「利根の消息が不明ですって?」
寝殿の奥で、妖艶な女の声が響く。
赤い炎が御簾の奥からぼんやりと光っていた。
「利根は我々一航戦の忠実な麾下。離反するとは考えられません。何があったのでしょう」
蒼い炎が御簾の奥からぼんやりと光る。静かな声が何かを憂うように唸った。
要件は唯一つ。認識艦船を率いて横須賀を強襲しに行った重巡洋艦・利根の行方だった。彼女はこちらに連絡一つ入れず、多数の認識艦船諸共消息不明になったのである。
当然、上司である二人が看過出来る事ではなかった。
「ならば結論は一つね。利根は沈められた」
妖艶な声は案外早く、利根の死を断定した。
「索敵・連絡を優先する子だもの。理由も無く消息を絶つわけがない。となれば、沈められたのが確実よ」
「横須賀に三十年前の生き残りが?」
冷徹な声の女は、眉を顰めた。
妖艶な声は忌々しそうだった。
「……散り散りになっただけ、としか私は聞いていないわ。でも、少なくとも私達に対抗できるだけの勢力ではないはず。となれば、彼女を討ったのは私達を嗅ぎ回っている【ユニオン】の艦船である可能性が高い」
煙管を弄んでいる妖艶な女は「まあでもいいわ」と余裕げだった。
「代わりは幾らでも居るもの。利根くらい、【人形】で十分よ。むしろ、あそこに何かあるって分かっただけ、必要な犠牲だったわ」
皮肉も何も混じっていない、本心からの言葉だった。所詮、彼女にとって部下の命は自らの崇拝する「カミ」の目的を果たす為の駒に過ぎないのである。
「……良いわ。遊びたいというのなら付き合ってあげましょう。放っておけば、どうせ面倒になるもの」
●一
「
三笠公園に隣接する何の変哲もない公立高校・海藤学園高校にやってきたのは唐突な転校生だった。
うちの学校に駆逐艦が転校してくる。と言ったら、今度こそ同級生に「そうかそうか、そろそろ病院行こうな。頭の」って引きずられそうだから止めておいた。
噴出しそうな問題は幾らでもある。
この三日間程で俺の中の常識と言う常識が音を立てて崩壊している。
もう一度繰り返そう。
うちの学校に駆逐艦が転校してくる。
何事も無かったかのように朝のHRで偽名を使って自己紹介をする綾波を、俺は頭を抱えながら眺めているのだった。
「なあ蒼颯。國方サン……だっけ、クッソ可愛いよな。なんか、こう、ミステリアスな感じがさあ。まさか電撃転校生かあ、この年になってラノベみたいな展開に遇うなんて思わなかったぜ」
アニメオタクの一馬が隣の席で、にやにやしている。家は焼けたが、妹さんは何とか助かったらしい。一日経ったのもあってか、一先ず立ち直ってくれて何よりだ。昨日は流石に休んだが、学校に教科書を置いていたのが功を奏したのもあって、一先ず学校には足を運ぶ事にしたらしかった。今はホテル暮らしをせざるを得ないという。
大変な目に遭っている彼だが、いきなり転校してきた彼女に目を輝かせていた。せめてもの慰めが出来たのだろう。いや、本当に火事のショックで何とか体裁を繕っているのかもしれないが。
「……でも駆逐艦なんだよな」
「今何て?」
「何でもない」
漏れてしまった口を抑え、首を横に振った。
「そうかあ、あやなみちゃんかあ、名前も可愛いなあ、何か世紀末ヲヴァンゲリオンのヒロインの苗字みたいな名前だけど」
「苗字じゃなくて名前だからセーフだ」
「綾波」は苗字にするべきではない、とあの猫耳工作艦も気付いたのだろう。確かに某アニメで有名ではあるが、あの苗字は現実には存在しないからである。
あの猫がアニメを知っているかはこの際さておき。
「そっかぁ、にしてもちっこい子だなあ、最初中学生かと思っちまったぜ」
「女子の身長は大体こんなもんだろう」
誤魔化す為に俺は適当を言った。
一馬の言う通り、綾波は高校二年生の他の女子と比べるとやはり幼く見えるのである。
流石に小学生と言うほどではないが、大体中学一年生、せいぜい中学二年生と言った所だ。
明石は幼女なのに対し、あの利根は大人びた容姿だったので、KAN─SENというのは艦種によって容姿が決まって来るのだろうか。いや、それ以前に成長するのか彼女達は。
「ところでお前、結局学校に来れてるけど大丈夫なのか?」
延々と綾波の話をされていると、何時か俺が墓穴を掘りそうなので話を変えることにした。
いつも通りに振る舞っている一馬だが、火災もとい砲火で色々燃えて大変だったのではないだろうか。
「ああ。無事な家具とか結構多くてな。鎮火した後、昨日のうちに全部運びだしたんだ。うちは貰い火事だったからな」
案外けろっとした表情で彼は答えた。
「そうか。それは、不幸中の幸いだったよ」
「だけど最初に焼けたのが妹の部屋だったからな。それで、あいつは大火傷だ」
彼の表情が暗くなった。しまった、辛い事を持ち出してしまったか。
猶更、あの艦船達を沈めなければ横須賀は危なかった事が分かる。そもそも人も何人も死んでいるらしい。
俺はあの時、戸惑ったり躊躇している場合ではなかったのは確かだ。それでも──心残りが無いわけでは無かった。
「今は回復するのを祈るしかない、か」
「ああ。だけど幸い命に別状は無ぇよ。それだけで十分だ。それにな」
にひひ、と彼は笑みを浮かべる。何処か悲しそうだった。
「焼けた町を見るより学校に来てた方が気が晴れるんだ」
「……一馬」
俺はそれ以上は言わなかった。この一件は、彼の心に決して小さくない傷を負わせたようだった。
クラスを見ると、ちらほら穴が開いている。幸い、生徒の中に死者は居ないようだが、火傷をして入院した者、後処理で学校に来ることが出来ない者、と様々だという。
街にはマスコミが押しかけており、現地の情報を伝えたいのやら救助及び復旧作業の邪魔をしたいのやら分からなかった。
「それじゃあ、國方さんはそこの空いた席で……」
「はいです」
綾波の声。彼女の方に視線をやった。
表情が変わらないので、緊張しているのやらしていないのやら分からない。
が、問題はその隣だった。
「おーっほっほっほっ」
高笑いが聞こえて来る。どっちかというと鼻につく部類の声だ。
「また私のクラスに庶民が転校してきたのね! この至上の才能の持ち主たるこの私の隣にやってくるなんて何て運が悪いのかしら、おほほ」
「うわぁ、よりによってクラスのクイーン、
茶色の髪をドリル状に結ったお嬢様のような見てくれの八島さんだが、実際父親が客船会社の社長らしい。
それゆえか大金持ちのボンボンである、と専らの評判だった。
そして勉強、運動のどれをとっても悔しいことに非の打ちどころがなく、教師を金で買収したのではないかというあらぬ噂が流れた程だが、恐らく実力ではないかと俺は踏んでいる。
しかし、あの絵に描いたような高圧的な性格はどうにかならないのだろうか。
「……本当、色んな意味で可哀想だな」
呟いた俺。
「それじゃあ連絡するぞー」と担任の教師の間延びした声。
今日もまた学校での一日が始まる。
だが、今日ほど「これから」が不安な日は無かったと言えるだろう。
●二
という俺の心配に反し、綾波は思った以上にクラスに溶け込んでいた。
女子から質問攻めを受けるという通過儀礼が過ぎた後は平穏そのものだった。
俺は綾波と話す暇も無く、ただ彼女に任せるしかなかった。
元々大人しい性格の彼女は、特別目立つような行動も取らず、授業も唯只管一心にノートにメモを取っているようだった。
英語の授業でもそれは同じだ。彼女は特に発言はしないが、特に目立つ事もしない。
前でレン先生をからかっている馬鹿のようなことはしない。
「今日も補修してほしいのかしらぁ!?」
「ひぃーん!! そりゃねぇぜ、レン先生ェ!!」
「いやあ、先生が平常運転で何よりだぜ」
流石に学習したのか授業中にはスマホを弄らなくなった一馬だったが、今度は絶賛レン先生をウォッチングしていた。
彼は二次元三次元に関わらず、美女に目が無いのである。さっきまで綾波に首ったけだったのに節操というものは無かった。
俺は無言で肯定も否定もしない。
「それじゃあ教科書の次の所──」
言いかけたレン先生がこちらを向く。
視線は俺──ではなく、その後ろの方に座っている綾波に向いていた。
ほっ、と胸を撫で下ろす。当てられたわけでは無かったようだ。
正直、考え事が立て込んでいて教科書を追っている暇など無かったのである。
だが綾波は英語は読めるのだろうか。重桜という国が何なのか分からないが、それでも俺はまだ彼女を帝国海軍の艦艇のそれだと思っている。
だから、適性言語だった英語を話せるのだろうか、という疑問が湧いてくる。しかし、よく考えたら海軍だと割と英語使ってたんだったな。
そんな事を考えていたが、レン先生の言葉が先程から途絶えている事に俺は気付いた。
彼女は、呆けた様子で唯綾波の顔を見つめているようだった。
「レン先生ェー、どうしたんすか? またエロい事考えたんすか?」
「……いえ、なんでも」
何時に無く彼女の返答は静かだった。
問いかけた馬鹿は首を傾げる。いつものような反応が返ってこなかったからだろう。
どうしたんだろうレン先生。今日は心無しか元気がないように思える。
「……いえ、國方さんはまだ転校してきたばかりだから、代わりに東雲君、読んでくれる?」
「えっ!? 俺っすか!?」
そう一馬が言いかけた時だった。
チャイムが鳴る。四時限目の終わりというのもあり、腹を空かせた生徒がガラガラと音を立てて立ち上がる。
「はぁ、時間ね。じゃあ号令をかけるわ──」
今日のレン先生は、何処か変だった。
教室から雪崩れるようにして出ていく生徒達。
昼食の弁当やパンを買いにいくのだろう。レン先生もそそくさと出て行ってしまう。
が、一馬が「すんませーん、先生ェ! 俺此処ちょっと分からなかったんですけど」と追いかけていくのが見えた。授業で分からない事があったらすぐ聞きに行く辺り、彼も心を入れ替えたのだろうか。否、単に先生と話す口実が欲しかったのかもしれないが。
「指揮官」
俺は肩を震わせた。
胸が飛び出すかと思ったぞ。
「おま、ちょっとこっちに来い!」
「うん? なんですか」
彼女と人込みを逆行して、特別棟の廊下に連れ出す。
不思議そうな顔をする綾波に、俺は思わず小声で言った。
「お前な、学校で”指揮官”呼びは止めてくれよ……。俺とお前は知らない間柄同士ってことになってんのに」
「あっ、しまったのです。つい、まだ抜けなくて」
「ここでは俺とお前には上下関係とかは無いんだからさあ。で、どうした? 今日半日学校行ってみて困った事とか無かったか?」
「授業はよく分からないですけど、先生の言ってるバンショ? はノートに全部写したのです」
「そうか……」
ひょっとして勉強とか、後で教えてやらないといけないのだろうか。
彼女の実際の知能レベルがどれほどなのか分からないが、出来ない事は無いと思いたい。
だけど律儀に板書を全部写している辺り、真面目なんだろうな。
「でも、本当に……よく分からなかったです。学校って、どうして行くのですか?」
「え?」
「勉強をして大学に入ったり就職する。……此処はそういう場所だと聞いたのです。でも……綾波は艦船です。役割は何処まで行っても戦うことなのです」
「それは……」
俺は答えに困った。
明石はどうして、彼女を学校に行かせようだなんて思ったのだろう。
分からない。俺にだって。
どうして学校に行って勉強するのか、だなんて大して考えた事も無かった。
ただ、周りもそういうしているから俺もそうしていると言えば嘘ではない。
むしろ家でずっとプラモデルを作っていたいと思う日さえあるのだから。
かと言って、そうすることが良いとも思えないのだ。
結局、俺はどちらが正しいのかもどうしてそうするのかも分からず、答えることから逃げた。
「それより、綾波。お前お昼ご飯はどうするんだ?」
「昼……そういえば、そのことについて聞きたいことがあったのです」
そもそもKAN-SENは食事をとるのだろうか。
いや、明石がモンヌターエナジーを飲んでいたので、恐らく飲み食いは出来るはずだ。
「お昼、何も持ってきて無かったのです。綾波もお腹が空くのです。どうしたら良い、ですか」
「明石の奴、何も食いモンを持たせなかったのか……いや、あってもモンヌターエナジーしか持って無さそうだなアイツ」
仕方がない。今から売店に行っても混んでいそうだ。
だから俺は大抵、家から食べ物を持ってくる。
「俺のパン、分けてやるよ。お腹空いたら、また放課後にでも何か考えておくわ」
「良いんですか?」
「ああ。だけど今度からはお前の分の飯を考えないといけないのか……」
その辺り全部丸投げされたので皺寄せは俺にやってくる。
もう仕方ないと割り切るしかない。
「……ごめんなさい。早速迷惑を掛けたです」
「何言ってんだ。艦船に補給は必要で、人間も同じだ。ちゃんと食わないと午後から力出ないからね」
そう言って、俺が綾波の手を引いた時だった。
「あら。綾波さんと……橋立君ね?」
俺は肩が跳ねた。
振り向くと、そこに立っていたのは眼鏡を掛けた中年の女性。
その人物を見て、俺は思わず飛び退いた。
「……校長、先生」
「そんなに驚かなくても良いでしょうに」
「校長先生。こんにちは、です」
綾波も面識があるらしい。
転校手続きの時に顔合わせでもしたのだろうか。
「いや、でも、珍しいですね。こんな時間に校長先生が教室を見て回るなんて」
「転校生の綾波さんがよくやっているか見に来たのよねえ」
面倒見が良い事は知っているが、それでもわざわざ転校生の受けている授業を見に来るものなのだろうか。
この人に関しては掴み所が無く、まだどんな人なのか分からない所がある。
物腰柔らかい人、という大雑把な認識ではあったが……。
「ところで橋立君は転校生のお世話をやってるのかしら?」
「いやあ、まあ……そんなところで」
「これもまた出会い、というものよねえ」
そう言うと、彼女は何処からともなく半紙を取り出す。
墨で、でかでかと「一期一会」と書かれていた。
「……何すかそれ」
「私はこれでも国語教師だったのよ。書道もやってたわ。というわけで今も毎朝一筆書くのを習慣づけているわけ」
「何で持ち歩いているのですか?」」
「飾ろうと思ってたのよ。今日のは特別良い出来ですもの」
そんな趣味があったのか。
国語教師だったというのは知っていたが、書道の段も取っていたのだろう。
「でも、これは綾波さんにあげましょう」
「……ありがとです」
受け取ったのは良いが、それは恐らく俺の家の何処かに飾られる事になるだろう。
困るんだよなあ、置く場所。
「じゃあ、私はそろそろ行くわ。二人とも、仲良くね」
そう言って校長先生は去っていく。
何だったのだろうか。
半紙を渡すだけ渡して行ってしまった。
単に生徒に絡みたかっただけ……?
いや、違う。何か意味があったのかもしれない。
「……まさかな」
「指揮官、どうしたですか?」
「……いや、俺あの人と話した事無いのに何で名前知ってたのかなあ、って」
「校長先生って学校の生徒の名前を全部覚えてるものだと思ってたです」
「まさか」
ともかく──明石への質問が増えた。それだけの話だ。
●三
放課後、俺は綾波と一緒に秘匿ドックへ向かっていた。
三笠公園の近くなので、必然的に彼女も海辺に佇む戦艦を見ることになる。
息を呑む彼女は「あれが……三笠」と感動しているようだった。
しかし、今日の目的地はその近辺にある鬱蒼とした林。一昨日と全く同じ場所に確かに怪しげな蓋があった。
すると、スマホのアズールレーンアプリが勝手に起動する。画面を見ると、「ロックを解除しますか?」とあったので「はい」を押すと蓋が開いて通路に続く。
ドック自体は古そうだったが、かなりハイテクな仕組みなのだろうか。アプリとの通信でロックを解除するようになっているのだろう。
「此処からドックに入るのですね」
「ああ……にしても明石の奴、居るよな? これで居ないってことはないよな」
彼女の秘匿ドックには相変わらず他に誰も居ない。
働いているのは彼女のみらしい。広々としたこの施設のどこかに彼女が居るというが、やはり工廠に籠っているのだろうか。
「おーい、明石ー。いるんだろ──」
扉を開けると、俺の眼前には雪崩れた段ボールが広がっていた。
一体何が起こったのだろう。そういえば、無造作に色々荷物が積まれていた気がする。
にしても、これを片付けるのは大変そうだ。
そう思っていた矢先──段ボールの中から見覚えのある袖が見えた。
「指揮官。あの袖、綾波見たことがあるです」
「ああ、俺もだ。綾波、手伝ってくれ」
「了解です」
綾波と一緒に周りの段ボールをどけて、腕があるであろう場所を掴んで、引っ張り上げると、目を回した猫娘が段ボールの山から飛び出してきた。
「し、死ぬかと思ったのにゃ……」
「どうしたんだよ一体」
「装備品の整理をしていたら、段ボールが崩れてきたにゃ……」
「装備品ってなんの装備品だよ」
「そりゃあ勿論、KAN─SENの装備品だにゃあ。彼女達の兵装は割と簡単に取り換えが利くのにゃあ」
そういったものがあるのか。
となると、綾波の艤装も今より更に強くできるということなのだろうか。
いや、それよりも今日はたっぷりと聞きたい事があったのだ。
「なあ明石──」
「おーっとそれよりも先に見て欲しいものがあるにゃ」
言った明石は工廠の奥にあった、建造ドックを俺達に見せる。
綾波が生まれた場所である其処には、カーテンが敷かれており、コンピューターには「建造中」と映し出されていた。
「明石、これって一体?」
「新しいKAN─SENですか」
「その通りにゃ! こないだの戦いで、利根の轟沈地点から回収した汎用メンタルキューブの欠片で、新たな艦船を建造することに成功したにゃ!」
「なあ、前から思ってたんだが、そのメンタルキューブって何なんだ? というか、お前達KAN-SENって結局何なんだ?」
「あー、こほん、それについて説明するのは長くなるかにゃあ」
わざわざ個別に質問する手間が省けたといったところか。
「前も教えたと思うけど、【KAN─SEN】とは【動力学的人工海上作戦機構・自律行──」
「だから長ぇよ!」
「せっかちだにゃあ。まあともかく、不思議な物体・メンタルキューブから生まれる人型の艦船だにゃ」
つまり、彼女達はあくまでも人型であって人間ではない。
しかし、心もあれば人格もある存在だ。
……アンドロイドにしては有機的で、人間にしては能力が人並外れている。本当に不思議な存在だ。
「そして、このメンタルキューブは人型の艦艇を量産出来るのにゃ。つまり、明石が二隻以上いる事も有り得る、ってことにゃ」
「コピーって言いたいのか」
「これを明石達は「駒」と呼ぶのにゃ。指揮官はプラモデルを作るけど、プラモデルはオリジナルの艦船ではないのと同じにゃ」
「そりゃそうだ。大きさも細部も全然違うし内装なんて無いも同じだ」
「そしてプラモデルは大量に量産出来るにゃ。「駒」とはそういうものだにゃ。……最も、この世界ではなかなかメンタルキューブが手に入らないから、それすらも難しいんだけどにゃあ」
「そうか……じゃあ、明石達のオリジナルも居るのか? プラモデルを作るなら金型が必要だ」
「カンが良いのにゃ。KAN─SENにもオリジナルである「素体」が存在するにゃ」
「素体……それは何処に居るんだ?」
「分からないにゃ。でも、明石は確かに「素体」は居るって確信してるにゃ。明石が何かヘマをすると、どっか遠い所から怒られるような気がするし……あと、ぼんやりと向こうから何か声が聞こえてくることがあるにゃ」
「……そうか」
俺は綾波を見やった。
彼女は首を傾げる。
綾波も模造品でしか無いというのだろうか。
彼女と同じ顔で同じ姿をした綾波が、何処かに居るのだろうか。
何処か引っ掛かりがあった。こんなに姿かたちは人間そのものだというのに。
「じゃあ、もう1つ聞きたい。お前達は第二次世界大戦の艦艇なんだろ? なのに、一昨日沈められた利根は重桜だとか何だとか言っていた。お前達は「日本」の艦艇じゃないのか?」
「……それについては、ちょっと難しい問題かにゃあ」
明石は難しそうな顔をした。
「これは、明石もまた聞きみたいなもので、おぼつかないところがあるにゃ」
「どういうことだ?」
「宇宙の何処かに水の惑星があったにゃ。そこでは豊かな文明が存在していた……明石の記憶には、そうあるにゃ」
「水の惑星──それは地球じゃない別の星ってことか!?」
驚いた。
まさか彼女達は宇宙人が作ったとでもいうのだろうか。
「正確に言えば、この地球とは似て非なる地球、ってところだにゃ。まあ地球と呼ばれていたのかどうかも怪しいけど……メンタルキューブの技術はその世界のものだにゃ」
「じゃあ、利根の言っていた、日本とは似て非なる国ってのは……」
「その地球にある日本──重桜の事だにゃ」
平行世界か、それとも本当に別の惑星なのだろうか。
少なくとも彼女は「地球」と言っていた。
この惑星とそんなに変わらないのだろう。
……いやいや待て。
「いきなりそんな事飲み込めるかよ!?」
「現にこうして明石達が存在している事が何よりの証拠にゃ。指揮官はこの世界の技術で明石達の存在を説明出来るかにゃ?」
アンドロイド、ロボット、クローン人間。
残念ながら彼女達はそのいずれかにも当てはまらない。
量産が出来る上に人格を持った人型の艦船。
今はそうとしか呼ぶことが出来ない。
「……何なんだ本当に。いきなりパラレルワールドの話とか出て来るし、どうなってんだ俺の周りは」
「コホン、”その世界”では”この世界”と同じ、二度に渡る世界大戦が起こったらしいにゃ。明石達KAN─SENは唯の軍艦だった頃の記憶もあるけど……それは、この世界での明石の艦歴とそんなに変わらないにゃ」
「要は、似た歴史を辿った似て非なる別の世界の日本……それが重桜ってことか」
「そうにゃ。しかも、大体世界地図はどっちも同じらしいにゃ。違うのは大戦後に辿った歴史かにゃあ」
他にも違いは結構あるけどにゃあ、と明石は付け加える。やはり全く同じというわけではないらしい。
だが、一番大きな違いが存在する。
「最たるはKAN-SENが生まれたか否か、ってことか」
「そうだにゃ。人型の艦船がその世界で生まれたのは、大戦の後。その目的は明石には分からないけどにゃ」
となるとメンタルキューブの技術もその世界から持ってこられた、ってことか。
頭が痛くなってきた。
「じゃあ明石は何で此処に居るんだ? もっと言えば、この世界に何でそのKAN-SENが居る?」
「……セイレーンから、この世界を守る為だにゃ」
「セイレーン?」
彼女は頷いた。
「二十年くらい前、この世界にはメンタルキューブが流れ着き、それを追うようにして謎の生命体・セイレーンが現れたらしいにゃ」
「な、何だよ、そのセイレーンって……」
「目的は不明。だけど、奴らは海を荒らしまわり、何隻もの船を沈め、まさに今の認識艦船のように見えない脅威となったにゃ」
言い換えれば、それはKAN-SENでしかセイレーンとやらには対抗出来ないということだった。
俺の、世間の知らない間にそんなものが居たというのか。
「セイレーン……! 何なんだそりゃ」
「まあ、残っている画像は少ししかにゃいのだけど」
言った明石はコンピューターに画像を映し出す。
現れたのは、鮫か鯨とも似つかない魚の形をした機械の姿だった。
あちこちが破損しており、無機物とも有機物とも言い切れないそれは何となく艦船達に通じるものがあった。
「これは……!」
「鹵獲したセイレーンの一部らしいにゃ。全容は今となっては不明だけど……現物もあるから見てみるかにゃ? 何処に仕舞ってたやら……」
「いや、それはまた今度で良い。明石も、セイレーンの現物を見たことがあるのか?」
「明石が建造された頃にはセイレーンとの戦いは終わっていたのにゃ。そして、かつてこのドックに居たKAN─SENは殆どが沈められて、生き残りは僅かしか居ないらしいにゃ」
「そんな……じゃあ、明石を建造したのって誰なんだ」
「前任の指揮官だにゃ」
「──!」
そりゃそうだ。
彼女は言った。艦船にはそれを指揮する指揮官が必要だ。
かつて、このドックで指揮を執った人間が居るはずなのだ。
「名前は聞いてなかったけど、しょっちゅうこのドックで会ってたにゃ。良い人だったにゃ。でも、もう亡くなったと聞いたにゃ」
「……そう、か」
一体どんな人なんだろう。
一度で良いから、会って色々聞いてみたかったものだ。
「でも、何故その人は明石を建造したのですか?」
問うたのは綾波だった。
明石も首を捻る。
「いずれまた、脅威はやってくる。その時に備えてくれって言われたのにゃ。準備とかの類は工作艦の得意分野だにゃ」
「でも襲ってきたのはセイレーンじゃなくて重桜の艦船だった。これはどうなってるんだ?」
「それは……分からないにゃ」
「分からない?」
「そうにゃ。明石も、日本近海で認識艦船が暴れているのは知っていたけどショックだったにゃ。でも、何か黒幕が居るのは確かだにゃ。彼女達は、こっちには存在しない重桜をこっちで建国しようとしているんじゃないかにゃあ」
利根の話を聞く限りはそうらしい。
奴らは無理矢理でも領土、そして領海を奪い取るつもりなのだろう。
無茶苦茶な話だ。
国を建国するなんて、大それた話だ。
俺達がやっているのはひょっとして、見えない国盗り合戦なのではないだろうか。
「……利根さん」
綾波が小さく呟いた。
やはり、同胞と戦ったのは少なからず彼女もショックだったのだろうか。
「一つ言えるのは、信号の波形が全く違う事、そして人類に敵対していることから彼女達は完全に敵だということだにゃ。例えかつての同胞でも、彼女達は容赦なく沈めてくるはずだにゃ。この間のように」
「どうにかならねえのかな……綾波だって、同じ重桜の艦船とそう何度も戦いたくはないだろうし」
「……綾波は、大丈夫です」
言ったのは綾波だった。
「指揮官。KAN─SENとはそういうものなのです。例え、同じ陣営の艦でもそれを指揮する指揮官が敵同士ならば戦えるように、作られているのです」
「だけど──」
「そんな事より、もっと聞きたい事があったのではないですか?」
話を逸らすように彼女は俺に吹っ掛ける。
そうだ。問い質したい事はKAN─SENの来歴だけじゃないぞ。
「……明石。もう一つ聞きたい事がある」
「何にゃ? もうあらかたKAN─SENについては語り尽くしたにゃ」
「綾波についてだよ。お前、どうやって綾波をうちの高校に入学させたんだ!?」
「にゃっ!?」
明石の長い髪が逆立つ。
あからさまに動揺しているようだ。
「そ、それは……色々と秘密かにゃあ」
「オイ! というか、何で綾波が学校に通う事になってるんだ!」
「そ、それも秘密かにゃあ。明石は実は前任者との関係もあって色々コネがあるんだけど、その人に口止めされてるんだにゃあ」
ということは、この小さな猫娘の背後には案外大きなものが関わっているということか。
少なくとも教育委員会か、あるいは──
「それよりも指揮官にまた頼みがあるのにゃ!」
「何だよ。まだ話は終わってねーぞ」
苛立つ俺に猫娘は建造ドックを指差す。
指はダボダボの袖で見えないけど、俺はそちらに目をやった。
「実は、今建造している艦船は「祥鳳」。そっちで言えば帝国海軍の軽空母だにゃ!」
話が一周して戻って来た。
つまり、今カーテンの向こうで建造されているのは軽空母──
「って、軽空母ォ!?」
俺は腰を抜かした。
駆逐艦から一気に飛躍したな。
艦載機が武器になるのは大きいぞ。この間のように瑞雲で苦しめられる事も無い。
「航空母艦、ですか。建造できれば、大きな戦力になるはずです」
「だけど、それを完成させるには完成品のプラモデルが必要だにゃ」
丁度良い。
軽空母──祥鳳なら、今しがた作っていたところなのだ。
ぬいさんに九割引きで売ってもらったものだ。
「指揮官の腕を見込んでってことで此処は一つ頼むにゃあ」
「……まあそこまで言うのなら。にしても、どうしてプラモデルが建造の仕上げに必要なんだ?」
「メンタルキューブが艦船のイメージを取り入れるためらしいにゃ。どうもこの世界では、メンタルキューブの働きが不安定で、色々工夫しないといけなかったらしいにゃ」
そこだけがどうも俺には理解できないのだった。
イメージ、か。認識とかイメージとか、人の脳に直接働きかけるような言葉が多い。
どうもこの辺りの技術はまだ分からない。そもそも誰がどうやって作ったのだろうか。
「とゆーわけで! 明石はまだ仕事がいっぱいあるからさっさと出るにゃあ!」
「あっ、おい、こら!」
明石が作ったらしい人型のロボットが段ボールをせっせと片付け始めた。
仕事にどうも俺達の手伝いは不要らしい。
俺達は明石に追い出されるようにして工廠を出たのだった。
「……肝心な所だけはぐらされてしまった気がするです」
「俺もだ」
明石の協力者とは一体誰なのだろうか。
それだけが分からず仕舞いだ。
しかし、決して小さな権力の持ち主ではないということは分かる。
「指揮官は、やっぱり引き受けるのですか? プラモデルの件」
ドックの入り口がある林を潜りながら、綾波は問うた。
確かに明石は何かを隠しているし、胡散臭い。
「……引き受けるっきゃねえよ」
だが、俺は言い切った。今更後には引き下がれない。
それ以上に──
「これは俺だけに出来る事なんだ。認識艦船は俺にしか見えないし、お前達の指揮も俺にしか出来ない。そして、プラモデルもだ」
こればかりは誰かに頼むわけにはいかない。
プラモデル作りは俺の自慢の特技。
プラモ屋のお爺さんに長い事仕込まれた大事なものだからだ。
「よろしくです。指揮官」
綾波が薄っすらと笑みを浮かべたように見えた。
陽は落ちていて、よく見えなかったけど、そんな気がした。
「……本当、話し込んでいる間にすっかり暗くなっちまったな……」
「指揮官。お腹が空いたです」
「悪い悪い、昼も結局パンだけだったしなあ。ラーメン屋にでも行こうか」
「ラーメンですか。嫌い、じゃないです」
綾波が目を輝かせた。
彼女の記憶にラーメンの美味しさがインプットされているのだろうか。
そういえば、ラーメンって戦前からあったんだよな。乗組員が食べた記憶でもあったのだろうか。
「ラーメン、好きなのか?」
「昨日、明石が御馳走してくれたのです」
何だ。あいつ意外と料理出来たんだな。てっきり主食はモンヌターエナジーだけかと思っていたぞ。
「カップにお湯を注いで三分待つだけで出来るのです」
「……」
俺は押し黙った。
明石の食生活が本格的に心配だ。
インスタントラーメンにお世話になることは俺だってある。
あるが、毎日それってわけにはいかないだろう。
「綾波。それも美味しいかもしれんが、俺が本当のラーメンというものを教えてやろう」
「本当のラーメン、ですか」
俺達は早速、近くにあるラーメン屋「雷電軒」の前に立っていた。
あんまり転校生連れて二人で食事というのもどうかと思うが、まあ良いだろう。
店主とは見知った顔だし。
それにこんな時間に、帰り際にラーメン屋にわざわざ寄るような酔狂な奴は居ない。
大抵寄り道する前に皆電車に遅れるので駅の方へ行ってしまうし、お腹が空いても駅ビルの店で食べているはずだ。
よって、クラスの誰にも会わないだろう。俺はそう踏んでいた。
「ここがラーメン屋、ですか」
「ああ。馴染みの店なんだ。おススメはチャーシューが山ほど入った雷電特盛豚ラーメンだな。まあ綾波は女の子だからそんなに食べれるかは分からねえけど」
とりあえず俺は色々あって疲れているので、今なら何でも食べられそうな気分だ。
言った俺は店の戸を開ける。
「すんませーん、おやっさん──」
「美味しい! 美味しいですわ! 此処のラーメンはやっぱり至高ですわ!」
俺は思わず戸を閉める所だった。
彼女は気付いていないのか、ずるずると麺を啜っている。
「そうかい! 八島の嬢ちゃんに気に入られてるとこっちも腕が鳴るってもんだねえ!」
「いえいえ、こちらこそ。やはりラーメンは魂の料理ですわよ。おほほ──ん?」
カウンター席でおやっさんの前に座ってラーメンを啜っているお嬢様と目が合ってしまう。
あーあ、気付いちまったか。
「おーう、坊主! どうしたんだ! 腹減ってんじゃねえのか!? 早よ空いてる席に座れや」
おやっさんの野太い声が聞こえて来る。
その前で箸を取り落としそうになる少女。
そんな彼女の名を綾波は呟いた。
「八島さん?」
「あああ、見られたぁぁぁーっ! 転校生に! そしてオタクに!」
「俺はそういう認識か」
「何であなた方が此処にぃ!? 部活帰りの生徒が絶対やってこない時間帯を選んだのにぃ!」
「だ、大丈夫! 誰にも公言しねえから!」
「はははは! 確かに八島の譲さんは、見掛け通りのキャラで通ってるらしいからな! 坊主、黙っててくれるかい」
おやっさんは事情を知っていたのか豪快に笑い飛ばす。
残ったラーメン、そしてスープを飲み干した彼女は水でそれらを喉に押し込んだ八島さんは「お勘定!」と言って代金をおやっさんに差し出し、俺を押しのけて店から出て行ってしまった。
「……意外と庶民派だったんだな」
キャラが周囲に定着しているのも色々大変そうだ。取り合えずこの事は黙ってておこう。
「ははは、あの子も立派な常連だぜ。まあ、色々あるみてえなんだ。それよか坊主、食いに来たんだよな?」
「ええ、勿論」
「横に居るのは……見ねえ顔だな?」
「綾波です。よろしくです」
「転校生なんですよ。俺の家──の近くに住むんで、色々この辺の事教えてたんです」
「そうか! まあ食っていきな!」
余計な詮索をしてくれないのは助かる。
濃厚なスープとは裏腹にさっぱりしたおやっさんの性格もあって、この店は平日の昼間に会社員や作業員で賑わっているらしい。
「最近は駅の方にチェーン店がいっぱいできて、学生はそっちに流れちまったからなあ。坊主みてえな客はやっぱ貴重だぜ」
「やっぱ此処の味が一番ですよ。取り合えず、雷電特盛豚を」
「今日は張り切るなぁ、良いぜ。嬢ちゃんは?」
メニュー表を睨んでいた綾波はそれを手放すと、涼しい顔で言ってのけた。
「では、綾波も雷電特盛豚ラーメンでお願いするです」
……嘘だろ?
最初はおやっさんも俺も耳を疑った。
出されたのはこんもりとチャーシューとモヤシが乗っかり、麺の見えないラーメン。
雷電特盛豚ラーメンとは、豚のラーメンではなく豚の餌ラーメンという意味で、当初はおやっさんは本気でそう名付けようとしていたらしい。
それ程にボリュームがMAXなのだ。
「……綾波。食えるの?」
「余裕です」
「嘘だろ嬢ちゃん!? ……坊主。嬢ちゃんが残した分は全部食えよ」
「何でだよ!?」
「いただきます、です」
湯気が立ち上るラーメンを静かに啜る綾波。
それを見守る俺とおやっさん。
大丈夫だろうか。何時箸が止まるだろうか。
そう思っていたのだが──
「……全然止まらねえな」
十分経過。俺も隣で食っていたが、彼女は静かに麺を啜りながら全くペースを落とさない。
余程お腹が空いていたのか、それとも彼女がKAN─SENだからかは定かではない。
彼女は終始涼しい顔で雷電特盛豚ラーメンを平らげていたのである。
「……美味しかったのです」
「マジかよ……」
俺は頭を抱えた。
食費、考えないとなあ。
●四
我が家にようやく帰って来た。
一先ずやるべき事は決まったが、綾波に一通り家の事を教えておかなければならない。
とりあえず、空いている部屋を教えてやる。
しばらく使ってなくて埃っぽいので、後で掃除もしないとな。
「それにしても、結構大きい家です。指揮官一人で住んでるのですか?」
「……まあ、色々あってな。そんな事よりトイレやお風呂の場所を知りたいだろ。そっちも案内しとく」
にしても女の子と同妻状態か。
これ、他の誰かに知られたら色々まずくないか?
俺の中でも、綾波が人間ではないということで一応OKを出しているが倫理的にはOUTである。
だが、そもそも俺の他に綾波の面倒を見れる人間も居ない訳で仕方ないのだ。
そんな事を考えながら、一通り家の中の事を教えた俺は、風呂を掃除して風呂が沸いたと機械が知らせたら入っても良いと綾波に教えると、一人部屋でプラモデルを作る準備をしていた。
綾波は一日疲れたのか、風呂が沸くまでの間リビングで机に突っ伏している。
だが、疲れたのは俺も同じだ。
「……こうなると今まで以上にプライベートの時間とか確保しにくくなるんだろうなあ」
一人暮らし同然だったのだ。
間違いなく自由とは縁遠い生活になるだろう。
「……まあ、元に戻った、というべきなのかなあ」
だが、それでも違和感無く誰かと生活することを受け入れられているのは、一人になった空間に、また誰かが戻ってきたからだろうか。
……やめよう。この事を思い出すと、無性に悲しくなってくる。
また、ただの趣味だったプラモデルも「やらなくてはいけないこと」になってしまったので重荷にならないか不安だった。
とはいえ、こうして目の前に制作中のプラモデルを置くとやはり高揚感は隠せない。
途中だった飛行甲板の塗装に入る。空母はこれが本体と言っても過言ではない。重要な箇所だ。
44タン、軍艦の甲板によく使われる色で塗ったくるのだ。
後は艦載機もしっかり塗らないといけないし、他にも──
「指揮官。ちょっと良いですか?」
「ん? 綾波、どうした? 遠慮せずに入って来いよ」
綾波が扉越しに話しかけてくる。
「……そうですか。指揮官がそういうのなら」
……ん?
ちょっと待てよ。
さっき俺は綾波を何処へ向かわせたっけ……?
「……しゃんぷーとりんすの違いを教えて欲しいのですが」
「キャァーッ!!」
思わず女子のような悲鳴を上げてしまった俺の目には、一糸纏わぬ艦船の姿があった。
一瞬だったがはっきりと目に映ったのは、幼い表情に反して出る所は出て引っ込む所は引っ込んでいながらもスレンダーさを保ったスポーティな少女の身体──思わず扉を閉めてしまった。
「ちょっと待てや! せめて何か着てから聞きに来いよ!」
「……指揮官が遠慮せずに入って来いよ、と命令したのです」
少しだけ拗ねた口調でそう帰って来る。
嗚呼、俺の馬鹿!
プラモデルに熱中していて、直前の記憶が飛んでいた。
しかし彼女もわざわざ俺の部屋の前に来たのだから、せめて何か着ているだろうと不自然にも思わなかったのだ。
「家の中を全裸でうろつくな! 幾ら俺でも……男なんだからな!」
「……? 最後は分からないけど分かったのです」
「本当に分かったんだろうなぁ……」
取り合えず扉越しにシャンプーとリンス、ついでにボディソープの事を説明してやる。
重桜艦は横文字に弱いのだろうか。
というか、彼女は何処まで知識があるのか。
さっきも若干頬を赤らめていたので、恐らく俺が入って来いと言わなければ全裸で部屋に入って来る事も無かったのだろうが、そっち方面への知識が無いのではないかという疑いが出て来る。
これは……俺が大分フォローを入れなければいけないのでは無かろうか。
知らん間に変な男にホイホイついて行ったりしてくれなければいいのだが。
「心配だ……」
艦船には人格や知識が備わっているという。
明石と話す限りは、それは疑いようのない事実だ。
しかし、綾波と話す限り──まだ彼女にはそれが完全に芽生えていないのではないかと思えてくる。
この辺りも明石に聞いてみるか。
手の掛かる妹のようなものだし──
「妹、か」
──そこで俺は筆を塗るのを止めてしまった。
思い出してしまえば、また曇天が胸に掛かっていた。
「さっきは失礼したのです」
そんな彼女の声で俺は我に返った。
無心になって作業していたら、何時の間にか一時間も経っていたらしい。
「いや、俺も悪かった……」
「指揮官が謝る事ないです」
「そうなんだけど……何か釈然としないなあ」
改めて、寝間着に着替えた綾波が部屋に入って来た。
「それより、この部屋にあるのは?」
「全部プラモデルだよ」
彼女は部屋中に飾られた多くのプラモデルに目を見張る。
確かに圧倒されるだろう。
部屋中にぎっしり詰まった艦船達の迫力は並大抵のものじゃない。
それは、俺が初めて訪れた「カゲロウ」で感じたものと同じはずだ。
「これは全部指揮官が作ったのですか?」
「ああ。今までで何隻作ったかなあ。駆逐艦軽巡重巡空母潜水艦……一通りの艦種は作ったけど」
ついつい早口で語ってしまったが、それだけ俺にとっては拘りの塊なのだ。
「……俺の宝物なんだよ」
色々あったけど、そうなると綾波も俺の宝物みたいなものか。
いや、物という範疇はとっくに超えているんだけども、俺が作った艦船には違いない。
「大切に、保管しているのですね。全部綺麗です」
「そりゃそうだ。手入れだって定期的にやってるし埃が付かないように部屋はきっちり掃除しているくらいさ」
そこまで言った時、俺は今作っている祥鳳の事を思い出す。
恐らくこのプラモデルは此処には並ばない。
綾波のように人型の艦船になるのだろう。
もしかすると、今此処に並んでいるプラモデルも──
「……指揮官?」
「いや、何でもないよ」
──分からない。
それが嫌なのか、自分でも分からない。
KAN-SENは確かに人智を越えた凄いものだ。
だけど、それを作る為にプラモデルを、自分の大切なものを使うのは俺の本意に則ったものなのだろうか。
「指揮官、これは水雷戦隊、です?」
「あ……ああ! そうだね、川内に吹雪……三水戦だ。本当は此処に綾波も入るはずだったんだけど」
「そう、ですか──また、会いたいです」
「会いたい?」
「はい。かつて、一緒に居た仲間ですから」
懐かしむような、寂しいような、色々なものが綯交ぜの瞳。
揺れる彼女の目を覗くと、俺は頷いた。
「……俺にとっても、家族みたいなものだよ」
意味合いは違っても、きっとこの艦船達は俺と綾波にとっても大事なものであることには変わりない。
それだけは確かなんだ。
きっと、どんな形になってもそれは変わらないだろう。
不安が無いわけではないけど。
「ところで指揮官。寝る場所を教えてほしいのです」
「ああ、教えておかないといけなかったな。こっちに来てくれ」
空いていた部屋がある。
しばらく、使っていなかった部屋が。
「……一人、ですか?」
「え? いや、そりゃそうだろ……お前、男女が二人でベッドに寝るのはマズいだろう、色々と」
「そう、ですよね。ごめんなさい」
どうしたのだろう。
綾波の顔は何処か不安げだ。
「まさか、一人で寝るのが怖いとかじゃないよな?」
「……怖くないです」
「なら良いんだけど……」
俺は空き部屋に彼女を案内した。
ただの普通の何てことはない部屋だ。
女の子が住んでいた部屋。
ぬいぐるみが飾られ、ベッドが置かれ、小綺麗にされた部屋。
「指揮官。ひょっとして、他に住んでいる人が居るってことはないですよね?」
流石の綾波も違和感を覚えたのだろう。
「居ない居ない。今此処に住んでいるのは俺だけだよ」
「家族、や姉妹……のようなものは居ないのですか?」
「遠くに居るんだ。俺一人だけ此処に住んでる。横須賀に住んでるおばさんのおかげで、お金の心配は要らないんだけど」
「会いたい、とか思わないのですか。綾波は思ってしまうのです」
まさか、と俺は笑って否定した。
「もし俺が会いに行ったら怒られてしまうからさ」
「……フクザツ、なのですね」
「そういうこと」
KAN-SENや艦船のプラモデルが過去の艦船を再現しているのならば。
俺のやっていることも過去の再現だと笑われるのだろうか。
「……俺も寝るか」
今考えても詮無き事だ。
やらねばならないことは、山積みになっているのだから。
●
「……奴らを炙り出す」
赤い炎が御簾の奥で舞った。
利根が消息を絶ったのは横須賀の港。
一緒に送り出した多数の認識艦船と共に皆撃沈されたとみて良い。
となれば、横須賀には何かが居るのは間違いないのだ。
「……人間に肩入れするKAN-SENか、そうではないか……其処が問題ね」
「一つ、試してみる必要があります。餌で相手が釣れるか否か」
「そうね。彼女なら上手くやってくれるでしょう。走、攻、守、全てを併せ持った彼女なら」
にたぁ、と湿った笑みを浮かべた女の眼前に佇むのは一隻の艦船。
誰もが恐れる彼女達を恐れぬ数少ない存在だった。
「くれぐれも私達をがっかりさせないように」
御簾の奥から、幾つか透明なキューブが賽子のように転がった。
それを拾い上げた女は、自信に満ち溢れているようだった。
「私を誰だと思っているんだい?」
その表情は覆面ではっきりとは見えない。
しかし、正体不明の敵を相手を狩る自信ははっきりと併せ持っていた。
「利根は慢心するところがあったが、私は油断はしない。相手が例え駆逐艦一隻だとしても……跡形も無く蹂躙するのは「戦艦」の領分だ」
今回は日常が中心になりましたが、蒼颯の家庭事情、明石の人間関係、そして何故KAN-SENがこの世界にやってきたのか? 謎の敵の目的は何なのか? 謎は山積みです。最後に出てきたKAN-SENは一体……? これは次回のお楽しみですね。それでは、アズールレーン・キュービック第二話でした。ではでは。