学校からの帰り道、それは私にとって、先輩と二人きりで過ごせる大切な時間。
校門で待ってくれていた先輩を見つけて、私の歩調が自然と駆け足になっていく。先輩と恋人になる前からも、ずっと積極的にアプローチをしていた事が功を奏したのだろう。すっかり私の定位置になった先輩の左腕を、先輩は当たり前のように空けておいてくれる。
私の、私だけの居場所。
そしていつも、飛び込むように左腕に抱きつく私の事を、先輩は他に誰に向けるよりも、ずっとずっと優しい眼差しと微笑みで迎えいれてくれるのだ。
変に退屈ないつもの授業を耐えられるのは、きっとこれがあるからだね。通いなれた我らが校舎に今日もさよならを告げて、二人は足並みを揃え帰路につく。
ドラマでの恋愛シーンとか、そういった類いのものは嫌になるほど経験してきたというのに、先輩にだけはどうにも敵いそうにない。現に今も、笑顔一つ向けられただけで、胸のBPMがみるみるうちに上がってしまう。いっつもこうやって私だけ……なんかズルい!
でも、今日こそは先輩にもドキドキさせてやるんだって、私は胸に決めていた。なんていったって今日は――
「先輩! 今日は何の日か知ってますか?」
「今日か? うーん…」
先輩は顎に手をやって何だっけなと考え込む。そんな仕草の一つ一つが無駄に様になってて、ついつい見とれてしまいそうになる。そんなんだからモテるんだ。このスケコマシめ。
「うーん、駄目だ。分からない。りせ、何かヒントをくれないか」
何やらさっぱり分からないらしく、でも、問題に答える気はまだあるのか、私にヒントを求めてくる。先輩はこういったイベントを知ってるものだと思っていたから、少しだけ意外だった。
「ヒント? んもー、しょうがないなー。そんな迷える先輩に、特別にヒントを教えてしんぜよーう! バックアップはりせちーにお任せってね!」
私はこっそり隠し持っていたポッキー箱をじゃじゃーんと見せつけた。勘の良い人ならもう察しがついたかな? 今日はなんと11/11日、ポッキーの日なんだってことが!
直斗君曰く、本当はポッキーだけじゃなくって、『ポッキー&プリッツの日』というのが正式名称なんだとか。ポッキーにばかり注目されて、プリッツがいつも忘れさられてしまっているのが、ちょっとだけ私には可哀想にも思えて、一応プリッツも一つは買っておいた。一つだけだけどね! 目的のポッキーゲームにはあんまり向かなそうだし…。
「ポッキー? もしかして、ポッキーの日ってやつか? 確か陽介が、「女の子と過ごしたい~」なんてぼやいてたような…」
あぁ…なるほど。相変わらずのガッカリ王子だ…。顔立ちはかっこいいんだから(先輩には全然敵わないけど!)そういう事を言わなければきっとモテると思うのに。もったいない。
「大正解ー! 今日はポッキーの日でーす!」
「やったぜ!」
「見事正解した先輩にはー…、私からのご褒美、あげちゃうよっ!」
「ご褒美?」
「うん! だから先輩、その……」
ポッキーゲームをしようって、本当は今ここで切りだそうとしたんだけど、恥ずかしくなって言えなかった。
「今日…お家、行ってもいい?」
その代わりに出てきたのは、まさかの押し掛け宣言である。思い返すとこちらの言葉の方が断然恥ずかしいよね……。で、でも、流石に外でポッキーゲームをするわけにはいかないし! 結果オーライってやつだよね? 多分……。
*
先輩の自宅について居間に入ると、不意に、先輩の表情にふっと陰りが差した。先輩との甘いポッキーゲームを想像して浮かれていた私は、冷水をかけられたみたいに目が醒める。
当たり前にここにいたはずの、菜々子ちゃんと堂島さん。二人は今、この家にはいないのだ。先週の戦いの記憶が、頭の中を駆け巡っていく。
でも、そんな先輩の陰りも表面に出たのは一瞬だけで…。悟られぬようにと、無理をしている先輩を見るのが私も苦しくて、今にも消えちゃいそうな先輩の左腕をギュッと強く強く抱き締めた。
「……りせ?」
「先輩、大丈夫だよ。菜々子ちゃんもきっと、すぐに目を覚まして戻ってくるから…」
「………」
「大丈夫だよ…」
「………ごめんな。分かってはいるんだけど、やっぱりちょっと寂しくて」
「ううん、謝ることなんてない。先輩が私を支えてくれたように、私も先輩の困った時は力になりたい。だから、あんまり無理はしないで。一人で抱え込もうとしないで…」
左腕に懸命に抱きつく私。そんな私を先輩は、正面から強く、そして優しく抱き締めてくれた。自分のよりも一回りな大きい先輩の手が、私の頭を優しく撫でてくれる。
「……ありがとう、りせ。……しばらく、こうしていてもいいか? すごい、落ち着く」
「うん…。私も」
アイドル時代。とあるラジオ番組の質問で、「彼氏に頭を撫でられるのは髪型が乱れるから嫌ですー」なんて答えた覚えがあるけれど、今になって思う。何が嫌なものか。まぁ、その時の私は恋なんて物とは全く無縁であったから、そう言ってしまうのもしょうがない事かもしれないけど、なんて的外れで阿呆な事を言っていたんだろう。
そりゃ、知らない人に触られるのは当然嫌に決まってる。けど、先輩にだったらむしろこのまま身を委ねて、飼われている猫みたいにずっと撫でられていたいなー、とすら思ってしまうのに。もちろん、飼い主は先輩ね! この温もりを知ってしまったら、もう元には戻れない。
しばらく抱き合って先輩は満足したのか、「立ち話もなんだから」なんて言って、二階にある先輩の部屋に私を入れてくれた。
真ん中に置かれた作業用の机に、珍妙なタイトルが並ぶ本棚。他にも、男の子らしくプラモデルなんて物も置いてある。私も作ってみたいなー…、なーんて言ってみたら構ってくれるかな?
「ところでりせ、俺にご褒美をくれるんじゃなかったか?」
「うえっ! う、うん! もちろん! え、えっと…」
こ、ここでそれをぶつけてくるか…。ご褒美は、ポッキーゲームをしたいあまりに出た方便なんだけど、さて、どう切り出せば良いのやら。今までの経験が何処へと吹き飛んで、あわあわと狼狽えてしまう私。
もうなるようになれ! と半ばやけになって、私は持ってきたポッキーの箱と、その中にあった袋を勢いのまま一気に開けると、ポッキーを一本だけ手に取って、それを口に含んだ。
「んっ」
「……えーと?」
「んっ」
何やらと困惑している先輩。……けど、自分の口で説明するのは憚られたので…。ポッキーを指で示して、後は目を瞑ってお任せ。
「…なるほど、これは確かにご褒美だな」
先輩はそんな私を見て、その意図にちゃーんと気づいてくれた。でも、今にも沸騰しそうな私とは対照的に、先輩は余裕綽々といった感じで、恥ずかしがっている様子がまるでない。先輩は私の背の高さに合わせると、架かっている橋の対岸をぱくっと咥えた。
え、えっと……。こういうのって、目は瞑ってちゃダメなんだよね? 襲いかかる羞恥の荒波の中で、私はようやく眼を見開くと、先輩の顔が想像していたよりもずっと近くなっていて……目が合った。
――!?
「あっ…」
恥ずかしさのあまりか、半分ほどの長さまで縮まっていたポッキーは、為す術もなく折れてしまう。でも、先輩は気にした風もなく、袋の中に手をのばして、ポッキーをもう一本取りだす。
「再チャレンジだ。どうやらいっぱい買ってくれたみたいだし、たくさんできるな」
このゲームで、先輩をドキドキさせてやろうって思っていたのに、やっぱりこうだ。どうにも主導権を握られてばかり。……でも、私の方から食べ進めていくのは……やっぱり無理。シンドスギー。
だからせめて、私の方から先にポッキーを咥えた。
あんなに積極的にアプローチをかけていた癖に、恋人通しになってからというもの、恥ずかしい気持ちばかりが先行してしまう。
二人の距離もどんどんと近づいていって、やがて、二人の間から距離という概念がなくなると、融かされていくような心地よさを私は全身で感じた。私の中に、私を既に知り尽くしている先輩がずけずけと入り込んできて、大暴れ。ポッキーはもう跡形もない。
永遠にも思われる二人の時間。だがそれも、長い時を経て幕を閉ざし、互いの熱の共有は途絶える。でも不思議なことに、二人の間にはくっきりと、新たな透明な橋が築かれていた。
「りせ…、その顔、反則。かわいすぎ」
「だ、だってぇ…」
この時、私はどんな表情をしていたんだろう。きっと、テレビなんかじゃとても放送できない、蕩けきった顔を晒していたに違いない。私がこんなにも惚けてしまうのは先輩のせいなんだよ? 先輩だから、私はこんな風になっちゃうんだよ?
二人の間にポッキーの架け橋が架かっては、消えていく。二人で一組の布団の上に座って、言葉なんてなくとも通じあう。ポッキーゲームと言うより、ひたすらちゅっちゅっしているだけなのだが、構わない。架け橋は、運河を通る客船を迎え入れるみたいに、いつの間にやら真上を向いていた。
「りせ、いいか?」
「……うん」
熱を孕んだその表情に、私は為す術もない。買ったポッキーは三箱もあったけれど、結局、殆ど開ける事はなかった。
*
ノスタルジックな朝の陽が窓から射し込んで、微睡みの中に目を覚ますと、近くには何本か残ってしまっているポッキーと、全く手をつけられた様子のないポッキーが二箱、そして寂しげに置かれたプリッツが散見された。
一組の敷布団の中に二人きり。私は今、先輩の厚い胸板にくるまれるように抱かれている。鍛えられた先輩の身体に触れていると、ふわりふわりと安らいで、なんだかまだ、夢の中にでもいるみたい。今日が土曜日で本当に良かった。こうしてまだゆっくりしていられるから…。
ちょっと顔を近づけたら、すぐに唇同士が重ねってしまうだろう距離。間近で見る先輩の寝顔が、私の心を鷲掴みにして離さない。見ているだけで、昨夜の情熱的な先輩の姿を鮮明に思い出してしまう。
「キスとか……しちゃおっかな…」
おあずけをされているようで、燻られた私の心はとうとう我慢できなくなった。意を決して上半身をちょっとだけ起こすと、無垢な顔をして眠る、先輩の唇を覆うように――――。
だ、ダメだ…。やっぱり恥ずかしい……。
何と無しに悔しくて、ずるくて優しい先輩の頬をつねる。
前まではこんなじゃなかったのになぁ…。こんなに一人の人を好きに……愛するようになるなんて、ちょっと前の自分だったら想像もしてなかった。いつごろから私は、先輩の事をこんなにも好きになったんだろう?
テレビの中に入れられて、自分のシャドウに襲われた時かな? あの時は本当にもうダメなんじゃないかとすら思った。このまま訳も分からないまま死ぬんだ……なんて思っていた時、先輩たちはヒーローみたいに、颯爽と助けにきてくれたよね。
綺麗とは言えない自分の一面を見ても、先輩やみんなはありのままで受け入れてくれて…。それが本当に嬉しかった。自分らしくありのままでいれる居場所をようやく見つけられた気がしたから。
でもそれが原因で好きになったのかと言われると、それはまたちょっと違う気がする。うーん…難しい…。改めて考えると、いつ私は先輩を好きになったんだろう…?
勉強を教えてくれた時? ナビを褒めてくれた時? アイドルを続けるかどうか、色々と相談に乗ってくれた時? どんな時だって先輩はとっても素敵だったけど、きっと…。
「……りせ?」
そんな事をぼんやり考えていると、夢の中にいた先輩がおもむろに目を覚ました。寝起きの気だるげ姿がとても可愛い。
「おはよ! 先輩!」
「りせ、おはよう」
そう、きっと。私が先輩を好きになったのはもっともっと前で…。きっと、初めて先輩を見た瞬間から、私はもう恋に落ちていたのかも……なんてね!
主りせもっと増えろ~~~!!!!
ペルソナ4のSS界隈がもっと盛り上がりますように…。