市場で様々な物を仕入れた後、レンとエリーゼは市場を去った。本当はこのまま酒場に戻って昼食の予定だったのだが、レンが自分の武器を取りに行きたいという事で急遽二人は中央工城へと向かった。
街の中央部には比較的郊外にあるハンターズギルド本部と双璧をなすように巨大な建物が存在する。様々な場所から突き出た煙突からは常に水蒸気や燃石炭煙が絶えず立ち上るここは、中央工城という。
中央工城とは、ドンドルマ中央部に位置する街の大多数の鍛冶師や鍛冶職人が所属する鍛冶機関。ハンターの組織をハンターズギルドと言うなら、ここはまさに鍛冶師や鍛冶職人の組織。その本部に当たる。
大都市ドンドルマ、大陸辺境にあるいくつかのの工業小国が集まったテティル連邦共和国、そして洋上に浮かぶ近代国家アルトリア王政軍国。この二国一都市にはそれぞれの中央工城があり、どれも大陸を代表する工業の中枢を担っている。
流通に適したドンドルマ、大量生産に適したテティル、少数精鋭に適したアルトリア。それぞれがそれぞれの長所ともてる技術の粋を結集して日夜しのぎを削り合っている。それがこの大陸の工業史である。
そんな大陸一の一角を担っているドンドルマの中央工城は様々な技術が集まるが、特にハンターの武具に関しての技術は大陸一を誇っている。それがドンドルマがハンターの街として栄えてきた歴史の基盤となっている。大勢の武具職人が朝昼晩交代制でたたらを燃やしており、眠らない街と言われる所以はここにある。
中央工城の周辺には市場とは違った様々な露店がひしめき合っている。その多くは武具の素材となる鉱石などを売っているが、中には一般市民用の包丁などの日用品や、護身用の簡易武器なども販売されている。時たま初心者用の武具が大量生産されて販売される事もあるが、基本的にハンターの武具は全て中央工城内にある受付で販売や受注ができる。ここはそこに入れない比較的技術の低い鍛冶職人達が観光客や素材不足で悩むハンター、一般市民などを相手にする下町のような場所だ。
市場とは違った活気溢れる場所に、レンはきょろきょろするばかり。市場と違ってここは比較的昼頃にピークを迎えるだけあって、武器を預けに来た朝早くとは大違いであった。先程の市場と同じように、右も左も村にいた頃は決して見る事がない程人だらけ。人の波はまだ慣れないが、不思議と不安はなかった――手から伝わる優しさと温もりが、レンを安心させている。
エリーゼは慣れた様子で人の波を避けながら進み、あっという間に中央工城の入口についてしまう。レンだけなら一時間は苦闘しそうな道のりをわずか数分で。レンはその無駄のない動きに驚くばかり。
入口から中へ入ると、そこには広いロビーが広がっている。奥には受付があり、武具の注文や受け取り、代金の支払い及び供奉に関しての相談などもできるだけあって人は多い。受付の上には様々な武具の名前がこれまたポーンやビショップといったクラスで別れて羅列してある。詳しい性能や必要素材、料金などは受付で聞く事ができる。
ここからは見えないが、横の通路を行くと巨大な作業場を見下ろすような場所があり、ここで見学もできる。中が若干暑いのは、それだけ巨大な炉が稼動している証拠だ。
「おぉ、朝に来た嬢ちゃんじゃねぇか」
エリーゼに背を押されてレンが受付の列に並ぼうとした時、背後から声を掛けられて二人は振り返った。そこにいたのは巨大な筋肉の塊。否、勇ましい巨体を持った男であった。上半身裸という出で立ちだが、その芸術といっても過言ではない見事な肉体は不思議といやらしくは感じない。特にこのドンドルマ中央工城に訪れる者では知らない者はいないほどの有名人だ。
ただ、レンはすごく恥ずかしがり屋であり、男の人に慣れていない。突然の半裸男の出現に顔を真っ赤にすると慌ててエリーゼの後ろに隠れてしまった。それを一瞥してエリーゼは苦笑する。そして、男の方へ向き直る。
「久しぶり、親方」
親方と呼ばれた男はエリーゼのあいさつに「おぉ、我らがドンドルマ養成学校の会長様ではないか。久しぶりだな」と驚くと共にニコリと笑みを浮かべてあいさつした。キラリと輝く白い健康的な歯が眩しい。
「今期で卒業したから、もう会長じゃないわよ」
苦笑しながら否定すると、親方は「そうだったのか。そりゃおめでとう」とまるで自分の事のように喜ぶ。この人当たりの良さが彼の人望の厚さの直接的な理由の一つなのだろう。
「それで、エリーゼの後ろに隠れている嬢ちゃんは?」
親方はエリーゼの背後に隠れているレンの方を見る。その瞬間、陰からこっそり様子を窺っていたレンはビクッと震えて隠れてしまう。その動作に親方はちょっぴりショックを受けた。
「この子はレン・リフレイン。まぁ、ちょっと色々あって面倒を見なきゃいけない事になったのよ」
「……ライザの姐さんの頼みか?」
「ご名答」
「ははは、相変わらず姐さんには誰も逆らえないな」
親方は苦笑すると再びひょこっと顔を出したレンのニッと笑顔を向ける――が、ビビッたレンはすぐに顔を引っ込めてしまい、親方はさらにショックを受ける。
「お、俺嫌われてるのか?」
「違うわよ。ただ単に親方の異色過ぎる格好に怯えてるだけよ」
「よりひどいぞ」
「レン、ちゃんと挨拶なさい。この人はこの中央工城の工城長、みんなからは親しみを込めて親方と呼ばれている人。このドンドルマでハンターとして生活するには絶対に関わる人なんだから」
エリーゼはそう言うと背後に隠れるレンを無理やり前に押し出した。突然巨体半裸筋肉ムキムキ男(親方)の前に押し出されたレンは右往左往。瞳にいっぱいの涙を浮かべて必死にエリーゼに助けを求めるが、エリーゼはそれを一切黙殺する。
涙をいっぱいに溜めた怯えた目でレンに見られる親方は、正直泣きそうになった。
「俺、こんなに拒絶されたの初めてだ。正直、かなりツレぇぜ」
「ほら、挨拶なさい」
エリーゼに半ば脅される形でレンはペコリと頭を垂れる。
「れ、レン・リフレインです。よ、よろしくお願いします、親方さん」
「お、おう。よろしくなレンちゃん」
すごぉくギクシャクしてはいるが、何とか第一段階は無事に終わった事にエリーゼはほっと胸を撫で下ろした。レンの気の弱さは理解してはいたが、それを差し引いてもやはり親方の第一印象というのは怖いのだろう。ぶっちゃけ、親方に初めて会った時の自分も同じような状態だった。ただし、泣いてはいないと断言しておくが。
「それで親方、この子の武器の整備は終わってるのかしら?」
「うん? あぁ一応終わっているが」
「一応?」
何とも歯切れの悪い答えであった。エリーゼの疑問に気づいているのだろう、親方は複雑そうな表情を浮かべると「ちょっとここではな。悪いが場所を変えるぞ。ついて来い」と言って二人を先導するように歩み出した。
エリーゼは首を傾げながらも親方に続く。右往左往しているレンの首根っこをしっかりと確保しながら。
賑やかなロビーから離れた階段を下りて二人が通されたのは、鍛冶職人達が汗を垂らしながら仕事をしている中央炉から少し離れた武器保管庫であった。ここはハンターから預けられた武器や受注を受けて完成した武器などが置かれている場所だ。
部屋の壁という壁には様々な武器が置かれている。中には二人ではまだ到底触る事もできないような超上級武器などもあり、新米とはいえハンターの二人はそれらを見ては興奮している。
「す、すごい。リオレウス希少種や古龍の素材を使った武器もあるわ」
「はわわぁ……」
すっかり年相応の子供のようにキラキラとした瞳で武器を見詰めている二人に苦笑しながら、親方は壁に置かれた箱を一つ手に取ると部屋の中央にある大きな作業台の上に置いた。二人も見学を止めてその箱を見る。中を開けると、そこには一つの武器がしまわれていた。だが、それはあまりにも奇抜なデザインであった。
「な、何これ?」
「あ、ティーガーッ!」
戸惑うエリーゼの前を横切ったのはレン。ティーガーと呼ぶその武器を手に取ると、愛おしそうにギュッと抱き締める。目には薄っすらと涙すら浮かべ、まるでそれは感動の再会だ。
大感激しながら武器(ティーガー)を抱き締めるレンを小さく笑みを浮かべながら見詰めるエリーゼ。しかし、彼女の興味はレンの持つ武器に注がれていた。
奇抜なデザインというか、何をモデルにしたのか見た目だけでは判断できない。
まず普通のライトボウガンのような銃の形をしていない。全体を茶褐色に青筋模様の入った飛竜の鱗や甲殻で装甲のように守っており、一見すると箱のように見える。もっと言えば大きい箱の上に小さい箱が載っており、その小さな箱から銃身が突き出た形。大きな箱の下にはこの中央工城では比較的普通に設置されているベルトコンベアのようなものが二つついている。素人判断だが、全くデザインが理解できない。
「親方、これは一体……」
「わからん」
エリーゼの問いに対し、プロである親方はわからないと一刀両断した。そのあまりの即答にエリーゼはポカンとしてしまう。そりゃそうだろう、親方は大陸随一とも言われるハンターの武具職人。その彼がこの武器についてはわからないと断言したのだから。驚くのも当然といえよう。
「嬢ちゃんは一体どこの出身だい?」
「え? わ、私はココル村という大陸東方の辺境の村から来ました」
恐る恐るという感じで答えたレンの回答に対し、親方は特に《東方》という言葉に反応した。
この世界にはいくつかの大陸が存在し、ドンドルマはそんないくつかある大陸の一都市に過ぎない。特に東方大陸と呼ばれる大陸は比較的この大陸とも親交が多く、移住してくる者も多い。東方大陸出身の者は全体的に黒や紺色の髪と瞳を持っており、この大陸の住民とは違う文化を持っている。そして、東方大陸にもモンスターは当然存在し、ハンターがおり、武具職人もいる。それらの技術やモンスターなどはこの大陸と異なる事も多く、親交が増えれば増えるほどそれらの技術も次々に流入してくる。一説には太刀と弓というのも元々は東方大陸から伝わった武器であるとも言われている。
本で得た知識をそこまで思い出した時、エリーゼはある事に気づいた。
レンの髪と瞳の色は、どちらも紺色だ。この大陸出身の者はこのような色にはならない。つまり、彼女もまた東方大陸出身、もしくは移り住んだ一族の末裔という事になる。
「あんた、もしかして東方大陸出身なの?」
エリーゼの問いに対し、レンは「い、いえ。私はこの大陸で生まれ育ちました。でも、私の祖父母が東方大陸からこの大陸へ移住して来たという経緯があるので、民族的には東方人(イースタン)ですが」と自信なさげに小声で答えた。
東方大陸出身者の事を、人々は東方人(イースタン)と呼ぶ。レンは「ちなみに私の苗字はこの大陸に倣ったものですが、名前は東方文字で《恋》と書き、レンと読みます」と言って近くにあった紙と鉛筆を使って《恋》と書いた。これは東方文字、または漢字と呼ばれる東方大陸の民族文字であり、もちろんこの大陸の共通文字とは大きく異なる。
レンの話を聞いていた親方は「なるほどなぁ」とつぶやいた。エリーゼはその小さな呟きを聞き逃さなかった。
「なにが「なるほどなぁ」なのよ?」
「つまりこの武器は、東方大陸の技術って訳さ。どうりで俺も見た事がないと思ったぜ。使われている素材も、この大陸では未知の存在だ」
親方はレンの持つティーガー(仮)を東方大陸の技術を使ったものと判断した。その根拠はまずこんなデザインや使われている素材を見た事がない事、そして内部構造が若干この大陸でメジャーとされるものと異なる事にあった。
そんな親方の言葉に、レンの顔が曇る。
「じゃ、じゃあ。整備はできなかったんですか?」
技術が違うとなれば、整備もできない。そういう考えに至ったのか、レンは泣きそうな顔で親方を見詰める。そんな彼女の視線に対し、親方は「安心しな。確かに内部構造は若干違ったが、それでも今伝わっている東方大陸の技術と似てたんでな。整備自体は難なく出来たぜ」と歯を輝かせながら笑顔で答えた。その瞬間、パァッとレンに笑顔が華やいだ。
「あ、ありがとうございますッ」
満面の笑みを浮かべながらお礼を言うレンを一瞥するエリーゼ。しかし彼女はある事が気になっていた。親方ですら知らない技術が使われている武器。それは、彼ら鍛冶職人から見れば喉から手が出るほどほしい研究対象なのではないか。
「親方はレンの武器に興味があるの?」
エリーゼの問いに対し、親方はその真意を理解したのかフッと肩を竦ませる。
「まぁ、そりゃ異国の技術に興味がない訳じゃねぇ。本心としちゃ研究サンプルにしたいくらいだ。だがな――」
そこまで言って、親方はレンの方を見た。エリーゼもまた同じようにレンの方を見ると、レンはティーガーと呼ぶその異国のライトボウガンを抱き締めて大喜びしている。そりゃあもう、生き別れた親友に再会したかのような感動っぷりだ。
「……あんなに武器を愛してる奴から、その武器を取り上げるなんて無粋なマネはできねぇだろ」
親方はそう言うと、すっかり整備されたティーガーに大喜びするレン見詰めながら、小さく笑みを浮かべた。鍛冶職人である彼にとって、レンのように武器を愛している者を見るのはとても心が和むのだろう。
無邪気に笑うレンの笑顔を見ていると、自然とエリーゼも口元に小さいながらも笑みを浮かべていた。そんなエリーゼを見て、親方はニッと笑みをイタズラっぽい笑みを浮かべる。
「いい後輩を持ったな。お前は幸せ者だよ」
「ち、違うわよッ! あいつは居候みたいなもんなんだから、後輩なんかじゃないわよッ!」
親方の発言にエリーゼは慌てて否定するが、親方は「そう照れるなって」と笑みを崩さない。どうやら全くわかっていないようだ。エリーゼは「だから違うんだってばッ!」と再度否定するが、親方の誤解は解ける事はなかった。
お昼になり、レンとエリーゼは酒場へと戻った。昼時という事もあって酒場の中は結構盛況であった。エリーゼは適当な席を確保すると、慣れた様子でメニューを見て料理を決める。一方慣れていない上に食費すらままならない状態のレンはメニューを見ながら苦闘していた。しきりにセットではなくサイドメニューを凝視しているその姿は、呆れを通り越してむしろ見ていて悲しい。
「……おごってあげるから、好きなの食べなさいよ」
あまりにも痛々しい姿を見ていられなくなったエリーゼはため息混じりに言った。その言葉に、必死に財布の中と値段を交互に見詰めていたレンが「ふえ?」と変な声を上げて顔を上げた。しばらくして、エリーゼが言った言葉の意味を理解すると、パァッと笑顔を華やかせた。その屈託のない笑顔に、エリーゼはカァッと顔を真っ赤に染める。
「か、勘違いしないでよねッ! 別にあんたの為じゃなくて、あんたが貧相な物を食べてるとあたしがイジメてるみたいに周りから見えるのが嫌なだけよッ!」
慌ててそう言ったが、レンは構わず「は、はいッ! ありがとうですッ!」と薄っすらと涙を浮かべながら満面の笑みを浮かべる。そして、キラキラした目でメニューを見詰め始めた。
よだれを垂らしながら幸せそうにメニューを見詰めているレンを、エリーゼは苦笑しながらもどこか微笑ましく見詰めていた。そして、そんな彼女の視線の先でしばし悩んだ末、レンが指定した料理は、
「これがいいですッ」
そう言って彼女が指差したのは、
「これ、朝食べた卵かけご飯セットじゃない。他にもたくさんあるんだし、何か別の物でも食べたら?」
「いいえ。私はこれがいいんです」
「ふぅん。まぁ、別にいいけど。何でまたこれなのよ?」
何気なしにエリーゼが問うと、レンは照れたように頬を赤らめながら、屈託のない笑みを浮かべてこう言った。
「――だって、エリーゼさんとの思い出の料理ですから」
「ッ!?」
突然のレンの爆弾発言に、エリーゼは顔を真っ赤にして慌ててしまう。学生時代は冷静沈着な生徒会長として全校生徒を統括していた彼女だったが、どうにもレンを相手にするとその冷静さを失いがちになってしまう。
「ば、バカじゃないのッ!? あんなのただの卵かけご飯じゃないッ」
「例えそうだとしても、私にとっては思い出の料理なんです」
そう言って嬉しそうに笑うレン。その純粋過ぎる笑顔にはエリーゼも返す言葉を失い、「す、好きにすればッ」とそっぽを向いて真っ赤になった顔を隠す事くらいしかできなかった。
顔の赤みが落ち着いた頃に近くにいた給仕を呼んで注文し、しばらくしてから料理が運ばれて来た。どちらもライザではなかった。ライザはさっきから厨房とホールを大忙しで駆け回っている。ハンター顔負けの過酷な作業だが、彼女は決して笑顔を崩さない。あれが仕事魂というものか。
レンが頼んだのは朝も食べた卵かけご飯セット。エリーゼはブリカブトのムニエルと季節の野菜の盛り合わせセット。エリーゼは慣れた様子でムニエルを食べているが、レンは口の周りを汚しながらも幸せそうに卵かけご飯を口一杯に頬張って食べている。その幸せに満ちた笑顔を見ていると、こっちまで幸せを感じてくる。
「ほ、ほら。口の周りがベトベトじゃない、もう」
さすがに見ていられなくなったのか、エリーゼはナプキンを手に取るとレンの口の周りを拭う。きれいに拭い取ってもらうと、レンは屈託のない笑みを浮かべて「ありがとうございますです」とお礼を言う。その言葉にエリーゼは頬を赤らめると、「ま、まったく。手間取らせないでよね」と素直じゃない発言をして自分の食事に戻る。
忙しく走り回るライザは、時折そんな二人の様子を見ては営業スマイルではない本来の笑みを浮かべると、再び営業スマイルに戻して酒場の中を翔け回った。