一色いろはは悪魔である。
八幡の頭の中にある陽乃の一言はやけに印象強く残っていて、何度も繰り返されている。
素直にその言葉の意味を解釈するならば、やはり混合種のことだろう。一色いろはは天使と悪魔の混合種でその比率は5:5と珍しいものだった。だが日ごろから使っているのは天使側の性質のため悪魔だという言葉には結び付きづらいように感じた。
どういうことかと考えている間に足は自然と奉仕部の前までたどり着いていて、習慣や慣れというのに自分でも少し驚く。
「って、開いてないな」
いつもの扉に入ることを物理的に拒まれ、あたりを見渡しても雪乃や結衣の姿は見えない。携帯を開いてみれば結衣からメッセージが届いている。
「あっち行ってたのか」
そういえば、と結衣の依頼を思いだす。雪乃に人間としての詠唱や性質の使い方を教えてもらうという依頼だったが、今日は最初からそちらに向かっているらしい。休日などに教えてもらっていたのは八幡も少し聞いていたが、最近はやる頻度を増やしているように感じた。
部室の前にずっと立っているわけにもいかず、携帯で結衣に了解と送りながら実技場へと向かった。
風が吹く音が実技場の外まで響いていた。そよ風や隙間風のような優しい音ではなく、風が空気を切る音で少し怖いと思うほどの暴風音だった。
「……」
邪魔するのも悪いと思い八幡はそろりと扉を開け、するりと実技場内に入る。
そこには雪乃と結衣、そして一色いろはの3人がいた。雪乃と結衣は模擬戦闘をしているようでいろははその様子を近くで眺めていた。
「あ、ヒッキー来てんじゃん」
「ちょうど今来たところだ、俺のことは気にせず続けてくれ」
「いえ、こちらもちょうど休憩にしようとしていたところだから…一色さん、どうだったかしら」
「えーと…流石雪ノ下先輩だなーとしか…結衣先輩も思ったより強くてびっくりしました」
「えへへ…最近はゆきのんに攻撃が当たることも多くなってきたからね!」
胸を張る結衣に少し悔しいような嬉しいような優しい目を向ける雪乃。弟子に追い抜かされる師匠のような気持ちだろうが、雪乃に勝つまでの実力を結衣がもし身につけられるとしてももう少し先になりそうだった。
「じゃあ次は、一色さんと私が。由比ヶ浜さんは休んでて」
「え、わたしもやるんですか!?」
「見学だけなんてもったいないでしょう?それに詠唱は得意と言っていたし、剣のほうが上達すればクイーンにすらなれるかもしれないし」
「別にクイーンは目指してないんですけど…」
「それでも女性なのだから自衛目的として強いことに越したことはないわ。あなたなら何度か経験あるでしょう」
「まぁそれは否定しませんけど。で、でも手加減してくださいね?わたしまじで剣とか苦手なんで」
そう言い結衣と八幡から2人が遠ざかる。緊張で体が硬くなっている一色に何か雪乃が話しかけているがあまり効果はなさそうで剣技の訓練が始まった。
「そういえばさ、ヒッキーに聞きたいことがあったんだ」
「一色の依頼のことか?」
「うーん…それもあるんだけど、とりえずはあたしの体のことなんだけど」
「体?」
体のことと言われて無意識に結衣の体を見てしまう八幡だが、特に大きなけががあるようにも見えないし、雪乃と模擬戦闘をしているということは具合が悪いわけでもないようだ。
「って、そんな見られても困るんだけど…」
「あ、いや、すまん。怪我とかしたのか?」
「昨日家でママの料理を手伝ってたら、指切っちゃって。結構深く切っちゃったんだけど、すぐ痛くなくなって傷も消えてて…ほら、林間学校でヒッキーの血で治してもらったからそれが影響してるのかなーって」
「あぁ、そういうことか。前に雪ノ下が怪我した時も同じやり方で治したんだが、その時も数日間同じようなことがあったらしい」
「やっぱ吸血鬼の力だったんだね、でもちょっとありがたかったかも、指に傷残ったらやだし」
「そのうち効果は消えると思うが…結構血を使ったからお前の場合は少し長いかもしれん」
「んー、体の調子が悪くなったわけじゃないし大丈夫かな。けど…なんかヒッキーの血が流れてるって…なんか照れ臭いっていうか、あははー…」
「…変なこと言うな」
結衣としては傷は治り、調子が悪いどころか最近は調子がよく悪いことは起きていない。治癒行為だとしても血を混ぜるのはあまりいいことではないため八幡としても少し気になっていたため、肩の荷が一つ降りた気がした。
「あと…ごめんね、あの時邪魔しちゃって」
目を伏せながら申し訳なさそうに謝罪をする結衣。その内容は林間学校で起きた事件のことだろうが、八幡としては謝られる筋合いはないどころか助けられた身でもあるため、謝るのは自分のほうであると思っていた。
「…俺のほうが助けられたんだ。俺のほうこそ悪かった」
素直に謝る八幡に結衣は優しく笑い、どこかすっきりしない顔のまま話し出す。
「それでも思っちゃうんだよね。あの時あたしがいかなかったらヒッキーはもっと楽に勝てたんじゃないかなーって」
「助けられたって言っただろ。あの時は普通にやばかったし」
「そうなのかもしれない。けど…考えちゃうことは考えちゃうんだよ。それにあたしが怪我したことをヒッキーは考えすぎちゃうんじゃないかなって」
八幡はそれについては強く否定できなかった。由比ヶ浜結衣が怪我をしたのは、自分の不手際であると。
それについてはもはや自分や八幡と結衣の間でしか解決しないことであり、どちらが悪いなどという話には発展しないだろう。
「消えないよ…罪悪感って」
「…」
「それに…劣等感も」
泣きそうな顔の結衣に八幡は何を言えばいいのかわからず黙って目を伏せた。
「あたしね、ゆきのんみたいになりたい。最初は自分を守るために強くなろうって思ったけど、今は自分じゃない人を守れるぐらい強くなりたいの」
「…強いことはいいことじゃない。誰かから恨まれることもあるし、危険な状況にさらされる機会も増える。今の俺らの周りだとなおさらだ」
「それはヒッキーも同じじゃん。ヒッキーは強いからいろんな人を守れるけど、ヒッキーを守る人がいないのはおかしいよ」
「…俺には小町がいるからな。小町がいればほかには何もいらん」
「うへぇ…シスコンだ…」
八幡は結衣の真剣な目に言い返すことができず思わず茶化したが、結衣はそれすらわかってのってくれたように感じた。
「小町ちゃんとヒッキーのお互いを助け合ってる感じ?がなんか兄妹っぽくてなんかいいよね」
「助け合ってるっていうか7:3で俺が助けられてるんだけどな」
「ださいお兄ちゃんだなぁ…ヒッキーが1でも2でもあたしに預けてくれるように頑張るね」
「…ん、そうか」
「うん、そうだ」
笑う結衣にどこか気恥ずかしくて居心地が悪い八幡だが、気分は悪くなく、妹以外にそういった話をしたことがなかったので少し嬉しさも感じていた。
「あ、それといろはちゃんのことなんだけど」
「そういえばなんであいつがいんの?」
「なんか平塚先生経由で聞いてとりあえず見に来たみたい」
「見に来ただけなのになぜか今、雪ノ下にボコボコにされていると」
「あはは…でも詠唱は上手だねー…あたしは頭の中すぐごちゃごちゃになるから少し苦手なんだよね」
「でも雪ノ下に当たるようになったんだろ?準クイーンと渡り合うだけですごいだろ」
「前より剣とか攻撃とかがこう…来る!っていうのがわかるようになってきた気がする」
「一色もそうなれば生徒会長として申し分ないぐらいにはなるかもな」
そう思いちらりと雪乃といろはを見てみれば、詠唱と剣技どちらを使ってもいい模擬戦闘になったらしく2人は距離をとって戦っていた。
技術も実力も雪乃が上なのは明確だが、結衣の言った通り得意の詠唱で何とか食らいついている。
「…すごいな。詠唱をし終えた後すぐに詠唱できるなんて1年生にあんまりいないだろ」
「だよね!いろはちゃんってなんか器用?って感じがする。詠唱だけだったら普通に負けちゃうよ…」
「まぁでも距離詰められたらあれだな…うん、剣技のほうがあれだな…」
「ってそうそう、こうやっていろはちゃんが強くなれば自信がついて生徒会長になろうと思うんじゃないかなーってゆきのんが言ってた」
それを聞いて八幡は納得した。部室に初めていろはが依頼をしに来た時、結衣がいろはに生徒会長をやらないかと尋ねていたが、その時のいろはの返答は生徒会長という地位はいいが、期待に見合っていない自分の実力と、めぐりと比べられたらという自信のなさについてだった。
つまり、自信さえつけられれば生徒会長をやること自体はそれほど嫌ではない、ということとなる。それを雪乃は逆手にとって自信をつけさせようとしているらしい。
「でもそんな簡単に自信はつかないだろ。仮に雪ノ下がわざと一色に負けるなんてことしても意味ないだろうし」
「そこは隼人くんに頼もうかなって」
「葉山?…あぁ、だからサッカー部のマネージャーなのか」
八幡はそういった恋愛ごとに特別疎いという自覚はないため、結衣が言っていることをすぐに察した。
「ヒッキー知ってたんだ、いろはちゃんがマネージャーなの」
「平塚先生から言われてな。なるほど、それならやる気になるかもしれん」
「でしょ!?気になってる男子に認められてうれしくない女の子なんていないよ!」
その言葉に八幡は苦笑いで返すが、理解も納得もしっかりしている。
認められたいという欲求はきっと誰にでもあるし、高校生となると承認欲求が増える時期ともいえる。それを利用するというのはあまりいいことではないのかもしれないが、それで依頼自体が解決するのであればメリットの方が大きいだろう。
しかし、1つ気がかりなことがある。
「もし、一色が自信つかないで生徒会長やりたくないって言ったらどうするんだ?」
「…多分、ゆきのんが立候補するんじゃないかな」
「…」
「あたしもちゃんと言われたわけじゃないけど、ゆきのんはそうすると思う」
「……そうか」
雪ノ下雪乃が生徒会長になる。それはきっといろはにとっても学校にとってもいいことで間違っているわけではない。
けれど、八幡は結衣の無理して作る笑顔を見てどうにもいいこととは思えなくなってしまう。奉仕部のこと、雪乃と結衣の友達としての関係性、懸念しなければならないこともきっとある。
「――あたしも、やってみようと思う」
「は?」
意味が分からずとっさに言葉が強くなってしまう。
しかし、結衣はそのことには触れず、八幡のほうを見て、
「あたしも立候補してみようと思う」
「なんでお前が…」
「ほら、あたしって特別凄いいことなんもないなーって、ゆきのんみたいになんでもできるわけじゃないし、いろはちゃんみたいにすごいことが1つあるわけでもない…それに小町ちゃんみたいに色々強くもないし」
そう自分を悪く言う姿に八幡は何もできない。そうであるという肯定も、そうでないという否定も、そのどちらでもない慰めも比企谷八幡にはできないのだ。
「だから、生徒会長になるのもありかなーって」
「ありって…そんな簡単なことじゃないだろ」
「だよね、きっと簡単じゃないと思う。けど、やるって決めたの」
由比ヶ浜結衣も『自信』がない。そのことにはなんとなく察しがついた。
雪乃に迫る実力を身に付けていることは確かで、模擬戦闘から戦い方そのものも学んできているのも確かなのに、結衣には自信がない。
それはきっと、だれにも『認められていないから』である。
――気になってる男子に認められてうれしくない女の子なんていないよ。
その言葉が八幡の頭の中に浮かぶ。
だが、そんなことを考えている自分がどうしようもなく気持ち悪く、不快で、嫌いなのだ。
「…そうか」
だから、比企谷八幡は、間違える。
「うん、そうだ」
先ほどと同じ言葉なのに、そこには悲しさの比重が大きいことが嫌でも分かった。八幡は鈍感ではなく過敏であるからこそ、今の結衣の気持ちも想像できてしまう。
「もう少ししたらね、ゆきのんと本気で模擬戦闘してみようと思う」
「…いつも練習でしてるんじゃないのか?」
「普段は剣とかばっかだし、やっても詠唱に制限つけたりしてるから…そういうのなしに一回してみたいの。もしそれでゆきのんに勝てたら…その時はゆきのんに立候補やめてもらう」
そこまでしなくてもいいんじゃないのか――そういった曖昧な否定の言葉も口から出ることを許してくれない。
「だからさ、ヒッキーにも見てほしい」
「…」
「平塚先生に言ったら3日なら待ってくれるって言ってた。だから…3日後にやろうと思う」
「……わかった」
「――ありがと」
短く交わされた言葉は続くことはなく、行き場を失った目線はなんとなく雪乃といろはのほうへと向く。
そこには練習を終えた2人が何か話している姿があり、大方雪乃がいろはに何かアドバイスを言っているのだろう。
ほどなくして2人がこちらに戻ってきた。
「はぁ…めっちゃ疲れました」
「運動神経は悪くないようだしこのまま続けていればいいところまで行くと思うけれど」
「わたしべつにいいところ目指してないですよー…それにあんまり目立つとまた変な因縁つけられそうですし」
「そういった人を黙らせるための実力でもあると思うけれど」
「わー…雪ノ下先輩がどんな人かわかってきた気がします…」
「あはは…ゆきのんならできるけど女子のグループってめんどくさいし…」
「ほんとそれなです!別に1人でもいいんですけど、1人がかわいそうって見られるのが嫌なんですよね」
壁に凭れて座るいろはに雪乃が飲み物を渡すと、素直にありがとうございますと受け取り飲み始める。いろはのための飲み物があるということは、最初から雪乃はいろはを動かせるつもりだったのだろう。
「ん…はぁ…まぁ、でもこうやって教えてくれるのはありがたいです。総武祭とか出たいわけじゃないですけど、そこそこ実力は欲しいので」
「そういってもらえると私も教えがいがあるわ。詠唱のほうは生物が違うからあまり教えられないけれど…一色さんの場合は必要ないようね」
「剣の使い方とか体の動かし方ってあんまり詳しく教わってこなかったので…というか、先輩は教える側じゃないんですか?」
「…え、あ、俺?」
「そうですけど…一応キングですよね?総武祭の時見てましたけどなんかこう…あんまり強そうじゃないというか、オーラがないというか」
じとりと向けられる視線か八幡は逃げるように目線をそらす。少し濁して言っていたが、ぶっちゃけ弱そうということを言いたいのは伝わってきた。
「俺は教えられる性格じゃないんだよ」
「ま、確かにそう見えますねー。けど、キングと準クイーンがいるのに教えるのが雪ノ下先輩が大変じゃないですか」
「いやまぁそれはそうだが…」
「先輩も奉仕部なら、なんか手伝ってくださいよ。ほら、わたしが教わっているときは結衣先輩に教えるとか」
「ぐ…」
あって間もない1年生に正論で押されている姿は情けないが、そのことについて八幡自身も少し思うところはあり、そろそろ手伝ったほうがいいんじゃないかなーと考えてはいた。
少しぐらいなら、と思いつつ一応現場監督である雪乃のほうを見る。
「――大丈夫よ。私1人でできるわ」
「…そうか」
「ゆきのん…」
「まぁ雪ノ下先輩がそういうならわたしはどちらでもいいですけど…」
「…もう帰る時間よ、私は平塚先生に伝えることがあるから…また明日」
そう言い1人先に実技場を出ていく雪乃。それに追いつこうと結衣もすぐさま実技場を出ていった。
残った八幡といろはは特に何か会話することもなく、帰り支度を始める。
「先輩たちって仲悪いんですか?」
「…急にどうした」
「いや流石にあんな空気になれば気になりますよ…」
「…仲悪くなるほど仲良くなった覚えはないな」
「あーそういう…まぁ別にどっちでもいいですけど。じゃあお先です」
「おう」
そう言いいろはも実技場を後にし、残った八幡は周りをぐるりと見渡す。
いろはに言われた言葉の意味をもう一度考える。
仲良くなった覚えもないし、仲が悪くなった覚えもない。だからといってただの知り合いというほど浅い関係ではすでにないとは思うが、親友や恋人など特別な関係性なわけでももちろんない。
すべてが曖昧な関係で、だれも言葉にしないから、宙ぶらりんのまま過ごしている。
「はぁ…帰るか」
独り言を吐き出し、八幡も実技場を後にした。
解決しない課題の上にどんどんと難しい課題が積み上げられている。
ありがとうございました。
pixivのほうでAromaという名前で俺ガイルの小説を書いています。
ぜひお時間あればそちらの小説も読んでみてください。そっちではこういうバトル系のものではなく、日常系の作品を投稿しています。