三年前の七月七日の夜。
全国一斉七夕デー。
夜の住宅街を徘徊する男と聞けば不審者を思い浮かべるだろう。
間違っていない。俺は今、高校生とか関係なしに不審者さながらな状態である。
ましてや十二歳の少女に声をかけるなど。
「おい!」
すたすた歩いていたそいつは俺に気付いて足を止めた。
そいつが振り向いて俺を見上げると、まさしく不審者を見たような表情に変化した。
「……あんたあたしのストーカーなの?」
「お前に話したいことがあって来ただけだ」
「今は夏でしょ。どうしてマフラーなんかしてんのよ」
「オレは異世界人だと言っただろ。さっきまでいた世界が冬でな」
その割りに上はシャツだけだという突っ込みは勘弁してほしい。
でもって俺が話しかけている相手は中学一年生の涼宮ハルヒだ。
今思えばこの頃のこいつはバイオレンスじゃなかった方だな。
ちなみにマフラーは顔の鼻から下を覆うように巻いている。息苦しい。
これで変装になればいいんだがな。
「お前、普通で退屈な世界にうんざりしてるんだろ?」
「そうよ。……何、もしかしてあんた異世界に連れてってくれんの!?」
キラキラした眼差しで今にも飛びつきそうに言う中坊涼宮。
異世界人というのは嘘も方便みたいなものだということは内緒だ。
「残念ながらそれは無理だ」
「どうしてよ!」
「オレはこう、病気みたいなもんのせいで異世界に飛ばされ続けてるんだ……異世界漂流症候群って名前の症状だ」
「ふーん。じゃさっきの未来人の人は? あの人も北高の制服着てたじゃない」
朝比奈の顔はしっかり覚えていなかったようだが彼女がセーラー服を着てたことぐらいは認識していたらしい。
中々目ざとい女である。
「たまたま遭遇しただけだ。実を言うと始末した」
「異世界人と未来人って敵対してるの?」
「さあな。オレは個人だからよくわからねえな。未来人は何人かいるみたいだが」
とはいえ俺が会ったのは朝比奈と大人朝比奈だけであり同一人物なのだが。
ま、こいつの中で亡き者になっていた方が余計な詮索もしないだろう。
物騒な話だと察したのかこれ以上の追求はなかった。
「で、話ってなんなのよ」
「お前、進学先を考えたことはあるか?」
「は? あたしまだ中一だけど」
「それがどうした。意識の高い連中はこの頃から基礎を固めているもんだぜ」
俺の仕事というのはべつに特別なものではなかった。
聞けば、涼宮が光陽園学院に進学したのは教師の奨めがあったからだ。
「……北高はな、面白いぞ。実を言うとオレは隣町の某校に通っていた過去があるんだが」
隣町の高校を具体的に聞かれたので俺はどこか教えてやった。
もっともこいつには関係のない話だが。
「進学校じゃないの。あんた頭いいの?」
「人並みだ。んで、北高生になったのは山のように高くて谷のように深い理由があるんだがお前に言ってもわからないだろうから遠慮しよう」
「ま、馬鹿は見てて面白いってことよね。同意するわ」
そういうことではないんだがな。
やはり北高が馬鹿のメッカみたいな認識らしい。
「パワースポット? 地脈っつうのか? なんかわからんが北高は凄い。うん、マーベラスでグレートな場所だ」
「意味わかんないわよ」
「とにかく――」
とてもシンプルな話だ。
こいつを北高に行かせるのが俺の仕事らしい。
「――世界を大いに盛り上げるのはな、お前の仕事なんだ」
普通かどうかってのはさておき、退屈じゃなくなるのは簡単なことだ。
事実、涼宮はすっかり楽しそうな顔ばかりするようになってたさ。
それだけ言うと俺はきびすを返し始める。
「時間だ。そろそろ次の世界に飛ばされるようだな」
「ねえ、あんたとまた会えるかしら……?」
もちろんだ。
「オレの名前はジョン・ドゥ。もうしばらくは北高生を続けなきゃいけない……らしいぜ」
はぁ、ようやくマフラーを外せる。
――夢、だったのか。
もしかしなくても幻と考えるのが正解かもしれないが、俺は様々なことを思い浮かべていた。
その中には学校生活だけではなく、家族のことも含まれていたのだろう。
だが、何より考えなきゃいけないのは俺の行動であり、選択であった。
大人朝比奈に指摘されるまでもなく俺はこちらの世界を選んだのだ。
「……」
選ぶまでもないさ。一択だ。
だからこそ俺は俺に対して結論を出さなければならない。
俺の覚悟を再三決めなければならないのだ。
――お前がこの世界を選んだ理由は何だ?
非日常的な学園生活か、それとも、自分に都合よく好いてくれている涼宮ハルヒか。
いいや、後者ではあるが『都合よく好いてくれている』ってのは少しばかり違うね。
そんなくだらない前提はいつでもいくらでも覆しちまえるんだ。
涼宮に異世界人のことを、本当のことを教えればいいだけなのだから。
彼女と約束したってのも自分の行動を正当化するための免罪符に過ぎない。
もっと簡単な話だ。宇宙人未来人超能力者、そして神のような力も関係ない。
――髪の長くない涼宮も、かわいい。
それだけだ。
笑いたきゃ笑えよ。
「……ん」
意識が断絶し、闇に囚われていた俺の世界に再び光が訪れた。
目を開いて最初に飛び込んでくるのは白い天井に、蛍光灯に、右を向けばオレンジ色の光。
ここは、どこで、いつなんだ。
「……どうやらようやっとお目覚めのようですね」
左側からそんな声が聞こえた。
男の声だ。聞き覚えがある。
「お早うございます。僕が誰だかわかりますか?」
「……古泉、一樹」
「ええ正解です」
彼は俺から少し距離を空けて椅子に腰かけており、手に果物ナイフを持ちシャリシャリとリンゴの皮を剥いている。
周囲を見回し、そして俺の身体も見るとどうやら俺はベッドの上で寝かしつけられている状態らしい。
左腕には点滴が刺さっており、チューブがくっついている。
「病院か……?」
「はいそうです。いや、我々も困り果てていたところでして。とにかくあなたが目を覚ましてくれたのが何よりですよ。本当に喜ばしい限りです」
「ずいぶん上等な個室らしいな……」
「私立の総合病院ですから」
北高のブレザーに身を包む古泉は少なくともあの世界の古泉とは別人のようだった。
表向きは古泉の知り合いのつてでこの病室を割り当てた、とのことだが実際には『機関』の力が働いているらしい。
俺の家は特別貧乏でもないのだがお金持ちだって言えるほど裕福な家庭でもない。
広々として、ふかふかそうな椅子にアンティークなサイドテーブルまで用意されてる個室の本来の値段など知りたくもない。
窓ガラスから差し込む光は夕焼け色。時刻は夕方らしい。
「どうしてこうなった? いや、今はいつだ」
「流石に記憶の前後関係が消失しているようですね。脳機能に異常は見られないとのことですが、往々にして頭部への強い衝撃は記憶のごく一部を消したりもしてしまいます」
「……説明しろ」
物騒な単語が飛び交うことに若干の不安を覚えつつも古泉は説明を開始した。
いや、話を聞いていくうちに俺は徐々に思い出したのだ。
朝倉涼子にのされたこと、そして。
「トナカイの着ぐるみの材料を買い出しに行った……」
「そうです。その際、あなたは階段から転げ落ちてしまい頭をひどく打ち付けたのです。いや、あの光景を思い出すだけで背筋が凍り付きますね」
十八日の、俺がこの世界にいたという記憶。
俺はあの世界で過ごした記憶も持ち合わせている。
何があったんだ。
「それから三日間、今の今まであなたはぐっすり眠っていたわけですよ。医者が言うにはどうして眠っているかもわからない状態だそうで」
つまり十八日から三日後の現在は十二月の二十一日らしい。
古泉が『機関』の上層部にこっ酷く叱られたとか朝比奈が泣いてわめいていたとか冷静に救急車を要請した長門とか、そんな話はとにかく。
「……涼宮は?」
「それは、本人の口から聞いてください」
だろうな。
「古泉、少し出てってくれ。数分だけでいいぜ」
「承知しました」
テーブルにナイフを置き、皿には丸裸にされたリンゴ。
古泉は笑顔で会釈すると病室を出て行った。
「……やれやれって感じだな」
右手にも左腕にも切られたり刺されたりしたような傷はなかった。
おそらく右ひざも健在だろう。何がどうなったのかは、不明だ。
だが。
「……すぅ……すぅ」
俺のベッドの右横。
壁とベッドの隙間にミノムシみたいに寝袋にくるまって寝ている女がいた。
「おいおい……」
リボンカチューシャを外せよ。つけたまま寝ていたのかこいつは。
とにかく、ベッドに座った体制のままそいつの露出している顔へと手を伸ばす。
彼女の前髪をはらりと指先で撫ぜる。
「……」
まったく、俺が起きたのにお前だけ寝てるってか。
いや、三日もこいつは泊りがけで待機していたとか古泉が言うからな。
悪いのは俺の方ってことでいいさ。
「起きろ、涼宮」
「……すぅ……ん、んっぐ」
パチリと目を開けた彼女。
俺と視線が合う。
涼宮はわなわなと唇を震わせて。
「……あ、あんた」
「遅かったじゃあないか」
「どっちの台詞よ!」
目覚めていきなり大きな声を出せるこいつは声のお仕事なんかもできるかもしれない。
喉が閉じているという状態は彼女に存在しないのだろうか。
せっせと寝袋から脱出して立ち上がる涼宮。光陽園学院の黒ブレザーではなく北高のセーラー服だ。
さてどんな文句を言われるのやらと構えていると彼女の表情は少し変だった。
「夢……あたし、夢を見てたわ」
「どんな夢だ?」
「中学の時、あんたに会った夢」
思わずどきりとした。バレてるじゃねえか。
だが俺の心配は的外れなものだった。
「あたしとあんたは同じクラスなの」
「え……」
「おかしいよね。あんたとは違う中学なのに。夢の中では同じ中学だった」
そうだ。この世界での俺は東中出身ではないらしい。
国木田と同じ某中学校だとか。
「しかも、中学を卒業した次の日にあんたは死んじゃうのよ……」
まさか。
こいつは。
「なあ、涼宮」
「なによ」
「オレの名前を呼んでくれないか?」
「……キョン」
違う。
そうじゃない。
「オレの、名前だ」
「……」
よくある言葉だが"人間は社会の歯車"という言葉がある。
歯車とはすなわち大きな何かの構成要素であり人間は社会の部品だということだ。
そして歯車は取り換えの利く存在。欠けた穴は代用品が埋める。
「 」
違う。問題は別にあるだろ。
自分が歯車だとして、大きいか小さいかなんてことが大事ではない。
動かされているのか動かしているのか。それだけの意識の差なんだ。
何より歯車で悪いところがどこにあるのか。俺に教えてくれ。
「大正解だぜ、ハルヒ」
涼宮ハルヒには願望を実現するとかいう神のような力があるらしい。
もしかしたら俺がいた世界の彼女にもそれはあったのかもしれない。
だが、そんなものよりもずっともっと強力な力を彼女は持っている。
誰もが羨む、そんな力だ。単純であり強力な力だ。
「あのさ、まずあたしに言うことがあるんじゃないの?」
「そうだな」
何かって?
そりゃ。
「おはよう」
「いつも通りの寝坊野郎ね」
にかっと笑うこいつの笑顔を見ればわかるだろ。
俺はそれにやられちまったのさ。
「……おはよ。もう夕方だけど」
"魅力"に決まってる。
さてさてこれにて一件落着、とまではいかなかった。
即日退院できるほど話はそうスムーズにはいかない。
医師との問診や検査を受けてそれから更に追加で一日を様子見として入院することになっている。
問題がなければ明日の午後には帰れるらしいが俺は病院にいて楽しいとは思えない人種だ。
病院ってのはなんというか、こう、時間を忘れさせる空気というか造りになっているだろ。
それが嫌いなんだ。嫌いでしょうがない。
「……」
あれから少しして俺の病室に朝比奈が古泉と一緒にやってきた。
朝比奈はわんわん泣きじゃくっていた。本当に俺が目覚めないもんだとも思ったらしい。
この日ばかりは古泉の笑顔も営業スマイルじゃないと思えた。
ハルヒいわく俺は三日分の報酬を彼女に支払わなければならないのだが。
「……」
まあ、それはもう少し後に話そう。
SOS団三人と入れ替わるように母さんと妹も病室にやってきてくれたが、これは本当に些細な話である。
もちろん健康が一番だということは今更語るまでもないのさ。
「……なあ、お前はどう思う?」
まだまだ俺にはわからないことだらけなんだ。
いい加減に何か教えてほしいもんだが。
「せっかく同じクラスなんだ……仲良くしてくれてもいいんじゃあねえか……?」
夜中の私立病院。その屋上。
俺はいつの間にか返してもらっていたらしいモッズコートを羽織っている。
「……まったく、どういうつもりなのかしらね」
深紅のコートを着た女。
髪は長く青い。
「私はあなたを殺そうとしたのよ?」
「だな」
「あなたたちはそのような……自身と敵対する存在に対して憎悪という感情を抱くはずだけど」
そうかもしれないな。
そうじゃないかもしれない。
「こんな問答は後回しでも構わんだろうよ、他に訊きたいことがある。夜明けまで時間はあるみたいだしな。冬の夜は長いってこった」
今回の犯人らしい朝倉涼子がそこにいた。