つまり、『ゆきのんは引っ掻き回す役』というのは雪ノ下姉妹だと言い張っても過言ではない(暴論)
「……よ、よう。ガハマ」
「? うん、やっはろー」
どことなくぎこちない動きで手を上げた八幡に首を傾げつつ、結衣は軽い調子で挨拶を返す。そうしながら、隣に立っている雪乃経と視線を向けた。
「ゆきのんも、やっはろー」
「え、ええ。やっはろお?」
錆びついたロボットのような動きでそのまま挨拶をオウム返しした雪乃は、結果としてとてつもなく変であった。見ていた陽乃は大爆笑である。
そんな姉をギロリと睨み付けた雪乃は、そこで一度息を吐き気を取り直した。奇遇ね、と結衣に述べ、極々普通の会話に持っていく。
そうしながら、ちらりと視線で八幡に合図を送った。ここに来た理由は誤魔化せ、というその目を見て、当たり前だろと彼は一人溜息を吐く。
「あれ? それでいいの?」
そんな彼に声を掛けたのは陽乃である。はい? とそちらを向いた八幡は、ニコニコと笑みを浮かべながらこちらを見透かすかのように見詰めている彼女を見て後ずさった。そうしながら、何がですかと恐る恐る問い掛ける。
「何が欲しいのか、分からないんでしょう? それを一番知っているのは」
ね、と彼女は人差し指を自身の手に添える。美女がやると何とも様になるな、と至極どうでもいいことを考えながら、しかし八幡はその提案を同意しかねた。プレゼントを渡す相手に何が欲しいか聞くのは本末転倒ではないのか。そんなことが頭をもたげたのだ。
「まあ、そうね。確かにそういうのって恐縮しちゃう人いるのよねぇ」
「だったら」
「でも、だからってそれで渡した相手の反応が微妙だと落ち込まない?」
「……さあ? 俺、そういう経験殆ど無いんで。勿論渡す相手がいなかったって意味で」
「ぶふっ! ちょっとそこでその返しは面白過ぎるよ」
突如吹き出した陽乃を、雪乃と結衣は何事かと見やる。こいつが犯人です、と笑いながら八幡を指出した彼女は、そこでそういえば自己紹介してなかったっけと結衣に向き直った。
「わたしは雪ノ下陽乃。雪乃ちゃんのお姉ちゃんです」
「あ。ご丁寧にどうも。ゆきのんの友達の由比ヶ浜結衣です」
「うんうん、知ってるよ。雪乃ちゃんから聞かされてるもの」
「え? ゆきのんが、あたしのことを?」
目をパチクリさせ、結衣は陽乃から雪乃へ視線を向ける。思わず目を知らした雪乃の頬は若干赤みが差していた。さっき自慢してたくせに、と陽乃は更に追い打ちをかけ、この野郎と妹が睨み付けるのを楽しそうに眺める。
「ごめんね、雪乃ちゃん素直じゃないから。一緒にいると大変でしょ?」
「え、いえいえ。そんなことないですよ。ゆきのんって本当に真っ直ぐで、あたし憧れちゃうんです」
「……真っ直ぐ?」
「はい。言いたいことは遠慮なく言っちゃうし、やりたいことは無茶してもやっちゃうし。そういうちょっと無茶苦茶な真っ直ぐさが、凄くカッコいいって」
えへへ、と頭を掻く結衣を見ていた陽乃は、目を暫し瞬かせると雪乃を見た。いつの間にか近くの壁に手をついてプルプル震えていた。妹の痴態を確認した彼女は、うんうんと満足そうに頷き結衣に視線を戻す。
「由比ヶ浜ちゃん」
「は、はい」
「雪乃ちゃんと、これからも仲良くしてあげてね」
「勿論です!」
力強く頷いたのを見て口角を上げた陽乃は、そこで一旦会話を打ち切り壁際の雪乃へと歩みを進める。ぽん、とその肩を叩くと、良かったね、と言葉を紡いだ。
勿論口調はからかい九割五分である。
「さっき思い切り自慢してたのに、いざ言われると恥ずかしくなっちゃったんだ」
「……」
「そうだよねぇ。さっきの比企谷くんもだけど、しっかりと雪乃ちゃんを見てくれてるものねぇ」
「……」
「思わぬ本音が聞けて、雪乃嬉しいって感じかな?」
「ぶん殴るわよバカ姉」
ギリリ、と雪乃が拳を握りしめたのを見た陽乃は、ここまでだなと一歩下がった。ごめんね、と形だけとはいえ謝罪を行うと、背後でしどろもどろになっているであろう八幡の気配を感じながら目の前の彼女に問い掛ける。
「それで、どうするの?」
「何がよ」
「由比ヶ浜ちゃん、一緒に連れてく?」
「少なくとも姉さんは置いていくわ」
壁から姉へと向き直った雪乃の言葉に、陽乃は当然だと言わんばかりに頷く。一緒に行ったら面白くないし、という言葉を聞いて、ああやっぱりこいつ全部仕組んでたなと雪乃はその表情を歪めた。
「全部じゃないよ。あの子が雪乃ちゃん達と合流するよう仕向けただけ」
「全部じゃないの」
「ううん。だってここからは、わたしは関与しないもの」
それで、どうする? そう言って再度尋ねた陽乃を見て、普段の学校生活では決して見せないであろう心底疲れたような溜息を雪乃は吐いた。
「比企谷くん」
「お、おう。どうした雪ノ下」
ジト目で結衣に見詰められている八幡に、雪乃は普段の調子で声を掛けた。これ幸いと彼女の方を振り向いた彼であったが、しかしその背後で非常に楽しそうに笑っている陽乃を見て安堵しかけた表情を再度険しいものに変える。
「私達はそろそろ行くわ」
「お、おう……。おいちょっと待て」
「どうしたの?」
「どうしたもこうしたもあるか。何でお前当たり前のようにどっか行こうとしてんだ」
こんな場所で叫んでは目立つ。それを考慮しているのかいないのかは定かではないが、とにかく八幡は表面上は静かにそう告げた。勿論内心はそうではない。ふざけんな雪ノ下、と叫びたいのを飲み込んだ。
「奉仕部の依頼を投げ出す気か?」
「あら、きちんと依頼してくれていたのね。そんなことを頼んだ覚えはないと言い出すものだと思っていたのに」
「依頼したのは小町だ。だからこそ、きちんと守らないと責任問題になるだろ」
ふむ、と雪乃は少しだけ考えるような仕草を取る。確かにそうね。そう述べると、彼女はちらりと後ろの陽乃を視界に入れた。
「姉さん」
「え? わたしが説明するの?」
「ええ。私は由比ヶ浜さんに事情を話すわ」
「そこは同時で良くない?」
ひょこ、と結衣が八幡の肩越しに顔を覗かせる。うお、と思わずのけぞった八幡は、その拍子に彼女の大きく柔らかい部分に激突する。衝撃を吸収したクッションに守られた結衣は、驚きすぎ、とそんな彼をジト目で眺めた。
「ヒッキー、何かゆきのんに頼んでたの?」
「へ? お、おう。まあな」
「ふーん。だから一緒にいたんだ」
だったら最初からそう言えばいいのに。不満げな表情で八幡を見た結衣は、そこでふと首を傾げた。今雪乃はそろそろ行く、と言わなかったか。
「ええ、姉さんが私に用事があるらしくて」
「そうなの。ちょっと雪乃ちゃん借りていきたいから、比企谷くんの依頼が途中になっちゃうのよねぇ」
困った、と陽乃が腕組みをして考え込む仕草を取る。先程のやり取りで彼女のそれが作られたものだということを八幡は分かっているのだが、しかし結衣はそうではない。そして陽乃もそれを分かっていて敢えて行っている。
そういうことなら、と結衣は手を上げた。自分がその依頼を引き継ぐ、と胸を張った。
「は? おいガハマ、それはどういう」
「だってあたし奉仕部だし」
「はぁ!?」
人のいる商業施設だから、と控えていた八幡が思わず叫ぶほどの衝撃。他の客が何だ何だと一瞬彼を見て、しかしすぐに元に戻るのを気にすることなく、どういうことだと八幡は結衣に問い掛けた。どういうこともなにも、と彼女は彼女で何言ってんだこいつという目で彼を見る。
「中間前に勉強会してたじゃん。その時に、ゆきのんと話してて」
活動は試験終わりから、と話を纏め、結衣は顧問である静に入部届を渡していた。口だけではなく、正真正銘奉仕部部員というわけである。
視線を雪乃へ戻した。まあそういうわけだ、と頷くのを見て、何がそういうわけなんだと彼は彼女に食って掛かる。
「言葉通りよ。私はこのままでは依頼の達成が困難、だから奉仕部の仲間にバトンタッチ、というわけ」
「魚の取り方を教えるのが奉仕部なんだろ。魚渡してんじゃねぇか」
「あら、そう? これはある意味、最も適した魚の取り方ではないかしら」
そう言って雪乃は笑う。ギリリ、と歯噛みした八幡は、雪乃を睨み、そして陽乃を眺め、そうした後諦めたように、しかし敵意たっぷりに溜息を吐いた。
「ほんっと。そっくりだな、あんたら姉妹」
「……へえ、比企谷くんはそう思うんだ」
「そりゃもう。底意地の悪いところとか、変に捻くれてるところとか」
「あっはっは。照れるね」
「褒めてないです」
もう一度溜息を吐いた八幡は、それで結局どうすればいいのかと頭を掻いた。口には出さない。それを言葉にしてしまえば、二人によって確定付けられてしまうからだ。
勿論彼が言葉にせずとも、目の前の二人が何かするわけで。
「あ、それでゆきのん。ヒッキーの依頼ってなんなの?」
と、思っていた矢先。彼のトドメは別方向からやってきた。話が終わったと判断した結衣が、雪乃にそれを問い掛けたのだ。陽乃はそれを聞いて柔らかく微笑み、雪乃は普段通りの態度で彼女に答える。八幡だけが、非常に苦い顔を浮かべていた。
「……言ってもいいかしら、比企谷くん」
「よくない」
「分かったわ。実は由比ヶ浜さん、彼は今探しものをしているの」
「よくないっつっただろうが」
無視である。いいの、という結衣の問い掛けに、そうしないと話が進まないからと彼女は返した。そういうことなら、と少しだけ申し訳なさそうに結衣も頷く。
「でも、探しものって?」
「誕生日プレゼントよ」
「へー。誕生日プレゼントかぁ……」
「彼の数少ない友達が、もうすぐ誕生日だから、ということらしいわ」
「……へー、ヒッキーの友達が、もうすぐ誕生日……」
ん? と結衣が何かに引っ掛かりを覚え首を傾げた。彼女の知る限り、比企谷八幡という人間は『友達』というカテゴライズを極端に減らしている。材木座義輝のように傍から見ていればそういう関係だとしても違うと言い切るし、折本かおりのような相手は別カテゴリに入れている。
だから、由比ヶ浜結衣の認識している中で、比企谷八幡の友達は一人だ。もうすぐ誕生日である彼の友人に該当する人物の心当たりは、一人だけだ。
「……え、っと。ヒッキー……?」
「いっそ殺せ……」
非常扉の隅で蹲る目の腐った青年が一人。その行動が答えを言っているも同然で、結衣はそれを目にしたことで動きが止まり、口をパクパクとさせる。ぐりん、と雪乃の方へと振り向くと、非常にいい笑顔でコクリと頷いた。
「……あ、あははー。ちょっとあたしにはそれ、荷が重いかも――」
「由比ヶ浜さん」
「ふぇ? な、何ゆきのん」
「その言葉は、もう少しだけ待ってもらえるかしら」
ちらりと雪乃は視線を動かす。ゆっくりと立ち上がった八幡が、結衣のその言葉に待ったを掛けようと手を伸ばしているところであった。先に止められたことでその手をだらりと下ろした彼は、しかし大きく息を吐くと雪乃を一睨み。
ガリガリと頭を掻きながら、視線を再度結衣へと向けた。
「あー、っと。……ガハマ」
「な、何ヒッキー?」
「俺の……友達の誕生日プレゼントなんだが」
「う、うん……」
向けた視線を即座に逸らした。顔なんぞ見ていられん、といわんばかりにそっぽを向いた八幡は、頭を掻いた状態のまま、しかし言葉を止めることなく紡ぐ。もしよかったら、と彼女に述べる。
「何がいいのかよく分からん。だから……選ぶのを手伝って、くれると、助からんでもない、というかだな」
既に髪の毛がボサボサになるほど頭を掻いている。そんな八幡を見て思わず吹き出した結衣は、しょうがないな、と笑みを浮かべた。
「あたしも奉仕部だしね。ヒッキーの依頼、受けてあげよう」
「……おう。頼むわ」
「うん!」
ふう、と息を吐く。笑顔の結衣とは裏腹に、八幡は何ともいえない顔であった。が、まあこれでいいかともう一度息を吐き、彼は雪乃に顔を向ける。じゃあ、俺達も行くからな。そんな言葉を聞いて、彼女もええと頷いた。
「じゃあ、比企谷くん。精々あなたの友達の喜ぶプレゼントを選んでちょうだい」
「……そうさせてもらう」
二人に挨拶をした後、何か希望はあるのか、と結衣は八幡に問い掛ける。聞く方が逆だろうと小さくツッコミを入れつつ、彼と彼女はそのまま商業施設のフロアを歩いていった。
そんな二人が見えなくなるのを眺めていた雪乃と陽乃は、どこか一仕事終えたようにお互い顔を見合わせる。
「雪乃ちゃん、結局ノリノリじゃない」
「姉さんに合わせてあげたのよ」
「ふーん。じゃあそういうことにしておいてあげる」
クスクスと笑い合った二人は、それでどうするのという雪乃の言葉で笑みを潜める。が、それも一瞬、陽乃はすぐさま笑みを浮かべ、決まってるでしょうとスマホを取り出した。
ちなみに雪乃のスマホである。
「いつの間に……!?」
「さっき雪乃ちゃんをからかった時」
そんなことを言いながら雪乃にそれを手渡す。受け取った彼女は画面に視線を落とし、そして眉を顰めた。会話アプリが起動しており、そこには見覚えのない会話が行われていたからだ。
そしてその内容は。
「あ、いたいた。おーい雪乃さーん」
「あれ? 何か人変わってない?」
ぶんぶんと手を振りながらやってくる小町と、変わらず飄々としているかおり。二人がこちらに合流しようと歩いてくるのを確認し、雪乃はまったくもうと溜息を吐いた。
「ここからは関与しないんじゃなかったの?」
「二人を呼んだのは雪乃ちゃんでしょ。そのスマホが証拠。ね?」
「このクソ姉……」
楽しそうにケラケラと笑う陽乃を見て、雪乃は先程保留した拳を再度振りかぶった。すぱん、と小気味いい音が響き、陽乃が額をほんの少しだけ赤くして顔を顰める。
痛い、とその部分をさすりながら、彼女は妹へと言葉を紡いだ。そういえば、と声を掛けた。
「似てるらしいわね、わたし達」
「そうね。……そう言ったのも、身内以外では平塚先生以来かしら」
「二人揃ってこういう事するタイミングないからなぁ」
「姉さんは普段外面の仮面被っているものね。おかげで優秀な姉と問題のある妹の出来上がり」
「比企谷くんはサクッと見抜いたけどねぇ」
おかげで最初から素を出してしまった。そう言ってケラケラ笑う陽乃を見ながら、雪乃はよく言うわと溜息を吐く。最初からそのつもりだったくせに、と呆れたように言葉を続けた。
「まあまあ、いいじゃない。雪乃ちゃんの周りのお友達は、楽しいんでしょ?」
「……そうね。少なくとも、退屈はしないわ」
やっはろー、と揃って挨拶をする小町とかおりを見ながら、雪乃は小さく微笑んだ。八幡の繋がり、というだけでその辺りが保証されているから、と陽乃に述べた。