祈りの海   作:鬼平

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第4話

 夜空を駆けているうち、ミドルMSとの交戦地付近に差しかかった。近くのビルの屋上で足を止め、物陰から眼下を確認する。交戦したビルを中心に道が封鎖されているのが見えた。通りに一般人の姿はなく、武装した軍人であふれ返っている。

 ここからスラムまであまり距離がない。キョウジの密航を成功させるためには、軍をできるだけ引き離す必要がある。

 シュバルツは地を蹴り、交戦したビルの屋上に飛び移った。大穴の周りにはテープが張られ、十数人の警備兵がアサルトライフルを構えている。

「何者だっ!?」

 銃撃の隙を与えず、体術でその場の兵士を次々に倒す。大穴を覗くと、下には先刻戦ったミドルMSが倒された時のまま仰臥していた。露出しているコックピット内に飛び下り、ハッチを閉める。ためしに操作してみると、すぐにシステムを起動させることができた。

 ――どうせ誘導するなら、派手にいくか。

 ミドルMSを起き上がらせ、屋上へとジャンプする。残っていた兵士が銃撃してきたが、腕で払って気絶させた。

 屋上から跳び下り、地上へと着地する。突然の事態に警備兵たちはしばし呆然としていたが、すぐに銃で撃ってきた。構わず通りを北上する。

 メインパネルに敵影マーカーが表示される。カメラで確認すると、よく似た型のミドルMSが二体追ってきていた。レーザーガンで撃ってくるのをかわしつつ走る。ほどなくして廃墟と化したビル街が見えてきた。

 ふと傍らを見ると、操縦席の脇に洋刀が括りつけられてあった。それを手に取り、コックピットハッチを開ける。外に飛び出るのと同時に敵のレーザーが機体に直撃した。爆発を背にビルの壁を走り、敵のミドルMSの一体に躍りかかる。重力に任せて刀を振るうと、敵の右上腕部と右脚が綺麗に切断された。続くもう一体の警棒をかわし、跳躍して肩に乗る。一太刀でミドルMSの首を切断した。木偶人形と化した兵器たちが石畳にくずおれ、鈍い音を立てる。

「ばっ、化け物だ!」

 歩兵たちが撤退していく。ミドルMSの群れがさらに投入され、攻撃を仕掛けてきたが、シュバルツは次々に一刀両断していった。

 敵兵力が尽き、つかの間の静寂が訪れる。見上げると空に満月が昇っていた。

 その月光を背に、黒い影が浮かんでいる。

 ジェット音とともに影が迫りくる。ミドルMSの三倍はある体長、しかし四肢はすらりと伸び、より人間のシルエットに近い。兵器というより建造物と対峙したかのような威圧感。体格差があまりに極端なため、相手が大きいのではなく自分が小人になったのではないかと錯覚しそうになる。近づくにつれて、巨体が放つエネルギーに大地が震えた。ジェットエンジンの爆風がシュバルツのコートをちぎれんばかりにはためかせる。影は巨体に反した鮮やかな動きでとんぼ返りを打つと、シュバルツの眼前に着地した。

 物体を仰ぎ見る。鎧武者の巨人。重々しい肩当と草摺がクーロンガンダムとよく似ている。俊敏な身のこなしからしてMSではない、ネオホンコンのモビルファイターだ。

「ろくな武装を持たない人間を捕まえるのにモビルファイターまで出すとは。ネオホンコンも焼きが回ったと見える」

「キョウジ・カッシュはデビルガンダムのパイロットだった。DG細胞によって強化されているのだとすれば、これほどの軍備を投入したとしても過剰とは言えまい」

 MSレベルであれば生身でも十分対応できるが、モビルファイターとなると少々骨が折れる。シュバルツは洋刀を脇に構え、呼吸を整えた。

 モビルファイターが左右の腰の鞘から青龍刀を抜く。両手それぞれの刀を曲芸のように回転させると、突然シュバルツに斬りかかってきた。

 シュバルツは瞬時に跳躍する。巨木ほどもある青龍刀が石畳を抉り、破片が空高く飛散した。シュバルツは破片を足場にしてさらに跳び、ビルの屋上に着地した。モビルファイターが刀を水平に振り、シュバルツがいるビルを凪ぎ払う。崩れる足場からひとつ奥のビルへと飛びすさった。

 この戦闘の目的は勝利ではない。キョウジがネオホンコンを発ったら、あとは撤退なりなんなりすればいい――そう考えていたが、モビルファイターが出てきたとなっては、どこまで粘れるかわからない。長引けば長引くほどこちらが不利になるだろう。

 ――逆に攻め込み、無力化を狙うか。

 モビルファイターが重い足音を響かせながら向かってくる。間合いに入った瞬間、青龍刀で連続突きを放ってきた。横に転がり紙一重でかわす。コートの裾が風圧で切り裂かれた。

 モビルファイターはさらに蹴りとパンチのコンビネーションを仕掛けてきた。電撃のようなスピードで繰り出される連続技を、シュバルツはビルからビルへと跳びすさって懸命にかわした。足場としていたビルが次々に破壊され、瓦礫が宙を舞う。目ぼしいビルが近場になくなり、シュバルツが地面に着地しようと落下したその瞬間、青竜刀が垂直に振り下ろされた。

 当たる、そう予感すると同時に体を捻り、すんでのところで斬撃を躱す。二階建ての建物ほどの丈もある刀身が地面にめり込んだ。深く穿ち過ぎたせいか容易に抜けず、モビルファイターの動きが一瞬止まった。

 その隙をシュバルツは見逃さなかった。モビルファイターの前腕に飛び乗り、一気に駆け上がる。肩部から跳ぶと、頭頂部めがけて渾身の力で刀を打ち下ろした。カメラとアイセンサーを含む前頭部が切断され、地面へと落ちていく。掴んでこようとする手を逃れ、向かいのビルに下り立った。

 センサー類がなくなれば、いくらモビルファイターといえどもまともに戦うことはできない。敵の様子を窺っていると、巨人が不気味な笑い声を上げた。

「たいしたやつだ! ただの刀でガンダムに傷を入れるとはな。だが、悪あがきをしても無駄だ」

 モビルファイターの全身に異様な気が満ちる。と、顔面の切断部から幾本もの触手が伸び、絡み合ったかと思うと真新しい前頭部が形成された。

 ――あれはDG細胞の自己再生能力……!?

 なぜネオホンコンにDG細胞があるのか――しかし考えてみれば、そう不思議なことではない。おそらくは軍部がウォンの残した研究成果を利用したのだ。

 モビルファイターの変形は治癒だけにとどまらなかった。肩当と草摺が背後へと移動し、四枚の羽根状スタビライザーを形成する。蜻蛉の羽ばたきのように羽根が振動したかと思うと、一気にシュバルツ目がけて加速してきた。

「くっ!」

 咄嗟に横にかわすが、手刀がシュバルツの左腕を掠める。小枝でも折るかのように、肘が関節と逆方向に折れ曲がった。

 さらにモビルファイターが手刀での突きを放つ。直撃を受け壁に叩きつけられ、喉の奥から血が溢れ出た。

 ――ここは退くしかない!

 懐から閃光弾を取り出そうとするも、巨大な手で捕らえられた。天高く持ち上げられ、握りこまれる。全身にかかる圧力がどんどん増していった。抗おうにも相手のパワーは圧倒的だった。音を立てて四肢が砕けていく。

「ぐあああああああっ!」

 激痛のあまり意識を失いかけたその時だった。

「やめろ! そいつを放せ!」

 聞き慣れた声に、シュバルツははっと我に返った。地上に目をやると、モビルファイターの足元にいるのはキョウジだった。変装を解き、顔を露出させている。

「そいつを放せ! そいつはキョウジ・カッシュじゃない! 本物のキョウジはこの俺だ!」

 ――キョウジ、なんてことを……!

 驚愕とともに怒りがふつふつとこみ上げる。

「どういうことだ? キョウジ・カッシュが二人……?」

 モビルファイターが戸惑っていると見るや、シュバルツは残る力を振り絞って体を激しく揺すった。シュバルツを握る手の力が一瞬弱まり、その隙に下へと脱する。力なく地面に落ちると、キョウジが駆け寄ってきた。

「シュバルツ! 大丈夫か!」

「この馬鹿者が……! どうして来た……」

「お前を見捨ててひとりだけ逃げるなんて、できるわけがない」

「それが間違いだというんだ! 私の努力を無にするつもりか!」

「DG細胞で分身でも作ったのか? 怪しい技を使う化け物め」

 モビルファイターが吐き捨てるように呟く。

「ターゲットの生死は問わないという命令だ。お前たちは危険すぎる。二人まとめて死んでもらう」

 モビルファイターが足を上げ、キョウジとシュバルツに向かって振り下ろす。

「キョウジ! 逃げろ!」

 シュバルツが叫び終わらないうちに、キョウジがシュバルツを力いっぱい突き飛ばした。と同時に巨大な足がキョウジを踏みつける。

 廃墟に地鳴りが響き渡った。

 シュバルツは目の前の光景をどうしても信じることができない。

 モビルファイターの足と地面の間からわずかにはみ出たキョウジの上半身。口からはおびただしい量の血が溢れ、目はすでに焦点を結んでいない。

「嘘だ……」

 シュバルツの腹の底から、得体の知れないエネルギーが噴き上がる。エネルギーは全身を包み、シュバルツ自身を燃えているかのように赤く輝かせた。

「うおああああああっ!」

 ひしゃげた刀をモビルファイターの足に振り下ろす。つま先を切断すると同時にキョウジを引きずり出し、懐の閃光弾を地面に叩きつけた。

「ぐあっ!?」

 周囲が強烈な光に包まれる。シュバルツはキョウジを抱え、ビルの隙間を全力で駆けた。

 朽ちた街のさらに外れにあった廃アパートに飛び込む。キョウジを床に下ろし、怪我の容態を確認しようとしたが、すぐにやめた。腰から下が無残に潰れている。いくらDG細胞で肉体が強化されているといえども、限界を超えたダメージを受ければ致命傷となる。状況は絶望的だった。

「……いや……まだだ」

 ひとつの発想がシュバルツの脳裏に閃く。

 ――理論的には可能なはずだ。

 シュバルツはキョウジのシャツの前を開き、露わになった肌に両の掌を当てた。意識を集中し、みずからの生体エネルギーを掌に集め、キョウジの体に流し込む。限界までDG細胞を活性化させれば、キョウジの命が繋がるかもしれない。その一縷の望みに賭けるしかなかった。

 しかしシュバルツの願いもむなしく、キョウジの治癒が始まる気配はない。もしかすると自分は、すでに絶えてしまった可能性に盲目的にすがりついているだけなのではないか――せり上がってくる不安を振り切り、さらにエネルギーをキョウジに流し込む。体から力が抜けていき、癒えかけていた傷が開いていく気配があったが、止めるわけにはいかなかった。

 みずからの肉体が空虚になっていく感覚。ひどい眩暈。体を支えていられなくなり、シュバルツはキョウジの上に覆いかぶさった。意識が遠のいていく。それでもエネルギーを注ぎ込むのは止めなかった。

 

 ――キョウジ。

 お前は私の半身。

 わが弟の、本当の兄。

 死なせるわけにはいかない。

 どうか私の願いに、応えてくれ……

 

 シュバルツの瞼の裏に、いくつもの記憶が蘇る。

 

 ――ドモン。

 生まれ落ちてから初めて対峙した時、お前の目には不信と敵意が満ちていた。

 しかし幾度も関わるうち、戸惑いと情が宿っていくのがわかった。

 お前に必要とされることで、私がどれだけ励まされたか。

 私という存在の輪郭を、どれほど確かなものにしてくれたか。

 お前のまなざしこそが、私を私たらしめたのだ。

 

 すべてを打ち明け向かい合った時、機体越しでもはっきりと伝わってきた、お前の手のぬくもり。

 私はずっとお前を支えていると思っていた。しかしそうではなく、私がお前に支えられていたのだ。

 あの時初めて、そう実感した。

 

 ドモン。

 お前は私のことを、本当の兄だと言ってくれた。

 その言葉を私がどれほど嬉しく感じたか、お前にはわかるまい。

 しかしそれでもなお、戒めとしてみずからの胸に刻み込む。

 私はお前の本当の兄ではない。

 

 根は繊細で優しいお前のことだ。

 人前でどれだけ気丈に振る舞おうと、内心では死者を悼み続けているのだろう。

 悲しみ続けているのだろう。

 だからせめて、お前の元に本当の兄を届けてやりたかった。

 

 お前の悲しみを、少しでも癒してやりたかったんだ。

 

 

 

 命の灯が消えゆく中、シュバルツは不思議な感覚に襲われていた。

 冷えていく体を、なにかがそっと包み込んでいる。

 人ではない。もっと大きくて、あたたかい。遠い遠い昔――それこそ生まれる前に、こんな気持ちを味わったことがある気がする。

 

 ああ。

 そうか。

 これでよかったんだ。

 

 ……母さん。

 俺を抱きしめてくれてるんだね……

 

 シュバルツの胸に安堵が満ちる。目尻から涙が溢れ、輝きながら虚空に砕け散った。

 

 

 

 気がついた時、シュバルツは廃アパートのリノリウムに横たわっていた。

 思考がまったく繋がらない。みずからが置かれている状況すら、にわかには思い出せなかった。

 ひび割れたガラス窓のそばに、青年が立っている。研ぎ澄まされた知性を窺わせる、その面差し。

「……キョウジ……」

「馬鹿だよ、お前は」

 キョウジがシュバルツを見下ろす。窓の外でなにかが輝いているため、その表情は逆光になってよく見えない。

「キョウジ……頼む。ドモンのそばに……」

「馬鹿だよ。本当にお前は、」

 キョウジの顎からぽつん、となにかが滴り、シュバルツの頬を濡らす。

「……俺はもう、お前のいう『キョウジ』なんかじゃなくなっているのに」

「……どういう……」

 意味だ、と問う暇はなかった。突然天井が薙ぎ払われ、夜空が露になる。モビルファイターが星々を背に立っていた。

「キョウジ……逃げろ……」

 最後の力で声をを振り絞る。キョウジはしかし、緩慢な動作でモビルファイターに向き直った。

「シュバルツ。お前はわかっていないんだ。自分が何者なのか」

 キョウジの左手がひび割れるような音を立てて変形する。DG細胞の触手が絡まり、刃渡り一メートルほどのいびつな刀が手の先に形成された。

「なにを失い、なにを得たか――それさえわかれば、惑う必要などどこにもなくなる。そうだろう?」

 キョウジが跳ぶ。モビルファイターの脚から腰、腰から肩へと跳躍し、そのたびに左手の刀が鋭く煌めく。頭頂部に至ったキョウジを掴もうとしたモビルファイターの右手が不自然にずれた。二の腕にぱくりと輪切りの傷口が開けたかと思うと、あっけなく落下していく。

 斬られたのは腕だけではなかった。キョウジが指を鳴らした途端、両腿が横一文字に分断される。糸を切られた操り人形のように、モビルファイターはバラバラになって崩れ落ちた。

 ――妙だ。なにかがおかしい。

 状況に対する違和感が募る。

 確かにDG細胞は宿主の身体能力を大幅に向上させるが、宿主のポテンシャルを越える能力は引き出すことができない。いくらデビルガンダムのパイロットであったとはいえ、武道家としての鍛練を積んだわけではないキョウジがここまで戦えるはずがない。

 シュバルツの混乱をよそに、キョウジは崩落したモビルファイターのそばに着地した。両脚と右腕を失った胴体部は、横臥したまま微動だにしない。その中央にあるコックピットハッチをキョウジは刀で細切れにし、中に入ったかと思うと、すぐに気絶しているらしきパイロットを抱えて飛び出てきた。

「厄介なのはモビルファイターの再生能力だ。念入りに始末しなくちゃならない」

 キョウジの右手から、糸のように細い触手が無数に生えてくる。触手は音もなく地を這い、モビルファイターの各パーツを包み込むと、いくつもの繭を形成した。キョウジは糸から自身の手を切り離し、パイロットを担いだままシュバルツのそばに屈んだ。

「これでいい。逃げるぞ」

もう片方の肩にシュバルツを担ぎ、全力でモビルファイターから遠ざかる。と、それぞれの繭が粒子のように細かな光を放ったかと思うと、次々に爆発を起こした。爆風はシュバルツとキョウジにも及び、吹き飛ばされる。キョウジはつんのめりながら着地すると、廃ビルの陰の路地に避難した。乾いた土くれの上にシュバルツとパイロットを下ろす。

「シュバルツ、大丈夫か? 死んでないよな?」

「……ああ」

 とはいうものの、生体エネルギーを限界までキョウジに渡したため、意識を保つことすら困難だった。キョウジは「ちょっと待ってろ」と昏倒しているパイロットを引き寄せ、シュバルツの横に並べる。屈みこんで右手をシュバルツ、左手をパイロットの腹に当てた。シュバルツが訝しんでいると、キョウジの手から温かなエネルギーが染み込んできた。

「このパイロットのエネルギーをもらおう。ちょっとかわいそうだけど、死なない程度にとどめておけばきっと勘弁してくれるよな」

 体全体が温かくなり、気力が充実していく。頭もはっきりとし、ようやく思考力が戻ってきた。

「キョウジ。お前がここまでDG細胞をコントロールできるとは知らなかったぞ」

「ずっとうまくいかなかったんだけどね。お前のエネルギーで全快したからかな? やっと安定してきたよ」

「しかしさっきの戦いぶりはすごかった。あれもDG細胞のコントロールによるものなのか? お前の能力を大幅に超えていたようだが……」

 特段深い意図のない問いだったのだが、キョウジの顔が見る間に曇る。

「……あれは宿主の力を、ほんの少し解放しただけなんだ」

「宿主? なんのことだ」

「シュバルツ。お前にはそろそろ、言っておいた方がいいだろうな」

「……? なにをだ?」

 そういえばキョウジは、先刻不思議なことを言っていた。確か――

「今の俺は、もう『キョウジ』じゃない。それからシュバルツ、お前ももう『シュバルツ』じゃないんだ」

「……意味がわからない。どういうことなんだ」

「シュバルツ、よく思い出してみるんだ。二年前、ランタオ島でドモンに討たれた時のことを」

 キョウジに促され、シュバルツの脳裏に「あの瞬間」の記憶が蘇る。

 ゴッドガンダムの掌から放たれた、ひと粒のまばゆい光。

「ドモンの石破天驚拳は完璧だった。明鏡止水の境地で放たれた技に、デビルガンダムは抵抗するすべを持たない」

 キョウジが悲しげに笑う。

「キョウジもシュバルツも、ドモンの心を全身で受け止めた。だから俺たちはあの時、確かに死んだんだよ」

 

 遠い空を飛ぶカモメの群れの声が、シュバルツの耳をくすぐる。

「……お前の発言の真偽を検証するのはさておきだ。私も不思議ではあった。ドモンの渾身の技を受けた私たちが、どうして生きて今ここにいるのか」

 ランタオ島での記憶を紐解いていく。石破天驚拳が直撃するその瞬間も、自分とキョウジはデビルガンダムのコックピットにいた。すんでのところで脱出したという記憶はなかった。ゆえに「運よく生還した」という仮定そのものが奇異なのだ。

「単純な三段論法だ。生きていられるはずはない。だから俺たちはキョウジとシュバルツじゃない」

「なら、私たちはいったい何者だというんだ」

「そのことについて、お前が気づけないのは当然なんだ。キョウジにしか知りようのないことだったんだから」

 キョウジが「おいで」と言い、歩き出す。シュバルツは立ち上がり、後に続いた。

 廃墟を包む夜空の底が白んでいる。地球の濃厚な大気が織りなすグラデーション。ぞっとするほどに美しい。

「今わの際で、キョウジはやっと正気に戻った。その瞬間、何者かがキョウジに干渉してきたんだ」

「何者かとは?」

「センサー類すべてを駆使しても把握しきれなかった。人類の知覚を超えた圧倒的な存在……でも、キョウジにはわかった」

 キョウジの足取りはゆったりとし、まったく迷いがない。

「地球だよ」

「地球?」

「そう。あえて言葉にするならそうなる。最期の瞬間、地球がキョウジに取りすがってきたんだ。『わたしにあなたの創ったものを分け与えてほしい』と言ってね。キョウジはそのとおりにしてやった。地球にDG細胞を感染させてあげたんだ」

「……馬鹿な」

 シュバルツは思わず足を止める。キョウジが立ち止まり、振り返った。

「そんなに馬鹿らしい話かな?」

「ああ。地球に心があるとでもいうのか? ナンセンスだ」

「しかしマクロな視点で捉えれば、地球は高度な生命活動を維持する存在と定義することもできるだろう? そこに意思がないと、どうして断言できるんだ?」

「だとしても、あまりに荒唐無稽だ。惑星そのものがDG細胞のキャリアになるなどと……」

「DG細胞は際限のない自己進化を繰り返す。そこまでおかしな話でもないと思うけどね」

 キョウジがいたずらっぽく笑う。

「さて、シュバルツ。ここで問題だ。キョウジとシュバルツは死に、地球はほんのひとかけらのDG細胞を手に入れた。DG細胞は宿主の精神に感応し、いかようにも姿を変える。これらの事実の意味するところがわかるかい?」

 提示された要素がパズルのピースのように、頭の中で組み合わさっていく。

「……まさか……」

「わかったみたいだね」

 シュバルツは足元が崩れるような錯覚に襲われた。しかしこの感覚を味わうのは、初めてのことではない。

「それこそが俺たちの正体だ。俺とお前は、地球を宿主とするDG細胞の結晶体なんだ。……地球の願いを形にした、いわば残像のようなものにすぎないんだよ」

 

 いつの間にか、空から夜の気配が去り始めている。

 二人は無言で見つめ合った。

「ショックだったかい?」

「……いや……」

 驚愕しなかったといえば嘘になる。しかし腑に落ちる感覚があったのも事実だ。

「行こう。いつ新しい追っ手が来るかわからない」

 そうは言うものの、キョウジの足取りはやはり泰然としている。シュバルツも再び歩き出したが、夢の中を歩いているようなおぼつかなさがあった。

 まもなく港が見えてきた。この辺りは富裕層のエリアらしく、コンクリートの浮き桟橋に豪華なプレジャーボートがいくつも泊まっている。キョウジは「よっと」とかけ声を上げると、その中のひとつに飛び乗った。

「なにをするつもりだ?」

 桟橋から声をかけると、キョウジはおどけた調子で肩を竦めた。

「ネオホンコンを脱出するんだよ。この船でね」

「盗むのか?」

「ミンたちのと違って、金持ちの道楽の船だよ。ひとつ拝借したくらいで、どうということはないさ」

「しかし……」

「まだネオジャパンコロニーに俺を送りたいと思ってるのか?」

「……ああ」

「もうわかってるはずだ。俺をドモンに会わせたところで、意味なんてあんまりないんだよ」

 キョウジが空を仰ぐ。名前のわからない海鳥が、隊列を成して飛んでいる。

「俺は厳密な意味ではもはや『キョウジ』じゃない。キョウジの記憶を引き継いだDG細胞にすぎないんだ。本当の兄としてあいつに会うことはできない。……願いを叶えてやれなくて、すまないな」

「いや……」

 不思議なことに、無念の情はなかった。あるのはただ、冴え冴えとした諦念ばかりだ。

 ――私たちは幾度も死に、そのたびに異形となって蘇る。

 きっとこうして、少しずつ朧になっていくのだろう……

「今、地球の心は凪いでいる。だから俺たちは奇跡的に安定した姿を保っていられるけど、人類が今までのように愚行を重ねていったら、この先どうなるかわからない。ひとたび地球が決意したら、その瞬間に俺たちは地球の望みを叶える姿に変容するだろう。今の姿を保つことはできなくなる」

「そうか……」

「だから俺は、これから世界各国を調べて回るつもりだ。人類が地球にとって好ましからざるものになるのを食い止めたい。そのためのせめてもの悪あがきだ」

「……なるほどな」

「お前はどうする? シュバルツ。お前はこれからどうしたい?」

 キョウジは船の縁からシュバルツをじっと見下ろしている。

「私がどうしたいかだと?」

「うん。俺は変わらず、お前に自由になってほしいって思ってる。ただの『キョウジ』の罪滅ぼしなのかもしれないけど……それでも俺は、お前に幸せになってほしいんだ」

「私の気持ちなど、考えるまでもない」

 シュバルツは船に飛び乗り、キョウジを睨みつけた。

「お前と共に行く。私はお前なのだからな」

「……本当に馬鹿だなあ。シュバルツは……」

 キョウジの顔が泣き出しそうに歪み、しかしすぐに苦笑いへと変わった。

 シュバルツは甲板から伸びる梯子を上り、船の最上部にある操舵室へ向かった。

「キョウジ、係留ロープを頼む。私はエンジンを動かす。目的が定まったのなら、一刻も早くここを出るぞ」

「了解」

 操舵室に入ったシュバルツは懐から針金を取り出し、エンジンの鍵穴に差し込んだ。慎重に針金を操ると、やがて勇ましい音を立ててエンジンが動き始めた。

「すごいな。さすがは忍者」

 キョウジが梯子を上ってき、シュバルツの隣に座る。

「キョウジ」

「うん? なに?」

「確かにお前はキョウジそのものではないのかもしれない。……しかしそれでも、いつかはドモンに会ってやってくれないだろうか。キョウジの記憶が今も息づいていることを知れば、きっとあいつは喜ぶだろう」

「しつこいなあ、シュバルツは……」キョウジが呆れたように笑う。「でもそれはお前も一緒だろ。シュバルツの記憶が今もこの世にあるってことを、俺はドモンに教えてやりたいよ。絶対に喜ぶだろうから」

「……そうだろうか」

「当たり前だろ? なんでそんな簡単なことがわからないかなあ」

 キョウジが大仰な仕草でため息をつく。

「だからさ、もう勝手な画策をしないでほしいんだよ。ドモンに会いに行くのなら二人で行こう。いつか世界がすっかり平和になったら、その時に」

「……ああ。わかった」

 シュバルツはスロットルレバーを握り、少しずつ前に倒した。しずしずと船が進み始める。

「キョウジ、まずはどこへ行く?」

「どこだっていいよ。どこに向かおうと、きっと未来に繋がってるだろうから」

 昇り始めた太陽が眩しく、シュバルツは目を細める。

 

 ――たとえ私たちが朧な存在なのだとしても。

 心に定めるものがあれば、きっと生きていける。

 最期のその瞬間まで、前を見て歩んでいける。

 

 まだ暗い海に、太陽が一筋の光る道筋を作っている。二人を乗せたボートはその筋に向かい、一心に進み続けた。

 

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