その名はゆきのん
由比ヶ浜結衣という戦略兵器の介入がなかったおかげでいい感じで出来上がったカレーを食べながら、一行は今日の出来事を思い返していた。八幡と隼人は一部思い出したくもないものがあるので適当に流しつつ、次第に話題が一人の少女へと移っていく。
「それで比企谷くん。あなたはどうするつもりかしら?」
「何で俺に聞くんだ。そういうのは葉山の仕事だろ」
「らしいわよ」
ちらりと視線を隼人に移す。勘弁してくれ、という風に眉尻を下げた彼は、しかし知るかと言い放つわけにもいかず少しだけ考え込む仕草を取った。余談だが、今この場で彼がその行動を取ったとしても誰もイメージが変化することはない。少なくともここの面々は既に承知の上だからだ。知らぬは本人ばかりなり。
「……改善は、した方がいいと思う」
「言葉を選んだわね」
「誰のせいだよ」
はぁ、と溜息を吐いた隼人を見て口角を上げた雪乃は、そういうわけらしいけれどと八幡を見やる。だから何で俺を見る、と文句を言いつつ、しかし彼はその意見に首を横に振った。
「はぁ? ちょっとヒキオ、あんたどういうわけ?」
「いや、そのだな……。話した限り、あいつは自分から孤立しにいってる。自分の意志でそうしている以上、無理に輪の中に入れるのは改善にはならんだろう。と、俺は思うわけなんだが……」
話している最中にも優美子の視線が鋭くなっていったおかげで、八幡の言葉は段々と勢いを失っていく。が、それでも言い切るのは彼らしいところであろう。これが材木座義輝だったならば半ばで発言を終了した。というよりもそもそも意見を言うところまでいっていない。
ある程度知っている仲になったから、という見方もある。
「何で?」
「好きで一人でいるから、余計なお世話、ってことか」
ん? と首を傾げた優美子を隼人がフォローする。成程、と頷く彼女の横では、まあそういうの分かんないだろうなと苦笑している姫菜が見えた。男女問わず囲まれてるのが当たり前の人間は流石に違いますね、という言葉が隣から聞こえた八幡は決していろはの方を振り向かなかった。
「それで? 比企谷くんとしては、どうするつもり?」
「別にどうもしたくない」
「はぁ!? ちょっとヒキオ」
「向こうは何も望んじゃいない。それなのにこちらから余計な干渉をするのは煩わしいだけだ」
「……む」
立ち上がりかけた優美子は、思った以上にはっきりと述べた八幡の口調を聞きとりあえず引き下がる。面倒だから、とか、適当に考えた、とかそういう類のものではないと判断したからだ。勿論納得はしていない。
それを察したのか、八幡の隣にいた結衣が小さく手を上げた。でもさ、と彼を見た。
「何も望んでない、ってのは、ヒッキーの判断でしょ? そりゃ、うん、まあ、確かに一人の方がいい的な、何かヒッキーのオーラと似たようなのは感じたけど」
「俺を引き合いに出すな」
「でも、それだけじゃないとも思うんだ。ヒッキーだって、ほら、友達……いるし」
言い淀んだのはその対象が自分だからである。自画自賛になりかけたのを察したが、手遅れだったのである。照れくさそうにあはは、と笑うので八幡は全力で彼女から顔を背けた。
いろはが物凄く冷めた目で彼を見ていた。
「先輩、何ていうか滅茶苦茶かっこ悪いですね」
「生まれつきだ、ほっとけ」
はいはい、と表情を戻したいろはは、先程結衣がやったように意見を述べんと小さく手を上げた。見ての通り先輩日和ったんでさっきの意見却下でいいと思いますと笑顔で言い放った。
「そうね。では」
ちらりと雪乃は先程からことの成り行きを見守っている静を見た。その視線に気付いた彼女は、ニヤリと笑いながら気にすることはないと言わんばかりに手をヒラヒラさせる。その動きとやり口がどうにも自身の姉を連想させたが、同時に投げっぱなしにはしないという意志も見受けられ、雪乃は安堵の息を吐いた。
「まずは彼女の方向性ね」
「ほーこーせー?」
なんのこっちゃと結衣が首を傾げる。その対面では優美子も同じように眉を顰めていた。彼女の名誉のために言っておくが、決して結衣ほど酷くはない。
「ええ。さっきあなたが言ったように、彼女が一人でいるのを望んでいるとしても、輪にいたくはないというのは別問題でしょう」
「一人が好きだけど、集団が嫌いっていうわけじゃないってことだね」
姫菜の補足に、雪乃はコクリと頷く。そうしながら、彼女の次の否定の言葉を待った。それを承知の上なのか、姫菜は勿論あの娘がそうとは限らないけれどと続け、満足したように雪乃はその通りよと述べる。
「全然分かんね」
「大丈夫だよとべっち。あたしもだから」
謎の連帯感を持ったらしい二人を置き去りに、話は先へと進んでいく。言い出しっぺのお前は分かってろよという八幡のツッコミは風に消えた。
「それで? 雪ノ下、お前はどうするつもりだ?」
「あら比企谷くん、さっきの意趣返し?」
「当たり前だ」
迷うことなくそう返したのを聞いて隼人が思わず吹き出す。そんな彼を一瞥した雪乃は、しかし焦ることなく決まっていると告げた。分かりきったことを聞くなと言わんばかりに言葉を紡いだ。
「彼女の望みを叶えるわ」
「余計なお世話だろ」
「ええ。
そう言って、雪乃は笑みを浮かべた。それは『奉仕部』部長雪ノ下雪乃ではなく、肩書も何もない一人の少女としての笑み。それが分かったのか、隼人はそういうことなら仕方ないとばかりに肩を竦める。隣の優美子もそんな彼を見て、そして彼女を見て、元々その気だったからと笑った。
「……出来もしないのに中途半端な手助けをすれば、向こうが被害を受けるだけで終わるぞ」
「その時は、あなたが忠告してくれるでしょう?」
「……俺に何を期待してるんだよ」
はぁ、と八幡が溜息を吐く。彼の中では手を出さないが一番の解決策であるというのは揺らいでいない。だから彼女の言う余計なお世話を理解することは出来ないだろう。
好きにしろ、と八幡は吐き捨て、傍観者に回ることにした。ここからの意見交換に彼は参加しない。するとしたら駄目出しだけだ。それが彼女の言う通りになっていることに気付くのは、話し合いが終わってからなのだが。
「つっても、どーするわけ? ぶっちゃけあの娘が適当に話し掛けりゃ解決じゃん?」
「いや、それはまあ、優美子の言う通りなんだけど」
件の少女、鶴見留美は一人でいるだけである。輪の方に彼女を受け入れる下地があれば、後は向こうがそこに行くだけで事足りるのだ。
それを遮ったのはいろはである。あれだけ自分勝手に一人でいる相手をそうそう受け入れないだろう。そう言って優美子を真っ直ぐに見た。
「昼間話した感じ、半々くらいでしたしね」
「あー、何かそんな感じはしたね。ていうか、一部のグループが嫌ってるみたいな」
結衣の言葉に、残りの面々も心当たりがあったように頷く。八幡だけがああそうなんだと眺めていた。
そうしながら、彼は彼でならば話は少し違うと思考を始める。彼女が好きで一人なのは違わないとしても、そのきっかけが他者からの排斥だったのならば。悪意のある孤立を由来として、彼女が一人を好んだのならば。
「なら、その嫌ってるグループをなんとかするのが先じゃないのか?」
その呟きに、雪乃が振り向いた。思わずビクリとなった八幡は、何だと引き気味に彼女に問う。その通りよ、と答えになっていない返答を聞き、彼の顔が顰められた。
「比企谷くんの言う通り、まずは彼女を取り巻く世界をどうにかしましょう」
まずは世界を変える。そんな荒唐無稽なことを、彼女は臆面もなく言ってのけた。
翌日。寝惚け眼で朝食を取っていた八幡は、静から予定を聞いて死んだような目を更に死なせた。キャンプファイアーの準備とか拷問じゃねえか。そんなことを思ったが口には出さない。どうせ出しても無駄だと思っているのが一点。出したら即座に「それなら調査に行ってもらいましょう」と待ち構えている雪ノ下雪乃を見付けたからなのがもう一点である。
他の面々と同じ程度に文句を言いつつもそれらを終えた八幡は、さてではどうするかと伸びをした。夕方までは自由時間らしいが、恐らく他の面々はそれを使って調査もするのだろう。そうなると必然的にそれに消極的な彼は余るわけで。
「あ、ヒッキーいた」
「あん?」
とりあえず戻ろうと歩いていた八幡であったが、どうやら彼を探していたらしい結衣にあっさりと発見され単独行動は終わりを告げる。若干身構えた彼を見て、彼女はあははと笑った。そんな心配しなくても、と微笑んだ。
「今は遊んでるよ。ほら、向こうの川でみんな騒いでる。ヒッキーも行こ」
「川? ああ、そういやそんなこと言ってたな……」
水着持ってきて、と言われたので一応鞄の中にはある。そのことを伝えると、結衣はじゃあ行こうと彼を引っ張った。
そのタイミングで八幡は気付いた。あれ? こいつ今水着じゃね、と。
「……」
「どしたの?」
白いシャツの下にビキニタイプの水着が透けて見える。水着なので勿論スカートなどを履いているわけでもない。歩くたびに見える水着のヒップラインが、えも言われぬ色気と背徳感を醸し出していた。
無言で八幡は結衣より前に出る。これ以上見ていると朝起きたばかりと同じ状態になってしまうような気がしたのだ。そうなったら人生終了である。最悪少しだけ腰を落としながら小股で歩くハメになる。
「あ、そういえばヒッキー」
「ん? ……っ!?」
「昨日の留美ちゃんだけど、嫌ってるグループがいるって話したじゃん。逆に、話したいんじゃないかなって娘も――どしたの?」
「なんでもないぞ、きにするな」
振り向いたことで真正面から見た結衣は、当然一緒に歩いている。シャツがちらちらと捲れ上がり、丁度いい具合に隠されていた水着がJ・P・ポルナレフの知っている数少ないハンドシグナルのようになっていた。後ろの尻も中々であったが、前は前で新たな発見を八幡にもたらしてくれる。そう、例えば、彼女の今回の為の準備の結果とか。
八幡は出来るだけ自然にゆっくりと腰を落とした。猫背の人がポケットに手を入れて歩くようなその体勢を維持しながら、出来るだけゆっくりと足を動かし擦れないように細心の注意を払う。そうしたまま自分達の部屋に戻った彼は、じゃあ取ってくると告げ中に入った。息を吐き、一瞬だけトイレを見て。出来るわけねえだろと義輝の海パン姿を想像して気持ちを落ち着かせ、水着を引っ掴むと部屋を出た。
「んじゃ、行こ」
「……おう、そうだな」
流石は材木座、効果覿面。そんなことを思いながら平常に戻れた八幡は、道中を歩きながら適当に相槌を打ち続けた。ちゃんと聞いてる? と結衣が怒るまで、である。
「いや聞いてる聞いてる。『
「ほら聞いてないし!」
この野郎とチョップを一発叩き込んだ結衣は、じゃあもっかい、と指を立てた。雪乃が世界を変える宣言をした今回の件についての話を口にした。
先程は結衣の鼠径部に集中していたために聞こえていなかったので、さっきも言ったけどという彼女の言葉に対する反応が若干鈍ったが、幸いというか深くは追求せずに述べたそれは、一部が原因で出来上がっているという昨日と大して変わらないもの。
「改めて言うほどのことでもないな」
「そうだけど、そうじゃなくて。ほら、昨日言ってた嫌いなグループとは別に、留美ちゃんと仲良くなりたいって娘もちゃんといるっていう話」
「……んで、その嫌ってる奴らがクラスの中心だから中々踏み出せないってか」
「……多分。もしそれが原因でハブられたりしたら、それで留美ちゃんにも拒絶されたらーって思うと、やっぱ難しいよ」
「どっちか片方ならマシなんだろうけどな」
行ってもハブられない。行ったら受け入れられる。どちらかが成立すると分かっていれば、失敗しないと知っていれば。そうであるならば問題はない。つまりはそういうわけであり、雪乃のやろうとしていることも早い話がそれなのだ。
「どっちにしろ、情報が足りないだろ」
「まーね。そこら辺はまた後でやるし」
「手伝わんぞ」
「知ってる知ってる」
そう言って笑った結衣は、とりあえず今は遊ぶのが先だと小道を駆ける。川に辿り着くやいなや、パシャパシャと石に座って足で水を跳ね飛ばしていた優美子に向かって突撃した。彼女らしからぬ声を上げ、二人揃って川の中へと落ちていく。
「ユイ、おっまえ!」
「はははっ! 油断するのが悪いし!」
ばしゃ、と立ち上がった優美子は勝ち誇る結衣に向かって全力で水を掛けた。女子高生とは思えない悲鳴と共に、彼女は再度川に沈んでいく。
元気だなー、と傍観していた姫菜は、数十秒後に二人に巻き込まれ川へと飲み込まれていった。
「元気ですね~」
「年齢的にはお前の方が元気であるべきなんだぞ一色」
「いや~、流石に童心に返り過ぎるのはちょっと」
そうは言いつつ、彼女のパレオは濡れている。既にある程度はしゃいだ後なのだろう。結衣とはまた違う色気を覚え、八幡は出来るだけいろはから視線を遠ざけた。勿論察知され、ところで、とわざと彼の視界に入るように体を移動させる。
「先輩は泳がないんですか?」
「海と違って川は危険なんだ。浮かないから溺れやすい」
「はぁ。それで?」
「俺は危険に自分から飛び込む趣味はない」
「流石、入学直後に自分から危険に飛び込んだ人は言うことが違うわね」
横合いから声。ずずいと迫っていたいろはから視線を外し続けていたせいで、その声の主を思い切り見てしまった八幡は思わずむせる。そのリアクションが気に障ったのか、声の主、雪乃は眉を顰めるといろはと同じように彼へと近付いた。
「ちょっと比企谷くん。その反応はどういうことかしら?」
「いきなり現れたら心臓に悪いだろ」
更に視線をぐりんと動かす。あー、これは死んだな、と他人事のように見ている隼人を視界に入れ、八幡は心の底からこう思った。葉山死ね。
一応、そのおかげで彼の膨張は収まった。
「で、お前は何の用だ雪ノ下」
「あら、用がなければ来ちゃいけないの?」
「ああ、そうだな」
「そう。なら何の問題もないわね」
そう言いながら八幡の隣に雪乃が座る。左右を水着美女に挟まれたが、先程のイケメンへの殺意のおかげで彼は大丈夫である。再度、隣の彼女に向かって用件を尋ねた。ちなみに、大丈夫というのはしっかり見ても問題ないという意味ではない。
「由比ヶ浜さんから話は聞いた?」
「嫌ってる連中をどうにかするか、あの鶴見留美の態度を軟化させるかのどちらかしないと下地が出来ないってのは聞いたぞ」
「聞いているわね。じゃあ話は早いわ」
あなたならどちらを選ぶ? 雪乃のその問い掛けに、八幡は知るかと即答した。自分ならばどちらも選ばない。そう簡単にどうにか出来るのならば最初から問題になっていないだろうと言い放った。
流石は先輩ですよね、といういろはの称賛なのか罵倒なのかよく分からない言葉を聞きつつ、彼は雪乃をちらりと見る。まあそう言うだろうなと口角を上げている彼女の顔が見えて、何だか八幡は負けた気がした。
「……じゃあ世界を変える宣言をした雪ノ下雪乃さんはどういうお考えなのですかね」
「あら比企谷くん、分かっているくせにあえて聞くの?」
「知らねぇよ。お前の考えなんぞ分かりたくもない」
ふん、と鼻を鳴らした八幡を見て楽しそうに笑った雪乃は、人差し指を立てそれをくるくると回す。そうしながら、古今東西、世界の始まりはまずどうなるか知っているかしら、と彼に問うた。
「何なの? お前ビルス様にでもなる気?」
「何を言っているか分からないわね。まあ、でも、多分正解よ」
勿論、本人や周囲のことをもう少し調べてからだけれど。そう言いながら、彼女は立ち上がり、前に出た。そうして、首だけを後ろの八幡へと向ける。
「私は今夜、世界を壊すわ」