「四人組、ねぇ……」
「どしたの?」
修学旅行が迫る中、今日も今日とてその手の準備で教室は騒がしい。八幡はそんな教室の中、さてどうしたものかと一人呟いていた。そんな彼の呟きを聞いていた結衣は、てててと近寄ると彼に尋ねる。ちらりと彼女を見た八幡は、別に大したことじゃないと息を吐いた。
「グループ分けめんどくせぇと思っただけだ」
「そうなの? ヒッキーメンバー決まってなくない?」
「俺にそんな一瞬で決まるような仲が良い相手がいるわけないだろ。精々戸塚がいいとこだ」
当の本人がどうするのかは知らないので、彼としては無理に誘うことはしない。最悪余った連中と組んで適当に過ごそうと考えていた。
が、そんな彼の言葉を聞いて結衣は首を傾げる。何言ってんだこいつ、という目で八幡を見る。
「とべっち達と組むんじゃないの?」
「何でだよ」
突如意味不明なことを言われた八幡は、本気でそんな返しをした。ふざけている様子も見られなかったので、結衣は結衣でおかしいなぁと更に首を傾げる。
「さっき隼人くんととべっちがそんなことを言ってたよ」
「……は?」
「何か頼み事? したから、一緒のグループでサポートをお願いしたいとかなんとか?」
「それは悪質なデマだな。フェイクニュースには気を付けないといかんぞガハマ」
「いや意味分かんないし」
とにかくそんな話を受けた覚えはない。そう言い切った八幡は、しかしなにか嫌な予感がしたので席を立つと隼人のいる場所へと足を進めた。当たり前のようについてくる結衣を気にすることなく、八幡はそのままクラスメイトと話をしている彼に声を掛ける。
「どうした比企谷?」
「……修学旅行のグループ分け。お前と戸部と大岡と大和だろ?」
「俺と戸部と戸塚と比企谷だけど」
「何でだよ!?」
「例の件、といえば分かるか?」
具体的な言葉は避けたそれを聞いて、八幡は表情を更なる無に変えた。それとこれに何の関係があるんだよ。口にはせずに顔で表現しつつ、それで何故このメンバーになったのかと彼に問う。
それを聞いた隼人は、決まっているだろうと笑った。どこぞの、黒髪ロングの悪魔を思わせる顔をした。
「戸塚を引き込めば、君は逃げにくくなる」
自称しているだけだと主張する隼人や戸部と違い、彩加は八幡の中でも友達扱いを別段否定しないクラスメイト唯一の男子である。事実、先程のグループ分けでも積極的に組むなら彼だろうと述べたほどだ。
勿論隼人が知らないはずもない。だから確実性を増すため、彼は彩加を引き込んだ。
「戸部のフォローのために全力過ぎだろ……」
「あんなのでも友達だからな。……まあ、理由はもう一つあるけど」
「……何だよ」
言って良いのか、と隼人は笑った。うるさいとっとと言えと八幡は舌打ちをした。
「単純に、俺が比企谷と組みたかったのさ。友達だからな」
「気持ち悪い。何なのお前、海老名さんに洗脳されちゃったわけ?」
八幡の言葉に隼人の動きが止まる。ちらりととある場所を見ると、やたらテンションの上がっている姫菜が見えた。真顔になった隼人は、すまないと眼の前の少年に心からの謝罪を行う。素かよ、と八幡の表情が更に苦いものになった。
「ま、まあ。比企谷が嫌なら無理強いはしない」
「嫌だよ」
「そうか。じゃあ」
「が、別に元々余った場所に押し込まれる予定だったから、俺は拒否権を持っていない」
はぁ、と溜息を吐いた。ガリガリと頭を掻くと、話は終わりだとばかりに八幡は踵を返す。後ろには結衣がいる。思い切り目が合った。
「ヒッキー、素直じゃないね」
「抜かしてろ」
クスクスと楽しそうに笑う結衣を一瞥し、彼はそのまま自分の席へと戻っていった。当たり前のように結衣はそんな彼に追従した。
「しかし、結構変わったね」
向こうでのやり取りを見ながら、姫菜がそんなことを呟く。視線を確認した優美子は、なんのこっちゃと首を傾げた。
「グループの関係性っていうのかな。最初と今じゃもう大分違うじゃない?」
「んー。そんなもん?」
「そうそう。隼人くんたちも四人でグループ作らないみたいだし、こっちもこっちで」
ん? と横にいた沙希が目を向ける。邪魔なら戻るぞ、という視線を受け、そんなわけないだろうと姫菜は返した。
元々は三人だった。そこに、常にではないが一人加わって。そうやって変わっていくのが、姫菜にとっては少しだけ。
「嫌なん?」
「どうだろ。昔は、嫌だってはっきり言えたんだけど」
「……そういうの本人の前で言わないでくれる?」
「あはは、ごめんサキサキ。でも、うん。やっぱり違うや」
笑みを浮かべ。姫菜は二人を見た。そうした後、向こうで何やら無駄話でもしているであろう結衣を見た。
変わっている。確実に変化は訪れている。海老名姫菜は、そうやって崩れていくのが嫌いだった。自分が嫌いで、理解なんかしたくなくて、だから理解もされたくなくて。それでも居心地のいい今は好きで。
嫌いな自分を肯定してくれるぬるま湯から、出たくなかった。そのはずなのに。
「昔は良かったって、案外迷信なのかも」
「意味分かんないし」
「……きっかけがあれば、そんなもんじゃない?」
また変なこと言い出した、という優美子と、何か思うところがあった沙希。二人の言葉を聞いて、姫菜はその両方にお礼を言って微笑んだ。
「ところで、優美子はどうするの?」
「何が?」
「隼人くん。修学旅行で決めるんでしょ?」
「……お、おう」
この話題はそろそろやめるか、と言わんばかりの話題転換。それに気付かない優美子でも沙希でもなかったが、わざわざ藪を突く趣味はない。
が、沙希はともかく優美子の方は変えられた話題が話題である。いきなり何言い出すんだお前と言わんばかりに姫菜を睨み、しかししょうがないと諦めたように肯定を返す。今のやり取りで察した沙希は、じゃあ向こうと一緒に行動するのだろうかと問いかけた。
「そうだね。それもいいかも」
「……どっちみち、向こうもそのつもりっしょ」
「だろうね」
ちらりと姫菜は翔を見る。気付かれていないと思っているのか、彼はこれからの事を考え気合いを入れていた。ああいうのは、案外バレバレなのだ。そのことをきちんと認識していないと、後で痛い目を見る。
「だよねぇ、優美子」
「言ってろ」
うりうり、と優美子の頬を突いた姫菜は、そのまま彼女のアイアンクローを食らい悶絶した。最近容赦ねぇ、とこめかみを押さえる姫菜に向かい、当たり前だと彼女は言い放つ。
親友に遠慮するほどお硬い人間じゃない、と。
「親友?」
「文句あんのか?」
「……ないない。けど、いいの?」
「アホ」
返答はその一言だけであった。それ以上何もいらないだろうと言わんばかりで、だから傍観者の立場であった沙希ですら、何だか笑えてきて。
「何だし川崎」
「いや、友達っていいな、ってちょっと」
「は? 何言ってんだし。あんたもあーしらの友達だろ」
「……そっか」
「サキサキ顔赤いー」
「サキサキ言うな」
そんなこんなの準備期間も終わり、修学旅行は目前に迫った。適当に着替えをカバンに詰め込んだ八幡は、明日からの面倒事を思い返しげんなりとした表情を浮かべた。スマホを操作し、会話アプリを呼び出すと、そこにはそれについてあーだこーだと騒いでいるメッセージが目に飛び込む。
「何見てるの?」
「これからのプレゼン用の無茶振りだ」
「ちょっと何言ってるか分かんない。って、あれ? 結衣さんたちじゃない?」
後ろから八幡の見ていた画面を覗き込んでいた小町は、グループの名前を見て目を見開いた。まさか、と兄に頼んで前画面に戻ってもらうと、そこには去年までとは比べ物にならないほどの名前が記されている。
「……エア友達?」
「だったらよかったんだけどな」
「あ、スパムメールを友達登録とか」
「ユーチューバーじゃねぇんだから、やらん」
それはつまり、そういうことなのか。驚愕で固まったままの小町は、ちょっと見せてと兄のスマホを上下にスワイプさせた。つらつらと出てくるその中には、以前花火大会で知り合った優美子の名前もある。
「……立派になったね、お兄ちゃん」
「しみじみ言うな」
ほろり、と泣き真似をした小町は、まあそれはそれとしてと八幡の横に腰を下ろす。何が面倒なの、と兄に問いかけ、修学旅行での頼まれごとについてを聞き出した。
「あー、そっちはそうなのか」
「そっち?」
「こっちの話。って言ってもお兄ちゃんは納得しないだろうし、雪乃さんからも伝えていいって言われてるから」
猛烈に嫌な予感がした。が、既に小町は話し始めている。逃げることが出来ず、彼は彼女から女子グループも同じような思惑を持っていることを聞かされてしまった。修学旅行の二日目、こちらのグループと姫菜のいるグループで行動しようという作戦を立てていた。
が、まさか向こうも同じ理由でこちらと行動しようとしていたとは。面倒臭さが倍になった気がして、八幡は死んだ目を床に落とした。
「あっちもこっちも告白告白かよ……」
「イベントってそんなものじゃない?」
「イベント違いだ。ヒロインとのスチルが出るわけでもないしな」
ギャルゲーのモブキャラポジションとしては、こういう場面ではただただ厄介なだけ。そんなことを考えながら溜息を吐いた八幡に向かい、小町は呆れたような視線をぶつけていた。お前は一体何を言っているんだ、と言わんばかりの目を向けた。
「お兄ちゃんは?」
「は?」
「お兄ちゃんは、何もしないの?」
「だから俺は、面倒事に既に巻き込まれて」
「そうじゃなくて」
その後に何かを言おうとした小町は、飲み込むように深呼吸をするとごめん何でも無いと謝った。まあお兄ちゃんだしね、とどこか諦めたような言葉を続けた。別段悲壮感はなく、どちらかというと生暖かい空気を感じるような、そんな状態である。
「あ、そうだ。これお土産リスト」
「八ツ橋とあぶら取り紙……普通だな」
「変に捻ったもの貰っても困るしね。あ、でも」
「ん?」
「お兄ちゃんの素敵な思い出話は、欲しいなぁ」
「それについては望み薄だな」
ばっさりと切って捨てた八幡であったが、小町はそんな彼の言葉を聞いても笑顔で頷くだけであった。期待してるよ、という彼女の言葉にはいはいと適当に返した八幡は、冷蔵庫からジュースを取り出すとそのまま自分の部屋に向かう。
扉を閉めると、机にジュースを置き彼はベッドに倒れ込んだ。先程はすっとぼけたものの、八幡も小町が言いたかったことを何となく察してはいる。だからこそ、思い出話が欲しいという彼女の言葉を流し、会話を打ち切って部屋に戻ったのだ。逃げたともいう。
「だから、そういうのじゃねぇっつの……」
恋だの愛だの、一々面倒くさい。そんなことを溜息と共に吐き出した八幡は、起き上がると持ってきたジュースを勢いよく流し込んだ。
そうして一息ついたタイミングで、スマホが着信を知らせる。誰だと画面を覗き込むと、デカデカと『クソ野郎』の文字が表示されていた。
『お、比企谷出た』
「そりゃ俺のスマホだからな」
『それもそうか、ウケる』
「言ってろ。んで、何だ?」
『修学旅行のお土産買ってきて』
「死ねよ」
お前は俺に買ってきたのか。八幡がそう告げると、電話の向こうでかおりは笑いながら当たり前だろうと返した。勿論買ってきていない、と言い切った。
『あ、でも小町ちゃんには渡したよ。だから比企谷も食べたんじゃない?』
「……あれお前の修学旅行土産かよ」
一週間ほど前にリビングにあったお菓子を思い出す。後出しであったが、これにより八幡はかおりの土産を受け取ったことになってしまった。自分で言いだした言葉により自分の首を絞めた彼は、ヤケクソのように分かったと述べる。最初からそう言えばいいのに、という彼女のドヤ声が、無性に八幡の癇に障った。
『てか比企谷、どしたの? 何か面倒事?』
「んあ?」
『ちょっと声に勢いがなかったから。って何だこれ、あたし奥さんかよ、ウケる!』
「ウケねぇよ」
ケラケラと電話口の向こうで笑うかおりに溜息をぶつけた八幡は、しかしそこで暫し沈黙した。面倒事は確かにある。だが、それで彼女が怪訝に思うような状態にはならないはずだ。ならば、一体かおりは何を感じ取ったのか。
「なあ、折本」
『んー?』
「お前って、誰かに告白されたことあるよな」
『今電話してる誰かさんとかにメールでされたなー』
「うるせぇ俺の話はいいんだよ。……そういうのって、どう思うんだ?」
『いや直接来いよ、って思った』
「だから俺の話はいいっつってんだろ! そもそもお前返事黒板に書いたじゃねぇか!」
『それはあたしなりの意趣返しってやつ? ヤバいウケる』
「ウケねぇんだよ!」
ゼーハーと肩で息をしながら、八幡はもう一度同じ質問をした。人から告白されるというのは、どういう感じなのか、と。
笑いを一旦収めたかおりは、そこで暫し考え込む。そうだな、と呟き、その前に確認だと彼に問い返した。
『それはさ、全然知らない相手からの告白ってわけじゃないんでしょ?』
「……そうだな」
『んー。だったら、うん。例えば――今の比企谷があたしに告白するとするじゃん』
「おぞましいことを言うな」
『はいはい。んで、それくらいの距離感の相手からなら』
案外、嬉しくてOKしちゃうかもね。そう言ってかおりは笑った。勿論実際やったら振るけど、と笑いながら前提を覆した。
意味分からん、と八幡は溜息を吐く。結局まともな答えが聞けなかったのだと肩を落とす。が、それでも、彼女の言葉は何となくではあるが、届いた。
『で、何々? 誰か修学旅行で告白するの?』
「ああ。戸部――あの文化祭でドラムやってたやつがな」
『へー。あのドラムの男子って眼鏡の娘に惚れてたよね、行くのかー』
「あ、女子はそういうのやっぱり分かるんだな」
『まあね。案外そういうのってバレバレなんだって。ね、比企谷』
「俺の黒歴史を引き出すな」
溜息を吐く八幡の声を聞いてケラケラと笑ったかおりは、はいはいとそれを流し話を続ける。彼には分からないであろう、笑みを浮かべて。からかうのとはまた違う、笑顔を作って。
それじゃないんだけどな、と心の中で呟きながら。
『ま、精々頑張って告白しなよー』
「俺に言ってどうすんだよ……」
『ウケる!』
「何でだよ……」
分かってるくせに。