電話の相手は想定内の相手、今朝聞いたばかりの女であった。
佐々木だ。
『急にすまないね。でも、本当だったらあの場でもっと話す事があったんだ』
「あいつらは毎度毎度行動が早いからな」
しかしこいつが俺の家の電話番号を知っていたとは。
いや、携帯電話の連絡先に登録されている時点で繋がりはあったわけだ。
もっともそれは俺との繋がりではなくキョンとの繋がりだろうが。
『単刀直入に用件を言おう。明日の日曜日、駅前に午前九時、来てほしい。駅前の喫茶店で話をしたい』
「なんだってオレがお前の頼みを聞かなきゃあいけないんだ? 当然ながら断らさせてもらうぜ」
『ふむ』
子機を湯船に落とさないように注意するのも面倒なんだ、話がそれだけならこっちから切るぞ。
すると佐々木は怪訝そうな声色で。
『僕としてもキミに無理強いはしたくないんだけどね、そうも言ってられない状況らしいんだ』
「どういうこった」
『正直なところ一分一秒が惜しい。緊急事態なのさ。僕も詳しくは知らないが』
曖昧すぎる受け答えだな。相手を急かしていい解答を得ようってのは古典的すぎる手法だろうに。
どうせあの橘京子も一緒なんだろう。他のお仲間もいるかもしれない。
「楽しいお茶会で済むなら構わんがな、そうなるわけがねえってことぐらい今日び小学生でもわかんだろ」
『なるほど。安心しなよ、間違ってもキミに危害を加えることはないよう同席者には言って聞かせる。僕を信じてくれ』
んなアホな。ゴリ押しにもほどがある。
と、考えるのが普通なんだろうな。
「……いいよオーケイだ。行ってやる、明日はヒマだからな。だが一つ条件がある」
『なんだい』
「ハルヒの安全も保障しやがれ」
もっともその心配などするまでもなく、『機関』やら情報統合思念体やらがあいつを四六時中チェックしているはずだがな。
言うだけタダってやつだ。
『くくっ、妬ける発言だ。キョンなら絶対言わない台詞じゃないかな』
「知るかよ」
『よしわかった。一応念押しさせてもらうけど時間通りに来てくれよ、キミに女性を待たせる趣味がないことを願うばかりだ。それじゃあ妹さんにもよろしく』
あえて指定時刻ジャストに行ってやろうかとも思えたが、どうするかは明日の俺しだいさ。
通話が切れたのを確認した俺は一旦風呂から上がり、風呂場の外に置いてある洗濯籠の中に子機を突っ込んだ。
もうちっとばかり風呂に入ってたいんでね。しょうがないと言いたい気分だ。
そして翌日、日曜日。
義理で古泉には話を通しておいたが彼から聞けた内容などわざわざ語るまでもない。
お気をつけて下さい、と橘京子によろしくの二つぐらいだ。
「ちっ、雨かよ」
ポツポツと、しかも俺が玄関を出ようとしたジャストタイミングで降り出したようだった。
ついてないのか何なのか。どうにも俺の先行きが怪しいことを暗示しているみたいに思える。
自転車をかっ飛ばす予定だったがあえなく断念して徒歩に変更。玄関にあった傘を持って出発した。
そしてのろのろと歩くこと半刻と少し、今日も駅前へとやってきた。
「で、他には?」
駅前には佐々木と橘京子だけがいた。橘の傘はブランド物であり、見ていると何故か腹立たしい。
同席者とやらがいるんじゃなかったのか、このツインテ娘に俺がのされるとはとても思えんが。
「自称未来人の男が一人だけさ。彼とキミは既に面識があると聞いているよ」
佐々木が言っている未来人とやらはあの男に違いない。橘京子が朝比奈誘拐をした時に一緒にいた男だ。
あいつは多々思わせぶりな発言をしていた。大人朝比奈といい未来人は俺を翻弄したがっているのかね。
「だがあの野郎の姿がどこにも見当たらねえぜ」
「うん。彼は先に喫茶店で待っているそうだ。席を確保するのも兼ねているが、この雨の中キミを待つのは御免こうむりたいと言っていた、そっちが本音だろうね」
こちらとしてはここに来ることそのものを御免こうむりたかったがな。
なんにせよこのまま雨に打たれるのはナンセンスだ。よって早いとこ店に入ることに。
各々が店先の傘立てに傘を入れ、自動ドアをくぐるとすぐにしかめっ面でコーヒーカップをすする男の姿が見られた。
先導する女子どもにならい渋々そいつが占領しているテーブルまで行き、椅子に座る。
当然のように佐々木が俺の隣に座ってきた、橘は未来人男の隣だからお前もあっち側の席でいいというのに。
ともあれ見事な二対二の図式が出来上がった。見かけ上は。
駅前の喫茶店分布など特に知らないがこの日足を運んだのはSOS団御用達の某純喫茶であった。
遅れて来た俺たち三人分のお冷を受け取り、適当にオーダーしてウェイトレスが去ったのを見計らい橘京子が。
「本日はお集まり頂きありがとうございます。色々あったけど、今は忘れてちょうだい」
随分と勝手な奴だ。
「手短に用件を述べましょう。あたしたちは佐々木さんを神のような存在だと考えています」
「はあ……?」
俺は信仰の自由についてとやかく言うつもりはないが、流石に荒唐無稽すぎんだろ。
古泉がいる『機関』の敵対組織の一員とはいえ、主義主張が全く異なる。
ハルヒが神だと聞いたぞ俺は。
「つまり、涼宮ハルヒさんが持つ神的な超自然能力は本来であれば佐々木さんに宿るはずでした」
「そうなのか?」
横の佐々木に訊ねてみるも彼女は肩をすくめてみせただけ。
代わりに橘が。
「そうなのです。現状は何らかの手違いで涼宮さんが変な力を手に入れてしまっただけにすぎません」
「どうしてそんなことが言えるんだよ」
「あたしたちに課せられた役割だから、それが間違いだと何故だかわかるの。そういうふうになっているんです」
俺のあずかり知らぬ次元で会話を展開されても反応に困るだけだっての。
まあ、俺としては神が誰だろうがどうでもいい――存在を信じていない――からな、どうぞ勝手に古泉と言い合っていればいいさ。
とりあえず素直な感想を述べておくとすれば。
「オレはこの一年ほどで現実とは思えないような災難に巻き込まれてきた。発生源はあの変人だ、馬鹿でもわかる。これが全てだ」
「結果論で言えばそうかもしれません。でも、そうじゃないかもしれないわ。あたしの考えが間違っているという保証はどこにもないのだから」
そりゃそうだ。雲を掴むような話なんだからよ。
自分が間違った行動をしたのは棚に上げるつもりかね。
「あたしが全てを知ったのは四年前、知らない情報が頭の中に突然あったの。この世界のこと、自分に宿った不思議な力のこと、他にも似たような人たちがいること」
古泉にもいつぞや似たようなことを言われた気がする。
だが橘との絶対的な差がある、誰を神だと考えているかだ。
「佐々木さんがこのことを教えてくれたんです」
「……僕は何も言った覚えはないんだけどね」
真摯な眼差しで俺に訴える橘に対して佐々木の眼は楽しそうなものではなかった。
まるで聞きたくもない全校集会中の校長先生のスピーチを立ちんぼで聞かされる時のようだ。
なんにせよこの佐々木には今のところ世界を滅ぼしかねない能力はないという認識でいいのか。
俺はお冷のグラスの淵を指でなぞっている佐々木を尻目に。
「それで? 話は終わりかよ?」
「ここからが本題なんだけど。涼宮さんが持っている力を佐々木さんに移したい、その協力をあなたにお願いします」
途中からなんとなく察しはついていたがどうやらそういうことか。
橘京子も結局は。
「ハルヒの能力を狙っているってことだろ」
目の前の忌々しいツインテ女が何か言うよりも先に俺は言葉を続けた。
「はっ、なら最初からそう言いやがれってんだ。お前ら異端者はオレみてえな普通の人間より余計に与えられているから貪欲なんだよ。思い上がるんじゃあねえ、貧乏人のカスが」
「くっくっく……激憤ここに極まれりだね」
何が可笑しいんだよ、キョンの友人。
「ああすまない。そう睨まないでくれ。キミが僕をどう思っているかは知らないけれど、僕は見た目以上に弱い人間なのさ」
ともすれば佐々木は自嘲気味に笑みを浮かべて。
「僕としてはそんな謎の力とは無縁のままでいたい。けど――」
「最早、そうも言ってられない」
佐々木の傍白を遮ったのは今まで無言を貫いていた未来人の男であった。
彼が苦々しい顔をしているのは飲んだコーヒーの苦さだけではなさそうだ。
未来人の男は淡々と。
「結論から言ってやろう。近いうちにこの世界は滅ぶ、涼宮ハルヒのせいでな」
まさか。
「あんたが信じなければそれはそれでいい。僕は違う時間軸へ向かうだけだ。他の可能性を模索する」
「ノストラダムスばりの大予言ありがとよ未来人さん。ところでお前の名前は何だよ、まず名を名乗れってんだ」
「ふん、名前など必要ない。この場においてはな。好きな呼称を用いるといい」
そうかい、勝手にしろってんだ。
ただ説明は最後まで頼むぜ。
「どうしてハルヒが世界を滅ぼすってんだ」
確かに一年近く前に一度やりかけたがアレは未遂で終わったぞ。
ピンチヒッターの俺がどうにかこうにか切り抜けたがな。
今でも鮮明に思い出せる。灰色の空間、青白い巨人、唇の感触。
などと何処かノスタルジックな気持ちに浸っていると俺の疑問に対して未来人の男はこともなげに答えた。
「答えは単純明快、あんたが死ぬからだ。彼女が世界に絶望するにはそれで事足りる」
意味が、わからない。
「そもそもあんたは自分をどういう存在だと認識している?」
未来人の男からの問いかけは俺自身が無意識で避け続けてきた疑問そのものであった。
我思う、故に我あり。俺はキョンの代役として呼ばれただけの普通の人間だ。
「その認識が間違っているんだ。あんたは涼宮ハルヒによって生み出された奇跡そのもの、あるいは残滓と言うべきか。とどのつまり、まっとうな人間ではない」
んなアホな。
「この時間軸から見て一年過去の三月十八日。一人の女子高校生が交通事故で命を落とした」
唐突にそんなことを言い出した未来人の男。
何を言っている。俺がまっとうな人間ではないとはどういうことだ。
そんな俺のはやる気持ちに更なる衝撃を与えたのは。
「その女子高校生の名は"朝比奈みくる"」
「な……」
「だが真実は違う。もちろんあんたの知っている朝比奈みくるとは別人だ。違うな、彼女こそが本物の朝比奈みくると言えよう」
そりゃあ探せば同姓同名の人はいるだろう。
しかし朝比奈みくるは違う。俺の知っている方は偽名だ。
未来人の男はひとつずつ言葉を紡いでいく。
「過去人であるあんたに歴史的事実を教えてやろう。その事故で本来死ぬのはあんたなんだ。僕のいた時代ではそうなっている」
瞬間。俺の脳裏によぎったのはもう一人のハルヒの発言。
髪が長い、こことは違う世界の涼宮ハルヒ。
『だってあいつは……死んだはずよ……』
ご丁寧に死因まで教えてくれた。
『あいつは交通事故で死んだ……トラックに撥ねられたそうよ。ニュースでやってた』
俺が死ぬだと。嘘だろ。
だって俺は生きている。
「その事実を書き換えたのは他ならない涼宮ハルヒさ。彼女が朝比奈みくるを交通事故で殺し、代わりにあんたを助けた」
視界から色が失せたような錯覚を覚えた。
吐き気もするし、頭痛もする。気分が悪い。
「過去を改変することなど普通の人間には不可能だ」
「ハルヒならそれができるってかよ……」
「当り前だ。実際に実行したのだからな。だから時空に歪みが生じたんだが……ふっ、それはいいだろう」
信じられるか、そんな話。
「だが、覆せないものもある。有史以来の人間譜において絶対的な特異点は幾度となく登場する。何者の干渉も受け付けない事象がな。わかりやすく言えばあんたは死の運命から逃れられない。だからあんたは死ぬ」
馬鹿なことを言うな。未来人だからって何でも知っているような口を聞くな。
一億光年ほど譲ってその話が正しかったとして、どうしろってんだ。
「べつに僕はあんたが死のうがこの世界が滅ぼうがどうでもいい。僕の目的はただ一つ」
「……何だ」
「未来人としてこの時間軸に駐在している朝比奈みくるを救出することだ」
そう語る男からは阿修羅とも見紛う覇気が感じられた。
揺るぎない信念のもとに行動している感じだ。事実そうなのだろう。
「彼女の任務は彼女がすべきものではない。しかし彼女が選ばれた、何故だかわかるか?」
「知るかよ」
そもそも俺はあいつの任務さえよくわかってないんだ、聞く相手を間違えてるぞ。
未来人の男は俺の返答などわかりきっていたかのように。
「既にあんたも察していると思うが、彼女はあんたの妹だ」
「正気たあ思えねえ」
「と、いってもこの時間軸に存在する人物とは異なる」
当り前だろう。未来人なんだから今より何年か後にちんちくりん愚妹があんなナイスバディになると言いたいんじゃないのか、こいつは。
腑に落ちない俺をあざ笑いつつ男は語る。
「フフ、まだ気付かないのか? 彼女はあんたを助けるために涼宮ハルヒの監視役を志願したのさ、正確に言えばコントロール役だが」
何だよ、何が言いたいんだよ。
「未来人の朝比奈みくるはあんたが交通事故で死んだ時間軸からやって来ている。未来を変えるためにな。もっともその代償として肝心の記憶にプロテクトをかけられているようでは彼女の悲願など叶わないだろう」
それが真実だとでも言うのか。
橘も佐々木も無言だった。
「なんでこのタイミングでオレが死ななきゃあならねえんだよ……おかしいだろうが……」
ここが店内でなければ怒鳴っていただろうし、この男に掴みかかっていただろう。
そうしても俺の怒りとも違う、ただただ気味が悪いどろっとした感情は消えそうにないが。
ああ、やはりおかしいだろう。そうだよ。
「だったらオレの半年ちょっとの高校生活はどう説明すんだ。オレはこの世界に来る前、確かに高校生をやってたはずだぜ」
「初耳だ。僕が知る限りそのような記録は残されていない」
おい。おいおいおいおいおいおいおいおいおい。おい。
全部ウソだったってか。幻想だったってか。止めろよ。よせ。
俺がダルい思いして通学してたあの高校での記憶はニセモノだってか。
「んな細工して何のためになるって……?」
「さあな。だとしたらあんたにそんな記憶を植え付けた犯人にあんたは心当たりがあるはずだ、大好きな彼女に訊けばいい」
ふざけんじゃねえ。お前らはいつだってそうだ。
言いたい事だけ言えば気が済むかもしれねえが、言われる方は違う。
会話というプロトコルの脆弱性を理解しやがれってんだ。
「前置きが長くなってしまったな。つまり現状では何の進展も望めないばかりか放置すれば世界が破滅するということだ。現地民であるあんたらにとっては一大事なんだろうな、心底同情する」
そう言う男の顔からは同情の一切も感じられなかった。
もっともらしいこと言って片付けようとしてんじゃねえぞ。
「オレはどうやって死ぬんだよ、オレの死因は」
「今まで観測した事例を述べたところで何が変わるとは思えない。不可避だ。ある時は何も危険物のない道路で突然あんたの身体が吹き飛び、ミンチになったこともある。非科学的だが起きている以上は認める他なかろう。どうせあんたも死ぬんだからな」
インチキ占い師にでもなることをお勧めしたいね。
そのダークサイドに堕ちた古泉みたいな笑顔を武器によ。
「なあ、お前は何者なんだ? そんな情報をオレに与えてハルヒを動かしてまで朝比奈を助けたいのか」
我ながらどこから声を出しているのかもわからなかった。
男は鋭い目つきでこちらを見据え、こう言った。
「僕は彼女の弟だ。つまり――」
おい、ハルヒ。
何とかしてくれ。
「――あんたの弟でもある」