Cannon†Girls   作:黒鉄大和

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第13話 絆の果ての想い

 数日後、二人は無事にドンドルマへと帰還した。

 レンはすぐに精密検査の為に病院へと送られた。本人は大した事はないと言い通したが、エリーゼが断固として認めずほぼ強制的に病院にぶち込んだ形であった。本人が自覚していないだけで内部で怪我をしている事など決して珍しい事ではない。その為エリーゼは念には念を入れたのだ。それに、狩場では応急処置程度の手当てだったので本職の人にしっかりやってもらう必要があった。

 レンを病院に押し込んだエリーゼは一人で酒場へと向かった。すでに連絡をしていた為、そこには担当者のライザと依頼人の八百屋の店主が待っていた。

「お疲れ様~。卵の方は無事に依頼主さんに渡しておいたわよ~」

 優しげな微笑を浮かべるライザを見ると、やっと帰って来れたという実感を得られる。やはり狩りの締めはこうではないといけない。同時に、ライザの顔を見ないと帰って来た気がしない自分に呆れるエリーゼ。

 元気良く笑顔で手を振っているライザの横では八百屋の店主が深々と頭を垂れていた。

「本当に、ありがとうな嬢ちゃんッ。何て礼を言ったらいいか……ッ」

 男は今にも泣き出しそうなくらい瞳に涙を溜めて何度も何度も頭を下げる。そんな男にエリーゼは若干照れながらも「顔を上げてくださいッ。まるで私がいじめてるみたいじゃないですかッ」と素直じゃない言葉を吐く。

「そういえば、レンはどうしたの?」

「あぁ、レンなら病院にいるわよ」

 エリーゼが病院と答えた途端、二人の表情が険しくなった。慌ててエリーゼは「大した事ないわよ。怪我自体は軽いんだけど、一応ちゃんと医者に診てもらう為に行かせただけだから」とレンが比較的無事な状態を伝える。

「そっかぁ。まぁリオレイア相手にルーククラスのハンターが無傷なんて奇跡以外の何ものでもないからね。それくらいの怪我まぁ当然よね」

「そうか。それは良かった……」

 エリーゼの言葉に二人はそれぞれほっと胸を撫で下ろした。それほど、リオレイアを相手にするというのは危険な事なのだ。そして、レンはその危険を見事に果たしたのだ。改めて彼女の偉業はすごいとしか言いようがない。

「あなたは怪我とか大丈夫なの?」

「あたしは運搬役だったから、この通りピンピンしてるわよ」

 情けないと思いながらも事実なので虚偽を報告する訳にもいかず、自虐的な笑みをと共に事実を述べるエリーゼ。だがライザは「そっか。無事で何よりよ」と笑顔でエリーゼを迎えた。その笑顔に一瞬驚くも、彼女らしいその反応に小さく苦笑する。

「ほんと、あんたを見ていると悩むのがバカバカしく思えてくるわ」

「何よそれひっど~いッ」

 プンスカと怒るライザだが、まったくもって迫力はない。エリーゼは冗談ですよと笑いながら、改めて男の方を見る。前に会った時は今にも倒れてしまいそうな印象だったが、今は幾分か回復しているように見える。やっと卵が届いた事でようやくひと安心できたのだろう。そう思うと、自分達が命を懸けただけの事はあったとどこか救われるような気がした。

「それじゃ、はいこれ。報酬金よ」

 そう言ってライザはお金の入った小さな袋を二つ差し出して来た。中身は当然今回の依頼の報酬金だ。正確に言えば報酬金を受注者二人で均等に分配した金額が入っており、契約者であるエリーゼは契約金の返還及び同額の上乗せ金が入った赤い帯で口を締められた方の袋を受け取って懐に入れる。もう一方の無印の方は同行者であるレンに対する報酬金だ。

「確かに受け取ったわね」

 ライザはそうニッコリと微笑むと、依頼書に全ての手続きが終了した事を意味するハンコを押す。この瞬間、この依頼は完全に終了したのだ。

「改めて礼を言わせてくれ嬢ちゃん。ほんと、ありがとうな」

「いいわよ別に。それより、約束ちゃんと覚えてるわね? とっておきのリンゴ、レンがすっごく期待してるんだから、裏切ったりしたらただじゃおかないからね」

「わかってる。そうと決まったら早速仕入れないとな。今から仕入れるとなるとそれなりに時間は掛かるが、必ず手に入れるから待っててくれや」

「まぁ、期待しないで待ってるわよ」

「レンにもありがとうと伝えておいてくれ。じゃあな」

 男は再度頭を下げて酒場から出て行った。その後ろ姿を見送り、エリーゼはようやく一息ついたように近場の席に腰かけた。ちょうど小腹が空いていた事もあり、メニューを手に取って眺めていると、視界の隅にジョッキが現れた。顔を上げると、そこにはニッコリと微笑むライザが立っていた。

「これはあたしからのお祝いよ。みんなには内緒だからね」

 そう言ってウインクすると、ライザは両手に様々な料理を絶妙なバランスで積み上げた状態だというのに軽やかな足取りでホールを駆け巡っていく。そんなライザに苦笑しながら、エリーゼはジョッキを手に取った。中に入っていたのはレンの大好物であるハチミツ入りミルクであった。

「……どうせならお酒とかにしてほしいんだけどね」

「だってビールとかあなた飲めないじゃない」

「ひゃあッ!?」

 突然声を掛けられて驚くエリーゼ。バッと振り返ると、そこには女の目から見ても魅力的な美しい微笑みを浮かべたライザが立っていた。

「あ、あんたさっき向こうに行ったんじゃ……」

「細かい事は気にしないのよエリーゼ」

 そう言ってライザは平然とエリーゼの対面の席に腰掛けた。あまりにも堂々としていたので一瞬ポカンと凝視していたが、すぐにエリーゼはツッコミを入れる。

「いや、あんた仕事中でしょッ!? 働きなさいよッ!」

「大丈夫よ。この時間なら人も少ないから他の子で十分回せるわ。別にここのギルド嬢は私だけじゃないんだから」

「そ、そりゃそうだけど……」

 納得はできないが、強く言う事もできずに黙ってしまうエリーゼ。その無言を許可と受け取ったライザは笑顔を華やかせてメニューを手に取った。

「私も昼食はまだなのよね。ちょうどいい機会だし、簡単に食べよっと」

「あっそ。勝手にすれば」

「もう、レンちゃんと違ってエリーゼはつれないわねぇ」

「そもそもあたしとレンを比較する事自体が間違いなのよ」

「そんな身も蓋もないわね……」

 エリーゼの返答に対してライザは苦笑しながら、近くを歩いていた後輩を呼んだ。呼ばれたギルド嬢は胸には名札の下に《研修中》という札が下げられていた。どうやら新人らしい。

「あ、ライザさん休憩中ですか?」

「そうなのよぉ。あ、注文いいかしら?」

「え? あ、はいッ」

 突然仕事に引き戻され、しかも上司がお客という立場になった事に緊張しまくる新人さん。ライザはそんな新人さんに優しく微笑み「大丈夫よ。がんばって」と励ます。その笑顔に、新人さんは少しだけ緊張が解けたのか、まだぎこちないながらもしっかりとオーダーを取る。

「えっと、ご注文は?」

「絶品卵かけご飯セット二つお願い」

「承りました」

「ちょ、ちょっと待ちなさいよッ!」

 二人の微笑ましいやり取りを静かに見守っていたエリーゼだったが、ライザの注文内容に驚いたように目を見開いて慌てて止めに入った。

「何で二人前頼んでるのよッ!」

「あら、あなたの分もと思って」

「勝手な事しないでよッ! あたしはあたしで注文があるんだからッ!」

「別にいいじゃない。ここは私がおごってあげるからさ」

「そ、そういう意味じゃなくて……ッ」

 エリーゼがどう説明したもんか詰まった隙を見逃さず、ライザは「それじゃよろしくねぇ~」と勝手に話を進めてしまう。

「ちょ、ちょっと待ちなさいよあんたッ!」

「……エリーゼ。その辺にしておきなさい。あんまり怒るとこの子泣いちゃうわよ?」

 呆れるライザに隠れるようにして新人さんが涙目で怯えたようにエリーゼを見詰めている。その視線にエリーゼは「うっ……」と詰まってしまう。これではまるで自分がいじめっ子みたいではないか。見た限り、新人さんは自分と同じくらいの年齢だが、その仕草はまるで子供のようだ。

「……わ、わかったわよぉ」

 周りの視線がそろそろ辛くなり始めてきた頃、エリーゼはうな垂れながら了承した。どうも自分はこの新人さんやレンのような弱々しい感じの子に弱い。そして、隣でおもしろおかしそうに笑っているライザも。

 ライザに慰められて新人さんは泣き止むと厨房へと消えた。そんな彼女の背を見送ったライザは「さってと」と話題転換する。

「今回は本当にお疲れ様。よくがんばったわね」

「疲れたには疲れたけどあたしは運搬くらいしかしてないわ。その労いの言葉は殿を務めたレンに言って」

「何言ってるのよ。確かにリオレイア相手に殿を務めるのは大変だけど、卵の運搬ってのも疲れるでしょ? 何せ持っている間はランポスや、興奮したモスの突進でも脅威になるんだから。その精神負担はかなりのものよ」

「まぁ、そりゃそうだけど……」

「ほんと、お疲れ様」

 そう言ってニッコリと優しげに微笑むライザ。その笑顔は純粋に難依頼を無事に達成した友人の苦労を労うと共にその勝利を祝福する想いが込められていた。そのどこかレンに似た純粋で屈託のない笑顔に、エリーゼはすっかり拍子抜けしてしまい肩をすくませる。

 何というか、色々と隙がなくて根回しが神業的で敵にすると厄介極まりなく、かと言って味方にしていても心労が絶えない本当に面倒な存在ではあるが、そんなライザをどうしても嫌えない理由。それはこの本心の純粋さにあるのかもしれない。彼女の笑顔を見ていると、どんな無茶苦茶な事だったとしても仕方ないと受け入れてしまう。そんな魅力があり、同時に本当はすごくいい人だと思わされる。まぁ、実際は個人の価値観によって様々ではあるが、エリーゼはライザを面倒な《友人》という位置づけをしている。実は、何だかんだでエリーゼはライザの事を信頼しているし、好きなのだ。

「そういえば、あなたすっかりあたしに対して敬語を使わなくなったわね」

「あんたに敬意を払う必要なんてないってわかったからね」

「ひっど~いッ。でもまぁ、あたしもその方が気兼ねなくていいんだけどね」

「冗談ッ。気兼ねなんて単語はあんたの辞書にないでしょ」

「……あのさ、これでもあたし気兼ねしまくる中間管理職っていう面倒極まりない立場なんだけど」

 エリーゼの容赦のないツッコミに対し、ライザは苦笑する。だが内心はそんな気兼ねないエリーゼの態度を喜ばしく思っていた。

 ほんと、色々と苦労する立場で日々笑顔の下では心労も多いライザにとっては、こういう気兼ねなく接する事ができる友人の存在はありがたい。

 実はライザ、職業上様々な人と知り合いだったりして友人も多そうだが、それはあくまで仕事上の関係。仕事抜きで接する事ができる友人というのは実はあまり多くないのだ。何だかんだで、彼女は実に仕事一筋なキャリアウーマンなのだ。おかげで現在同僚からは「婚期を逃すわよ」とからかわれて落ち込んでいるのは内緒だ。

 様々な権力者や幹部の弱みを握って、それをネタに下部組織の職場環境改善や職員の待遇改善などを強行して来た彼女は下からは好かれているが上からは嫌われている。だがその抜群の事務処理能力と切れ過ぎる指揮官としての能力、部下を一纏めにできる人望、何より多くのハンターを魅了するその圧倒的過ぎる容姿などは歴代のギルド嬢でも類を見ないものであり、上層部も彼女の立場を下手にいじる事ができない。そうなればたちまち彼女に味方する者達の集団ストライキや暴徒化が起こるのは必然であり、それ以前に彼女の持つ口外されたら大スキャンダルとなるネタによって社会的な抹殺は免れない。ある意味、ハンターズギルドにとってライザは看板娘であり、一撃でギルドが崩壊しかねない爆弾のような存在なのだ。

 そんな存在だからこそ彼女を慕ったり尊敬したりする者達は多いが、それはあくまで尊敬や憧れの対象であり、決して友人という対等な立場ではない。その仕切りが、ライザに接する者が彼女に対して一線引いてしまう理由だ。当然、そういう状況であれば友人というのはなかなか生まれないものだ。

 そういう状況で生まれるエリーゼのような友人と呼べる存在は、彼女にとってはどんなに金や名誉、地位をあてがわれても決して代替できない貴重な存在。だからこそ大切に想い、こうして自分にできる事で全力でサポートする。

 ハンターズギルド史上(色々な意味で)歴代最強のギルド嬢と謳われるライザであっても、その実はどこにでもいる普通の花の二〇代真っ盛りの女性なのだ。

 その後二人は軽い雑談を交わしながら運ばれて来た昼食の卵かけご飯を食べた。レンのように毎日のように食べたいという気持ちにはならないが、たまに食べると本当においしい。

 スルスルッと簡単に胃袋に入り、食事は終わった。腹も十分満たされ、ライザはのコーヒーでエリーゼは紅茶と食後の余韻に浸っていると、ふとライザが思い出したように口を開いた。

「それにしても、レンちゃん抜きであなたと話すのはずいぶん久しぶりよね」

「そうだっけ?」

「そうよ。あなたいっつもレンちゃんとベッタリだったじゃない」

 ライザはおかしそうにくすくすと笑う。その言葉の奥には彼女をからかって当然素直じゃない性格をしている彼女が顔を真っ赤にして反論する様を期待する想いがあった。エリーゼにとってレンはいじめたくなる子らしいが、ライザにとってはエリーゼの方がいじめ甲斐がある存在なのだ。

「……そうだったわね」

「エリーゼ?」

 ――だからこそ、エリーゼがどこか空ろな瞳をしながら肯定の言葉を漏らした事にライザは驚きのあまり呆然としてしまった。

「ほんと、ちょっとの間面倒を看るつもりだったのに、いつの間にかずいぶん長い事一緒にいちゃったわね」

「まぁ、そりゃそうね。でもどうしたの突然」

「その間に、あいつは見違えるくらい成長した。面と向かっては口が裂けても言えないけど、あいつはあたしなんかよりもずっとハンターの素質に恵まれてるわ。まだまだ世間知らずで子供みたいに頼りない所も多いけど、正直もうあたし以上の実力を身に付けている。あの子を一人前のハンターにする……あたしの役目は終わったのよ」

「エリーゼ……?」

 一体何を言っているんだろうこの子。そんな疑問を浮かべながら呆然と立ち上がったエリーゼを凝視するライザ。エリーゼは無言で懐から昼食の代金をテーブルに置き、ライザに背を向ける。その背中は、どこか痛々しく弱々しい。

「ちょ、ちょっとエリーゼッ」

「――レンは、もう一人でも大丈夫よね」

 そう言い残し、エリーゼは去って行った。

 

 その夜、ようやく病院から解放されたレンは早くエリーゼに会いたくて駆け足で宿へと戻った。いつものようにドアを開き、いつものように「ただいまです」と声を掛け、いつものように部屋へと入る。そこには久しぶりの我が家があった。エリーゼと自分、それぞれの日用品や娯楽物が置かれており、最近では少し手狭になってきたくらいだ。

 最初の頃に比べてずいぶんと私物が増えてはいるが、なくなったものもある。それは藁のベッドだ。最初の頃はそれで過ごしていたのだが、さすがにエリーゼも不憫に思ったのか元々大きいベッドで小柄なレンの体格もあって、今では一緒にベッドで寝ている。その為、不要な藁のベッドは片付けられ、部屋に一つしかないベッドは二人の共用となっている。

 何もかもが依頼へ行く前と変わらない。帰って来た、そんな想いが胸に溢れる。

 そんな中、ベランダに設置された木製のデッキチェアに月明かりだけを頼りに本を読んでいるエリーゼの姿を見つけた。彼女はよくあの席で本を読んでいるのだ。

「エリーゼさんッ。ただいま帰りましたッ」

「おかえり」

 元気良くあいさつするレンに対し、エリーゼはパタンと本を閉じて膝の上に置くと優しげな笑みを浮かべてそう迎えた。その彼女らしからぬ対応にレンはきょとんとする。いつもなら読書中は本から目を離す事なく「おかえり」と言うだけなのに、今日に限っては違っていた。

「え、エリーゼさん?」

「お疲れ様。検査、どうだった?」

「あ、はい。特に問題ないそうです。エリーゼさんが手当てしてくれた甲斐もあって怪我も順調に回復しているそうです」

「そっか。あ、ジュースがあるけど飲む?」

「え? あ、はい」

 レンがそう返事するとエリーゼは「ちょっと待ってて」と言って部屋に備え付けられている氷結晶で物を冷やす氷結晶式冷蔵庫の扉を開けて中から冷えたリンゴジュースの入ったビンを取り出し、コップに注いで持って来た。

「はい」

「あ、ありがとうございます」

 エリーゼからジュースを受け取ったレンは、嬉しい気持ちを抱く一方でそのいつになく優しいエリーゼの態度にレンは違和感を感じていた。エリーゼは根は優しい人だが、それを自分から表に出すような人ではない。それがレンのエリーゼに対する人物評価であった。

「エリーゼさん、どうしたんですか?」

「どうしたって何がよ」

「いえ、いつになく優しいから」

「何よそれ。まるでいつものあたしは優しくないみたいな言い方」

 拗ねたように言うエリーゼの言葉に、レンは慌てて「そ、そんな事ないですよッ! エリーゼさんはいつもすっごく優しいですッ!」と答えた。こんな事言えば顔を真っ赤にしてエリーゼに怒られるとわかってはいたが、言わない訳にはいかなかった。

「そっか。ありがとう」

 しかし、エリーゼは怒る事もなくレンの言葉をそのまま受け入れて嬉しそうに笑った。その反応にレンは拍子抜けすると同時に、やっぱり何かおかしいとエリーゼに対する違和感への疑惑を深めた。

「エリーゼさん、ほんとどうされたんですか?」

 レンは気になってそう疑問を投げ掛けたが、エリーゼは何も答えずにレンにベッドに座るよう促した。レンがそれに従って腰を下ろすと、その隣にエリーゼもゆっくりと腰掛けた。怪訝そうにそちらに目を向けると、エリーゼはそっと微笑んだ。

「ほんと、あんたには礼を言わなくちゃね」

「え? そんなお礼なんていりませんよ。私は自分の役目を――」

「それだけじゃないの。ほんと、あんたには言葉じゃ言い表せないくらい感謝してるのよ」

「エリーゼさん?」

「……頼られているつもりが、あたしがすっかりあんたを頼ってたって事がわかったの。ほんと、あたしって全然素直じゃないから今更ながらそんな大切な事にやっと気づいたのよ」

「い、いえそんな事は……」

 様子がおかしい。そうわかってはいるけど、滅多に聞けないエリーゼからの誉め言葉にレンは内心すっかり有頂天になっていた。これまでずっと自分は《ダメな子》扱いされていたが、本当は立派な相棒として認めてもらえていた。その事実が、嬉しくて仕方がない。

「まだまだあたしなんかよりは比べ物にならないくらいダメダメだけど、あんたはいずれすんごいハンターになるわ。あたしが言うんだから、間違いないわよ」

「そ、そんなぁ……」

 自分がそんなすごいハンターになれるとは全く思っていないし思い上がってもいない。でもきっと、これからもエリーゼと一緒にどんどん強くなって、いずれは二人で大陸中に名を轟かせるようなハンターになりたい。そんな願いを、抱かずにはいられない。

「……あんたは立派に成長した。これからは、もっと上を目指して自分の判断で突き進みなさい。あたしがあんたに教える事は、もう何もないから」

 ――だから、そう悲しげに言うエリーゼの言葉の意味がよくわからず、次に彼女が発した言葉を理解した時、レンはこれまでにない最悪の絶望に襲われた。

「今までありがとうね。これからは、それぞれの道に向かってがんばりましょ」

 ――レンの中で、何かが壊れる音がした……

 

 酒場の稼ぎ時は夜である。その為酒場の中は客(ハンター)が詰め掛けており大盛況。夜勤のギルド嬢達が奔走する中、ライザは一人カウンターにいた。今の所夜勤のギルド嬢だけで回っているので良くも悪くも職場では古株のライザはこうしてカウンターで書類の作成や依頼書の整理などの事務仕事が担当となっている。この時間でも狩りを終えたハンターの完了手続きやこれから夜の間に出発するハンターの受注手続きなどがある為、カウンターは空けられないのだ。

 今日もいつも通り書類の作成をしていたライザであったが、その手はピタリと止まっていた。頭の中には目の前の書類の内容などなく、あるのは先程のエリーゼの言葉であった。

 ――レンは、もう一人でも大丈夫よね――

 その言葉から導き出される答えは一つしかない。だが、そんな事ありえるのだろうか? エリーゼはレンに依存している。なのに、それを自ら放棄するなど――ありえる。エリーゼは、そういう子なのだ。仲間の為なら自分が犠牲になる事もいとわない。それがエリーゼであった。

「ちょっと、見て来た方がいいかしら」

 羽ペンを置いて辺りを見回してみると、後輩のギルド嬢達がテーブルとテーブルの間を駆け回っている。一人カウンターに配置するのは無理そうだ。

 もう少し経ってから様子を見に行こう。そう決めた時、宿へと繋がる階段から何かが転げ落ちて来た。あまりの音と衝撃に一瞬にして酒場が静かになり、皆は一斉に階段を転がって来たものを見詰める。ライザも同じように呆然としながら見ると、それは見知った顔であった。

「れ、レンちゃんッ!?」

 激しく体を打ちつけたせいか、レンは泣きじゃくっていた。ライザは慌ててカウンターを飛び越えてレンに駆け寄る。周りはそんなライザとレンを見て呆然としている。

「ちょっと何やってるのよッ」

 階段から転げ落ちてくるという危険極まりないドジっぷりを披露したレンにいつもの事かと呆れつつも、怪我がないか確認する。どうやら目立った怪我はなさそうだ。日頃のドジのおかげで意外と彼女の体はタフになっているらしい。

「ほんと、何を急いで――って、レンちゃん?」

 泣きじゃくるレンを見て、ライザはその異変に気づいた。てっきり転倒の際に体を激しく打ちつけた痛みのせいで泣いていると思っていたが、そうではないらしい。何か別の理由で彼女は泣いていた。

「ど、どうしたのよレンちゃん。何があったのよ?」

「ライザさん……ッ! エリーゼさんが……エリーゼさんがッ!」

 その瞬間、ライザは自分の最悪の予想が的中したのだと理解した。

 

 後の事を後輩に任せ、ライザはレンをスタッフオンリーの休憩室に連れ込んだ。ここは本来スタッフ以外は入る事は許されないのだが、その辺はライザの権力を駆使すれば反故にする事など容易である。

 泣きじゃくるレンから何とか事情を聞き出せたライザは深いため息を吐いた。

「……ったく、あの子らしいというか何というか」

 本来なら激昂して今すぐにでも怒鳴りに行くべきなんだろうが、ライザはそうしなかった。昼間、エリーゼの悲しげな背中を見ていた彼女は、エリーゼの苦渋の決意を理解していたからだ。

 エリーゼという子は何事においても効率を優先する子であり、仲間の為に自らを犠牲にする事もいとわないという性格をしている。きっと、金の卵とも言うべき才能に溢れたレンをより成長させようと、自ら身を引いたのだ。

 つまり、レンの為に彼女はコンビを解消したのだ。自分はもう用済みだから、潔く身を引く。それが彼女なりのレンに対する思いやりだという事はわかる。でも、

「何で……どうしてなんですかぁ……。ひぐッ……私、うぅ……エリーゼしゃんに……ふぇ……嫌われたですか……あ、ああぁぁぁあッ」

 机に突っ伏して声を上げて大泣きするレン。自分がエリーゼを怒らせるような事をしたから、だから自分はエリーゼに嫌われた。そう思ってしまうのも当然な程、エリーゼは突然過ぎた。今までずっとエリーゼと一緒だったのに、突然隣にいる資格を失ってしまい、レンは半狂乱になっていた。その姿は、あまりにも痛々しくて見ていられない。

 エリーゼは軽率過ぎで、自分勝手だ。効率ばかりを重視して、レンの気持ちを無視している。レンにとって、エリーゼは掛け替えのない親友であり、姉である。その関係を壊す必要が、どこにあるのか。

 レンは確かに凄腕のハンターになるだろう。だがそれは、決して一人の力だけではない。その隣には、同じように無双のような強さを得たエリーゼが立っている。レンとエリーゼ、二人で一つの最強。それがライザが抱く二人の運命であった。

 お互いの中で、もうお互いを捨てられない程その存在が大きくなっている。それはレンもエリーゼも同じはずであり、それが二人の急成長の根源だ。その根源を、エリーゼは断とうとしている。

 それは思いやりなのかもしれない。だが、その真実は二人の成長を止める事でしかない。何より――二人にとっては最悪の展開でしかなかった。

 ライザは泣き崩れるレンを抱き締めた。そしてその耳元でそっとつぶやく。

「安心なさい。エリーゼは別にあなたを嫌いになった訳じゃないのよ」

 すると、レンはゆっくりと顔を上げて涙目でライザへと向き直る。

「ほ、本当ですか……?」

「本当よ。ただちょっと、すれ違いが起きているだけだから」

「すれ、違い?」

「そう。相手の事をも思いやるあまりに、とても大切な事を見失ってしまった――すれ違いよ」

 ほんと、若いっていいわね。そんな事を思いながらライザは微笑むと、そっとエリーゼのその身勝手な《思いやり》をレンに教えるのであった。

 

 結局、その日レンはエリーゼに締め出される形になってしまった為レンはライザの寮で一晩過ごす事になった。初めてエリーゼに会った時は規則でダメだと言っていたが、彼女が本気を出せばその辺の規則など簡単に曲げられるのだ。だったら最初からやれというのは野暮である。

 とにかくエリーゼもレンもお互いに頭を冷やした方が良い。それがライザの導き出した結論であった。

 そして翌朝。ライザが朝目覚めると一緒に寝ていたはずのレンの姿がなかった。その代わりに、テーブルの上には《エリーゼさんの所へ行きます》という書置きが置いてあった。

 まだ起きたばかりで髪がボサボサなライザはその書置きを見てフッと微笑んだ。

「……ほんと、妬いちゃうくらい仲良しなのね」

 

 朝焼けが空を温かく染め上げて一日の始まりを告げている。市場はそろそろ長く厳しい一日が始まろうとしているが、それ以外の地域はまだ眠っている為静かである。いつもは人が大勢往来している大通りも、今は無人の直線道路だ。

 春には東方大陸伝来の《サクラ》という花を咲かせる木が植えられている市民公園もまた、昼間に響く子供の声もなくひっそりと静まり返っていた。

 そんな中、公園のベンチに一人の少女が腰掛けていた。桃色のツインテールを流したその少女は、朝焼けに染まった空を見上げながら市場の中にある朝早くから営業している立ち飲み屋で買って来たコーヒーを飲んでいた。

 まだ冬は先だが、それでも夏に比べればずいぶんと涼しくなった。特に朝方の風は冷たく、肌に触れるたびにブルブルと震えてしまう。温かいコーヒーはまさに絶好のチョイスだ。

 無言で朝焼けを見上げる少女の瞳には、いつもの意志の強さもなければ刃物のような鋭さも失われていた。ただぼーっと、流れて行く雲を見詰めるだけ。その瞳は空ろであった。

 少女――エリーゼは何をするでもなく、ただそうして何十分以上次第に完全な夜明けへと変わっていく空の移ろいを眺めていた。

「はぁ……」

 時々漏れるこのため息は、疲れているから出るものではない。ただ、これからどうすればいいのかわからず、散々考えたけど結局何もいい案が浮かばない自分の無力さを呆れるものだ。

 昨夜、エリーゼはレンに対してコンビ解消の意思を示した。理由はいつまでもお互いがお互いに依存し続ける訳にはいかないというエリーゼの総合的な判断であった。

 自分自身、レンに依存し過ぎていた。他人との馴れ合いを嫌い、孤立無援で学生時代の大半を過ごしていたエリーゼ。自分の思うとおりのタイミングで自分の思った行動が取れる単独こそが一番の戦い方だと貫いたのだ。

 しかし今の自分はどうだ。自らが導き出した結論を破り、レンとコンビを組んでしまい、すっかりコンビでの戦闘に慣れてしまった。再びソロに戻るのならば、この機を逃して他はない。本来の自分に戻る時が来たのだ。

 同時に、このコンビ解消にはレンに対するものでもある。レンはまだまだかけだしのハンターだが、その実力や勘からは将来有望できる片鱗が見え隠れしている。いずれ、彼女は自分をも越えるハンターになる、そう確信していた。その為にも、ハンターが最も成長するソロに転向させる必要があった。

 自分が同学年の中で類稀なる実力と知識を身に付けたのはソロであったからだ。その経験から、レンにも一時でもいいからソロハンターに転向する必要性を感じ、より彼女に成長してほしくて、自分の身をしっかり守って長生きできるようになってほしくて、身を引く。

 レンは、自分と一緒では凡なハンターになってしまう。なぜなら、自分が凡なハンターだからだ。いくら努力した所で、才能の溢れる人間には叶う事はない。人間の実力はそれこそ大タルに入った水のようなものだ。生まれながらに人間は個々それぞれのサイズの大タルを持ち、これを才能と言う。その中に溜まる水こそが実力。いくら努力して実力という名の水を溜めようが、才能という水を溜める大タルの大きさが小さければ、溜められる量は少ないままだ。

 天才というのは、その大タルがとても大きい。次第に水は溜まっていき、いずれ凡人の許容量を越えてさらに水を溜めていく。

 天才と努力家。決して交わる事のない水と油だ。

 努力で今の実力を何とか保っている自分が、才能の溢れるレンに教えられる事は本当に基礎中の基礎でしかない。それ以上の干渉は、彼女の大タルに入る水を減らすだけ。つまり、これ以上の干渉はレンにとっては有害でしかない。

 だから、エリーゼはレンとのコンビを解消したのだ。結局、全てにおいてエリーゼはレンの為に行動していた。例え昨晩のようにレンが泣きながら必死にコンビの存続を訴えても、例えその後「エリーゼさんのバカッ!」と泣きながら出て行かれて嫌われたのを確信しても、これだけは貫き通す必要があった。

 妹(レン)に嫌われてでも、自分は妹(レン)の為になるのならば何でもする。それが姉というものだ。

 レンが再び交渉に訪れる事を嫌い、エリーゼは先手としてレンの入室を禁じた。さらに翌日にはきっとライザと組んで交渉に来る事を先読みし、さらに先手として部屋から出たのだ。自分の手持ち金の大半を家賃にして管理人に渡してある。これで、レンはあと2ヶ月くらいは家賃を払わずにあの部屋に住む事ができる。

 全ての準備は整った。後は、すでに目をつけてあった地方都市に向かってドンドルマを出立すればいい。レンから逃げるように、都市間竜車の到着はまだ全然先なのにこうして朝早くに宿を出た。だが、出たはいいがここからそれまでの時間をどう過ごすなどは全く考えていなかった。悩んだ挙句に来たのが、この公園だったのだ。こんな朝早くでは、店に入って時間を潰す事もできないし、市場ではすっかり顔が知れているのであそこに長居もできない。結局ここが一番だという結論になったのだ。

 だからこうして公園のベンチに腰掛け、市場の立ち飲み屋で買ったコーヒーを片手に雲の流れをぼーっと見ているしかない。だが、その瞳には雲なんか映ってはいない。彼女が見ているのは、どれも瞳に焼き付いているレンとの思い出ばかりだ。

 どれも彼女にとっては大切な思い出ばかり。だからこそ、思い出せば思い出す程にレンに会いたくなり、それはもうできないという現実の間に揉まれ、ため息となって零れる。

 朝焼けはずいぶんと濃くなり、もうすぐ日の出だ。竜車の発車時刻まではまだ時間がある。いつもなら大した事のないそれほど長くない時間も、今は一秒一秒がまるで一分のように長く感じられる。

 再びため息が漏れ、朝焼けにも飽きてエリーゼはうつむいた。

 今更だが、本心はレンと別れる事は望んではいない。むしろ、これからもずっと一緒にいたい。そう願っている。妹のようにかわいがっている相棒と別れたい人間など、この世にいる訳がない。誰だって、親友との別れは嫌に決まっている。

 そんな隠しようがない本心と、何とか必死に隠し通して貫こうとしている詭弁がぶつかり合い、エリーゼの心は揺れていた。一度決めた事なのにうじうじと考えるのは彼女の性には合わないはずなのに、今はそんな事関係なく揺れ続けている。ちょっとした衝撃でも簡単に考えが逆へ傾いてしまう程に、ギリギリの攻防戦だった。

 早く時間になれ。時間にさえなれば竜車に乗ってこの街ともおさらばできる。そうなればレンとの絆は完全に断ち切れ、迷いもなくなる。

 うつむきながら、早く時間が経てと必死に祈り続ける。ただそれだけを願い、でも心からは願い切れなくてレンの笑顔を思い出し、目頭がじんわりと熱みを帯びる。

 周りから完全に孤立するように、エリーゼは外界からの情報全てを遮断して必死になって自分の中の様々な感情と戦い続ける。プライドが、想いが、激しく対立する。

「……エリーゼさん」

 激戦の最中、遮断したはずの外界から響いて来た聞き慣れた声――そしてエリーゼが今最も会いたくなくて、でも最も会いたいと願っていた声であった。

 エリーゼはバッともたげる。そこには、ドンドルマを囲む山の間から顔を出した朝日に照らされながらこちらへと歩み寄って来るレンの姿があった。その姿に、エリーゼの瞳が大きく見開かれる。

「な、何で……」

 つぶやくように漏れたエリーゼの声に、レンはくしゃっと顔を歪めた。でもすぐにそれは優しさに溢れた彼女本来の屈託のない微笑みに変わる。

「当たり前じゃないですか。姉が家出をしたら、妹は必死になって姉の姿を捜す。そこに明確な理由なんてありませんよ」

「あ、あたしはあんたの姉なんかじゃないわよ……」

「いいえ、姉です。私は、エリーゼさんの事をずっと本当のお姉ちゃんのように思ってました。だから、エリーゼさんは私のお姉ちゃんです」

「な、何言ってんのよ……あんた……」

 エリーゼは自分の声が震えている事に気づいた。だが、必死に止めようと思ってもその震えは決して止まらない。動揺しているのを悟られないように口を閉ざすが、いつもは凛とした瞳が怯えているように震えている事をレンは見逃さない。

「ひどいですよ。勝手にいなくなっちゃうなんて……」

 レンもまた、自分の声が震えている事に気づいていた。でも、言いたい事や伝えたい事はたくさんある。だから、例え声が震えていても、口を閉ざすなんてできなかった。

「今日は冷えますよ。だから――帰りましょう。ね? エリーゼさん」

「ば、バカじゃないのあんたッ!? 何で、何で来ちゃったのよッ! あたしがどんな想いであんたから身を引いたかわかってるのッ!?」

「それを言うなら私だって同じですッ!」

 レンの叫ぶような声にエリーゼはビクッと体を震わせた。レンは今にも泣き出しそうな、でもそれを必死に堪えているような表情で肩を小刻みに震わせながら、真剣な瞳でエリーゼを見詰めている。

「私が、エリーゼさんから突き放された時にどんな想いだったか……エリーゼさんは全然わかってないですッ!」

「知らないわよそんな事ッ! いいからさっさと帰りなさいッ!」

「嫌ですッ!」

「何でよッ!?」

「エリーゼさんと一緒に帰るまで、私は絶対に帰りませんッ!」

「……何で、何でわかってくれないのよッ! あたしは、あんたの為を想って――」

「私はそんな事望んでなんかいませんッ! 私の望みはただ一つ――大好きなエリーゼさんとずっとずっとずぅっと一緒にいる事ですッ!」

「なッ!? バカじゃないのあんたッ!?」

 レンの爆弾発言に対し、エリーゼは顔を真っ赤にして動揺する。その隙を突くように、レンは一気にエリーゼとの距離を詰めるとその手を掴んだ。突然の事に反応できず呆然としているエリーゼに、レンはそのまま抱きつく。

「ちょ、ちょっとッ! は、離しなさいよバカッ!」

「嫌ですッ! 絶対離さないですッ!」

 エリーゼは必死になってレンを引き剥がそうとするが、レンもまた必死になってエリーゼにしがみ付く。どちらも一歩も引かない為、二人は一進一退の攻防を繰り広げる。その間も、二人の言い合いは止まらない。

「エリーゼさんは、私の事が嫌いなんですかッ!?」

「ち、違うわよッ! べ、別に好きって訳でもないけど、嫌いだなんて事は絶対にないわッ!」

「だったら、何で逃げようとするんですかッ!」

「べ、別に逃げようなんてしてないわよ……ッ」

「してますッ! 何で逃げるんですか……ッ!」

 叫ぶレンの瞳からはボロボロと涙が零れ落ちる。それでも、必死になってエリーゼにしがみ付き、絶対に離すもんかと絡める腕の力を緩めない。そんなレンの姿に、エリーゼの抵抗が次第に弱まっていく。

「な、泣く事ないでしょ……」

「泣いたっていいじゃないですかッ! エリーゼさんとのお別れなんて、それだけ嫌だって証拠なんですッ!」

「何で……あたしなんかに……」

「エリーゼさんだからですッ! エリーゼさんだから、お別れなのが嫌で泣いてるんですッ! 必死なんですッ!」

 泣き叫ぶレンの言葉の波状攻撃に、エリーゼはついに抵抗をやめた。彼女の中で、貫徹しようとしていた想いが砕けつつあったのだ。

 自分は、レンの為を想って今回の行動を起こした。だが結果的には、レンをこんなにも悲しませて泣き叫ばせる事になってしまった。自分の考えは正しかったのか、根本が揺らいでいた。

「……ライザさんから聞きました」

 つぶやくように言ったレンの言葉に、エリーゼはドキッとした。驚愕に染まった瞳を向けていると、レンが涙を拭いながら、そっと言った。

「エリーゼさん、私の為に今回の行動を起こしたんですよね? 私がもっと成長できるように、そう配慮して自ら身を引いた。違いますか?」

「そ、それは……」

 自分の考えが筒抜かれてしまっているという事実に、エリーゼは激しく動揺した。しばし視線を右往左往させるも、結局レンを直視できなくてスッと視線を逸らせてしまう。しかしそれが答えであった。

「やっぱり、そうなんですね……」

 予想通りの結果にレンは複雑そうな表情を浮かべる。自分のせいでエリーゼはこんな行動をしたのだという罪悪感と、自分の為にこんな事をしてくれるエリーゼに対する嬉しさと。相反する想いが、彼女の中で渦巻いている。

「ほんと、エリーゼさんは優しい人ですね」

 そう言って、レンは小さく微笑んだ。その笑顔は弱々しく、いつもの彼女の笑みのような明るさはないものの、優しさは感じられる。その笑顔を見て、エリーゼはどこか救われたような気がした。

 結局、自分はレンなしではどうしようもないくらいダメなのだ。だから、いざ別れると決めた時は胸に針が刺さったように痛み、こうしてレンの笑顔を見ていると胸が温かくなる――妹離れできないのは、自分の方だった。

「――私も、エリーゼさんなしじゃもうダメなんです」

 まるで心を読んだかのようなレンの言葉にエリーゼは驚いた。だが、すぐに「あぁそうか」と想いが胸に満ちた。自分はとっくの昔に、レンに気持ちが筒抜けなのだ。

「エリーゼさんと一緒にいたい。私の願いは、ただそれだけなんです。エリーゼさんは、そんな私の唯一の願いを壊すんですか?」

 そう言われるとものすごぉく気まずくて視線を合わせる事ができないエリーゼ。嫌な汗を掻きながら視線を逸らし、「いやぁ……」とか「そのぉ……」とか時間稼ぎにもならない言葉を漏らすばかり。そんな困るエリーゼの姿にくすくすと笑いながら、レンはギュッとエリーゼに抱きついた。

「私は、エリーゼさんを一人には決してしません」

 ――その直後、エリーゼの中で何かが壊れた音が響いた。

 呆然としているエリーゼを見詰めながら、レンは優しく微笑み、そして想いを告げる。

「もう、自分一人で抱え込まないでくださいね」

 ――その瞬間、エリーゼはその場に崩れ落ちた。抱きついているレンに身を任せ、ずっと堪えていたものを吐露(とろ)する。それは涙となり、声となり、放出された。

 泣き崩れるエリーゼを、レンは何も言わずに無言で抱き締め続けた。そっと、いつも自分がしてもらっているように姉の頭を優しく撫でながら。

 朝一番の空の下。そんな二人を、朝日は優しく包み込むように照らし続けていた……


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