セいしゅんらぶこメさあゔぁント   作:負け狐

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その4

 甘い話には裏がある。蜘蛛の糸は群がられ、切れる。それでも縋る。そこに希望があるのだと、願ってしまう。パンドラの箱の中にはまだそれが残っているのだと、誤解してしまう。

 比企谷八幡は、そんなことなど先刻承知であった。先刻承知だと思い込んでいた。だが、得てしてそういう存在はその隙間を狙ってくるのだ。分かっていると自惚れているからこそ、網にかけるのだ。

 具体的に言うと結衣と二人で祭を回り、手を繋ぎながら花火を見るのにいい場所を探しているあたりで彼はイッパイイッパイになっていた。だから、『たまたま』出会った陽乃に言われるまま、丁度いい場所があるよという誘いに乗ってしまった。

 

「んなわけねぇだろ……」

「どしたのヒッキー?」

 

 貴賓席の椅子に座りながら項垂れる八幡を、結衣が不思議そうに見やる。そんな彼女に何でもないと返し、溜息を吐きながら顔を上げた。遅れてきた雪乃達が視界に入り、彼の目が更に死ぬ。

 余裕を失っていた八幡は気付かなかった。隼人の目も彼と同じくらいに死んでいることに。

 そうして総勢九名となったその頭上には、夜空を照らす大輪が浮かぶ。わぁ、と花火を見上げながら、一行は暫し無言でそれを眺めた。

 

「それにしても」

 

 ある程度花火を眺めた後、陽乃が視線を空から周囲に戻して呟く。雪乃ちゃんの友達、一杯いるね。そんなことを言いながら彼女は笑った。

 

「……友達?」

「お、比企谷くんは異議を申し立てるかな?」

「……あ、いや、それは」

 

 視線が痛い。それは隣の結衣であったり、横にいる妹の小町であったり。逆に楽しそうな視線もそれはそれで痛かった。具体的にはかおりといろはである。

 さて、それはそれとして八幡はその質問にどう答えるか暫し迷った。雪ノ下雪乃と友人関係であるかと彼が問われたのならば、自信を持って否と答えるであろう。それは質問されたのが八幡だからだ。向こうがどう思っているか知らないのに一方的な友達宣言など彼が最も苦手とするところだからだ。後そもそもアレを友人扱いにすると色々と終わる気がしたからだ。

 だが、この場合の対象は雪乃である。雪乃がどう思っているかが重要であって八幡そのものの意見はおまけに過ぎない。だから彼女が自分のことを友人だと胸を張って答えるのならば、八幡はそれを否定するのは控えるつもりであった。ヘタレとも言う。

 

「ふむ。んじゃ他の人にも聞いちゃおっかなぁ」

 

 クスクスと笑いながら陽乃は視線を八幡から移動させる。じゃあまずは、と隣の結衣に問い掛けた。当たり前のように友達だと即答し、うんうんそうだよねと陽乃も微笑む。

 

「じゃあ、えっと三浦ちゃんは?」

「友達ですよ。あったりまえだし」

「お、即答?」

「……ちょっと前に本人と同じやり取りしたんで」

 

 ぷい、と優美子は顔を背けた。意外と恥ずかしかったらしく、そんな彼女を見て結衣の表情が生暖かくなる。彼女の親友と新たな友人が仲良くなるのは喜ばしい。そんなところであろう。

 

「よし、じゃあ一色ちゃん」

「そうですね……年上の雪ノ下先輩を友達だって言って怒られないなら」

「あ、小町も同じですね。年下の友達ってありなんですか?」

 

 ちらりと雪乃を見る。無言でサムズアップをしたので問題ないらしい。何キャラだよ、とジト目で見ている隼人はスルーされた。

 

「最後は他校の折本ちゃん」

「友達ですねー」

「お前何も考えてないだろ」

 

 あっけらかんと言い放ったかおりに八幡が思わずツッコミを入れる。が、彼女は彼女でそれが何かという顔で彼を見た。何だか分からない謎の自信に、八幡は思わず言葉を飲み込む。

 

「大体、友達かそうでないかとか深く考える必要ないじゃん。友達だと思ったら友達でしょ」

「世の中はお前みたいに単純に出来てねぇんだよ」

「比企谷が無駄に複雑にしてるだけっしょ。てか、捻くれてるだけ? マジウケる」

「ウケねぇよ」

 

 ケラケラと笑うかおりを見て肩を落とした八幡は、そこで皆の視線が自分に注がれている事に気が付いた。先程の陽乃の質問に答えていない人物は一人だけ。だから皆、彼がなんと答えるかを待っているのだ。

 

「……俺は――」

 

 何かを言おうとした。肯定か否定か、どちらかを口にした気がした。

 が、それは一際大きな花火の音に掻き消された。隣に座っていた結衣ですら聞こえなかったのだから、他の面々は尚更であろう。勿論八幡に言い直すつもりはない。聞いてないそちらが悪いという態度を崩すことなく、ふてぶてしい顔と死んだ魚の眼で花火を見上げるのみである。

 

「……ま、いいや」

「あら、いいの? 姉さん」

「これ以上雪乃ちゃんとの関係を突っ込むよりは、由比ヶ浜ちゃんとの今日を掘り下げた方が面白いしね」

「同感ね」

「花火見ろよ」

 

 隼人のツッコミも、夜空に浮かぶ大輪の音に掻き消され雪ノ下姉妹に届かない。雪乃は結衣の隣へと移動し、完全に友人と語りながら八幡をからかうモードに移行している。

 が、言い出した方の陽乃はそこに向かわず、口角を上げると振り向き彼を見た。隼人を視界に入れると、今日は両手に花だったねと述べる。

 

「俺より比企谷をからかいに行けばいいだろう」

「あっちはもう雪乃ちゃんが行ったからね。ここに来るまでも散々からかったし。だからおねーさんとしては、弟分の恋愛事情も気になるわけよ」

 

 口元に手をやりながらクスクスと笑う。そんな陽乃から逃れるように視線を花火に向けた隼人は、別にそんなんじゃないと短く述べた。ふうん、と彼女は同じく短く返し、彼と同じように花火を見上げる。

 

「別に、好意に気付いていないわけじゃないでしょ?」

「……こんな奴を好きになるなんて、どうかしているよ」

「そうだね」

 

 花火の音が断続的に響くおかげで、少し離れた場所にいる優美子やいろはにはこの会話は届いていない。よしんば届いたとしても、二人はそれを盗み聞いてどうこうする性格ではなく、むしろ聞かないようにする気遣いすら持ち合わせている。

 こういう場合は、である。いろはは場合によっては積極的に盗み聞く。

 

「それで? 恋多き少年はどうするのかな?」

「……まだ、俺には無理かな」

「とっくに振ったよ?」

「知ってる。陽乃さんがそれでお終いにしたことは分かってる。だからこれは、俺の問題だ」

 

 ふうん、と陽乃が呟く。隼人の顔を見ることなく、それならしょうがないと微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

「にしても、ここの皆は凄いね」

 

 からかいタイムも終わったのか、改めて皆(除く八幡と隼人)で騒ぎながら花火を眺めていた折、陽乃が再度そんなことを言い出した。何が凄いのか、と首を傾げる一行を見ながら、彼女は楽しそうに笑う。自身の妹を、雪乃を、知っているのに友人になった彼ら彼女らが凄いと笑う。

 

「最初はいいよ。才色兼備の雪乃ちゃんに憧れて、とかで近付くのは分かる。で、一緒にいるとこれがそんな憧れるようなのじゃないって知って逃げていく」

「妹をこれ扱いしたわねバカ姉」

「この間のキャンプで脅かすためだけに自分の生首作って持ってったでしょ? 普通はドン引きだからね」

「でも姉さんも同じ状況になったらやるでしょう?」

「やるねぇ」

「ドン引きだよ」

 

 隼人のツッコミはまたもやスルーされた。まあそういうわけだから、と陽乃は皆を見渡し、本当に友達でいいの? とほんの少しだけ真剣な表情で問い掛けた。

 対する一行、今更何言ってんだという顔で彼女を見やる。そんな表情を見て、陽乃はおかしくてたまらないというように笑った。これは愚問だったと爆笑した。

 

「いやー、お姉ちゃん羨ましいよ。こんなに雪乃ちゃんのこと分かってくれる友達がいて」

 

 今ここにいるこいつらが、妹の理解者で、妹を支えてくれる力になるかもしれない。そんなことを考え、しかしそのことを表面に出さずに、あくまで茶化すように陽乃は雪乃の肩を叩いた。

 と、そこに声が掛かる。ここにいるだけじゃない、と誰かが言葉を紡ぐ。

 

「海老名もきっと、や、確実にあーしと同じだし」

「あ、沙希も多分ゆきのんを友達だって言ってくれるよ」

「この間のキャンプを乗り切ったんだ、戸部も入れていいんじゃないか?」

「あー、そうだな……なんだかんだで戸塚も雪ノ下を友人だって言うんじゃねぇの?」

 

 優美子が、結衣が、隼人が、そして八幡が。まだまだ雪乃を理解してくれるやつはいるのだと述べる。お世辞とか、建前とか。そういうものではない意見を、述べる。

 暫し目を瞬かせていた雪乃は、それを聞いて笑みを浮かべた。そうね、と呟き、どこか楽しそうに隣の姉を見た。

 

「……成程。この一点にはわたし勝てないわ」

「でしょう?」

「静ちゃんくらいだもんなぁ、わたしの場合」

 

 はぁ、と普段では考えられないような溜息を吐いた陽乃は、すぐさま顔を上げると笑みを浮かべた。よし決めた、と手を叩いた。

 今度は、全員連れてこよう。

 

「気が早いわね」

「お、雪乃ちゃん自信ない?」

「馬鹿言いなさい。姉さんじゃあるまいし」

 

 お互いに顔を見合わせ、笑う。夜空ではそろそろ花火がクライマックスに差し掛かっていた。金色の幕が下り、黄金のシャワーが暗闇を照らす。それはさながら、これからの道を舗装しているようにも見えて。

 花火大会終了のアナウンスがスピーカーから流れ始めた。もたもたしていると人混みに揉まれ帰れなくなる。名残惜しいが、お開きだ。誰ともなしにそんな提案がされ、反対することもなく一行は会場を後にする。

 歩いた先の駐車場には車が停まっていた。どうやら雪ノ下姉妹の迎えらしい。じゃあまた、という挨拶に笑顔で手を振り、残りの面々は駅へと向かう。当たり前だが、隼人は優美子といろはを送り届けるために自分の帰宅を後回しにした。

 

「さてお兄ちゃん」

「ん?」

「さっきの葉山さん見たよね?」

「見てない」

「ぶふっ」

 

 かおりが吹き出した。吊革に掴まりながらプルプルと震え、他の乗客が何事だと彼女を見た。そこで微塵も恥ずかしいと思わないのが彼女の彼女たる所以であろう。

 

「さてお兄ちゃん」

「ん?」

「さっきの葉山さん見たよね?」

「ループしてるぞ」

「見たよね?」

「……お、おう」

 

 ならやることは分かるはずだ。そう言って小町は結衣の隣に八幡を押しやる。電車が停まり、扉が開き。そして結衣がここで降りるからと手を振りながら電車から出て。

 

「ほえ?」

「……送ってく」

 

 女子二人に背中を押され電車から押し出された八幡が、バツの悪そうに彼女の隣で頭をガリガリと掻いていた。閉まる扉の向こう側にはとてもいい笑顔のかおりと小町が見える。

 

「よかったの?」

「しょうがねぇだろ。……まあ、別にこのくらい大したことでもないしな」

「そか。……ありがと」

 

 クスリと結衣が微笑み、ではお言葉に甘えて、と八幡の隣に並ぶ。駅から彼女の家はそれほど遠くないらしいが、履き慣れていない下駄ではそれほど速くは歩けない。のんびりと、カラコロと音を立てながら、二人は夜道を歩いていく。

 ねえ、と結衣は隣に声を掛けた。何だ、と八幡は隣に言葉を返した。

 

「今日はさ、楽しかった?」

「ん? ……そうだな、まあ。悪くはなかったんじゃねぇの?」

「そっか。よかった」

「まあ、最後の雪ノ下達は余計だったがな」

「その割には楽しそうだったじゃん」

「お前目か脳か両方が腐ってんじゃないのか?」

「酷くない!?」

 

 他愛もない話をしながら、二人は歩く。彼女が家に辿り着くまでの、ほんの少しの道を。まだ終わっていないとばかりに、歩く。

 夏休みももうすぐ終わり。夏が終わると学校が始まる。面倒だ、ということを隠そうともしない八幡に、結衣は同意しつつも頑張ろうと彼を励ます。

 夜とはいえ、気温は高い。ほんの少し歩くだけでも、存外疲れるものだ。自分の身をもってそれを味わっている結衣は、当然隣の八幡も同じだろうと考えた。だから、自身の家に着いたならば、少しあがってもらって飲み物でも出そうと思っていた。

 そんなことを考えながら、月明かりの照らす道を歩き。

 

「あ」

「ん?」

 

 ふと、夜空を見上げた。つい数十分前まで眺めていたそこには、もう大輪の花はない。代わりに、ぽっかりと丸く、大きな満月が浮かんでいるばかり。

 花火に夢中で気が付かなかった。そんなことを考えながら、彼女は隣を歩く彼に述べる。自分の思ったそのままを、特に考えることなく口にする。

 

「ねえヒッキー。気付かなかったけど、今日って満月だったんだね」

「お? あ、ほんとだ」

「夏だからかな。今夜は――」

 

 何の気なしに、彼女はその感想を、隣の彼へと告げる。

 

 

 

 

「――すっごい、月が綺麗だね」

 

 

 

 

「っ!? がはっ、ごほっ、ぐふっ!」

「ど、どしたのヒッキー!?」

 

 突然むせてつんのめる八幡を、結衣は慌てて支える。が、そんな彼女を彼は猛烈な勢いで押し留めた。大丈夫だ、心配するな。そんなことを言いながら、顔を逸らして数歩距離を取った。

 程なくして彼女の家に辿り着く。暑いだろうから、お茶でも飲んでいかないか。そう結衣は八幡に提案したが、あまり遅くなると小町に何を言われるか分からんと彼はその申し出を丁重に断った。

 

「うん、じゃあヒッキー。またね」

「……ああ、またな」

 

 パタン、とドアが閉まるのを確認し、八幡はゆっくりと歩き出した。これでいい。今、もし彼女の家にあがったならば、月明かりよりも明るい場所に足を踏み入れたのならば。

 

「……絶対分かってないだろあいつ」

 

 そういう意味で言ったわけではない。そんなことは分かっている。だから、勘違いのしようがない。単なる偶然で、その言葉に意味を見出すのが間違いだ。

 だというのに。理解をしているのに。

 

「ああ、くそっ……」

 

 熱い。夏だから、とか。動いたから、とか。そういう理由をつけても尚、それでは説明のつかない熱さが、彼の体に渦巻いている。

 男は単純な生き物だ。それを身をもって実感してしまう。身近な存在で、そういう対象でないはずで。でも、今日の一日はそれを少し揺らがせて。

 そしてトドメに。

 

「……夏休みで、よかったな……」

 

 熱を冷ます時間があるのは、幸いだ。だからこれが尾を引くことはまず無い。だが、差し当たっての問題は。

 小町に何か言われないように、この赤い顔を戻さなくては。ぺち、と自身の頬に手を当てながら、八幡は地面につくほど長い溜息を吐き出した。

 

 




ぶっちゃけ最後のベッタベタなこれがやりたかったと言っても過言ではない。

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