第1話 ※
「
ある昼下がりのハンターベースが執務室、皆が真摯にデスクワークに取り組む中において、あのゼロが珍しくデスクワークに取り組んでいた矢先の出来事だった。
『明日は雨でも降りそうだ』と目を丸くして驚かれるも、モニターに向かい合って無心にキーボードを叩くゼロの姿に士気も高まる中での不意打ち。
呂律の回らないゼロの気の抜けた一声に吹き出してしまう者が続出し、机に突っ伏して笑いを堪え過呼吸になってしまう者が出るなど、たちどころに仕事にならなくなる有様であった。
クソッタレめ。 顎が外れさえしなければゼロはそう毒づいていたつもりだった。
1週間近く不眠不休でため込んだゲームソフトにつきっきりで、放置したデスクワークの件で部屋に乱入してきたエックスにブレンバスターをお見舞いされたのが今日の6時。
午後7時までに今日締め切りの分だけでも仕上げなければ、できなかった分だけゼロ自慢のアダルトなグッズにしわ寄せがいくぞと脅され、泣く泣くやりたくもない書類仕事に駆り出される羽目に。
メンテも怠ってガタが来た体に鞭打ち、止まぬ欠伸に顎の関節がたった今限界を迎えたというのが事の経緯である。
ともかくこれでは仕事どころではない。 外れた顎がぶら下がって笑い者にされ、結果的には他人の作業を妨害したと咎められかねない。
一刻も早い応急処置を行うべく、ゼロはうずくまる同僚達を尻目にダグラス達のいる開発室へと急いだ。
道中すれ違った仲間、そして足早にやってきた開発室の扉を開けた先のクルー達、皆がゼロを見て腹を抱え卒倒する。
「
「ブハッ!! な、なんだゼロ!? おまっ!!」
「ブフォ!! その顎はっ!! ど、どうしたんですかぁ……ブフフフフッ!!!!」
不機嫌を隠そうともせずに足を進めるゼロの前に、異変に気付いてやってきたダグラスとパレット。 彼らもこれまたゼロの顎を見て吹き出さずにいられなかった。
行く先々で失笑を買い、ゼロは腕を組んで苛立ち紛れにダグラス達を見る。 2人は笑いをこらえながらゼロに平謝りする。
「わ、悪い悪い……それはそうとっ、一体何したらそんなんになるんだ?」
「|あふひのひふひへあぼばあぶれひはっはんはほ《欠伸のし過ぎで顎が外れちまったんだよ》」
「んー……欠伸のし過ぎって言ってるんですか?」
ゼロは首を縦に振った。 上手く伝えられずにいる己の言葉を、パレットの方が上手く解釈してくれたようだった。
彼女の言葉を受けてダグラスが外れたゼロの顎を触診、検査用のペンライトを当てた目視によるチェックも交えしばしチェックを行い、眉をひそめた。
「ゼロ、お前なぁ……こないだライフセーバーの所に健康診断行かなかったんだってな? 顎の関節部が錆びて痛んでるぞ」
「
「錆びた粉が関節に齧ったのが原因だな。 この状態で欠伸なんかすりゃ顎が外れちまうのも無理はない……参ったなぁ、今スペアのパーツ無いんだよ」
頭をかきながら伏目が地にごちるダグラス。 ゼロも肩を落とし、一緒に話を聞いていたパレットが提案する。
「んー……それじゃあ今は注油だけでもして応急処置したほうがいいです?」
「それしかなさそうだな。 俺は他のもまとめて部品発注してくっから、パレットはグリスでも取ってきてくれ」
「了解です! ゼロさんちょっと待っててください」
パレットが軽く敬礼すると、二人はゼロをおいて各々赴いていった。 ちょっとした修理のつもりが高くつきそうだ。 遊びと引き換えに休息を怠り仕事もため込んだ、いわばツケかとげんなりする始末だった。
それにしても、顎が外れたまま取り残されるのは奇異の目線に晒されてすこぶる居心地が悪い。 手持ち無沙汰もあいまって余計に苛立ちが募る。
「(早く戻ってきてくれねぇかな? こういう時ほど待ち時間が伸びたような気分になるんだよ……うん?)」
挙動不審に辺りを見渡すゼロがふと目に入ったのは、ダグラス達がさっきまで工具を取り出していたキャビネット……の上に無造作に置いてあるレジ袋。
その中から姿をのぞかせるは紙でできた小さな長方形のパッケージ……封は開いていない。
ゼロがそれに目をやると、ピンク色で根元の膨らんだ小さなチューブが入っているように描かれていた。
「(小型の……油差しか?)」
ゼロはパッケージを手早く開封すると中から現れたのは、描かれていたピンクのチューブが10本分。 中身を取り出して光を透かして見ると、どうも中身はグリセリンが入っているようにも見えた。
ダグラス達の事だ。 手の入りにくい箇所に注油する為の使い捨ての商品か何かだろう。 そう結論付けたゼロはパレットを待たずして顎周りの人工皮膚を剥がし、おもむろにチューブを関節部に挿入する。
そして中身を絞り出して均一に塗り広げていく。 ビンゴ! ゼロの見立て通りこれは油差しだったようだ。 少し水気が混じっているがどうせ修理用の部品が届くまでの事だ。
「お待たせしましたゼロさん! 応急用のグリスです――――よ!?」
「ゴキッとな! ……ふう、ちょっとギクシャクするがまあ大丈夫だろ――――お、パレット」
顎をはめ直し皮膚を元通りかぶせて振り返ると、そこにはグリスガンを持ったパレットが目を丸くして立っていた。
「ゼ、ゼロさん……」
「ああ悪い、待ちきれねぇもんだからそこの油差しほとんど使っちまった。 手間かけさせといてなんだろって気もしたんだがな」
「い、いえそれはいいんですけど――――」
「部品発注したぜ! さ、ちゃっちゃと顎を直しちまおう――――か?」
ダグラスも続けて戻ってきたが、目を見開いて固まるパレットに怪訝なまなざしを送り、彼女が何を見て固まっているかその視線の先にあるものを見ると、息をのんだ。
「お、おまっ! ゼロ……それは……!!」
「なんだダグラスお前もか? いいだろこれぐらい、気になるなら金なら払ってやる……いくらだ?」
「いや違う! そうじゃなくってだな――――!」
二人して狼狽を隠せない様子にゼロも疑問符を浮かべるが、その考えはふと思い出したデスクワークの存在に直ぐ打ち消される。
「おっといけねぇ、仕事の途中だった」
ゼロはダグラス達に背を向け一目散に開発室を後にしようとする。 ダグラス達は部屋を去ろうとするゼロを呼び止めるがお構いなしだ。
「今日中にやることやっちまわねぇと、俺のコレクションをエックスに破壊されちまうんだ! また後でな!」
「あっ……」
話を途中で切り上げるのはスゴイシツレイであるがやむを得ない。 何かを言いかけているのは承知だが今は書類をかたしてしまうのが最優先なのだ。
いずれにせよ暫くは顎の事を気にする必要はなくなった。 背中に刺さる二人の目線を自動扉で断ち切り、ゼロは来た道を早足で戻った。
その後、調子を取り戻したゼロは今日の締め切り分どころかため込んだ仕事を全て処理し、一緒に働いていた仲間達を大いに驚かせたそうな。
肩の荷が下りたと息抜きをする彼ではあったが……故にこれがちょっとした騒動のきっかけに繋がる羽目になると気づかない。
「……いやあれだ。 塗る用途として使えなくもない、けどなあ……」
「ゼロさんアレを
「じゃあゼロの奴は何かを知らずに使ったって事か? 参ったなぁ……」
開発室からの去り際……神妙な面持ちのダグラスとパレットの掛け合いが、それらの始まりを告げていた事など。
「9本も入れちまうなんてな……このいちじく浣腸を」
糞だらけのエピソード、はっじまるよ~(棒)