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八幡が下駄箱で脅迫状とも取れる手紙を手に取ってから一週間が経とうとしていた。その間、八幡は手紙について誰にも相談することなく、淡々と学校生活を送っていた。
そもそもとして、あの手紙が『五色の脳』からのものとは限らない。他の組織、またはタチの悪いイタズラだと言う可能性もゼロではない。
「……んなわけねぇか」
そんなことを考えながらもそれらの可能性がないことなどわかりきっていることだった。楽観的に考えても8割方は『五色の脳』からだろう。
雪ノ下雪乃と由比ヶ浜結衣を攫うということは理解出来る。奴らの目的は人間の脳を解析すること。そのため2人を欲しいと思うことは当たり前だとも言える。
「一色いろは……か」
なぜ奴らは一色まで求めているのか。いろはが人間ではなく天使と悪魔の混合種であることはその前に聞いたばかりだ。嘘をついている様子もなかったし、そもそも嘘をつく必要も、すぐにばれることは想像できるだろう。
「……頼りたくはないが、仕方ないか」
深く、ため息をついてから教室を出た。
向かう先は職員室。さらに言えば、平塚先生だ。身近な大人で、自分の相談したいことを茶化さず信じてくれるため、頼る相手としては申し分ないだろう。
だが、八幡は平塚先生だけを頼ろうとして言うわけではない。
「――失礼します」
いつもより緊張が混ざる声音で職員室の扉を開け、一直線に平塚先生の元まで歩く。
パソコンに向かい、忙しそうに指を動かしているのを横から見ている形になっているが、どことなく声を掛けづらい様子であった。
「……平塚先生」
遠慮がちに、短く彼女の名前を呼ぶと、仕事を邪魔されたことが少し気に障ったのか幾分鋭い視線を送ってくるが八幡の顔を見ると、途端に柔らかくなった。
「すまないな、少々立て込んでいてな……また今度でも大丈夫か?」
「あ、すみませんそんなときに」
「いや、君が謝ることじゃないさ。若手だからといって仕事を投げてくる上の奴らに謝ってほしいものだよ」
「そんなこと、こんなとこで言わなくても……」
周りの職員も同様に忙しいのか、こちら側の話に興味を示している人はいなかった。
平塚先生は集中が切れたのか、ぐっと伸びを一つする。八幡はなんとなくその姿を見るのは申し訳ないと感じ、目をそらす。
「要件だけでも聞いておこうか」
「あ、いえ、少し時間がかかるというかまた時間あるときに来ます」
きっと話をするのに時間はそうかからない。だが、この話は時間に追われながら話すことでもないと感じるためまた今度で大丈夫と伝えた。
そんな八幡の様子を見て、平塚先生は「ふむ」と背もたれに体を預ける。
「……気が変わった。奥で待っていたまえ」
そう言うと八幡に何も言わせず、どこかに歩いて行ってしまった。大方、お茶かコーヒーの準備にでもしにいったのだろう。
大丈夫です、と言う時間も無く置いていかれてしまったため、八幡は素直に奥の応接室へと向かう。
教室のイスよりは柔らかいイスに腰をかけ、隣にカバンを置く。
どこか落ち着かない様子で待っていると、1分も掛からず平塚先生がやってきた。
「……さて、話を聞こうか」
「別に今度でも大丈夫ですよ」
「生徒と話をすることも教師の仕事だ。誰かに文句を言われることはしてないさ」
「ありがとうございます」
目の前に置かれたコーヒーを呷る。
独特の苦みが口の中に広がるが、これから話す内容を考えればちょうど良い。
「そうだな……最近、奉仕部のほうはどうだ」
「……奉仕部、ですか」
最初から本題に入ろうとしていた八幡に気を遣ってか平塚先生はそう八幡に聞いた。
「別に、普通ですよ」
「普通ではない君が普通というのだから、普通ではないのだろうな」
「ちょっと?ひどくないですか?」
「別に酷いわけでも、ダメというわけでもないさ、普通ではないというのは」
「……本当に、何もないですよ」
以前あった小さな雪乃との衝突。なぜ雪乃があんなこといってきたのか、そして自分は何故苛立ちを覚えたのか、八幡はいくら考えても分からなかった。
「雪ノ下はそう考えていないようだがな」
「……雪ノ下?」
「数日前、私の所に来てね。色々と話してくれたよ。君のことや由比ヶ浜のこと、そして一色からの依頼について」
「そう、ですか」
「君たちは不器用過ぎるな。そしてなんと言っても自己評価が低すぎる」
「……別にそんな事無いと思いますけどね」
「――本当は分かってるだろう?」
「っ――」
平塚先生の表情は柔らかいままだ。語気は少し強く感じたが、それは自分の何かを咎めているようにも感じられず、黙ってしまう。
敵わないな、と心の中で呟く。
「……それじゃあ、君の話に移ろう」
「――これ、見てください」
場を切り替えるような平塚先生の言葉に八幡はどこか、安堵の表情を一瞬浮かべるが、すぐさまカバンの中から手紙を取り出す。
机の上に置くと、平塚先生は少しだけ躊躇いながら、目を通す。
「タチの悪いイタズラ、というわけではなさそうだな」
「その可能性はゼロじゃないです。俺の下駄箱に入ってましたし……けど、」
「あぁ、タイミングだろうな」
「ここ最近よく巻き込まれていますから……そう考えるのが自然かと」
「……それで、君はどうする」
平塚先生の目は不安と、期待が混ざっていた。
そんな目をされても困る、と八幡はため息をつく。自分は何があろうと高校生だ。それだけは変わらないし、自分に出来ることなど限られている。
「雪ノ下さん――陽乃さんに連絡はつきますか」
「……なるほどな」
平塚先生が察したようにすぐさま携帯を取り出し、陽乃に連絡をしてからもうすぐ1時間が経とうとしていた。
その間平塚先生は少し待っててくれと外に出て仕事をしたり、戻ってきて他愛のない話を繰り返ししていた。
そして、平塚先生の携帯が聞き慣れた音を発した後、さて、と切り出した。
「陽乃が着いたようだ。ここの場所も伝えてあるからすぐ来るだろう」
その言葉に返事をするように、遮るように、陽気な声が響く。
「ひゃっはろー、比企谷くんに静ちゃん」
「……どうも」
「静ちゃんはやめろ」
ニコニコと笑う陽乃はそのままストンと、平塚先生の隣に座る。
お茶かコーヒーでも入れようとしたのか平塚先生が立ち上がるが、それを陽乃は手で止めた。
「ちょっとこの後用事があってね。少しだけ急いでるの」
「すみません、そんな時に」
「比企谷くんからのお誘いなんて、乗らない訳にはいかないでしょう?」
「……ありがとうございます」
「今日はなんだか素直だね。それに静ちゃんも……へぇ……それで、話って?」
ちらりと2人の顔色を窺ってなんとなく話の内容が良いことではないのを察してからか、幾分か目つきが鋭くなる。
しかし、そこに悪意はなく、どちらかと言えば心配が織り交ぜられているように八幡は感じた。
「これ、なんですけど」
念のためカバンの中に入れていた封筒をもう一度机の上に置く。
陽乃はそれを見た後、再度八幡に視線を戻した。どうやら見ても良いかの確認をしたようだった。
「――これはまた、古典的だね」
「まぁ、正直破り捨ててもいいんですけど」
「人生初のラブレターを破くのはちょっと破天荒すぎない?」
「なんで人生初って決めつけたんですかね……」
「ま、ラブレターにしては愛が重すぎるし、どっちかっていうと雪乃ちゃん宛のものだろうし……」
どうしたものか、と陽乃は口に手を当てて思案し始める。
「雪乃ちゃんとガハマちゃんは知ってるけど、この一色いろはちゃんってのは誰?」
「後輩です」
「……え、それだけ?」
「いや、俺も少し前に会ったばかりなんです。奉仕部に依頼しにきてて」
「へー……どんな依頼だったの?」
「このことには関係ないですけど……」
そこまで言って八幡は言葉を詰まらせる。
別に守秘義務などと生意気なことを言うわけではないが、なにせいろはの問題は少し複雑な人間関係だ。それを本人の許可無く、学校の外部の人に漏らしていいものか……もとい雪乃に怒られるのではないかという心配をしていた。
「……私から言おう。浅く言うなら一色は女子の反感を買いやすい性格でな……次の生徒会長に悪ふざけで立候補させられたんだ」
「生徒会長……めぐりは?」
「城廻にどうこうできる問題ではないさ」
「悪ふざけ……問題になってるってことはもう発表しちゃった訳だ」
「そういうことだ」
そこまで聞いてもう一度陽乃は口に手を当てる。
潰しちゃえばいいんじゃない?なんて言い出すんじゃないのか、なんてことを考えていた八幡は軽く頭を掻いて切り替える。
「一色ちゃんの生物は?どうせわたしと同じ人間なんだろうけど……」
「――いや一色はそうじゃないんです」
「……どういうこと?」
「あいつ普通に混合種なんです、天使と悪魔の」
「――――――なるほど、ね」
少し長い空白の後に陽乃はすっきりしたような表情になった。
その表情に、八幡はずっと引っかかっていた疑念を素直に打ち明ける。
「一色が狙われる理由がないと思うんですけど」
「――一色ちゃんってどんな子?」
「え?どんなって……」
「まぁまぁ、言ってみてよ」
自分の疑念に質問が帰ってきて困惑するが、素直に八幡はどんなやつだったかを思い出す。
奉仕部で話した内容をたぐり寄せ、なるべく多く特徴を挙げていく。
あざとい、男子を手玉にとってそう、そんな陽乃の苦笑を誘うことから、いつもは天使を使っていて前生徒会長のめぐり先輩の後というのを恐れているという情報までも。
「こんなもんですかね」
「そういえば、一色はサッカー部のマネージャーだぞ。葉山は2人とも知っているだろう?」
「隼人、ねぇ……比企谷くん、この手紙が来てから隼人と何か話した?」
「手紙を見つける直前に少し」
「ふーん……隼人もがんばってるのか……」
冷たい声音を響かせたのも一瞬で、すぐに明るい表情に戻ると背もたれに体を預ける。
「どうせ隼人のことだから、君はどうして強いんだーみたいなこと言ったんでしょ」
「……まぁ」
「君はなんて?」
「――葉山も平塚先生も過大評価しすぎなんですよ。確かに小さい頃から小町と色々してましたけど……これまでのことも偶然でしかない」
「そこは認めるんだね……あのね、比企谷くん。確かに君は戦う技術を持ってるかもしれない……それこそ決勝不戦敗でもキングになったからね」
ニコニコと見つめてくる陽乃の視線から逃げるように、下を向く。
「けど、そこじゃないんだよ君の強さ……いや怖さは」
「――陽乃」
「別に悪口じゃないよ、静ちゃん。比企谷くんはああいう奴らと戦うってなったときに、一番必要なものは何だと思う?」
「そりゃ……性質とかの使い方じゃないですか?」
「ハズレ。大事なのは、冷静さだよ」
諦めたような表情を浮かべる平塚先生をよそに、陽乃は続ける。
「普通の子は日常で会うことのない『異常』に対しては怖くて動けなくなるものなの。それなのに君は普通に、練習と同じように性質が使える」
「……そんなの、」
「――普通じゃない。怖いよ、とっても恐い。君は……感情より思考が勝つ、理性の化け物だよ」
「――――」
「これもちょっと違うかな……性質なんて、吸血鬼なんてそんなものが一切無い世界ならわたしは君にそう言うけど……君は自分の心を殺せるただの化け物だよ」
「……陽乃」
先ほどよりもゆったりした口調の平塚先生の言葉が、陽乃の言葉を止める。
理性の化け物、心を殺せる化け物、別に化け物と言われて傷ついた訳ではない……が、どこか体の力が抜ける感覚を覚えた。
「ごめんごめん、化け物なんて言ったけど、凄いことだともわたしは思うよ。じゃあ、お詫びに比企谷くんが知りたかったことを教えてあげよう」
背もたれから体を離し、いくらか近くなった2人の距離。
そんな陽乃に比例して、八幡が体をのけぞる。
「――一色ちゃんは、悪魔だよ」
意味の分からない言葉に、体が何故か危険信号を発した理由が理解できるのは、事が大きくなりすぎてからだった。
ありがとうございました。
大きく展開が動くのはもう少し先なので気長に待ってもらえると嬉しいです。