SAObr - System Artificial Operation by reincarnation - 作:くく
ここから本格的に主人公が攻略に関わっていく予定です、よろしくお願いします。
――澄んだ、空気の匂い。
微かに響く機械の音は、始終つけているエアコンの音だろう。鈍い音が耳に響くのと同時に、意識は段々と覚醒してくる。
ゆっくりと目を開けば、ひたすらにそこは薄暗く、視線だけ左右に動かしても部屋の中を伺うのは難しそうだ。
身体をゆっくりと起こす。みし、みしと筋肉が軋むような痛みを与えてくる。微かに顔を顰める程度でそれを耐えながら起こしきれば、頭にぴたりとハマっているヘルメットのような物を外すために顎にあるハーネスをカチリと外す。ふわりと、外したことで広がる髪の毛の長さがそろそろ肩につきそうだと気付く。前髪も大分伸びて視界に多大な邪魔を与えていた。喉が渇き、張り付いたような痛みがある。声を出そうにもヒュ、と掠れたような音の後には痛みで上手く出せそうにもない。
密度の高いジェル素材が使用されたベッドの傍らにある小さな冷蔵庫へと手を伸ばす。右開きのその扉を開き、一番手前にあるミネラルウォーターを手に取る。目的の物を手に入れれば、もう用はないというようにやや乱暴めに扉を閉めようとするも、あまり力は伝達されずゆっくりと何とか閉まりきった。少し手間取りながらも、ペットボトルの蓋を開けることに成功すれば、その中の水をゆっくりと喉に流し込む。冷たい物が喉を刺激し、飲み込むように動けばチリチリとした痛みを与えてくる。
痛み、というものが存在する。
「……髪、いい加減切るか」
クリスマスが終わり、周りはもう年越しブームで年末の休みのせいか、外を歩く人は一段と多い。
深く被った黒のキャップに寒さを凌ぐためとぐるりと巻いた暗めのカーキ色のマフラー、グレーのチェスターコートを羽織り、黒の皮手袋をした手はコートのポケットに突っ込む。大きな流れを生み出している人の流れを縫うように目的の場所へと歩んでいく。交差点の先の信号が赤く光っているのが視界に入り、歩みを止めた。
ざわざわと特有の喧騒が耳に入る。遠くから聞こえるクラクションの音、反対側の横断歩道が青であることを知らせる音、人の、声。
『あの茅場晶彦が開発したゲームによって、約一万人がゲームの中に囚われの身となってしまった事件から、一年以上が経過し、二度目の年末を迎えます』
大きなモニターから聞こえる声。何かの特番だろうか。引っ張られるように視線をそちらに向ければ、何人かの大人が、半円になるようなテーブルに沿って椅子に腰を掛け、話し合うように言葉を交わし合っている。
『彼――茅場 晶彦もまだ見つかってないとの情報です』
『しかし、一年も経って現状が何も変わらないとは……警察の方も何をやっているんでしょうね』
気付いたら信号は青に変わっていた。少し出遅れつつも歩き出す。特に結論が出ない言葉のやり取りを左耳から右耳に流すように聞きながら、俺は歩く、歩いていく。
そしてやがて、目当ての店の前に辿りつけば、カランカランと音を立てながら、その扉を押すようにして開いた。
「はい、いらっしゃいませー」
「……あの、十一時から予約していた者ですが」
「あっ、はいお待ちしておりました、こちらにどうぞー」
年末にも関わらず営業していた美容室の一席に腰を掛ければ、深く被っていたキャップとマフラー、コートを脱ぎ手を差し出してくる店員に預ける。
「綺麗な色ですね、自前ですか?」
「……ええ、まぁ」
指先が髪を梳くように滑っていく。少しずつ身体の強張りが抜けていき、三十分後には煩わしいと思っていた長さの髪たちの面影はなく、さっぱりとした印象を与えていた。
軽く頭を振るようにして、長さを確かめこれでいいかと確認を取ってきた美容師に頷いて返事をする。
「……ここの店長は今日はお休みですか?」
「え?」
「あ、いや……かなり以前に一度ここに来た事あって」
「あ、そうなんですか?店長はちょっとお休み中なんですよ」
「……そうなんですね」
「帰って来れればいいんですけどねぇ……っと、いけないいけない」
笑って誤魔化そうとするのに、つられるように何も気付いて無いと言わんばかりの笑みを返す。徐に立ち上がり、会計をお願いすればやや慌てたようにレジの方に向かう背中を見届ける。
典型的な礼の言葉を背に店の扉を開けばまた、思わず肩を竦めそうになるほどの冷たい風が顔を打ち、軽く目を瞑った。
癖のようにポケットに突っ込んだままの端末を取り出すも、その画面が真っ暗なことに気付いてそのままポケットに戻す。電源は、まだ入れられないんだった。誰に見られたわけでもないのに、ちょっと気恥ずかしさを隠すように頬を指先で掻いた。
そのまま、次の目的地へ向かうようにまた人の波に紛れていく。
指を、滑らせる。
同時に展開する画面は三つほど。順に試行され、エラーが起きる。その部分を抜き取り、修正を施す。繰り返す、何回も、何回も。ある程度修正が終われば、次の展開を指示するように用意していた新しいプログラムを起動するタグを作り出し、繋ぎ合わせる。そして、一つにする。間違いなど起こさないように、何度も繰り返す、何度も。
気付けば、タイムアップを知らせるアラームの音が鳴っていた。電波を妨害させる機械を使うことでどうにか起動出来た端末が鳴り響いている。画面に写る時間は、外を出てからそろそろ八時間を経とうとしていた。
片手で端末を手に取り、慣れた様子でタップしアラームを止めてそのまま電源を落とす。目の前のデータ達も全てバックアップを取り、データを大容量のUSBに落とし込んで電源を切った。辺りを見渡し、忘れ物がないことを確認した後、その場を後にする。
――年越しだし、蕎麦でも買って帰ろうかな。
道中のスーパーに寄ってある程度買い物を済ませる。レジを通して渡された袋に買った物たちを適当に放り込んでいれば、隣にいた女性二人の会話が軽く耳に入って来る。
「一年以上前に行方不明になった男の子、まだ見つかってないんですって」
「まだ中学生なんでしょう?可哀想に……」
「でも、一人暮らしさせていたんでしょう?捜索も打ち切られたって話みたいよ」
「まぁ、一年も経っていればねぇ……」
ぴく、と一瞬手が止まりそうになるのを無理矢理動かして、何事も無かったようにその二人の後ろを通り過ぎ、出口へ向かう。惣菜で買った天ぷらを蕎麦の上に乗っけて食べようと思いながら帰路につく。
季節のせいか日が沈むのは早く、辺りは大分暗い。寒さもさらに厳しく感じて、小さな声で寒い寒いと繰り返しながら急ぎ足で歩んでいく。
ふと、振り返るようにその喧騒を視界に入れた。
――そこは、相も変わらず灰色の世界だった。
「……へぇ……攻略にも年末休みなんてあるんだ」
「まぁ、去年は年末に第五層突破したんだけどな。今年は、次の攻略が第五十層で難関だろうから、その前に年末休みってことで一度身体を休めようってなったんだ」
愛剣である≪ウンディーネ+12≫を、手にある布で磨いていく。ベッドに腰を掛けながらホロ・ウインドウを開き、どうやらアイテム整理を行っている親友は、もう片方の手でこの第五十層の店で売っていたというよくわからない饅頭みたいなものを食べていた。
行儀が悪いぞ、と最初は言っていたが、生返事しか返さない彼に最早言葉も浮かばない。まぁどうせ食べカスが出るわけでもないのだからいいか、と気にしなくなったのは記憶の中でも大分古い出来事だ。
二〇二三年十二月二十八日。第五十層 アルゲード。
つい一昨日第四十九層が突破され、この第五十層が解放されたそこは、あまりに賑やかで多くの攻略組ではないプレイヤーも訪れていた。
この層の攻略には、酷く手間がかかるだろうと言うことは容易に想像できる。なんたって五層ごとに難易度が上がり、第二十五層は一種のターニングポイントと言えるほど桁違いな難易度の攻略となったことから、この第五十層の攻略もそうである可能性が高いのだ。一度経験してるからこそ、よりいっそう攻略組も慎重になっているようだ。
磨き終えた愛剣を鞘に納めては、キリトの買ってきたよくわからない饅頭をアイテムストレージから取り出し口にする。どちらかというと肉まんに近いような味がする。悪くないな、と思いながら咀嚼しつつ、彼の言葉に対して疑問を挙げる。
「で、攻略再開はいつからってなってんの?」
「一応一月四日から……」
「まじで年末年始の休みって感じだなぁ……」
つまり約一週間弱の休みというわけだ。攻略組も珍しくホワイト企業のようなことをしてくれるもんだと感心する。まぁ、かといって脱出不可能なこのデスゲームにおいて、帰省なんて言葉は無縁なため、この休みが意味があるのかどうかは些か疑問が残るところだが。
二つ目の饅頭を手に取って食べているキリトを横目に、ぼんやりと考える。
それは数日前の、それこそクリスマスのイベントボスを倒し終えた次の日の出来事だ。
目の前で嘆き、叫び、絶望していたキリトを黙って見ていた。その度に痛む胸に段々呼吸が苦しくなったのを覚えている。このままだと儚く消えてしまいそうな気がして、思わず手を伸ばしかけたものの、その手は彼から拒絶された。同時にその手が彼への心配だけではなく、自分自身の甘えからも来ていたことに気付いて酷く自己嫌悪したものだ。
原作から考えると、きっとその夜キリトの元へメッセージが贈られる。それで、彼は復帰する。わかっていたが、それでも俺の不安は消えず、朝訪れた時には本当に一人でフロアボスに挑むとか、そういう無茶をしようといなくなっているのではないか。そんな疑いから自分の取った部屋に戻れず、ひたすらにキリトのいる部屋の前に座り彼が出てくるのを待っていた。
まさか、そんな自分にもメッセージが贈られてくるとは思っていなかったが。
『……アルス』
『……キリト』
『その……ごめん。色々、心配かけて』
『……俺の方こそ、悪かった』
『……サチが、この世界の意味を見つけて欲しいって、さ。……だから、俺は生きようと思う』
『……』
『……それで、アルス。君にも一緒に来てほしい』
『……は』
『この半年、色々迷惑かけたとは思うけど……改めて、ちゃんとお前と向き合いたいんだ』
『キリト……』
『なんか、変な事言ってる気はするんだけど、その、ちゃんと、友達にならないか、俺達』
今思い出してみても、どう考えても、コミュ障レベルで言うと俺の方が格段に上だなと、思う。凄い情けなくて、恥ずかしいと思った。
でも、こちらこそよろしく、と手を差し出した時に浮かべてくれた笑顔を思い出せば、そんなのことも気にならなくなってしまった。キリトの笑顔って、相当レアな気がするし、何よりこのソードアート・オンラインの時のキリトは十四歳の容姿でとても中性的だ。そんな彼の笑顔ってこう、一言でいうと、可愛い。守りたい、この笑顔、とか思ってしまった。勿論、俺にその気は無い。断じて無い。
それから、クラインのところに行って、二人して謝ったら号泣された。蘇生アイテムは、クラインは返すと言っていたが、そのままクラインに持っててもらうことになった。きっと、彼ならそれを大切な仲間のために使ってくれると俺もキリトも思ったからだ。
そんなことがあってから、まだ三日しか経っていない。しかもキリトに至っては、次の日にはもうフロアボス攻略に参戦していた。
そんなキリトは一日一日確実に、以前の彼を取り戻し、穏やかにかつ、彼らしく戻ってきていると思う。
横目に見ていたことにやっと気付いたのか、「なんだよ……や、やらないぞ?」と手にある饅頭を隠そうとする素振りを見せるので要らないと即答する。
――俺は、どうなんだろうか。
誰にも訊けないそんな疑問が浮かぶ。キリトはきちんと前に進んでいる。俺も進もうとは思っている。でも、進めているのかがわからない。こういう気持ちの成長というのは、可視化出来ないからこそ不安になるものだ。
手にある饅頭の最後の一口を食べ終えて、癖のように口端を親指で拭いつつ、そんな不安から脱却するために、目に見えた成長をするために昨日から言おうと思っていた申し出を彼に告げようと口を開く。
「なぁ、キリト、お願いがあるんだけど」
「ん?」
「年末年始休みならさ、――俺とパーティー組んで、一緒に狩りに出ないか?」
イベントボスでも、連携も出来なくなっていた俺のその申し出に目を見開き、口をぽかんと開けて手にあった饅頭を落したキリトが、そこにはいた。