セいしゅんらぶこメさあゔぁント   作:負け狐

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出しちゃった。


悪友フラグレンス
その1


『ごめんなさい』

 

 黒板一杯に書かれたその一言を眺めた八幡は、現状についていけずボケっと立ち尽くすだけであった。誰が、誰に宛てたのか。それすらも分からないその巨大な断りの返事は、しかし彼には実によく刺さった。

 そう、これは謝罪ではない。断りの返事なのだ。それが分かるからこそ、八幡はそれを見て動きを止めてしまった。余り目立つことを好んでいなかった彼の、意を決した告白。その答えがこれである、そう認識してしまった。

 そのうち誰かが消すであろうと思っていたそれは、しかし予想に反し誰も何も言わずそのまま残り続ける。誰に向かっての言葉なのかが分からないから、などという理由ではない。もしこれを消しにかかったのならば、そいつがこの言葉の相手だと思われるからだ。

 だから八幡も黒板には近付かなかった。視線を上げると嫌でも目に映る断りの言葉を極力視界に入れないようチャイムを待った。そうしている内に、あれが告白の返事ではないかと誰かが言い出し、彼と書いた相手だけの秘密が教室へと拡散していく。

 ここで面と向かって告白していたら。この時の八幡が臆病ではなかったら。恐らく八幡が彼女へと告白したことが知れ渡っていたのだろう。あるいはその場で返事をもらい、そこから広まっていったかもしれない。

 だが、生憎と彼の告白はスマホ越しであった。直接、面と向かって告白はしなかった。だからこそ、相手もこうして面と向かって返事をしなかったのだろう。今でこそスマホですればいいだろうと文句の一つ二つ出てくるが、当時の彼はそんな考えなど思い浮かばず。

 ただただ、これが自分宛てであると知られないように目を逸らし。知られたらどうしようとビクビクしながら。彼はホームルームが始まり、教師に黒板の文字を消されるまで机に突っ伏したままであった。

 比企谷八幡が中学二年生の頃の、話である。

 

 

 

 

 

 

「……うぁ」

 

 目覚め悪い、と八幡はボサボサの頭を書きながらベッドから起き上がった。三年近く前の光景を夢に見た。当時告白したその相手とはどうなったのか、ということを思い出すまでもなく、彼は溜息を吐きながら着替えてリビングへと向かう。

 妹の小町がやって来た兄を見てぎょっとした顔を浮かべはしたものの、すぐに表情を戻すとおはようと声を掛けた。八幡も勿論それに挨拶を返す。

 

「どうしたのお兄ちゃん。普段より目が死んでるよ?」

「あー……。ちょっと夢見が悪くてな」

「ふーん」

 

 深くは追求しない。そんな妹の気遣いにほんの少しだけ感謝しつつ、彼はテーブルの上にある朝食を手に取った。普段はパンだが、今日はスコーン。珍しいものを見たとそれを眺め、ジャムを付けて一口齧る。

 

「で、どんな夢?」

「気遣いしたんじゃないのかよ」

「抱え込むより話した方がいいかなっていう小町的気遣い」

「ああそうかいお兄ちゃん感動で咽び泣くわ」

 

 残っていたスコーンを口に押し込み、コーヒーで流し込む。そうした後、別に面白い話じゃないからなと小町を見た。それは分かってるよ、と対面に座っている小町は優しく微笑み、ほれほれ話せと手で促す。

 はぁ、と溜息を吐いた八幡は口を開いた。中学の時の夢を見ただけだ、と短く述べた。

 

「中学?」

「ああ、お前も知ってるだろ。玉砕黒板」

「お兄ちゃんの教室の黒板にでっかくお断りの返事が書かれてたってやつでしょ。知ってるよ、そりゃ。だってフラれたのお兄ちゃんだし」

「ああ。……あん時は本当に、いつバレるのかとビクビクしながら学校行ってたんだよなぁ……」

 

 いっそ噂が広まっていたとかの方が諦めがついた、そんなことを考えたりもしたほどだ。結局俗にいう七十五日、とはいかずとも、一ヶ月半ほど八幡は気の休まらない日々を過ごすのだが。

 その過程で、彼の言うクソ野郎との腐れ縁も結ばれるので、一概に悪いことでもなかったのかもしれない。勿論それは今になって思い返すからこそ出てくる言葉で、当時はそんな事考える余裕などありはしなかった。周囲の笑い声を聞けば自分のことを言っているのではないかと過剰に反応し、しかしそれを表に出せば認めてしまうと必死でそれを押し殺し。

 あの時の自分は間違いなく死んでいた。ほんの僅かの間、比企谷八幡は死んでいたのだ。

 

「思い出したらムカついてきた……」

「あはは。でも、良かったね」

「え? 小町ちゃん俺の不幸を笑う人? お兄ちゃん泣くよ?」

「違う違う。そうじゃなくて。今お兄ちゃんムカついたって言ったでしょ。思い出したくもない重い記憶じゃなくて、折り合いのついた思い出になってた」

 

 ぐ、と八幡は言葉に詰まる。そうなのだろうか、と思い返す。結果としてあの黒板の相手が誰だったのかは当事者以外には不明のまま。彼は笑いものになることなく、別段目立ちもしない一般生徒Aとして中学を卒業することが出来た。念の為にと知り合いが極力いない総武高へ進学を決めたことである程度の学力も手に入れた。

 それらに関わっていたのは、ある意味元凶であり、腐れ縁。

 

「いや、やっぱあのクソ野郎はダメだろ」

「そう?」

「よしんば今の状況がそこからだったとしても、絶対に俺はそれを認めん」

「それは当然だと思うよ」

 

 むしろそうでなければ、と小町は笑みを浮かべる。そこで過去を糧にして前に進むような性格だったのならば、それは決して比企谷八幡ではない。満足そうに頷いて、彼女は自身のスコーンをぱくついた。

 

「それ褒めてないよな」

「褒めてるよ? 小町のお兄ちゃんは昔から変わらないって。塾の知り合いのお姉ちゃんとかは高校で随分変わったって言ってたし」

「ふーん」

「バイト始めたらしいんだけど、どんなバイトしてるのか一切話さないんだって。昔はそんなんじゃなかったのにってその子悲しんでた」

「そりゃ、そんなもんだろ。誰だって言いたくないことの百や二百あるもんだからな」

「まあお兄ちゃんの場合、言いたいことの方が少なそうだしね」

 

 やれやれ、と頭を振った小町は食べ終わった食器を持って席を立つ。それに続いて八幡も立ち上がると、洗い物くらいはやっとくと彼女に告げた。どうせ食器洗い機にぶちこんでスイッチを押すだけだ。何の問題もない。

 

「まあ、首を突っ込むにしてもほどほどにな。余計なお節介は迷惑なだけだ」

「お兄ちゃんがそれ言うんだ……」

 

 高校生になった直後、犬を助けて車に轢かれた男が言っても確かに説得力はあまりない。

 

 

 

 

 

 

 当然といえば当然ではあるが、小町との会話で出た人物が一体誰のことなのかなど八幡には知る由もない。教室を見渡したところでそこに件の人物がいるなどは思いもせず、今日もいつものようにスマホのニュースサイトを巡りながら暇を潰していた。

 

「あ、ヒッキー」

「ん?」

 

 そんな彼に声が掛かる。誰だ、と疑問に思うことすらない。自身をふざけたあだ名で呼ぶ相手など今現在この学校には一人しかいないのだ。正確には二人だが、もう片方はこちらに比べると『あだ名?』なのでノーカウントである。

 

「何か用かガハマ」

「んー。もうすぐ中間だけど、ヒッキーの調子どうかなって」

「普通だ」

「普通って何だし」

「何時も通りってことだ。言っとくが俺これでも国語は学年三位だからな」

「……さんい? ……現国と、古文合わせて?」

「おう」

 

 がぁん、と何かショックを受けたように項垂れる結衣を見ながら、八幡は呆れたように溜息を吐く。あの頃を忘れたのか、と述べると、あんなの初期も初期じゃんと詰め寄られた。

 

「つまりお前はあの時と比べると馬鹿が加速しているわけだ」

「酷くない!?」

「じゃあ聞くが、お前の勉強の調子はどうなんだ?」

「……ふ、普通、かな」

 

 あからさまに目を逸らしながらそう述べる結衣はある意味どうしようもなかった。ああこれは駄目なのだ、と傍から見ていて分かるくらいにはどうしようもなかった。

 

「だ、だってみんな勉強してないって」

「お前それ真に受けてるのか? あんなのはいい点数取った時に自慢するためか、点数が悪かった時の言い訳に使うかどっちかの常套句だぞ。実際は勉強してるに決まってんだろ」

「……そうなの?」

 

 ああ、と八幡が頷く。それを聞いた結衣は猛烈な勢いで振り返った。優美子と姫菜が目を逸らしていたのを見て、彼女は目を見開き裏切り者、と二人の元へと突撃していく。

 そうして八幡の周りはまた静かになった。安堵の溜息を吐いた彼は、再度自分のスマホを操作しネットの海を進んでいく。そろそろ新刊が出るから本屋にでも寄るか、そんなことをついでに考えた。

 

「ヒッキー!」

「何で舞い戻ってきたのお前。伝書鳩か何か?」

「酷くない!?」

 

 そのタイミングで結衣がブーメランのごとく戻ってくる。視線をスマホから上げると、丁度彼女の二つの膨らみが視界一杯に広がった。その状態で、彼は言葉を紡ぐ。リアクションを取ったことでゆさっとなったそれを見て、視線をようやく顔に向けた。一度目は目をほんの少し動かし、二度目は顔ごと相手を見る。スマホから視線を動かしてない、と見せかけるのがコツらしい。

 

「で、何だ?」

「勉強、教えて欲しいなぁ、って……」

 

 申し訳なさそうにそう述べる結衣を見て、八幡は溜息を吐いた。面倒だ、と言ってしまえれば楽である。実際面倒ではある。が、ここでそんなことを言おうものならば向こうでゴルゴンが起動するのは想像に難くない。だったらお前が教えろよ、と思わないでもなかったが、つい先程自分の成績を眼の前の少女に自慢してしまったばかりだ。

 ああこれも自業自得か。そんなことを思いつつ、彼はしょうがないとばかりに頭を掻いた。

 

「やた。じゃあこないだみたいにヒッキーの家に――」

「ガハマ」

 

 教室でとんでもないことを口走りかけた結衣を止める。慌てて、ではないのがコツで、そうしなければ耳聡い連中が真実なのだという確信を持ってしまうからだ。ちなみに彼女が八幡の家に遊びに来たのは純然たる事実なので何一つ間違っていない。

 

「ファミレスにでも行くか。ドリンクバーあるしな」

「へ? あ、うん」

 

 まあいいか、と頷く結衣を見ながら、八幡は息を吐く。危うくクラスメイトに女子高生を家に連れ込むゲス野郎だと思われるところだった。そんなことを考えつつ、とりあえず今は眼の前のアホに勉強を叩き込まねばと頬杖をついて思考を巡らせる。

 教室の皆がどう思っているか、まずはそこを勘違いしていた彼は気付かなかったのだ。

 

「ファミレスで二人きりの勉強会って、それもう放課後デートなんだよなぁ」

「だべ」

 

 姫菜の呟きに、戸部が同意する。優美子は呆れたように溜息を吐き、隼人は何とも言えない表情で二人を見る。代表的な反応がこれであるが、基本クラスの面々の反応は大体この数パターンに近いものであった。

 

 

 

 

 

 

 それから一週間自分の分かる部分は結衣に叩き込んだ八幡は、久々の休息を堪能していた。最後の仕上げでもするかと自室で広げた教科書とノートから目を離し、気分転換だとリビングに向かう。そういえばこの間調べた新刊を買っていないと思い出した彼は、丁度いいと外に出ることにした。普段は家で引きこもるが、こういう時は躊躇いなく外に出る。それが八幡である。

 

「あ、お兄ちゃん出掛けるの?」

「おう。ちょっと本屋にでもな」

「おみやげよろしくね」

「参考書か?」

「いらない」

 

 しっしと手で追い払われたので若干しょんぼりしながら、八幡は外に出る。春と夏の境目のような天気で、少し暴れると汗ばんでしまいそうな陽気である。別段動く予定もなし、まあその辺りはどうでもいいと彼は目的地へと向かった。

 その道中、八幡はどうにも嫌な予感がした。虫の知らせ、というやつであろうか。今すぐ引き返せば傷は浅いと自身の六感が訴えている。第六感が訴えるというのはどうにも中二病臭いと顔を顰めた彼は、しかしどうしたものかと思わず足を止めた。止めてしまった。

 

「あ、比企谷」

「げ」

 

 だから、そのタイミングで丁度目に入ったらしいその少女が自身の名前を呼んだことで、彼は自身の第六感をほんの少しでも疑ったことを恥じた。一も二もなく信頼し、即座に踵を返すべきだったのだと後悔した。

 声の方へと振り向く。くしゅりとしたパーマのあてられたショートボブ、少し釣り目がちなその顔。全く知らない顔だ、と言えればどれだけ楽なのだろうかと彼が思ってしまう、そんな眼の前の人物が浮かべているのは、笑み。

 

「何してんの?」

「……買い物だよ」

「ふーん。じゃあ、あたしもついてく」

「断定かよ。何お前暇なの?」

「暇じゃなかったらこんなとこウロウロしてるはずないじゃん、ウケる」

 

 そう言ってケラケラと笑う少女を見ながら、八幡は疲れたように溜息を吐いた。せっかくの休息が消滅する音がした。

 そのまま連れ立って本屋へと向かう。ラノベの新刊を手に取り、ついでに漫画を見繕い。そうして本屋を出たあたりで、お前まだついてくるのという視線を八幡は彼女に向けた。

 

「邪魔?」

「邪魔だよ。可及的速やかに消えてくれると非常に助かる」

「そうだ、丁度いいし、比企谷ちょっと勉強見てよ」

「聞けよ人の話」

 

 ジロリと横目で少女を睨むが、彼女はまるで気にせずに笑みを浮かべたまま確定事項だと言わんばかりに足を踏み出す。ここで向こうについていかずにそのまま去れば何の問題もないのだが、いかんせん相手は。

 

「比企谷、ほれほれ」

「だから俺は帰るっつってんだろ」

「んじゃ比企谷んちでもいいよ」

「絶対嫌だ」

「だよね、ウケる」

 

 何が可笑しいのか肩を震わせた少女は、ならファミレスかなと考え込む仕草を取った。意識が一瞬八幡から外れた。

 今だ。これが逃げるチャンスだと即座に判断した八幡は、素早く向きを変えるとその場から離脱する。そこから離れるために足を動かす。

 

「ひゃぁ!」

「あ、すいませ――」

 

 しかし運命とは残酷なもので。振り向いたその先には丁度通り掛かった人がいた。危うくぶつかりそうになった八幡は、動きを止め一歩下がり謝罪の言葉を口にする。そうしながら、ぶつかりそうになった相手をちらりと見た。

 

「あれ? ヒッキー?」

「げ、ガハマ」

「げってなんだし」

 

 ぶうぶう、と不満げに八幡に詰め寄ると、しかし機嫌を直したのか今日はどうしたのと笑顔で話しかけてきた。ここで別に何でもないと答えすぐさま会話を打ち切るのが最適解だと判断した彼は、しかし適当に何かを言うと追いかけてくる可能性もあると思い直す。

 

「気晴らしに本屋で買い物だよ。もう終わったから帰るところだ」

「へー。あたしも丁度買い物終わったとこなんだ」

「そうか」

 

 じゃあな、と手を上げ去ろうとした。これで会話は終わりだと逃げようとした。結衣は結衣で八幡が何だか離れたがっていると察したのでうんと頷き見送ろうとした。そう、見送ろうとしたのだ。

 

「比企谷、何してんの?」

「ちぃ……っ!」

 

 ひょっこりと彼の背中から顔を出す少女を見て、結衣はその考えを思わず保留にした。目をパチクリとさせ、次いで二人の顔を行ったり来たりした。

 そして結論を出した。あ、これ自分邪魔なやつだ、と。

 

「あ、ははは。ごめんヒッキー、お邪魔だったね。そりゃあたしとの会話とかすぐ打ち切りたいわけだぁ……」

「おい待てガハマ。お前絶対誤解してるな」

「……違うの?」

 

 くしゃり、とどこか泣きそうな顔で。結衣は八幡にそう問い掛けた。明確な言葉は何も言わなかった。それだけで分かるだろうと言わんばかりに、短い一言だけを述べた。

 八幡はそれに答えない。代わりに、背中にいた少女を無理矢理引き剥がした。

 

「離れろ折本」

「はいはいっと。んで、こっちは比企谷の彼女?」

「アホか。友達だよ」

「友達!? 比企谷の!? マジで!?」

 

 目を見開いて、そして即座に大爆笑を始めた少女を見て、結衣は先程までの感情が思わず引っ込む。何だこれ、とこれまでとは違う意味で目をパチクリさせた。

 

「あー、ヤバい。ここ数ヶ月で一番ウケた」

「死ね」

「はいはい。あ、自己紹介しとくね。あたしは折本かおり」

「折本、かおり、さん?」

 

 笑みを浮かべながら、彼女は、かおりは手をひらひらとさせる。八幡の非常に嫌そうな顔を見ながら、それこそが面白いのだと言わんばかりの表情で、言葉を続ける。

 

「比企谷の、腐れ縁(クソ野郎)だよ」

 

 

 


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