「と、いうわけで。目玉競技のアイデアですが」
雪乃の声が会議室に響く。そうは言われてもと委員会のメンバーが顔を見合わせる中、結衣が口火を切るべく手を上げた。
「部活対抗リレーとか」
ふむ、と監督役の静が顎に手を当てる。考えは良いが、出られる生徒が限定されてしまうものは少し難しいと呟いた。
「しかし先生、部活動に入っていないくせに体育祭だけ張り切るような奴っていますか?」
「……まあ、いないとは言い切れないだろう?」
八幡の言葉に彼女はバツの悪そうに顔を逸らす。そういうのは教師には言いにくいんだよ、とついでに彼を睨んだ。では保留、と横に三角をつけた雪乃は、視線を横のめぐりへと向けた。そうはいっても、目玉競技と銘打つにはいささかインパクトに欠ける気がしたのだ。
「てか、部活対抗だと赤白に分かれる意味なくない?」
「あ」
優美子の言葉に、結衣がそうだったと目を見開く。これは駄目だなぁ、と頬を掻く彼女を見ながら、雪乃は苦笑しつつ三角をバツに変えた。
ところで、と彼女は会議室を見渡す。先程から意見を出しているのが集まった委員会とは別に、有志の手伝いという名目でやってきた賑やかしだけだ。最初の一歩を踏み出すのは中々難しいのであれば、これで進みやすくなったであろうと雪乃は他の意見を募った。
彼女の思った通り、それからはぽつりぽつりと意見を出す生徒も出てくる。とはいえ、そこまで突拍子もないアイデアはなく、目玉競技として全面に押し出すには少々心もとないものが殆どであった。
「借り物競走……は、いっそ物でなくせばいいのでは?」
「何を借りさせる気だ」
「土地とかどうかしら?」
「それはもう借り物じゃなくてただの陣地取りだろ」
雪乃と八幡の会話を聞きながら、静は一人頭を抱えた。体育祭がバラエティー番組と化してしまうのではないかと危惧したのだ。案の定というべきか、雪乃は姫菜やいろはと共に今の会話を元にルールを纏め始めている。
「待て待て待て! 学校全体を競技に使うな!」
「駄目ですか?」
「体育祭だっつっとろうが! 運動に使わない場所を競技場にするんじゃない!」
「でも先生。目玉競技としてはありなんじゃないかなって」
「城廻、お前は向こう側に行くな、頼むから」
盛大に溜息を吐いた静は、これ二年くらい前にもやった気がすると項垂れた。スマホを取り出し、お前妹に何を教えていると会話アプリでメッセージを送る。既読がつくが返事が来ないのを確認すると、陽乃のクソ野郎がと彼女は舌打ちをした。
「とにかく。せめて一応運動競技だと言い張れるものにしろ」
「では水泳にしましょう」
「陸上! 競技で! 頼む!」
「配慮ばかりですね……」
「なあ、みんな……。私は何かおかしなことを言ったか? ごくごく一般的な教師の意見ではなかったか?」
委員会の面々は揃って顔を逸らした。皆一様に、関わりたくない、というオーラに溢れていた。どうやら援護をしてくれる者はいないのだということを再確認し、静はそっと目の光を消す。
「どうしたんですか平塚先生。珍しく普通の教師みたいじゃないですか」
「普段普通の教師をしていないみたいな言い方をやめろ。今この場では私は仕事中だ、ふざけたことをすると査定に響く」
「自己保身の塊ですね」
「雪ノ下姉妹と違って、私は今この場を楽しんだ後は無職とかシャレにならないからなぁ……」
予想以上に重い一言が返ってきて、八幡は思わず口を噤んだ。やはり社会の歯車はまちがっている、と一人結論付け、彼は隣でなにやらノートをペラペラとさせている男子生徒をちらりと見る。
「んで材木座。お前のそれはどうするんだ?」
「ほぉう!? な、何だ八幡やぶからスティックに?」
「いやお前さっきからずっとそわそわしてたろ。大方今回のために用意したアイデア(笑)とかなんだろうし、とっとと発表しとけ」
「草を生やすでない! 我のこれはまともだ。……少なくともさっきまでのよりは」
「あれと比べるな」
はぁ、と息を吐くと、八幡は義輝からノートを奪い取るとそれを掲げた。ほげぇぇ、と叫ぶ隣の男を無視しつつ、彼はそれを雪乃へと手渡す。燃え尽きている義輝を尻目に、彼女はそこに書いているものを眺めると小さく頷いた。
「先生。これは可能ですか?」
「ん? なになに? チバセン? ……まあ、準備は面倒だがこれならありだろ」
監視役のお墨付きを手に入れた雪乃は、ノートを捲りながらそれを委員会に向かって発表する。後はこれと他のアイデアを混ぜつつインパクトのある目玉競技を作り上げればいい。そんな言葉で彼女は締めた。
「雪ノ下。一応言っておくが、私が許可を出したのはその材木座の意見だからな。お前に免罪符は与えていないからな?」
「大丈夫です」
何も大丈夫ではなさそうであった。見ていた八幡はそう語る。
「それで、何に決まったんだ?」
二年F組。昼休みの教室で隼人がそんなことを尋ねると、結衣と優美子、そして姫菜はあははと苦笑した。それだけで物凄く嫌な予感がした彼は、しかし聞かないともっと酷いことになるであろうと結論付け続きを促す。
「私も棒倒し(意味深)とかアイデア出したんだけど」
「結局あのバラエティー番組の企画みたいなのには敵わなかったんだよなぁ」
「あははは。でも姫菜も割とノリノリだったし」
「平塚先生頭抱えてたけどね」
肝心の答えが出されていないのにもう既に逃げたくなっている。が、葉山隼人はここで逃げる訳にはいかない。少しでも情報を手に入れ、少しでもあの雪ノ下雪乃に勝つ確率を上げなくてはいけないのだ。
「……それで、何に決まったんだ?」
「陣取り」
「は?」
「陣取り合戦。まあそれとは別に棒倒しと騎馬戦もやるけど」
「ちょっと何言ってるか分からないんだが」
理解が追いつかない。目玉競技が何で三つもある。考えれば考えるほどドツボにはまっていく気がしたので、隼人は一旦考えるのをやめた。ただただ静かに続きを待った。
「男子と女子全員参加の二つと、希望者で構成された男女混合の決戦の三つ」
姫菜が指折り数えながらそんな説明をする。曰く、最後の一つはどうせならと色々アイデアを混ぜ合わせて出来た混沌競技で、そんなものに全員を巻き込む訳にはいかない。なので安全に配慮した基本全員参加の二つと、やりたい放題の代わりに出る以上自己責任の一つを用意したのだとかなんとか。
「自己責任……」
「いやちゃんと安全の配慮は同じようにやるらしいけど。……まあ、怪我したくない人は応援に回ってねっていう」
「無茶苦茶だし」
「そういう割には優美子ウケてたじゃん」
もう少ししたらその競技の参加不参加を取るらしい。前代未聞のそれを聞いた隼人は、その背後にいる二人を幻視し頭痛がした。そして同時に、その片方がくいくいと手招きをしているような気もした。
「成程……そういうことか」
「隼人?」
「……優美子、君はどうする?」
「ん? あーしは出るよ。せっかくだし」
「勿論私も、ユイもね」
聞き役になっていた翔と残り二人も、それを聞いてじゃあ出るかと笑みを浮かべている。
ここにいる面々のうち、隼人を除けば白組なのは優美子と姫菜、そして翔だ。彼のよく知る面々がこぞって参加してくれるというのならば、彼女の喉笛に届くための距離もその分短くなる。
「よし、じゃあ俺も参加しよう。……結衣」
「ん?」
「比企谷は、なんだって?」
「ヒッキーなら出ない――って言ったら何されるか分からないからって渋々参加するらしいよ」
「そうか」
役者は揃った。言い方は悪いが、彼の知っている下級生上級生でアレに対抗出来るのは一人しかおらず、そしてこの流れならば彼女が参加しないということなど。
「あ、でもいろはちゃんは不参加だって」
「……え?」
「なんでも実況? 解説? だかをするらしいってさ」
「そうか……」
訂正。揃っていなかった。そんなことを考えながら、隼人は少しだけプランの変更をし始めた。どのみちやることは変わらない。彼女の考えた謎競技で、彼女を倒す。それだけが、今回の体育祭の彼の目的だ。
「勝つぞ」
「お、隼人くん燃えてる?」
「まあね。結衣や大岡、大和には悪いが」
「大丈夫大丈夫。だってこっちにはゆきのんいるから」
だから勝ちたいんだよ。そう言いたいのをぐっと飲み込み、隼人はあははと愛想笑いを返した。
トンカンと金槌の音がする。何でこんなことまで俺がやってるんだ、とぼやく八幡の隣で、あははと笑いながら結衣が材料を押さえていた。制服のままである。押さえるために屈んで、バランスを取るためにほんの僅か足が開いている。
「色々準備があるし、しょうがないんじゃないかな」
「いやまあ、雪ノ下なんか自分の欲望を満たすためにシャア専用ばりに動いてるしな……」
そんなことを言いながら金槌を振るう。真正面から視線を下げた辺りがちょうど材料なので、それを見てしまうのは不可抗力でしかない。ぎりぎり見えないのでそれがかえって無性にもどかしかった。
「ヒッキー」
「うぉ!? いや、見てない見てない。見えてない」
「何が?」
「……将来の夢とか」
「ワケ分かんないし」
「で、何だ?」
「無理矢理軌道修正したし……。ま、いいや。んとね、隼人くんと何かあった?」
金槌を振るう手が止まる。あ、やっぱり、と結衣が頷くのを見ながら、八幡はガリガリと頭を掻いた。
作業を再開しながら、彼は問う。何でそう思った、と。彼女はそれを聞いて、この間の教室でのやり取りを八幡に告げた。
「で、わざわざヒッキーのことを聞いてきたから、何かあったな、って」
「お前そういうのこんなところで無駄打ちしてないで他のところで使えよ。定期テストとか」
「酷くない!?」
そう言いながら、それで結局何があったのかと尋ねる。結衣の言葉に八幡は口を開きかけ、いいや駄目だとそれを閉じた。今ここで彼女に話せば、間違いなく雪乃に伝わる。ひょっとしたら既に承知かもしれないが、しかし確率が高いをわざわざ確定にする必要はないのだ。
「もしそうだとしても。お前に話すことじゃない」
「そっか」
「え? 自分で言っててなんだがそれでいいのか?」
「ヒッキーが言いたくないなら無理に聞かないよ。まあ、悪いことじゃなさそうだし」
悪巧みではありそうだけど。そう言って笑った結衣を見て、八幡は思わず顔を逸らした。何だか見透かされているようで無性に気恥ずかしかった。
そこで彼は気付いた。正確にはいい加減気付かないふりをやめたと言うべきか。一部の生徒がこちらを見ている。同じように作業をしている委員会の男子生徒が、どことなく恨めしげな視線を向けていた。
そのうちの一人が近付いてくる。わざとらしく八幡を視線に入れないようにしながら、男子生徒は結衣と会話をし始めた。それを適当に聞き流しつつ、あるいは仕事の質問には答えつつ、ある程度のタイミングでもういいかな、と彼女は彼に述べる。
「いや、こっちで見てもらいたいとこもあるんだけど」
「んー。ヒッキー、どうしよう? ちょっと見てきてもいい?」
そう言って結衣は八幡を見た。何で俺に振ると思いつつ、彼は溜息と共に好きにしろと述べる。男子生徒の頬が少し引きつった気がした。
「おっけー。じゃあすぐ戻るね」
ひらひらと手を振りながら、彼女は男子生徒の作業しているものを見に向かう。そこまで離れていないため、一人の作業になった八幡の耳にも、二人の会話は耳に届いた。
何だかやけに仲いい感じだけど。そんな男子生徒の質問に、結衣は何がと首を傾げる。
「いや、あの、文化祭実行委員長だった……愛の人と」
名前それで定着させんな。思わず叫びそうになり、金槌がぶれて釘ではなく板を叩く。対する結衣はそれを聞いてあははと苦笑した。本人あんまりそれ気に入ってないんだよね、と頬を掻いていた。
「うん、でも、まあ。そうだね。あたしとヒッキーは、親友だし」
「おい待てガハマそれいつランクアップしたんだよ」
「うわヒッキー、聞いてたの?」
「この距離で聞こえないわけあるか」
思わず振り向いて口を挟んだ八幡を見て、結衣はバツの悪そうに視線を逸らした。駄目だったかな、とほんの少しだけ眉尻を下げながらそう尋ねた。
「いや、駄目ってわけじゃなくてだな。そういうのはお互いの同意を経てから公言するべき案件だろ」
「んじゃ今。あたしとヒッキーは親友……で、いい?」
「……好きにしろよ」
「やた。これであたしはヒッキーの親友!」
いえい、と拳を振り上げて喜ぶ彼女を見て、八幡は何がそんなに嬉しいんだかと溜息を吐く。対する結衣は、そんな彼に向かって当たり前だと笑みを浮かべた。これが喜ばずにいられるかと指を突き付けた。
「だってヒッキー、今は友達沢山いるじゃん」
「俺は認めてないぞ」
「はいはい。まあそんな感じであたし以外にも『友達』は増えたけど……でもこれで、あたしだけが、ヒッキーの特別」
「何かヤンデレみたいなこと言い出した。こわっ」
「酷くない!?」
割と真剣だったのに、と頬を膨らませた結衣は、話の途中だったことを思い出して男子生徒に向き直った。ごめんね、と謝罪するが、彼は何だかもう全てを諦めた顔でダイジョウブデスと何故か片言の敬語で返すのみだ。
そんなやり取りを八幡は既に聞いていない。先程軽口で茶化して会話を終わらせたが、彼としては割とイッパイイッパイであった。顔を下に向けて一心不乱に金槌を振るうことで表情を見られないようにしていた。
「だからそういう誤解するようなこと、言うんじゃねぇよ……」
勘違いしちゃうだろ。自分に言い聞かせるように、自分に嘘をつくように。彼はぽつりとそんな言葉を零した。