シリアス「え?」
お前じゃない、座ってろ
修学旅行も三日目に突入した。自由行動の日という名の通り、今日は各自好き勝手に行動する日である。とはいえ、流石に修学旅行と銘打っているのだから、それに反するような場所には当然ながら行くことは出来ない。
もとよりそんな場所に行く気もない八幡は、欠伸を噛み殺しながら半ば無理矢理連れてこられた喫茶店にてモーニングを食べながらぼんやりと外を眺めていた。
「それで、あなた達はどうするの?」
対面で同じようにモーニングを食べていた雪乃がそんなことを彼に問うた。蛇足ではあるがこの場所の発案者は彼女である。んあ、と視線を前に戻した八幡は、どうするもこうするも、と頭を掻く。
「なるようにしかならんだろ」
「そうね。その通りだわ」
眼の前の少年を見ながら、雪ノ下雪乃はクスリと笑う。そんな彼女の言葉を鼻を鳴らすことで返答にした八幡は、それでどうするんだと今度は隣に問い掛けた。
「ふぇ?」
「俺達の予定だよ。昨日みたいに葉山達と行動するのか?」
「……ヒッキーは、どうしたい?」
「特に予定もないから、どうでもいい」
そう言ってそっぽを向いた八幡を、結衣は不満そうに頬を膨らませ睨む。が、まあいいやと息を吐くと、彼女は雪乃へと向き直った。こくりと頷いた雪乃は、それならば、と自身のカバンから地図を取り出す。そこに書いている場所を指差しながら、こういうルートで散策しようと彼女は述べた。
「本当は川崎さんや戸塚くんも一緒だと面白かったのだけれど」
「あー。沙希は別の場所行くって言ってたもんねぇ」
「戸塚もテニス部仲間とどっか行くらしいな」
まあ場合によっては鉢合うこともあるだろう。それを楽しみにしながら回るのも悪くない。その鉢合う相手が誰なのか、は敢えて明言せず、雪乃はそう述べ微笑む。そうだね、と笑う結衣に対し、八幡はどうせ碌でもないだろうと一人溜息を吐いていた。
そうして朝食を終え、三人は一路最初の目的地、伏見稲荷へと向かう。その道中、八幡は気になっていたことを隣を歩く女子へと尋ねた。
「なあ、雪ノ下」
「何かしら」
「お前のクラスメイトとかは良かったのか?」
「ええ。予め三日目は由比ヶ浜さんと一緒だと言ってあるから」
「そうか」
「ナチュラルにヒッキーハブってたけど流すの!?」
「こいつと行動を共にする気が最初からなかったからな。お互い様だ」
「えー……」
うんうんと頷く雪乃を見て、結衣はなんとも言えない表情を浮かべる。そんなんじゃ駄目だ、と拳を振り上げ、三人仲良く行こうじゃないかと気合いを入れた。
それは、昨日若干頭が茹だっていたことを忘却の彼方へ追いやるかのような。
「そういえば由比ヶ浜さん」
「ん? 何?」
「三浦さんは大丈夫だったの?」
「はへ!?」
突如右フックで顎を揺らされた気分を味わう。それは彼女が今まさに落ち着こうと思っていた恋愛関係、いわゆる恋バナであり、そしてある意味この修学旅行では切っても切れない関係でもある。
ただ、それは結衣にとっては既に終わっている事柄でもあった。なにせ、彼女がサポートすべき相手である三浦優美子は。
「……しちゃった、らしいよ」
「流石ね」
「何か部屋に戻ってくるなり布団で悶え始めたから、どしたのって聞いたら」
「おい待てそれ俺が聞いていいやつじゃないだろ」
八幡は思わず耳を塞ぎ、距離を取る。が、それよりも早く、雪乃がちょっと待ったと腕を挟んだ。学年一美少女の顔面がアップになり、彼の腐った魚の眼が思わず見開かれる。
「ゆ、ゆきのん……近くない?」
「あらごめんなさい。とりあえず比企谷くん、隼人くんの様子を教えてくれないかしら」
「は? 葉山? ……別に、変わった様子はなかったぞ」
好き好んで野郎など観察するわけもなく。とはいえ全く見ていないといえばそれも否。八幡は記憶を探りながら、葉山隼人が昨夜どんな様子だったのかを思い浮かべたが、これといって何も出てこない。
「成程。と、いうことは。あのヘタレ、保留したわね……」
「あ、それで分かるんだ」
付き合い長いだけはあるなぁと感心している結衣を尻目に、それならばいいと雪乃は話題を打ち切った。恐らく今日の自由行動は件の四人で行動しているのだろうから、後は放っておいても問題あるまい。そう結論付け、こちらの仕事はほぼ終わりだろうと息を吐いた。
「カヒュー……カヒュー……」
「ゆきのん、大丈夫? 何かダースベイダーみたいな息吐いてるよ」
「だから四つ辻でやめとけっつっただろ」
伏見稲荷。山頂に向かいながら千本鳥居を進んでいた三人は、体力が限界を迎えた雪乃を見て引き返すことを決めた。八幡の言う通り四ツ辻でも十分堪能出来た場所であったが、無駄に負けず嫌いな雪乃が、陽乃と同じように頂上で写真を取ると言い出したのが始まりである。こうなることは分かりきっていた。
四つ辻に戻り、縁台に腰掛け約一名の体力の回復を待つことにした。結衣はまだまだ元気そうで、先程流し見した景色を改めて目に焼き付け、ついでに写真も撮っている。
「皆で写真を――ゆきのん、いける?」
「……二人で、撮っておいて。私はもう少し、うぷ」
「お前自分だけのことになると馬鹿だよな……」
はぁ、と溜息を吐いた八幡は、しょうがないと結衣の隣に立った。この辺か、と彼が問い掛け、うんと笑顔で彼女が返す。そうしてスマホを起動し、二人で写真を。
そんな光景を、雪乃は目を細めながら眺めていた。こちらの仕事はほぼ終わり、先程そう結論付けたが、しかしもう一つ残っていることはあるのだ。あちらが依頼から来る『仕事』だとすれば、こちらは何も要請されていない、いわば趣味。
「あ、ゆきのんが座ってる場所を使えばいいじゃん」
ててて、と八幡を連れて彼女の座っている場所まで寄ってきた結衣は、そのまま彼を真ん中に据えると、雪乃で挟み込むように座り込んだ。これでよし、と再度スマホのシャッターを押す。
「景色、逆よ」
「鳥居は見えるからセーフ」
謎理論を述べている結衣を見て苦笑した雪乃は、そこでふと見知った顔が視界に写ったことに気付いた。視線を動かすと、どうやら向こうも気付いたようで、ひらひらと手を振りながらこちらに近付いてくるのが見える。約一名、げ、という顔をしていたが、それが何山隼人であったのかは敢えて述べない。
「雪ノ下さんもこっち来てたんだ」
「ええ。三浦さん達は、これから上に?」
「んー? あーしらはここで引き返して、嵐山の辺行く予定」
「そう。奇遇ね、私達も嵐山に行くのよ」
そう言いつつ、寄り道してからなのでタイミングは合わないだろうけどと微笑んだ。それは残念、と笑った優美子は、そのままそっと雪乃に顔を近付ける。
「あんがと。……隼人に、告れた」
「おめでとう。で、いいのかしら?」
「んー、どうだろ。何か一色からの告白も受けてからとかって保留されたし」
「予想以上に最低じゃない」
「それはあーしも思った。けど、何かちょっとホッとした」
陽乃を忘れられず、だから。そんな返事ではなく、どちらかといえばリア充爆発しろ案件な返答。それでも、そんな俗っぽい彼の反応の方が好ましく、何より、過去の憧れより今の恋愛を選んでくれたという証左でもある。
「ま、吹っ切れたし。これからはグイグイ押してこうかなって」
「いいわね。応援するわ。一色さんもだけれど」
「分かってるし」
雪乃が拳を突き出す。それにコツンと拳を合わせて優美子は、それはそれとして、と先程より更に声のボリュームを落とした。
「海老名と戸部、どう思う?」
「そうね……海老名さん次第、かしら」
「つまり無理ってことか」
「彼女もそこまで嫌ってはいないでしょうけど、流石に……」
そこで一旦言葉を止めた雪乃は、何故そんな話をと彼女に問う。その質問に、答えは簡単とばかりに優美子は頬を掻いた。
海老名から相談された、と。
「まあ、あからさまだものね」
「そ。まあ海老名もあーしも結構前から知ってたし、今更なんだけど」
「そうなると余計に海老名さん次第でしょう? もっとも、彼女がそういう関係を求めるとは思えないけれど」
「うん、あーしもそう思ってたんだけど。……だったら、相談しないじゃん?」
そうね、と雪乃は頷く。断ろうと思っているのならば、最初から決めているのならば。親友である優美子もそれは分かりきっているので、言われるまでもないことだ。今更それを相談する理由にならない。
ならば、告白を受けるのか。それも恐らく否、大分心境が変化してきたとはいえ、海老名姫菜という人間は腐っているという自称通り、自分自身が嫌いだと公言する少女だ。そんな相手が彼氏を作るなど、それこそ鼻で笑う。
「告白前に止めてくれ、ということかしら」
「んー。それはあーしもちょっと思った。でも、違うっぽいんだよなぁ……」
「どったの?」
二人して悩んでいたそのタイミングで、結衣がひょいと割り込んでくる。うわ、と思わずのけぞった優美子は、脅かすなと彼女を小突いた。そうしながら、丁度いいとそのまま結衣へと先程の会話の内容を伝える。そうほいほい誰かに話していいのだろうか、という雪乃の言葉に、仲良いやつしかしないっつの、という脳筋な答えを頂いた。
「どっちもでない、んじゃ、ないかな?」
さて、そんなこんなで話を聞いた結衣の答えがこれである。どういうことだと首を傾げた二人に向い、まあなんとなくなんだけどと苦笑しながら彼女は続けた。
「多分基本断る方向なんだろうけど、でもごめんなさいっていうのは何か違う、みたいな」
「保留?」
「んー。それともちょっと違くて。嬉しいんだけど、でもそういう関係はまだ嫌、みたいな」
「保留じゃん」
「だから違うし。……いや、何か違わない気がしてきた」
一人悩み始めた結衣を見て、二人は毒気を抜かれたように肩を落とす。ともあれ、出す結論としては結局見守るということにしかならないわけで。
それを口にして、ああそういうことかと合点がいった。つまりはそうなのだと納得がいった。
「余計なことすんな、ってことか」
「そこはもうちょっと、信じて欲しいとかの方がよくない?」
あんにゃろう、と溜息を吐く優美子とフォローする結衣。そんな二人を見ながら、雪乃は成程と一人微笑んだ。
そういうことなら、仕方ない。考えていた草案をゴミ箱にぶち込みながら、では趣味に全振りしましょうと大分回復した体を伸ばした。
「牛ガハマ」
「酷くない!?」
紙袋に食料を抱え込みカロリー豊富な物体を頬張っていればそうも言われよう。むぐむぐとコロッケを飲み込み、もう片方の手に持っていたジュースを一口。そこで一心地ついたのか、はふうと息を吐くと再度八幡へと向き直った。
「誰が牛だし!」
「お前今の行動振り返ってもう一回言ってみろよ」
「美味しいじゃん!」
「理由になってねぇ……」
はぁ、と溜息を吐く八幡をよそに、結衣は袋から唐揚げ串を取り出しかぶりついた。コンビニとは違うね、とその味に舌鼓を打ちながら、ぐるりと辺りを見渡す。
「綺麗だねぇ」
「食う前に言えよ」
隣で聞いていた雪乃が吹いた。いい感じにツボと気管支に入ったらしく、そのままむせるとゲホゲホと咳き込む。慌てて結衣が持っていたジュースを彼女に渡すと、それを飲んで大きく息を吐いた。
「……ふう。ごめんなさい由比ヶ浜さん」
「え? いやなんかあたしたちのせいっぽかったし」
「俺を巻き込むな。ガハマ一人だろ」
やれやれ、と八幡が肩を竦める。それが気に障ったのか、飲んでしまったジュースを新しく買いに行っている雪乃を目で追っていた結衣はグリンと彼へと向き直った。
「ヒッキーがあたしに文句言ったのが悪いし」
「はぁ? お前が花より団子を体現したのが悪いだろ」
「どういう意味だし!」
「……花より団子ってのはな」
「違う! 馬鹿にすんな!」
がぁ、と吠えると結衣は八幡へと詰め寄った。別に昼も碌に食べてないし、これくらいは普通の範疇だ。ほれ見ろとばかりに紙袋を掲げ、というかそっちはいいのかと怒りを霧散させると首を傾げる。お前忙しいな、と口には出さずに溜息を吐いた彼は、まあ少しは食べるかと周りに並んでいる食べ物屋を眺めた。
「あ、じゃあこれ食べる?」
「ん?」
これ、と結衣が指し示したのは手に持っている紙袋から取り出した牛しぐれまんだ。先程までとりあえず全種類食べてみるキャンペーンを実施した彼女の手により、いい感じに齧られている。
「……なんだって?」
「だから、これ……を……」
八幡が聞き返したことで、結衣も手にしているそれが食べかけであることに気付いたらしい。自身が齧った跡を眺め、そして視線を八幡の口へと動かす。ここに、彼が口を付けるとしたら。
「……食べる?」
「お前なんで食べかけ食わせようとするわけ? 祭りの時もそうだったじゃねぇか」
「へ? 祭り? …………っ!?」
あのときの光景がフラッシュバックする。いや違う、今八幡が言ったのはそれではない。それではなく、今の状況と同じような出来事の話だ。つまり、食べかけを自分は彼に渡したということで。
思い出し、そしてリンゴのように真っ赤になった。そういえばりんご飴、思い切り食べかけだった、と。
「な、なんでそんなこと覚えてるし……」
「いやなんでって、そりゃ、お前との……」
慌てて八幡は口を閉じた。げふんげふんと思い切りわざとらしい咳をした後、あれだけ面倒なことが起きたら流石に忘れんと言い直す。幸いというべきか、結衣に彼の言いかけたそれは聞こえていなかったようで、そんなもんか、と少しだけ毒気の抜けたような顔で呟いていた。
「……あ、じゃあ、別に遠慮すること、なくない?」
「はぁ? 何言ってんのお前?」
「だって、ほら、一回も二回も一緒、とか」
「お前何でそこまでして俺に齧ったやつ食わせようとするんだよ……」
「人聞き悪い!? わざわざ買うことないんなら、これ食べるかなって思っただけだし!」
「いや、だからって……」
八幡は八幡で、ちらりと結衣の唇を見て、そして牛しぐれまんを見て、と繰り返していた。向こうはそこまで気にしてないのかぐいぐいと勧めてくるが、彼は内心イッパイイッパイだ。祭りの時よりも明確に意識している現状でそれをすると、下手すれば命に関わる。
だが、それはそれとして。自分だけ意識しているこの状況が少しだけ馬鹿らしくなった。何で自分がここまで慌てないといけないんだ。そんな八つ当たり気味な感情も湧いてきた。
「……じゃあ、もらうか」
「え?」
「何だそのリアクション。俺も別にそこまで食いたいってほどじゃなし、くれるんなら貰おうと思っただけだ」
ほれ、と八幡が手を差し出す。この程度を気にしていては、ここから先はどうにもならない。言い訳じみた言葉を反復しつつ、八幡は結衣の持っている牛しぐれまんを受け取らんと。
「……はい」
「はい?」
あろうことか、結衣はそれを手に持ったまま八幡の顔へと寄せてきた。手に持つ必要などない、このまま食えばいい。そんな言葉を行動で示すかのような行為である。
俗っぽく言えば、あーん、であった。
「おい、ガハマ、お前」
「食べないの?」
紙袋をカバンに突っ込み、両手で持った状態のまま彼の口元へと差し出している。そうしたまま食べないのかと聞かれれば、勿論食べられるかと突っぱねるのが比企谷八幡という男だ。そもそもそんな状況に陥ることがないので答えは出せんと述べるのが八幡という存在だ。
なので陥ってしまったこの状態は、彼にとってはもうどうしようもなく。
「…………」
がぶりとそれにかぶりついた。食べる位置など考慮する余裕もなく、結果思い切り結衣の齧った場所を頬張ることになってしまったが、勿論それを気にする余裕もない。ただただ、美味いのかマズいのかも分からないそれを咀嚼し、そして飲み込む。
「……」
「……いや、何で引っ込めないんだよ」
「え? あ、まだ食べる?」
ずい、とポジションをニュートラルに戻す。ここでもういいと言えば終わりなのだが、目の前でもじもじしている彼女を見ていると、それを告げるのは少しだけ憚られて。
はぁ、と溜息を吐いた。なんでこんなことを、と思いながらも、八幡はもう一度結衣の持っているそれにかぶりつく。出来るだけ早く、この物体を食してしまわなければ。
「その割には、嫌がっていないのね」
それを少し下がったところで眺めながら、雪乃は一人笑う。買ってきた自分用の烏龍茶を一口飲みながら、いい酒のツマミを見付けたと言わんばかりの表情で、彼女は笑う。
そうしながら、視線を少し別の場所へと移した。嵐山にある竹林の道、もし告白するのならば、中々にいい場所ではないだろうか。恐らく隼人もそんなことを思い、翔に言っているであろうと予想を立て、彼女はスマホを取り出し会話アプリを起動、件の人物へと連絡を取った。自分は手出しはしない、ただ、見学くらいはさせてもらってもいいだろう。
そして。
「あの二人はそれを見て、どう出るかしら」
今きっと悪い顔してるだろ、という隼人からのメッセージを受け取り、ほっとけと彼女は返信をした。
次回 戸部フラれる!? デュエルスタンバイ