──吸血鬼。
誰もが聞いたことのある空想の話の中の怪物。
しかし、それは空想の話ではなくなった。
数百年前、人間と人間の間に生まれたごく普通の子。それが突然として『吸血鬼』となったのだ。
その突然変異は世界の至る所で見られ、いつからか吸血鬼以外の種族も生まれるようになった。
そのおかしくなった世界の1人──比企谷八幡。
吸血鬼と人間の間のことして生まれた所謂、ハーフである。
ハーフは2種類に分かれる。
親が吸血鬼同士の上位吸血鬼よりも力を持つ高位のハーフ。
そして人間の力が強くなり吸血鬼の力が少ない下位のハーフ。
八幡は高位のハーフであり、多種族が混ざり合う総武高校の2年生だ。
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「…それで、なんで追われてるんだろうなぁ俺」
「……っ」
そんな恵まれた能力を持った体を、飛ぶようにして動かし後ろから迫ってくる何か、から逃げる。
八幡の両腕には可憐な少女が1人。
どこかを怪我しているのか顔色があまり良くない。
そんな少女に文句を言うように独り言を言い続ける。
「ちっ…なんで関係ない俺がこんなに頑張ってるんだか…まぁ平塚先生のせいだな」
「ごめん…なさい……」
「そう素直に謝られるのも気持ち悪い…ほらスピードあげるから捕まってろ」
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数時間前。
「…で、俺に奉仕活動、ですか」
「あぁ、お前は総武高でも強い存在にも関わらず性格が曲がりすぎだからな。雪ノ下に色々と教えてもらえ」
「えぇ…」
「…私は別に構いません。そこの男が強い、というのは納得出来ませんが平塚先生の言うことならば任せてください」
平塚先生と八幡の会話を聞いていた、少女──雪ノ下雪乃が八幡の矯正の手伝いを許可する。
しかし雪乃の言葉にどこか苛立ちを覚えた八幡は、バカにするかのように笑ってから言葉を返す。
「別にバカにされるのは構わんが、見ず知らずの人間にそんなこと言われる筋合いはない」
「人間…あなたはなんの種族かは知らないけれど私は高位の人間。あまり大きな口は叩かないことね」
「人間に高位もくそもないだろ。人間を下位と見てはいないがやはり弱いのは事実だ」
「あなたの言葉からは、人間を下位に見ている様にしか聞こえないわ」
「人間にも謙虚で努力している奴もいる。そんな奴らはいいがお前みたいに力を誇示する奴は嫌いだな」
「ストップ、2人とも少し落ち着け」
熱くなる2人を遠ざける様にして平塚先生が間に入る。
色々な種族が生まれて数百年経つが、こういった上下関係のようなものはどこまでも付いてくるのだ。
「これは私の好みの展開だが…鬼である私としては、比企谷に色々言いたいことがあるな」
「どう考えても先に言ってきたのはそっちでしょ。それに俺は正論を言ったつもりですが」
「あぁ、君の言葉は正しいな。正論だ」
「だったら…」
「──だが、正論で相手をねじ伏せるのは正しくない」
「…ちっ」
「さて、雪ノ下も少し落ち着け。私はこれから用事で席を外す。少しは会話をしてお互いを知ることだな」
2人に背中を向け右手をひらひらとさせながら外へ出て行く。
このタイミングで2人きり、というのは最悪だがあえて平塚先生は席を外して2人が仲良くなれることに賭けたのだろう。
とても仲良くなれるとは思わないが…。
「はぁ…悪かった」
意外にも八幡が素直に非を認める。
ここで不貞腐れるほど子供ではないのだろう。雪ノ下も少し驚いた後、謝罪の言葉を返す。
「私こそ初対面の人に言うことでは無かったわ。ごめんなさい」
「…これでいいな。で、ここは何の部活だ?」
「奉仕部。飢えた者に魚を与えるのではなく、魚の取り方を教える…そういう部活よ」
「なるほど。まぁこの感じだと暇なんだろうからどうでもいいんだが…」
適当に椅子を出し、雪乃と、対角線に座る。
すでに雪乃は読書の姿勢へと入っており、喋るという選択肢がないぼっちの八幡からすれば素直に黙るだろう。
だが、1つだけ気になっていたことがあった。
「なぁ…人間の高位ってなんなんだ?」
「…鬼や悪魔、天使まで如何なる生物にも対応できるような力を持った人間のことよ」
「じゃあ強い人間ってことか…詠唱とかも出来んの?」
「詠唱はあなた達と変わらず出来るわ」
「今のご時世、純粋な人間なんて希少…って言ったら失礼だな。珍しいと思うが」
「雪ノ下家は少し特別なのよ。必ず子を二人産み、1人は人間と結婚させもう1人は他生物と結婚させる…そうやって人脈を広げてきた」
「貴族も大変だな」
「…そうね」
「で、お前はどっちなの?」
「姉がいるわ。だから私が他生物と結婚…となるわね」
眉ひとつ動かさず雪乃が答える。
人間以外の種族といっても見た目は人間と変わらない。
八幡だって見た目は純粋な人間。ハーフのため人間の血が流れているから人間の姿に近づくのは当たり前なのだが。
「他にも純粋な人間なら苦労あるだろ」
同情、とは違うが似たような感情が八幡に出来たのか心配するような言葉が出た。
「純粋な人間はあなたの言う通り、希少。売れば高額は間違いない。だから時々誘拐されそうになるわ」
「そんな飄々として言うことじゃないと思うけどな」
「もう慣れたわ。誘拐されないための術ならあるし大丈夫よ。それに『ガーディアン』にも相談しているし」
『ガーディアン』──正式には、対他生物専用機関。
鬼や悪魔などの生物などに問わず、人間も取り締まる政府機関。
警察に代わって強大となった機関とすれば想像しやすく、ガーディアンは10人の強大な力を持つ者の集まり。
「…へぇ」
「ガーディアン…私が目指している場所よ。ガーディアンに入るということはこの国で10番以内の強さを持つということ…私はなんとしてもそこに入りたい」
「そりゃ高い夢だな」
「分かってる。けど…私の姉はガーディアンなの。20歳未満でガーディアンの7席に入った天才…ならば私も…」
どこか哀しげに窓の外を見る雪乃は言葉を止める。
そんな雪乃に八幡は掛ける言葉を見つけられず、ただただ小説の文字を眺める。
「…ごめんなさい、喋りすぎたわね」
「別にいい。お前の話に見合う話を持ってないのが申し訳ないがな」
「ふふっ…最初から期待してないわ」
「そりゃ良かった」
「ところであなたは何の生物……」
雪乃の言葉をかき消すように学校のチャイムが鳴る。
どうやら完全下校時刻のようだ。
本をカバンに戻す雪乃を見習い、八幡も帰り支度を始める。
「…帰りましょうか」
「了解」
「私は鍵を返してくるからあなたは先に帰って大丈夫よ」
「ん、じゃあな」
素っ気ない返事をして、一直線に下駄箱へ向かう。
そんな八幡をどこか笑っているように見える表情で見送ってから早足で職員室へ向かった。
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「うげ…雨かよ」
下駄箱へ来たはいいものの、外は雨模様。
強くないにしてもこのまま歩いて帰ろうと思えるほどの弱さでもない。
あいにく、傘は持っておらずどうしたもんかと悩んでいるとどうやら鍵を返しに行っていた雪乃に追いつかれたらしい。
「傘、持ってないの?」
「あぁ…今朝妹に持ってけと言われたんだがな…めんどくさくて無視した」
「ならば自業自得ね」
「仕方ねぇな…まぁこの感じだったらすぐ止むだろ。どんどん弱くなって来てるし…って上がってないか?」
空を覗き込むように見上げる八幡の視線の先には確かに雨粒はなく、偶然にも雨が上がったらしい。
雪乃は傘をしまい、八幡は上に被ろうとしていた上着を着直した。
「よし、なら帰るか」
「えぇ。あなたと帰るのは少し嫌だけれど」
「…いや今の一言はいらねぇだろ」
「ごめんなさい、私嘘はつけない性格なの」
「それは事実じゃなくて本音だろ。ならしまっとけ」
「あなたに遠慮してるみたいで嫌よ」
「…なんだそれ」
並んで歩く2人が、曲がり角で別れる。
軽く別れの挨拶をしてから、背を向け歩き始めた。
やっと愛しの妹に会える…そう思い勝手に足が早くなった。
──バンッ!
「──っ!」
耳を揺らす、破裂音ような嫌な音。
とっさに後ろを向き、音の発生源を確認する。
「ちっ──!」
目の前に広がるのは、ドラマで作り出されたような誘拐の場面。
2人の男が1人の少女の手と口を押さえている。
あまりにも突然の出来事。
しかしそれ以上にインパクトがあったのは2人の男だ。
いや2人の男というよりは、
「…2匹の鬼だな」
人間にしては大き過ぎる体に、鋭い目つき。
それら身体的な特徴を、八幡は自分の知識と照らし合わせて、鬼と判断した。
「…それにあの大きさなら、鬼の上位種か」
冷静に相手を分析しながらも、足は動かしている。
一歩、踏み込む。
誰もが走り出す際の最初の動き。
だが、八幡は最初の動きだけでゴールへとたどり着く。
「──!」
2人の男…いや2匹の鬼が八幡の姿を捉える。
少し雪乃の誘拐に手こずったが、八幡との距離は確かにあったはず。
…はずなのだ。
「…はいはい、すみませんねー」
そんな気の抜ける声とともに八幡の手刀が鬼の意識を刈り取る。
反撃しようと思わせる時間さえなく、意識は微睡みの中へ。
それを確認した八幡は雪乃の元へ駆け寄る。
「大丈夫か?」
「…っ……不覚だったわ…」
「…そういうのは後にしろ。走れるか…って足やべぇな」
大きな爪で肉をえぐり取られたような跡。
あまり見ていていいものではなく、八幡は目をそらす。
しょうがない、と心に言い聞かせ雪乃をお姫様抱っこする。
足に触られたことで雪乃の顔が歪むが、我慢してもらうしかない。
「比企谷…くん……っ…もう1人…!」
痛みに堪えながら、たどたどしく伝える。
それは紛れも無く注意喚起。
しかしながらそんなことを突然いわれて動けるものなどほとんどいない。
敵がもう一人いると知っていなければ。
「…知ってる」
そう、短く答え八幡は慌てることもなく背中に力を込める。
そして後ろから大きな爪を立て、八幡の背後を取った鬼が迫る。
雪乃が言っていたもう1人だろう。
…爪が八幡の肉を抉る、寸前。
バサリ、と禍々しい音が鳴り八幡の背中から黒い翼が生える。
左右対象に生えるそれは異種の証。
翼と同時に牙も同じく、『吸血鬼』を示す特徴だ。
「…めんどくせぇな」
そんな言葉を残し雪乃を抱き上げる八幡の体がふわりと浮かぶ。
敵を目の前に取った行動は逃走。
しかし、敵もどうやらタダで逃げさせてくれる気はないらしい。
舞台は冒頭へ戻る。
「あーもう…いつまで追ってくるだよ…てかあいつがお前の言ってた誘拐犯かよ」
「…今日がたまたま鬼だっただけよ…っ」
「…足、痛むか」
「この怪我を見て痛みを感じなかったら、それはそれでおかしいわ」
「そんだけ喋れてるなら大丈夫だな」
「それで…これからどーするのかしら。吸血鬼さん?私の血でも吸うのかしら」
「あ?そんなことしたらお前まで吸血鬼になるだろうが……まぁでも流石にこの鬼ごっこ…いや待て、鬼に追いかけられてるとかリアル鬼ごっこじゃねぇか」
「…はぁ」
こんな場面でも適当なことを言う八幡に雪乃は深いため息を1つ。
けれどこの場面の打開は必須。
何かしらの行動は取らねばならない。それは八幡も雪乃も思っているだろう。
そして、八幡が1つの提案をする。
「…雪ノ下、俺が吸血鬼だってこと黙ってられるか?」
「…どういう意味かしら?」
「そのまんまの意味だ。俺が吸血鬼ってのは教師達しか知らないんだよ。目立ちたくないし…まぁ色々理由があるんだが」
「別に、構わないわ。周りに話すメリットも無いし」
「そりゃありがたい…今から止まってあいつと対峙するが、自分の身は自分で守れ。高位種なんだろ?」
「…その挑発的な笑み、やめなさい。それぐらいのこと出来ない訳がないわ」
「よし…じゃあやりますか」
少しだけ楽しそうな笑いを浮かべた八幡は、路地裏に入り込み地面へと着地する。
そして雪乃を近くの壁にもたれかけさせ、追って来た鬼を待ち構える。
「さて…リアル鬼ごっこにルールを追加。一般市民が鬼を殺した場合、こちらの勝利とする」
淡々と喋る八幡の前には、人間の2倍近い体に筋肉。
大きく鋭い爪はきっと人間を一刀両断するには、有り余る力を持っているだろう。
「…何をふざけたことを抜かしている」
低い声が狭い路地に響く。
怒気と殺意が込められたそれは紛れもなく殺人をして来た者の声だ。
「別に、なんでもねぇよ」
「ふっ…それにしてもオレはどうやら運がいい。上位の吸血鬼をやれるとはなぁ…」
「…上位、ね。見た目は弱い自信があったんだが」
「どちらでも良い。鬼の高位種であるオレにとっては…な」
「高位種…」
「あぁ。オレは鬼と人間のハーフ。下位のハーフにならなかったのは運がいいと思うが、オレはその力を完璧にして来た。上位の吸血鬼如きじゃ倒せねぇよ」
「…」
「それじゃあ…やろうか──!」
鬼はそう言うと右手を地面へとつける。
何か落とした物を拾うような動作は、鬼にとっては『武器を作る動作』である。
錬金術、それとは違うが似たようなそれは、ある程度の土をどんな形にも変えられる鬼の『性質』だ。
「…生で初めて見るな」
「くくっ…オレぐらいになればこんなものは幾らでも作れるわ。鬼は大地に恵まれた生物だからな」
「羨ましいことだな」
「ふん…吸血鬼の性質は火…だったか。上位種ならそれなりに使えるのだろう?」
「そういうのは見合った相手に見せるんだよ」
「っ…クソガキが──!」
完璧、と自称する鬼にとってはそれ屈辱でしかなくすぐに頭に血がのぼる。
ダンッという地面が割れる音と共に鬼の姿が揺れる。
一瞬にして八幡の目の前まで迫って見せると、先ほど作った土で作られた刀を躊躇いなく振るう。
「あぶね…」
それをふわりと後ろに飛んで躱すと、それを待っていたかのように鬼は第2撃を打ち込もうとまた踏み込む。
着地の態勢に入っている八幡からすれば、完全に隙を取られた形だ。
「しっ──!」
鬼が横薙ぎに刀を振るう。
太い腕から振るわれる一撃の威力など、説明せずとも想像できるだろう。
「──あ?」
まさしく完璧な一撃を、受け止められ鬼の顔に困惑の表情が浮かぶ。
「…体の使い方に、刀の使い道も一級品」
「っ…オレの一撃を止めるとはなぁ…そーいや吸血鬼は自分の血を自由に操れるんだっけなぁ…」
八幡の左手には、赤黒い剣。
その剣が鬼の一振りをピタリと止めていた。
「こりゃ楽しめそうだ…」
「…あいにく俺には時間がない」
「は?────ぁ」
返事をした鬼の声が続かず、代わりに素っ頓狂な声が漏れた。
そして間髪入れずに、鬼の右手が飛ぶ。
噴水のように湧き出る血が、鬼の意識を引き戻す。
「が、ああああああああぁぁぁぁぁぁぁ──!」
痛みを紛らわすように吠える声が八幡と雪乃の耳を揺らす。
だがしかし、鬼もそこで終わらない。
すぐさま左手を地面に付けると、新しく刀を錬成。
後ろにいる八幡へ飛びかかる。
「…その刀、形見に貰いたいぐらいだ」
鬼が自分で言った『完璧』という言葉は本当であった。
ならなぜ負けたのか。
八幡の方が格上だった――確かにそれも事実。
そして八幡を高位種だと分からなかったことも敗因だろう。
しかし、それ以上の理由がある。
「――!」
「…体の調子、確かめるにはちょうど良かったな」
――鬼の言う『完璧』があまりにも小さかった。
きっとそういうことなのだろう。
血を流れさせながら横たわる鬼をよそに、八幡は雪乃のもとへ歩く。
その返り血で服を汚した八幡を見て雪乃は思う。
人間の高位種であることに自信と誇りを持つ雪乃。
それなのに、
――八幡が敵となったとき勝つイメージが想像できない、と。
ありがとうございました。