山姥切の写し(特)と星降らしの槍。山姥切国広とその本科の話。以下五十八字略さん配属直後の話だけど以下五十八字略さん本刃は背景程度にしか出ない。
監査官、山姥切長義の本丸配属が通達されたのは、もう日も落ちかけ、夕焼けに藤色の薄雲が漂う空の下だった。認識阻害術式の組まれていたらしいフード付きマントの下からは、銀の髪に呉須色の瞳を持つ美しい青年の姿が現れた。
審神者執務室で行われた再顕現よりも早く、幾振りかの下に屋根裏を伝って短刀が情報を広めに行った。真っ先に向かった先は、その日の食事の責任者や各部隊の隊長、長船派である燭台切光忠と大般若長光、偶々道中にいた尾張徳川家所縁の刀剣(後藤藤四郎と物吉貞宗はそのまま連絡係になった)が四振り、そして山姥切国広。
国広の刀は初め、雷に打たれた様な表情で辛うじて頷く他に何もできなかった。山姥切長義。本科、山姥切。磨り上げ無銘
「国広、居るか?」
主が夕食後に会いたいと言っている。混乱から立ち直りきれない国広の元にそう伝えに来たのは、栃色の髪をしたジャージ姿の槍だった。彼は要件を伝えても立ち去らず、部屋に入って来たばかりか、無駄に(としか国広には思えなかった)大きい手で被った布ごとわしゃわしゃと国広の金髪を掻き回した。
「止めろ、おい、聞いているのか御手杵!」
「あーうん聞いてる聞いてる」
これは絶対に聞いていない、少なくとも聞く気はない。そう判断した国広だったが、極刀ならいざ知らず、特付きの練度上限同士では座ったままの打刀の膂力では立っている槍にはどうやったところで敵うものではない。
数秒待ってからこれ見よがしに嘆息してやれば、漸く頭から手が離れた。
「んで、そんなに苦手なのか?今度の新入り」
「誰だか聞いていないのか……!?」
知り合いか?とかなんとか言い出した御手杵に、取り繕うとか声を抑えるとかそういうことがまるごと頭から抜け落ちるくらい、国広は驚愕した。
「新入りは例の監査官。作者は長船の長義で号を山姥切──つまるところ、本科だ」
国広が誇るのは基本的に、物理的にそこにある刀としての出来であって、霊刀としての力ではない。だから山姥切国広は顔を隠す。山姥切長義と比べられることのないように。山姥切と呼ばれないように。ただ、そこにある鋼と、切り捨てられた肉だけが目に入るように。それだけでよかった。言葉で物語る必要などない。ただよく切れる鋼であることさえ知らしめられるのであれば、それで。
「コピーでいい、俺の物語を作れ、とソハヤノツルキに言われたことがある」
真白い布(脇差の兄弟刀との話し合いの結果、不衛生なので食事と治療の際はきちんと洗濯されたものを使うことになった)を一層目深に被り、視線を彷徨わせて畳の目を数えながら国広は言った。
「だが、俺は……」
物語。物が語る、自身の話。だが、山姥切長義の写しは国広第一の傑作ではあるものの、東照権現の墓所番を任される様な真正の霊刀と比べられる様なものではないのだ、と国広自身は思っている。
「俺はどうすればいい……どうすれば、よかったんだ」
自分はコピーなどという軽い言葉で表されるものではない。刀工堀川国広は、その長義の刀とそっくり其の儘の刀を造ろうとはしなかった。魂を削ってでも生涯の一振りを打ち上げる、その熱と執念と誇りの中で自分という存在が産声を上げたのを、微かに、しかし確かに覚えていた。
けれど、どうしたところで負い目はある。自分のことを山姥切と呼ぶ刀があるからだ。彼らにとっての「国広」は山姥切国広ではなかった。それだけのことだが、彼に山姥を切った覚えがない以上、それは詐称である様な気がしている。だからずっと、言い続けた。自分は霊刀ではない、山姥など切っていない、この鋼の他に語るべきことなど何もない、と。
「……分かんねえよ。俺がずっと
むしろ自分自身に言い聞かせるように御手杵が紡いだその言葉が、何を意味するのか国広には分からない。
「けど、これだけは言える」
がしっと手首を覆った掌は国広のそれよりもふた回りも大きくて、この男が規格外の大身槍であることを思い出した。
「国広、九州日向住国広作の銘持つ刀。あんたは、あんただけで、十分に本当だ」
国広第一の傑作。あやかし切りの写し刀。そのどちらがと言われれば、彼にとっては前者が
その国広には山姥切の号など、山姥切に似た顔など、あるいは余分でしかなかった。「山姥切」としては偽物と言われても仕方がないと、そう思わなかったと言えば嘘になる。だがそれでも、自分の全てが偽物であるはずはない。ここにある
「たとえ山姥切長義がなければお前が存在しなかったとしても、そんなことは他のやつだって同じだ。三日月宗近が、小烏丸がなかったらここの連中のどれだけが存在した?」
「……あんたはありそうだけどな」
「混ぜ返すなよ……別に三日月宗近じゃなくても、静型薙刀でもなんでもいいんだから……」
だが、それでも、山姥切国広は写し刀だ。山姥切長義の、写し刀だ。それははじめから覆しようのない事実だった。たとえ彼の父はそっくり同じに写し取ろうとしたわけでなくとも、山姥切国広にしても覆すつもりもない、事実ではあった。
「それでも……俺はあいつの写しだ。……きっと、あいつが先にいるべきだった」
「それは……」
それはだめだ、とは御手杵は言えなかった。そうであったとしたら余計に恐ろしいと思いはしたが、それなら少なくとも、誰にとっても長義の方が「山姥切」であったことは確かだ。
聚楽第に北条氏政がいる。そうなれば、一体何が起きるのか。その話は本丸中でなされていた。その中で。ひょっとしたら、あの放棄世界の山姥切長義は無銘のままなのではないか。あの世界は、間に合わなかった池田屋なのではないか。誰かがそう言うのを聞いた。それなら自分は、由縁なき無銘刀の号を簒奪したことになるのか。
「そうすればあいつも『山姥切国広の本科』などとは決して呼ばれなかっただろうに」
山姥切国広は傑作であった。素晴らしい刀だ。だがそれ故。彼に写しである事実が付き纏うと同時に、あの長義の刀には彼の本科であるという情報が付き纏っている。
数十秒の沈黙の後、藍に染まっていく西陽の中で、先に口を開いたのは御手杵の方だった。
「……腹減ったな」
「……ああ、そうだな」