれない。

 

左手でトレーをスライドさせながらカウンターの上のお皿を取っていく。

味噌汁、漬物、納豆、サンマの塩焼き、なんというか朝の和食って言ったらこんな感じかなっていうイメージ通りの食事だ。

どれも具材、量、焼き加減、素晴らしい出来。

…くそっ!料理が完璧すぎて、難癖が付けられない!

 

というか冷静になって考えれば、調理してる人に日本人いるじゃん!

いちゃもんをつけ始めたら、むしろ口論で言い負かされる可能性すらあるぞ。

これでは…

 

焦燥感を抱いた僕が主食を取ろうとしたその時、チャンスはやってきた。

米が並んでいない!

まだ来てない人たちがいるのかぽつぽつと具材のお皿は残っていたのに、お米のお皿だけが残っていなかった。

材料が切れたのだろうか?

よしっ!ほかの炭水化物ではやだと駄々をこねればいける!

 

これからやることに若干の申し訳なさを感じながら奥の厨房に呼びかける。

 

「すいませーん!」

 

3秒ほど待つと、奥から返事が返ってきた。

 

「んー?」

 

奥から現れたのはタマモキャットさんだった。

相変わらず和洋折衷のよくわからない格好をしている。

 

彼女は戦闘職にしては、僕に当たりが強くない人だった。

マスターである姉さんにしか興味ないのか、あんまり気にしていないのか。

いずれにせよコミュニケーションがとりやすい人だったので安心した。

 

「あのお米がカウンターにないんですが、新しいのをもらってもよろしいですか?」

 

よし、なんとかこれで時間を引き延ばして…

 

「おー!やっと来たかご主人弟!」

 

と思ったら彼女は僕を見てすぐに駆け寄ってきた。

尻尾がピンと立っている。

って、え?

 

「待ちくたびれたぞ!遅すぎてキャットの方から部屋に突入しようかと思ったのだ」

 

「え、お、お待たせしてすいません…」

 

「しょうがにゃい。許してやろう」

 

腕を組んで神妙にうなずくタマモキャットさん。

なんで僕は謝っているんだろう。

 

「だが、こいつが許すかな!」

 

決め台詞とともに彼女は大きな猫の手の肉球を僕の顔に押し付けた。

なんなんだ、これは。何の意味が…

 

さっきからいろいろありすぎて対応しきれない。

今日の食堂はおかしい。

 

押し付けられた肉球のぷにぷにした感触に恐れおののきながら、僕はもう一度お米を要求した。

 

「それで、お米は…」

 

「む、任せろ。今持ってくるぞ」

 

言うと一瞬で厨房の奥へ消えていった。

速い。

ん?そういえば彼女、さっき待っていたと言ってなかったか?

僕に用事でもあったんだろうか。厨房の仕事?それとも調理器具の修理?

なんであれ、僕以上に適任な人はいっぱいいるが。

 

「持ってきたぞ!ご主人弟!」

 

少し考えているとタマモキャットさんが帰ってきた。

大きな米びつを抱えて。

あ、お米あったんだ…

 

「お祝いだぞ。これ全部食べてけ。」

 

「え」

 

彼女が米びつのふたを開けると熱い湯気とともに顔を出したのは炊き立てのお赤飯だった。

なぜ赤飯?それに量が多すぎませんか?5合ぐらいありますよ。

 

「いや、全部はちょっと…」

 

「なんと⁉」

 

タマモキャットさんが崩れ落ちた。

無理です。それは気づいてほしかった。

 

「だから言ったでしょ。あんなにいっぱい炊いてもしょうがないって」

 

「まったくだ。食材は1ミリたりとも無駄にしてはならんというのに」

 

驚くタマモキャットさんの後ろから声を出したのは、ブーディカさんとエミヤさんだった。

二人ともYシャツの上にエプロンを着けている姿がすごい堂に入っている。

タマモキャットさんは厨房じゃなくてもエプロンをつけているからわかるけど、二人はいつも着けているわけではない。だというのにこの違和感のなさ、なぜだろうか。

 

「あ、おはようございます」

 

現れた2人に頭を下げる。

 

「うん、おはよう」

 

「おはよう」

 

ブーディカさんは笑って、エミヤさんはあきれ顔で僕に挨拶を返してくれる。

少し嬉しかった。

厨房の人たちはいつもとても朗らかに挨拶を返してくれる。

他の人たちでも僕が挨拶をすると誰であれ一応、返事は返ってくる。

でもいい感情が伴っていないってことは、言葉に出ていなくてもわかるんだよね。

顔とか声の硬さとかで。

そうするとやっぱりさ、挨拶する回数が減ってくるんだよ。

そんなだったから厨房にいる人たちとのあいさつはひそかな僕の楽しみだった。

彼らは誰であれ、笑って返事をくれる。

どれだけ冷たい対応になれていても、やっぱり明るく返してくれた方が僕もうれしい。

 

料理ができることに加え、こうやって人と向き合って接してくれるから彼らの姿は堂に入るのかもしれないな、と最近は思う。

 

「えっと、それでこのお赤飯はいったい…?」

 

僕の疑問を聞いてブーディカさんは笑って返事をくれた。

 

「ああ、驚いた?君とマシュのお祝いだよ」

 

「僕とキリエライトさんのお祝い?」

 

ん?何かお祝いされることがあっただろうか?

キャメロットの戦勝祝いかな?

でも昨日の夕餉にそれはやっただろうし。僕は行ってないけど。

 

あ、キャメロットでキリエライトさんの霊基を強化できたことか。

昨日までの旅で、キリエライトさんは自分に宿る英霊の真名を知り、とても強くなった。

法具もスキルもとても大幅にパワーアップされたし、何より彼女の心に芯ができた気がする。

彼女のお祝い事だけど、気を遣って一応マスターである僕も祝ってくれたのか。

 

「うん。今朝聞いたばかりだったから、これしか用意できなかったんだけど。君もいろいろ大変だろうからさ。いいことがあったらお祝いしたいじゃない?」

 

「前もって知らせてくれれば、ケーキくらいは用意しておいたものを」

 

他の人なら皮肉かと疑うが、彼らは純粋に僕を祝ってくれるのがわかるから安心できる。

流石の僕も、彼らの行為を素直に受け取らないほどひねくれていない。

 

「ありがとうございます」

 

僕は再度頭を下げてお礼を言った。

 

「どういたしまして」

 

「これくらいなんともないさ」

 

二人は笑ってそんなことを言ってくれた。

 

「でも前もって言うのは流石にできませんよ。まさかあの特異点でああなるなんてわかりませんでしたし」

 

僕が苦笑すると二人は驚いた顔をした。

 

「ええっ⁉君、あっちでマシュに言ったのかい⁉てっきり帰ってきてからだと思ってたよ。すごいね~」

 

「命からがらの旅途中で、とは余裕だな。もしかすると君は大物なんじゃないか?」

 

いや、命からがら旅だったからこそ、そして縁にゆかりある土地だったからこそ、彼女は自分自身を知ることができたのではないだろうか。

というか、キリエライトさんに言った?

ん?

なにか話が食い違っている気が…

 

「あの、これってキリエライトさんの霊基が強くなったことの・・」

 

僕が何か変なことに気付いて疑問を口にしようとしたとき、背中を思いっきり叩かれた。

あまりに強かったので前のカウンターに頭をぶつける。

痛い…

 

「よお!坊主!やったな!」

 

ぶつけたおでこの部分をさすりながら左を見ると、ケルトの英雄であるクーフーリンさんがいた。

痛みで涙目になりながらも、少し驚いた。

彼の方から話しかけてくることが珍しかったから。

彼はガチガチの戦闘職で、さっき言ったみたいにうじうじしている僕を好ましく思っていないうちの一人だった。

 

「まさか、お前があの盾の嬢ちゃんを落とすとはな!めそめそ女々しい野郎だと思ってたが、やるときはやるじゃねえか!」

 

そう言って大声で笑った。

 

「ちょっと、つよく叩きすぎだよ」

 

僕のおでこが赤くなっていたのか、呆れ顔でブーディカさんがクーフーリンさんを注意した。

 

「男なんだからこれぐらい大丈夫だろ。なあ」

 

そう言ってさらにバシバシと背を叩く。

肩が外れるんじゃないかという衝撃が何度も背中に響く。

 

いや、痛いですから。サーヴァント基準で話進めないで下さい。

というか今何か変なことを言ってなかったか?

 

「…僕がキリエライトさんを落とした?」

 

そんな僕のつぶやきを聞いているわけもなかったクーフーリンさんは、にやっと笑うと僕の肩に手を回した。

 

「だがな、坊主。これで安心したらそこでしめえだぞ。釣っただけで満足すんな。エサをやらなきゃ、魚も女も逃げてくぜ」

 

そしてエミヤさんに視線を向けた。

彼の顔はまるでいたずらを思いついた子供のように笑みを浮かべていた。

 

「なあ、アーチャー。こいつもいっぱしの男になったんだからお前からアドバイスしてやったらどうだ?そういうの得意だろ?」

 

エミヤさんは不機嫌そうに鼻を鳴らす。

 

「…何の話だ」

 

それを見てクーフーリンさんの顔がにやけた。

 

「ああ、悪い悪い。この場合はこう呼んだ方がいいか?坊主(・・)?」

 

「…いいだろう。貴様の安い挑発に乗るのは癪だがその喧嘩、買ってやる。表に出ろ、ランサー」

 

その言葉を聞いてクーフーリンさんはまた笑った。

 

「ぷっはっはっは!冗談だよ!本気にすんな!」

 

彼は腹を抑えて、僕の肩を何度か叩いた。

 

「まあ、せいぜい頑張れよ」

 

言いたいことだけ言うと、クーフーリンさんは肩を震わせながら食堂を出ていった。

あの人、何がしたかったんだ…

 

「あの犬め、奴の昼飯はホットドッグにしてやろう」

 

エミヤさんは眉間をぴくぴくさせ、聞いたこともないほど低い声でそう言った。

哀れ、クランの猛犬。

というか、ゲッシュ的にそれは洒落にならないのではないのだろうか。

ああでもホットドッグは豚肉というか、ソーセージだから大丈夫なのか?

って違うそんな話はどうでもいいのだ。

 

「あの、さっきクーフーリンさんが言ってた話って」

 

エミヤさんがすぐに僕の言葉に反応した。

 

「いや、あれは若気の至りというか…とにかく、君は知らなくていいことだ」

 

クーフーリンさんがからかっていたのはエミヤさんの過去の話だったのか。

すごい気になる、って今はそうじゃなくてっ!

 

「いや、あの、僕がキリエライトさんを落としたとかなんとかおっしゃってましたけど、どういう意味ですか?」

 

僕が言葉を発してもすぐに返事は返ってこなかった。

ブーディカさんとエミヤさんは目をしばたたかせていたからだ。

と思ったら先ほど崩れ落ちたタマモキャットさんが復活して、カウンターに手をのせた。

 

「それはご主人弟とマシュが付き合い始めたという意味だぞ。もっと言えば、体の関係をもっふぐ」

 

タマモキャットさんが言い終える前に、ブーディカさんが彼女の口を両手でふさいだ。

かと思うと慌てて質問してきた。

 

「ちょ!ちょっと待って!君、マシュと付き合い始めたんじゃないの?」

 

「え。なんですかそれ?」

 

何の話だ、それ。

付き合う?え、何、どういう事?

 

僕の戸惑いっぷりを見て、ブーディカさんはタマモキャットさんを抱えておくに引っ込んだ。

 

「ちょっと、どういうこと?」

 

「いや、キャットもよく分からないのだぞ」

 

「でも今朝あの子とマシュが、って言ってたでしょ」

 

「キャットだってそう聞いたぞ」

 

「…誰に?」

 

「技巧部のムニエルなのだ」

 

「なんて言ってたの?」

 

「昨日の夕方、発電室の点検をしようとしたら地下でただならぬ空気を漂わせた二人が隣の部屋から出てきた。まるでもう世界に二人しかいないようなそんな空気だった、と聞いた、ワン」

 

「…はぁ。あのね、あの噂大好き君がそういうことを大げさに言わないわけないでしょ。ただでさえみんな娯楽に飢えてるんだから」

 

「でも服が少し濡れていたとも言ってたぞ」

 

「…ああ、そういうことか。これはソースを確認しなかった私も悪いかなあ」

 

「なんだ?どうしたのだ?」

 

「あんまり触れちゃいけない話題だったってこと。やっちゃったかな、これは」

 

奥でひそひそ話している。

いや、僕にも状況説明してほしいのですが…

だんまりしていたエミヤさんをみると、彼はなぜか達観した表情で腕を組んで目をつむっていた。

 

「あの…」

 

「誤解してほしくないのだが、彼女たちは良かれと思ってやったんだ。どうかあまり責めないでやってくれ」

 

「え、ええ。それは疑ってません。エミヤさんも含めて。ただちょっと状況が…」

 

何を祝ってくれていたのかよく分からないが、彼らの善意は確かだと思う。

ただ、先ほどからなにかよく分からない状況が、勝手に進行している気がしてならない。

 

「いかがいたしましたか、達海」

 

トレーと米びつとエミヤさんの前でおろおろとしていたら、長身のイケメンが声をかけてきた。

 

「あ、ランスロットさん」

 

円卓の騎士の一人、理想の騎士とまで評された素晴らしい人物だったらしい。

正直、アーサー王伝説をあまり知らなかった僕にはよく分からない。

今は鎧を着ておらず、ワイシャツにスキニーパンツというラフな格好をしていた。

それにしても今日はよくサーヴァントの人に話しかけられるなあ。

いつもはこんなことあまりないのに。

 

「いえ、実は状況がよくわからなかったといいますか、この大量の赤飯に困ってたと言いますか」

 

状況が複雑すぎて説明できない。

うーん、とうなっていると大きな米びつを見て、彼はなるほどとつぶやいた。

 

「では私がこのお赤飯をお運びいたしますので一緒にお食事をいたしませんか?」

 

彼の声はなんだかわざとらしすぎるほど明るかった。

円卓の人たちはなぜか親切にしてくれるんだよな。

僕がマスターの弟だからだろうか。

なんにせよ、この前の旅の縁で、彼が協力してくれることになったのはありがたい。

 

あの砂漠で、後頭部をフライパン片手に殴りかかった僕に対しても崩れない優しい人格。

キリエライトさんがあんなに反対していたのはなぜだったのだろうか?

うーむ。

 

 

「ちょっと待ってくれ!ランスロット卿!あなたは致命的な誤解をしている可能性が…」

 

「いえ、ミスター.エミヤ。私はただマスターの弟君とお話がしたいだけです。決して娘と付き合うなんていい度胸だ、などとは思っておりませんとも」

 

「いや!やはり致命的な誤解をしているぞ!」

 

 

まあ、いっか。

そもそも僕はキリエライトさんと顔を合わせずに食事をすることが最優先だったはずだ。

彼女がなぜランスロットさんを毛嫌いしているか僕には分からないけど、逆に言えば彼が一緒にいてくれれば、キリエライトさんと顔を合わせることはないんじゃないか?

おお、ここにきて幸運が。

 

僕はなにか言い合っていたエミヤさんとランスロットさんに顔を向けると笑顔で彼にこういった。

 

「じゃあ、お願いします。ランスロットさん」

 

「ま、待て!この状態で行ったら…」

 

「承りました、達海。では行きましょう」

 

ランスロットさんは軽々と片手で大きな米びつを抱えると僕の食事のトレーまで持ってくれた。

右手を気遣ってくれたのだろうか、紳士だ。

そういえば今、エミヤさんが何か言いかけていたような。

 

「エミヤさん?なにか言いましたか?」

 

僕はエミヤさんに質問したが、彼が答えるより先にランスロットさんが答えた。

 

「彼はお赤飯をよそうためのお皿がないといいたかったのでしょう。安心してください。私が持ってきました」

 

そう言ったランスロットさんのトレーの上には2つ茶碗がのっていた。

すごい。

 

「なるほど。ありがとうございます」

 

「いえ、この程度のことは。ではミスター.エミヤ、失礼します」

 

「ありがとうございました、エミヤさん」

 

「まっ…」

 

僕はエミヤさんに頭を下げるとランスロットさんについて行った。

 

 

 

 

§

 

 

 

 

「私としたことが…」

 

まさかここでランスロット卿があらわれるとは。

なんてタイミングの悪い。

 

「ごめんねー!待たせちゃって!ってあれ?弟君は?」

 

「どこへ行ったのだ?」

 

先ほど奥で話し合っていた二人が戻ってきた。

私はため息をついて指をさした。

 

「あそこだ」

 

彼女ら二人は私の指のさす方向をみた。

彼女らの目も、ランスロット卿の背とそれを追うマスターの弟をとらえたのだろう。

口角がひくひくし出す。

 

「…もしかしなくても結構ピンチ?」

 

「ああ、おそらく」

 

「ヴェルダン?それともレア?」

 

それは洒落になってない。

 

 

 

 

 




泣くだけ泣いて少しテンションがおかしくなってる達海くん。

楽しむときは何も考えず楽しみたい。
もうちょっと続きます。

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