第三十九話
別に待ち望んでもいないのに待たせたなと言わんばかりに速攻で学校生活へと俺たちは戻された。
短い冬休みが明けて、これまた短い期間の一年生としての務めが残されているからである。
俺がまさか北高生としてそうなるとは思ってもいなかったがな。
本来であれば建造物の中の方が外界より暖かくて然るべきなのだ。
にも関わらず北高の校舎は手抜き工事でもしてんじゃないかってぐらいに寒い。
なまじ陽の光が当たらないもんだから寒気だけが溜まってるようにも思える。
一月某日は冬真っ盛りなのかもしれないがもちろんここいらで雪など降ろうわけもない。
校舎内のマシな点は冬風を叩き付けられない点ぐらいだ、なんて考えているといつものように文芸部部室兼SOS団アジト前へとやってきたわけだ。
コンコンとノックをして――朝比奈がメイド服に着替えている最中に入室しないための配慮――それからドアを開けて入る。
「こんにちはぁ」
長門と古泉不在の中、室内にはメイド服姿の朝比奈だけがいた。珍しいがこういうこともあるもんだ。
基本的にはどういう使命感なのか甚だ不明ではあるものの長門が部室一番乗りだからな。
ハルヒは元々いつも来るのが遅い上に今日は音楽室の掃除当番なので教室から直に来た俺より先に居るなんてことはそれこそ時空が歪まない限りはありえないはずだろ。
「あっ、今お茶淹れますね」
朝比奈も朝比奈で彼女の使命感が何に起因するのやらといった今日この頃。
俺もこうしてのんびりお茶をすすっていられれば気が楽なのだが。
椅子に腰かけながら部室の床を掃き掃除している朝比奈に向かって声をかける。
「……朝比奈」
「はい? なんですか?」
「最近、誰かに手紙を書いたことは?」
「いえ……ありませんけど、どうかしたんですか?」
「大したことじゃあない」
もっとも本当にそうなのかどうかと訊かれれば俺には答えようがないのである。
ただ今俺の学習鞄の奥底に押しこめられている一枚の紙切れが朝比奈に俺が質問した理由だ。
朝、下駄箱を覘くなり俺の上履きの上に置かれていたのは少女漫画誌のオマケとして付いてきそうなファンシーな封筒。
その封筒の裏には丁寧な字で『朝比奈みくる』と書かれていたわけだな。中には手紙が入っていた。
だのに彼女は否定した。嘘をつく理由があるのかは俺にはわからないが確かな事実として手紙にはこう書かれていた。
『今度の日曜日に市内某所の十字路に行ってほしい』、しかもご丁寧に時間指定までされている。
「……さて」
俺はどうするべきだろうか。例えばこの呼び出しが何かの罠だという可能性だって否定できないわけだ。
言ってしまえば俺はこんな手紙の内容に従ってやる義理も道理もないわけであって。
この手紙の主が朝比奈みくるでないにしろまさか男子が書いたとは到底考えられない。
谷口のイタズラにしては意味不明だし古泉の字は俺より汚いので達筆というわけではないからだ。
まあ、差し当たっての問題はこの手紙の女子と思わしき差し出し人などではなく、もっと単純なことだ。
何を隠そう俺は件の日曜日にハルヒとデートをする予定なのである。
綿密なプランなどなく行き当たりばったり感満載な中での決行なのだが、この手紙に従うべきかどうか。
「それが、問題だ」
やがて続々と団員が部室にやってきて、何をするでもない無気力空間がいつも通りに展開された。
古泉は俺と二人カタンをして、朝比奈は給仕係として佇み、長門はハードカバーのSFを読みふけり、ハルヒはパソコンでネットサーフィン。
冬ということもあり暗くなってきたら団活も終了というのがここ最近の流れだ。
ばたむ、と長門がハードカバーを閉じると。
「今日は終わりね」
ハルヒはそう言ってさっさと一人で部室を後にしていく。本当にあいつと付き合っているのか俺は、涼宮宅への送迎もロクにしていないのだが。
朝比奈が制服に着替えるので男子はとっとと出ていく必要があるのだが、俺は長門に手紙の件で意見を伺いたかった。
古泉がハルヒに続いて部室を出たのを確認してから俺は本棚にハードカバーを戻している眼鏡女子に小声で話しかけ。
「長門」
「……あなたが知りたいのは朝比奈みくるからの手紙のこと」
「朝比奈本人からの手紙なのか?」
「そう。正確には彼女の異時間同位体によるもの」
異時間、つまりそれは大人朝比奈のことなのだろうか。
ちらっとこの場に居る朝比奈の様子を窺う。
朝比奈は未だに部室に残っている俺を不思議そうに。
「二人とも、何かあったんですか?」
「いや……長門と本について語り合っていたところなんだ。もうすぐ出ていく」
「ふふ、あたしに気を使わずにゆっくりしてていいですよ」
やはりここの朝比奈ではなさそうだ。
なんというか面倒な存在だな、未来人。
俺は長門に再び小声で。
「お前は手紙の内容も知っているんだよな?」
「知っている」
「オレはあれに書かれていることに従った方がいいのか?」
長門はひとしきり間を置いてから、ゆっくりと口を開いて。
「……あなたにとってはとても重要なこと。しかしわたしにとってはそうではない」
「つまり」
「選ぶのはあなた」
無機質なガラス細工のような長門の瞳が俺をしばらく見つめていた。
ともあれ彼女の言葉のおかげで俺は余計に悩ましい思いをするはめになったのだ。
それから日曜までの間、俺は悩み続ける時間をゆっくり味わっていた。
無言の脅迫というものはまさにこんな感じなのだろう。
で、ようやく日曜日になった。
俺がいくら自転車を光の速さに近づけようと猿が人間には追いつけない。
俺はハルヒにとってのモンキーらしい。
「遅い。罰金」
せかせかと駐輪場に愛車を置いていつもの駅前公園まで到着するなりこの体たらくだ。
到着早々に歓迎もされずこんなことを彼女に宣告される彼氏とは全国的にどれくらいの割合だろう。
トレンチコートを羽織りマフラーを巻いた仏頂面のハルヒに対して俺はとりあえずの弁明をすることに。
「悪いな、道が混んでたんだ」
「言い訳するなら面白い言い訳をしなさいよ」
「善処しよう」
さて、とりあえず適当に歩き出すとしよう。歩き出さなければ寒さを忘れられそうにない。
ただ今の時刻は午前十時前。正直、例の手紙のせいでデートプランが崩れたのは言うまでもない
俺が罰金を払うのはどのタイミングなのやらと憂いでいるとすっとハルヒの左手が差し出された。
「はい」
なんだ、はいと言われても何がどうしたのやら俺にはさっぱりなのだが。
ハルヒは俺の様子を見かねてまくし立てるかのように。
「あのね、あんたはあたしをデートに誘ったんでしょ? 手を引いて女子をエスコートしなさい。そんなこともわかんないの?」
「今の台詞だがもっと照れ隠し感をオープンにしながらもう一度頼む」
「……殴るわよ」
脛を蹴りながら言っても説得力がないのだが何故なんだろうなハルヒさん。
俺の予定では隣町なんかに行ったりしてそれなりな道のりを考えていたのだが、予定は決定とはならなかった。
手紙に書かれていた十字路は線路沿いの県道付近であり、遠出するとそこまで行くのが面倒なのでここらで時間を費やした方がいいのだ。
差し出された左手を握って。
「冷たいな」
「うん」
「じゃ、歩き回るとしようぜ」
寒気が行き交う中、手を繋いで俺とハルヒは歩き出した。互いに手袋でもしていた方が温かいのは当然だ。
でも、こういうのも悪くはないのだろうさ。
「市内限定だが、行きたい場所はないか?」
「あんたが連れてってくれるんじゃないの?」
「お前の意見をある程度は取り入れようと思ってな」
手紙の用件が終わってから、になってしまうが特に問題はないだろう。
何か問題があるとすればそれ即ちどんな要件なのかがわからなければいつ完了するのかもわからない。
まるで行けばわかると言わんばかりの文面である。長門も深く言及しなかったし。
ハルヒは少し時間を置いてから。
「そうねえ……じゃあさ、最後でいいから暗くなったらあたしに付いて来てくれないかしら」
「どこだ?」
「秘密」
流石に何時間も十字路で立ち往生とはならないだろうし構わないさ。
手始めに俺とハルヒは駅近くの某デパートへと入店。
市内探索――だいたい二週間に一回以上の割合である――の暇潰しに足を運ぶことはあるがこいつと二人きりなんてのは思えば初のことだ。
デパートの自動ドアを一歩またぐなりハルヒは低いトーンで。
「あんた、もうちょっといい場所に連れてってくれてもいいんじゃないの? デパートなんて庶民的というか家族が来るような場所じゃない」
「誰かさんのおかげでオレは日ごろから財政難なんだよ」
これに関しては紛れもない事実であり、このペースで行けば四月前になけなしのお年玉は消し飛ぶことが容易に予想できた。
いや、お年玉を四月まで持たせられる方が普通は珍しいだろうな。一月いっぱいですっからかんなんてザラだと聞くし。
「ふん。あたしじゃなかったら今日が最初で最後のデートになってたでしょうね」
「どういう意味だ、それ」
「自分で考えなさい」
当面の課題としては今日中にこいつを自然な笑顔にさせることなのだが、俺には荷が重そうな課題だ。
入っておいて言うのはアレだがどこのデパートも基本的に衣料品ぐらいしか店などはない。
ではハルヒは衣服に対してどこまで関心があるのやら。
「みくるちゃんに着せられるようなコスチュームをを売ってる店はないのかしら?」
「んなもんあるわけねえだろ」
「別にあんたと一緒に服見てもしょうがないしね」
失敬な。俺にセンスを求められても困るのは確かだがハルヒに似合うかどうかの判別ぐらいはつく。
まあこいつが服にそこまで関心のない女だってことはわかりきっていたことであり、冷やかしが関の山であった。
むしろ年甲斐もなくおもちゃ売り場を覘く方が楽しそうなのはどうなんだ。
ハルヒは商品棚に吊るされた宇宙怪獣のソフビを眺めながら。
「ねえ、空から怪獣が降ってきたら面白いと思わない?」
「……どうしてだよ。ビルより大きい奴なんか人類で対処できないだろうが」
「案外話せばわかる奴かもしれないわよ、ピグモンみたいに」
「あいつは友好的な珍獣だが身長は1メートル程度だぜ。やっぱりデカいのは勘弁してほしいぞ」
「とにかく怪獣だって悪い奴ばっかじゃないの」
何を根拠にハルヒはそう言うのだろうか。いや、間違っても宇宙怪獣なんかが地球に襲来することがあってはならない。
こいつのこんな態度が神人を神人たらしめる要因なのかもしれんな。映画撮影といい特撮好きなのか。
デパートには本屋もあったが流れるようにハルヒはスルー。長門なら興味がありそうなもんだがな。
ところでこの日、俺が新たな可能性を発見したのが眼鏡ショップを冷やかした時のことになる。
ハルヒは店頭に置かれている黒縁眼鏡をかけて。
「どうかしら?」
「惜しいな。お前にセルフレームは似合わんみたいだ」
「じゃあこれは?」
――その時、電流が迸った。
メタルフレーム、ワインレッドのオーバルグラスをかけたハルヒ。
北高校内一えらい美人がそこにいた。
「か、かわいい……」
「ふふん。素材がいいのよ素材が」
やや得意げな表情をしている彼女は文字通り俺の彼女なわけであって、いっそ彼女の視力が落ちてくれないものかと俺は思い始めた。
このハルヒは大人しくしていれば長門みたいに文芸少女としても売り出せるに違いない。
「写真撮っていいか?」
「いいけど有料よ」
「オーケイお安いご用だ」
しばらく携帯の待ち受けにしたくもなったが身内に見られたら何を言われるかわからないのでそこら辺は自重することにした。
次に立ち寄ったのは独特の雰囲気を醸し出している雑貨店。見たこともないようなキャラクターのグッズが置かれてたりしている。
俺がわかったのは精々口から血を吐いているピンクの狂暴なクマぐらいだ。
そいつがプリントされているバッグを見たハルヒは。
「クマのくせに人間様を襲おうだなんて分別がないのね。人里に出るのが間違ってるのよ」
「お前はクマに恨みでもあるのか」
「あたしこういうキャラクターものってのがなんか気に入らないのよ」
どうにも女子らしからぬ発言だ。しかも怪獣とは解り合おうとする姿勢を見せていたのにクマとなった途端これだ。
きっとハルヒは不思議かどうかだけで線引きが成り立っているに違いない。だとすれば俺が彼女と付き合えているのが本当に謎なのだが。
店内を一通り見回った後、ハルヒは。
「そろそろお腹が減ったわ」
「んじゃ飯にでもするか」
もちろん俺の奢りなのだが、この時はそんなことも気にならず、何事もなく普通に時間経過を楽しんでいたと言っておこう。
端的に申し上げるならば俺は浮かれていた訳だ。馬鹿正直に。