「さて、これからだ」
引っ越しが終わり、業者の方達が離れていくのを見送った後残された荷物を見ながら、
少し前までは何もない綺麗な部屋だったが、今は持ち込まれた荷物が置かれ段ボールの幾つも置かれていた。
一人暮らしとなり、おしゃれな部屋を夢見ていた霧島だったが段ボールの中を広げた場合を考えると、どんなに整頓してもおしゃれな部屋になるとは思え無かったが、もしかしたら……と淡い期待を持って、荷解きを始めた。
「よし。 まぁまぁだろ」
自分に出来るだけの努力を行い、荷物を片付けた霧島は部屋を見渡し、満足そうに言った。作業用の机に置かれたデスクトップPCは既に起動しており、本体のファンが回っている。
仕事道具であるPCも問題なく動いている様で、一安心した霧島は空腹を思い出した。
「何か、軽いものでも食べようか」
引っ越し祝いとして友人と夕食を食べる約束があったが、約束まで時間があったこともあり、何か買うついでに辺りを見て回るのも良いだろうと考え、財布を持って出かける。
霧島が引っ越した場所は、商店街の近くだった。
夕飯の買い物をしているらしい人や、学校帰りに買い食いをしている人で賑わいを見せている。霧島にとって、それは驚愕すべき事だ。
九州の田舎に住んでいた霧島にとって、商店街はガラガラの空きスペースしかなく所々頑張っている店があるが、大手のチェーン店に人が取られ人もいなければ活気も無いものだったからだ。
「わ、ごめん」
「あ、落ちた~」
きょろきょろと辺りを見ながら歩いていた性だろう、霧島は学校帰りの制服姿の少女にぶつかってしまった。
ぶつかったといっても、軽いもので彼女には怪我は無いようだったが、その拍子に少女が持っていた紙袋から何かが落ちた。ビニールに入ったそれに慌てて手を伸ばし、キャッチした霧島だったが
「ごめん。これ……」
申し訳なさそうに、そう言って掴んだ物をを少女に見せる霧島。ビニール袋の中身はパンだったが、慌てて取った時、強く掴んでしまった為、ビニール袋の中のパンはいくつか形が崩れてしまっていた。
「ありがとうございま~す」
気まずい空気が流れると考えていた霧島だったが、素っ気ない態度でそう言われ、少女は離れて行く。
「やまぶきベーカリー?」
去っていく少女を見て、こういった時どういう行動をするべきだったか、考えながら手に持ったパンを見る霧島。ビニールに書いてある店の名前の読んで、取りあえずはそこに行く事にした。
少し歩いた先に目的の店が見えた。近づくと、食欲を刺激する香ばしいパンの香りがする。ただでさえ空腹の腹に、パン香りはあまりにも魅力的で、口に唾液が溜まる。
ゴクッ
唾液を飲み込み、店に入ると元気な声が霧島を出迎えた。
「いらっしゃいませー」
様々なパンが置かれていた。学校帰りの学生を対象にしているのか、焼きたてと書かれたパンも多くあり、どれを食べようか迷う。
「すみません。ここのオススメってありますか?」
霧島は、取りあえず店員さんに聞くことにした。
あまりそういった事をしない彼だったが、近くに住むことになり、今後も会う機会があるだろうと、親しくなるきっかけにでもなればと考えたのだ。しかし、言った相手を見て、しまったと思った。店員は若い少女だったからだ。これではただのナンパだ。
「あ、初めての人ですね。」
霧島の不安は空回りをした。店員が純粋な笑顔で対応をしたからだ。これが作り笑いなら、人間不信になる。と、霧島は思うそんな笑顔だった。
「はい、今日引っ越してきたんです。落ち着いてたら、お腹が空いてしまって……」
「全部オススメだよ!」
突然会話に入ってきたのは、猫の様な髪型をした少女だった。
「えっと」
どうしていいか分からず困惑する霧島を見て、笑みを浮かべる店員。
「あはは。香澄、いきなりはこの人もびっくりするでしょ?」
やんわりと猫髪を落ち着かせる店員に対して、助かったと視線で伝える霧島。店員もすみませんと、視線で答えてきた。
「さぁや~」
店員に抱き着く猫髪の少女を見ながら、家を出てから時間がたっている事に気づく。
「すみません。この後約束があるで……」
そう、言い残してパン屋を後にする霧島だった。
友人と食事をとり、家に帰った霧島は鞄に入れていたパンの事を思い出した。
ぶつかった少女に渡すことも出来ず、一応鞄に入れたパンだったが、食べ物であるため返すという事も出来ない。
だったら、食べてもいいかな。
そう、自分で納得し霧島は台所から皿を持って来てパンの袋を開けた。
バターの香りが夕食を楽しんだ後であるにも関わらず、食欲を刺激した。
袋の中身は、ミニクロワッサンだ。潰れてしまったものもあり、崩れたクロワッサンの表面が袋の中で集まっていた。もったいなく感じてしまうのは、彼が貧乏性だからだろうか。
一つ一つ皿に並べていく。
形がいいものを四つと、崩れたもの一つの合計五つを皿に置き終え、さっそく一つを優しくつかむ。
やまぶきベーカリーのミニクロワッサンは、霧島が今まで出会ったどのクロワッサンよりも崩れやすかった。そのため、潰してしまわないように優しくする必要を感じた。
触っただけで、パリッっと、音が聞こえるようだった。
崩れた表面をこぼさないように、皿をの上で口から食べに行く事にした。顔がミニクロワッサンに近づいたことによって、先ほどより強くバターの香りが鼻に届く。
もう、我慢が出来ない! 霧島は、形が崩れる事もお構え無しにかぶりついた。
表面がサクサクと音を出し崩れ、皿に落ちていく。口に入っていた部分は、口いっぱいに崩れ広がり、バターの効いた丁度良い甘さを優しく伝えた。
表面とは違い、中身は柔らかくふわふわとした食感の中身が口の中でほどけいく。
最初の一つを二口で食べ終え、二つ目からは一口で口に放りこんだ。
五つのパンを食べ終えるのは、あっという間だった。
夕食を満足するほど食べていたというのに、霧島は空腹の限界が来ていたかのように身にミニクロワッサンを食べていた。皿と袋に残った崩れた部分を食べようか本気で考えたが、流石に品がないと思い、諦める。
「美味かった」
朗らかに言った霧島は、友人と食べた夕食の味など覚えていなかった。