――赤い花が、咲いていた。
荒げた呼吸を一度吐き、吸って整える一時。脚は絶え間なく前へ――いや、後ろだ――と動きながらも、目だけで振り返った時。そんな光景を幻視した。
端では、赤い花が咲いていた。奥では、黒い花が染みていた。少し手前では、花が散り、そして新たに咲いた。裂いた。割かれて、咲いた。
知った花だった。ここに来てから、少しして。唐突に一つ咲いた後、何度も見た花の色だった。
知っていた花だった。ここに来る前。任務の前に顔を見合わせ、学校でも仲が良かった花だった。
それが、散っていく。赤が、咲く。風と共に霧の様にその花弁が吹き飛ぶ。
「――走れッ!足を、止めるなッ!」
斜め前から聴こえた声に引かれて、顔が正面へと引き戻される。
友人だ。この任務に就き、今こうして共に横で走る同僚であり、友人。その顔は真っ青で、今にも切れそうに荒くなった呼吸をすんでの所で繋ぎ続けては、駆けている。
駆ける、駆ける、駆ける。どこへ行く、という目的も無く、駆ける。
「ッ、ごめん!……ど、何処まで、行けば……!」
「わかんないわよ!わかるわけないでしょ!でも、ここはダメ!絶対に、ダメッ!」
また一つ、声が上がった。知った声だった。
自分の部隊の一つの、おそらくは先輩の一人だ。彼女らから必死に離れ、ただ走り続ける。
違う、離れているのではない。
悲鳴が聴こえた。果物を潰した音が後ろから鳴り、花が咲く。咲いているだろう。見ずにわかる。
吐き気がした。喉に詰まらせた気持ち悪さを、呼気と共に吐き出す。そして吸気と共に、酸素を失い一瞬遠ざかった思考が正常に整えられ、全ての記憶がフラッシュバックする。
「ッシャャァア!」
「くッ、また下から……!」
「どう、するッ!?」
「いつもの!左右から、でッ、どっちかがやるッ!」
「わかっ、たっ!!」
草原が隆起し、土中より人より一回り大きい蟻型が姿を現し、走る先に立ちはだかる。
”害虫”。騎士が、
すぐさま打ち合わせ、向こうが土中より尾を出し、こちらへ詰め寄り切る前に友と左右へと分かれ、側面を取ろうとする。
身体全体を完全に現した異形の蟻はこちらへ体を傾け、本来は持つ筈の無い爪と牙を向け、青く染まった瞳を向けてくる。
殺しに、来る。一瞬、体が竦んだ。
「ガアァアッ!」
「あッ、くうっ!!」
こちらの体の震えに反応した様に、瞬発的に跳んだ肢体が両爪を掲げて寄ってくる。
本能的に、しかし覚え込まされた通りに体が反応する。歪んだ獣の様な動きをする小型害虫は、一歩引いて体を傾け、片方の
後ろに一歩退いて左半身を反らし、右爪から逃れる。左爪を、剣で打つ。
飛び掛かる力の篭った一撃に、力負けしそうになる。退いた左脚で後ろの地を強く踏み締め直し、右半身に重心を意識して寄せる事で膂力を補う。
拮抗した。全身と両腕と剣を使い、その蟻の左爪が留まる。それだけだ。
空を切った右爪が戻ろうとしている。視界の端で、こちらを狙っている。
当たる。
「あああ゛っ!」
僅かに光を纏った鉄槌が、蟻の後ろから頭蓋に振り下ろされる。無防備な頭に叩き込まれた衝撃が、地へ落ちそうな跳んだ蟻を体ごと地面へと叩き付けられる。
強引に地に伏せさせた。常識ならばまず即死だが、
「やらせ、ないっ!」
「死、ねえっ!」
暴れる前に、左爪を腕の半ばごと斬り飛ばす。硬い甲殻や爪・牙を狙わず、関節や隙間を狙え。動く相手に完璧に当てる事は至難だが、狙わないよりはマシだ。先輩の教えだった。
続けて戦槌が、再び蟻の頭へ振り下ろされた。地を踏み締め、全力で
「……く、うっ」
「くそっ……!無事!?」
「う、ん。ゴメン、ちょっと、押し負けた」
「ナイス陽動、でしょ」
世界を護る、花の
事実、自信はあった。学校でも実習は済んでいる。何度か、小型害虫は倒してきた。その時よりも一回り大きい今の蟻も、それまで通りのコンビネーションが通用した。
……しかし、それでも。
「無事なら、逃げるっ、わよ。……早く、伝えなきゃ」
「どこで、誰にっ」
「わかんない!けど、もしかしたら近くに騎士団が駐留してるかもしれない!まずは、人里近くまで行くのが先決ッ!」
「でも村の近くはダメだよ、街道に合流しなきゃ!」
「わ、ってるわよ!」
逃げる。逃げる。倒して、そして逃げる。
この場所から去らなければならなかった。先輩からの、最期の命令だった。
『応援を呼べ』、『必ず生き残れ』。たった二つ。それまで色々教えられてきた事よりも何よりも簡潔で、簡単で、そして困難な。そんな命令を、遵守しなければならない。
そうしなければ、花になる。地に咲いていったあの花達の一つになる。
――
「――ゥウウウ゛ンッ!」
「羽音……蜂型ッ!?こっちにも来たの!?」
「ま、ずッ……!」
既に街道からは離れていた。土中からの奇襲、続けて林からの来襲。
様々な虫が、様々な形で、群れを成して襲いかかってきた。先輩達が前へと出てそれらを斬り伏せ、貫き、しかしやがて数に押されて地に潰され散っていった。
散り散りになった。もはや害虫の小隊と化したその襲撃から新人を護るべく、先輩達が奮闘し。しかし、斃す数よりも増える数の方が多かった。
それで逃げた。逃がされた。死を覚悟し、自分達の代わりに死を負った先輩達の命令を、命をもらって。そして今、この何処ともしれない場所で再び死が迫っている。
「街道の方角って……あぁ、もう!」
「どんどん、追いやられてる……!?」
蜂の羽音から離れるべく、再び草原を駆け始める。草原はもはや、荒野に近付いている。草は荒れ果て、踏み躙られ、命の無い土ばかりの場所へ逃げている。
害虫達に人程の知性は無い。しかし、獣ほどの知能はある。お互いに食い合わず、人を殺す為であれば群れで表れ、凶器と変貌したその身体を活用してくる。
まさか街道に来るのを読まれたのか?いや、違う。単に、囲まれているだけだ。
「ッシャアアアッ!」
「な――ぐっ!?」
「ッ、よくも!!」
土中より再び別の蟻が頭を出し、先程よりも近場で姿を見せたそれに反応出来ない。
友人が下から爪で脚を斬られた。脛当てが両断され、脚の肉が抉られた。
目の前で、友を殺そうとした。その事実が襲われた時よりも、遥かに自らの頭を沸騰させる。気付けば蟻の頭へ飛び掛かっていた。
先程、蟻型にされたように相手へと跳び、両手で剣を掴んでその勢いのまま剣を振り下ろす、突き刺す。加護を込めて輝く切っ先が、甲殻で覆われた頭を容易く貫徹した。
「ガ、ア゛、ァ゛ッ」
「この、このっ!……無事!?」
「……いや、死んだわ。ごめん、私もここまでみたい」
そのまま剣の根本まで貫通させ、暴れる身体を地面と板挟みにして貫き続け、絶命させる。
もはや体液で汚れる事などどうでもよかった。友人を見る。腰を付き、立てずにいた。
切られた脚の傷は骨にまでは達していなかった。しかし、立ち上がるという機能と力を奪うには十分な手傷だった。
「行きなさい。……ちょっとぐらいは、時間稼げるから」
「……っ!嫌だ、やだよっ!こんな、こんなことでっ、お別れなんてっ」
「こっちだってイヤに決まってんでしょッ!!……でも、先輩も、こうした、だから」
先輩達の背中を思い出す。済まなかった。私達の責任だと、何度も謝罪していた。
ハッキリ言えば、誰にも責任などない。害虫は人気の多い場所にも現れるし、絶対の安全圏など無い。気付けば縄張りが移動し、それがたまたま自分達に当たった。ただそれだけだった。
理不尽だった。誰にも責任が無いのに、誰もがが死んでいった。そうなるしかなかったからだ。そうなるような、誰も知る由も無かった死地だったからだ。
それでも先輩達は戦った。自分達が一秒稼げば、私達が二秒逃げれる。一匹倒せば、二人が助かる。数えることも出来ない群れに挑み、凛々しく花として立ち向かい、花に成った。
今度は私の番ってことでしょ。そう、友の表情が語っていた。
「……私が、なんかさ。覚醒とかしたりして。加護の力とか、何倍にもなったりして。それでなんとか、持ちこたえられるかもしんないでしょ。だから、アンタは行って。助けを、探して」
「……ーッ!う、ぅ、うっ!」
「泣き虫。アンタ、いつだってそうなんだから。……アタシにまで、伝染ったらどうするの、よッ」
気付けば二人で泣いていた。どちらが先か、わからなかった。
離れていた蜂の羽音が、近付いて来る。何匹だ。一人一匹倒せば十分一人前だと笑って言われていたのに、どれだけ倒せば助かるのか。絶望が、去来する。
ここで離れれば、友人も花になる。赤い花、黒い花、血の花。幾度と無く見てきた、死の花。そうなれば、もう二度と会うことは出来ない。
泣いた。今生の別れだった。友人が餌となって死ぬか、庇って自分から先に死ぬか、そのどちらかしか残されていなかった。
悔しかった。卒業さえすれば”花騎士”なのだと、そう思っていた自分があまりにも無力だった事に、この死の間際になって気付けなかった事が。あまりに、自分は何も知らなかった。
「……ねぇ。……それ、二人でやらない……?」
「え?」
「覚醒とか、パワーアップとか、さ。……二人で力を合わせた方が、そういうこと、あるものじゃない?」
力無く笑いを向けた。もはやそんな子供を笑わせるための冒険譚の様な奇跡は、この現実では売り切れている。それでも、友人へ言った。
自ら提案したのだ。”一緒に死のう”、と。
命令も、自分の命も、希望も諦めて。最期の最期、自らが死ぬ場所は
恐怖で震えながらも、おどけて笑った。
「――ふ、ふふっ。そうね。そう、かもね……。じゃあ、そうしようか」
「……うん。そう、しよう?」
各々が人ほどの大きさを持つ、蜂型の害虫。その群れの姿が見えた。既に数える事も放棄している。
涙を流して笑い合った。お互いに震えていた。それでも良かった。此処で死ねるなら、むしろ幸せではないかと思ったからだ。
一人で死ぬのが、怖かった。きっと友も、そう思っていたから。だから笑った。
剣を構える。友も片膝を付きながら、構えるだけはしていた。無意味な抵抗だが、それでも最期まで”
せめて最期に、一匹でも、一太刀でも多く。命を捨てれば、その分斬れる筈だ。
震えを握りつぶす様に、両手に思い切り力を込める。力みが入りすぎているが、そうでもしなければ真っ直ぐに立っていられなかった。
「……ありがと」
「うん、ありがとう」
最期に残ったのは、友への感謝だった。その一言に、人生の全部を込めて贈った。
羽音が近付く。それぞれの姿が、涙で歪んでより大きく見えた。
死ぬ。それだけは確信していた。嫌だけど、それでも。前を見据え、最期を始める。
パワーアップは、無さそうだ。わかりきった確信が頭を支配し、自嘲した。
「「キィイィイイッ!」」
鳴き声など出さぬ筈の生物が、威嚇を鳴らし立てながら近付いてくる。
圧殺。ただ近寄って殺すだけの、単純にして強力な蟲の戦術。
死が、そこに迫ってきていた――
「――間に合ったか」
――瞬間。横から光が横切り、迫り来る蜂の群れの前方をまとめて飲み込んだ。
さらに次。地を蹴り飛ばす足音と共に、人影が自分達の前に湧いて出た。
違う、跳んできた。どこからともなく――光の差した方から――、人が跳んで、眼の前に顕れた。紅梅色の美しい細糸が広がり視界を埋め尽くし、そしてその裏から人の背が覗く。
儀礼用の様な装飾があちこちに散りばめられ、マントの様に翻る紫のスカート。同じ色で腰に取り付けられた、大きなリボン。それが
「……じっと、待ってくれ」
その背から優しげに、こちらだけを気遣う声がかかる。
刹那、左手に持った細剣が明るく朱色に燃える。自分達が構えていた武器に宿る、終わり際の蝋燭の様な輝きではない。強く、鋭い加護の輝きが宿った。
その背越しに奥を見れば、蜂が迫っている。
大地が、弾け跳んだ。
「キィ、イ゛ッ――」
一瞬で視界から消えた様に見えた背が、瞬きから目を開けば死の向こう側に立っている。
群れの一点。死の集団に大きく開いた
人。花騎士。紅梅色の長髪、閉じた眼。四肢と胸部・腰の左右を鋼板で覆った
その
「……悪いが、話の水差しに成るのでな。いざ――」
その人が細剣を持ち上げ、水平に構える。死よりも尚、強烈に目を惹く光だった。
震えは止まっていた。その人を知っているからだ。友人もまた、目を見開いている。
蜂の群れが、いつの間にか背後に回った者を視認し、ようやく察知する。
それが、穏やかに笑った。
「――蹴散らすとしようか」
”
花騎士
ウメさんがすきなので書きます。かきました。