ゆーくんが束のラボに住んで6日目の夜。明日は日曜日だから夜更かしをする人が多い時だ。けれど、私のラボは人生史上重い雰囲気で包まれている。一向にゆーくんのASDが治らないからだ。むしろ良くなるどころか連日の悪夢でゆーくんは心身ともに疲弊してしまっている。私も心理療法や認知療法、催眠療法などいろいろと手を尽くしているがそれでも治らない。
私自身も驚くほど疲れが目に見え始めた。得意でない心理学を学ぶのは流石に堪えるものがあるのだろう。しかし、私が休んでいたらゆーくんは良くならない。どうすれば・・・
「束様、しっかり寝ていますか?」
「一応寝てはいるんだけどね・・・」
「ですが目に隈ができていますよ。睡眠の質が悪いのでは?」
「うーん・・・そうなのかなあ?」
確かに、ここ最近は寝た気がしない。ゆーくんの精神状態がウイルスのように私にも移っているようだ。でも私の方がマシか。ゆーくんは私以上に苦しんでいるのだから
「そもそも束様はいつも部屋で研究しているからでは?これではいつか体壊しますよ」
「だーいじょうぶ。もともと束さんこんな生活だったし」
「ですが、たまには
「え~めんど・・・」
・・・待てよ?もしかしたら・・・いけるか?
くーちゃんの言葉からゆーくんのASDを治す一つの案が思い浮かぶ。いい起爆剤になるかもしれないけど、場合によっては悪化する恐れも無くはない。
「・・・束様?」
「ねえ、くーちゃん。くーちゃんの意見を聞きたい」
「?何でしょうか?」
今思い浮かんだ案をくーちゃんに話す。そのメリットやデメリットを含めてくーちゃんの意見も聞きたい
「私は専門家ではないので、はっきりとは言えませんが・・・やめた方がいいと思います。雪広様のトラウマがいつ出てくるかわかりませんし、その時に対応ができません」
「でもさ、ゆーくんが取り乱す時って夢見ている時とISを動かす時だけだよね。それ以外でおかしくなったときはある?」
「確かに・・・ないですね。活動している時は普通ですし、家事の手伝いも束様よりできますし」
「・・・さりげない毒は置いといて、気分転換がゆーくんには必要だと思うの。ここに閉じ込めていることも治らない要因だと思うの」
そう考えると外部との接触を避けるようにしたのは私のミスだったかもしれない。外で何かしらの良い刺激があれば、この状況を打破できるかもしれない。あくまで推測だが
「それにゆーくんが心配なら監視すればいいと思う。幸いそれに長けているコネはある」
「なるほど・・・それならいいかもしれませんね」
そうと決まったらさっそく連絡しないと。今ならまだ反応してくれるだろう。急いで更識に電話をかけ、明日の対応をお願いする。
無理だったら?ステルス搭載のゴーレムたちで対応しよう。これでゆーくんが良くなることを信じるしかない
今日は束さんから外で気分を晴らすといいよ、と言われたので昼頃外に出ることにした。考えてみれば6日間ずっと束さんのラボに籠っていたわけだし、このままでは引きこもりニートもいいとこだ。
とでも理由を付けないと、活動しようとしか思えなくなってしまった。このままではよくないのに体も心も言うことを聞かない。外に出たいとも思わないが、束さんにそう言われては否定もできないので、何とかして外に出てみる。
久しぶりの太陽が自分の目に入ってきて、思わず手をかざす。日光が苦手なようにふるまう姿はまるでドラキュラだと苦笑している間に、瞳孔が調節されたため久しぶりに外の景色を見る
「・・・あれ?」
こんなにも世界に色がなかったか?
思わず声が漏れてしまった。ついに視覚もおかしくなったのか、それとももともとこんな世界だったのか。昔の白黒テレビのようで、色という概念が無くなったようだ・・・そんな感覚で灰色の空を眺めながら周りを見ると、ほかの人はそんな光景に気にすることなくそれぞれの目的のために歩んでいく。そうか、自分がおかしいだけか
自分だけ世界に取り残されたような感覚を抱きつつ、重い足取りで束さんのラボから離れていく。目的のない日帰り旅行を始めることにした
「やることがねえっての」
2時間そこら辺を歩いては見たものの、やりたいことが見つからず小さな公園のベンチに座る。そもそも休みの時にいつも何していたか記憶していない。それほど追い詰められているってのか
「・・・追い詰められているんだよなあ」
毎日毎日自問自答をする日々。一体自分にとって何が幸せなのかが分からなくなってきた。未来の子供たちが暮らしやすい世の中にしたいと思っていたが、果たしてそれは自身の幸せにつながるのか。そもそも自身の幸せとは何なのか。そんな目標を掲げたから一夏があんな目にあったのではないか。そもそも身近にいる人に迷惑をかけているのではないか。ただただ周りを不幸にしているのではないのか。
それに、自身のその目標が間違っていたとしたら・・・退学に追い込んだあの二人はそんな処分にされなくても良かったのではないか。自分の勝手な思い込みで二人の人生を壊したのではないか・・・
「・・・考えるな」
頭を振ってこれまでの考えを追い出そうとする。精神的に弱っているからそう思ってしまうだけだ。頭を押さえて深呼吸すること3回。落ち着かせようとして顔を上げ、ふと両手を見ると
血に濡れていた
「!?」
思わず二度見する。いつも通りの両手だ。外に出ていなかったためか少しだけ青白くなっているが、血に濡れてはいない。どうやら幻覚すら見るようになってきたとは・・・我ながら情けない
「歩こう・・・歩いて気分を紛らわそう」
そうでもしないと思考の沼に沈んでしまいそうだ。歩いていれば、少なくとも余計なことを考えなくて済む。これ以上考えると奴らの怨霊を見る羽目になりそうだ。
重い腰を上げ、再度当てのない旅を再開する。目標もなく、ただ彷徨う旅路を。
なんだかんだ時間は消費できたものの、時がたつほどに世界から色が消えているように感じた。引きこもっていたことが原因なのか、長時間歩き続けていたのが原因なのか、足に疲労がたまって大通りのベンチに座ったまま動けないでいた。周りは家族連れや学生同士、カップルたちが笑って自分の前を通り過ぎている。まるで自分に対して幸せをアピールしているようで・・・
「・・・落ち着け、被害妄想だ・・・」
分かっている。自分がこうなっているからそう思ってしまうのだろう。今日だけで何度目か忘れたが深呼吸をする。
それでも目の前の光景に耐え切れず、道路の反対側に目を向けると小学校低学年くらいの子たちが並んで歩いていた。向こうから歩いてきたということと、やや服が汚れていることから公園で遊んでいたのだろうか?今時そんな子供たちもいるのか、それとも自分が知らないだけか、そんなことを思いつつ眺めていると一人が何かに気づいて道路を横切ろうとした
少年は友達と帰路についていた。昼から友達の家に行ってゲームをしたり、外に出て公園で遊んだりと楽しい一日を過ごしていた。明日は明日で楽しい小学校がある、算数とか座学はつまらないが、たくさんの友達と遊べる日が始まる。そう思っていたためか浮き足が立っていた。
そんな中で道路の反対側を見ると、彼の母親がいることに気づく。彼女は日用品が切れたことに気づいてそれを買って帰る時だった。それを見つけた少年は母親のところに行こうと一直線で彼女のところに向かっていった
トラックが来ていることも気づかずに
マズイマスイマズイ!!!
あの子、絶対にトラックが来ていることを知らない!このままでは轢かれてしまう!!反射的に立ち上がって、その少年のところに向かおうとして・・・倒れてしまう。今日の
「動け・・・!」
母親が少年とトラックの存在に気づいて悲鳴が上がる。トラックも少しスピード違反していたのか急ブレーキをするも少年の前では止まらないだろう。少年は急ブレーキの音で反射的なのか本能的なのか足がすくんで立ち止まってしまう
このままでは命がない!
「動け・・・!!」
動いてくれ!けど今走ったところであの子のところまで間に合う距離じゃない!!指をくわえて事故を眺めるしかないのか!
ハッと気づく。一つだけ。
「答えてくれ!!スクーロ!!!」
母親は泣いた。息子が今トラックに轢かれてしまうのを見るしかないことに。
観衆は目をつぶった。少年が物言わぬ肉塊になるのを見たくないために。
運転手は悟った。この少年を殺めてしまうことに。
誰もがそれを悟って、受け入れるしかなかった。
ブレーキの音が止み、トラックは静止する。幸い後続車がいなかったため、玉突き事故の二次被害は出なかった。あたりに静寂が侵略する。後悔、嘆き、絶望の空気が漂い始めて・・・懐疑の空気が辺りを包む。
少年がいた場所に何もいなかったのだ。まるでその少年が初めからいなかったように。
トラックの方も何かをはねたような跡は無く、道路には血の一滴も流れていない。ではあの少年はどこに?ざわざわと騒がしくなって
「あっ・・・!あそこ!!」
観衆の一人が上を指さす。つられるように一人、また一人と上を見上げると・・・機械が空に漂っていた。いきなり現れた機械に人々が困惑すると、それはゆっくりと下降し地面に着く。その中には
「裕太!!」
轢かれそうになった少年がいることに気づいた母親が叫ぶ
き、危機一髪だった・・・
通行人に迷惑をかけないように少年のところに瞬間加速し、ISについている保護機能を使って少年を抱えたまま上に瞬間加速。腕の中には少年が驚いた顔でこちらを見ているから意識はあるようだ。保護機能が無ければ瞬間加速によってこの少年は良くて意識不明、悪ければミンチになっていただろう。初めてにしては上出来だ。
「駄目だろう。道路に飛び出しちゃ!お母さんにダメだって教えられなかった?」
「ご、ごめんなさい」
腕の中の少年は反省する。即座に謝れる子だから悪いことをしたと分かっただろう。親の教育もしっかり届いていてなにより
「もう一回お母さんに怒られるだろうから、しっかり反省してね。道路って意外と危ないから」
「うん、分かった」
「よし、いい子だ」
この子が怖がらないようにゆっくりと降り、母親らしき人の近くに着地。その子を開放する。多分この子の名前を叫んだあたり、母親で間違いないだろう。
「駄目じゃないの!!道路に飛び出しちゃ!!」
「ごめんなさい、お母さん」
「本当に・・・本当に心配したんだから!!」
抱きしめる母親を見て、いつもだったら負の感情が少し滲み出てくるものだが今回はそれが出てこない。それすらも感じなくなったのかと半分呆れつつ、自分も岐路に着こうとする。だが
「あの!息子を助けていただきありがとうございます!」
「俺も助かったよ。危うくこの子を轢きそうになったのだからよ」
母親と運転手にお礼を言われ、なんて言葉を返すべきか迷っていると
「もしかして君、遠藤雪広君!?」
「え!?何故わかったんですか?」
「いや、君が纏っているそれ、ISだろう?」
そうか、ISを纏える男って珍しいのだったな。IS学園で生活していたから稀有な存在なのだと改めて実感する。隠す気もないので正直に正体を明かす
「はい。自分は遠藤雪広。世界で3番目の男性IS操縦者です」
「マジか!こんな有名人に助けられるなんて、俺一生分の運使い切ったかも!!」
「しかも子供を助けてくれるなんて・・・神はいるのね!!」
んな大げさな。それに神がいるんだったら邪神しかいないだろう。大の大人がそんなはしゃがないでくれと思っていると、足辺りに感触が。見ると先ほどの子供がぺちぺち叩いていた
「どうした、坊や?」
「お兄ちゃん。僕を助けてくれてありがとう」
本人にそう言われ、今更ながら助けた実感がわく。自分の心を知ってか知らずか、その子は興奮気味にしゃべり続ける
「お兄ちゃんのそれ、かっこいいよ!正義のヒーローみたい!」
「・・・え?」
正義?自分が?ただ人に迷惑をかけ、二人の人生を滅ぼした自分が?
なおもその子は口を開く
「僕のピンチを救ってくれたお兄ちゃんは僕を助けてくれた正義のヒーローだよ!」
「・・・」
そっか・・・助けることができたんだ。未来がある子供を、この手で。救える命を救えたんだ、この手で。壊すしかできなかった自分が守れたんだ。
そうだ。自分の夢は『未来の子供たちが過ごしやすい社会を作る』んだ。今助けた子たちが笑っていられるような社会にしたいんだ。本当は間違っていることなのかもしれない。都合よく解釈をしているかもしれない。でも、この子の言葉で・・・今までが救われている気がしてならないんだ。
「お兄ちゃん、どうして泣いてるの?」
「え・・・?」
思わず目に手を触れると濡れた感触が。言われるまで泣いていることに気づかなかった。涙を止めようとしても思わず溢れてしまう
「どこか痛いの?大丈夫?」
「大丈夫だよ。それよりも」
ISに乗りながらも、自分は男の子を優しく抱きしめる。この子のやさしさが、ぬくもりが自分に憑いていた物を洗い流すように感じる
「ありがとう・・・本当にありがとう・・・」
救ったのに、自分が一番救われた。心からそう思って抱きしめていた。
プライベートでたまたまいたということにしてもらい、ひとしきりお礼を言われて解放された後に帰路につく。今日嫌というほど見てきた幻影も、血に染まった手も、キツネにつままれたかのように全く見ることなくまっすぐ帰る。曲がり角を曲がってふと空を見上げると
「おお・・・!」
辺り一面綺麗な紅が目に飛び込んでくる。思えばこんな夕日を眺めることは無かった。これほどまで夕日が美しいと思った日はこれからあるだろうか?誰もいないこの場、自分だけがこの景色を独り占めしていいのかと贅沢な罪悪感に包まれる。誰かに伝えたい、この景色を。
その時に携帯が振動する。誰からかと思って確認すると一夏からだった。
「もしもし、一夏か?」
『あ、ああ。兄さん・・・どう?調子は?兄さん、最近反応なかったから、心配で』
そう言われれば、ここ2,3日精神的にやられててまともに携帯を開いていなかった。反応が無くなれば心配するだろう。電話の向こうではいつもの
「そうだな、立ち直りかけ・・・ってとこかな」
『そ、そうか!そうかそうか!!』
大丈夫とは言わない。だってまだ完調ってわけではないし、これまでそう言ってごまかしていたから。でも今日だけで大きく前進はできた。一夏も伝わったようで安心したように声が大きくなる
するとガタガタと音がしてみんなの声が聞こえる
『雪広!5教科のノートは僕が携帯に送るからね!』
『ISの実習は私がまとめておくから!』
『無理するんじゃないわよ!』
「皆・・・ありがとう」
愛されてるんだな、そう思って見上げた夕日は一段と柔らかだった。
そして時は流れ・・・期末試験当日。
ヒロインほとんど関わらないのかよ、書いててそう思いました