「じゃあ、四つ! あたし四枚いける!」
「無理だな」
「由比ヶ浜さん、無理はしない方がいいわ」
「二人して!? いいもんいいもん、絶対成功するし」
ふんす、と鼻息荒く結衣は自分のステッカーを二枚捲り薔薇を出す。そうした後、八幡と相模、そして雪乃の置いているステッカーを眺めた後八幡のそれに手を掛けた。
「ヒッキー二枚抜き! とりゃー!」
ぺろり、と八幡の眼前のステッカー二枚をひっくり返した。そこに書かれたのは薔薇と薔薇。目をぱちくりとさせていた雪乃は、凄まじいドヤ顔の結衣から八幡へと視線を動かす。
「駄目企谷くん」
「俺は悪くねぇ」
「でも負けたのはあなたの所為よね?」
「お前でも結果は一緒だろ。ほれ」
そう言って八幡が雪乃のステッカーをひっくり返したが、そこに記されていたのは薔薇とドクロであった。その体勢のまま動きを止めてしまった彼を呆れたように眺めると、彼女はもう一度彼の名を呼ぶ。
「駄目企谷くん」
「……はい、駄目企谷です」
ぐうの音も出ないとはこのことであろうか。四角いタイルを裏返し大勝利、とガッツポーズをしている結衣を見ながら、八幡は盛大な溜息を吐いた。ちなみに、彼は今の所一度も勝利していない。
「ヒッキーこういうの苦手だっけ?」
「そんなことはないぞ。動画で結構見たからな」
「見るだけと実際にやるのは大違いですよ比企谷先輩」
「察してあげなさい相模くん。彼は孤独を極めることも出来ず中途半端に拗らせたおかげで、こういう勝負をする相手に恵まれなかっただけなの」
「なんっ……でそこまで、的確に人を傷付ける台詞が言えるんだよお前はぁ!」
「そういうところよ比企谷くん」
「あ、はい」
「え? 今のどういう流れ?」
結衣からしてみれば激高した八幡が瞬時に大人しくなったようにしか見えない。首を傾げる彼女に対し、雪乃はこっそりと耳打ちした。勿論他の人に聞こえる声量で、である。
彼はちょっと漫画の真似をしてみたかっただけなの、と。
「あー、ヒッキー意外とそういうのよくやるよね」
「やめろ理解を示すな拒絶されるよりダメージでかいから」
うんうん、と頷く結衣を物凄く嫌そうな顔で見る八幡であったが、彼女は別段気にすることもない。いつも通りだ、と認識しているのだろう。だから雪乃もそれ以上深く話を進める様子もなく、それにしてもと盤上を眺めた。
「由比ヶ浜さんがこの手のゲームに強いのは意外ね」
「何か微妙にバカにされてる気がする」
「俺じゃあるまいし、雪ノ下がガハマを馬鹿にすることはそこまでないだろ」
「そこは断言してちょうだい。もしくはもう少し確率を低く」
「バカにする気満々だ!?」
酷い、とショックを受けたポーズをしている結衣を尻目に、八幡はそれでどういう意味なんだと話を続けていた。別段ノリについていく気もない相模は完全に傍観者である。
「いえ、そのままの意味よ」
「ガハマみたいな頭じゃ弱いと思ってたってことだな」
「悪意マシマシ!?」
「頭の善し悪しじゃないわ。心の裏を読んだり、駆け引きをしたり。そういうのとは無縁な気がしていたからよ」
そういう意味ではあなたが弱いのが意外、と彼女は八幡を見る。確かに強そうだったのに、という顔で彼を見る相模も合わせ、二人に見られた八幡はうるせぇと手で追い払った。
「それで、ガハマは何かこの手のコツとか持ってんのか?」
「ん? コツっていうか、あたしちょっと前まで周りの空気読んだりしてばっかだったから、みんながどんな風に思ってるとか何となく察するみたいな」
「同じような生活しているはずなのに何であの姉はそれが出来ない……」
「さ、さがみんはどっちかというとみんなを引っ張るタイプ、だし」
目が泳いでいた。そういうところの空気を読まなくてもいいです、という相模の言葉に、結衣は申し訳なさそうに項垂れた。
そんな光景を見ながら、八幡は頬杖をついたままの体勢でだとしても、と言葉を紡ぐ。自分の思考だけやたらと読まれている気がする、とぼやいた。
「そりゃあ、ヒッキーはこの中で一番感じ取りやすいし」
「マジかよ。お前どんだけ俺のこと見てんの?」
「え? んっと、ほぼ毎日?」
「…………」
「ふふ、そうなのね。ふぅん」
「うわ何か急に部室温度上がった」
「おいやめろ違うそうじゃないそんな目で俺を見るな間違いなく致命傷だから」
きょとんとした表情な結衣とは逆に、八幡は雪乃と相模の視線を受け見てんじゃねぇと全力で拒絶した。何でボードゲームをやっているだけでこんな空気にならないといけないのだ。そんなことを思いながら彼はそれを全力でぶち壊そうとした。
そうすると、こちらをじっと睨んでいる二人のゾンビに気が付く。あ、と思わず声を上げると、残りの三人も気付いたようでその二人を見た。
「あ、終わった?」
「投げやりぃ!」
結衣の一言に義輝が崩れ落ちる。秦野はそんな彼を見て、気持は良く分かります剣豪さんと肩を叩いた。
「あら、随分と仲良くなったのね。勝負を通じて友情が芽生えたのかしら?」
「そういうわけじゃありませんが、何かどうでもよくはなりましたね」
雪乃の言葉に秦野は溜息混じりでそうそう返した。元々ゲーセン仲間である。今回の諍いさえなければ敵対する理由もそこまでないのだ。
とりあえず火消しはしてくださいよ、と秦野は義輝に述べる。うむ、と力強く頷いた彼は、立ち上がると腕組みをし胸を張った。
「これにて一件落着、問題解決、というわけだな」
「最初から何の問題も起こってなかったんだよこっちにとっちゃ」
「ふ、やはり我にしか理解らぬということか。選ばれし力を持たぬからこうなるのだ」
「ああそうかい。じゃあ次は自分だけで死ねよ」
「死ぬこと前提!?」
そんな冷たいこと言わないで、と泣きつく義輝をうっとおしいとはねのけた八幡は、そろそろ帰るかと視線を結衣に向けた。終わったのならば長居する必要もない、そういう判断である。
「そうね。では、お騒がせしたわね遊戯部のお二人さん」
「そうだな。お前は本当に騒がせに来ただけだったな雪ノ下」
「あら、そうかしら。事態はきちんと丸く収まったでしょう?」
「あの二人がグダグダ過ぎたおかげでな」
そうは言いつつ、普通に勝負が進んでも結果はそこまで変わらなかったかもしれないと八幡は少しだけ思う。義輝は絶対に負ける勝負でなければある程度は納得したであろうし、秦野も不公平な勝負に変更されたわけでもない以上そこまで不満もなかっただろうからだ。
何だかよく分からんが、と彼は雪乃を見る。どう見ても自由人で好き勝手に動いているようにしか思えないが、彼女は彼女なりに何かしらの思惑を持って行動をしているのだろう。はぁ、と溜息を吐くと彼はそのまま遊戯部を後にした。結衣もそれに続き、雪乃、義輝も同様に外に出る。
何がどうなって満足したのか分からないが、義輝はそのまま高笑いを上げながら帰路についた。そんな彼の巨体を眺めつつ、今日は帰ってゆっくり寝ようと八幡は心に誓った。
そんなことがあった週の土曜。ソファーでくつろいでいた八幡は、何かを忘れていた気がするとテレビを見ながら考え込んでいた。横では妹の小町が怪訝な表情で彼を見ている。
「どうした小町」
「どうしたはこっちのセリフだよ。お兄ちゃん挙動不審だよ。あ、いつもか」
「そこまで常にキョドってねぇよ」
「え?」
「本気の顔だよ……」
「もー、冗談だよ冗談。兄妹だから出来るやつ」
「それも踏まえて冗談とかいうオチだろ?」
「どんだけ妹信用してないの!? そういうの小町的に超ポイント低い」
「えー……。最初に振ってきたの小町じゃん」
はぁ、と溜息を吐いた八幡を見て満足したのか、小町はそれでどうしたのと問い掛けた。彼は彼でその言葉にそれまでの空気を瞬時に霧散させ、ああ実はな、と話し始める。この辺りは兄妹だから、家族だからということなのだろう。
「というわけで、俺は一体何を忘れてるんだ?」
「中二病はもう卒業した方がいいよお兄ちゃん」
「いや確かにそんな感じだったが……俺本気で中二病再発したのか!?」
「そこ真剣に悩まれるとこっちとしてもコメントに困るなぁ……」
はぁ、と今度は小町が溜息を吐き、どうせ何か約束でも忘れてるんじゃないのと続けた。そう言ってはみたものの、目の前にいる兄はそんな約束を取り付けるほど親しい相手に該当者がいない。少なくとも小町の中で選択肢は一つだ。
「かおりさん?」
「ん? いや、あのクソ野郎と約束なんざこれっぽっちもしてない。というかあいつと知り合ってから約束した覚えがない」
「流石はお兄ちゃん、ブタ野郎だね」
「そんな嫌なさすおにはやめろ」
ぼやく八幡を尻目に、だったら他に、と小町は考える。高校で出来た友人というのがもしいたのならばその可能性もあるが、今の所そんな話を聞いた覚えがない。というかいたらGWに何かしらコンタクトがあったはずである。そう結論付け彼女は別の方向を模索した。友人と上手く都合がつかなかった、という可能性を排除した。
そのタイミングでチャイムが鳴る。ピンポーンというどこか間抜けな音がリビングに鳴り響いたのを受け、小町が返事をしながら立ち上がった。宅配便かな、と呟きながら、パタパタとスリッパを響かせつつ玄関まで向かう。
そうしてから数十秒後、猛烈な勢いで小町が走って戻ってきた。
「お、おに、おにおにおにおに」
「ど、どうした小町。何か言語中枢がバグってるぞ」
目を見開きカタカタと震えながら上手く喋れていない小町を見て、八幡も思わず立ち上がる。一体何があった、と彼女の肩を掴み頭を撫でて落ち着かせると、彼は彼女の言葉を待つ。
「お、お兄ちゃんに、お客さんが」
「俺に客?」
この慌てようで自分に客となると、ひょっとして警察でも来たのだろうか。そんなことを考えながらリビングを出て玄関に顔を向けた八幡は、そこに立っていた人物を見て思わず動きを止めた。
「あ、ヒッキー。やっはろー」
「……やっはろぉ」
笑顔で挨拶をする由比ヶ浜結衣を見て、八幡は錆びついたロボットのような動きでそんな挨拶を返した。そのままギリギリと首を動かすと、小町が信じられないようなものを見る目で兄を眺めているのが視界に映る。
「お兄ちゃん」
「お、おう」
「どういう、状況?」
「俺が聞きた――あ」
思い出した。何か忘れている、という先程までのモヤモヤがこの瞬間に晴れ渡った。
じゃあ今度の土曜に、ヒッキーの家で。この間の遊戯部でそう約束をしたのを、ここに至ってようやく思い出したのだ。
「先程は大変失礼をいたしました。わたくし、比企谷八幡の妹で、比企谷小町ともうします」
「え、あ、はい。ご丁寧にどうも?」
「おい小町。ガハマ困ってんじゃねぇか。落ち着け」
「ガハマ!? え? 何お兄ちゃんあだ名呼び!? そういえば由比ヶ浜さんもヒッキーって呼んでた。……ヒッキーってどういうセンス?」
来客である結衣にテンパっていた小町は、そこでふと我に返ったらしい。結衣でいいよ、という彼女の言葉に頷きながら、まさか引きこもり呼ばわりされてるのかと八幡を見やる。
「比企谷だからヒッキーだそうだ」
「えー。それって槙原だったらマッキーってこと?」
「槇原敬之はマッキーだろ」
「あ、そうだね。槇原敬之はマッキーだ」
じゃあいいのか、と頷く小町を見てどこかデジャブを覚えた八幡であったが、まあそれはどうでもいいと脇に置いた。
「んで、何しに来たんだ?」
「ヒッキーと遊ぶために来たに決まってんじゃん。カードゲーム教えてくれるんでしょ?」
「だよなぁ……」
「覚えてたんなら何で聞いたし」
ぶう、と頬を膨らませる結衣を見ながら、八幡は小さく溜息を吐く。あの時は何であんな約束してしまったのだろうか。そんなことを思いつつ、じゃあカード持って来ると立ち上がった。
「え? ヒッキーの部屋行くんじゃないの?」
「行くわけねぇだろアホか。お前どんだけ図々しいの?」
「うっ……。確かにそうかもしれないけど、リビング占拠するのも迷惑かなって」
「今日は両親出掛けてるんで大丈夫ですよ。小町もお邪魔でしたら急な用事が出来ますから」
「おい小町、変な気を回すな」
「何だかよく分からないけど、あたしはせっかくだから小町ちゃんとも仲良くなりたいな」
えへへ、と笑う結衣を見て、小町は思わず目を見開く。そうした後猛烈な勢いで立ち上がりかけていた兄へと振り向いた。
「ちょっとお兄ちゃん。何でこんな可愛い人がお兄ちゃんみたいなへそまがりと一緒にいるの?」
「何でって……色々事情があるんだよ」
「え? 弱み握ったの?」
「そこで即その考えを出す小町にお兄ちゃんびっくりだよ」
そう言いつつも、きっかけだけを考えるとあながち間違いでも無い気がして、八幡はそこで言葉を止めた。小町は小町で何となく察したのか、ふーんと意味深な笑みを浮かべると彼を立たせとっとと取りに行ってこいと追い出しにかかる。
「ごめんなさい、気の利かない兄で」
「ううん、そんなことないよ。ヒッキーのおかげで、あたしすっごく助かってるもん」
「へー……」
マジかよ、と思わず心中で小町は叫ぶ。あの兄を持ってそんな感想を抱くような奇特な人間がまさかこの世に家族以外で複数も存在するとは。物凄く失礼なことを考えつつ、彼女は結衣との会話を続けた。
そうした結果、小町は一つの結論を出した。いやもうこれは確定だろ、と一人頷いた。
「それで、お兄ちゃんとはぶっちゃけどんな関係で?」
「友達だよ。ヒッキーもそう言ってくれたし」
「……」
「あ、あれ? どうしたの小町ちゃん」
「いえ。まさかあの兄がきちんと友達だと認めている女の人がもう一人出てくるとは、と」
今日はお祝いだ、と小町は一人はしゃぐ。そんな大変なことなのかな、と頬を掻く結衣に向かい、小町はそれはもう、と食い気味に返した。
「そういうわけですから、結衣さん。どうかうちの兄と末永く付き合ってあげてください」
「うん。任せて」
笑顔でそう返事をする結衣を見て、小町はどこか満足そうに笑った。義姉ちゃん候補ゲットだぜ、と拳を握った。
戻ってきた八幡に思考を読まれ引っ叩かれたのは言うまでもない。