「ううぅ……」
「……」
「うううううぅ……」
「……」
「ううううううううぅ……」
「……」
さて、昼飯だ。そんなことを思いながら八幡は席を立った。とりあえず悩める乙女は放置の方向でいくようである。
が、一歩踏み出した時点で猛烈な殺気を感じたので立ち止まった。殺気の主が誰かなど考えるまでもない。少し離れた場所で隼人達と談笑しているゆるふわウェーブロングのゴルゴンだ。
無視は可能だろう。ただ、その代償は彼の命である。それは可能とは言わないな、と溜息を吐いた八幡は、自身の制服の端を摘んでいる彼女へと向き直った。
「ガハマ」
「……うぅ~」
「人語を忘れたならいい国語教師を紹介するぞ」
「酷くない!?」
唸り声から一転、ある意味普段通りに戻った結衣は、そう言って八幡へと食って掛かった。女の子が悩んでいるんだからもう少し聞き方あるじゃん、と頬を膨らませて彼に述べる。勿論八幡は知るかと返した。
「大体、何か悩みがあるならしっかり口にしろ。言わなくても分かるとかそんなのは勝手な思い込みだ」
「……言ったら、ちゃんと聞いてくれる?」
「言ったから分かるなんてのは傲慢だ」
「結局聞かないじゃん!?」
再度吠える。そんな結衣を見て口角を上げた八幡は、まあいいやと肩を竦めた。そうしながら、それで一体何を悩んでるのかと問い掛ける。
その言葉に一瞬呆気に取られた結衣は、しかしすぐに気を取り直すと唇を尖らせた。相変わらず捻くれてる、とジト目で彼を睨み付ける。
「お前に理解されるほど付き合い長くないだろ」
「かもしれないけど。でも、あたしはヒッキーを理解したいし、ヒッキーに理解して欲しいよ」
「……何かいきなり小難しい我儘言い始めたな」
「言い方! ……まあいいや。悩み、聞いてくれるの?」
「聞くだけな。解決はしないぞ」
それでもいい、と結衣は笑う。どのみち無理だろうし、と肩を落とし溜息を吐いた彼女は、手に持っていた包みを眼前に掲げた。何かが入っているのは分かるが、しかし生憎八幡にはそれが何か分からない。知識にない、という意味とは少し違う。理解出来ない、と言った方が幾分か正しい。
「何だそれ? 木炭か?」
「違うし! ……違うし」
うー、と恨みがましい目で八幡を見る結衣であるが、しかしその言葉に勢いはない。やっぱりそう見えるかな、と包みを眺め溜息を吐いた。軽く振ると、カサカサと乾いた音がする。少なくとも、ありえないほどの硬度を誇っているわけでは無さそうであった。
「調理実習、やったじゃん」
「やったな」
うげ、と八幡は顔を顰める。隼人と組んだおかげで騒がしいあの状況を思い出したのだ。班になったもう一人、一年の頃からのクラスメイトである戸塚彩加が潤滑油になってくれなかったら、途中で逃げ出したかもしれない。それほどの空気であった。
ちなみに三人が三人共料理の腕は普通の男子高校生であった。出来はとてつもなく普通であった。
「それで、ちょっと失敗しちゃったんだけど」
「ちょっと、な」
ぽつりぽつりと話す結衣を見ながら、自分達とは違うベクトルで騒ぎになっていた班を思い出す。普通の女子高生程度の腕の海老名姫菜、あまり料理しない女子高校生程度の腕の三浦優美子、そしてその二人の動きを完全なる無にするほどの実力を持った由比ヶ浜結衣。この三人によって出来上がった料理は別名をダークマターと呼称された。
「お前完全に海老名さんと三浦の足引っ張ってたよな。あ、いや違う。足引っ張るとか言ったらその単語に土下座して謝らなきゃいけないくらいに失礼だったな」
「失礼なのはヒッキーの態度と顔とその他諸々だし!」
「おい、顔は関係ないだろ。……ないよね?」
生憎それに答えてくれる者は誰もおらず。とりあえずそんなことはどうでもいいとばかりに話だけは先に進んでいく。八幡も結衣も双方がダメージを負うという誰も得しない展開となっていた。
「んで、あの暗黒錬金術とその木炭は何の関係があるんだ?」
「酷くない!? ってああもう、話進まないし! あの時がヤバ過ぎたから、あたしだって出来るんだってリベンジしてみたの」
「返り討ちになってんぞ」
「だから落ち込んでたんじゃん!」
どうやら結衣の持っていた包みの中身は料理であったらしい。そのことを踏まえると、恐らくあれはクッキーか何かなのだろう。そう判断は出来たが、しかしそれはあくまで推理の結果である。あれをクッキーと認識することは八幡には出来そうになかった。勿論試食することなど論外である。
「で、それを使って誰を毒殺するんだ?」
「しないし! というか、きっと誰も食べてくれないし……」
しょぼん、と眉尻を下げ肩を落とす。まあそうだろうな、とフォローもへったくれもない返答した八幡は、とりあえず昼飯食うぞと続けた。うん、と頷いた結衣は、そのまま彼の後ろをついて教室から出ていく。相も変わらず二人で食べる場合は別の場所でなければ噂が立つと思っているらしい。
「一緒に出ていく時点でもう手遅れなんだよなぁ……」
姫菜の呆れたような言葉を否定するような人物は、隼人のグループには一人もいなかった。約一名ヒキオぶっ殺すと呟いていた人物がいたが、誰も気にしなくなっていた。
「で、結局何を悩んでいたんだ?」
「今蒸し返すんだ……」
昼食も食べ終わり、自販機で買ってきたMAXコーヒーを飲みながらそう尋ねた八幡を見て、結衣は溜息混じりでそう返す。そうは言いつつも、しっかりと覚えていて話をしてくれるという部分のおかげか、彼女は少しだけご機嫌になった。
「さっきのあれなんだけど」
「食わんぞ」
「いや、分かってるし。……もう少し上達、出来ないかなぁ」
「無理じゃね?」
「即答!? あ、何かムカついてきた。意地でもヒッキーに美味しいって言わせてやるから」
「俺が寿命で死ぬのと毒殺されるのはどっちが早いかな」
ちょいやー、と結衣が八幡の脳天にチョップを叩き込んだ。思いの外クリティカルヒットしたようで、彼はブタを絞めたような声を上げて頭を抑え悶え苦しむ。ギャグの一切ない痛がりように、彼女は彼女であたふたしながら心配する声を掛けた。
「だったら、やるんじゃねぇ、よ……」
「いや、そこまで強くやるつもりはなかったというか、もっと普通のツッコミのつもりだったというか……」
「慣れてないやつが脳天はやめとけ、普通に痛い」
「うん、ごめん。……あれ、じゃあヒッキー慣れてるの?」
「中学の頃一週間に一回はクソ野郎に叩き込んでたからな」
頭を擦りながら体勢を立て直した八幡は、また話が脱線してると結衣に告げる。脱線した理由はそっちな気がすると思わないでもなかったが、それを言い出すとまた余計な方向へと会話がズレていくだろうと判断し彼女は飲み込んだ。咳払いをし、どこまで話したかを思い返し、そしてもう一度本題を口にした。
「誰か、料理教えてくれる人とか、いないかな」
「それは普通に料理教室通うとかでいいだろ」
「いや、そこまでガチめなやつじゃなくてもいいんだけど」
「じゃあ親に聞けば」
「うちのママ、割と感覚派だから聞いてもよく分からないし……」
注文多いな、と八幡は溜息を吐く。とりあえず思い付くのはその程度なので、それ以外となるともっと思考を回さねばならない。ガリガリと頭を掻くと、学校でそういう問題を解決出来そうな場所がないかをピックアップした。
「料理部とか、あったか?」
「どうだろ……あたしも分かんない」
「いっそ家庭科の鶴見先生に泣きつくか」
「先生に相談か……出来るのかな?」
うーむ、と考え込む結衣を見ていた八幡は、まあその辺が無難だろうと残っていたMAXコーヒーを飲み干した。立ち上がると少し離れた場所にあるゴミ箱へとそれを捨てに向かう。面倒なので投げ入れたいが、もし外した場合非常に恥ずかしいので自重した。
「ん?」
ガコン、と空き缶同士がぶつかり合う音が響くのと、たまたま通りすがった人物がこちらを見るのが同時であった。その人物は八幡を視界に収めると、ああ丁度良かったとこちらに向かって歩いてくる。
「比企谷、ちょっといいか?」
「……どうかしましたか、平塚先生」
思わず身構える。彼に近寄ってくる人物は現国教師にして生活指導担当の平塚静だ。その肩書からして、わざわざ用事があるとすれば間違いなくいいことではあるまい。
そう判断した八幡の予想を裏切ることなく、あるいはある意味裏切って。彼女はまあ大した事じゃないと笑った。
「君の出した課題の作文なんだが」
「課題? っていうとあの『高校生活を振り返って』とかいう二年の序盤にやるやつとは思えない謎の作文のことですか」
「二年の序盤だからこそやるのさ。一年目を見直し、三年目へ向かうためにな」
その辺が分からないのは子供だな、と静は笑う。絶対に適当ぶっこいてるなと思わないでもなかったが、これ以上余計なことを言っても時間を食うだけだと八幡は流した。現に、結衣がこちらの状況に気付いて歩いてきている。
「それで、それが何か?」
「ヒッキー何かやらかしたの?」
八幡の問い掛けと結衣の質問が同時である。内容自体はどちらも同じ答えで済むので、静は丁度いいと口角を上げた。由比ヶ浜にも聞いてもらおうかと笑った。
「適当な例文をコピペ改変して出したな」
「人聞きの悪い。俺は作文のテンプレを常に持ち合わせているだけです」
彼女がそう認識するほど、八幡の文章は平坦であった。恐らく固有名詞や一部の動詞を書き換えれば別の作文提出に使えるような、そんな全く持って尖ったもののない面白みのない文章であった。
「君はあれか? 静かに暮らしたい殺人鬼か何かか?」
「別に手首を集める趣味はないです。リア充は爆発させたいですけど」
「物騒だ!?」
ネタを分かっているのだろう静はこの野郎と笑うが、分かっていない結衣は単純に何か酷いことを言っているとツッコミを入れる。ジト目で八幡を睨むと、そのままゲシゲシと彼の脇腹を突っついた。
「何だ比企谷。君は自殺願望があったのか。いかんぞまだ若いのに」
「何でですか」
「爆発したいんだろう?」
「俺が爆発の対象範囲だったら人類の八割は吹き飛ぶと思います」
何言ってんだこいつ、という目で静は八幡を見る。彼女から見れば彼は可愛いクラスメイトといちゃついているリア充にしか見えない。その実態や本音はともかく、傍から見れば所詮一緒だと言わんばかりに静は彼を見て鼻で笑った。
「物事の本質を見誤るとか教師としてどうなんですか」
「さて、どうかな? その本質を理解していないのは当事者の方かもしれんぞ」
「口の減らない人ですね」
「現国教師で生徒指導担当だからな。君のようなのの相手は慣れっこだ」
元教え子には相当酷いのもいたからな、と言葉にはせずに続ける。静ちゃん酷いー、と笑う人物が頭に浮かび、黙れ陽乃と彼女は脳内を一喝した。
ふう、と静は息を吐く。やり方はともかく、課題としては別段何か問題のあるものではなかったので、彼女としてもそれを少し聞きたかっただけだ。次はテンプレを使わないように、と八幡に述べると、話はそれだけだと言わんばかりに踵を返した。
そんな彼女を見て、八幡は顔を顰める。暇なのか、とさりげなく酷いこともついでに思った。
「あ、そうだ」
「ん?」
「平塚せんせー」
そんな彼を尻目に、何かを思い付いたらしい結衣が去っていく彼女を呼び止める。どうした、と振り向いた静に、結衣はちょっとお願いがあるんですけどと言葉を紡いだ。
「鶴見先生って、授業以外でも料理教えてくれたりしませんか?」
「……は?」
「ガハマ。唐突過ぎて先生がリアクションに困ってるぞ」
またこのパターンかよ。そんなことを思いながら頭をガリガリと掻いた八幡は、静に事の経緯を話し出す。調理実習で結衣がダークマターを錬成したこと、リベンジで作ったクッキーは木炭に変化したこと。何とかして人の食べる物体を作りたいと考えた結衣は、八幡のアイデアで家庭科教師に助力を頼んでみようと思ったこと、などをである。
成程な、とそれを聞いた静は小さく息を吐いた。そうした後、まあ無理だと言葉を返した。
「教師というのは存外忙しくてな。あまり時間が取れないんだ」
「あー、やっぱりそうですか……」
「ああ、力になれなくて済まないな」
そう言って苦笑した静は、しかし何故そんなに料理の腕を上げたいのかと結衣に問い掛けた。唐突に女子力を上げようと思い至ったにしては、やけにこだわっているように思えたのだ。
それを聞いた結衣は一瞬動きが止まる。ちらりと横にいる八幡を見て、しかしすぐに視線を戻した。そうした後、何となくです、と言い放った。
「……まあ、そうだな。生徒の青春を応援するのも教師の努めか」
「うわ、いきなりアオハルとか言い出したぞこの人」
八幡をジロリと睨み、その視線を戻して本当にこいつでいいのかと結衣に目で問い掛ける。意味が分かっていないのか、あるいはそれでもいいと思ったのか。彼女はそんな静の視線に首を傾げた。
まあいい、と彼女は息を吐く。家庭科教師に頼むことは出来ないが。そう前置きした彼女は、しかしそれならば丁度いい場所があると笑みを浮かべた。
「困っている人間に手を差し伸べる。願いを叶えるのではなく、手助けをする。魚を与えるのではなく、魚の取り方を教える。そんな活動をしている部活がある」
「料理も、教えてくれるんですか?」
「多分な。まあ、あいつなら問題ないだろう」
どうだ、という静の言葉に結衣は一も二もなく飛び付いた。じゃあそこ行きます、と即答した彼女を見て、ああこれはどうせ俺も巻き込まれるパターンだなと八幡は溜息を吐く。
ここで逃げるという選択肢を取らない時点で彼も随分毒されているのだが、本人にはその自覚があまりない。
「それで、どこなんですか?」
「ああ、場所は特別棟。そしてその部活の名は――」
『奉仕部』。その言葉を聞いた時、八幡は何か猛烈に嫌な予感がした。その単語は聞き覚えがある。そんな気がするのだが、そういう時に限って記憶の引き出しの立て付けが悪く開かない。それがどうにも気持ち悪く、分からないまま放置してそこを避けるとモヤモヤが延々と続きそうな予感がしてきて。
「ありがとうございます平塚先生! じゃあ放課後そこに行ってみます」
「ああ。まあ、頑張れ若人」
今度こそ去っていく静の後ろ姿を、八幡はどこか恨みがましい目で眺めた。覚えてろよ、と心の中で悪態をついた。