Cannon†Girls   作:黒鉄大和

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第8話 エリーゼの悲しき過去

 結局、いつもの倍以上の距離を走らされたレンは酒場に着くなりテーブルに突っ伏してしまった。一方のエリーゼもまた無茶し過ぎた為か、いつもよりも息が荒くて疲れ切っていた。

 適当な料理を注文し、それが来るまでの間二人は荒れる息を整える。

「え、エリーゼしゃん……何か怒ってるんでしゅか……?」

 疲れ過ぎて舌が回っていないながらも、レンは気になっていた事を問うてみた。そんなレンの問いに対し、エリーゼはキッとレンを睨み付ける。その瞬間、レンはビクッと体を震わせて「な、何でもないでしゅッ!」と質問を引っ込めた。

「あらあら、ずいぶんとご機嫌が斜めじゃないエリーゼ」

 その声に振り返ると、そこにはライザが立っていた。昼間レンと一緒に歩き回った時と同じ私服姿での登場に、酒場にいた男達があからさまに盛り上がった。

 ライザのからかうような問い掛けに対し、エリーゼは「あたしは至って平静ですが」と突慳貪(つっけんどん)な態度で返す。すると、ライザはイタズラっぽい笑みを浮かべた。

「見知らぬ子にすっかり懐いちゃったレンにやきもちでも焼いているのかしら?」

「なッ!?」

 ライザの問いに対し、エリーゼは顔を真っ赤に染める。そんなエリーゼの反応を見てライザはムフフと意味ありげな笑みを浮かべ、そっと彼女の耳に唇を近づけてささやく。

「あら、あなたが今日一日ストーキングしてた事なら最初からわかってたわよ?」

「なあああぁぁぁッ!?」

 エリーゼは悲鳴のような声を上げると、これまで以上に顔を真っ赤にさせてライザを凝視する。そんなエリーゼの反応を見てライザは満足そうな笑みを浮かべると、さりげなくエリーゼの隣の席に座った。

「安心なさい。レンは気づいてないから」

 ライザの言葉にエリーゼはほっと胸を撫で下ろした。最も気づかれたくない相手には気づかれていないというのは不幸中の幸いだ。人の気も知らないで、レンはライザとエリーゼの方を見て不思議そうに首を傾げている。

「あの、二人で何のご相談ですか? それにさっきのエリーゼさんの悲鳴は――い、痛いッ! 痛いですぅッ!」

「忘れなさいッ! 今すぐにその忌まわしき記憶を消しなさいッ!」

 立ち上がったエリーゼは見事な足捌きでレンの背後に移動すると、レンの両こめかみを両方の拳骨でグリグリとする。地味に痛い攻撃に対し、レンは涙目になって悲鳴を上げる。本当に記憶が持っていかれそうなくらいの勢いだ。

「エリーゼ、それくらいにしておきなさい。こんな所で騒ぐ方がよっぽど恥ずかしいわよ」

 ライザの至って冷静なツッコミに対し、エリーゼはハッとなって周りを見回す。夜という事もあって夕食を食べに来ている者や宴会を開いている者など、客数は結構多い。そのほぼ全員が騒いでいる自分達に注目していた。ギルド嬢も何とも言えない微妙な笑顔でこちらを見詰めている。それを見てエリーゼはカァッと顔を真っ赤に染める。

「な、何見てんのよッ!」

 エリーゼの怒号に、周りの観衆は慌てて視線を逸らした。酒場にいるハンターの大概はエリーゼよりも上級ハンターではあるが、「こっち向いたら殺すッ!」と言いたげなリオレウスもビックリな殺気に満ち溢れた瞳で睨まれれば、視線など合わせられない。

 辺りを威嚇するエリーゼに苦笑しながら、ライザはレンの方へ向く。突然怒り出したエリーゼにおろおろとしていたレンはそんなライザの視線に気づいてそちらの方に向き直る。

「ねぇ、レンちゃん。今日一緒に遊んだフィーリアの事どう思う?」

「フィーリアさん、ですか?」

 ライザの突然の問い掛けに対し、レンは今日一緒に行動したフィーリアの事を思い出す。

 すごくきれいな人で、誠実で優しくて、とってもいい人というイメージを抱いていた。しかもガンナー界の期待の新生という憧れのような対象でありながら、ガンナーとしてのアドバイスもわかりやすくしてくれた。人間としても先輩としても本当にいい人。それがレンのフィーリアに対する印象であった。

「そうですね。すっごく優しくて頼りになる人でした」

「ふぅん、フィーリアの事好き?」

「はい。大好きです」

 自信満々笑顔爛漫で答えるレンに「そっか」と微笑むと、ライザは隣に座っているエリーゼの方へ向く。エリーゼは楽しそうに話すレンを見てあからさまに不機嫌そうであった。それを見てライザは小さく苦笑する。

「だそうよ」

「……そんなに好きならその人と一緒にどこにでも行けばいいじゃない」

「ふぇ?」

「もうエリーゼ。そういう事言わないの」

「フンッ」

 不機嫌そうにそっぽを向くエリーゼに、ライザは「子供ねぇ」と苦笑する。

 一方、突然エリーゼに突き放された形となったレンは困惑している。エリーゼに嫌われたのではないか、もしそうなら何が悪かったのか、謝らないとなど様々な想いが彼女の胸の中で渦巻き、次第に表情が曇っていく。そんなレンにライザは優しく微笑んだ。

「大丈夫よレンちゃん。エリーゼはやきもちを焼いてるだけなんだから」

「え……?」

「ちょッ!? ちょっとライザさんッ! 何勝手な事ぶっちゃけてるんですかッ!」

 ライザの突然の爆弾発言にエリーゼは顔を真っ赤に染めて慌て出す。そんなエリーゼの当然予想できるような反応に対し、ライザは「あら、言っちゃダメだった?」とそんな事一抹も思ってもいないような返事をする。完全に確信犯である。

「ダメとかいいとかの問題ではなく、あたしが何でやきもちなんか焼くんですかッ!? 意味がわからないですッ!」

「意味なんてねぇ。かわいいかわいいレンちゃんが自分以外の人に懐くのが嫌で仕方がないんでしょ?」

「なぁ……ッ!? うぐぅ……ッ。そ、それは……ッ」

 見事に核心を容赦なく撃ち抜くライザの問い掛けに対し、エリーゼは返す言葉もないのか悔しげな表情を浮かべる。そんなエリーゼを、きょとんとした様子でレンが見詰めている。どうやら展開の速さについて行けていないらしい。しかし、次第に頭が状況を理解し始めると、それに合わせて彼女の頬がほんのりと赤く染まっていく。

「そ、そうなんですか?」

「ち、違うわよッ! 断じてそんな事はないわッ! あ、あんたも何顔赤らめてんのよッ!」

 照れたように頬を赤らめながらどこか嬉しそうに笑うレン。そんな彼女の態度にエリーゼは慌てて否定の声を上げる。すると、レンは途端にしゅんと落ち込んでしまった。

「そ、そうですよね。エリーゼさんが私の事をそんな風に思う訳ないですよね」

「いや、別にそういう訳じゃ……」

 何とも噛み合っていない二人に、ライザはもう何度目かわからない苦笑を浮かべる。何というか、この二人はどこか放っておけない感じだ。

 エリーゼはしゅんと落ち込んでしまったレンを見て右往左往している。いつもは何かと頼りになるエリーゼも、こういう場合には役に立たない。仕方なく、ライザはそっと助け舟を出す。

「それじゃレンちゃん、エリーゼとフィーリアだったらどっちの方が好き?」

「え? エリーゼさんとフィーリアさんですか?」

 ライザはそう問うと隣のエリーゼの方を一瞥する。エリーゼはなぜかじっと真剣な瞳でレンを見詰めていた。そんなエリーゼの視線に気づいているのかいないのか、レンはうーんと考える。

「えっと、フィーリアさんはすっごく優しくて面倒見が良くて、私みたいなドジでも笑顔で手を差し伸べてくれるすごくいい人です。それにガンナーとしての知識も豊富で、すごく助言をしてもらいました。私は、フィーリアさんのようなガンナーになりたい。フィーリアさんは、私の憧れの人です」

 キラキラと瞳を輝かせて言うレンの言葉に、エリーゼはなぜか泣きそうな顔になる。それを見てライザは苦笑すると、レンの《その先にある》想いへと耳を傾ける。

「――でも」

 そこまで言って、レンはエリーゼの方を向く。純粋で真っ直ぐなその瞳に見詰められ、エリーゼはゆっくりと顔を上げる。するとそこには、照れたように頬を赤らめながら無邪気に笑みを浮かべるレンがいた。

「私はエリーゼさんが大好きです。ドジでのろまでいつもダメダメな私を見捨てる事なく、厳しいけどその奥には言葉では言い表せないような優しさがあって、クールを装っていても本当はすごく面倒見が良くて困っている人を放ってはおけない、でも全然素直じゃない。厳しい時はとことん厳しく、優しい時もとことん優しい。私にとってエリーゼさんは師であり、先輩であり、親友であり――本当のお姉ちゃんみたいな人です」

 そう言いながら、レンは無邪気に微笑んだ。頬を赤らめ、心からの感謝の気持ちをエリーゼに向ける。

 不安で打ち震え、怖い目にあった自分にそっと手を差し伸べてくれたのはエリーゼだ。修行は厳しくて、時には体罰だって辞さない。でもその全てに意味があり、何よりここまで自分を育ててくれた。ドンドルマに来た時とは、明らかに自分の技術は向上している、そう確信していた。

 でも厳しいだけではなく、素直じゃないけどすごく優しい。「私だけ食べてると周りから変な目で見られるけよ」よ言ってパンを半分分けてくれたり、「あぁもう、あんたがバカするとあたしまで同じ目で見られるんだからね。もっとしっかりしなさいよ」と言って頬についたご飯粒を取ってくれたり、鼻を垂らしたら「見っとも無いわね、まったく」と言いながらそっとハンカチで拭ってくれて、くしゃみをすれば「これ着なさいよ。またあんたに鼻垂らされたらこっちまで見っとも無いわ」と素直じゃない言葉を言いながらコートを貸してくれて、狩場でお腹が減ったら「仕方ないわね。腹が減って足手纏いになられるのはゴメンよ」と言ってこんがり肉を作ってくれたり、ランポスに背後を取られて危機に瀕した時には爆音と共に助けてくれたり――時々村や家族が恋しくなった時は、そっと何も言わずに抱き締めてくれたり。

 レンにとってエリーゼは、掛け替えのない親友であり、もう一人の姉であった。

 エリーゼは、いつの間にかレンにとって大切な人になっていたのだ。

 そして、レンの真っ直ぐな言葉と笑顔の一身に受けたエリーゼは――ほろりと涙を流した。

「え……?」

 突然の事に驚くレンの目の前で、エリーゼはいきなり立ち上がると無言のまま走り出してしまう。

「え、エリーゼさんッ!」

 レンの声からまるで逃げるようにして、エリーゼは宿へと繋がる通路へと消えて行った。彼女の背中が消えた方向を見詰め呆然としているレンを一瞥し、ライザは一人小さくため息を吐いた。

「待ちなさいレンちゃん。今は放っておきなさい」

 慌ててエリーゼの後を追おうとしたレンをライザが止める。しかしレンは「で、でも……ッ!」となおも食い下がろうとする。何せプライドが服を着て歩いているようなエリーゼが突然人前で泣き出してしまったのだ。何か尋常ならざる事態だという事は容易に想像できる。だが、それでもライザはレンを引き止めた。

「いいから、今あなたがエリーゼを追いかけた所で、一体何ができるの?」

 ライザの諭すような極めて正論な意見に、レンも少し冷静さを取り戻したのか無言で席に座り直した。しかし、まだ未練はあるのだろう。その視線は依然としてエリーゼが消えた通路の方へ注がれている。

「ねぇレンちゃん。ちょっと昔話を聞かない?」

 ライザの何の脈絡もない発言に対し、何を突然とレンは疑惑の目を向ける。いつもの彼女なら素直に首を縦に振っていただろうが、今は自分にとって姉のような存在のエリーゼが気になって仕方がないのか、少し苛立っているように見える。そんなレンに、ライザは言葉を続ける。

「本当はエリーゼが自分からするべき事なんでしょうけど、どうせあの子の事だから意地張って自分からは絶対に言わないだろうし。いい機会だから、私がしてあげる」

「一体、何を……」

 本当に意味がわからず疑問符を頭の上に浮かべるレン。そんな彼女に向かって、ライザはいつになく真剣な瞳を向ける。そして、ゆっくりと口を開いた。

「――今も時々夢でうなされる、エリーゼの辛くて悲しい過去の話よ」

 

 料理が届いても、二人は一切手をつけなかった。まぁ、ライザの前にある料理はエリーゼが注文した料理だからというのもあるが、二人の視界には料理など一切入っていないのだ。

「私もエリーゼがから聞いた話だから詳しくは知らないわ。でも、私が知っている事は全部話すつもりよ」

 そう前置きし、ライザは語り始めた――エリーゼの悲しい過去を。

「今から八年前の事よ。当時、エリーゼにはエリエという四つ年下の妹がいたの。実際に会った事がないから詳しくはわからないけど、エリーゼの話を聞く限りではどことなくレンちゃんに似てる子みたいね」

「私に、ですか……?」

「そうね。気が小さくて恥ずかしがり屋で努力家。でもすっごいドジな子」

 ドジと言われて若干拗ねるレン。自覚はしているが、そう真正面から堂々と言われるのはあまり気分がいいものではない。そんなレンを見てライザは苦笑しながら謝ると、話を続ける。

「いつも目を離せないような子だったから、エリーゼはエリエちゃんに付きっ切りだったらしいわ。本人はハンターになる為に勉強も忙しかっただろうに。それだけ、エリーゼもまたエリエちゃんを大切に想っていたのね」

 ライザが話すその昔話は、何となく今の自分とエリーゼの関係にすごく似ているような気がした。ドジでダメダメな自分を、何でも完璧にやってしまう天才型のエリーゼが色々とフォローしてくれたり構ってくれたり。どうやら、エリーゼの面倒見の良さは妹を可愛がっていたのが理由らしい。

 しかし、レンはとっくに気づいていた。ライザのあの前置きと、そして話が全て過去形になっている事。それらを考えるに、一つの答えしか頭には浮かんで来なかった。

「あの、エリエちゃんは……」

 レンの自然と震え出す小さな声に、ライザは言いにくそうな表情を浮かべてしばし沈黙した後、そっと唇を開いてその悲しい事実を告げた。

「――八年前の冬、エリエちゃんは病死したわ」

 レンは、その嫌な予想が当たってしまった事に悲痛そうに顔をしかめた。

 家族が死ぬ。それはずっと家族に愛されながら育って来たレンにとっては想像もできないような悲劇であった。エリーゼにとっても、最愛とも言うべき妹のエリエの病死はこの世の全ての最悪を集めたような想像を絶するような悲劇であっただろう。その辛さは想像する事もできないし、同じ境遇でもない者が軽々しく想像して理解という名の半可通をするのは大罪に等しい。

 だから、理解なんてできないししてはいけない。人の死というのは生半可な言葉で片付けられるほど容易いものではない。生命の終わり、全ての最悪の結晶。それが、幼少のエリーゼに妹の死という形で襲い掛かった。その事実だけが、今は全てである。

「あの子の夢は、ハンターになって頼りない妹を守る事だったの。でもその夢は彼女の実力とはまるで関係のないエリエちゃんの病死という形で壊れてしまった。今のあの子には、目標というものが何もないのよ」

「目標……」

「目先の目標ではなく、その先にある目標の事。そうね、あなたなら目先の目標は家族に対する仕送りかしら? でも、あなたはその先、何か夢があってハンターを続けてる。そうじゃない?」

「……もっと強くなって、村をどんな脅威からも守りたい。それが私の夢です」

「エリーゼには、そういう夢がないのよ。彼女の夢は、もう二度と叶う事がないのだから」

 ライザの話を聞きながら、レンは何にも知らなかった自分が悔しくなった。例え短い間だとしても、一緒の屋根の下で暮らしていたのに、自分はエリーゼの事を何にも知らなかった。それが悔しくて、自分の無知さが許せなかった。

 自然と怖い表情を浮かべていたのだろう、ポンと頭の上に手が置かれる感触がした。顔を上げると、そこには小さな笑みを浮かべたライザがいた。その瞳は何かを責める目では決してなく、優しく見守ってくれる姉のような目であった。

「でも、だからと言ってエリーゼは腐るなんて事はなかった。その苦しみをバネにして、彼女は養成学校ではトップレベルの実力を身に付けたわ。最後の学年には生徒会長を務めるまでにね。あなただって一緒に狩りをしてるからわかるでしょ? 彼女の実力を、彼女の知識を、彼女が人一倍の努力家だという事も」

 ライザの問い掛けに、レンはしっかりとうなずいた。

 そう、エリーゼは決して天才などではないのだ。確かに普通の人よりも要領が良くて頭のキレもいいし優秀な部類には入る。だが、その実力の大半は彼女の日々の努力の賜物(たまもの)に違いない。

 今の自分には決して満足していない。

 もっと強く、もっと上へ、もっと先へ――

 エリーゼは努力を繰り返して今もなお前に進み続けようとしている。その姿に、自分は惹かれたのだ。決して、エリーゼは腐ってなんかいない。今もまだ、彼女の花は輝き続けている。

「別にあの子は妹の死でダメになった訳じゃない。むしろそういう最悪を体験したからこそ、今の彼女へと繋がってるわ。彼女はいずれ有能なハンターになる。そう確信してるわ――ただ、あの子はまだエリエちゃんの死を完全には克服できていない。だからこそ、彼女は何かを失うのが怖くて最初から作ろうとしない。それが、狩場で命を共有し合う狩友(なかま)よ。彼女は昔からずっとソロで戦い続けて来た。失うのが怖くて」

「失うのが、怖くて……」

 確かに、エリーゼには友達と言える人がいない。これは自分から見た感覚なので実際の事はわからないが、それでも彼女が自分以外の人と親しげに話している姿はほとんど見た事がないし、あったとしても数分のやり取りで終わってしまう。それを、果たして友達と言えるものだろうか。

 それも全て、妹を失った事による影響なのかもしれない。しかし、それならなぜ自分は受け入れられたのだろう。そんな疑問がふと浮かんだ時、ライザはレンを見ながら優しげに微笑んだ。

「でも、そんなあの子にも転換点が訪れた――それが、あなたとの出会いよ」

「わ、私ですか?」

「……そう。初めてあなたがこの酒場へ訪れた際、酔っ払いに絡まれたあなたをエリーゼは助けた。それは彼女なりの正義だったのかもしれない。でも結果的に、彼女はあなたを相棒として受け入れた、違う?」

「で、でもそれはライザさんが……」

「私はきっかけに過ぎないわ。重要なのは結果なの。ソロで戦い続けて来たあの子が、こんなにも長い間同じ人とコンビを組み続ける事はなかった。それは、あの子があなたを相棒として受け入れているからに違いないわ。良くも悪くも、あなたはエリーゼの妹のエリエちゃんによく似ている。それが彼女の閉ざしていた心を少しだけど開いたのよ」

 エリーゼの妹、エリエに似ている。それはレンにとって決して喜ばしい事ではなかった。だってそれは、自分とエリーゼを結ぶ絆が汚されるのに等しい。自分とエリーゼの関係は、自分が彼女の妹に似ているから成し得たもの。そんなの、絶対に嫌だった。

 自分は自分だ。エリーゼの妹のエリエとは違う。エリーゼとの絆は、自分自身で掴み取った掛け替えのないものだ。彼女の笑顔は、もしかしたら自分を通してエリエに向けられているものではないか。そんな事、思いたくないし事実であってほしくない。

 ――エリーゼは、大切な友達だから。

 レンが今にも泣き出しそうな顔になるのを見て、ライザは「ちょ、ちょっと人の話は最後まで聞きなさいよ」と慌てる。涙で濡れた瞳を彼女の方へ向けると、ライザは苦笑した。

「確かに。そりゃ最初はエリエの代わりとしてあなたを見ていた部分はあるかもしれないわ」

「……ひぅ」

「――だから、人の話はちゃんと最後まで聞きなさいよ。ちゃんと《最初は》って言ってるでしょ?」

 またしても泣き出しそうになるレンに苦笑しながら、ライザは言葉を続ける。

「あなたがエリーゼを慕うようになったのと同じように、エリーゼもまたあなたを、レン・リフレインとして信頼するようになった。あなたの人を疑う事のない純粋無垢な心が、エリーゼを変えたのよ」

「私が、ですか?」

「そうよ。だって――エリーゼったらあなたと一緒だとよく笑ってるじゃない。あの子、あなたと出会うまではあんまり笑わない子だったのよ。面倒見がいいから後輩とかからは好かれてたみたいだけど、あの子は失う怖さに怯えてたから、いつもその人達とも一定の距離を保っていた。それが、あなたと出会ってからは変わった。あなたを本当の妹のようにかわいがり、面倒を見て、そして笑っている――レン。私はあなたに感謝してるわ。私の友達に笑顔を取り戻してくれて、本当にありがとう」

 それはレンが見てきたライザの笑顔で、一番嬉しそうに見える笑顔であった……

 

 ライザと別れたレンは焦る気持ちを押さえながらゆっくりとした足取りで部屋へと戻った。

 鍵を掛けられているのではないかという不安はあったが、予想に反して鍵は掛かっていなかった。

「エリーゼさん、入りますよぉ」

 ここは今では自分の部屋でもあるのだが、何となく普通に入るのは気が引けたのだ。

 部屋に入ると、そこは真っ暗な闇の空間が広がっていた。本来なら灯火がゆらゆらと部屋をそれなりに明るく照らしているのだが、今は闇の世界が広がっている。

「え、エリーゼさん? もう寝ちゃったんですかぁ……?」

 恐る恐るという感じで部屋の中に入ると、部屋の中は真っ暗――ではなく、薄っすらと明かりが部屋を照らしていた。それは窓から注がれている月の光であった。そして、その月明かりに照らされるベッドの上に、エリーゼはいた。毛布を頭で被ってこちらに背を向けるようにして月を見上げている。

 レンは何となく声を掛けるのを躊躇ったが、意を決して足を踏み入れる。

「エリーゼさん」

 改めて声を掛けると、エリーゼはピクッと反応した。ゆっくりと振り返り、レンと目が合う。その瞳は、どこか空ろでまるで心ここにあらずという感じであった。

「レン……」

「あ、あのエリーゼさん。大丈夫ですか?」

 レンの問い掛けに対し、エリーゼは「えぇ、大丈夫よ」と返す。だが、その語気は弱くいつもの力強い彼女の面影はない。まるで別人のように、エリーゼは勢いを失っていた。

 いつも明るくて元気いっぱい。それがレンのエリーゼの印象であった。しかし目の前にいるエリーゼはその対極に位置していると言っても過言ではない程に弱々しい。それはレンが見た事のないエリーゼのもう一つの一面なのかもしれない。

 何を話し掛ければいいかわからず、とりあえずレンはエリーゼの隣に腰掛けた。その時、エリーゼが手に持っている物に気づいた。それは以前風呂で見たエリーゼが宝物と言っていた指輪。子供でもがんばれば買えそうな安物の指輪を、エリーゼはじっと空ろな瞳で見詰めている。その瞳を見て、レンは全てを悟った。

「……エリエちゃんとの、思い出の品なんですね」

 レンの口から放たれた《エリエ》という人物名にエリーゼはピクッと反応した。ゆっくりとレンの方を向くエリーゼの表情には困惑の色が浮かんでいた。

「どうして、妹の名前を知ってるの……?」

「さっき、ライザさんから教えてもらいました」

「そう……」

 納得したようにそう言うと、エリーゼはスッと手の中にある指輪をレンの方へ向けて来た。月明かりに照らされるそれはどこからどう見ても安物の指輪にしか見えない。だが、それはエリーゼにとっては掛け替えのない世界にたった一つの宝物なのだ。

「これはエリエがあたしの誕生日にお小遣いを一生懸命溜めて買ってくれた物なの。マカライト鉱石の欠片を埋め込んだだけの安物だけど、あたしにとっては何にも代えられない宝物――そして、エリエの形見よ」

 ギュッと指輪を握り締めると共に、エリーゼは同じように唇を噛んだ。前髪に隠れてその瞳は見えないが、その白い頬を一筋の涙が流れるのは見えた。

「エリエは、あたしの大切な妹だった。エリエさえいれば、他には何もいらない。あたしにとって、エリエは全てだった。ハンターになったのも、エリエを守る為だったのよ。それが、あたしの今までの努力じゃ何一つ役に立たない形で、エリエは死んでしまった」

 ギュッと、悔しそうにエリーゼは唇を噛んだ。その悲痛に歪む顔はとても見ていられない程に痛々しい。でも、それでもレンは決して目を背けたりなんかしなかった。自分はエリーゼを友達だと思っている。その友達の苦しみを真正面から受け止められないなんて事は、絶対にあってはならない。その強い想いが、レンの瞳を真っ直ぐに向けていた。

 レンの瞳に気づいていないのか、エリーゼは苦しげに顔を歪めたまま肩を小刻みに震わせる。それは悔しさか、悲しさか、空しさか。それとも全てか。複雑な感情が入り乱れ、エリーゼを苦しめる。

「……ベッドの上で日に日にやつれて弱っていくエリエに、あたしは何も出来なかった。自分の無力さ、無能さ、無意味さが悔しくて、憎くて、許せなくて、でも何も出来なかった。何も出来ないあたしにを励ましたのは、必死に病気と戦ってたエリエの方だった。苦しくて、日々生きているだけで大変な状態だったのに、エリエは何も出来なくて苦しむあたしを必死に励ましてくれた。まったく、これじゃどっちがお姉さんだかわからないわよ……」

 そう言って、エリーゼは涙を流しながら自虐的な笑みを浮かべる。口から漏れ聞こえる乾いた笑いは、決して本心のものではない。瞳は涙で濡れていても、心の潤いは完全に乾き切っている。焦点の合っていない瞳は、一体どこを見詰めているのか。

「……ほんと、あたしって肝心な時に何の役にも立たない無能者よ」

「そんな事ないですッ!」

 今まで黙ってエリーゼの言葉を聞いていただけだったレンだったが、この時ばかりは我慢ならず声を上げた。突然の大声にエリーゼは驚いたように瞳を大きく見開いてレンを見詰める。

「な、何よ突然……」

「エリーゼさんは決して無能なんかじゃありませんッ。エリーゼさんはすごい人だって、私は知っていますッ」

 レンのいつになく力強い口調に一瞬気圧されたエリーゼだったが、すぐに瞳を鋭くさせて怒気を纏う。刃物のような眼光は、土足で人の心の中に入って来るような行為に等しい発言をしたレンに容赦なく向けられる。

「あんたに何がわかんのよッ! あんたが一体あたしの何を知ってるって言うのよッ!」

 何も知らないくせに、勝手に人の心の中に土足で入ってくるなッ! そんな想いが込められたエリーゼの激しい言葉に対し、レンはブンブンと激しく首を横に振って否定の意を表す。そして自身もまた真剣な瞳でエリーゼを見詰め返し、必死になって叫ぶように言葉を放つ。

「ちゃんと知ってますッ! エリーゼさんが他の誰よりも努力を欠かさない人だってッ! 毎夜毎夜遅くまで本を読み込んで知識を得てる事も、毎朝早く私と一緒になって厳しい訓練をしてる事もッ! エリーゼさんは決して無能なんかじゃないですッ!」

 レンは叫ぶように必死に否定の言葉を放つ。その真剣な眼差しと真っ直ぐな彼女の言葉に、エリーゼは頬を赤らめて一瞬呆けたが、すぐに厳しい表情に戻る。

「ば、バカじゃないのあんたッ!? 努力なんて過程に過ぎないのよッ! 世の中結果が全てッ! いくら努力したって結果がダメじゃ意味ないのよッ!」

「そんな事ありませんッ! 努力があってこその結果ですッ! 例えその努力が結果的に報われなくても、必死に努力したという事実と経験は決して無駄なんかじゃありませんッ!」

「努力を評価しようなんて考えは、敗者の戯言(たわごと)以外何物でもないわッ!」

「エリーゼさんは絶対に敗者なんかじゃないですよッ!」

「な、泣く事なんかじゃないでしょ……ッ!?」

 いつの間にか、レンは瞳に一杯の涙を溜めてプルプルと体を震わせてエリーゼを見詰めていた。その涙に、エリーゼは気圧されるように勢いを失う。レンは「だって、だって……」と震える声を必死になって絞り出す。

「エリーゼさんは、私を鍛えてくれました。ダメダメな私を、立派なハンターにしてくれました。でも、あの苦しい訓練の努力に対して、成長したのはきっとわずかです。これだって、努力と結果が吊り合わない例になります。でも、でもッ! 私はあの努力が全部無駄だったなんて嫌ですッ! エリーゼさんと一緒にがんばった日々を、無駄なんて言葉で片付けたくないですッ!」

 そりゃ最初の頃は毎朝早くに叩き起こされ、丸一日体をいじめ抜くような厳しい訓練をし、頭が回らない状態にムチを打って知識を無理やりねじ込み、夜遅くに気絶するように就寝。そしてまた十分とは決して言えない睡眠時間を取った後にまた同じ事を繰り返す。そんな日々が毎日のように続いて嫌になった事もあった。でも、エリーゼと一緒に必死になって訓練していくうちに、次第に自分が成長している事を実感できた。走るのが少し辛くなくなった。昨日までは無理だった事が今日は少しだけでもできた。その微妙な変化が、すっごく嬉しかった。何より、少しずつでもエリーゼに近づけている。その感触が掴め、実際に少しずつその背中が近づいている事実が、レンを成長させたと言っても過言ではない。

 エリーゼと一緒にがんばった日々を、無駄だったなんて簡単な言葉では絶対に片付ける事なんてできないし、そんな言葉で片付けるのだけは絶対に嫌だった。

「レン……」

「でも、成長したと言っても、私なんてまだまだエリーゼさんには足元にも及ばない半人前です」

「そ、そんなの当然でしょ。あんたなんてまだまだ半人前どころか四分の一前くらいがいい所よ」

「えへへ、エリーゼの前だと私は一生一人前にはなれそうにないですね」

「あぁ?」

「冗談ですよ。えへへ」

 嬉しそうに無邪気に笑うレンの瞳には、いつもの素直じゃないけどとても心優しい大好きなエリーゼが戻っていた。やっぱり、レンにとってエリーゼはこうでないと。そう思うと、一瞬でも元に戻ってくれた事が嬉しくて仕方がない。

 無邪気に笑うレンの笑顔に、エリーゼは自然と小さく微笑んだ。一瞬後、無意識に自分が笑っていた事に気づき、頬を赤らめて慌てて平静を装う。

 そして、改めて無邪気に笑っているレンを見詰める。

 ほんと、この子はエリエにそっくりだ。顔などの容姿ではなく、性格や言動が本当に良く似ている。

 最初にこの子にあった時、まるで本当にエリエが生まれ変わったのではないかと思った。だから、何かと構ってしまったのかもしれない。でも、やっぱりエリエとレンは違った。細かな部分で、エリエとレンは違う。そっくりではあっても、同一人物では決してないのだ。

 それでも、この子の笑顔に自分はいつも助けられた。

 レンと出会ってからは、こういう風にエリエの事を思い出して鬱になる事はほとんどなかった。それはきっと、彼女の前で弱々しい自分を見せたくないという小さなプライドが必死に支えていたのだろう。でも結果的に、次第に落ち込む頻度は少なくなり、今ではほとんどなくなった。

 コンビを組むようになってから、成長したのは決してレンだけではないのだ。

 そんなエリーゼを見詰めながら、レンは真面目な表情になるとそっと言葉を放つ。

「エリーゼさん。私は、決してエリエさんの代わりになる事はできません。でも、私は私なりにエリーゼさんの支えになりたいと思っています。だから、辛い時は一人で抱え込まないで、私にも分かち合わせてください。私、エリーゼさんとは喜びは二倍に、悲しみは半分にしたいって思ってますから」

 そう言うと、レンは再び無邪気に微笑んだ。その笑顔に、少しだけ救われたような気がする。エリーゼは小さく口元に笑みを浮かべると「レンのクセに生意気な事言わないの」とデコピン。

「はうぅ、痛いですぅ……」

 デコピンされてヒリヒリとするおでこを手で摩るレンを、エリーゼはそっと抱き締めた。突然の事に驚くレンだったが、エリーゼの優しくて温かな腕に抱かれ、そっと身を任せる。

「まったく、あんたに心配されるようじゃあたしもまだまだね」

「そ、そんなぁ……」

「……でもまぁ、誰かに心配されるってのも悪い気はしないわね」

「エリーゼさん?」

 見上げると、そこには自分がよく知っている自信に満ち溢れたエリーゼの顔があった。

 エリーゼは自分見上げているレンに向かってそっと微笑むと、優しくレンを抱き締める。鼻をくすぐる柔らかな髪から漂う石鹸の香りは、毎日丁寧に自分が洗っている証。

 エリエはもう存在しない。でも、レンは今この腕の中に存在する。レンというもう一人の《妹》の為にも、自分はもっとがんらないといけない。でも、少しくらいならこの子に頼ってもいい。そんな事を思う自分がおかしくて、そして嬉しかった。

「レン、あんたはまだまだ全然ダメダメなんだから、これからもあたしがみっちり扱(しご)いてあげる――だから、勝手にあたしの前からいなくならないでね」

 レンは頬を赤らめながらこくんとうなずくと、そっとエリーゼに強く抱きついた。エリーゼはそれを受け入れて、自らも抱き締める力を強める。

 エリエはもう二度と抱き締める事はできない。でも、レンはこれからもずっとこうして抱き締める事ができる。その事実は、今のエリーゼにとっては何よりも嬉しい事であった。

 月明かりに薄っすらと照らされる部屋の中、エリーゼとレンはそうしてしばらくお互いを抱き締め合うと、一緒にベッドに入って眠りについた。

 気持ち良さそうに寝息を立てる二人の少女。互いが互いを抱き締め合いながら眠るその姿は、仲睦まじい姉妹の姿そのものであった。

 

 数日後、レンとエリーゼの姿は森丘にあった。

 拠点(ベースキャンプ)で準備を整え、お互いの武器を最終確認。道具類もしっかりと忘れ物がないか確認をし、真剣な顔つきで狩場へと繋がるトンネルを見詰める。

「わかってるわね? 今回ばかりはあたしも必死だから、あんたをカバーする余裕はないわよ? 無理はしないで、自分のペースで狩りを進めなさい。今回は、あんたが主役なんだから」

「わかってます。厳しい修行に耐えて来たのも、この日の為と言っても過言ではありません。今の私の集大成を全て出し切って、必ずや討伐してみせます。でも、どうしても私では無理な事態が生じた場合は、援護をお願いしますね」

「だから、あたしの援護は期待するなって言ったばかりでしょ?」

「大丈夫ですよ。エリーゼさんならきっと私のピンチは絶対に助けてくれる。そう信じてますから」

「……ふ、フン。そんなの当然よ。あたしが本気になれば不可能なんてないんだから。あんたはラオシャンロンに乗ったつもりで安心して戦えばいいのよ」

「それ、すごく不安定ですよ?」

 そんな冗談を飛ばし合いながら互いの調子をしっかりと確認。そして再び真剣な面持ちになって狩場へと続くトンネルを見詰める。この向こうに、自分達が倒すべき相手が待ち構えているのだ。

「準備はいいわね?」

「はいッ」

「――目指すは怪鳥イャンクック。あたし達の実力、たっぷりと見せ付けてやるんだから」

「はいッ!」

 そうして、二人の少女ハンターは威風堂々とした足取りで狩場へと拠点(ベースキャンプ)を出立した。目指すはこの狩場のどこかにいるハンターの登竜門である怪鳥イャンクック。

 今、レンとエリーゼの新たな物語の一歩が始まろうとしていた。


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