PERSONA5 ORIGINAL ~笑う骸と銀の蝶~ 作:ウィーン-MK-シンくん
それは心の怪盗団、<THE・PHANTOM(ザ・ファントム)>が次の標的について話していた時のことだった。
「皆、ちょっといいか?」
「「「「?」」」」
構成員の一人、喜多川祐介が上げる声に集まっていた全員が疑問符を浮かべる。「次のターゲットに当てでもあるのだろうか?」と。
聴けばどうやら祐介の同級生で気になる人物が居るようで、名前を織田小雪というそうだ。
しかしその者が悪人なのかを訊くと、そういうわけでもないらしく、いまいち話が見えなかった。
悪人でないのなら、なぜ次のターゲット――改心の対象にする必要があるというのか。
「皆が疑問に思うのは当然だと思う。そうだな……例えるとこれは双葉の時と似たようなケースだ」
「えッ!? それって!!」
杏の驚きの声に、祐介は真剣な面持ちで頷く。
「ああ、どうやら織田さんにもパレスが存在するみたいなんだ。異世界ナビで確認したから、おそらく間違いない」
――パレス。
それは個人の歪んだ欲望、認知が形を成して生まれる異世界のことだ。
異世界ナビはこのパレスに入るために使う謎のアプリなのだが、これついての詳細は未だにわかっていない。
パレスには必ずそれを創りだした本人のシャドウと、核となっているお宝が存在する。
怪盗団はこのお宝を奪うことでパレスを壊し、悪人たちを改心させる活動をしているのだ。
しかし、祐介が例に挙げた佐倉双葉は自ら怪盗団に依頼して自分の欲望を盗ませている。
その理由は双葉が抱えていた過去のトラウマが、歪んだ認知を作り上げて彼女自身を崩壊させかけていたからだ。
7月1日に日本のデータベースを攻撃するといった内容を世界的ハッカー集団のメジエドを名乗る者たちが怪盗団にメディアを使って知らせてきていたこともあり、もはや一刻の猶予も無いと考えた怪盗団は同じくハッカーである双葉を助けた後に協力してもらう形でこの窮地を脱した。
これが予告のあった6月27日から30日における、およそ3日間のことだった。
「俺が織田さんの問題について知ったのは金城を改心させた翌日、6月24日のことだ。あの日は洸星高校で作品展示会があったんだが、そこで俺が彼女の作品を見たのがきっかけだ」
なんでも祐介はその時見た織田小雪の作品に、奇妙な違和感を感じたのだという。
例えるならば、永遠に完成することがない完結品のような、そんな違和感を。
「それがどうしても気になった俺は、しばらくその作品に見入っていたんだが、どうも本人がその様子を見ていたようでな。向こうから声をかけてきたよ」
祐介からすればこれは渡りに船だったため、直接そのことを訊いてみたそうだ。
そんな祐介の問いに対し、小雪は無言で背を向けてついてくるよう促したらしい。
そうして祐介が連れられたのは、洸星高校の総合保管庫だった。
「総合保管庫?」
「在校生が過去に作った作品を保管しておく巨大倉庫だ。生徒一人一人に一定のスペースが与えられている」
「へぇ。流石に私立はお金の使い方も凄いのね」
「まあ、そうかもな」
と祐介は途中で真の疑問にもに答えつつ、説明を続ける。
「と、ここまで話せばもう皆ある程度の察しはついているだろうが俺は彼女のブースに案内された。そして……彼女の抱える問題も、そこで見つけたんだ」
そこにあったのは、破壊しつくされた作品群。それも、展示会で見たものとは比較にならない輝きを持つものばかりで芸術に人生をかけている祐介がそれに憤るのは当然のことだった。いったい誰がこんなことを、と。
しかしそんな祐介からすれば次に発した彼女の回答は予想しえない、正に驚くべきものだった。
「織田さんは自らの手で、それを行っていたんだよ」
「ちょっ、それどういうことだよ?! 何で作った本人がンなことする必要があんだっ!!」
竜司の上げた声には皆が同感だった。しかし、怪盗団のリーダーである暁はそれと同時に今の竜司が少し普段と違う様子であるようにも感じていた。
そうして暁が竜司へ怪訝な目を向けている間にも話は進む。
「俺も気になって訊いてみた。よくわからなかったがな」
「? 答えてもらえなかったってこと……?」
「いや……」
言葉に詰まる祐介に話を聞いているメンバーはそれぞれ顔を見合わせて首を傾げる。
そして祐介はようやく言葉がまとまったのか、口を開く。
「皆は、幸せを苦痛に感じることはあるか?」
「……織田さんが、そう言ったの?」
真の確認の言葉に祐介は頷いて補足を加える。
「正確には【自分は幸せになってはいけないから】と言っていたが、いずれにせよ彼女が心に何らかの傷を負っていることは確かだと思う」
祐介は駅構内の連絡通路という人通りが多い場所にも関わらず、次の瞬間には勢いよく頭を下げていた。
「頼む皆、俺は織田さんを助けたい。力を貸してくれ……!!」
語っている内に熱が入っていたのか、祐介の両手は握りこぶしを作っていた。
今でこそ数々の美術コンクールで入賞するほどの活躍を見せている祐介だが、かつてはその才能を世に出しきれない苦しみの中に居た。
祐介が心の怪盗団に入ったのは暁たちにその苦しみから助け出されたことで、ならば自分も彼ら怪盗団のように苦しむ人々の助けになろうと思ったからだ。
故に理由こそ定かでないが、嘗ての自分と同じように才能を発揮できずにいた織田小雪のことを、他ならぬ喜多川祐介が放っておくことは出来なかったのだ。
救いを求められたわけではない。だがどんな事情があるにせよ、苦しむ人を見つけたなのなら全力で助ける。そのために出来ることならば何でもする。それが怪盗団に入ると決めた、祐介の想いだった。
そして、そんな想いをぶつけられた者たちが出す答えなど……考えるまでもない。
「なーに水クセェこと言ってやがる!」
頭を下げる祐介の肩を力強く後ろに組みながら、坂本竜司は笑ってそう言った。
「ホント、今更だよね」
高牧杏も竜司に続くように、いきなり肩を抱かれたことに驚いている様子の祐介に笑顔を向けてそれに同意した。
「困っている人を助ける怪盗団が、助けない理由なんてないじゃない」
そこへ怪盗団の参謀を務める新島真も加わったところで祐介はそれぞれの仲間を見回し、最後に優し気な笑みで首肯するリーダーの来栖暁を見てようやく安堵することが出来たのだった。
「感謝する……」
驚きから変わって安堵で目を伏せた祐介の感謝に四人は、絶対にその想いに応えようと決意した。
◇
肖像画とは古代ローマの彫刻において反映した、いわゆる人物画だ。
写真等の補助的な材料に基づいて制作されることもあり、理想化や戯画化とさまざまな作風はあるが、外観の類似性が保たれる限りにおいて、それは肖像画といえる。
私が今キャンバスの上で表現しているのも肖像画であり、現在は戯画化で目の前にある男性型の石膏像を描いている。
どちらかといえば自分は理想化の方が得意だったのだが、ある問題から私はその手法を使えなくなってしまい、以来はずっとそれ以外の方法で描き続けている。
「うん……できた」
私はそう言って筆を置くと、やっと一息つけた気がした。
ふと、美術室の窓に目を向ければ、その向こう側にある洸星高校の中庭に建てられた柱時計があと2分ほどで18時になろうかという時刻を示しており、そこから視線を上げた先にある大きな空も紅く染められていた。
キャンバスに目を戻せば、そこには先ほど完成した今月の課題作である肖像画が在るのだが……。
「なにも見えない……」
夕日に照らされたキャンバスは光の逆行の影響か、まるで今の私の心のようになにも映していないように見えた。
「……帰ろ」
と私が帰宅の準備を始めるべく、画材道具を片づけようと作業用の席を立とうとした時だった。
「――おや、小雪くんじゃないか。こんな遅くまで……感心だね」
「安西先生(あんざい せんせい)……」
いつのまにやらそこに居た洸星高校の美術教諭、安西輝彦(あんざい てるひこ)が声をかけてきた。
「ん……? おやおや、これは見事なものじゃないか!」
「え、ちょっと……」
安西先生は席を立つタイミングを失っていた私の背後に回り込んで、絵(それ)を一目見るなり「うん、うん」と頷いていた。
「この出来なら間違いなく、次のコンクールでも良い評価を貰えるよ。6月の展示会直後に作風を変えると言ってきた時はどうなることかと思ってたけど、無用な心配だったかな」
「そんな……私は……」
安西先生の高評価に私が戸惑っている間に、時刻は18時を過ぎていたらしい。
『ゴーン、ゴーン、ゴーン』と、下校時間を知らせる時計塔のチャイムが鳴り響いていた。
洸星高校には学生たちの作品を保管しておく【総合保管庫】があり、それこそが今もその存在を主張している時計塔なのだ。
美術を専門とする学校として考えればそう珍しいものでもないだろうというのがそれの建設に関わった校長の言い分らしいが、私の感覚から言えばそれでも中々に前衛的な設計である。
私の言葉はそのチャイムの音で先生が中庭の柱時計に意識を向けてしまったため、流されてしまった。
「もうこんな時間か、それを片づけたら君もすぐに帰るんだよ?」
そう言って、安西先生は後ろ手を振りながら美術室を後にした。
私はしばらく先生の出ていった出口を見つめてから、先程まで夕日を浴びていたキャンバスに目を戻す。
「やっぱり……なにも見えない」
その後は私も手早く帰り支度を済ませ、寮に帰宅した。
◆◆
――バタン
「……ただいま」
暗闇の中、誰も応える事のない声を発した私は出入り口のすぐ側にあるスイッチを押して室内の電気を点灯させる。
靴を脱いだ私はまず居間に移動して寝室に通じる襖を開けるとそこに持って帰ってきた荷物を放り投げる。襖を閉めてそのまま台所に向かった私は冷蔵庫からスポーツドリンク入りのペットボトルと夕食のカロリーメイトを取り出してグラスと一緒に居間に持って行く。
居間へ戻ると、私は中央に設置された白い丸テーブルの上にそれらを置いてその下にあるクッションとその上にあったリモコンを引きずり出して今どきは珍しいブラウン管――のような飾りを付けた最新の薄型テレビに電源を入れると、クッションを座布団替わりに夕食を取りながらチャンネルを回す。
やがて全てのチャンネルを回し終えて目ぼしい番組を見つけられなかった私は、最後にスポーツドリンクを飲み干してテレビの電源を落とすと、壁際の白いソファーにその身を投じた。
私は自身の顔がソファーの背もたれの方を見るよう、横向きとなって先生の言葉を思い返す。
「コンクールでも良い評価を貰える、かぁ……」
ゴロン、と横向きだった姿勢を仰向けに変えた私は、何とも言えない気持ちだった。
別に、自分は良い評価を貰いたいわけではない。ましてコンクールになど何の興味も無かった。
ならば何故、自分は絵を描いているのか? なんてことはない……これはただ過去の出来事から目を逸らすべく行っている逃避にほかならない。
自分が作風を変えたのも、以前の展示会でその【良い評価】とやらを貰ってしまったからだ。
それなのにあんなことを言われてしまっては何の意味も無いではないか。
だって私は――
『 “幸せになっちゃいけない、だろ?” 』
「ッ……!!」
私は慌てて身を起こし、声のした方へ体を向ける。
すると、そこには少し前まで見慣れていた……逆に言えばしばらく見ることはなくなっていた【かつての仲間】が暗い笑みを浮かべて立っていた。
『 “なんだよ、久しぶりだってのにつれねえじゃねーか。――なあ? 【――】” 』
思わず両手で耳を塞いで後ずさるが、すぐにその背は部屋の壁についてしまい、“ソレ”から目を逸らすことも出来なかった私はやがて過呼吸を起こしてしまった。
『 “…まぁ、そうだよな。今のお前が俺たちに合わせる顔なんて持ち合わせてる筈ねえか。当たり前だよなア? 俺たちが潰れていったのも、全部お前のせいなんだから” 』
手足が痺れる。
全身が思うように動かなくなり、次第に意識も遠のいていく。
しかし次に聞こえてきた声によって、私が手放しそうになっていた意識は強制的に引き戻された。
「 小雪! 」
そんな声が聞こえた瞬間、私はいつのまにか以前通っていた学校のグラウンドに立っていた。
しかし今の私にとって、そちらはさほど重要なことではなかった。
なぜなら、私の後ろから聞こえてきた今の声が自分個人にとっては最も大事なことだったから。
「あ……ぁぁ……」
振り返ると、そこにはかつて私が憧れ、そして私を助けたがために、周囲からの期待やそれに付随する様々なもの、果てはその才能まで奪われた、私の一番謝りたい人が夕日の逆光を背に笑顔で立っていた。
言いたいことは山ほどあったが、未だに残る驚愕と震える体も合わさって私は今言葉が上手く出せない状態だった。
でも、そんな事情なんてその人は全く理解してくれないのだ。
「ったく、お前はいつも泣きそうな顔してんなぁ。うっし! そんじゃあラーメンでも食いに行こうぜ? 悩みならそこで聞いてやる」
そう言って、その人は私に背を向けて歩き出そうとした。
この邂逅は余りに突然で、私は未だに何が何だかわからないような心持(こころもち)だったけど、なんとか自身の振るえる手をその背に伸ばす。
何の根拠も無かったけど、今引き止めなきゃ絶対に後悔するような焦燥に駆られて気づけば、私はその人の名を呼んでいた。
「――――――――竜ちゃんッ!!!!」
「ウワアっッと!! んだよ、いきなり大声上げて。ビックリすんだろうが」
と、竜ちゃんは飛び上がるように驚いて体をこちらに向けてからそう抗議してきた。
「うっ、ごめん……」
「いや、別にいいけどよ」
竜ちゃんはため息混じりにそう言ったものの、本当は言うほど気にしていなかったのだろう。
竜ちゃんからそれ以上の声を上げることはなかった。
「……本当に、ごめんなさい」
「だーから、それはもう良いって言ってんだろ? 第一俺は――ッ!?」
「全然気にしてねえよ」とでも竜ちゃんは続けるつもりだったのかもしれない。
それを言われる前に本能に従って行動した結果、私は思い切り竜ちゃんの胸に飛び込んでいた。
「……小雪?」という竜ちゃんの困惑した声が聞こえてくるが、知ったことではない。
「……違うんだよ、竜ちゃん」
私が言葉を紡ぐたび、竜ちゃんは困惑を深めている様子だが気にせず続ける。
「…私、ずっと竜ちゃんに謝りたかったの」
私は竜ちゃんに縋りつきながら、彼の胸の中で懺悔した。
そこからはとにかく泣きながら叫んで謝った。謝って謝り倒した。
喉が枯れて、目じりの涙が渇き果てるまで、何度も。何度も。
私が叫んでいる間、竜ちゃんはそれをずっと受け止めてくれていた。
最後には子どもをあやすような感じで頭を撫でられてしまっていた私だが、不思議と嫌ではなかった。少し恥ずかしかったけど……。
それから竜ちゃんは、ほんのり顔を火照らせていた私に目を合わせる。
対して私は竜ちゃんからどんな言葉が放たれるのかと不安で、ただその場に居ることにも苦労した。
そんな様子に竜ちゃんは一つだけ優し気に微笑んで、私に言った。
「小雪は悪くない。だから気にすんなよ」
「……ぇ」
が、私はその言葉に困惑してしまう。
「(いくらなんでも、これはおかしい。だって、あの仲間想いの竜ちゃんだよ? そんな人が、いくら私が思い詰めていたからって『気にするな』だなんて言う? これじゃあまるで……)」
と私がその困惑の正体に辿り着く前に――
『 “ほら、またそうやって逃げる” 』
「――!!」
最悪の形で、その答えがやってきた。
“その”声に私が驚いた瞬間、竜ちゃんと夕暮れの世界は硝子が砕ける音と共に砕け散った。
後に残されたのは、真っ暗な闇だけ。
だが、逆に増えているものもあった。
それは先ほどまで一人だった【かつての仲間】が、仲間『たち』に数を増やし――在りし日は私がマネージャーを務めていた、秀尽学園陸上部となっていたことだ。
それを見た私は心胆から凍える想いだった。
息も詰まったことで呼吸も上手く行うことができず、額と背中にヒヤリとした汗が滲む。
私はそれらの事象に対して身を守るべく意識を飛ばそうと試みるも、その数を増やした部員たちの糾弾がそれを許さない。
『 “お前は逃げて楽になろうとしてるんだ。テメェの過去と一緒に俺たちのことまで忘れて、自分だけ幸せになろうとしてやがる” 』
私は自身の目と耳を塞いでしゃがみ込むが、そうまでしても声は耳の奥まで聴こえてくる。
『 “結局お前の罪悪感なんざ嘘っぱちだ。自分で助かることも出来ない、かと言って救いを諦めきれてるわけでもない。そんな奴の贖罪に、意味なんてねえんだよ!!” 』
私の精神はもう限界だった。
と私の心が完全に凍りつこうとしていた時、
「小雪」
かつて私を救った人の声が聞こえた。
自身の目と耳を塞いでいた私は、その聞こえてきた声に手を退かしてしまった。
そうして耳と同時に目も解放した私が声のした方を見ると、そこには笑顔の“竜ちゃん”が居た。
「竜ちゃん……」
しかしこの時の私はもう、完全に拠り所を求めて縋る意味で名前を呼んでいた。
私はすぐそのことに気づき愕然とするも既に遅く、笑顔だった“竜ちゃん”の表情は忽ち剥がれ落ちてその向こう側――暗い深淵が覗いていた。
「『 “全部オ前のセイだ” 』」
“竜ちゃん”から放たれたその言葉を最後に、私の意識は今度こそ途絶えた。
――
目覚めは意外にも静かなものだった。だがそれが良好な目覚めだったかと訊かれれば、否定せざるを得ない。
寝汗の沁みついた肌着は泥のように重いし気持ち悪い。頭はガンガンと響くくらい酷い頭痛に襲われている。これが良好なものと判断するには少々無理があると思う。
天上に吊るされたオレンジ色の電灯は、覚醒した筈の体を眠りに誘う。
私は再び重さを増してきた瞼が落ちきる前に、グッタリと鉛のように感じる体をしぶしぶと起こす。
顔を洗おうかとも思ったがまだ起きる時間には早く、時計の短針は午前2時を指していた。
この時点でもう一度寝るのは確定なのだが、未だ汗に濡れている現状ではそれも難しい。
必然、私は着替えることになるのだがそれとは別に、今はやるべきことがあるためそちらが済んでからとする。
居間のソファーを辞した私は寝室の隣にある作業部屋に行き、そこにある収納棚から工具箱を取り出すとそれを手に寝室へ向かう。
寝室に入ってしっかりと襖を閉めた私は、寮に帰ってきてすぐに部屋半に放り捨てた荷物を見つけると工具箱を脇に置いてその荷物の中の一つ――安西先生に褒められた肖像画を引き寄せた。
その過程で絵が視界に入るも、私は特に何の感慨も抱かずそれを壁に立てかけた。
工具箱にはこういった絵を壁に飾るための器具なども入っており、美術科の生徒は重宝している者が多い。
もっとも、それならば私が使う目的はある意味で全く逆ということになるのだろうか?
と私は益体もないことを考えつつ、その工具箱から一際重厚な鉄器を取り出した。
ここで、唐突に竜ちゃんたちと安西先生の言葉を思い出す。
『 “小雪は悪くない。だから気にすんなよ” 』
『この出来なら間違いなく、次のコンクールでも良い評価を貰えるよ』
『 “お前は逃げて楽になろうとしてるんだ” 』
『6月の展示会直後に作風を変えると言ってきた時はどうなることかと思ってたけど、無用な心配だったかな』
『 “全部オ前のセイだ” 』
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「はあ、はあ、はあ、はあ、はぁ……ッ痛(つ)!!!!」
気づくと私は、先程までは明るかった暗闇の寝室で荒い息をついていた。
そしてどうやら床には見る影も無いほどに壊された絵画とおそらくはその巻き添えをくらったであろう電灯の残骸が散らばっているようで、窓の月明かりが辛うじてそれを知らせてくれた。
鉄器を握っていた両の手は震える膝を抱えていたのだが、その時に走った鋭い痛みで私は思わず蹲ってしまう。
痛みの先を見てみると、左右の手のひらに幾つもの血豆が出来ていた。
重い工具を素手で振り回したのが良くなかったのだろう、殆どが痛々しく潰れていた。
「もう、何回目よ……これ? フ……フフ――ひッくっ……」
どうしてあの時、自分だけが助けてもらってしまったのかと何度も考えた。
だけど出来の悪い私の頭は、いつも同じ答えになってしまう。
理由なんて無かった。ほんのちょっとの運と、偶然による結果。――それが答え。
今、他の皆がどのように過ごしているかはわからない。けど少なくとも、今の私より不幸にはなってない筈だ。でなきゃそもそも、人生そのものが嘘だ。
私の今の母親が教えてくれた。
幸せになる権利は一人一人、平等にあるのだと。
それならば、多くの仲間が居る中で一人救われた私の幸せはそこで終わり。
故に私は、今も苦境の中に居る。
だから、最後まであの陸上部に居続けたみんなの苦境も今は終わっていなければならない。
幸せになっていなくてはならない。
そして私は、その上で皆に謝らないといけない。
逃げ出してごめん、と。置いていってごめん、と謝ることが出来なければ、私にはいつまでも、幸せを得る資格が無いのだ。
「うん……だいじょうぶ……ちゃんといくから……だから」
――モウコナイデ。